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第二十一話~大型船建造~


第二十一話~大型船建造~


 

 織田信長おだのぶながが岐阜へ戻る為に出立する前日の夜、義頼は甥である六角義治ろっかくよしはると馬廻りを務めている蒲生頼秀がもうよりひでの二人と共に月見酒と洒落込んでいた。

 このささやかな酒宴には、理由がある。 その理由とは、二つあった。

 一つは、六角義治にある。 しかし、彼が何か問題を起こした訳ではない。 六角義治の持つ理由とは、義頼の代わりの人質として岐阜城に赴くという物であった。

 何ゆえに彼が選ばれたのかと言うと、実のところ消去法である。 六角家現当主であり、織田信長により江南の代官に任じられている義頼を人質にする事など出来る筈もない。 かと言って、再度別家の当主となった大原義定おおはらよしさだでは、六角家の人質と言うには少し無理があった。

 すると残るのは兄の六角承禎ろっかくしょうていと甥の六角義治になるのだが、彼らは二人とも隠居している。 しかし、人質を出さない訳にはいかない。 そこで義頼と六角承禎、それから六角義治の三人で話し合う事にした。


「さて、どうしたものかなぁ……兄上、何かありませんか」

「そうだな……ここは、やはり若い義治だろう。 息子に、こんな事を言いたくはないが」


 やや憂いを含んだ目で六角承禎は、息子を見る。 すると六角義治は半ば覚悟していたのか、あまり動揺している様には見えなかった。

 彼としても、自分が人質となるのは想定内だったのである。 人質として先ず候補となるのは子息や母親だが、義頼は独身でありそもそも子供が居ない。 その上、義頼の生母は既に無くなっている。 となれば、必然的に己に役目が来るのは容易に想像出来たのだ。


「義頼に子がいない以上、仕方ありません。 ですが父上、拙者は隠居の身です」

「義治を隠居から元に戻す。 さすれば、体裁は保てる」

「しかし兄上、国人達が納得しますか?」

「義頼。 事情を話せば、納得せざるを得ないだろう」


 そんな六角承禎の言葉に、義頼は溜息を漏らしていた。

 その様子に、六角承禎と六角義治は不思議そうな視線を向ける。 二人の視線を受けた義頼は、もう一度溜息を漏らしてから今の気持ちを言葉に表したのだった。


「何というか、皮肉なものだと思ったのです。 義治を隠居に追い込んだ俺が、今度は義治を隠居から元に戻すのですから」


 義頼の言葉に、六角承禎と六角義治は苦笑した。

 確かに、皮肉と言えば皮肉だろう。 六角家の為にと思い義頼は、【観音寺騒動】の折に苦渋の決断で六角義治を隠居に追い遣っている。 そして今度は、やはり六角家の為に彼を隠居の身から元に戻すのだからだ。

 しかし、当の六角義治はそれほど気にしてはいない。 半ば強制された隠居だが、結果としてその隠居の時期があったからこそ今の自分があると考えていた。

 それに、彼もまた六角宗家の人間である。 六角家の為になるのならば、それもまた良しとの思いもあった。 


「義頼。 今の俺でも役に立てるのだから、むしろ望むところだ」

「……すまん。 そしてありがとう、義治」


 頭を下げる義頼に対して、六角義治は気にするなと言わんばかりに手をひらひらと動かす。 そんな彼を見て、絶対に危険には晒さないと心に決めるのであった。

 此処ここに六角宗家の者による話し合いに答えが出ると、義頼は兄を伴って元六角家臣に六角義治を隠居から戻す理由の説明を行う。 この説明を聞いて、彼らの反応は主に三つに分かれた。

 一つは、賛成もしないが反対もしない言わば中立の立場を取った者達である。 ただ彼らは六角宗家の判断に任せているので、事実上は消極的な賛成という立場であった。

 今一つは、賛成な者達となる。 この一派は、他に手が無いので六角宗家の判断を是とした者達であった。 そして最後は、反対の立場を取った者達であった。 彼らは少数だったが、【観音寺騒動】の際に兵を起こした池田秀雄いけだひでお平井定武ひらいさだたけを中心に構成されている。

