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第十九話~畿内騒乱~


第十九話~畿内騒乱~



 六角家と織田家・浅井家連合勢との間で起きた【野洲川の戦い】は、六角家当主となった義頼の降伏と言う形で決着を迎えた。

 その後、織田信長おだのぶながは、長光寺城下にある義頼の屋敷まで移動する。 思いの外六角勢から受けた損耗が大きく、軍の再編を余儀なくされたからであった。

 また、此度こたびの戦に敵方として参加した江南の南部、及び南西部に領地を持つ六角家家臣達と彼らを率いた義頼に対する沙汰もある為だ。

 やがて長光寺城下に到着すると、義頼以下降伏した者達は幾つかの人数ごとに分けられて部屋に押し込められる。 だが幽閉ゆうへいと言う訳では無く、武装を取り上げられた上で監視下に置かれただけであった。 

 そんな一室に、義頼以下六角宗家の者が集められている。 現六角当主である義頼は上座に座り、じっとしている。 その右隣には六角承禎ろっかくしょうていが座り、義頼の前には大原義定おおはらよしさだ六角義治ろっかくよしはるが座っていた。

 

「父上。 この先、どうなりますか」

「そうよのう。 この戦に係わった者達を集めて、改めて降伏を口上させた上で処分……と言ったところであろうな義定」

「やはり……そうなりますか」

「まぁ、当然であろう」


 処分を待つ身としては、何とも緊張感に欠けていた。

 だが、義頼自身が助命されており、降伏も受け入れられている。 今更、首を取るなどと言った処分が下されるとは思えない。 そう考えれば、このある意味長閑のどかな雰囲気も分からないでもなかった。

 その時、義頼の目が開く。 その直後、部屋の外から声が掛けられた。 声を掛けたのは、堀秀政ほりひでまさであった。 


「左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿、中務大輔(大原義定)殿、右衛門督(六角義治)殿、承禎殿。 我が殿がお呼びにございます」

「承知した」


 そう答えてから義頼が立ち上がると、六角承禎と大原義定と六角義治も立ち上がる。 彼らは、堀秀政に案内されて信長の居る広間へと連れて行かれた。

 やがて到着した広間は庭に面しており、そこには今回義頼と共に戦った武将の中で比較的小身の者達が武装を解除された状態で座らされている。 そして広間には蒲生定秀がもうさだひで蒲生賢秀がもうかたひで、他に馬淵建綱まぶちたてつなと言った大身の者達がやはり武装を解除された状態で座らされていた。

 そして彼らを囲む様に、織田家の兵が配置されている。 また広間の両脇には、此度こたびの上洛に同行した織田家重臣の面々が、義頼達に厳しい視線を向けていた。

 そんな彼らからの視線を受けつつ、義頼は甥の大原義定と六角義治。 それから、兄の六角承禎を従えて広間の中を進む。 やがて彼ら四人は、広間の上座に座る織田信長から少し離れたところで腰を降ろした。

 そこで義頼は、真っ直ぐ織田信長を見る。 敵意も無く、かつ怨みもない視線であった。 どれくらい時間が経ったか、緊張感が支配する広間の雰囲気を破る様に義頼が平伏する。 すると彼に続いて、六角宗家の者も六角家家臣も全員が平伏した。


「織田尾張守信長殿。 我ら一同、降伏致します」

「うむ。 許す」

「はっ」


 その後、義頼や近江国人に対する沙汰が伝えられた。

 六角家に対しては、本貫地を除く全ての領地が没収という厳しい処分が下される。 しかし近江国人に対する沙汰は、事実上のお咎めなしに当たる領地の安堵であった。

 これは命を掛けて彼らと自らの家臣を救おうとした義頼に対する、織田信長からの答えである。 その答えに義頼は、ただ黙って頭を下げるのみであったと言う。 また近江国人であるが、彼らは上洛の軍勢に加わる事になる。 織田信長は近江国人を吸収する事で、【野洲川での戦い】で受けた損害を補填したのだ。

 此処ここに沙汰も終了すると、織田信長は本格的な軍の再編に入る。 しかし軍勢も多く、その上近江国人を加える事となるので、一週間この地に留まる事となったのは想定外であった。

 こうして沙汰も終了した二日後、義頼の元に二人の家臣が現れる。 尋ねて来たのは、藤堂高虎とうどうたかとら河瀬秀宗かわせひでむねあった。


「殿。 拙者達はお暇しとう存じます」

「……そうか」

『はっ』

「ならば、これを渡しておこう」


 義頼は頭を下げる二人を見た後、立ち上がる。 そのまま部屋の隅まで行くと、棚に置いてある文箱を開けた。 そこから義頼は、書状を二通取り出す。 更に棚の下の引き戸を開けると、やはりそこに置いてある大きめの箱からある物を取り出した。

