第二百三十二話~報酬(むくい)~
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第二百三十二話~報酬~
中国地方の国人達は、我先にと進んで行く。 目指すは一番槍であり、そして千光寺山城にいる筈の毛利輝元や小早川隆景、更には敷名元範と言った手柄首である。 抜け駆けを行った以上、それは必須であった。 兎にも角にも彼らは、勢いのままに千光寺山城へひた走っている。 そんな彼らの目に、目的地がいよいよと見えてきた。
さて千光寺山城だが、その名が示す通り山城である。 国人らで構成された軍勢は、勢いを緩めずに一気に大手門目指して突き進んで行く。 そしてついに大手門までそう遠くはないと言う段になった正にその時、唐突に「放てー!」との声が響き渡る。 その瞬間、付近に潜んでいた毛利兵が一斉に立ち上がると、矢を放った。 当然ながら対象は、千光寺山城へと攻撃をし掛け様としていた織田の軍勢である。 辺りなど警戒せずただ千光寺城へと突貫していた彼らは、真面にその攻撃を受けてしまっていた。
次々と矢を受け倒れていく将兵達であり、普通ならそこで軍勢が止まる筈である。 しかし奇襲と言う事と、我先へと千光寺山城へと邁進していた事が重なり止まるに止まれない。 何より後続の者達は何が起きているのか理解できずにいるので、止まる筈もない。 彼らは理解する前に、伏兵の毛利勢によって打ち破られて行くのだった。
その一方で、先行している軍勢を追い掛けている義頼の直ぐ近くに静かに影が現れる。 その瞬間、打根を手にする。 しかし現れたのが鵜飼孫六と分かると、直ぐに声を掛けていた。
「前の様子だが、どんな塩梅だ」
「はっ。 詳しくは、まだ分かりませぬ。 ですが……」
「何だ! 早く言え!!」
「御意。 どうにも、攻撃を受けているかと思われます」
「何だとっ!」
鵜飼孫六の報告を聞いた義頼は、驚きを表す。 そして難しい顔をしたまま追い掛ける事を続行していたが、やがて合図をして軍勢を止めさせた。 それから使いを出し、沼田祐光を呼び出す。 その後、現れた彼に対し義頼は、鵜飼孫六に対して先程の報告をさせる。 すると沼田祐光は、即座に答えを導き出していた。
「殿。 これは毛利の、小早川隆景の策です」
「やはりか」
「はい。 そして恐らくですが、細川通薫は敵の手先でしょう」
「……何ゆえに、下野守(細川通薫)の名が出てくる」
「まだ裏が取れた情報ではないのですが、どうも今回の国人の抜け駆けは下野守が煽った節があります」
「真かっ!」
「はい。 そう考えますると、先の軍議で出陣を頻りに言い募ったのも小早川隆景の巡らした策の一環かも知れません」
「当たって欲しくはない事が当たったという訳か。 だが、そうであったとしても見捨てる訳にはいかぬぞ」
幾ら敵の策に乗せられたとはいえ、味方を見捨てる訳にはいかなかった。
これがあまりにも劣勢で、どうしようもない状態だと言うのならば仕方がないとできるかもしれない。 しかし、今はそこまで追い詰められている訳ではない。 確かに抜け駆けした国人らは被害を受けているが、全体から見れば損害はまだそれ程でもないからだ。 つまり今のうちに救援に成功できれば、傷口をこれ以上押し広げる事もなくなる。 そうなれば、多少の時間が掛かっても立て直しは可能であった。
しかし、だからこそ見捨てられない。 だが今のままでは、完全に付け込まれている。 このままでは、撤退どころの騒ぎではなかった。 義頼は少しの間だけ目を瞑ったかと思うと、かっと見開く。 その直後、腹の底から響く様に大きな声を張り上げていた。
「織田が兵よ! 総大将たる、六角左衛門督義頼が命ずる! 今すぐ、後退せよ!! 我らの拠点へだ!!!」
声の大きさもさる事ながら、驚くは声の通りである。 義頼の上げた声は、敵味方問わず戦場にいるほぼ全ての者の耳に届いたのだ。 しかも声を聴いた織田家の者達の気持ちが、幾許かでも落ち着きを見せたのである。 それは、つい先ほどまでまるで熱に魘されているかの様に千光寺山城を目指し抜け駆けした中国地方の国人達も同様だった。
