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第二百十四話~北條侵攻~

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第二百十四話~北條侵攻~



 上野国へ退く武田勢を追って進軍した義頼の軍勢だが、彼らはやがて上野国との国境くにさかい近くまで到達した。 追い付く事は叶わなかった訳だが、撤退する武田勢と自軍とではそもそも率いる兵数が違う。 兵数が多くなればなるほど遅くなる行軍速度を考えれば、至極当然と言えた。

 また同時に義頼は、北條の領地との境に兵を集めていると報告があった北條家をも警戒しなければならない。 その事を考えれば、ある意味では仕方がなかったのだ。

 何せ北條家の上野国方面を担っているのは、猛将と名高い藤田氏邦ふじたうじくにである。 彼の男は北條家より藤田家に婿養子として入った人物であり、そして北條家現当主である北條氏政ほうじょううじまさの弟に当たる人物である。 つまり、今は亡き父親の北條氏康ほうじょううじやすの命で藤田家に婿入りしたのだ。

 この北條宗家の人間の婿入りに当たって時の藤田家当主であった藤田康邦ふじたやすくには、北條家に気を使いそれまで嫡子であった藤田重連ふじたしげつらを廃嫡している。 そして代わりに、藤田氏邦を嫡子としていた。 その後は家督を譲ると、自身は廃嫡した藤田重連と共に用土城へと移り住んでいる。 以降、居城とした用土城に因み、用土氏と名乗りを変えて北條家に仕えていた。

 さて、家督を譲られた藤田氏邦はと言うと、居城をそれまでの天神山城から鉢形城へと移している。 その後は、鉢形城を拠点に上野国完全領有に邁進していた。 それでなくてもこの頃の上野国はと言うと、武田家と越後上杉家と北條家がしのぎを削る場である。 上野国西部は武田家が領有し、同国南部は北條家が、そして北部は越後上杉家が領有すると言うかなり混沌としていた状況だった。 

 その上、藤田氏邦は激しやすい気性らしくその意味でも激発は避けたい。 初めから相手にするつもりならばそこまで気にはしないが、此処ここにきて成り行きで武田家と北條家の単独での二正面作戦など御免である。 なるべく武田家一本に縛りたかった為、慎重にならざるを得なかったのだ。


「やはり追い付けなかったか……」

「仕方ありません。 形振なりふり構わず速度重視、と言う訳にはいきませんでしたので」

「ま、そうだな。 一先ず軍を止めて辺りを警戒する」

「御意」


 そう言うと一旦軍勢を休ませたが、警戒は怠らずに報告を持った。

 やがて斥候が戻ってくるが、その者から意外な言葉が聞ける。 何と国境近くに左程数は多くないが、兵が居るのだと言うのだ。

 更に意外な事に、その集団には武田信勝たけだのぶかつの姿があると言う。 まるで狐に摘ままれたかのような報告に、義頼は思わず本多正信ほんだまさのぶ三雲賢持みくもかたもち、更には副将の馬淵建綱まぶちたてつならと顔を見合わせてしまった。


「一体全体、どういう事だ? 武田信勝が居るのもさる事ながら、何ゆえにこんな国境にそれも多くない数で駐留しているのだ?」

『…………』


 しかし、問われた本多正信らも答えるすべがない。 彼らにしてもこんな事態、想定外の何物でもない。 幾ら本多正信や三雲賢持らが優秀であったとしても、こんな事態を想定しろと言う方がそもそも無理な話であった。 

 そんな彼らの動揺は兎も角、武田信勝が何ゆえにこんな場所に居るのか、その理由は織田家には無論のこと武田家にもない。 では原因は何かと言うと、北條家にあった。 義頼が警戒していた藤田氏邦が、動いたからである。 しかし彼らが矛先を向けたのは織田家ではなく、何と武田家であった。