 言わば反対派と呼べる彼らに対して、義頼と六角承禎は膝を付け合わせて懇切丁寧こんせつていねいに説得していく。 少数であるにも拘らずこの様な行動に出た理由は、嘗て起こされた二度の蜂起、即ち【観音寺騒動】と織田信長の上洛の際に発生した六角家内の騒動の轍を踏まない為であった。

 彼らとしても、そこまでされては反対するのも気が引けてくる。 やがて池田秀雄も平井定武も、そして二人に賛同した者たしも不承不承ふしょうぶしょうではあっても六角義治を隠居から戻す事に賛同したのであった。

 さて、話を戻して三人が月見酒と洒落込んだもう一つの理由だが、これはもう一人の人物である蒲生頼秀にあった。

 その理由は、【野洲川の戦い】まで遡る。 蒲生頼秀は【野洲川の戦い】で義頼と共に織田本陣へ飛び込んだ数少ない元六角家家臣であるが、その度胸と織田家本陣で織田家の母衣衆相手に互角以上の戦いぶりを見せた器量をいたく気にいられたのである。 そこで織田信長は、蒲生頼秀の父親である蒲生賢秀がもうかたひでに対して「二女の婿として迎える」と通達したのだ。

 織田信長からいきなりその様な事を通達された蒲生賢秀は、大いに悩む。 確かに蒲生頼秀は蒲生家の男であるが、義頼の直臣でもある。 そんな息子に降って湧いた婚儀話を、己の一存だけでは決めかねるのだ。

 蒲生賢秀は悩みに悩んだ末、義頼と六角承禎に相談する事を決める。 彼からそんな蒲生頼秀の婚儀話を聞くと、義頼は不機嫌そうな表情になった。


「む。 頼秀をか。 確かに頼秀の事を考えれば、決して悪い話では無い。 むしろ、いい話だ。 いい話なのだけれど、なぁ……」


 幼き頃から蒲生頼秀を知る義頼は、彼を弟の様に思っていた。

 更に言えば、蒲生頼秀は義頼の弓術と茶の弟子である。 その弟とも弟子とも思っている家臣を取られるのだから、彼の気分が害されたのも致し方ないと言えた。

 そんな義頼の態度に、蒲生賢秀もどうしたらいいかますます悩んだ。

 息子の蒲生頼秀は義頼の直臣であるのだから、できるならば息子の主君である義頼の考えに沿いたい。 しかしこの婚儀話は織田信長の意向であるのだから、はっきり言って断るなど埒の外であったからだ。

 完全に板挟みとなってしまった蒲生賢秀は、どうしたらいいかと首を捻る。 そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、相談されてからずっと黙っていた六角承禎であった。

 彼は義頼と蒲生賢秀に対し、この婚儀話は受けるべきだと告げる。 当然ながら、義頼は抗議をする。 思わず立ち上がってまでの抗議であり、昂る気持ちは相当だと推察できた。

 しかしそんな激昂する弟を見上げながら、六角承禎は静かに手で座る様にと促す。 その仕草で我に返った義頼は、ややばつが悪そうな顔をしながらも兄が促した様に腰を降ろして胡坐をかく。 そんな義頼を見つつ六角承禎は、この婚儀話の利点を上げて行くのであった。  


「よいか、義頼。 この話は六角家と六角家元家臣、及び蒲生家にとって利がある話だ」

「そうでしょうか」


 納得のいかない義頼は、憮然とした表情のまま兄へ答える。 そんな彼に対して六角承禎は、言い聞かせる様に言葉を続けた。


「そうだ。 蒲生家へ信長公の二女を輿入れさせるとなれば、織田家に降伏した我らが織田家臣や浅井家臣に侮られる事は大分減るだろう」

「おおっ! なるほど!!」


 六角承禎が挙げた利点を聞き、蒲生賢秀は感心する。 そして義頼も、兄の話には不承不承頷いている。 感情の部分ではまだ納得しきれていないが、理性の部分では納得出来るからであった。


