第二百三十話~手紙公方の策動~
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第二百三十話~手紙公方の策動~
冬が明けるまでの間、織田家領土とした各国の公人や領民の慰撫など足元固めに奔走していた。
何と言っても、義頼自身が安土より戻るついでであったとしても各地域を回っているのである。 その行動が、より国人達を織田家に引き入れたと言ってよかった。
また同時に義頼は、調略にも精を出している。 それにより冬が明ける頃には、備後国北西部地域も織田領となり果てていた。 とは言え、全てな訳ではない。 具体的に言えば、同族となる波多野氏の調略に応じた和智元郷らを中心に同地域の国人の大半が織田へと靡いたのである。 しかしながら備後国北西部は、千光寺山城に派遣されている敷名元範の本拠地も存在する。 それ故に、まだ完全には織田領となっていなかった織田家中の者達に仕掛けた調略は上手く行っておらず、だからこそ調略の中心を中国地域の国人に移したのだ。
だがこの時期と、義頼が進撃速度を緩めてまで行った中国地方の国人達に対する慰撫と締め付けの時期があまり変わらなかったのである。 これはただの偶然だったのだが、この時期が微妙に重なってしまった事も彼からしてみたら忌々しかった。
何せ、義頼の行った事と小早川隆景の動きにはどうしても時間差が生じてしまうからである。 義頼が行った事は、比較的直ぐに結果が生まれる類の物である。 勿論、織田家の領土に組み込まれた中国地域の国人の全てが心の底から臣従したと言えない。 だが義頼自身が各地域を訪問し、己の口から出した言葉である。 信用度で言えば、それなりに存在してしまう物であった。
翻って毛利家、つまり小早川隆景だが、義頼の行動に比べてどうしても時間が掛かってしまうのは事実である。 それでも元は毛利家の影響を受けていた者達であり、全く知らない者からの調略よりは掛かる時間は短いだろうと小早川隆景は考えていた。 そうであったとしても、やはり時間は掛かる事に変わりがない。 だからこそ毛利家が多少は割を喰ってもいいぐらいの好条件を彼らに提示していたのであるが、対象とした者達からの反応は小早川隆景の予想に反して芳しいとは言えなかった。
そんな国人達の反応に、彼は内心で首を傾げている。 確かに義頼の動きがあったにせよ、この事態は考えていなかった。 何せ中国国人達は、前述した通りほんの二、三年前までは毛利家の家臣、もしくは影響下にあった者達なのである。 そんな彼らの反応があまりにも鈍い理由が、思いつかなかったからだ。
しかし、小早川隆景が理由を思いつかなくてもある意味では仕方がない。 それは国人達の動きが鈍い理由の大半が、彼自身ではなかったからだ。 織田家へと鞍替えした者達が、毛利家からの調略を警戒した理由だが二つある。 一つは、今は亡き宇喜多直家の身に降りかかった凶行であった。
未だに毛利家は明確な証拠を掴んではいないが、当時吉川広家と名乗っていた吉川経信が義頼の仕掛けた策に嵌められている。 彼はその策により、図らずも宇喜多直家を討ってしまっていたのだ。 彼は毛利家を頼り落ち延びてきたのであり、その者達を討ってしまった事実は、毛利家から信用をある程度失わせてしまったのだ。
しかし、それ以上に織田家へ降伏した国人らが警戒したのは、今は亡き毛利元就と言う人物が齎した結果にある。 そもそも毛利元就と言う御人は、一代で毛利家を安芸の国人から中国地方で最大勢力を持つ大名にまで成長させた人物であった。
何せ彼の巡らした策謀により、大内家や尼子家と言った大大名家が滅ぼされている。 しかも大量な兵を用いたりとか圧倒的な実力を持っていたと言った様ないわゆる正道と言われる様な戦法ではなく、奇襲や奇略、調略や謀略と言ったものを駆使した結果である。 つまり、至弱をもって至強をあたると言う故事を実践しそして成功させてしまったのだ。