急速に頭に上っていた熱が冷めると、それが呼び水となったかの様に冷静な部分が現れてくる。 その途端、彼らの顔から血が引いていく。 冷静さを幾らかでも取り戻した為か、今自身に降り掛かっている事やそれ故の危険さを認識したのだ。
そこで、再度義頼から撤退の命が戦場に響き渡る。 すると、我先にと彼らは、尻に帆を掛けたかの様に撤退をし始める。 漸く、半ば暴走した味方の行動を掌握した事に義頼は微かに安心した顔を見せていた。
だが、致し方なかったとは言え、この行動は義頼に危険を齎す事となる。 声を張り上げた事で、義頼の存在が敵にも知られてしまったのは前述している。 当然ながらその情報は、小早川隆景にも届いていた。
「よし! 鶴が罠に掛かった!!」
「ならば隆景。 好機か!」
「御意!」
叔父からの返事を聞き、毛利輝元は頷く。 次の瞬間、彼は攻撃を命じていた。
因みに小早川隆景の漏らした「鶴」とは、義頼自身の獲物としての価値を表したものであるが、同時に義頼の幼名が鶴松丸である事に引っ掛けた物でもあった。
何はともあれ義頼の声を聞いて撤退に入ってからそう大した時も掛けず、毛利家の攻撃が始まる。 そんな戦場の空気を敏感に感じ取った義頼は、小さく舌打ちをした。 多少なりとも撤退に入っているとはいえ、敵の動きが予想より早かったからである。 だからこそ、殿を置く必要があった。
しかし、並大抵の者に務まる役目とも思えない。 我先に退く味方を援護しつつ敵の攻勢を受け止め、できうるならば反撃すら行わなければならない。 その様な芸当ができる者など、そう易々と見つかる物ではないのだ。
最悪、自身が残るべきかと考えたその時、義頼の近くに一人の将が歩み寄る。 その者は、老将と言っていいぐらいの年齢に差し掛かっていた者であった。
「殿。 拙者が殿を務めましょう」
「虎満か……よし、頼むぞ」
「お任せあれ」
名乗り出たのは、小山田虎満であった。
嘗ては甲斐武田家に仕えていた老将であり、武田信玄と武田信勝の二代に渡って仕えた武将である。 武田家譜代家臣として様々な戦に参加した、正に老練と言っていい男であった。 それだけに、後を任せられるという物でもあるのだ。
そんな小山田虎満一つ頷いてから、義頼は愛馬を味方の撤退を促す意味でも自身が後退を始める。 そして小山田虎満は、手勢と共に走り去る義頼に頭を下げていたのだった。
追撃を掛けていた毛利勢だが、やがて彼らは殿として残っている小山田虎満の手勢と遭遇する。 その直後、有無を言わさずに攻撃されてしまい、たちどころに蹴散らされてしまった。
最早勝ち戦と言っていい状況にあった事もあり、彼らは敵を侮った事をその身で味わう事になってしまったのである。 そうなると流石に、勢いのまま攻勢に出てくると言った事はなくなってしまう。 追撃の速度を緩めざるを得ず、警戒しつつも少しずつ間合いを詰めていった。
そんな毛利勢の動きに、小山田虎満は笑みを浮かべる。 時間稼ぎが望みの彼にしてみれば、実にありがたい状況だからだ。 その思いが笑みとして浮かんでしまった訳だが、その笑みがなお更に敵の警戒感を生んでしまった。
と言うのも、小山田虎満は歴戦の将に相応しいだけの雰囲気と面相を持っている。 そんな男が、にやりとばかりに笑みを浮かべたのだ。 名にもある虎をもかくやと言うあり様もあって、飲まれてしまったと言うのが正解だった。
それは彼に従っている、兵も同様である。 比較的、年嵩の者で構成された小山田虎満率いる軍だが、その年齢に合うだけの経験を積んできている。 無論、兵を率いる小山田虎満ほどではない。 しかし古強者と表現しても申し分ない兵達ではあるのだ。
そんな彼らが、ここは一歩も通さないと言った覚悟と共に展開している。 死兵とまでは言わないまでも、下手に手を出せばただでは済まないと感じさせられるだけの者達である事は間違いなかった。 そんな強者に、勝ちが見えている毛利勢のしかも兵が突っかかっていくとは思えない。 何せここで命を落としてしまえば、折角の勝利の美酒を味わう事が出来なくなってしまうからだ。