 そのまま藤堂高虎と河瀬秀宗の前に戻ると、それらの物を二人の前にそれぞれ置いたのであった。


「これは?」

「感状と、少ないが金子だ。 今まで、未熟な俺によく尽くしてくれた。 こんな物しか出せぬが、邪魔にはならないだろう」


 これは義頼が、今回の様な一件を予測して用意した物であった。

 織田信長に降伏した大原義定が六角高定ろっかくたかさだの家臣であった頃の近江国人達と、【野洲川の戦い】以降に許された近江国人達は希望すれば織田家直臣扱いとなるので問題はない。 しかし義頼の直臣は、その限りでは無いのだ。

 家としては存続を許された六角家であるが、それだけである。 当然実入りも減っており、それに伴い家臣に対する知行も減じてしまっていた。

 そうなれば、直臣の中にも暇乞いとまごいを言い出して来る者も出て来るのは時間の問題である。 そこで義頼は、せめてもの手土産として、何とか金子をかき集めたのである。 その一部が、藤堂高虎と河瀬秀宗の前に置かれた金子であった。


『……殿……』


 二人もまさか感状は兎も角、金子まで出て来るとは思っていなかった。

 それも当然である。 六角家は降伏したばかりであり、とてもそんな余裕があるとは思ってもみなかったからだ。 しかし義頼は、決して多くはないが幾許かでも金子を用意したのである。 そんな義頼の対応に、二人は思わず感動していた。


「高虎も秀宗も息災でいろ。 それが……それだけが俺の望みだ」

『ぎ、御意!』


 二人は、感状と金子を持ち義頼の前から下がると元義頼の館を出る。 その日のうちに二人は、勧誘を受けた浅井長政あざいながまさの元へと向かった。

 またこの二人の様に元六角家臣のうちで幾人かの者は、織田家にはつかず浅井家につく決断をしている。 そんな彼らに対しても義頼は、藤堂高虎や河瀬秀宗と同様に感状と幾許かの金子を与えて六角家より送り出したと言う。

 そんな義頼が、ある意味文字通り身銭を切っている頃、織田信長はと言うと己の部屋にて一人考えを纏めていた。 


「若い上に度胸もあり、江南の国人からもそして六角家臣からの信頼も厚い宗家の男か。 その上、家督まで継いでいる上に未婚とは都合がいい……だが結論を出すのは早いな。 ここは上洛に同道させて、もう少し見極めてから判断するとするか」


 そう部屋で独白した織田信長は、やがて楽しげに笑い出したのであった。

 明けて翌日、義頼は織田信長に呼び出される。 内心訝しがりながらも、彼は織田信長の元を訪れた。 部屋の前で声を掛けると、入室を許される。 直ぐに部屋へと入った義頼は、織田信長の前で平伏した。


「面を上げよ。 さて、その方には俺の代官として江南の者達を取り纏めて貰う」

「はっ」

「また、我らの上洛につき従え」

「承知致しました」


 兵力を揃える財力を捻出するのは、今の六角家では中々に厳しい。 だが信長の命である以上、否は無い。 義頼は、暇乞いをもせずに残ってくれた直臣と共に何とか兵を揃える為に奔走した。

 そのお陰もあり、どうにか体裁を整える。 しかしその数は少なく、万を優に超える兵数を擁する事が出来た六角家昔日の面影はなかった。


「これが現実か」

「そうよな、義頼。 だが受け入れろ、そして前を向け。 どんなに力を落とそうとも、お前は名門六角家の当主。 家臣領民の為にも、決して弱気は見せるな」


 寂しげに呟いた弟の肩を抱きながら、六角承禎は諭す。 義頼は兄の言葉を聞き、まるで踏ん張る様に力を入れるのであった。



 それから数日後のある日、義頼は事前に知らせた上で浅井長政を訪問する。 程なくして部屋に通されたが、そこには浅井家の家臣達も同席していた。 しかし今は味方であるが、元は敵であった六角家当主の義頼である。 浅井家臣から向けられる視線は、厳しいものがあった。 だが、それも現実である。 どんなに厳しくても義頼は、受け入れざるを得なかった。