その様な男ならば何をやっても不思議がないと言う雰囲気が、中国国人らに醸成されてしまったと言える。 その事が毛利家の成長に貢献したとも言えるが、今回に限っては裏目に出た形であった。 有り体に言えば毛利元就は、尊敬を受けているが同時に中国地方の国人達が非常に恐れたのである。 その毛利元就の薫陶を最も受けたのが小早川隆景であり、中国地方の国人達が毛利元就に対して持った印象が、そのままとは言わないまでも受け継がれてしまっているのだ。
最も毛利家も、味方が織田家へ降伏する際に彼らへ実際に書状を出したりして寛容な態度を示しているので、国人達も嘗て程の心情は持ち合わせていない。 それに時も経っているし、何より小早川隆景は毛利元就ではないのだ。 しかしそれでも、一度持たれてしまった印象を早晩に変えるのは難しい。 その結果が、現状のあまり進捗しない調略であった。
当然ながら芳しくない調略に、小早川隆景は忸怩たる思いを持っている。 しかしながら理由が分からない為に、彼も有効と言える手を打てずにいた。 だが、これもまた仕方がない。 何せ小早川隆景は、親子喧嘩ぐらいならばまだしも兵を持って父親と対峙した事などないのである。 それ故に、毛利元就と完全に対立した者にしか感じられない感情が理解できなかったのだ。
「さて、と。 どうしたものか」
「殿(小早川隆景)。 書状が届いております」
「誰からだ?」
「それが……公方(足利義昭)様からにございます」
「はあっ!?」
重臣となる白井賢胤より報告された予期もしていなかった人物からの書状に、小早川隆景は素っ頓狂な声を上げた。
はっきり言って今の毛利家にとり足利義昭など、荷物以外何物でもない。 とは言え追い出すのも難しくなってしまった為、半ば必要経費と諦め捨扶持とまでは言わないが、そこそこ生活できる金を渡しているだけの存在でしかなかったのだ。 そんな足利義昭からの書状であり、例え書状を渡されたのが彼でなかったとしても似た様な態度となるのは容易に想像できた。
どう考えても、厄介ごとを持ち込んできたとしか思えないからである。 できるならばなかった事にしてもらいなどと思いつつ、小早川隆景は不承不承書状を受け取ると目を通し始めた。
やがて読み進めていくうちに、何とも言えない表情となっていく。 強いて上げるとすれば、苦笑を浮かべながら訝し気にしていると言う様な何とも複雑な表情であった。 そんな主の様子に、書状を持ってきた白井賢胤の表情が不審気となる。 その表情に気付いたのか、小早川隆景はその書状を読むようにと促した。
「宜しいので?」
「幾ら儂でも、説明できづらい。 そんな無駄な時間を掛けるより、見せた方が効率的だ」
「はぁ……では拝見致します」
例え毛利家に迷惑を掛ける存在でしかない足利将軍であっても、征夷大将軍である事に変わりはない。 一応は恭しいと見える様に書状を受け取ると、中身に目を通す。 すると白井賢胤も、小早川隆景と似た様な表情を浮かべ始めたのであった。
それと言うのも、書状には今毛利家に降り掛かっている災難を自身が何とかしてみせると言った内容が認められているからである。 最大の災難が何を言うのか、と言う思いがこの主従に現れても何ら不思議はなかった。
しかもその手立ても、どうかと思えるものでしかない。 足利義昭曰く、彼が義頼や別動隊を率いて山陰へと展開している京極高吉、他にも一色義俊や山名堯熙らと言った織田家へ臣従した者達に書状を出して織田家を離れ味方に付く様に説得すると言ったものである。 手紙将軍とあだ名された彼の面目躍如とも言えるが、小早川隆景と白井賢胤の両名からすればまだ自身の現状が理解できていないのかと言う思いの方が大きい。 そんな彼らの気持ちが、表情に現れてしまったのだった。
「殿。 再度尋ねますが、本当に宜しいのですか?」
「好きにさせよ。 書状を出せば、少しは現実という物が見えてくるであろう。 これ以上は、もう手に負えんわ」