「ふん、毛利は腰抜けか? これでは、名門の名が泣くという物だ」
『なにっ!』
「そうではないか。 こうして、我らに手足も出せないのだからな。 腰抜けを腰抜けと言って何が悪い」
「そこまでにしてもらおうか」
明らかに挑発をしていた小山田虎満の言葉を遮るかの様に、一人の男が現れる。 その者は、小山田虎満より間違いなく年上と思える容姿であるのは間違いない。 既に家督を息子に譲っているにも拘らず戦場へと出ている己自身よりもさらに年上なのは間違いない男の登場に、少し驚きを表していた。
「何者か」
「国司飛騨守元相」
「なるほど。 今は亡き融山道圓(足利義輝)様が、「槍の鈴」の免状を与えた国司殿か。 ならば相手にとり、不足はないのう」
そう言うと小山田虎満は、愛用の槍を一つ振る。 すると、それに応える様に国司元相も手にした槍を振るう。 両者ともまるで小枝でも振るっているかの様に、槍を振り回している。 その姿は、とても年齢を重ねた老将とは思えなかった。
戦場には似合わない一瞬の静けさの後、まるで弾かれた様に二人は間合いを詰める。 その直後、お互いの槍の柄がぶつかり合っていた。 すると、両者の槍は弾け合う。 小山田虎満と国司元相の持つ力がほぼ五分であった為に起きた現象であった。 しかし、そんな事など全く頓着しない二人は、弾け合った勢いのままにその場で回転する。 そのまま、おのれの持つ槍の柄をぶつけあった。
今度は一転し、まるでくっついてしまったかの様に両者の槍は離れない。 小山田虎満と国司元相は力の限り押し合うが、固着でもしてしまったかの様に全くびくともしない。 しかしてその現象を生み出している二人はと言うと、場違いなぐらいな笑みを浮かべていた。
「流石は「槍の鈴」。 その名に恥じぬ武の持ち主よ」
「何を言う。 その儂と真面に張り合っているそちらこそよ。 貴公こそ、何者か」
「元甲斐武田が臣、石田の小山田の隠居よ」
「ふむ。 その年からすれば、亡き武田信玄公の直臣か。 なるほど、手強い訳よ」
「そういう事だ!」
その声と共に、小山田虎満がさらに力を籠める。 わずかに虚を突かれ形となった事で、不覚にも押し込まれてしまう。 だが、そこは「槍の鈴」と言う肩書を持つ国司元相である。 彼は、慌てず斜め後ろに跳び距離を取る事でいなしていた。
一気に押し込もうとしただけに驚きもあった小山田虎満だったが、彼もまた強者である。 僅かにたたらを踏みつつも、強い視線を相手に向けていた。 相手の態勢を崩して隙を突こうと考えていた国司元相だったが、その強い視線に一瞬だが躊躇してしまう。 そこに生まれた僅かの間に、小山田虎満は流れた体を戻していた。
再び対峙する、小山田虎満と国司元相の二人。 その途端、両者から溢れる猛獣もかくやと言った雰囲気に当てられ、二人と共に行動していたそれぞれの兵も動けないでいた。 そんな状況の中、小山田虎満と国司元相は少しづつ間合いを詰めて行く。 やがてもう少しでお互いの間合いに入ろうかと言うその時、小山田虎満の後方から兵団が近づいてくるのが分かる。 その景色に、国司元相は舌打ちをした。
だが、それも仕方がない。 近づいてくる兵団の正体が、敵の手の物だと思えるからだ。 何せ自身と貴下の兵は、ほぼ味方の先頭であった筈だからである。 だからこそ殿であろう、敵の兵と会い見えたのだ。
小山田虎満と対峙しつつどうしようかと思案を巡らせた国司元相だが、このままいても不利になるだけだと判断し兵に下がる様にと伝える。 その命に彼らは不満を表したが、しかしこのままでは逆に劣勢となりかねない。 毛利家全体としては兎も角、この場では間違いなく兵力で負けるからだ。
そうなれば、勝利どころの騒ぎではない。 前述した様に、勝ちを祝う事どころか戦場に骸を晒しかねない。 不承不承ながらも国司元相旗下の兵は、後方へ下がって行く。 すると入れ替わる様に、小山田虎満の後方から近付いて来る兵団がこの場へ到着した。
