表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
218/284

第二百十五話~武田家降伏~

お待たせしました。


第二百十五話~武田家降伏~



 織田家と北條家が不戦の盟約を結んだと言うのは、前述した通りである。 その意味では、この場へと向かってくるであろう北條勢は敵ではないのかもしれない。 確かに藤田氏邦ふじたうじくにが相手しているのはあくまで甲斐武田家であり、そして越後上杉家なのだ。

 そう考えれば、北條家は織田家に味方して兵を出したと言えなくもない。 だが上杉家は兎も角、武田家は織田家によって相当に力を削られてしまった家である。 その武田家に止めを刺すかのごとく動いている織田家に知らせる事もなく兵を出した北條家を全面的に信じるなど、如何いかに盟約を結んだ当事者の義頼であっても出来はしなかった。

 そこで義頼は急ぎ迎撃の用意を整えつつ、いかなる事態であっても対応できるようにと動き始める。 何せ北條勢の動きによっては、このまま再度彼の家との戦へと雪崩れ込みかねないからだ。

 とは言え、期間限定であっても不戦の盟約を結んだ相手の家と言うのもまた事実である。 ゆえに例え形だけであっても、筋を通さないと言う訳にも行かない。 そこで取り敢えずは相手の行動に対する詰問と言う意味も兼ねて軍使を立てようとした義頼であったが、その前に相手から軍使が到着したのだ。

 その軍使によれば、軍勢を率いているのは事前の報告通り藤田氏邦である。 しかも北條家の軍使が申すには、彼自らが面会を求めているとのたまっていると言う。 それならばと義頼は、自身が会う旨を北條家の軍使へと伝えた。

 そして義頼と藤田氏邦の会談の場所に関してだが、両軍勢が駐屯する個所からほぼ等間隔に離した中央の辺りにしたい旨も併せて伝える。 義頼より伝えられたその軍使は、急ぎ自陣へと戻ると藤田氏邦へと伝える。 すると彼は直ぐに了承したので、会談が行われる運びとなった。

 さて先ずは義頼だが、彼は本多正信ほんだまさのぶを自らの副使とし、護衛には藤堂高虎とうどうたかとら率いる馬廻り衆と北畠具教きたばたけとものり率いる藍母衣衆を引き連れて指定した場所へと向かう。 また彼らとは別に義頼は、忍び衆にも周囲の警戒を命じていた

 一方で藤田氏邦であるが、彼も護衛の兵と思われる者達と共に現れる。 だが彼一人ではなく、他にも一人だが将を連れて現れた。 その藤田氏邦に同行している人物だが、富永助盛とみながすけもりと言う。 彼は元々北條家の直臣であったが、今は亡き北條氏康ほうじょううじやすの命で藤田氏邦の家臣となった人物であり、彼が藤田家に婿養子と入って以来、重臣として藤田氏邦を支えていた人物であった。

 何はともあれ会合を果たした義頼と藤田氏邦であったが、二人は通り一遍の挨拶をした後でお互いを値踏みするかの様に視線を交わしている。 そんな何とも言えない状態がしばらく続いたのだが、やがて藤田氏邦が事情を説明し始めた。

 彼曰く、あくまで今上野国で行われている北條家と武田家、そして上杉家の問題であり織田家に含むところはないとしている。 確かに隙を突いた形で上野国へと攻め込んでいる藤田氏邦だが、織田家に攻勢を仕掛けた訳ではない。 そもそもからして武田家と北條家は、争っていた経緯がある。 もし足利義昭あしかがよしあきと毛利家の仲介がなければ、今でも争っていたのは明白であった

 その経緯を考えれば、干戈を交えているのも不思議はないとも言える……かもしれない。 更に付け加えるとすれば、藤田氏邦は此度の侵攻に妹の救助をも掲げている。 その理由が他家に通るかどうかは別として、彼と旗下の兵を動かすには充分であった。


