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第二百十二話~戦の趨勢~

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第二百十二話~戦の趨勢~



 秋山虎繁あきやまとらしげの軍勢に対して攻勢を掛けている柴田勝家しばたかついえであったが、同時に武田勢への攻勢を命じた甥の佐久間盛政さくまもりまさの動きにも気を掛けていた。

 それも、当然である。 柴田勝家にとって佐久間盛政の動きは、そのまま武田勢の挟撃を消す役割があるからだ。 万が一にも武田勢の攻勢によって佐久間盛政が敗れるなりして突破を許す事となってしまえば、柴田勢の挟撃と言う事態だけでなく下手をすれば織田勢の負けを導きかねないのである。 勿論、柴田勝家も甥の武は信頼している。 そうでなければ、まだ二十代前半の経験が必ずしも足りているとは言えない佐久間盛政に対して、織田勢の勝敗の行く末を左右さゆうする様な命などだしたりしないのだ。

 しかしながら前述した様に、下手をすれば味方の負けを誘引しかねないからこそ柴田勝家は佐久間盛政の働きにも注意を向けていたのである。 結果としてそれがさちもたらし、佐久間盛政の劣勢を短時間で知る事ができたのである。 そしてその理由も、同時に理解した。

 幾ら佐久間盛政を信じているからと言って、流石に相手が春日虎綱かすがとらつなとあっては手を打たない訳にはいかない。 そこで柴田勝家は、老臣の中村文荷斎なかむらぶんかさいを派遣する事にした。

 彼は、柴田家の知を代表する存在である。 言うなれば、義頼にとっての本多正信ほんだまさのぶ沼田祐光ぬまたすけみつ小寺孝高こでらよしたか三雲賢持みくもかたもちの立場に当たる人物なのだ。 そんな柴田家の知を代表する中村文荷斎を派遣して佐久間盛政の武と合わせる事で、春日虎綱を抑え込もうと言うのが柴田勝家の考えであった。

 そんな主の考えを読み切ったのか、中村文荷斎は粛々と命を受ける。 その後、多少の兵を引き連れて柴田勝家の軍勢より離れると佐久間盛政に合流した。

 この予想もしていなかった援軍もさることながら、中村文荷斎と言う柴田勢の知を代表する存在が来た事で佐久間盛政の軍勢の動きに変化が出る。 今までは翻弄されていると言っていい彼の軍勢が、的確に春日虎綱の動きに対応して見せたのだ。 いや、そればかりか反撃すら見せ始めたのである。 当然、佐久間盛政率いる軍勢の変化に春日虎綱が気付かない筈もない。 これは改めて褌を締めなおさねばと、気持ちを引き締めたのであった。

 その一方で義頼はと言うと、二人の将を相手取っていた。 その相手とは、山県昌景やまがたまさかげ小幡信貞おばたのぶさだである。 義頼は、武田の赤備えと上州の赤備えと言う二つの赤備えを向こうに回しながらも、抑え込んでいたのだ。

 山県昌景率いる赤備えには、波多野秀治はたのひではるに率いさせた丹波衆を当てている。 そして、小幡信貞率いる赤備えには塙直政ばんなおまさに率いさせた尾張衆を当てていた。

 嘗て塙直政は、対石山本願寺の大将を務めた程の人物である。 しかし味方が損害を被ってしまったかどで大将を解任され、以降は彼の後釜に任じられた佐久間信盛さくまのぶもりの与力として石山本願寺との戦を繰り広げていたのであった。

 確かに大敗をした人物だが、失敗らしい失敗と言えば実はそれぐらいしかない。 実際、織田家の中でも良将と言って差し支えがない人物だった。 今も味方の方が兵数が多いとは言え、武田の赤備えを相手に抑え込んでいるのだからその技量は推して知るべしであった。

 そして丹波衆と尾張衆の後方には、先の戦で若干ながらも損傷した近江衆と温存させていた大和衆を控えさせていたのである。 しかしながら今となっては温存させる理由もなく、織田信忠おだのぶただから出された総攻撃の命に伴い戦線へと投入されていた。

 それによって抑え込むだけでなく、少しづつであるが武田勢を押し始めてさえいたのである。 それはそのまま秋山虎繁の軍勢の負担となり、そのぶんだけ柴田勢の攻勢も強まっていたのであった。





 さてその頃、武田信勝たけだのぶかつは難しい顔を浮かべている。 そして彼の隣でも、曽根昌世そねまさただが同じ様な顔をしていた。

 彼らがそんな表情をしている理由の一つには、予想以上に敵から押されている現状がある。 だがそれ以上に、気になる事があるからだ。 それは、上野国へ繋がる街道を守らせている者達からの連絡に乱れをきたした事に由来していた。

 そもそも武田家の菩提寺である恵林寺に避難させていた北條夫人や嫡子の武王丸たけおうまる、更には松姫や菊姫などの武田信勝の妹らは、武田家と織田家の決戦となるこの戦が始まる前に避難させている。 この子女達は上野国へ向かわせたのだが、護衛としたのは真田家に由来した者達であった。

