第二十話~畿内平定~
第二十話~畿内平定~
芥川山城攻略の命を受けて進軍して来た細川藤孝は、上宮天満宮のある天神山に陣を張った。 上宮天満宮は、芥川山城と支城の高槻城の間に位置している。 つまり細川藤孝は、芥川山城と高槻城の連絡を断ったのだ。
これには高槻城主の入江春景は慌てたが、今となってはどうしようもない。 何と言っても兵数が違いすぎる為、打って出たとしても蹴散らされるのが関の山だからだ。 入江春景は、居城の高槻城から忌々しそうに天神山に翻る細川藤孝の幟旗に描かれた九曜紋を睨みつけるしかできなかった。
その一方で細川藤孝はと言うと、陣はそのまま動かさず近江衆を動員して芥川山城攻めを行わせている。 彼は義頼を抜擢し、城攻めを命じていた。 こうして命を受けた義頼は、任された近江衆を率いて芥川山城付近に移動するとそこに布陣したのであった。
さて芥川山城だが、この城は三好山に築かれた城である。 三方を芥川に囲まれ峡谷を形成しており、正に天然の要害と言っていい城であった。
「ほう、堅固な城だな……さて、どう攻めるか」
「無理に攻めれば、損害は大きくなりましょう」
「やはり、正信もそう思うか」
前述した様に、芥川山城は三方を芥川によって形成された峡谷となっている。 その為、どうしても攻め口が限定されてしまうのだ。
義頼以下近江衆の面々は、雁首揃えて良き手が無いかと思案をする。 その時、何かを思いついた本多正信が口を開くいた。
「殿。 此処は、敵を誘引しましょう」
「誘因だと?」
「はい。 味方の配置に濃淡をつけて、警戒の薄いところを作ります。 そこを、敢えて突破させましょう」
「その先で、捕縛させるか…………どう思う? 定秀」
義頼は、蒲生定秀へ本多正信の策について尋ねる。 すると蒲生定秀は、頷く事で賛同の意を示した。 それから、馬淵建綱にも尋ねるが彼もまた蒲生定秀と同様に本多正信の策に賛同する。 筆頭家臣と有力近江国人の二人から賛同を得られた義頼は、策を採用する事を決断した。
まず行ったのは、不審がられない程度に警戒を緩める事である。 しかしこの配置には微妙な加減が要求されるので、義頼では経験がいささか足りない。 そこで経験豊富な蒲生定秀に、兵の配置を任せる事にした。
次に突破させた敵勢を捕える役であるが、これには寺村重友を当てる。 彼は蒲生定秀や蒲生定秀の補佐を務める馬淵建綱と話し合い、捕縛の為に組織された別動隊と共に夜になってから移動を始めるとある地点にて伏せたのであった。
やがて日も明けたが、両軍がぶつかる事も無くやがて夜となる。 すると当然の様に、義頼の陣のあちこちに篝火が焚かれ始める。 そんな敵陣の様子を、三好長逸は本丸からじっと眺めていた。
つぶさに観察していたが、やがて敵陣に焚かれている篝火の数と配置からそこに微妙な差がある事に気付く。 その場所は芥川山城の搦め手に程近い場所にあり、その事実に気付いた三好長逸は不敵な笑みを浮かべた。
それは敵勢の突破が、可能だと判断できたからである。 と言うのも、このまま芥川山城に籠り続けても、勝ち目がないからだ。 援軍の要請をしてもなしのつぶてであり、期待できない。 近隣の高槻城からも同様であり、そうなれば何れは落城するのは必至である。 彼はその前に城を脱出し、四国まで逃げるつもりであった。
そう考えていた矢先に、 敵勢の穴とも言える様な個所を首尾よく見付けたのである。 三好長逸としては、この好機を見逃す気はなかった。 さりとて、直ぐに動くのは難しい。 敵勢を抜けるのだから、ある程度は布陣などと言った敵の情報が欲しかったからである。 そこで彼は、情報収集を行う為にさらに二日程全くと言っていいほど兵の動きを見せなかった。
そして三日後の夜、大まかに情報が集まったと判断した三好長逸はついに行動を起こす。 共に篭城していた細川吉兆家当主である細川信良を伴って、少数精鋭による芥川山城からの脱出を図ったのだ。