「それで、左衛門佐(六角義頼)殿。 何用か?」

「織田本陣での事で、備前守(浅井長政)……様にお礼を言上しに参りました」


 そんな義頼の言葉に、浅井家臣達は不審気な表情を浮かべた。

 何故なぜかというと、義頼の助命を浅井長政が織田信長に言上した時に浅井長政と同行している浅井家家臣は彼の傍に居なかったからである。 遠藤直経えんどうなおつねなどと言った浅井重臣は、眉を寄せながら義頼と長政の遣り取りを見ていた。


「そうか。 だが、気にする必要はないな。 あれが一番だと思ったから、俺は義兄(織田信長)に言っただけだ」

「それでも、貴殿のお陰である事には相違ござら……いやございませぬ。 この礼は、いつか必ずお返し致します」

「そうか」

「では備前守様、失礼致します」

「うむ」


 一つ頭を下げると、義頼は立ち上がる。 それから浅井家臣に対しても軽く頭を下げてから、部屋から退出した。 すると、磯野員昌いそのかずまさがどういう事かと浅井長政に対して尋ね掛ける。 しかし彼は何も答えず、寂しげとも取れる様な表情を浮かべながらじっと義頼が居た場所を見続けたのであった。





 さて助命の口添えをした浅井長政に一応の筋を通した義頼は、そのまま与えられた部屋に戻る。 するとそこには、本多正信ほんだまさのぶと兄の六角承禎が居た。

 兄は兎も角、本多正信が居る理由が分からない。 だが恐らく六角承禎が入れたのだろう結論付けると、義頼はそのまま部屋の上座に移動する。 彼が着座した直後、六角承禎が義頼に問い掛けて来た。 


「さて義頼。 一つ尋ねるが、上洛の軍勢は何処どこを通って京に向かうのだ?」

「それは街道を進んでだと思いますが……それが何か?」

「殿。 何かではございません。 今のままでは、瀬田川を越えるのは難しいではありませんか」

「え?……あっ! しまった!」


 実は瀬田川には、橋が一つ掛かっている。 瀬田の唐橋とも瀬田の長橋とも言われる橋であった。

 しかしこの瀬田の唐橋はかなり朽ちており、上洛の軍勢が渡るなど到底無理な状況にあったのだ。 そうなると道筋としては、一つしか無い。 矢橋の渡しを使って、琵琶湖を渡り京へと向かう道筋だ。

 だが旅人であれば問題はない道筋だが、渡るのは数万を数える軍勢。 とても、渡し船が足りるとは思えなかった。


「そうだ……忘れていた……正信! 何か手はあるか!!」

「そうですな……此処は堅田衆の手を借りましょう。 堅田衆は、運送を生業として居ます。 金子、若しくは望みを叶えれば請け負ってくれましょう」

「おおっ! その手があったな! 直ぐに、殿へ報せるとしよう」


 急いで義頼は、織田信長との面会を求めた。

 軍の再編に忙しい事もあり、義頼はかなり待たされる事となる。 この辺りは、新参者と言う現実がもたらしたと言っていいだろう。 それでも義頼は、我慢して待ち続ける。 漸く面会が許されたのは、陽も傾きかけた頃であった。


「何の用だ、義頼」

「はっ。 このままでは、軍勢が京に向かえません」

「何っ! どういう事だ!!」

「実は、瀬田の唐橋が耐えられないのです」

「……仔細を話してみろ」

「はっ」


 織田信長に促された義頼は、一呼吸おくと瀬田の唐橋の状態について話をした。

 話を聞いた織田信長も瀬田の唐橋自体は知っていたが、まさかその様な状態であるとまでは把握していなかったのである。 瀬田の唐橋を使って京に入る計画を立てていただけに、彼は思わず頭に手をやる。 だがその時、その織田信長に対して義頼が代わりの道筋について報告した。

 しかしその道筋を使って効率よく上洛を続ける為には、堅田衆の協力が必要である事も合わせて伝える。 すると織田信長は、義頼に全権を委任した上で堅田衆との交渉を命じたのだ。

 織田信長より交渉の全権を委任された義頼は、翌日になると堅田へと向かう。 そこで。堅田衆の頭領である猪飼昇貞いかいのぶさだを尋ねたのだった。

    

「久しいな、左衛門佐殿」

「そうだな、甚介(猪飼昇貞)殿。 二年前の浅井との一戦以来か」

「もうそんなに経つか……ところで、今日訪問された用件は何か?」

「うむ。 有り体に話そう。 上洛の軍勢に、手を貸していただきたい」


 瀬田の唐橋が朽ちかけた現状である以上、普通に考えれば矢橋の渡りを使うしかない。 だが大量に輸送を行うとすれば、渡し船などでは到底賄い切れる物でもない。 となれば、六角家の水軍か堅田衆を使うしか無いのだ。