「そう……ですな。 公方様も、少しは現実が見える様になるやもしれません」
白井賢胤の言葉の後、主従揃って大きなため息を吐く。 その後は、面倒くさいと思いながらも小早川隆景が直筆で返答を認めていた。
なお、この足利義昭から小早川隆景宛に出されたこの書状は、彼が動く事を毛利家側に知らせただけの物である。 つまり、足利義昭自身は既に動いていたのである。 そうは言っても実質は書状を複数認めるだけであり、大して時間が掛かる様なものではない。 書状を認めた後、彼は義頼などの各将へ書状を送っていたのだ。
因みに足利義昭が浮かべているその表情は、とても意気揚々としている。 まるで、成功するのが当然であると言った顔であった。
的場山城に腰を据え、降伏した中国国人らの慰撫や織田家の版図に加えた土地の治安の確保を安堵し、その傍らで毛利家に加担する国人らの取り込みにと奔走しつつも春の攻勢に備えている彼らの下に書状が届けられる。 この書状は、山陰に派遣されている別動隊に参加している将らにも同様に届けられていた。
そして書状の差出人だが、それは言うまでもなく足利義昭である。 しかしながら義頼は無論の事、長岡藤孝や三淵藤英などと言った者達からすれば、何ゆえに今更書状が届いたのかが分からなかった。
京より足利義昭が追放された際にも同行をしない事を決めた時点で、主従関係は切れていると思っている。 しかも円満的に足利家から、離れたのではない。 もはや付いて行くに値しない君主だと、言わば見限った相手である。 そんな元君主から手紙が来るなど、予想にしていなかったからだ。
各々彼らは、訝しがりながらも届けられた書状をそれぞれで開いていく。 それから読み進めていくうちに、あきれとも苦笑ともとれる表情を浮かべ始めていた。 だが、それも当然である。 足利義昭は、半ば命令口調に近い勢いで、織田家より離れて毛利家の味方をする様にと認めていたからであった。
あきれてものが言えないとは、正にこの事であろう。 はっきり言えば、あまりにも荒唐無稽な話でしかない。 いや話どころか、妄想でも語っているのかと逆に心配するぐらいの内容であった。
そんな現実すらも無視したかの様な書状を見た彼らが、そう思っても不思議はない。 ただ長岡藤孝や三淵藤英の様に、足利義昭と言う人物を直接知る者達からすればさもありなんと思えてしまえる内容ではあった。 足利義昭からすれば、将軍である自分の命に従うのは当然と言う考えがある。 そしてその考えは、彼が如何なる時にも表していた。
しかし足利義昭は、織田家が持っていた力で将軍位へと押し上げられた者である。 あくまで織田信長と言う後ろ盾を頼って得られた将軍であり、己の力や才覚で得た将軍の地位ではないのだ。
根本的に言って、織田家あっての足利義昭なのである。 確かに将軍としての権威はまだあるが、それとて京より追い出されている現状では、時が経てば経つほど薄れていく物である。 しかも書状を受け取った者達の殆どは、その事実をよく知っている者達なのだ。
既に天下の体制は、織田家を中心としたものに変わろうとしている。 その事を肌で知る彼らにとって、室町第十五代将軍からの書状など殆ど意味をなさないものでしかなかった。
それに何より、こんな書状など迷惑以外の何物ではない。 現在の主である織田家や、毛利攻めの総大将として己らの上に君臨する義頼から疑われでもしたら身の破滅が訪れる。 その様な未来などごめん被るとばかりに彼らは、その書状を持って次々と義頼の下を訪問していた。
しかしながら、その義頼にも足利義昭からの書状は届いていた。 何と言っても彼は、毛利攻めの大将である。 その義頼を味方にすれば名声なども得られるばかりか、一気に逆転できる。 それを考えれば、足利義昭からしてみれば書状を出すのも必然であった。
「公方(足利義昭)様からの書状か……祐光、一体全体どういうつもりなのだろうな」
「やはり、味方に付けるつもりでしょう」
「それは、本当に今更だな。 そもそも、味方になると思えたのか?」