彼らは、搦め手から打って出ると義頼の軍勢に夜襲を仕掛ける。 二人が狙ったのは、勿論敵陣の穴と目算した場所の中でも特に一番薄いと思われる個所であった。 三好長逸と細川信良はその穴を果敢に攻め立て、ついには首尾よく突破に成功する。 彼らはそのまま、阿波国へ向う為に堺を目指して行った。
そんな敵勢を義頼はじっと見つめていたが、やがて本多正信に視線を向ける。 主より目配せを受けた彼は、一つ頷く事でそれに答えた。 すると義頼は、傍らに控えていた甲賀衆の伴資定に視線を向ける。 伴資定は短く返事をすると、寺村重友の元へと向った。
その頃、何とか敵の囲みを突破して脱出に成功した三好長逸と細川信良だが、彼らは芥川山城にほど近い阿武山の麓辺りを進んでいた。 彼らの本音を言えば一息入れたいところであるが、そんな悠長な事は言ってもいられない。 少しでも、敵勢から距離を稼ぐ必要があるからだ。
丁度その時、視界に何かの光が見えた様な気がした三好長逸は思わず歩みを止める。 始めは見間違いかと思ったが何となく気に掛かり、彼は周囲に物見を放つ事にする。 そんな三好長逸の行動に、細川信良は疑問を呈していた。
「日向守(三好長逸)殿、如何した?」
「いえ、六郎(細川信良)殿。 いささか気に掛かった……何っ!」
気に掛かった事がと続けようとした三好長逸の視界に、一つ二つと光が増えていった。
ゆらゆらと揺らめくその光の正体は、松明の炎である。 そんな松明の炎はどんどんと数を増やし、やがて三好長逸と細川信良が率いる三好勢を完全に取り囲んでいた。
「か、囲まれている…………しまった! 罠だったのか!!」
此処に来て、漸く策に嵌められた事に気付いた三好長逸が驚きとも怒りとも取れる声を上げた。 すると間もなく、ずらりと囲まれた松明の中から一人の男が現れる。 彼は義頼の命を受けて、三好長逸と細川信良を捕える為に兵を伏せていた寺村重友であった。
「最早逃げられぬ。 早々に、降伏致すがいい」
「ひ、日向守殿。 如何致そう」
「……致し方ありません。 六郎殿、降伏致しましょう」
こうして三好長逸と細川信良は捕えられ、二人は義頼の陣へと連行されてしまった。
程なくして彼らが到着すると、義頼は芥川山城へ開城を迫る。 既に城主の三好長逸が捕えられた事を知った城兵は、素直に開城に応じた。
すると義頼は、直ぐに永原重虎に兵を預けて向わせる。 芥川山城に入った彼は、首尾よく城内を押さえていく。 やがて城内の主要個所を掌握したと報告が入ると、義頼もまた芥川山城へと入城したのであった。
芥川山城に入った義頼は、執務に取り組んでいた。
兵の編成などは蒲生定秀や馬淵建綱らに任せ、彼は戦の仔細を記した報告書などを作成していたのである。 そんな義頼の元に、寺村重友が現れる。 その彼からある事を聞かされると、義頼は思わず眉を顰めていた。
「重友。 誰が面会を望んでいると?」
「はい。 日向守が、殿との面会を求めています」
「……何か言いたい事でもあるのか?」
「分かりませぬ、断りますか?」
それも一つの手だが、わざわざ三好長逸が面会を求めてきた理由も気にはなる。 暫く考えた後で義頼は、面会する事に決めた。 護衛も兼ねて義頼は、馬廻り衆の蒲生頼秀と布施公保を呼び出す。 二人を伴った義頼は、寺村重友の案内で三好長逸が捕えられている部屋へと向かった。
部屋に入った義頼は、ねめつける様に三好長逸を見つめる。 そんな義頼の態度に彼は少し眉を顰めたが、ただそれだけであった。 その後、三好長逸は一つ息を吐くと、面会を希望した理由を話し始める。 何の事はない、ただの取引である。 彼は細川信良の身柄を交換条件に、己の解放を願ったのだ。
「どうであろう、悪い話とは思わぬが」