 しかし降伏間もない六角家や近江国人では、大軍の輸送などほぼ不可能である。 すると残るのは、堅田衆しかないのだ。

 因みに、浅井水軍では無理である。 船乗りの腕は兎も角、純粋に船が足りないのだ。 【竹島(多景島)沖の戦い】の戦いで浅井水軍が損失した船と人員は、ことの他大きい。 船の数を揃えるには、もう少し時間が必要であった。


「なるほど……いいだろう、此方こちらの要求を受け入れるのならば承ろう」

「要求とは?」

「一つは当然だが、今回の輸送に対する代金。 そして今一つは、湖上輸送に対する特権。 この二つさえ認めていただければ、喜んで堅田衆は力を貸そう」


 猪飼昇貞は、強気で請求した。

 正直言えば、軍勢を輸送しただけでも儲けは十分に取れる。 しかし今後の堅田衆の事を考えると、湖上輸送の特権も押さえておきたいのだ。

 この堅田衆にとって都合のいい条件提示に、義頼は一瞬だけ表情を歪める。 しかし今は、一刻も早く上洛を再開させねばならい。 その事を考えれば、此処で足止めなど非常に不味いのだ。

 何と言っても時を掛ければ掛ける程、三好家の迎撃体勢が固まってしまう可能性がある。 そうなってしまっては、幾ら織田家の軍勢であろうとも苦戦は十分に考えられた。


「いいでしょう。 必ずや、織田家より書状を発行させましょう」

「真かっ! ならば、我らも必ずや軍勢を渡して御覧に入れよう」


 猪飼昇貞との話が纏まると、義頼は急いで長光寺城へ戻り仔細を織田信長に報告する。 だが堅田衆から出された条件は、彼からすれば許容範囲内であった為、即座に了承した。

 こうして急遽生まれた上洛の懸念が晴れてから数日後、漸く軍勢の再編成が終わる。 すると織田信長は、京に向けての進軍を再開した。 上洛の軍勢は長光寺城を出て街道を進み、野洲川を渡ると暫く進んだところで街道から外れて脇街道に入る。 そのまま進み矢橋の渡しに到着すると、そこには猪飼昇貞の率いる堅田衆の船がずらりと揃っていた。


「お初にお目に掛かります。 拙者、堅田衆の頭領を務めます猪飼甚介昇貞と申します」

「そうか、俺が織田尾張守信長だ。 では早速だが、運んでもらおう」

「ははっ」


 堅田衆は、順繰りに船を出し上洛の軍勢を対岸へと運んで行く。 それはまるで、船で出来た橋を渡る様であったと言う。

 やがて全ての軍勢を運び終えると、織田信長は代金代わりの砂金を猪飼昇貞へ渡す。 そこで堅田衆と分かれると、織田信長は兵を二つに分けた。

 一つは、自らが率いる本隊である。 そしてもう一つは、幕臣の細川藤孝ほそかわふじたか和田惟政わだこれまさが率いる別動隊であった。

 織田信長はこの別動隊を組織するに当たって、義頼以下元六角家家臣(近江衆)を宛てている。 その為、別動隊の大将と副将は幕臣の二人が務めているが、実質の取り纏めは義頼が行っていた。

 この別動隊だが、言わば織田信長が率いる本隊の露払いである。 三好勢が京に居れば、彼らを蹴散らす任も帯びた軍勢であった。 そんな彼ら別動隊が向かったのは、今路道(志賀越道)である。 斥候を放ちつつ進んだ別動隊は、京の手前まで来ると進軍を止めて一夜を明かす。 そして翌日に、満を持して入京したのであった。

 その一方で織田信長は、矢橋の渡しの近くから動いていない。 その理由は、桑実寺に入っていた足利義昭あしかがよしあきを待っているのである。 その足利義昭も既に桑実寺を出ており、護衛の兵と共に矢橋の渡しまで来ていた。

 やがて足利義昭も、堅田衆の船で矢橋の渡しを使って琵琶湖を渡ると信長と合流する。 彼を無事に迎え入れた織田信長は、京に向けて軍勢を進ませる。 その日は山科まで兵を進め、そこに陣を張った。

 明けて翌日、山科より京に入ると、先行していた細川藤孝率いる別動隊がこれを迎える。 別動隊と合流した軍勢は、物見遊山な見物人を前に粛々と京の町中を進んでいった。 やがて足利義昭の寄宿する清水寺まで送り届けた織田信長は、寺に護衛の兵を残して軍勢を戻す。 そのまま、自らが寄宿する東寺へと向った。

