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第二百三十三話~策の行く末~

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第二百三十三話~策の行く末~



 初め、その報告が齎された時、毛利輝元もうりてるもと小早川隆景こばやかわたかかげは驚きをあらわにした。 二人を驚かせたという報告とは、細川通薫ほそかわみちただの死亡である。 そもそも、帰参した彼を戦場よりやや離れた場所で陣を敷かせたのは小早川隆景の命によっている。 何ゆえ戦に参画させなかったのかと言えば、これ以上手柄を集中させない為であった。

 義頼を含めて、織田勢を誘引した事だけでも十分に働いたと言える。 例えそれが小早川隆景の助言を受けてであったとしても、実際に推し進め成功させたのは細川通薫の行動によるところが大きい。 幾ら策を立てたところで、実際に策を実行する者に力量がなければ机上の空論と変わらないのだ。

 そして細川通薫は、完全かは別にして小早川隆景の策に敵勢をめている。 その彼にこれ以上手柄を集中させては、味方から不満が出るかもしれない。 その点を考慮し、小早川隆景は彼に追撃戦の参加を許さなかったのだ。 一応戦場にいるとは言え、実質的には干戈を交えていない。 その細川通薫が、討ち取られたと言うのだから報告を受けた二人が驚いても不思議はなかった。

 それから間もなく、驚きより回帰した小早川隆景が最初に思いついた原因が流れ矢による事故である。 と言うか、他に考え付かなかったのだ。 先ほども述べた様に、幾ら細川通薫が戦場にいると言ってもそれは大きな意味での事である。 刃を交えるどころか、矢ですら主戦場から届くかどうかぐらい離れた場所に彼はいたのだ。


「いえ、そうではありません。 主は……何者かの手により討たれました」

『はあっ?』


 報告を持ってきた細川通薫の家臣である赤澤宗白あかざわむねはくの言葉を聞いた毛利輝元と小早川隆景は、呆気に取られてしまった。 だが、それは仕方ないだろう。 ほぼ安全な場所にいる筈の男が、討たれたと言うのだから驚くなと言う方が無理があった。

 それでも何とか気持ちを持ち直した小早川隆景が、討たれたと断定した理由を尋ねる。 すると赤沢宗白は、一本の矢を出しつつ説明を行った。


「つまり、この矢が下野守(細川通薫)の後方に刺さっていたとそう言うのだな」

「はい。 その状況から考えますに、狙われたのではないかと」


 状況を考察すると、狙われたと見えなくもない。 しかし、撤退を行っている織田勢に矢による狙撃を行うだけの余裕があるとも思えない。 何より、もし狙ったのだとすれば尋常ではない腕となる。 確かに六角家には、日置流の使い手が多いとは聞いてはいたのでもしかしたらいるのかもしれない。 そこまで考えた時、小早川隆景の耳に言葉が届く。 いや、彼だけではなく赤沢宗白の耳にも届いていた


「まさか、義頼に狙われたとかは……幾ら何でもないか」

『…………あっ!!』


 毛利輝元が何気に漏らしていたその一言を聞き、小早川隆景と赤沢宗白が声を上げた。

 そうなのだ。 敵勢の大将を務めている義頼こそ、恐ろしい腕前を持つその人なのである。 今李広や今与一など、およそ考え付く限りの弓の使い手としてあだ名をつけられている存在なのだ。

 しかも撤退している敵勢の中に彼がいるのは、ほぼ間違いはない。 姿こそ確認してはいないが、声は聞こえてきたのでそこに疑う余地はなかった。


「と、なるとだ。 久助(赤沢宗白)殿、その狙われたと思しき頃に何かなかったか?」

「そうですな……そう言えばあの時、殿は何かに気付いたかの様に身を乗り出していました。 その行動が何であるのか、拙者には分かりませぬが」

「その時だな。 あくまで推察だが、義頼に気付かれたのだろう。 そこで、意趣返しとばかりに狙われた。 と、言ったところか?」


 流石の小早川隆景も、己の答えに自信はない。 義頼の弓の腕が尋常ではない事自体は、聞き及んでいる。 だが、彼が自身の目でその腕とやらを確認した事はただの一度もないのだ。 確かに鬼と呼ばれる兄の吉川元春きっかわもとはると戦い、しかも怪我を負わせた事は承知している。 それとて、その現場を見た訳ではない。 あくまで、兄から聞いた話である。 それ故に、噂を鵜呑みにする気もなかったのだ。