そう三好長逸が返答を促す様に言った次の瞬間、義頼は鋭く睨む。 その視線には、明らかに怒りが含まれていた。 やがて義頼は三好長逸を睨みつけながら、ゆっくり立ち上がる。 そして、彼を侮蔑するかの様な目で見降ろした。
「重友、公保、頼秀。 この……尾籠な男を捕えろ」
義頼は、一つ間を開けてから唾棄するかの様に言い放った。
一瞬、寺村重友と布施公保と蒲生頼秀は、義頼の言葉の意味が分からなかった。 思わず呆けた三人であったが、そんな彼らに対して義頼は再度同じ命を出す。 そこで我に帰った三人は素早く動き、三好長逸を抑え込んだ。
まさかいきなり捕えろと言い出すとは夢にも思っていなかった三好長逸も呆気にとられていたが、抑え込まれた事で漸く我に返り抵抗する。 だが三人だけでなく更に数人の兵も捕縛に加わった為、三好長逸の抵抗など無駄な足掻きでしかない。 完全に取り押さえられてしまったが、せめてもの抵抗として声を大きく張り上げる。 しかし義頼は、白い目を向けていた。
「当主代理に過ぎぬ者のくせに、降った将にこの様な仕打ちか!」
三好長逸は、義頼が当主の代理としてこの場に居ると思い込んでいたのである。 だがそれも、仕方が無いだろう。 義頼が六角家当主となってから、まだ半月程しかたっていないのだ。 ましてや当主となった事を、周囲に報せた訳でもない。 三好長逸が知らなかったとしても、別段不思議でもないのだ。
「……どうやら貴公は、何か勘違いをしている様だな。 六角家の家督は、某が譲り受けている」
「何だとっ!?」
「本当に知らぬ様だな。 まぁ、貴殿が知ろうが知るまいがそれこそ知った事ではない。 しかし、某の決定が六角家としての決定なのは覆り様のない事実だ。 本来ならば既に決まっていた公方(足利義昭)様上洛に協力する約定を覆してくれた報いは受けさせたいが、今や織田家の一家臣である以上はそう勝手も出来ん。 何より我が甥にあたる六郎殿の身柄を出汁に逃げ様とする輩に、何の憐憫も感じぬ。 数日中には公方様と殿の御前に連れていくから、首を洗って待っている事だな……連れて行け!!」
三好長逸はがっくりと項垂れながら、兵に連行されていったのである。
そしてこの頃、高槻城主の入江春景も頭を抱えていた。 芥川山城が開城し、三好長逸と細川信良の捕縛を聞かされたからである。 正直に言って、高槻城の兵力だけでは到底勝てる見込みなど無いのだからそれも当然だった。
「致し方ない……か。 誰かある!」
「はっ」
「細川殿へ軍使を出せ! 我らは降伏する」
「ぎ、御意」
入江晴景が降伏した事で一帯を勢力下とした細川藤孝は、まず和田惟政に兵を付けて高槻城に派遣して城を接収させる。 そして細川藤孝本人は、芥川山城へと移動した。
城の大手門で出迎えた義頼に案内された彼は、用意されている部屋へと入る。 そして上座に腰を下ろすと、細川藤孝は義頼へと話し掛けた。
「この堅牢な、芥川山城を僅かの時間で落とすか……流石は左衛門佐(六角義頼)殿だな。 六角家きっての戦上手の言葉に、嘘偽りは無いと言う訳か」
「は? 某がですか?」
細川藤孝の言葉を聞いて、義頼は目を丸くする。 まさかその様に言われているとは、思ってもみなかったからだ。
何せ義頼が主に気にしているのは、領民の慰撫と暮らしの向上である。 それから、家臣との融和である。 だが彼とて武士である以上、名が挙がる事は嬉しいので義頼は小さく笑みを浮かべる。 すると細川藤孝は、そんな義頼を見て声を上げて笑った。
「はははは。 まぁ、それはそれとして、尾張守(織田信長)殿にはお知らせしたか?」
「兵衛大輔(細川藤孝)様や弾正忠(和田惟政)殿にお知らせすると同時に、報告は送っております。 恐らく、一両日中には届く物と」