 さて、話は武田家が織田家に敗れた直後にまで遡る。 その頃より前から、藤田氏邦は兵を集めていたと言うのは前述した通りである。 その集めていた兵は織田家に対するの物だと義頼ら織田家側は判断していた訳だが、藤田氏邦は別の思惑で兵を集めていたのだ。

 その思惑とは、上野国の勢力拡大である。 彼は武田家が敗れ、また越後上杉家が目を西に向けているこの隙を突いて上野国を北條家の版図とするべく行動を開始したのだ。

 彼は今の現状が、やや特殊となっている事を利用した。 此度こたびの織田家包囲網と言える戦が始まる際、北條家と甲斐武田家と越後上杉家は足利義昭あしかがよしあきの仲介もあって対立から同盟関係となる。 こうしてお互いのうれいを取り除いた上で、この三家は足並みを揃えて西へと兵を向けたのだ。

 しかしながら北條家は、この三家の中で最初に敗れてしまう。 しかもその際に、織田家と期間限定ながらも不戦の盟約を交わしている。 それにより、北條家と甲斐武田家と越後上杉家の同盟が破棄されたと同義であると藤田氏邦はこじつけたのだ。

 しかも彼は、武田家が敗れたと言う事実をも利用する。 前述した武田家に嫁いだ妹の救援を表に出し、味方に対する軍勢を出す理由としたのだ。 幾ら旧来からの敵であった武田家攻めとは言え、やはり同盟を結んでいた相手である。 明確な破棄を北條家当主の北條氏政ほうじょううじまさが表明していない現状で攻めるなど、後ろめたい気持ちにもなる。 だが北條氏政と己の妹の救援を前面に押し出す事で、味方の後ろめたさを塗布とふしてしまったのだ。

 勿論、完全に覆い隠せるような物ではない。 しかし北條家当主や藤田家当主の実妹を助けると言う理由なれば、将兵の気の持ち様は大分違う物となるからだった。

 最も、藤田氏邦に妹を助けたいと言う理由が皆無とは言わない。 むしろ大分占めている、そう言っていいだろう。 つまり肉親の情と、北條家悲願たる関八州の領有と言う思いがまぜこぜとなった状態で藤田氏邦は上野国に出陣したと言う訳であった。

 こうして兵を上野国に入った藤田氏邦は、怒涛の進撃を見せる。 先ず彼は武田領内へと侵攻し、次々と拠点を制圧していく。 そしていよいよ、の軍勢は箕輪城にまで到達する。 そこで武田家に対し、藤田氏邦は降伏勧告を行う。 箕輪城が堅城なのは知っているのでいたずらに兵を失う事はしたくないと言う思いからでもあるが、それ以上に兄である北條氏政ほうじょううじまさより自重を求める使いが来ていた事も影響していた。

 だがしかし、軍使を派遣しても武田家は一向に受け入れようとしない。 幾ら声を掛け様と全く反応を見せない箕輪城を見て、流石に藤田氏邦も訝しがる。 そこで大物見も兼ねた斥候を放ち様子を伺わせたのだが、そこは異様であった。

 少なくとも箕輪城には真田家の兵や、藤田氏邦の妹を筆頭とした女性らが居る筈である。 それであるにも拘らず異常なまでに静かであり、本当に人がいるのかと思ってしまう。 そこで大物見を任された諏訪部定勝すわべさだかつは、慎重に城へと近づく。 やがて妨害など全く受けないままに大手門前へと到着し、あり得ないだろうと思いつつ城門に手を掛けさせる。 すると間もなく、大手門はゆっくりと開いて行った。

 完全に予想外の出来事に、彼らは唖然としてしまう。 やがてそんな彼らの目に飛び込んできたのは、誰一人存在しない箕輪城内の様子であった。

 大手門が苦もなく開いた事以上に、誰もおらず旗印やのぼりだけが風にたなびく状況はある種不気味ですらある。 斥候を率いていた諏訪部定勝は、思わず体が身震いしてしまう。 しかし直ぐに意識を切り替えると、一先ず本隊へと戻り報告した。