「また蒲生家にとってだが、嫡子を人質として差し出した事と同じ効果が得られる。 確か、信長公の娘御はまだ数えで八歳。 少なくとも数年は、婚儀など行わないであろう。 だが婚儀を行うまで間、頼秀は岐阜に居ざるを得まい」


 続いた六角承禎の言葉に義頼と蒲生賢秀二人は、はっとなる。 特に義頼は、ここまで諭されて漸くだが理性が感情を上回ったのである。 彼はまだ己の感情に引きづられている様な節は見えたが、その感情を抑えつけて六角家当主としての判断を行ったのであった。 


「……そういう事ですか兄上……確かに頼秀が岐阜に居るという事は、即ち人質と同じ事」

「ええ。 確かにその通りですな、左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)様」

「だからこそ義頼、そして賢秀。 頼秀を岐阜に送るのだ」

「分かりました。 兄上の言に従います……賢秀。 それで良いな」

「はっ」


 義頼が兄の説得を受け入れた事で、蒲生賢秀は漸く結論を得た。

 此処ここに蒲生頼秀は、婚約者が出来ると同時に蒲生家の人質としての役割が与えられたのである。 またこの話とほぼ同時期、前述した様に義頼にも織田信長の妹との婚儀話が決まった為に承禎の予想以上の効果が生まれる事となった。

 少なくとも表だっては、六角家と六角家元家臣を侮る様な事を言う者は織田家中でほぼ皆無となったのであった。 


「義治、頼秀。 二人とも、岐阜に行っても息災でな」

「ああ」

「はい」


 そう言うと義頼は、六角義治と蒲生頼秀の杯に酒を注いだ。

 最後に自分の杯に注ぐと、杯を軽く合わせる。 そして微かに笑いあうと三人は、一気にあおったのだった。

 明けて翌日、六角義治と蒲生頼秀は織田信長の軍勢と共に岐阜城に向けて出立する。 その一行を、義頼達はじっと見えなくなるまで見送っていた。

 やがて視界より軍勢が消えると、義頼は大きくため息をつく。 その理由は、彼らを送り出したからだけではない。 織田信長から命じられた、大型船建造の為に浅井家に赴かねばならないからだ。

 そもそも義頼は、浅井長政あざいながまさ自身であれば嫌っていない。 しかし浅井家臣の一部の者は、義頼を蛇蠍だかつの如く嫌悪感を表すのだ。 その態度が、義頼の神経に触る。 だからと言って、浅井家に赴かない訳にはいかない。 その矛盾に対する思いが、溜息となって現れたのだった。


如何いかがなされました殿、溜息をつくなど」

「正信か、ちょっとな」

「殿。 これも武士の役目にございます」

「あ? あ、あぁ。 そうだな」


 本多正信ほんだまさのぶは、予想とは違う返事に眉を顰めた。

 すると彼は訝しげな態度をしながら、義頼に尋ねる。 そんな本多正信に対して義頼は、首を振りながら答えた。


「正信の言った事は、半分当たっている。 義治と頼秀が近くに居ない事を、俺が寂しく思っているのは事実だ」

「ならば、何ゆえに半分とおっしゃられたのですか?」

「この後、行かねばならない浅井家の事を考えたら思わず出てしまった」


 そんな義頼の言葉に本多正信は、そこまで浅井長政を嫌悪しているのかと意外そうな顔をした。

 彼の見立てでは、義頼はそこまで浅井長政を嫌っている様には見えなかったからである。 むしろ、好感を持っているとすら感じていた。

 最も、義頼自身が己の気持ちに気付いているとは思えなかったが。


「殿がそこまで備前守(浅井長政)殿を嫌っておいででしたとは、意外でした」

「は? いや、待て。 何でそんな話しになる?」


 本多正信の言葉に、今度は義頼が目を白黒させた。

 まさか溜息をついた事で、そんな話しになるとは思ってもみなかったからである。 すると本多正信は、義頼の態度に何か勘違いがあったのかと考える。 そこで、再度尋ねたのであった。 