 しかし、もし一回でも己の目で確認でもしていれば、別の答えも出しただろう。 だがそうではない以上は、推察に推察を重ねた答えしか導き出せなかった。 とは言え、恐ろしい事には違いない。 これからは、義頼の弓の腕とやらも考慮に入れて考える必要がある。 それは懸念材料が増えるだけでしかなく、内心ではいささか憂鬱ゆううつな気持ちとなっていた。


「兎に角、報告については了承した。 それとそなたらの軍勢だが、一旦は後方へ退け」

「はっ。 兄に伝えます」


 赤沢宗白は、静かに二人の前から退去した。

 その後ろ姿を見つつ毛利輝元と小早川隆景は、揃って溜息を付いてしまう。 この状況で、まさか細川通薫が死亡するなど夢にも思っていなかったからだ。 実は細川家自体の存続だが、可能ではある。 と言うのも、彼には幼いながらも息子が一人いるからだ。

 しかしながら、策とは言え敵の懐に飛び込むと言う危険な任務であったので、細川通薫は妻と形の上では離縁している。 それは、何が起こるか分からなかったからである。 しかもその離縁した妻と幼い息子は毛利家で密かにかくまっていたのだが、それが功を奏した形であった。


「とは言え、これは想定していませんでした」

「そうだな。 せめて毛利家で、手厚く守るべきであろう」

「御意」


 そうは言う物の、中々に上手くは行かない現状に、毛利輝元と小早川隆景はもう一度溜息を付いたのであった。

 一方で義頼はどうしていたのかと言うと、彼は彼で手を打っていた。

 小山田虎満おやまだとらみつと織田家からの与力三人衆である佐々成政さっさなりまさ森長可もりながよし不破直光ふわなおみつの計四人の働きにより追撃の動きが鈍った敵の隙を付き、軍の再編を行ったのである。 それが可能であったのは、大場山(本郷)城の存在があった。

 大場山城は、備後国の国人である古志氏の居城となる。 しかも同氏は、近江源氏の分流に当たる出雲源氏の流れを汲む家である。 出雲源氏の初代とされる佐々木義清ささきよしきよの子で、二代目となった佐々木泰清ささきやすきよの第九子に当たる古志義信こしよしのぶを祖とする一族であった。 

 そんな古志氏の現当主だが、古志豊長こしとよながとなる。 本来であれば父親の古志重信こししげのぶが当主なのだが、彼は義頼に降伏する際に家督を譲っていた。 これは、それまで仕えていた毛利家に対する義理立てである。 それまで古志氏の当主であった古志重信が隠居する事で毛利家への義理とし、改めて新当主となった嫡子の古志豊長が義頼に降伏したのであった。

 因みにこの降伏の時期だが、他の備後国人と比べても比較的早い。 流石にいの一番とは言わないが、それでも早い事に違いはなかった。

 さてその古志豊長だが、彼は若くして驍勇無双ぎょうゆうむそうとまで謡われた剛の者である。 そんな彼の持つ武名と居城の大場山城が最前線に近いと言う事もあり、義頼はそのまま古志親子に同城を任せていたのである。 その為、幸か不幸か古志家は誰一人として抜け駆けには参加していなかった。 そうは言っても、流石に此度こたびの抜け駆けには気付いている。 しかし事前に全く話がなかった事象であった為、彼は義頼へ事の次第を確かめるべく使いを出していた。

 しかしてその返事は、今回の出陣は国人による暴走であるとの至極簡単な説明である。 同時に、城にて兵を集めておく様にと言う命も付け加えられていた。 完全に理解した訳ではなかったが、それでも命である。 彼は直ぐに兵を集めると、父親と共にどのような事態となっても対処できる様にしたのであった。

 丁度その頃に義頼は、大場山城の近くを通り先行している国人達を追っていたのである。 そして今、義頼は千光寺山城近くから撤退し大場山城近くまで辿り着いたのだ。 既に撤退してくる味方もいた事もあって、古志豊長は城の守りとして父親の古志重信に一部の兵を任せて残すと城より出陣する。 そして程なく、撤退してきた義頼と合流を果たしたのだった。 


「左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)様、ご無事で何よりです」

「……まぁ、何とかの。 それよりも、兵は整っているか」

「無論にございます」


 敵に乗せられたと言う事もあってか、義頼はやや皮肉気味に答えた。

 しかし古志豊長からの反応が薄かったので、その皮肉に気付いているのかそれとも気付いていないのかは判断できない。 だが、そんな事はどうでも良かった。 義頼もその件には触れず、古志豊長にはこの地で毛利勢を迎撃する旨を告げる。 前述した通り、毛利勢の追撃が殿しんがりの働きで鈍い事もあって態勢を整える事が可能となっていたからだった。