首尾よく芥川山城を開城させたばかりか、三好三人衆の一人である三好長逸の捕縛や細川信良を確保したと義頼からの報告を受けた信長は上機嫌であった。
それで無くとも、勝龍寺城が落ちてあまり日が経っていない。 それに引き続いての戦勝の知らせなのだから、機嫌がいいのも当然と言えた。
そんな信長のところに、更なる嬉しい報告が入る。 それは摂津国の越水城に入っていた篠原長房が、城を放棄して阿波国へと移動したと言う報せであった。
すると信長は報告をした堀秀政に命じて、越水城へ兵を派遣させて抑えさせる。 主君の命を受けた堀秀政は、即座に部屋を出ると仕事に取り掛かった。 その後、織田信長は足利義昭と軍勢を伴って芥川山城に移動する。 翌日に清水寺に居る足利義昭を迎えると、共に芥川山城へと進軍した。
それから二日後、細川藤孝は芥川山城にて織田信長と足利義昭を迎える。 城に入ると、まず降伏した高槻城主の入江春景に対して領地安堵を認める。 そして翌日、織田信長はこれからの事を通達した。
「池田を攻める。 公方様は、この芥川山城に居ていただきます」
「うむ」
「藤孝。 公方様をお護りするのだ」
「承知」
「それから長秀、秀吉、義頼。 そなたらは兵を率いて、河内国内における三好方の城を押さえよ」
『御意』
それから数日後、芥川山城より二つの軍勢が出陣した。
一つ目は、織田信長が自ら率いる軍勢である。 彼は、三好三人衆と行動を共にした池田勝正を攻めるべく柴田勝家や佐久間信盛らと共に池田城へ出陣したのだ。
次に丹羽長秀と木下秀吉と義頼であるが、彼らは芥川山城を出ると三つに分かれている。 丹羽長秀は河内国南部へ向い、木下秀吉が同国中部へ向かう。 そして義頼は、同国北部へ向かった。
さて義頼が最初に向ったのは、飯盛山城である。 この城は晩年の三好長慶が居城とした城であり、次代の三好家当主である三好義継の城でもあった。
しかし三好義継と三好三人衆が袂を分かってからは、飯盛山城は三好長逸の城となっている。 とは言えこの城が、三好家の居城である事に変わりはない。 そこで、先ずはこの城を抑える事にしたのだ。
やがて義頼は飯盛山城へと到着したが、完全に肩透かしを食らった格好となる。 と言うのも、城には数百にも満たないぐらいの兵しかいないのである。 幾ら堅牢な城であろうと、城を守るに値する兵の数が居なければ守り切れる筈もないのだ。
何とも言えない表情を浮かべつつ義頼は、暫く考えた後で山内一豊を軍使として派遣して降伏を促した。 下手に攻めて悪戯に出血を強いるより、降伏させた方が良いと考えたからである。 それから一刻も掛からないうちに返答があり、そこには飯盛山城の守備兵は揃って降伏すると言う旨が記されていた。
そんな呆気なさにいささか釈然とはしないが、何はともあれ飯盛山城を開城させた義頼はこの城を拠点に近在の三好方の城へ軍使を派遣して降伏と開城を促していく。 すると拍子抜けするぐらい、彼らは恭順の意を示したのだ。
だが、それも仕方が無いであろう。
何と言っても畿内の主力であった三好三人衆の内で三好政康と岩成友通の二人は既に畿内から阿波国へと向っており、残りの一人で三好三人衆の筆頭たる三好長逸は織田家の捕虜となっているのだ。
その上、下手をすると三好三人衆を越える重臣である篠原長房も阿波国へ絶賛移動中である。 この様な状況下では、抵抗をして来る三好方の将兵の方が珍しいのだ。
これは、丹羽長秀や木下秀吉の向かった地域でも同様である。 まして丹羽長秀の向かった南では、織田信長の上洛に合わせて三好家より離反した高屋城主の畠山高政の軍勢との連携が取れたので、より容易に三好方の城を押さえる事が出来たのであった。
なお畠山高政であるが、彼はこの功績を称されて後に河内国の半守護へ任命されたのであった。
順調に鎮定が進む河内国内とは裏腹に、隣国の大和国は戦乱の真っただ中にあった。