「殿が備前守殿を嫌っておられたから、溜息をついたのではないのですか?」

「正信。 俺は別に、長政を嫌ってはいない。 ただ、勝ちたいとは思っているがな。 さっき溜息をついた理由だが、これは浅井の家臣、特に重臣の一部に対してだ」

「ああ、なるほど……殿は浅井家臣の態度を想像したのですな」

「そうだ。 義治と頼秀を送り出して少し気持ちが沈んだところに、ふとこれからの事が頭をよぎったのだ」

「それは、なんともはや」


 本多正信に何とも言えない表情をされてしまった義頼は、きまりの悪そうな顔をした。

 やがて頭を何回か掻くと、誤魔化す様に語勢を強めながら彼に声を掛ける。 浅井家を訪問するに当たって、事前に調整を行う必要があったからだ。


「兎に角!! 浅井家に顔を出さなくてはならん! すまんが、連絡を頼むぞ」

「御意」

「ふんっ!」


 小さく笑みを浮かべながら答えた本多正信に、義頼は鼻を鳴らしながら踵を返すと六角館内に戻った。

 因みに義頼だが、近江代官の職を履行するに当たり織田信長から観音寺城の城代にも任じられている。 これは、嘗て義頼が居城としていた長光寺城の代わりという意味合いも持っていた。

 話を戻して、それから一週間程経った頃、義頼は本多正信と堅田衆頭領の猪飼昇貞いかいのぶさだを伴って小谷城を訪ねた。

 訪問の理由は、言うまでもなく大型船建造に関しての調整である。 程なく面会を果たした義頼と猪飼昇貞は、浅井長政に頭を下げた。

 そんな彼ら、特に義頼の姿を見て一部の浅井家臣が事前に予想した通りさげすみの笑みを浮かべる。 しかし同時に彼らは、どこか満足そうにもしていた。

 さて浅井家臣の一部が義頼に対してその様な態度を取った理由は、嘗ての六角家と浅井家の因縁にある。 六角承禎がまだ剃髪もせず六角義賢ろっかくよしかたと名乗り六角家当主であった頃まで、浅井家は六角家の下風に立たされていた。

 例えそれが浅井長政の父親である浅井久政あざいひさまさの決断による結果だとしても、浅井家家臣として腹立たしい事に変わりがある訳ではない。 しかし今では嘗ての立場は完全に逆転し、六角家現当主である義頼が浅井家現当主である浅井長政に頭を下げている。 この構図は、十分に苦汁をなめさせられ続けたと思っている一部の浅井家臣の溜飲を下げる物であったからだ。

 この場所に居る一部の者とは言え神経を逆なでする様な態度に、事前に予測したとはいえ義頼が気にしない訳が無い。 しかし彼は、こみ上げそうになる怒りをぐっと堪えていた。

 何と言っても浅井家は、織田家と同盟を結んだ家である。 それに引き換え六角家は、織田家に降伏した家でしかない。 今や織田家の一家臣でしか無い六角家と、織田家と同盟関係にある浅井家とでは比べるまでも無いのだ。 

 その後、義頼と正信と昇貞は別室に通されて長政と話し合う事となったが、その前に義頼は雪隠せっちんを借りた。


「くそっ! 予想していたとはいえ、やはり腹がたつっ!!……ちっ! 爪が食い込んでいたか。 取りあえず手拭いで血止めでもしておくとしよう」


 そう。

 義頼は怒りを堪える為に、手を握りこんでいたのである。 そのせいで、爪が掌に食い込み傷つけていたのだ。 そこで彼は己で呟いた様に、手拭いを巻こうとする。 しかし片手であるが為に上手く手拭いを結び巻きつける事が出来ず、仕方無く義頼は雪隠を出た後に本多正信へ手拭いで掌を縛る様にと頼んだ。