 これには藤田氏邦も、驚きを表す。 だが、何時いつまでも驚ている訳にも行かない。 今度は諏訪部定勝に確りとした数の兵を付け、箕輪城へと向かわせる。 命を受けた諏訪部定勝は、慎重に行動しつつ誰もいない箕輪城を接収したのであった。

 では、本来であれば居る筈の武田家の兵や、武田信勝の正室となる北條夫人を筆頭とした武田の女衆がどこに行ったのかと言うと、真田家の居城である岩櫃城へと移動していた。

 武田家の女性達を護衛しつつ箕輪城へと入った真田昌輝さなだまさてる率いる真田勢であるが、彼は弟の武藤昌幸むとうまさゆきからの進言に従い、横谷幸重よこやゆきしげら忍び衆を派遣して情報収集をさせている。 やがて箕輪城に入った頃、容易ならざる情報が齎される。 それが、国境近くに兵を集めていると言う藤田氏邦の情報であった。 この情報を入手した武藤昌幸は、直ぐに真田昌輝へと報告を上げる。 その際に意見を求められた武藤昌幸は、自身の考えを兄へと告げる。 その内容は藤田氏邦の侵攻と言う容易ざらなるものであり、下手をすれば自身らも滅ぼされかねない物だった。

 この事態にあって、真田昌輝は北條夫人に報告する。 当主たる武田信勝がこの場に居ない以上、正室の彼女が頭となるからだ。 とは言えまだ十五にも満たない彼女であり、しかも戦の経験など皆無である。 そんな彼女に判断など出来る筈もなく、北條夫人は真田昌輝に全権を委任した。

 この全権委任は兎も角、彼女がこれに類する判断はするだろうと言うのは事前に予測されている。 だが筋目として、先ずは北條夫人に話さない訳にはいかなかったのだ。 

 何はともあれ、真田昌輝は弟二人を集めて話し合いを始める。 その場で即座に武藤昌幸は、箕輪城より撤退して真田家の居城である岩櫃城まで移動する事を提案する。 箕輪城も堅城であるが、岩櫃城はそれに輪を掛けた堅い山城である。 此処ここならば、例え藤田氏邦率いる北條勢が相手でもそう簡単には落とされないと言う確信が武藤昌幸にはあったのだ。


「岩櫃城か……」

「はい、兄上。 あそこであれば、我らの庭の様な物でもあります。 必ずや氏邦めを翻弄出来ましょう」

「そうだな。 我ら真田家の居城、そう簡単には落ちはせぬか……分かった。 奥方様に進言する」


 幾ら全権を委任されたとは言え、主家の正室に黙って移動など出来はしない。 真田昌輝は弟を伴って、北條夫人に意見を進言した。 話を聞いた彼女は「そなたたちに任せます」として、従う旨を伝える。 するとその時、武藤昌幸は北條夫人にある問い掛けをした。

 それは、今後の彼女の動向である。 と言うのも、藤田氏邦が侵攻した理由の中に彼女の存在がある事を武藤昌幸は見抜いていた。 だからもし藤田氏邦が彼女の身柄を求めた際に、どの様な判断をするのかを確認したかったからだ。


「武田家に嫁いだ以上、私は武田家の女です。 もし信勝様がそう命じられたのならば北條家に戻りますが、そうでなければ例え兄が何と言おうとも北條へ戻るつもりはありません」

「……分かりました、奥方様。 無礼な事を申してしまい、申し訳ありません」

「良いのです。 それよりも岩櫃城へ移動すると言うのならば、直ぐにでも用意をせねばなりませんね」

「はい。 宜しくお願いします」


 こうして彼らは、急ぎ箕輪城より出でて岩櫃城へと移動したのだった。

 しかしその途中で、武藤昌幸は真田忍びの一部を連れて彼らより離脱する。 無論、兄の許可を得た行動である。 そして彼が向かったのは、武田信勝が撤退して来る街道である。 一刻も早く合流して事情を話すと共に、今後について話し合う必要があったからだ。