そもそも大和国は、覇権を賭けて松永久秀と三好義継が、三好三人衆方の筒井順慶と争っていたからである。 両軍勢の攻防は一進一退という有様であるが、全体的な形勢は筒井順慶側に分があった。
その事を示すかの様に、松永久秀の居城であった信貴山城が三月ほど前に落とされている。 しかし彼は信貴山城を脱出すると、居城を多聞山城に移して戦いを継続していた。 そんな松永久秀から、飯盛山城を押さえる義頼へ使者が訪れる。 正確には、嘗て家臣であった本多正信へ使者を寄越したのである。 すると彼は、義頼の元へ使者を連れて来たのだ。
使者を務めているのは、四手井家保である。 彼は元々三好家に仕えていたが、三好長慶没後は松永久秀に仕える様になっていた。
「お初にお目に掛かります。 松永弾正少弼久秀が臣、四手井美作守家保と申します」
「六角左衛門佐義頼です。 して美作守(四手井家保)殿、何用か?」
「救援をお願いしたいのです。 もし叶うのであれば主久秀は無論、左京大夫(三好義継)様も従属致すとの事にございます」
三好義継は祭り上げられたとはいえ、三好家の主君である。 それに松永久秀も、三好家の有力家臣である。 その事を勘案すれば、彼らが従属する事は織田家の畿内制圧に対する一助となるのは間違いなかった。
ただ懸念が一つあるとすれば、足利義昭である。 三好義継は【永禄の変】の当事者の一人であるし、松永久秀も直接は係わっていないが、息子の松永久通は三好義継と共に御所に居た足利義輝を攻め殺しているのだ。
しかし、今は畿内の制圧が一番の大事である。 そこで義頼は、織田信長へ話を通す事にした。
「お話は分かりました。 ならば早急に、殿へ書状を出しましょう」
「お願い致します」
話を終えると、義頼は取り敢えず四手井家保を下がらせた。
それから、一言も口を開かなかった本多正信へどうしたいかを尋ねる。 少し躊躇ってから出た言葉は、松永久秀の救出であった。
「だが正信、勝手には動かせんぞ」
「分かっております。 ですので、国境へ兵を移動していただきたいのです」
「大和国内に派兵しろと言うのか」
「いえ。 あくまで、河内国内での移動です。 名目は、国境を固めるとして下されば宜しいかと」
つまり本多正信は、織田家中に対する理由は国境を固める事として、嘗て仕えていた松永久秀に対しては兵を移動させる事で筒井家に対する示威行動の様に見せ掛けるつもりなのだ。
これならば織田家・松永家のどちらに対しても言い訳は立つ。 現実に大和国内で争いが起きている以上、国境を固める為に兵を移動させる事自体、間違いとは言えないからだ。
「……いいだろう、正信。 国境の守りを固めつつ、殿にも書状を出す。 これでいいのだな」
「はっ。 ありがとうございます」
その後、義頼は兵の編成を本多正信に一任する。 同時に書状を認めると、馬廻り衆を務める横山頼郷と共に四手井家保を織田信長の元へ派遣した。
その織田信長だが、池田勝正を下して彼を許すと、芥川山城へ戻っていた。 その芥川山城で、まず義頼の書状を読んでから四手井家保の口上を聞く。 しかし此処で義頼が、懸念していた事が噴出する。 足利義昭が、松永久秀や三好義継の救援に反対の意を示したのだ。
だが織田信長としては、一刻も早く畿内を制圧したい。 そこで足利義昭に対して、彼は懇切丁寧に説得を行った。 これには細川藤孝や、明智光秀も賛同して説得に掛かる。 此処までされては足利義昭としても折れる他なく、不承不承であったが援軍に賛成したのだ。
すると織田信長は、即座に命を出す。 先ずは、佐久間信盛と細川藤孝に対して援軍を命じる。 同時に義頼へ、松永久秀と三好義継救援の先鋒を命じたのであった。
既に国境に向けて兵を移動させている途中であった義頼は、急遽飯盛山城を出陣する。 途中で派遣していた軍勢と合流してから、国境を越えていた。