「ほう。 大膳大夫(武田信勝たけだのぶかつ)殿の正室の救援のう……その点はどうなのだ? 武藤殿」

『なっ!』


 武藤昌幸むとうまさゆきがこの場に居る理由は、義頼が同行させたからである。 武田信勝を連れて行けば一番手っ取り早いが、そこでもし藤田氏邦に何か良からぬ事態を引き起こされては織田家の面子に関わる。 では山県昌景やまがたまさかげではどうかと言うと、彼自身義頼と互するような武人であり将である。 護衛としても、何かがあった時に対応する将としても彼を武田信勝の傍から離すと言う訳にはいかない。 そこで白羽の矢が、武藤昌幸へと突き立ったと言う訳であった。 

 翻って藤田氏邦と富永助盛の二人だが、この場に武藤昌幸が居ると言う状況に驚きを隠せなかった。

 曽根昌世そねまさただと並び、知の部分で武田家を支えていると言っても過言ではない武藤昌幸が、義頼と共にいるのである。 その事実は、二人にある事を連想させた。

 それは言うまでもなく、武田家の降伏である。 しかし、彼が武田家を見限り織田家に降伏したと言う可能性も捨てきれない。 ましてや甲斐府中にて、雌雄を決する戦をした織田家と武田家である。 例え彼が武田家を見限っていなかったとしても、捕らえられ武田家の存続の為にと動いているとしても不思議ではなかった。

 此処ここで北條家に取り問題なのは、武藤昌幸がこの場に居る理由である。 もし後者の様な理由で織田家に居るのならば、そこまで深刻な話ではない。 所詮は、偶然でしかないからだ。 しかし、もし後者ではなく前者であれば、そう簡単には行かない。 話の持って行き方ひとつで、北條家と織田家とのいくさ再びとなりかねないからだ。

 まだ驚きから戻ってこれない二人を前にした武藤昌幸だが、そんな様子には全く頓着せず義頼からの問い掛けに応える。 それが、北條家に対して今の武田家がどう言う立場にあるのか明確な答えとなる。 武藤昌幸は静かに息を吸ってから、一言一句はっきりと藤田氏邦と富永助盛の二人へ分かる様にと以前確認した北條夫人の言葉を伝えた。


「奥方様より「お帰りになる気持ちはない」 そう、承っております」

「……ふむ……なるほど。 では、渡す訳にも行かぬな」

「何を言うか、左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)殿。 織田家には関係ない話ですぞ」

「そうはいかん。 武田家は、我ら織田家に降伏したのだ。 それに「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」との言葉もある。 尚更、渡す訳にはいかぬな」


 武藤昌幸の登場にも驚いた藤田氏邦と富永助盛であったが、それ以上に驚いたのが武田家の降伏である。 これにより、藤田氏邦に取って最悪の事態となっている事が立証されてしまったからだ。 何せもしこれが事実ならば、これ以上武田家の領地へ侵攻する事は出来ないのである。 もし侵攻を続ければ、それは即ち織田家との戦の再燃となってしまう。 しかも引き金は、自分がひいた事となるのだ。

 それでなくても、織田家と北條家で不戦の盟約を結んでいるのは前述したとおりである。 上野国侵攻時は、まだ武田家が織田家と対立していた時期なので、かなり強引な論法だがそれでも武田家への侵攻は理由が付けられた。 しかし、武田家が降伏したのならばそう言う訳にはいかなくなる。 そこで藤田氏邦は、武田家の降伏がまことなのかそれともいなかなのかを改めて確認していた。    

 すると義頼は、「この場に武田信勝を呼ぶか?」とまでのたまう。 そこまで言うのであれば、嘘とは考えづらい。 ましてやこの場は正式な会談場所であり、その意味でも虚報とは思い辛かった。


「……そうですか。 武田家が……」

「そうだ。 それとも、そなたが引き金を引くか? 折角、期間限定とは言え不戦の話を付けた織田と北條の戦の引き金をっ! もっとも、それがしはそれでも一向にかまわぬ」


 「如何いかなる結果とて文句はない」、そう織田信忠おだのぶただより言質を得ている義頼である。 此処ここで北條家との戦が再燃したところで、問題とはならない。 それであるがゆえに義頼は、強気とも挑発ともとれる発言をしたのだ。