 真田忍びの者達に守られながらも歩みを進めた武藤昌幸は、やがて武田信勝の部隊と合流を果たす。 だが、彼の存在は驚きを持って迎えられた。

 それもそうだろう。

 箕輪城へと向かわせた真田衆の一人である武藤昌幸が、わざわざ迎えに来ているのだから驚くなと言う方が無理であった。 何より、彼が居る事が武田信勝らによからぬことでも起きたのかと言う気持ちにさせてしまう。 だがそれは正しいのだから、始末に負えない話であった。

 武藤昌幸より上野国で起きた事態について話を聞いた武田信勝や山県昌景やまがたまさかげら武田家重臣達は、大きくため息を漏らしてしまう。 織田家に敗れた事に続き、北條家の侵攻を聞いたのだから無理もない事だった。

 だがそれはそれとして、武藤昌幸は武田信勝へ判断を求める。 それは、武田家の今後についてであった。


「して御屋形様。 どちらを希望成されますか?」

「どちらとは、如何いかなる意味だ?」

「無論、家を残すかそれとも名を残すかにございます」


 武藤昌幸の言葉に、武田信勝も一瞬たじろいだ。

 しかし、今は一刻も争う事態である。 恥も外聞も、構っている時ではないのだ。 その事は武田信勝も分かっているのだが、それでももう少しくらいは歯に衣を着せても良いのではとも思ってしまう。 それぐらい、武藤昌幸の言葉は直球だったのだ。

 とは言え、そんな事は一先ず横に置いておく。 ともあれ、先ずは自身の考えを固めておく必要があるからだ。 その参考にとでも思ったのか、武田信勝は武藤昌幸の考えを聞く。 すると彼からの返答は、先程の通りだと言う。 そこで武田信勝は、質問を変えて名を残す為の行動と家を残す為の行動について尋ねる。 すると彼から、それぞれに返答があった。

 先ず名を残す場合だが、これはこのまま抵抗を続ける事で残せると言う。 それは、武田信勝にも分かる。 名門甲斐源氏の宗家として、戦を続ければ間違いなく名は残るだろう事は想像に難くないからである。  しかしこの返答には続きがあり、残る名が悪名か良名かは分からないがとの注釈付きであった。

 して一方で家を残す場合だが、これはいずれかの勢力に対して降伏する事である。 相手がどの大名であれ、降伏すれば大名家としては滅ぶ。 しかし、家名は存続できる。 そこで上手く功名を上げれば、更なる飛躍も可能かもしれない。 それこそ、織田家に降伏した義頼の様にである。 

 今更言うまでもなく義頼は三ヵ国の国主であり、そのうちの伊賀国と丹波国に関しては完全に領地としている。 一時には、佐々木氏本貫地だけしか領有できなくなったにも拘わらずにである。 幾ら織田信長おだのぶながの同腹妹に当たるお犬の方と祝言を上げたからと言って、今の義頼は正に権貴栄達けんきえいだつを得たと言ってよかった。

 そんな話を聞いた武田信勝は、今一度問い掛ける。 その問い掛けとは、武藤昌幸ならばどの道を選ぶと言う物である。 すると彼は、間髪入れずに降伏の道を選ぶと答えてくる。 すると武田信勝は、どの家を降伏する相手としてを選ぶかと重ねて問い掛けていた。


「それはやはり、織田家となりましょう」

「……やはりそうなるか……」

「はっ。 更に付け加えますれば、待遇に関しましても手立てがありますゆえ

「手立てなどと言うな。 俺は松を道具に、などと考えてもいない」

「これはご容赦を。 ですが武田家、ひいては家臣領民の為でもありますれば」

「……そんな事は分かっておるわ……」

  