「思えたのでしょうな」
感情の全く籠っていない沼田祐光の言葉を聞きつつ義頼は、驚きと言うか呆れると言うかその様な何とも言えない感情を表すしかなかった。
現時点の状況下で、今更織田家より離れ毛利家、ひいては足利家に協力する判断を行う筈がないからである。 織田家が劣勢ならばまだしも、現状では極めて優勢となっている。 最早、天下統一に片手を掛け始めていると言って差し支えない。 これで落ち目と言って差支えがない足利将軍家に付くなど、狂気の沙汰であった。
「なぁ、祐光。 やはり公方様がそう考えるのは、いまだに将軍位にあるからか?」
「それが全てとは言いませんが、大きく占めているのは間違いないでしょう」
「と言う事は、だ。 やはり、将軍位ではなくしてしまう方が良いという訳か……上様(織田信長)や殿(織田信忠)に進言してみるか」
「それも一つの手かと存じます」
沼田祐光が答え義頼が頷いたその時、小姓の沼田頼光より客の来訪が伝えられる。 予定にない訪問者に、訝しげな顔をしつつ誰かと尋ねると長岡藤孝らと言うのだ。 しかしその答えに、首を傾げる。 彼らが複数で、しかも同時に訪れる意味が分からないからであった。
一先ず足利義昭からの書状の件は置いておくとして、先ずは訪問者達からの用件を聞く事にする。 沼田祐光を伴い義頼は、謁見するべく彼らのいる広間へと移動した。 やがて到着すると、彼らに用向きを聞く。 すると代表する形で、長岡藤孝が義頼の問いに答えた。
「実は、この様な書状が我らの元に来まして……」
差し出されたのは、書状である。 目を通してみれば、何て事はない。 義頼のところに届いた書状と、同じ物だった。 どうやら足利義昭が、片っ端から書状を出したのだと言う事を知り思わず溜息を漏らしてしまう。 その反応に、義頼を訪問した長岡藤孝らは思わず顔を見合わせた。
正直に言って、予想したものと違ったからである。 そんな彼らの態度を見た義頼は苦笑を浮かべてから、自分のところへと届いた足利義昭からの書状を持ってこさせると彼らに提示した。 そこで長岡藤孝らも、漸く義頼の示した態度の意味を理解する。 同時に彼らも、溜息をついたのだった。
「某にも来ていたのだが、貴殿らにもか……」
「いやはや、誠に申し訳ない」
「いや。 それこそ兵部大輔(長岡藤孝)殿が謝る事ではない。 何より、貴殿らのせいではないのだ。 それよりも返答についてだが、某が一括で行うか?」
義頼がそう尋ねると、少し間を開けた後で全員が首を振った。
この一件は彼らにとり、言わば完全な過去との決別となる。 自身の手でしがらみを断ち切る事で、二心などなく織田家による天下統一に協力すると言う態度を示そうと言う考えなのだ。 それに何より、天下の行く末が見え始めている。 そうである以上、天下統一の筆頭候補となる織田家から睨まれるような事はしたくないと言う打算が働いていない訳ではなかったからだ。
その後、改めて自身できっぱりと断りの返答する旨を義頼に伝える。 すると義頼は、少し笑みを浮かべながら了承した。 それから間もなく、彼らが退出していく。 全員が消えると義頼は、沼田祐光を伴って一旦部屋へと戻る。 それから、鵜飼源八郎と内貴伊賀守と服部藤太夫を呼び出した。
彼らは甲賀衆の中で通称「荘内三家」と呼ばれる家であり、義頼が元服した際に専属として六角承禎より付けられた者達である。 そして義頼が六角家の家督を継いだ直後に勃発した織田家との戦に敗れた後も、彼らは忠誠を貫いた家でもある。 故に彼らは、義頼直属の忍び衆として甲賀衆とも伊賀衆とも違い別途に扱われている者達であった。
そんな彼らを呼び出した義頼は、長岡藤孝らの監視を命じる。 恐らく彼らは、自身が言った通りに返答するだろうとは思っている。 だからと言って、鵜呑みに彼らの言葉を信じる訳にもいかない。 油断して、窮地に落とされるなどあってはならないからだ。