 一方で藤田氏邦だが、流石にこの場で義頼の言う様な両家の戦の引き金を引くような行為は出来ない。 そもそも兄の北條氏政より自重を求められている。 それであるにも拘らず兵を出した事実がある以上、織田家との戦の再燃など今は控えたいのだ。

 そうなると拳の落としどころが問題となるが、幸いと言っていいか分からないがその相手はいる。 そちらを標的にしてしまえば、取り敢えずは問題とならないのだ。


「………………うけたまわった。 これ以上は、武田領内への侵攻は行わぬ事にする」

「そうか。 では、誓詞せいしを交わしていただこうか」


 義頼からしてみれば、不戦の盟約を交わしているにも拘らず織田家と武田家が相対している隙を突く様に侵攻を行った北條家に対し、不信感が芽生えている。 だからこそ、誓詞の取り交わしを要求したのだ。

 その扱いに、藤田氏邦と富永助盛の二人に思うところがなかった訳ではない。 だが前述した様に、兄である北條氏政ほうじょううじまさより自重が求められてしまっているにも拘らず上野国へと侵攻している。 そこで兄を安心させる為だと己に言い訳をしつつ、藤田氏邦は誓詞の取り交わしに同意した。

 その後、藤田氏邦は交わした誓詞に従い兵を退き始める。 だが流石に、織田家と会談する前に占領した武田領に関しては譲る気はなかった。 一方で義頼もそこまでは求めておらず、現時点において事実上黙認している。 事が自身の関わる前であったので、あまり強く言うと言うのもはばかられたからだ。

 その処置に武田家としては不満が残る。 しかしながら、この場で文句を言える立場にはない。 何より攻められたのは、己の不徳が原因である。 この戦国の世、攻められる隙を見せた方が悪いのだから。

 何はともあれ義頼は、藤田氏邦の軍勢が退くのを最後まで確認する為にこの場に駐屯し続けている。 更には忍び衆に監視の網を掛けさせ、北條勢の行方ゆくえまでを探らせた。 すると藤田氏邦は、箕輪城へと向かった事が確認される。 そこで漸く義頼は、兵を退く決断をした。


「では、躑躅ヶ崎まで戻る」

『応っ!』


 藤田氏邦率いる北條勢の行方が箕輪城と判明した事で、漸く今いる地より兵を退く決断をした義頼は、武田信勝を筆頭に山県昌景や武藤昌幸、更に降伏した武田家の者達も加えたまま躑躅ヶ崎館へと向かった。

 どの道、もう敵が存在しないのだから何時いつまでもこの地に駐屯している訳にはいかない。 何よりこの地に留まり続けると下手に問題が発生しそうな雰囲気もあって、早急に義頼は兵を退いたのだ。

 しかし、何時いつ何が起こるか分からない。 此度こたびの北條家の動きとて、武田勢を追撃に入る直前までは確率が低いと思われていたのだ。 しかしその予想はくつがえされてしまっており、それ故に今の上野国は非常に敏感でもある。 北條勢も一端は退いているが、何時いつ何どき襲われるとも限らないのだ。

 しかも襲う相手が、必ずしも織田家とは限らない。 織田家の兵が退いた事に気分を良くして、藤田氏邦が誓詞を反故ほごにしないとも言い切れない。 そこで義頼は、武田勢の追撃を行って行軍した時以上に、慎重を期して躑躅ヶ崎館へ戻って行った。

 その一方で箕輪城へと退いた藤田氏邦だが、彼もただ退いた訳ではない。 少なくとも義頼に対しては、監視は行っている。 如何いかに誓詞を交わしたとはいえ、油断出来る相手でもないからだ。

 しかし藤田氏邦の放った彼付きの風魔衆の目には、甲斐国へ粛々と退く軍勢の姿が映っている。 当然ながらその軍勢の中心の旗印は隅立て四つ目が翻っており、間違いなく六角義頼が率いる織田家の軍勢である。 その事実を見た風魔衆は、報告を行った。

 程なくして報せが届いた藤田氏邦だが、流石に織田勢に対して兵を向けるという事はしない。 それは織田家に降伏した武田家に対しても、同様であった。 義頼と誓詞を取り交わした直後という事もあったが、何より此処まで勢力が激減した武田家に兵を向ける利が見受けられないのだ。