 武田家と織田家が直接干戈を交えて以来、織田信忠と武田信玄たけだしんげんの六女となる松姫の婚儀は立ち消えとなっていた。 しかしこの二人は、手切れとなった筈以降も文のやり取りなどを続けていたのである。 そして今現在もなお、織田信忠は松姫を正室に迎えるつもりであった。

 ひるがって、松姫も同じ気持ちである。 流石にはばかってか、武田信勝や武田家中に対して彼女が声高には言う事はない。 しかし武田信勝と松姫は兄妹であり、例え言わなかったとしても何となく分かってしまうのだ。

 しかも文のやり取りに関して言えば、最早公然の秘密と言っていい。 その様な二人であったが故、武田信勝もできるならばかなえてやりたいとの思いはあった。 しかし今までは、流石に今までの家中でその様な雰囲気ではない。 だが此度の戦の果てに、武田家にとっては不幸だか松姫にとっては幸運な事にその雰囲気が醸し出されたと言えた。

 一敗地に塗れた勢力の娘が、家の存続の為に勝利を得た家に嫁ぐなど左程さほど珍しい話でもない。 何より、武田信勝の実母である諏訪御料人も似た様な状況であろう。 と言うのも諏訪家は、武田信玄たけだしんげんにより一度滅ぼされていると言っていい家であった。

 だが、その武田信玄の側室になる事で諏訪家の再興に成功している。 事実、武田信勝が武田家の後継者と目される前は、彼こそが諏訪家の当主であったのだ。

 因みに諏訪家の家督だが、諏訪家が一旦武田家に滅ぼされた際に諏訪家当主であった諏訪頼重すわよりしげのいとこに当たる諏訪頼豊すわよりとよが継いでいる。 武田信勝が武田家の家督を継承した際に、諏訪家や諏訪家家臣団の不満を抑える為に彼に諏訪家の家督を譲り渡したからだった。

 その様な事情は一先ずおいておくとして、今は武田家の行く末である。 上野国西部を領有するだけに過ぎない今の武田家であるし、今は同盟を結んでいると言っても越後上杉家は当てにできるのかと言えばそんな事はない。 何より、そこまで全面的に信じられるのかと言われれば断言できない。 まして今まさに北條家からも攻められている状況にあり、このままでは武田家その物が滅ぼされかねないのだ。

 そんな両家に対して降伏したところで、いいところ使い潰されるのが落ちである。 例え潰されなかったとしても、今後の栄達は望めないだろう。 しかしながら、織田家であれば必ずそうとは言い切れないのだ。

 一つは、義頼と言う前例があるからである。 例え一度だけだったとは言え対立し、その上織田信長のいのちに手を掛ける寸前まで迫った相手を三か国の国主としている。 ならば自分達でもと、思うのも分かると言う物であった。

 しかも織田家の現当主が、自身の正室にと武田信勝の妹を望んでいる。 その事を鑑みれば、武田家は義頼よりましになるかも知れないのだ。 それにこの話は、元々あった話である。 その意味でも、家臣から反対は出ずらい案件でもあるのだ。

 対立した両家とは言え、この様な好条件を利用しないと言う手はない。 そしてこれこそが死して名を残すかそれとも家を残すか、彼の中で何方どちらに針が振れるかの重要な要素となった。 これで腹の決まった武田信勝は、己の考えをこの場に居る重臣らに告げる。 その判断を聞いた武田家重臣達は、人による温度差があるとは言えおおむね了承であった。

 と言うか、はっきり言って形振なりふり構っていられないと言うのが正直なところである。 しかもこの一刻一刻が、武田家の行く末を左右しているのだから迷うなど言ってられなかったのだ。

 方針が決まれば、後は行動するだけである。 もう後のない武田信勝が選んだのは、己が相手の懐へ飛び込んでみると言う物だった。 完全に捨て身と言っていいその宣言に、長坂光堅ながさかみつかたが反対する。 そこまで織田家を信用できるのかと言う気持ちが、彼にはあったからだ。


