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第二百三十六話~急転~

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第二百三十六話~急転~



 備後国杉原保常興寺。

 嘗てこの地に駐屯した際に本陣とした常興寺だが、義頼が立案した新たな城を建築するにあたって移築されている。 その常興寺に、六角承禎ろっかくしょうていを正使とした勅使一行が到着した。

 その一行の周りは、備後国の国境まで出向いた永原重虎ながはらしげとら率いる六角家の軍勢が護衛している。 彼らに守られた一行を出迎えたのは、言うまでもなく義頼である。 彼は兄の六角承禎が率いる一行を出迎えると、粛々と常興寺に迎え入れていた。

 何ゆえに、彼らを常興寺で出迎えたのか。 それは、流石に最前線に近い神村城に出迎える訳にはいかなかったからである。 いかな毛利家と言え、勅使の一行を襲うとは考えずらい。 それでも万が一を考慮して、義頼は宿泊地として常興寺を用意したのだ。 また常興寺側としても、勅使一行を出迎えるのは名誉である。 此処ここに両者の思惑は一致を見た、という訳であった。

 その常興寺へと到着した一行だが、用意された風呂で旅の埃や汚れを落とすと夜には歓待を受ける事となる。 そこで旅の疲れをも癒した一行は、気持ちよく夜半前には就寝していた。

 明けて翌日、勅使の正使を務める六角承禎より、義頼に対してある命が言い渡される。 その命とは、勅使の副使となる事であった。 その命を聞いた義頼は無論だが、同席している沼田祐光ぬまたすけみつは驚きの色を表している。 それは、同席した元幕臣達や永原重虎などと言った六角家重臣も同じである。 何せ、この勅使の副使就任について義頼達へ全く伝達されていなかったからだ。

 ところで何ゆえに朝廷が、義頼に勅使の副使と言う肩書を与えたのかと言うと、そこには二つの理由があった。 一つは、一種の稚気ちきの様な物である。 簡潔に言ってしまえば、ある意味で悪戯いたずらと評してもいい。 ただ、これは理由としては非常に小さかった。

 それよりも大半を占めていたのは、織田家を巻き込む事である。 具体的に言えば、何かあった時に織田家へ始末を押し付ける為であった。 とどこりなく、将軍解任や関連する事象が解決すれば良し。 もし問題が発生した場合は、織田家に押し付ける。 言わば、朝廷側による織田家への問題押し付けを正当化する為に選ばれたのが義頼だったのだ。

 これは、言いだしたのが義頼である以上、何かあった場合の責任はとれと言う朝廷からの隠された意思ともとれる。 そしてその様な裏を、織田信長おだのぶながが気付かない筈もなかった。 だが織田家としても、己側から言い出した以上は多少の不利益は飲み込むつもりはある。 故に織田信長もそして織田信忠おだのぶただも、義頼の勅使の副使就任に異論は唱えない。 その結果、先に述べた稚気も相まって、命じられる側の義頼が全く知らないと言う事態が生み出されてしまったのだ。

 とは言え、別に不名誉な事でもない。 寧ろ名指しで朝廷から抜擢ばってきされたのだから、名誉と言っていい。 事実、六角家家臣はやや顔を紅潮させているくらいなのだ。

 だから六角承禎も義頼が驚いているのは、永原重虎ら六角家臣と同じ理由だと思っていたのである。 しかしながら、そんな彼の表情はいぶかしい物へと変わっていく。 それは、義頼と沼田祐光、更には六角家家臣ではないが同席している元幕臣らの一人となる長岡藤孝ながおかふじたかの顔色が、紅潮ではなく蒼白なのに気付いたからだった。


「義頼。 その顔色は如何いかがした」

「……その、兄上…………いや参議(六角承禎)様。 その副使の命ですが、何時いつからとなりましょうか」


 その物言いもさることながら、わざわざ官職で呼んだ事に六角承禎は眉を顰める。 だがそれ以上に違和感を覚えたのは、副使就任の時期に言及した事だった。 兄を官職で呼んだ事に関しては、公式の場だからと理由付けもできる。 しかし、副使に任じられた時期を聞いてくるなど、普通はないのだ。