 すると古志豊長は先鋒を志願してきたので、少し目を瞑った後でその申し出を許可する。 その後、義頼は先に述べた様に急ぎ軍の再編を行うと、迎撃の陣を敷いたのである。 そこに、遅滞戦を展開して殿しんがりの役目を務めていた四将の軍勢が現れると、義頼は彼らの軍勢を迎え入れる。 四人を呼び寄せねぎらいの言葉を掛けた上で、彼らを後陣として本陣の後ろに控えさせた。

 本来であればそのまま退かせたいのだが、今となっては少しでも信用のおける手勢が欲しい。 故に義頼は、彼らに後方に控える様にと命じたのだ。 命を受けた彼らも、義頼の苦しい心うちは理解している。 彼らは不満を述べる事も表情に浮かべる事もなく、黙ってその命に従い義頼の本陣近くの後方に陣を展開した。

 それから暫くした頃、又しても毛利勢が現れる。 彼らは追撃の勢いそのままに殿しんがりへ襲い掛かろうと考えていたのだが、しかして目に映った光景に思わず足を止めてしまう。 だが、それも仕方がない。 漸く追いついたかと思えば、万全の態勢を整えている軍勢が展開していたのである。 出鼻を挫かれても、しようがないと言えた。

 何より展開している敵軍勢は、しわぶき一つなく整然とそして静かにたたずんでいる。 その軍勢からは何とも言えない迫力が感じられ、追撃の軍勢を率いていた国司元相くにしもとすけも気圧されたとまでは言わないまでも動きを止めてしまうには十分だと言えた。


「……ちっ! 殿(毛利輝元)にお知らせしろ、敵がいるとな。 無論、左衛門佐(小早川隆景)殿にもだ」

「はっ」


 国司元相の命を受けて、伝令が後方へとひた走る。 程なくして到着した伝令は、見たままを報告する。 その話を聞き、小早川隆景は舌打ちをした。 幟旗のぼりばたから、義頼がいるのは間違いない。 しかも、完全に迎撃態勢を整えている。 これでは、折角成功したおびき出しの効果が最早もはや意味をなさなくなっていた。

 これはある意味で、小早川隆景の誤算である。 義頼の撤退の決断が思ったよりも早かった為に、包囲網を完成させられなかったからだ。 しかしてそれは、もう仕方がなかったと割り切るしかない。 それよりも今は、先に展開している義頼の陣にあった。

 その陣により、完全に迎撃の体制を整えられている。 これでは、そう簡単に手出しできない。 それでなくても義頼は、戦上手と評されている。 そしてその評価が違わない事は、今まで幾度となく干戈を交えている毛利家が一番分かっていた。


「どうする、隆景」

「……殿。 残念にございますが、ここまでかと。 迎撃態勢が整えられている以上は奇襲などできはしませぬし、何より下手に手を出せば火傷では済まなくなるかも知れません」

「そうか。 隆景がそう言うのならば、致し方ない。 しかし、かえすがえすも残念だ。 あと一歩であったのに」

「はい。 とは言え、拙速は禁物にございましょう。 それに、ある程度は戦果を挙げています。 暫くは織田の足止めはできますし、この結果を見て再度毛利へ戻る者も出ましょう」

「分かった。 その辺りは任せる」

「御意」


 織田家に参画して間もない国人達を半ば暴走させる事で強制的に出陣をうながして義頼すらも誘引し、致命的とも言える一撃を与え様とした小早川隆景の策であったが、あと一歩のところで完遂とはならなかったのである。 しかしながら一定の損傷を敵勢に与えるには成功しており、織田家から押されていた中で一息つけたことに間違いはなかったのであった。





 さてその頃、ところ変わり安土城。

 この城にて、織田信長おだのぶなが織田信忠おだのぶただの親子が雁首を揃えていた。 この親子が揃っているのは、義頼からの書状が原因である。 その書状とは、足利義昭あしかがよしあきの将軍解官に関する物であった。


「将軍の解官か……面倒と言えば面倒な話だ」

「確かに。 ですが父上、これならば可能なのではないですか?」

「まぁ、そうかも知れぬな」


 義頼からの書状には解官を行うに当たり、一つの方策が記されていた。

 実を言うと、環境的に言って足利義昭を将軍より解官する事自体はそう難しくはない。 何せ現在、源氏長者についているのは六角承禎ろっかくしょうていなのである。 足利家は言うまでもなく源氏の一族であるので、源氏長者からの要請と言う形ならば可能であった。