「いえ。 相手が六角義頼ろっかくよしよりならば、問題ないでしょう」

「うむ。 それには、拙者も同意する」


 しかし長坂光堅の懸念に対し武藤昌幸がそう答えると、山県昌景も同意した。

 武藤昌幸は武田家が織田家と対立した上で調べたから人格は信用できると判断していた。 そして山県昌景は、幾度となく刃を直接交えた相手である。 その刃筋などから、人となりは信用に値すると彼は判断していたのだ。

 嘗ては「信玄の眼」とまであだ名された武藤昌幸と、馬場信春ばばのぶはる亡き後に武田信玄存命中は一門衆を除いた武田家臣筆頭と言う立場に居た山県昌景の言葉である。 そんな二人の言葉であれば、武田信勝の判断を後押しするには充分であった。

 何より、武田信勝の気持ちが固い。 幾ら長坂光堅と言えど、翻意を促す事は出来なかったのである。 正に不承不承を体現したかのような様子で、彼も了承する。 その後、武田信勝は武藤昌幸や山県昌景と護衛の兵と共に残り義頼を待つ事にしたのである。 そして護衛として残る兵以外の兵はと言うと、岩櫃城へと向かわせたのだった。

 そしてその頃、箕輪城を完全に抑えた藤田氏邦は斥候として付けられている風魔衆を周囲に放ち武田勢の行方を捜索している。 やがて彼の元に二つの情報が入ってくる。 一つは、言うまでもなく箕輪城から消えた真田衆の動向である。 岩櫃城方面に向けてそれらしい者達が移動したとあり、此方こちらに関してはある程度予想していただけに驚きはない。 しかし、もう一つに関しては無視できぬものである。 それは義頼の動向で、そう遠くないうちに国境まで現れると言う物だった。

 予想よりも早い織田勢の動きに、風魔衆より報告を受けた藤田氏邦は舌打ちをする。 織田家の者が近づく前に、決着をつけるつもりだったからである。 と言っても、来ているのであれば致し方ない。 岩櫃城への対応は一先ずおいて置き、織田家の軍勢に対応する為に、全てではないが兵と共に国境を目指すのであった。 


 此処ここで話を、国境まで進軍した義頼へと戻す。


 図らずも武田勢に取ってもそして北條勢に取っても鍵となってしまった義頼が先ず接触したのは、先述した様に武田家であった。

 確かに織田家と対立していたとは言え、武田信勝は武田家の当主である。 失礼があっては不味い事もあり、義頼は副将を務める馬淵建綱まぶちたてつなと知恵袋の本多正信ほんだまさのぶを派遣した。

 命じられた二人は、忍び衆と幾許かの兵を引き連れて武田信勝と接触を図る。 一方で武田信勝も、忍び衆の報告を受ける。 そこで、武藤昌幸を派遣する事にした。

 主君より命じられた彼としても、元からそのつもりであったので否はない。 急ぎ用意を始めたが、その用意が整わないうちに馬淵建綱と本多正信との接触が伝えられる。 その為、急遽会談が持たれる運びとなった。

 とは言っても、先ずは会いたい旨を伝えるだけである。 当然ながら理由を尋ねられた二人は、直に今上野国で起きている出来事を伝えた。 何せ今の武田家では、対応しきれないのである。 織田家の助けがなければ、どうにもならないからだ。

 事情を伝えられしかも救援要請まで受けた二人だったが、北條家が関わっているとなれば義頼の判断を仰がない訳には行かない。 急ぎ戻って義頼へ伝える旨を武田信勝と武藤昌幸へと告げると即座に取って返した。

 その義頼の元にも、藤田氏邦が上野国で動いているとの報告が届けられる。 確率が低いと本多正信と三雲賢持が判断した出来事が現実に起きている事に、義頼もまさかと言う表情を浮かべる。 思わず再度確認したが、それで答えが変わる訳でもなかった。