 それならば、上杉家の領地に兵力を傾ける方が建設的である。 それにもしかしたら、今後の織田家と北條家の交渉次第で手に入るかもしれないからだ。 ただ、逆に占領した武田家の領地の返還要請がされるかも知れない。 その意味でも、せめて上杉家の領地を押さえておく必要がある。 ましてや上杉謙信うえすぎけんしんが、織田家との戦へと赴いている。 この好機を逃す理由など、藤田氏邦になかった。

 彼は箕輪城に戻り急ぎ態勢を整えると、再度進軍を開始する。 向かった先は厩橋城であり、この城は上野国における上杉家の領地の差配を任されている北条きたじょう家の現当主、北条景広きたじょうかげひろの居城であったからだ。

 

「厩橋城を落とす。 続けいっ!」

『おーー!!』 


 新たに気勢を上げながら、北條勢は厩橋城へと突き進むのであった。





 上野国の国境から兵を退いた義頼の軍勢だが、特段に問題など発生する事なく街道をそのままなぞる様に兵を戻して甲斐府中へと戻ってきていた。 

 率いていた軍勢は馬淵建綱に任せると、一部の家臣や馬廻り衆に藍母衣衆。 また当然だが、武田信勝や山県昌景や武藤昌幸と言った武田の者達も引き連れて織田信忠が入っている嘗ての武田家の居城である躑躅ヶ崎館へと入った。

 館に入った義頼は、早速にでも織田信忠に面会して上野国の国境で起きた事態に対する報告を行う。 しかもその席には、柴田勝家しばたかついえ池田恒興いけだつねおきなどと言った主要な将が雁首を揃えていた。

 しかしてその内容だが、およそ織田信忠らが事前に予想した物とは違っており、彼らは驚きを表す。 それでも途中で言葉を挟まずに、黙って聞き及ぶ。 やがて全て聞き終えると、織田信忠は溜息をついた。


「……何ともはや。 そこで武田信勝だが、報告の通りか」

「はい。 今は別室に、控えさせています」

「そうか。 では、まずそちらを片付けるぞ」

「御意」


 そう言うと織田信忠は、義頼に彼らを連れてくる様にと命じた。

 仮にも織田家重臣の義頼に呼ばせに行くなど不思議な感じだが、これは義頼が望んだからである。 何を考えての事かと織田信忠も思ったが、敢えてその望みは叶える事にする。 そもそも義頼が裏切るなどとは、露ほどにも思っていないからこそ許されたと言えた。

 何はともあれ連れてくる様にと命じられた義頼は、武田信勝ら三人を控えさせている部屋へと足を運ぶ。 すると部屋の入り口は、織田家の兵で固められていた。 今更、逆らう気のない武田信勝らではあったが、織田家としては警戒しない訳には行かない。 武装が解除された僅か三人に対し、都合十数人ぐらいが部屋の周囲を固めているのだから警戒度は相当な物であった。

 だが、これにも理由がある。 先ず山県昌景に対する警戒が、半端ないのだ。 彼は軍勢を率いてもそして個人の武としても、幾度となく義頼と渡り合っている。 軍勢、若しくは個人の何方どちらかならばその様な者も居ないでもない。 しかし山県昌景の様に個人でも軍勢でも鎬を削りながらも決着がついていない者など見当たらないのだ。

 そしてもう一つ、武田信勝に対しても警戒している。 彼もまた、個人の武に覚えがある。 嘘か真か、若い頃に上泉信綱かみいずみのぶつなに剣の腕は評価されたと言う逸話があるぐらいなのである。 つまり武田信勝にしろ山県昌景にしろ無手だとは言っても油断できない相手であり、だからこその厳重警戒であったのだ。

 そんな物々しい警護を敷いている警護の者に対し、義頼は織田信忠からの命を告げる。 するとその命に従い部屋の障子が空き、部屋へと通された。 無論、一人な訳がない。 警護と言う名で部屋を緩い監禁状態においているのだから、当然ながら警護の者が付く。 そんな護衛の者と共に義頼は、武田信勝と山県昌景と武藤昌幸が居る部屋へと入った。