 そうなれば、後は将軍の地位に相応しいかどうかについて考察するだけとなる。 そして、現時点において京に居ない上に朝廷を守護すると言う将軍としての役目の一つを果たしていない以上、解官するには十分な理由となる。 要するに勤務評価が悪いので、懲戒処分を課すのだ。

 しかし、ここで将軍から解官してそこで終わりとしてしまうと、未だに織田家に反抗している大名家が何かとうるさくなる可能性が高い。 そこで足利義昭解官後は、織田家で保護しそして出家させている息子の義尊を還俗げんぞくして次の将軍として任命させるという物だった。

 何ゆえにこの様な面倒な事をするのかと言えば、やはり他勢力へ大義名分を与えない為である。 天下統一、もしくは天下統一間近と言う状況ならばまだしも、いまだ道半ばでしかない。 天下の趨勢自体は織田家に大分固まってきているが、それでも何か不測の事態が起きないとは言い切れない。 そこで、少しでも不確定要素を排除する為の方策として進言したのだ。

 

「ですが父上。 解官の時はこれでいいとしても、その後はどうします?」

「……その辺りも記してあるな。 続きを読んでみよ」


 父親からそう言われた織田信忠は、そのまま書面に目を走らせた。

 確かに続きがあり、天下統一が成された後についても書かれている。 そこに記された方法とは、次の将軍となった義尊が辞職をするという物だった。 確かにこれならば、対面上体裁を整えられる。 しかも将軍の辞職自体は前例があり、いわゆる前例主義の朝廷からしても反発は少ないと思えるのだ。

 因みに将軍職からの辞職だが、これは鎌倉幕府最後の将軍となる守邦親王もりくにしんのうが行っている。 鎌倉幕府最後の執権である北条高時ほうじょうたかとき新田義貞にったよしさだによって討たれた【東勝寺合戦】が終わると、将軍職にあった守邦親王は辞職して出家しているのだ。

 但し、守邦親王が辞職するに至った詳しい経緯と理由は伝わっていない。 しかしここで重要なのは、将軍を辞職した前例があると言うこの一点だけであった。 この一件を指摘さえすれば、朝廷とて二の足を踏むとは思えない。 何せ件の将軍は、親王だったのである。 当然、朝廷に文献や報告などと言った資料的な物が残されている筈だからだ。

 もしなかったとしても、知っている者は確実に居ると思われる。 それゆえに案外、上手く行きそうではある提案だった。


「なるほど。 行けるかも知れませぬな、父上」

「しかし……よくもまぁ、義頼はこんな古い故事を持ってきた物よ。 と言うか、よく知ってたな」

「確かに」


 織田信長の言葉に、織田信忠が頷いた。

 最も、書状を記した義頼とてこの様な事が嘗て起きていたなど知る由もない。 鎌倉幕府滅亡時に起きていたこの様な事案を調べ上げたのは、沼田祐光ぬまたすけみつであった。 彼の出自は若狭沼田氏だが、元を辿れば上野沼田氏へと繋がる。 上野沼田氏は鎌倉幕府成立期に源頼朝みなもとのよりともに協力したとされている一族であった。

 その後、特段に隆盛したとはされていないが、一貫して上野国に勢力を持ち続け戦国の世にまで血を残している一族である。 その様な立地に領地を持つ一族に所縁ゆかりを持つ故からなのか、それとも本人の能力ゆえかは分からないが、何であれ沼田祐光は嘗て将軍を辞職した前例があると言う事実を調べ上げて義頼へ進言したのである。 そんな過去の事実を踏まえ、長岡藤孝ながおかふじたかなども交え考え纏め上げ記したのが、織田信長と織田信忠へ提示した書状だったのだ。 


「ま、良いわ。 それに、義昭の悪足掻わるあがきにもいささか飽きてきた。 もう少し楽しめるかと、そう思ったのだがな」

「父上ぇ。 義頼が聞けば、何と言うか」

「構わぬ。 そもそも、あ奴の前で言った事だからな」


 呆れた様に言った織田信忠に対して織田信長は、人の悪そうな笑み浮かべながら答えた。

 その表情は織田信長が言った通り、嘗て将軍を京より追放する際に羽柴秀吉はしばひでよしと共に話を纏めた義頼へ向けた笑みととても酷似している。 しかし織田信忠はその場にいなかったので、その事に気付く訳はない。 ただ、父親に向けた呆れの表情が少し深くなっただけであった。