「何を言いたいのかはわからんが、副使就任に関して言えば、朝廷より命が出た直後となる。 当然だがな」


 その言葉に、義頼と沼田祐光と長岡藤孝の三人は慌てて視線を合わせる。 その様子に六角承禎は無論の事、勅使一行の面々や六角家重臣や元幕臣の者達などから不穏な空気が流れ始めた。

 しかしながらくだんの三人は、まるで周囲の様子に気付く素振りがない。 義頼にしろ沼田祐光にしろ長岡藤孝にしろ、この場の雰囲気に気付かないと言うのは幾ら何でも不可思議ですらある。 彼ら三人が有能な者であると言う事は、この場にいる者であれば理解している。 だからこそ、三人が気付かない事に言いようもない何かが彼らの胸中によぎっていた。


「義頼、上野之助(沼田祐光)、兵部大輔(長岡藤孝)。 そなた達、一体全体どうしたと言うのだ」

「……はっ! あ、えと。 申し訳ありません」

「義頼、その様な事を聞きたいのではない。 何があったかと聞いている」

「あ、えと。 その……参議様。 実は、少々込み入ったお話がございまして」

「それは、大事な話か?」

「はい。 とても大事な話にございます。 しかもできれば、参議様だけにお話ししたく」

「俺だけだと?……分かった、話を聞こう」


 こうして義頼と沼田祐光と長岡藤孝の三人は、六角承禎と共に急遽用意させた別棟の庫裏くりへと移動する。 残された者達は、不安そうに周りの者達と視線を合わせていた。



 さて、庫裏へと移動した義頼達はある一室に入る。 しかも部屋の入り口と建物の周囲は、藍母衣衆や馬廻衆に警護させているばかりか、忍び衆すらも用いている。 その物々しいまでの警戒振りに、六角承禎は眉を顰めていた。

 何であれ部屋に入り腰を下ろした訳だが、義頼と沼田祐光、そして長岡藤孝は大きく息を吐く。 憂鬱ゆううつと言っていい彼らの仕草に、事情の知らない六角承禎は流石に苛立ちをあらわにした。


「おい! 義頼! 一体、どう言うつもりだ。 部屋を移動させ、人を払い、更には俺の前で溜息など」

「申し訳ありません、兄上。 もう、何と言っていいやら……兎に角、お話します。 我ら三名が驚いた理由ですが、それは某自身に起きたある事件に由来しています」

「お前に起きた事件だと? 何だそれは」

「暗殺未遂です」

「……ああ、宇喜多の件か」

「違います。 公方様です。 正確には、公方様の周りの者がしでかした暗殺未遂ですが」

「はぁ!?」


 この暗殺未遂に関しては、義頼が表ざたにしなかった為、織田信長ですら知らない事件である。 また、どこから情報が洩れるか分からないことを危惧した義頼は、肉親にすら自身に暗殺未遂事件が降り掛かった事を知らせていない。 その結果、六角承禎も知るよしもない事件となっている。 であるからこそ、彼は素っ頓狂な声を上げるぐらいに驚いたのだ。

 その後、驚きから六角承禎は絶句し固まってしまう。 しかし唐突に動き出すと、弟の両肩をがっちりと掴んだ上で、事情を正確に話す様にと殊更ことさらに詰め寄った。

 するとそこで、沼田祐光が咳払いをする。 その咳払いで我に返った六角承禎は、掴んでいた義頼の両肩より手を離すとその場に腰を下ろす。 しかし、その目は雄弁に「話せ」と物語っていた。

 そこの視線に頷いた義頼は、直ぐに沼田祐光へ目配せする。 それと言うのも、この暗殺未遂事件については沼田祐光が主導して調査していたからだ。 彼は捕らえている使者の事情聴取なども行っており、この部屋の中にいる者の中では最も詳しく把握している。 それゆえに義頼は、彼に下駄を預けたのだ。