なお飯盛山城は、若江城に居た木下秀吉が移動してこれを守る手筈となっている。 また若江城は、丹羽長秀が高屋城より移動して守る事となっていた。
さて、この織田家の動きに驚いたのが筒井順慶である。 と言うのも、彼もまた織田信長に属して大和国を掌握しようと考えてたからであった。 しかし松永久秀と三好義継に先を越された形となったしまい、その考えも絵にかいた餅となってしまったからだ。
その一方で松永久秀だが、今まで以上に調略を仕掛けていた。
松永久秀と三好義継の後ろ盾として織田家が付いた事を知った大和国人衆は、筒井順慶を見限り次々と松永久秀の調略に乗っていく。 つい少し前まで大半の大和国人を押さえていた筈の筒井順慶は、あっという間に孤立無援に近い状況へと追い込まれていた。
此処が押し時と考えた松永久秀は、調略に応じた大和国人達を先鋒に筒井城へと兵を押し出す。 そして、鬨の声を上げながら城下を焼き払っていった。
丁度その頃、織田家の大和派遣軍の先鋒である義頼が現れたのである。 義頼は、唐招提寺に陣を張ると筒井城へ向けて睨みを利かせた。
事実上、この事が筒井勢の止めとなったと言っていいだろう。 意気軒高の松永勢とは逆に、筒井勢の士気は最低にまで落ち込んだのであった。
「味方も殆ど無く、士気も上がらない……負けた、か」
「何を言われます。 諦めるにはまだ早うございます」
「当たり前だ! 久秀なんぞに降れるかっ! 泥を啜ってでも生き延びてやる」
「その意気でございます。 なれば、此処は落ち延びましょう」
「清興、何処にだ?」
「福住殿の元が宜しいかと」
福住氏は筒井家の家老として仕えている一族であり、当代の福住順弘は順慶の姉を妻としている。 言わば義理の兄弟に当たる人物であり、その意味でも信用には足る人物であった。
「順弘か……分かった。 落ち延びるぞ」
『御意』
その日の夜、火付けを行い意気揚々としている松永勢に対して筒井順慶は、筒井城内に居る全兵を率いて夜襲を仕掛ける。 まさか打って出て来るとは夢にも思ってもみなかった松永久秀は、完全に虚を突かれてしまった。
一点突破を試みる筒井勢に対し、松永勢は混乱してしまい兵の掌握もままならない。 それでもどうにか混乱を治める事に成功したが、既に筒井勢は松永勢を突破して福住順弘の居城である福住中定城へ落ち延びて行った。
「してやられた! またしても逃したかっ!」
「殿、致し方ありますまい。 先ずは筒井城を抑え、それから国内を抑えましょう」
「分かっておるわっ」
重臣の岡国高の言葉に、噛みつく様な返事を返す。 それで少しは鬱憤が晴れたらしく、松永久秀の様子は少し収まっていた。
そこで大きく息を吐き気持ちを落ち着けると、彼は海老名友清に命じて筒井城内の探索を行わせる。 やがて問題ないことが報告されると、筒井城に入城した。
それから二日後、松永久秀は一度多聞山城に戻る。 それから、三好義継と嫡子の松永久通を伴って唐招提寺を訪れた。
「此度の合力、感謝致します」
「いえ。 殿の命にございますれば。 それに数日もすれば、佐久間様も更なる援軍と共に参られますので」
「真ですか! では、その時改めて御挨拶に伺います」
やがて義頼の言葉通り、佐久間信盛が細川藤孝と共に唐招提寺に駐屯する。 すると松永久秀は、改めて三好義継や松永久通と共に再度唐招提寺を訪れると、彼らへ挨拶を行った。
「お初にお目に掛かります。 拙者は、三好左京大夫義継にございます」
「松永弾正少弼久秀にございます。 そしてここへ控えますは、息子の松永右衛門佐久通です」
「そうか。 拙者は、佐久間右衛門尉信盛と申す。 我が殿と公方様の名代として、この地に派遣され申した」
『感謝致します』
それから佐久間信盛は、礼の言上に訪れた三人を交えて軍議を開いた。