 その様な過去は過去として、今は義頼から出された提案についてである。 正直に言えば、二人からしてもあまり修正する様な個所はない。 要は足利義昭から将軍の肩書を没収する話であるし、その後の手当てについても示されているのだ。

 それに、この一件で矢面に立つ事となるのは義頼と六角承禎である。 朝廷や織田家も許可を出しているので当事者ではないとは言えないが、先に挙げた二人に比べれば大した事はない。 それに、六角承禎は武家伝奏でもある。 源氏長者として足利義昭の将軍解官を提案した手前、勅使に任命されるのはまず間違いないのだ。

 そうなってしまえば、義頼も動かざるを得ない。 勅使が兄であると言う事もあるし、何より勅使を守らねばならない。 護衛も兼ね、そして家格的にも自身が同行するのが一番だからだ。

 ひるがえって、毛利家も義頼らを守らないといけない。 勅使とその一行に何かあれば、毛利家が朝敵扱いされてしまいかねない。 万が一にでもそうなれば、現状の大名家同士の対立構造すら棚上げして四方より攻められかねないのだ。 そうなる可能性は低いが、しかし絶対にないとは言い切れなかった。

 つまり何があろうとも、勅使一行を守らなければならない。 例え同行者に、干戈を交えている軍勢の統率者がいたとしてもだ。 それに、この一件は毛利家にとっても悪い話ではない。 織田家との対立の原因の一つである足利義昭の処遇が、解決されるからだ。

 しかも足利義昭の身柄は、織田家が受け持つとなっている。 これで、晴れて毛利家は足利義昭と言うしがらみから解放される。 後は、織田家と毛利家の事柄となる。 劣勢の毛利家が織田家に臣従するのか、それとも対立を続けるのかは分からない。 しかし織田家と毛利家両家の対立の要素から足利義昭と言う存在が消える事は、考慮に値する話だからだ。


「父上、拙者はこの話を進めたいと考えますが」

「いいのではないか。 そなたは織田家当主、そなたがそう考えたのならばそうせい」

「分かりました」


 対外的には兎に角、実質織田家の当主である父親からの許可を得た織田信忠は、京都所司代の役目にある村井貞勝むらいさだかつを通して先ずは六角承禎と接触する。 彼も義頼からの書状と要請は受け取っていたので、両者の話自体は滞る事もなく進んだ。

 両者による合意を得ると、六角承禎は源氏長者としてそして武家伝奏として朝廷に足利義昭の将軍職解官の提案を行う。 同時に守邦親王の故事も、併せて伝えていた。

 そもそも朝廷は、足利義昭が将軍職に留まっている事を気にしていない。 半ば足利家の家職と言っていい状態だったので、彼が京から追放されてからも左程重要視していなかったからだ。 確かに、将軍職にある者として朝廷を守る事が出来ないのは問題ではある。 しかし既に織田家と言う、別に朝廷を守る存在がある上に朝廷自身も少数であるがそれでも兵を抱える存在となっている。 ゆえに朝廷も、足利義昭に関しては特段考慮していなかったのだ。

 そんな中にあって、将軍職解官が奏上されたのである。 ある意味で寝耳に水であったが、その内容は納得できるものではある。 何より、前例がある事を持ち出してきている。 これならば、明確に反対する理由もなく、また前例がないからと二の足を踏む必要がない。 それに朝廷が元から左程気にもしていなかった一件である事から、比較的円滑に将軍職の考解こうげが承認されたのだった。

 こうして将軍職解官の体裁が整うと、足利義昭の元へ、使者が派遣される事となる。 その使者となるのは、武家伝奏でもある六角承禎であった。 つまり織田信長や織田信忠が、予想した通りである。 しかしてそれは六角承禎も予想済みであり、彼が狼狽うろたえる事はない。 唯々、粛々と命を拝していた。

 そしていよいよ、六角承禎を勅使とした一行が京より出立する事となる。 道中の護衛は、朝廷の命を受けた彼が整えた滝口武者や北面武士、それから西面武士より抽出される。 無論、織田家からも出される事となる。 数で言えば、織田家の出す護衛の兵の方が多かった。

 何はともあれ六角承禎は、それらの兵を伴い京を出て西を目指す手筈である。 そして彼らが向かったのは、当然ながら義頼の下であった。

一応、小早川隆景の策は結末を迎えました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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