 主より指名された沼田祐光は、もう一回咳払いをしてから己の知る暗殺未遂の内情をできる限りつまびらかにして行く。 その話を聞いて行くうちに強張っていた六角承禎の表情から、徐々に表情が抜けていく。 沼田祐光の話が終わった頃には、ほぼ無表情となっていた。


「……なるほど。 その、大館晴忠おおだちはるただとやらが独断で行ったと」

「はっ。 その、使いとなった者の話を聞く限りではですが」

「しかし、厄介な事だ。 まさか、その様な事態となっていたとは」


 そう。

 実に、巡り合わせが悪い。 此度こたびの大館晴忠が引き起こした暗殺未遂事件を初めとする事象は、発生した時間が問題だったのだ。

 流れとしては、先ず足利義昭の書状があり、その書状を受け取った全員が否と返答している。 すると義頼が、以降に同じ事が起きない様にと将軍職からの解官を織田信長と織田信忠へ進言し彼らはそれを了承した。

 また義頼から書状にて話を聞いていた六角承禎が、織田信忠からの提案を受けて朝廷へ将軍解官の奏上を武家伝奏として行う。 するとその案件は朝廷でも了承され、将軍の解官が決まり同時に事後承諾だったとは言え義頼へ勅使の副使就任が織田家了承の下で決まったと言うのが大雑把おおざっぱだが一連の流れとなる。

 問題は、義頼へ勅使の副使就任が朝廷より出された後に大館晴忠の独断による義頼暗殺未遂事件が起きてしまった事にある。 事件自体は、杜撰ずさんと言っていい。 何せ石井清信いしいきよのぶと石井右京進の兄弟に丸投げして、暗殺を実行させ様としたぐらい計画性がないからである。 これならば、まだ宇喜多直家うきたなおいえの行った義頼暗殺未遂事件の方が遥かに計画性があると言ってよかった。

 だが、杜撰であろうがそうでなかろうが義頼に対する暗殺未遂事件自体は起きてしまっている。 しかも、勅使の副使と言う立場にある義頼に対する暗殺未遂である。 勅使は帝、若しくは朝廷の代理と言う立場にあり、その副使を害するなどある意味で朝廷に対して弓を引いたと言ってもいいぐらいであった。


ゆえに困ってしまったのですよ、兄上」

「はぁ。 本当に何の巡り合わせだ、これは。 神仏の意志でも働いたと言われれば、思わず納得しかねんぞ」

「兄上、戯言ざれごとは兎も角として、如何いかがなさいます」

「こうなると、役目も一時保留とせざるを得ないな。 わしは、朝廷に知らせる。 お主も、織田家に知らせろ」

「承知しました」

「となると、誰を使いに出すか……と言っても、左兵衛督(竹内長治たけのうちながはる)殿しかおらぬな」


 竹内長治が当主を務める竹内家は河内源氏の流れを汲んでおり、やはり河内源氏の流れを汲む足利家とは同門と言っていい。 その出自から、彼も副使として任命されたのである。 その同門に当たる竹内長治が、足利家に止めを刺しかねない此度こたびの事件について報告をするのだから皮肉以外何物ではなかった。

 ただ報せ自体は、彼とは別に急ぎ送る事になる。 何せ事が事であり、一刻を争う事態と言えるからだ。 その連絡役だが、義頼直属の忍びである藤林保豊ふじばやしやすとよが務める。 ただ、彼では朝廷へ届けられない。 そこで、京に居る庭田重具にわたしげともを介して奏上して貰う事とした。

 これで一段落がついたかと言うと、そうではない。 他にも、手を打っておく必要がある。 それは、足利義昭あしかがよしあきと毛利家であった。

 先ず足利義昭だが、事の次第から彼が直接暗殺騒動に関わっている様子はない事については前述した通りである。 しかし、暗殺を画策した大館晴忠の主君である以上、無関係とは到底成り得ないのだ。 更に言えば、朝廷の面目も関わってくる。 この状況で足利義昭の逃亡などをもし許したとなれば、面目は丸潰れとなってしまうのだ。