救援と言う意味では既に目的を果たしているが、彼らが受けた命はそれだけでは無い。 松永久秀が大和国内を押さえる為の、流れの元を作らねばならないのである。 その切欠として選んだのが、嘗て松永家の居城であった信貴山城であった。
信貴山城は前述した通り、筒井勢によって落とされている。 だが信貴山城攻めには、三好三人衆から命を受けた三好康長も協力していた。
その後、三好家からの援軍を率いる三好康長は信貴山城より移動し、筒井順慶もまた配下を残して居城の筒井城に戻っている。 つまり信貴山城を占拠しているのは、筒井順慶配下の者と一部の三好家の者なのだ。
そんな敵兵を蹴散らすか降伏させるかする事で、大和国人に対して織田家が松永家の後ろ盾になったと明確に知らしめるのである。 それにより、松永久秀に大和国内の統一を行わせると言うのが織田信長の描いた構想であった。
何はともあれ佐久間信盛率いる大和派遣軍は、松永家と連合を組むと信貴山城目掛けて出陣する。 その道すがら、次々と松永家に降伏してくる国人衆を加えつつ、織田・松永連合軍は信貴山城を取り囲んだ。
元は松永家の居城である信貴山城であるから、攻め口は良く分かっている。 しかし佐久間信盛は無論のこと、松永久秀も出来うる事なら降伏させたかった。
松永久秀はこれからの大和国統一を考えると、いたずらに兵を減らしたくはない。 そして佐久間信盛としても、手伝い戦で兵を失うのは避けたかったのだ。
その時、細川藤孝がある提案をする。 それは三好義継が織田家に属した事と、筒井順慶が筒井城より既に逃亡した事を矢文にて打ちこんでみてはどうかという提案であった。
しかし、一つ問題がある。 矢を届かせるには、いささか距離があると言う事実であった。 いや、届かせるだけならば可能かも知れない。 しかし確実に相手へ知らせる為には、確りと撃ち込む必要があったのだ。
「策としては悪くないと思うが……その……可能であろうか。 かなりの距離が、あるのだが」
「通常の者では無理かと思いますが、左衛門佐殿ならば可能かと」
「え?」
思わずと言った感じで、義頼が一言漏らす。 しかしそんな義頼の発した言葉などまるで無視して、佐久間信盛が細川藤孝へと詰め寄っていた。
「兵部大輔殿、真か!」
「無論です、左衛門尉(佐久間信盛)殿。 のう、左衛門佐殿」
「可能か不可能かと言われれば、可能ではありますが」
「そうかっ! ならば左衛門佐、そなたに命じる! 良いなっ!!」
「……承知致しました」
こうして細川藤孝から推挙され佐久間信盛に指名された義頼は、己の弓を持って自分が狙いをつけられる最大射程の場所に立った。
その距離は、通常の者ならば標的に当てるどころか届かせる事すらまず不可能な距離である。 しかし矢文を打ちこむには、此処が一番近いと思われる所であった。
そんな射程を見て、佐久間信盛や松永久秀は可能なのかと心配する。 しかし義頼の弓の腕を熟知している細川藤孝が、二人を宥めていた。 そんな周りの状況など一顧だにもせず義頼は、矢をつがえて弓を引き絞る。 すると義頼の放つ雰囲気に、その場はしんと静まり返った。
「南無八幡大菩薩。 願わくばこの矢を届かせたまえ」
義頼は、小さく口の中で呟いてから矢を放つ。 彼の手から放たれた矢は、綺麗な放物線を描いて信貴山城内に飛び込んでいった。 己の矢が放った軌跡を見届けると、安心した様に大きく息を吐き出す。 そんな義頼に対して細川藤孝が、彼の肩に手を掛けながら労うのだった。
「流石は、日置流免許皆伝ですな。 左衛門佐殿」
「恐縮にございます。 兵部大輔殿」
一見すると何でも無い様に話す義頼と細川藤孝であったが、彼らの周りにいる佐久間信盛達は呆気に取られていたという。