 三人の前に腰を下ろすと、織田信忠からの呼び出しがある事を告げる。 彼らに取り、これこそがこの時点で躑躅ヶ崎館に戻った最大の理由である。 会わないなど、そもそもの選択肢に入っていなかった。


「分かり申した、左衛門督殿」

「それからこれは老婆心ろうばしんから告げる事ですが、一にも二にも平身低頭を貫かれよ。 お家の為を思うならば」

「……ご助言、感謝致す。 決して短慮などは起こさぬ故、ご安心下され」

「そうですか。 要らぬ助言でしたな」

「いえ。 同じ源氏の者として、とても参考になり申した」

「それは何より。 では、参りましょうか」


 武田信勝と山県昌景と武藤昌幸は、義頼の先導と周りの護衛と称する織田家の兵と共に勝手知ったる躑躅ヶ崎館内を進む。 やがて向かう先が、広間である事が判明した。

 この広間だが、幾度となく軍議が開かれた場所である。 それと言うのもまだ躑躅ヶ崎館が武田家の居城であった頃、この広間には「御旗」と「盾無」が安置されていたからである。 やがて軍議が終了すると、この二つの家宝に誓いを立て決定を違えないと宣言するのだ。

 因みに「御旗」と「盾無」だが、今は岩櫃城にある。 織田家と武田家で行われた最後の決戦の前に先に上野国へと赴いた真田勢と共に運んだからであった。

 それ故に広間には、「御旗」と「盾無」の家宝はない。 その景色にいささかの寂しさを覚えないでもない三人だったが、既に躑躅ヶ崎館は武田家の物ではないのだから仕方がないと気持ちを切り替えた。

 織田信忠を前に腰を下ろした三名は、先ず平伏する。 それから、武田信勝が降伏の口上を言い募る。 目を瞑り黙って聞いていた織田信忠だったが、彼は口上が終わってもまるで己の中で吟味する様に口をつぐんでいる。 そんな態度に武田信勝からいささか焦れた様な雰囲気が醸し出された頃、織田信忠はゆっくりと目を開いた。

 

「……良かろう。 武田家の臣従を認める」

『ははっ』


 織田信忠の発した一言により、足掛け六年近くに渡った織田家と武田家両家の戦がついに終わりを迎えたと言えた。

 また領地に関してだが、そちらは今武田家に残る岩櫃城周辺の地域がそのまま認められる事となる。 しかしその中で一つ、早急に決めておきたい事が織田信忠にあった。

 それは言うまでもなく、松姫に関する事である。 元々、織田信忠と松姫は婚約者の関係にあった事は前述した通りである。 しかし織田家と武田家が対立した事で、この婚約と言う約束事は事実上瓦解してしまった。

 織田家と武田家の両家で正式な通達があった訳ではないが、対立してしまった状態で婚儀があるなど先ずないのだから当然であろう。 しかし織田信忠と松姫は、両家がその様な状態であったにも拘らず文通などを行い婚約者同士と言う関係を保っていたのだ。

 無論、公式な物ではないが事実上公然の秘密としてこの二人の関係は続けられていたのである。 だが先程織田信忠によって了承された武田家の降伏により、ある意味で歪んでたと言える両者の関係が是正されたと言っていい。 武田家が織田家に降伏した事で、織田信忠が松姫を正室に迎える事に何らはばかりが無くなったからだ。

 実際、もし武田家が降伏を言い出さなかったら義頼は、忍び衆を派遣して救出するつもりであったのである。 事前に織田信忠へも打診しており、このまま戦を続ければ最悪松姫の死亡すら考えられる状況であった事を考えれば十分に行う価値はあったからだ。

 しかしそれには、如何に数を減らし力を落としているとは言え三ツ者の守りを突破しなければならない。 もし以前の様に武田家に力があれば、義頼の忍び衆とて流石に難しかった。 

 それに何より当主の正室の強奪など、外聞が悪くなるのでできうる事ならばしたくはない。 もし行うとすれば、武田家が滅ぶ寸前の状態まで待ってからの方が何かと都合が良い。 とは言え、その様な状況では絶対に命を救えるかわ分からないのでその様な状態には義頼としてもなって欲しくはなかったのだ。