さて、この兵団だが国司元相が懸念した通り義頼の派遣した者達である。 後方に下がった事で少し戦況を把握した義頼が、殿の援軍をできないか考えた。 するとその際、名乗り出た者達がいたのである。 彼らならば問題ないと考え、義頼はその申し出を採用して殿の援軍として向かわせたのだ。
それから程なく、兵団が到着する。 彼らを率いていたのは、織田信長より与力として与えられた佐々成政と森長可、それから不破直光の三名であった。
「左衛門督(六角義頼)殿の命で、ご助力に参りました
「かたじけない。 お三方の援軍、感謝致す」
「何の。 此処で踏ん張なければならないのは、分かるのでな」
事実彼らの言う通りであり、足止めとまでは言わないまでも出来うるだけ時間を稼ぐ必要がある。 その為にも、遅滞戦を展開せねばならない。 そこで彼らは、徐々に下がるに当たり敵と相対する兵を入れ替えて行く事にした。
先ず敵に最も近い者達が足止めを行い、すると残りの将兵が一斉に敵へと襲い掛かり押し返す。 その隙に撤退をするのだが、その際に足止めを行った将兵が最初に退き、残りの三将の一人が殿となる。 そこでまた襲い掛かってきた敵に対し、殿となった将兵が足止めをしそこで先程の同じ様に一斉に襲い掛かり敵を押し返す事を順繰りに繰り返して行く。 これは、沼田祐光から授けられた撤退方法であった。
こうした殿を担った彼らの頑張りもあり、毛利勢の猛追を押し留めて行く事に成功する。 とは言え、少しだけ余裕ができたに過ぎない。 劣勢なのは相変わらずであり、被害を被っているのもまた事実である。 どうにかもう少し退き、軍勢を整えねば反撃などできる筈もないのだ。
そんな義頼へ、鵜飼孫六と並んで子飼いの忍びとなる多羅尾光太から声が掛かる。 その声に何かと視線だけを向けると、彼の視界の端に見慣れた幟旗が遠目ながらも見て取れた。 実は中々に距離はあるのだが、義頼は弓を使う事もあって目が良い。 そんな彼の目に映った幟旗には二つ引両が描かれており、即ちそれは細川家の陣旗であった。
何せ細川家の旗ならば、今は姓を変えている長岡藤孝然り、細川藤賢と細川元賢親子然りなど見慣れている。 だからこそ、見間違えると言う事はない。 しかもその幟旗は、毛利陣営側に立っているのだからなお更だった。
思わず馬の足を止めた義頼は、何かを確かめるかの様に目を凝らす。 やがて彼の目に、幟旗の近くに佇む見栄えの良い鎧を身に着けた男が映った。 その途端、義頼は小姓の岸茂勝より愛用の雷上動の弓を受け取る。 すると彼の手によって、目一杯にまで雷上動が引き絞られた。
「俺からの報酬だ細川通薫っ! 受け取るがいいっっ!!」
気合の籠った声と共に放たれた矢は、まるで導かれる様に突き進んで行くのであった。
さて、話を少し戻す。
義頼旗下の国人を煽り半ば暴走させた細川通薫はと言うと、秩序なく行われると言っていい進軍に紛れる様にして軍勢から離反した。 そのまま彼は、予定通り毛利の軍勢に合流したのである。 すると細川通薫は、毛利輝元と小早川隆景に簡素であるが報告を行っている。 それは勿論、毛利勢による総攻撃が開始された後の事であった。
その報告が済むと細川通薫は、己の陣へと戻ったのである。 本音を言えば戦に参加したかったが、小早川隆景からそれには及ばないとして陣へ戻るように命じられた。 やんわりとであったが戦に参加する事を遮られた事に不満がない訳ではなかったが、小早川隆景からの指示ならば仕方ないと彼は自陣へと戻る。 やがて陣へと到着した彼は、せめて自身の目で自らが齎したであろう成果を確認しようと陣幕などは取っ払い戦場を眺めていた。
ただ、万が一味方に攻撃でもされてはたまらない。 何と言っても彼は、つい先ほどまで義頼の軍勢の一員だったからである。 そこで彼は、小早川隆景より齎された小早川家の幟旗と共に細川家の幟旗も掲げていた。