 その様な事を義頼から頼まれた本多正信は驚いたが、しかし彼は何も言わずに手拭いを巻く。 やがて簡単な治療を終えると、義頼達は浅井長政の待つ部屋に案内された。

 部屋に入って来た義頼主従を見て、部屋のぬしである浅井長政と同席している遠藤直経えんどうなおつねが眉を顰める。 その理由は、義頼の手に巻かれた手拭いにあった。


「さて左衛門佐殿。 まずは謝ろう」

「何の事ですかな、備前守殿」

「その手を見れば分かる」

「あっ! これは、その少し引っかけまして……」


 言い繕おうとした義頼であったが、はっきり言って誤魔化せていない。 そんな義頼の対応に、遠藤直経と本多正信と猪飼昇貞は苦笑を浮かべる。 浅井長政も少し呆れた顔をしたが、軽く頭を振ると口を開いた。


「……まぁ、貴公がそう言うのなら、その通りなのであろう。 とは言えその手は、見てて少々痛々しい。 薬師を呼ぶので、治療を受けると宜しかろう」

かたじけない」


 六角家と浅井家と堅田衆による三勢力による会談が始まる前に義頼の治療が行われるという奇妙な状態であるが、そのお陰か少なくとも部屋の中から緊張などはなくなる。 もしこれを意図的に行ったのであるならばある意味大したものだが、義頼にその様な意図など無い。 はっきり言って、全くの偶然であった。 

 やがて治療が終わると、義頼達は今度こそ会談を開始する。 会談の口火を切ったのは、本多正信であった。

 

「大型船建造の命は、恐らく移動の速度を上げる為でしょう。 大和に松永殿があり、四国に三好が健在です。 他に中国の毛利などといった者達が居る以上、気は抜けないと思っているのかと」

「なるほど。 義兄上には、その様な考えがあったのか」


 本多正信の言葉を聞き、浅井長政は感心する。 これは義頼と猪飼昇貞も、同様であった。 また浅井長政の近くに座る遠藤直経だが、彼はしきりに頷いている。 どうやらこの男の考えも、本多正信と同じである様だ。

 しかしこれは飽くまで予想であり、織田信長がその様に宣言した訳ではない。 だが、織田信長の考えと本多正信の考えはほぼ同じであった事に間違いなかった。


「さて備前守殿。 船の建造に関しての資金ですが、これは某が殿よりいただいているので脇に置いておきます。 よって差し当たっての問題は、誰が主導するかという事です」

「誰? 左衛門佐殿、どちらかでは無いのか」

「殿……信長公は、備前守殿や堅田衆と協力してと某に命じられました」

「なるほど。 浅井、六角、堅田の三つ。 だから貴殿は、どちらかではなく誰と言ったのか。 そして、猪飼殿を左衛門佐殿が連れて来た理由と言う訳だな」


 浅井長政の言葉に、義頼は頷く。 そんな義頼を見た後で彼は、少し間を開けてから自らの考えを述べた。 と言うのも、琵琶湖の水軍に関しては六角家の方が上だからである。 当然ながら、船舶に関する知識や技術も六角水軍の方が上であったのだ。

 要するに浅井長政は、六角家に船の建造に関して譲るという判断をしたのである。 だが、この考えに義頼は賛同しなかった。 その理由だが、琵琶湖には六角水軍すらも凌駕する集団が居るからである。 それは、言わずと知れた堅田衆であった。 彼ら堅田衆の実力は、ほぼ間違いなく両家を凌いでいる。 それは、造船に関しても同じ事が言えた。