その後、命じられた鵜飼源八郎と内貴伊賀守と服部藤太夫の三人が消える。 すると義頼は、部屋に残っていた沼田祐光に対して小さく漏らしていた。
「戦国の世とは言え、藤孝殿の様な友ですら疑わねばならぬか。 因果の事よの」
「殿のお考えは間違ってはおりません。 織田家が天下を一統すれば、笑い話にもできましょう」
「そうか……そうだな。 うむ! そうなる様、頑張らねばならぬか。 家族や家臣、領民の為にもな。 それはそれとして、祐光。 この書状だが、中務少輔(京極高吉)殿のところにもあると思うか?」
「間違いなく」
「では、先程面会した彼らの様に知らせてくると思うか?」
「味方であり続ける気ならば、知らせてきましょう。 もしその気がなければ、知らせてはこないでしょう」
「だろうな。 一応、義定に知らせてておくか」
「それで宜しいかと」
その言葉に頷くと義頼は、大原義定宛に書状を出す。 それから彼は沼田祐光と相談し、織田信長と織田信忠宛の書状を作成していく。 その内容は、足利義昭唯一の拠り所と言っていい将軍位の解官を進言する内容であった。
その頃、山陰の京極高吉の元に義頼と沼田祐光が予想した通り足利義昭からの書状が届いていた。
無論、そこに書かれているのは義頼らの元に届いている「将軍に忠節を示し織田家より離れ、毛利家に協力しろ」と言った書状と同じである。 その書状を一読した京極高吉は、額に手を当てていた。
彼からすると、正に頭痛を生むような書状だからである。 この様な書状を臆面もなく出してこれるとは、流石に想定していなかったからだ。 これが、中央の事情をよく知らない地方の大名や国人だったらまだ分からないでもない。 しかし京極高吉は、足利義昭がまだ覚慶として還俗していなかった頃より近臣として傍にいたのだ。
その上、足利義昭が今の様な状況になった経緯を知り尽くしている事など十分に理解している筈であり、何より最終的には長岡藤孝らと共に離反している。 その相手に「忠節を尽くせ」云々などと言った書状を送れるなど、理解の範疇を越えていた。
京極高吉は大きくため息を付くと、直ぐに書状を二通認める。 一通は足利義昭宛であり、断りの内容である。 丁寧にそして慇懃に綴られており、その事が逆に皮肉に彩られた内容となっていた。 そしてもう一通は、義頼宛である。 即座に断りの手紙を書いた事と、織田家に対し二心などない事が記されている。 更に彼は、足利義昭からの書状も添えて届けさせるつもりであった。
やがて二つの手紙を書きあげた時、ふと彼の頭の中に「この手紙は自分のところだけに来たのか?」と言う疑念が擡げてくる。 一旦思い付いてしまうと、それはあり得ないと言う考えが次々と押し寄せてきた。
確かに今は別動隊を率いる立場であり、相応の兵力を任されていると思っている。 だが、所詮は別動隊に過ぎない。 ましてや、その別動隊も京極家単独の物ではなく一色家や山名家、更には六角家や尼子衆と言った混成部隊なのだ。 どう考えても、自身だけに来ているとは思えないのである。 そこで京極高吉は、副将である大原義定と義頼付けられた参謀である小寺孝隆に相談する事にした。
そこで、意外な事が分かる。 何と、大原義定のところにも書状が届いていたのだ。 だが小寺孝隆の元にはなかったところを見ると、どうやら足利義昭は己が知る者に出したと言う事が判明した。
最も、大原義定にしても迷惑以外に何物でもなかったのだが。
「そうか。 中務大輔(大原義定)殿のところにもか」
「ええ。 全く、迷惑極まりない」
「で、しょうな」
「しかしそうなりますると、一色五郎(一色義俊)様や右衛門佐(山名堯熙)様のところにもありそうですな」
「正にそれよ。 わしが中務大輔殿や官兵衛(小寺孝隆)殿に相談を持ち掛けたのは」
「なれば、直接聞きましょう。 後ろめたいところがなければ、答えてくれるでしょう」