そんな細川通薫の不幸は、毛利勢との合流後に駐屯を命じられた陣の場所にある。 そこは比較的見晴らしが良いところであり、だからこそ彼は成果を確認しようと思ったのだ。 しかし当然の事だが、戦場が見通せると言う事は敵からも見通せるのである。 それであるが故に、彼は義頼らに見付かってしまったのだった。
とは言う物の、彼我の距離を考えればどうと言う事はない。 そもそも彼は、義頼を認識していないかった。 彼の目には、敗走を続ける敵軍の将の一人にしか見えていないのである。 それは義頼が、別段六角家の旗を掲げて退いている訳ではないからだ。
だから彼は、妙に周りを固めているなと思ったぐらいである。 何せ細川通薫からしてみれば、今の敵軍の現状は中々に気持ちがいい物だったからだ。
何せ敵勢が味わっている状況を作り出したのは、間違いなく自分である。 確かに授けられた策を実行しただけだが、それでもその環境を作り上げたのは間違いないからだ。 そんな中、彼は敗走を続ける敵の中にあって何故か足を止めてる一団がある事に気付く。 周りが必死になって退いているにも拘らず立ち止まっていたからだ。 そんな敵の一団に、細川通薫はいささか興味を示す。 撤退中であるにも拘らず何をしているのかと思ったからだが、その時に件の集団の中心にいると思われる者から光が見えた。
何かが日の光を反射でもしたのかと彼が推察した途端、その光が消える。 そしてそれこそが、細川通薫が最後に見た出来事であった。
さて、一体全体、何が起きたのか。
これが、細川通薫の周りにいた家臣の正直な思いであった。 何せ主の頭が後ろに弾けたかと思ったその直後、彼は後ろに倒れこんだのである。 慌てて近づいてみれば、細川通薫の顔は血まみれであった。 この状況で、周りの者が呆気に取られない訳がない。 少し遠目ながらもまだ聞こえてくる戦場の喧騒も気にならないくらい、細川通薫の陣は静まり返っていた。
やがて、現状に認識が追いついたのか、一気に周囲が慌ただしくなる。 主君を介抱しようとする者、周りを警戒する者やそれを指示する者など反応は様々であった。 すると間もなく、細川通薫の顔が血まみれとなった原因が判明する。 それは、倒れた主君の後方の木に突き刺さっていた一本の矢であった。
初め流れ矢ととも考えたのだが、木に刺さっている角度からしてまず有り得ない。 となれば答えは一つであり、誰だかは分からないが敵から放たれた物に相違ないのだ。 しかし、それはそれでおかしくもある。 何せ、周りには敵はいない。 陣を敷いた時に確認してあるので、それは間違いはなかった。 だがその状況下でありながら、主君が敵の矢に倒れたと言う事実である。 直ぐに理解しろと言うのは、無理があった。
この様に細川通薫の命を奪い、そして彼の家に混乱を齎せた矢を放ったのが誰なのか。 それは言うまでもなく、義頼が放った矢であった。 彼の愛弓である雷上動より放たれた矢は、狙いを違える事なく標的とした彼を貫通したのだ。 しかもその矢は、下から狙った矢である。 更に付け加えれば、弓の最大射程と言われる距離と同じであった。
つまり義頼は下から上に向けて弓の最大射程の距離を正確に狙って、細川通薫の顔を真正面から貫いていたのである。 しかも矢はそれでも飽き足らなかったと見え、標的とした細川通薫の頭すら貫き後方の木に矢の半ば以上まで突き刺さっている。 その威力は、正に義頼の気持ちが籠った一撃であったのだ。
確認こそできないが手応えを感じた義頼は、手にしていた雷上動を岸茂勝へと返す。 驚きながらも彼は弓を受け取ると、主君へと問い掛けていた。
「……え、と。 殿、その如何なされたのですか」
「後で教えてやる。 それよりも、さっさと後方に下がるぞ」
「ぎ、御意」
慌てて答える岸茂勝に対して一つ頷くと、義頼は愛馬の疾風を駆けさせて後退を再開したのであった。
細川通薫へ、義頼から報酬が宛がわれました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