 そこで、少なくとも逃亡などは絶対に許さない状況にしておく必要がある。 だが、そうするには毛利家の協力が必要となってくる。 何せ、足利義昭の居る大寧寺は毛利領内にある。 そこに、今毛利家と干戈かんかを交えている真っ最中である織田家旗下である義頼の軍勢なり手の者が向かうなりするのは現実的に言って不可能とまでは言わないがかなり難しいのは言うまでもなかった。

 その点、毛利家は自家領内の事である。 理由など何とでも付けられるし、もし危ぶまれたとしてもそう問題とはならないのだ。 それに、毛利家にとっても救いの一手となる。 此度の暗殺未遂に関して毛利家は完全にとばっちりなのだが、責任が皆無な訳でもない。 結果論だが、毛利家が事後承諾であったとは言え足利義昭の書状に関して黙認してしまった事が遠因の一つと言えてしまうからだ。

 この環境下で足利義昭の逃亡などを若し許そうものなら、朝廷だけでなく毛利家も面目が立たない。 そうなれば、全ての責任を押し付けられてしまうのは明白となる。 その後は、押して知るべしである。 ただ一つ言えるのは、ろくな結果が毛利家にもたらされる事はないのは間違いないのだ。


「ふむ。 そうなると、密かに一旦休戦を結ぶか?」

「ですが兄上。 そうなりますと、公方(足利義昭)様に悟られませぬでしょうか」

「むぅ。 それは、あるかも知れぬな。 だが、この際だ。 そこは、目を瞑るしかなかろう。 何より公方、いや足利殿は毛利領内にいる。 ならば、毛利の力を借りねばならぬしのう」

「そう……ですな」


 足利義昭の一党は、毛利領内にある大寧寺にいる。 そうである以上、彼らを足止めする為には毛利家の力は必須となるのは前述した通りであった。 そこで毛利家に、大寧寺を守ると言う名目で彼らを事実上監禁してしまう。 その間に、朝廷や織田家などで対応を決めてしまうのだ。


「となりますれば、問題がない訳ではありません。 公方様を逃がさぬ為に、迅速な対応が求められます。 しからば、織田家からの返答を待っている訳にはいきません。 それこそ、独断による動きが必要となります。 更に言えば、四国勢を率いる日向守(明智光秀あけちみつひで)様や紀伊守(羽柴秀吉はしばひでよし)様の協力も必要となりましょう」


 確かに、沼田祐光の言う通りであった。

 義頼旗下の軍勢であれば、命令一つで動きを止める事ができる。 実際、山陰で展開中の別動隊は、それで止める気なのである。 しかし、四国から攻めている四国勢となるとそうはいかない。 彼らは織田信長からの命により義頼に協力して毛利家を攻めているのであって、厳密に言えば義頼旗下の軍勢ではないからだ。


「なれば、拙者が出向きましょう」

「宜しいのか、藤孝殿」

「うむ。 拙者と日向殿は、知っての通り元は同じ幕臣。 それに拙者も、暗殺対象だったのだ。 当事者として、義頼殿に協力するは当然であろう?」

「そうか、助かる。 では藤孝殿、いや兵部大輔殿。 お願い致す」

「お任せあれ。 明日にでも、向かいましょう」


 残る問題は二つ、一つは山陰の別動隊である。 此方こちらに関しては、義頼が命を出せば済む話である。 無論、説明はしなければならないので、相応の者を使者とするつもりであった。

 そしてもう一つは、毛利家との繋ぎである。 一応、非公式に沼田祐光と安国寺恵瓊あんこくじえけいが幾度か交渉を重ねているので問題はないように見えるが、此度に関してそうとばかりは言えない。 足利義昭へ出来るだけ知られない様にしなければならないので、何度か面会を重ねている安国寺恵瓊との接触はできれば避けたかったのだ。