 ゆえに義頼は、堅田衆を率いる猪飼昇貞を推薦したのである。 この義頼による推薦は、浅井家は勿論だが本多正信としても納得できる物であった。

 ただし、普段であればこの様な事は言い出す事はしない。 織田信長の言葉であったからこそ、義頼も浅井長政も最も早く造船出来るであろうこの決断をしたのであった。


「それで猪飼殿、問題ないか?」

「ございませぬな備前守殿。 左衛門佐殿よりの推薦にございますれば、早々に我が堅田衆の主導による大型船の造船を始めましょう」


 それから間もなく堅田衆が中心となり、六角家と浅井家も加わった大型船の建造に入ったのであった。

 この淡海おうみの海に集う三つの水軍の力を全て結集した建造は、尋常では無い速度で進んだのである。 殆ど突貫工事で進められた造船は、何と僅か二ヶ月弱で竣工にこぎつけていた。

 こうして無事に完成した大型船の処女航海だが、何と織田信長がわざわざ岐阜から駆け付けて乗り込んだのである。 その事も重なり、この大型船は近隣の耳目を大いに騒がせたのであったと言う。

 因みにこの大型船完成の暁に、堅田衆頭領の猪飼昇貞は義頼を通して琵琶湖上の輸送における特権を認めた織田信長の朱印状を渡されている。 上洛時の約定が履行された形だが、この朱印状が齎す価値は大きい。 その為か堅田衆は、織田家に対して運上金とも冥加金とも取れる一定額を定期的に納める事にしたのである。

 また、骨を折った六角家に対しても織田家に比べれば額は少ないが、やはり一定額を納めるのであった。





 大型船が無事に完成し、琵琶湖上にその雄姿ゆうしを見せてからおよそ一週間、義頼の居る六角館に鵜飼孫六うかいまごろくら甲賀衆に守られた十数名の者達が到着する。 彼らはそのまま義頼と面会したが、その席に置いて一行を代表する形で男が礼を述べていた。


「左衛門佐様、此度の事ですが真に感謝の言葉もありませぬ」

「俺から出来る、せめてもの事だ。 それよりその方達の事だが、当人にはまだ知らせておらぬ。 明日には会わせるので、それまで待ってくれ」

「承知致しました」


 義頼の言葉に男も、そしてもう一人の女性も悪戯っぽい笑みを浮かべる。 そして義頼もまた、同様の笑みを浮かべていた。

 翌日になると義頼は、昨日の一行を隣室に控えさせた上で本多正信を呼び出す。 何故なぜかと言うと、昨日の一行正信には因縁浅からぬ関係を有するからであった。

 呼び出された本多正信が現れると、彼は用向きを義頼へ尋ねる。 すると義頼は、小さく笑みを浮かべると用件について口を開くのであった。


「実はな、正信に会わせたい者達が居るのだ」

「どなたでしょうか」

「入れ」


 義頼の声に従い、隣室の襖が開く。 そこには前述した通り、昨日義頼と面会した三名が控えていた。

 三人のうち青年は、義頼より僅かだが年嵩であると思われる。 もう一人は女性であり、此方こちらは義頼とほぼ同年輩かと見受けられる。 そして最後の者は、何と子供であった。

 その三人を見た本多正信は、大層驚く。 そして彼が驚いた理由は、三人に見覚えがあったからだ。

 まず若い男だが、正信の弟で名を本多正重ほんだまさしげと言う。 そして女性は正信の妻の妙であり、最後の子供は正信の嫡子となる千穂ちほであった。

 そもそも、彼らが何ゆえに本多正信と共にいなかったのか。 それは、後に【三河一向一揆】と呼ばれる様になる三河国内で起きた内戦と言っていい一揆に、一向宗側として参戦し徳川家に刃を向けた事を原因としていた。

 確かに【三河一向一揆】事態自体は、最終的に徳川家の勝利となって終結している。 しかし戦の終結後、本多正信は徳川家には帰参せず三河国に家族を残して出奔したのだ。 その際に彼は、残した家族や弟を嘗ての同僚であった大久保忠世おおくぼただよに預けている。 その預けた筈の三人が、近江国に居るのだから本多正信が驚くのも当然だった。