大胆と言えば大胆と言える小寺孝隆の発言だが、言われてみればその通りではある。 それに下手な小細工をして遠回りに尋ねるより、正面から尋ねた方が良い時もあるのだ。 大原義定も京極高吉もそう考え、小寺孝隆の意見に賛同する。 それから間もなく、一色義俊と山名堯熙の両名が現れる。 その二人の手には、件の書状があった。
ただ、書状の状態は二人で異なっている。 山名堯熙の手にある書状は普通の状態だが、一色義俊の手にある書状はかなり皴だらけであったのだ。
「えっと。 五郎殿、その書状だが如何なされた」
「申し訳ござらん。 思わず怒りに任せ、握りつぶしてしまった」
憮然とした表情のままそう答える一色義俊に対して京極高吉と小寺孝隆、それから山名堯熙が思わず顔を見合わせる。 その中でただ一人、大原義定だけが納得した様な顔をしていた。
その後は口を開こうとしない一色義俊であり、これでは事情もままならない。 そこで小寺孝隆は、浮かべた表情から事情を知っていそうな大原義定へと話し掛けた。 問い掛けられた大原義定は、視線で一色義俊へと問い掛ける。 すると憮然な表情のまま頷いたので、己が知る事情を話し始めた。
丹後一色氏は、京から追放された足利義昭を匿ったが為に織田家から攻められている。 だが、一色義俊が織田家より攻められる前に織田家に味方した事で、滅ぼされる事だけは免れる事に成功する。 言わば一色義俊にしてみれば、足利義昭は家を追い込んだ仇の様なものなのだ。
なお、織田信長や義頼、そして大原義定も知らないがこの騒動には裏がある。 一色義俊が織田家の味方となったのは丹後一色氏を守る為であり、この役目を命じたのは今は亡き父親の一色義道であった。
一色氏は四職の一家であり、その事から一色義道は足利家に殉ずる事を決めたのである。 だが、これでは丹後一色家が滅んでしまう。 そこで息子の一色義俊を織田家に従属させ、彼自身を丹後国攻めの大義名分とする事で丹後一色氏の存続を図ったのだ。
そしてこの事は一色義俊と亡父一色義道、それと父親に殉じた叔父の吉原義清しか知らない。 知られてしまえば最悪、織田家を謀ったとして滅ぼされかねない。 完全に、秘中の秘と言える出来事なのだ。 最も今となっては、一色義俊以外には知る者などいない。 彼が黙って墓にまで持って行けば、万事丸く収まると言う寸法であった。
話を戻し、大原義定から彼も知らない裏の事情を除いたあらましを聞かされた三人は納得づくとなる。 それならば致し方なしとして、それ以上の追及がされることはなかった。
「さて。 このまま出したと言う事は、五郎殿も右衛門佐殿も公方様の味方になる気はない。 そう思って宜しいか?」
「無論」
「当たり前だ! 誰が公方などに味方するかっ!!」
山名堯熙は静かに、一色義俊は激情のままに答える。 これならば大丈夫だろうとして京極高吉と大原義定は、自身の書状に対する答えを告げた。
「我らも同じ気持ちだ。 では、公方様への返答は断ると言う事で宜しいな」
『おう』
一色義俊と山名堯熙から同意を得た京極高吉は、念の為にと二人へ書状を渡す様に言う。 すると理由を尋ねられたので、義頼への報告も兼ねて渡すつもりだからだと伝えた。 至極最もな意見であり、二人も直ぐに書状を渡す。 両名から書状を受け取った京極高吉は、自身の元に届いた書状も添えて義頼へ先程認めた書状を届けさせたるのであった。
因みに大原義定はと言うと、彼は独自に出している。 大原義定は義頼の甥にあたる人物であり、六角家一族でもある。 一緒にするより、別の方が良いだろうと言う判断によるものであった。
また、大原義定はもう一通認めている。 そこには、一色義俊が書状を皴だらけにしてしまった理由が記されている。 義頼ならば、恐らく事情を察するだろうとは思っている。 だが、それでも誤解を招くかもしれない。 それを防ぐ為と言う、彼の配慮であった。
何はともあれ、足利義昭が出した書状は何一つ実らず、彼の思惑はことごとく失敗したのであった。
年明け、最新話です。
久しぶりな足利義昭でした。
ご一読いただき、ありがとうございました。