 なお、同様の事が他の面子に可能なのかと言えば、かなり難しいと言わざるを得ないと言うかほぼ無理である。 この場に居る織田家の重臣である柴田勝家にしろ池田恒興にしろ、一応忍びは抱えている。 だが、義頼の場合は彼らとはそもそもの規模が違う。 日の本でも有数の忍び衆である伊賀と甲賀を丸抱えしているのだから、それも当然と言えた。

 だが、他にも可能な者が居ない訳ではない。 かなり難易度は上がるが、滝川一益たきがわかずますにも可能ではあろう。 彼は元が甲賀の一員であった事から、忍びに対する認識も義頼に近い……と言うかほぼ同じである。 故に彼も、忍び衆には力を入れているからだ。

 しかし、その滝川一益にしても義頼の抱えている忍び衆とは数が違う。 その意味でも義頼が行う方が、適切と言えば適切であった。 

 

「ふむ。 そうか……その場合は頼むとする。 そうならないのが、一番いいのだがな」

「そこには、同意致します」


 この時代、忍びに対する認識だがあまり良い物ではない。 先程も述べたが、義頼は情報を重要視する関係もあって、この時代の武士にしては珍しく忍びに対する待遇はよくしている。 やはり織田家中の付き合いと言ったものがあるので、義頼本人の意思は兎も角として忍び衆の待遇を武士と同等とまではしていない。 ただ臨時報酬と言う形で別に金銭などの褒美は与えているので、実質の扱いは武士と何ら変わりはなかった。

 それが分かっているがゆえに、仕えている忍び衆からの六角家のと言うか義頼への忠誠はかなりの物である。 六角家に仕えていた甲賀と違って、どちらかと言えば元は傭兵集団とも言えそうな伊賀衆からも忠誠を誓われている。 如何いかに伊賀衆が織田家に……否六角家に組み込まれた際にそうせざるを得なかったとは言え、それまでの伊賀衆を考えればそれは異常であると言えていた。

 さて話を戻し、松姫に関してである。 だがこの案件は、すんなりと決まった。

 と言うのも、武田信勝としてもできるならば妹の思いを叶えてやりたいと考えてはいたからである。 しかし今までの両家の関係で、流石に家中でもその様な雰囲気とはならない。 だが此度の戦の果てに、武田家に取っては不幸だか松姫に取っては幸運な事にその雰囲気が醸し出されたのだ。

 一敗地に塗れた勢力の娘が、家の存続の為に勝利を得た家に嫁ぐなど左程さほど珍しい話でもない。 何より、武田信勝の実母である諏訪御料人も似た様な状況であろう。 と言うのも諏訪家は、武田信玄たけだしんげんにより一度滅ぼされていると言っていい家であったからだ。

 だが、その武田信玄の側室になる事で諏訪家の再興に成功している。 事実、武田信勝が武田家の後継者と目される前は、彼こそが諏訪家の当主であったのだ。

 その諏訪家の家督だが、諏訪家が滅ぼされた際に当主であった諏訪頼重すわよりしげのいとこに当たる諏訪頼豊すわよりとよが継いでいる。 武田信勝が武田家の家督を継承した際に、諏訪家や諏訪家家臣団の不満を抑える為に彼に諏訪家の家督を譲り渡した為であった。

 その様な武田家内の事情は一先ず脇に置き、織田信忠と松姫の婚儀だが先ずは婚約者の関係を復活させる事で折り合いがつく。 実質の華燭の典は、此度の東国における戦の最後の相手となる越後上杉家の処遇が決まり次第、改めて両家で協議する事で合意したのだった。



 武田家の正式な降伏と松姫の処遇と言う、大きな意味で決着がついたと言える。 こうなれば武田家は敵ではなく、むしろ準一門衆となるので織田家に取ってもこの結果は吉事きちじであった。

 後は越後上杉家の対応となる訳だが、北條家の中立と武田家の降伏と言う決着を付けた事が織田家に余裕を生み、それが義頼への別の命と言う形で現れる事となる。 それは何かと言うと、義頼の東国からの撤退であった。