「と、殿。 これは」

「【野洲川での戦い】に臨んだ際、お主の決断に対する俺からの感謝の気持ちだ。 それから、正信が家族を託していた大久保殿には話を通してあるので問題はない」


 話は、琵琶湖で大型船を建造している最中の頃まで遡る。

 義頼は本多正信に告げた理由で、家臣の和田信維わだのぶただを三河国へ派遣したのである。 義頼はその際に、三河国での繋ぎとして三宅康貞みやけやすさだに渡す書状を和田信維に託していた。

 三宅康貞の三河三宅氏は、佐々木氏の流れを汲む児島高徳こじまたかのりを直接の祖としている一族であると兄の六角承禎から聞き及んでいたからである。 また児島高徳自身が和田氏の流れも汲んでいる事から、使者となっている和田信維の事もあり二重の意味で繋ぎ役としては申し分なかったのだ。

 直接仕えている存在ではないとはいえ、佐々木氏嫡流を受け継ぐ六角家当主からの書状である。 それに内容もあくまで繋ぎ役としての骨折りを頼んだものであり、徳川家自体にどうこうと言う事でもない。 それならばと三宅康貞は、大久保忠世と和田信維の面会に一役買ったのであった。

 驚いたのは、大久保忠世である。 会った事もない六角家からの使者もさる事だが、三宅康貞が仲介したのも彼の驚きを助長していたのである。 しかし書状を読んでいくと、義頼からの書状の理由自体は納得できるものであった。

 妻子を預かっている以上、大久保忠世の元に本多正信からの書状が無いと言う訳ではない。 だから本多正信が、今は六角家に仕えている事は当然知っていた。

 しかしその彼の妻子を六角家で責任を持ちたいと言う義頼からの書状は、裏を返せば本多正信が徳川家に帰参する気はないと言う意思表示に他ならない。 その事に一抹の寂しさを覚えないでもないが、それも本多正信の判断と大久保忠世は考え特に追及する様な事はしなかった。

 また、この義頼からの提案は、大久保忠世自身と言うより大久保家にとっても実は有り難かった。

 と言うのも、本多正信より妻子を託されたとは言え、この三人の事は大久保忠世にとって相応な負担となっていたからである。 義頼は嘗て正信に関して調べた際に、大久保家の抱えた事情も偶々だが知る事になった。

 そこでその事情を今回は逆に利用して、相応以上の金を支払う事を忠世に約束していたのである。

 六角家に仕官して、今となっては本多正信が徳川家に帰参するとは思えない。 そして彼の主であり、大久保忠世に経費と礼の金子を確約する義頼。

 その二人で天秤に諮った結果、大久保忠世は義頼を取る。 やはり大久保家の負担は、それ相応であったのだ。

 またこの決定には、大久保忠世の世話になっていた本多正重と妙も同意する。 両名共、自分達が居る事で金銭的な迷惑を掛けている事は分かっていたので、受け入れるのは必然でもあった。

 こうして大久保家より六角家へと移動した彼らであったが、義頼の茶番とも取れる行為に乗り今の今まで本多正信とは面会していなかったのである。 完全に虚を突かれてしまった本多正信は、珍しく呆けてしまっていた。 するとそんな父親に対して、千穂は駆け寄ると抱きつく。 そこで我に返ると、ほぼ反射的に抱き上げていた。

 やがて千穂を降ろした本多正信は、息子を下ろすと義頼に平伏する。 するとそれに倣う様に、弟の本多正重と正室の妙も同様に平伏したのである。 ただ幼い故に、父親と母親と叔父の取った行動の意味が分からない息子の千穂だけが不思議そうな顔をしていたのが酷く印象的であったと言う。

 何はともあれ、こうして本多正信は家族と再会を果たす。 彼はこの事をひどく喜び、家族との再会をお膳立てした義頼に対してますますの忠誠を心の内で誓うのであった。


信長が京から岐阜に戻るまでと、戻ってからの近江国での出来ごとでした。


ご一読いただきありがとうございました。

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