因み義頼の撃ち込んだ矢文だが、信貴山城の城壁に確実に刺さっていたのである。 そこに結びつけられた矢文を読んだ城兵は、何処からも救援が来ないと言う事実を知り落胆する。 事ここに至っては致し方ないと、彼らは城門を開けて降伏したのであった。
こうして信貴山城を取り返すと、松永久秀の援軍となっていた佐久間信盛らは三好義継を伴って大和国を離れる。 やがて彼らは、芥川山城から京都の清水寺に移動していた織田信長に戦の仔細を報告したのであった。
義頼が京に戻ってから数日後、足利義昭が現在使用している細川家の屋敷に朝廷から勅使が訪れた。
これにより足利義昭は、征夷大将軍に任命される。 これを持って正式に将軍に就任したのと同時に、従四位下参議と左近衛中将を賜ったのであった。
なお、足利義昭が現在使用している屋敷の本当の主である細川信良は、助命されて今は足利義昭に仕えている。 また過去の慣例に従って、将軍となった足利義昭より一字賜り細川昭元と名乗る様になっていた。
また囚われていた三好長逸であるが、彼は織田信長の命で首を討たれ数日ほど晒された後で埋葬されていた。
此処に晴れて将軍となった足利義昭だが、彼はその祝いと称して観世大夫を招いて能会を催す事に決める。 しかし、能会の内容で織田信長に反対された。
「何? 減らせというのか」
「はい。 世はまだ泰平という訳ではありませぬ。 にも拘らず十三番も舞うなど、危機感に欠けるという物です」
「ならば、何番にせよというのか」
「五番で十分にござりましょう」
足利義昭は一瞬だけ不服そうな顔をしたが、すぐに表情を戻すと織田信長の言を了承した。
やがて能会が終了すると、足利義昭は織田信長に対して副将軍か管領に就く様にと要請を出す。 しかし織田信長は、その要請を辞退する。 だが、その代わりに別の望みを伝えていた。
「和泉の守護か」
「御意」
「よかろう。 その方の願い通り、和泉国守護。 並びに堺、草津、大津の町を与えよう」
「ありがとうございます」
「それと、これも与える」
足利義昭が示したのは、足利家の旗印の一つ桐紋である。 提示された織田信長は、旗印を恭しく受領したのであった。
その二日後、京に木下秀吉、佐久間信盛、丹羽長秀、村井貞勝。 それから、足利義昭を護る者として明智光秀に兵五千を預けると織田信長は京から退去した。
行きと逆を辿る様に岐阜へ向かっていく織田信長であったが、やがて六角家の居城だった観音寺城の麓にある寺に到着する。 そこで義頼は、呼び出されていた。
「義頼。 六角家は水軍を持っているそうだな」
「はい」
「ならば命を与える。 その方は、我が義弟や堅田衆と協力して兵を多数載せて湖を移動させる事の出来る大型の船を作れ」
「御意」
そこで義頼は立ち上がろうとしたが、織田信長に止められた。
慌てて座りなおした義頼を見て、笑いをこぼす。 ひとしきり笑った後で、織田信長は続きを話し始めた。
「ところでその方、未だ独身だそうだな」
「はぁ……っと、はいっ! その通りにございます」
何故そのような事を聞かれたのか皆目見当がつかない義頼は、何とも言えない表情で曖昧な返事をする。 しかし不遜であったと思ったのか、慌てて言い直していた。
なお義頼が独身なのは、別にこれといった理由はない。 強いて言えば、巡り合わせとしか言い様が無かった。
「何。 別にその事をどうこう言っているのではない。 話というのは、その方に俺の妹を娶らせてやろうと思ったのだ」
「……はぁ?」
「何だ、不服か?」
「い、いえ。 滅相もございません。 喜んで、お受け致します」
慌てて返答すると義頼は、内心で頻りに首を傾げながらも信長の提案を了承したのであった。
一応、畿内の事にけりがつきました。
そして、義頼が独身であることも判明しました。 この時代としては、遅い方です。
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