 と言っても、別にとががあったとかではなく、東国の情勢が峠を越えた事による戦線の転換である。 つまりそもそもが危急の事態に対する臨時の措置であった義頼の東国派兵を本来の役目である毛利家の対応と言う役職に戻す為であった。

 だがしかし、直ぐにと言う訳ではない。 代わりの軍勢が到着次第と言う形となる。 その代わりとなる軍勢が何処どこからくるのかと言うと、それは近江国からであった。 武田家が降伏し戦線が縮小された事で余裕の出た織田信長おだのぶながが近江国に留めていた兵の一部を、甲斐府中へと向かわせているのである。 その者達が到着次第、義頼は西へと戻るのである。 それまでは織田信忠を補佐して、この地に留まる事となった。

 その織田信忠だが、実のところ彼も義頼と同じ臨時の東国派兵なのだが、彼はまだ兵を退かない。 まだ暫くは、このまま甲斐国に留まる事となっていた。 その理由だが、越後上杉家にある。 越中国を越えて加賀国へと侵攻している上杉謙信うえすぎけんしんを止める為に、情勢が落ち着き次第軍勢を北上させるからだ。

 幸いにも北陸へ派遣された丹羽長秀にわながひで滝川一益たきがわかずます、越前国を任されている浅井長政あざいながまさや加賀国を任された畠山家が以前の戦を参考に粘り強く踏ん張っているので、加賀国もそして越前国もだか陥落していない。 そこで彼らに対する援軍として、越後上杉家の本拠地である春日山城を攻める為の派兵と言う訳なのだ。

 何であれ、今後の対応に対して一応の形が見えると、義頼は織田信忠の前を辞する。 そのまま彼らは躑躅ヶ崎館を出ると、一条小山城へと向かった。 そこが、義頼に指示された軍勢の駐屯地だからである。 下手な大名にも匹敵する軍勢を抱える義頼に取り、その辺りに駐屯と言う訳には行かないのだ。

 程なくして一条小山城へと到着した義頼は、改めて兵を集めると彼らにねぎらいの言葉を掛ける。 その上で、明日の夜にはささやかながらも宴を開くと通達した。

 何ゆえに今更になって宴を開くと言う運びになっているのかと言うと、六角家の者達は戦が終わるとそのまま間髪を入れずに追撃へと移ったので織田家が主催する勝利の宴に参加していないからである。 その様な事もあって、時期は外れてしまうが勝利を祝う宴を行うのだ。

 しかもこの一件については、織田信忠から了承も得ているので何ら問題とはならない。 騒ぐゆえ全く問題にならないと言う訳ではないのかも知れないが、彼らは織田信忠のいる躑躅ヶ崎館で宴会をする訳ではない。 一条小山城で行うのだから、六角家の者以外には殆どいない以上は気にする必要はなかった。

 明けて翌日、旗下の将兵に予告した通り宴を執り行う。 時間のなさと言う理由もあり、それほど大規模の物にとはなっていない。 ただ、それを見込んで急ぎ執り行ったのだから当然であった。

 その席でも義頼は、相も変わらないうわばみっぷりを見せる。 その様子に、六角家の重臣達は苦笑を浮かべるしかなかった。

 しかして宴も終え義頼は、本多正信らを交えて西の情勢について色々と会議を行っていた。

 先の降伏をもって、武田家と北條家との戦に一応の決着がついた形である。 まだ越後上杉家は残っているが、そこに義頼が関わる事はないのだ。 それ故に一刻も早く西国へ戻り、再度毛利家と相対する事になる。 そこで戻る前に、情報の整合性を取っておきたかったのだ。

 因みに武田家の降伏とまだ正式ではないにしろ松姫の輿入れが決まった事に対する宴会も執り行われる事となるが、此方こちらでも義頼はうわばみぶりを如何なく発揮している。 決して酒に弱い訳ではない武田家の三人も、そのうわばみぶりに目を丸くして驚きを表したとされていたのであった。

正式に、武田家が降伏しました。

これにより義頼は、西国に戻る事となります。


ご一読いただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