 それから暫くすると、馬淵建綱と本多正信が帰ってくる。 しかも慌てた様子が垣間見える事に、義頼は眉を寄せた。 


「殿。 まさかの事態が起きてしまいました。 この正信、不徳の至りにございます。 北條家が、動きました」

「やはりそれか。 俺も先程聞いた、厄介だな。 それで建綱に正信、その動きと武田信勝が居る事に関連はあるのか?」

「はい。 武田信勝より、正式な要請がありました。 織田家に降伏する引き換えに、武田家を救って欲しいと。 また、会談の要請も同時に受けております」

「ほう。 あの武田家が、形振り構わずにか。 相当に追い詰められたと見えるな……いいだろう、急ぎ会うとしよう。 北條の動きも気になる故な」

『御意』


 形としては武田信勝と武藤昌幸と山県昌景、それから三人の護衛を務める兵が義頼の本陣へ赴く形で会談が整えられる。 武田家の兵は留め置かれ、武田信勝ら三人は義頼の元へと連れていかれた。

 それから間もなく、本陣で両陣営の対面が行われる。 その冒頭で武田信勝は武田家が今迎えている窮地を訴えると、救援の要請を行う。 そして彼の口から、要請が通れば武田家は織田家に降伏すると正式に伝えられた。

 そんな武田信勝の様子を義頼は、じっと観察するかの様に見続ける。 もし嘘の一つでもあれば見逃さないとばかりに見続けた訳だが、義頼の眼には必死さや焦りの様な物は見受けられても騙すような様子は感じられなかった。

 やがて口上の終えた武田信勝は無論の事、武藤昌幸や山県昌景もまじまじと義頼を見る。 しかし彼は答えるでもなく、三人を見続けている。 やがてそんな義頼に焦れたのか武藤昌幸が口を開こうとしたまさにその時、義頼の口が開かれたのだった。


「良ろしい。 殿へのお目通りを叶えましょう」

『おおっ!』

「つきまして、お三方とこの場に居る武田の兵は我らと同行して頂く」

「いや、しかしそれでは」

「無論、北條への対応は織田家が致します。 よって、ご案じめされるな」


 義頼がそう言うと、三人はいささか安堵したかの様な表情を浮かべた。

 どの道、今の武田家で対応は無理な話である。 それができるのであれば、わざわざ危険を犯してまで武田信勝がこの場に居る筈はないのだ。 確かに完全に信じられるのかと言われれば、間髪入れずに頷くなど出来はしない。 しかし他に手がないのも事実であり、今はこの義頼に下駄を預けるより他なかった。

 とは言え、岩櫃城へと知らせない訳には行かない。 何より甲斐武田家当主たる自分が居ないのだから、後を任せる人物を任命しておかねばならない。 そこで武田信勝は、義頼との会合の結果も含めて書状を出す事にする。 その相手は自身の後見人でもあり、一族衆筆頭でもある逍遙軒しょうようけんこと武田信廉たけだのぶかどであった。

 そして義頼も、武田家の三人や武田家の兵に対応する者として副将の馬淵建綱を宛てている。 彼は六角家家臣としては次席であり、彼ら武田家の者を任せるには適していたからだ。 命を受けた馬淵建綱は粛々と了承し、武田信勝らの身柄は一旦彼へと預けられる。 これで漸く躑躅ヶ崎館へ戻れるとして軍勢を退こうとした義頼であったが、そこに急報として北條勢の動きが飛び込んできたのである。 

 これにより退く事は叶わなくなり、義頼は引き続いて上野国へと侵攻した藤田氏邦率いる北條勢へと対応を否応もなく始めざるを得なくなってしまったのであった。

藤田氏邦(北條氏邦)が、隙を突いて上野国へ侵攻しました。

それに伴い、武田家も急転直下です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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