 穿うがち過ぎると言われればそうかも知れないが、それでも事態が事態であり不安となる要素は少しでもなくしておきたいと言う心情もある。 その意味で避けたいと思ったのだが、しかしながら他にあるのかと言われれば首を傾げざるを得なかった。


「殿。 やはり、此処は恵瓊殿に接触するべきかと」

「安国寺恵瓊か、やはりそれしかな……いや、まて……いる。 いるぞ! もう一人、いるではないか!!」

「殿。 もう一人とは?」

「祐光、忘れたか? 福原貞俊ふくばらさだとしを」

「福原……あっ!」


 いみじくも義頼が言った通り、もう一人連絡を付ける事が可能な人物がいるのである。 しかも、義頼の軍勢内にだ。 それは、現在捕虜となっている福原貞俊である。 彼は毛利家重臣であり、しかも筆頭格とされる。 毛利両川とされる吉川元春きっかわもとはる小早川隆景こばやかわたかかげと並び称される程であり、それだけでも十分将としての力量が分かるという物だった。

 その福原貞俊だが、備後国を巡る戦の最中に策によって義頼に囚われてしまっている。 以降、彼は捕虜としての生活を余儀なくされていた。

 元々、義頼は彼を毛利家に対する降伏勧告を行う際の使者にでもと考えて捕虜としている側面がある。 毛利家内の地位の高さから、彼ならば例え相手が毛利輝元もうりてるもとや小早川隆景や吉川元春でも先ず会えるからだ。

 しかも今回の一件は、下手な対応次第では毛利家存続の危機となりかねない。 事と次第によっては冗談ではなくお家断絶すらあり得るので、彼としても否応もなく協力すると思われた。

 この義頼の考えに、沼田祐光も賛同する。 これにより、おおよその方針が決まり、早速義頼達は動き始めた。

 先ずは、福原貞俊からである。 義頼は、即座にだがひそかに彼を呼び寄せた。 しかも内容が内容だけに、福原貞俊の呼び出しは六角承禎と当事者である長岡藤孝も参画している。 そんな彼らが揃う部屋に、小姓ではなく忍びの者に連れて来られた福原貞俊が部屋に現れた。

 その彼だが、義頼が己を呼び出したのは、毛利家に対する降伏勧告の使者とするつもりだろうと予測してたのである。 ただ、何故なぜに小姓ではないのかという疑問はあったが敢えて考慮から外していた。 そもそも、彼には受ける気などないのである。 若し殺されても、それまでだったとある意味では達観していたぐらいなのだ。 そんな心持でいざ部屋に到着すれば、そこには義頼と沼田祐光ばかりではない。 長岡藤孝に加えて、六角承禎までいた。

 最も長岡藤孝は兎も角、六角承禎の顔などは流石の福原貞俊も知らない。 しかし、義頼が腰を据える上座のすぐ隣に腰を下ろしている事から、相当な者か若しくは高い官位を持つものだろうと予測をつけていた。

 やがて部屋へと入って福原貞俊は、礼儀として上座にいる二人に対して頭を下げる。 それから彼は、自身を呼び出した用向きについて尋ねたのであった。


「さて、左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)殿。 拙者への用向きとの事ですが、それが若し降伏の使者と言う話でしたらお断り致しますぞ」

「いや。 残念ながら、そういう話ではない。 だが、使者と言う意味では確かにその方へ担ってもらう事になるがな」


 何とも言えない言い回しに、福原貞俊は眉を寄せる。 そんな彼に向けて、義頼は淡々と無表情に用向きを告げた。 その内容に、初めは喜色を浮かべる。 無論、それは毛利家が頭を悩ませている足利義昭という問題が帰結するかもしれないからだった。