 さて義頼はと言うと、彼は彼で京の伝手つてを頼っている。 その伝手とは、京の豪商である角倉了以すみのくらりょういであった。

 六角家と角倉家は、共に近江佐々木氏流れを汲む者である。 佐々木氏の嫡流は六角家が引き継いでいるので、佐々木氏の分家である吉田家の流れをくむ角倉家から見ると六角家は本家筋に当たるのだ。 その様な縁もあり、角倉了以は六角家の御用商人と言える様な立場にある。 六角家は織田家に降伏した事で力をかなり落としたが、幸いにもその立場が変わった訳では無かったのであった。


「真に忝い、了以殿」

「お気に召されますな、左衛門佐様。 これからも角倉は、六角家との取引を大切に致します」

「本当に、相済まぬ」


 そう言って角倉了以の手を取った義頼は、精一杯の感謝の念を彼に送るのであった。

 それから数日、東寺に滞在した織田信長であったが、やがて東寺を出ると東福寺へと移動する。 そこを新たな本陣とすると、三好三人衆の一人である岩成友通いわなりともみちが守る勝龍寺城へ兵を派遣した。

 派遣したのは柴田勝家しばたかついえ森可成もりよしなり坂井政尚さかいまさひさ蜂屋頼隆はちやよりたかである。 彼らが勝龍寺城に近づくと、城の守将である岩成友通も兵を出して応戦した。


「ふん、温いわ! これならば、六角勢の方が手応えあったぞ」

「真に、権六殿」


 柴田勝家と森可成が、轡を並べて三好勢を相手にしている。 彼らが槍を振るう度、敵兵が倒されていた。 そんな彼らを横目に、坂井政尚と蜂屋頼隆も勝龍寺城へ攻勢を掛けた。

 すると岩成友通は、柴田勝家と森可成に対して追加の兵を出す。 そして坂井政尚と蜂屋頼隆へは、自らが味方を鼓舞して士気を上げる事で対応した。

 たちまち混戦模様となるが、それでも全体的には織田勢が押している。 しかし岩成友通は粘り強く、中々に落ちない。 やがて夕刻となったので、極自然にお互いが兵を引いていた。


「ふう。 何とか凌いだか……して、被害はどれくらいだ?」

「城はどこも破られてはおりませぬ。 ですが、兵の損耗が激しいです」

「次に攻められたら、応戦できるか?」

「篭城戦ならば可能かと」


 家臣の報告に、彼は眉を顰めた。

 実は岩成友通、織田勢から攻められる前に援軍の要請を篠原長房しのはらながふさにしている。 しかし、返答はなかった。 つまり、援軍が来る可能性は低い。 その様な状況で篭城したところで、結果は見えていた。

 援軍のない篭城戦に、勝ち目などほぼ無いのである。 それどころか、味方から裏切りが出る可能性も拭いきれないのだ。


「……致し方ない。 明日の朝、軍使を織田勢に送る。 用意させておけ」

「は、ははっ」


 翌日になり兵を布陣しようとした柴田勝家らの元に、勝龍寺城から岩成友通の出した軍使が現れる。 すると柴田勝家と森可成、坂井政尚と蜂屋頼隆は即座に集まり、軍使の持って来た書状を読み始めた。

 そこに書かれていたのは、一時停戦と開城である。 翌日に岩成友通ら三好勢が勝龍寺城を出る代わりに、城は明け渡すと言うものであった。 このまま攻めても城は落とせるが、無駄に兵を損耗させる必要もない。 そこで四人は、岩成友通からの提案を了承した。

 明けて次の日、約束通り大手門より岩成友通が率いる三好勢が現れる。 織田勢が見張る中、ゆっくりと軍勢は堺を目指して進んで行った。

 その後、岩成友通は、普門寺に居る足利義栄あしかがよしひでへ使者を出して勝龍寺城が織田家の手に渡った事を伝える。 その報せを受けた足利義栄は、慌てて普門寺を出ると阿波国へ戻るべく堺を目指したのだ。

 その一方で勝龍寺城を手に入れた柴田勝家達はと言うと、城に入ると戦の仔細を記した書状を主へと送っている。 その日のうちに届いた書状を読んだ織田信長は、その内容に気分を良くした。 


「勝龍寺城が落ちたか……ならば次だな。 藤孝を呼べ」

「はっ」


 程なくして、細川藤孝が現れる。 すると織田信長は、彼へ近江衆等を率いての芥川山城攻略を命じる。 命を受けた細川藤孝は、近江衆等を率いて東福寺より出陣したのであった。


信長について上洛しました。

六角家再興を目指している義頼の第一歩です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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