 しかし、話が進むうちにその顔色は蒼褪あおざめていく。 そして話が終わる頃には、およそ真っ白になっていたのだ。


「……という訳で、そなたには密かに毛利に向かってもらう。 今更言うまでもないだろうが、事は毛利の存続どころか下手をすれば毛利家臣や毛利旗下の国人にまで類が及ぶ」

「その、左衛門督殿。 間違いと言う事「全くない」は……そうですか」

「そうだ。 そもそも、無断で朝廷を巻き込んだ策を弄する筈もなかろう。 それと言うまでもなかろうが、多言無よ……うだ……」

「どうした義頼」


 突然、言葉をつむぐのを辞めてしまった弟に対し、六角承禎が訝し気に尋ねる。 その言葉で我に返ると、何でもないと兄へ返答した。 その後、重ねて福原貞俊へ多言無用である事を伝えると、明日にでも毛利家の居城である吉田郡山城へ向かう様にと伝えた。

 また、道中の護衛として鵜飼源八郎うかいげんぱちろう率いる忍び衆を付ける事も併せて伝える。 実は彼らの用意もあって、福原貞俊へ明日にでも出立する様にと伝えたのだ。

 できれば今すぐにでも出たい福原貞俊であったが、現在囚われの身である以上は義頼の言葉に逆らうなど難しい。 ましてや事は、毛利家の行く末すら掛かっている。 この危急時に、毛利家存続の鍵を握るかも知れない義頼の意向に逆らうなどできる筈もない。 内心で煩慮はんりょしつつも、彼は黙って義頼の言葉に従うのだった。

 そんな福原貞俊が下がって間もなく、長岡藤孝と沼田祐光も下がる。 部屋には義頼の他に、六角承禎だけが残っている。 その六角承禎はと言うと、先程不自然に言葉を途切らせた件について弟へ問いただしていた。


「義頼。 何ゆえに先程、言葉を途切らせたのだ?」

「実は兄上。 手当をしておかねばならない者達がいる事を思い出しまして」

「手当? 此度の一件でか?」


 六角承禎の言葉に頷くと、義頼はその者達の名を挙げる。 その者達とは、古志豊長こしとよなが石井清信いしいきよのぶとその弟である。 彼らもまた、詳細を知る者達であった。

 因みに、今になって義頼が思い出した理由だが、それは福原貞俊に対して多言無用との言葉を用いたからである。 同じ言葉を古志豊長と石井兄弟にも言っていたが為に、彼らの事を思い出す事が出来たのだ。


「む。 それは、釘を刺す必要があるな」

「はい。 一応は、多言無用とは告げてはいます。 しかしながら、某が勅使の副使に任じられていた事で重要度が増しました」

「そうなるな。 本当ならば消すなりしてもよいのだが……そなたは反対の様だな」


 六角承禎が小さく漏らした言葉を拾い聞いた義頼は、憮然とした態度を示していた。

 最早もはやどうしようもないぐらいにまで切羽せっぱ詰まっているならばまだしも、少なくとも今現在ではそこまでではないと義頼は判断している。 だからこそ、憮然とした態度を表したのだ。


「兄上は、甘いと思われるかもしれませんが」

「確かに甘いとは思う。 思うが、まぁ良い。 ならば、取り敢えずそなたから釘を刺しておけ」

「承知致しました」


 その後、義頼は使いを出して古志豊長と石井兄弟。 更には、古志豊長の父親である古志重信こししげのぶをも呼び出す。 義頼の言葉を守り古志豊長は父親にも告げていなかったので、改めて古志重信にも事情を話した。

 その上で、改めて彼らに他言無用である事を命じる。 静かながらもその言葉に込められた迫力は、驍勇無双ぎょうゆうむそうとまで謡われた古志豊長すらも思わず唾を飲むぐらいであったと言う。 するとそんな彼らの心持を証明するかの様に、六角承禎を除く四名は義頼に対して平伏する。 そして彼らは、己が名に誓って従う事を告げていた。

 そんな姿を同席した事から目の当たりにした六角承禎は、眼と雰囲気だけで相手を御するとは我が弟ながら恐ろしい男に成長したなどと内心で独白しつつも頼もしそうに見詰めていたのであった。 

タイトル通り、事態が急転しております。

お蔭で毛利家が、とばっちりで危機に陥る可能性が……不憫だなぁ。


ご一読いただき、ありがとうございました。


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