 現在真田家の当主である真田昌輝さなだまさてるは、岩櫃城を居城としている。 この城があるのが上野国であり、都合がよかったのだ。 他にも元は真田家の者である武藤昌幸むとうまさゆきや、今は亡き真田幸隆さなだゆきたかの四男で武田信勝の槍奉行を務めている加津野信昌かづののぶまさが命じられている。 彼は嘗て武田信玄たけだしんげんの命により養子縁組を行い、加津野氏の先代が亡くなると家督を継いだ人物であった。

 話を戻して街道だが、最悪の場合の撤退路となる為に引き続いて守りの者を当てている。 多数は割けないが、最低限の兵を置いておいたのだ。 その街道への連絡に乱れが生じたという事は、あまり宜しくない事態が考えられる。 それは言うまでもなく、後方を遮断されるかもしれないという事であった。

 実はこの通りとなると、少々厄介な事態となる。 それは味方が敗れた際、上野国への撤退が厄介な事になりかねないという事態におちいりかねないからである。 何せ上野国撤退後に入るつもりである箕輪城に向かうのならば、恵林寺方面を抜けた方がいいのだ。

 箕輪城は、今は亡き武田信玄たけだしんげんをして中々に落とせなかった城である。 無論そこには、当時の城主であった長野業正ながのなりまさや彼が病死後に家督を継いだ長野業盛ながのなりもり。 更には長野家家臣の力があったとは言え、この城が堅城である事に間違いがなかった。

 その箕輪城への道が使えなくなってしまうと言う事態は、何としても避けたい。 そこで曽根昌世は、武田信勝へ増援を進言する。 幸いにしてまだ戦が始まっていなかった事もあって、その意見は取り上げられて急遽増援として栗原信盛くりはらのぶもりが派遣される。 これにより後方の憂いを気にする事はなくなった訳だが、現状の劣勢には影響しなかった。

 既に躑躅ヶ崎館が攻められているが、そちらは河窪信実かわくぼのぶざね小原継忠おはらつぐただが必死の抵抗で持ち堪えている状況であり、いきなり矛先が本陣へ向けられる事はないと思われる。 だが、こちらも予断を許せる状態にはない事は間違いない。 何せ今でこそ各将が奮闘しているが、この均衡も何時崩れるのか分からない。 そんな危うい中、せめぎ合いを続けているのだ。


「しかし、流石は柴田と六角か……」

「そうですな、殿」

「幾ら精強を誇る武田兵とは言え、数の差は如何いかんともしがたいものでもあるしな。 しかも相手がやはり精強とあれば、それもやむなしか……まぁ、戦を行った甲斐がない訳ではないのだがな」

「確かに」


 実はこの決戦を前にして、武田信勝ら武田家の上層部はある事態を仕組んでいる。 それは、非主流派とも言える者達の粛清であった。 とは言え、己が手を下した訳ではない。 名誉に拘る彼らを諭し、最前線にと組み込んだだけであった。

 これは彼らが先の戦で武士の誇りや名誉を訴えた事を逆手に取ったものであるだけに、彼らも否とは言えない。 内心では不承不承ふしょうぶしょう、しかし表情では勇んでその命を受けていた。

 そして彼らは、武田上層部の思惑通り、織田勢によってすり減らされたのである。 無論全滅した訳ではないが、相応に数を減らしていたのだった。 

 こうして戦とは別の思惑を果たした訳だが、そちらはあくまで枝葉末節しようまっせつに過ぎない。 本命はやはり、勝ちを収める事にあった。 だが今のままでは兵数の差から、遠からずうちに負けとなる可能性が高い。 ならばその前に、兵を退く必要があった。

 それに栗原信盛が街道の防衛に派遣された事で、撤退の道は確保されている。 それにそろそろ次の報せがある頃であり、その情報に問題がなければ兵を退く判断をしても良い頃合いでもあった。

 すると案の定、栗原信盛からの伝令が現れる。 その知らせの内容だが、今は問題ないという事である。 何とも含みのある言い方だが、その理由も記されていた。 実は織田家の別動隊と思わしき一隊、襲い掛かっていたからである。 しかし彼らは無理には攻め込みはせず、ある程度刃を交えるとすると退いたのだ。 その後は襲撃もなく、また周辺にもいないとの事であった。

 因みにこの襲撃者らは義頼旗下の伊賀衆であり、戦が始まる前に伏兵などを警戒して派遣された忍び衆より分かれた者達である。 情報を集めた結果、どうにも恵林寺方面に武田の兵が派遣されている事を掴んだからである。 ただ、その場所から後方に回られる事を警戒した部隊ではないかとの予測を立てる。 その予測が間違いない事を確認する為の、派遣であったのだ。

 果たしてその通りだと思われたので、敢えて戦を仕掛けて様子を見たのである。 だが所詮は様子見であり、無理に攻める事をしなかったのだ。 その時の反応から、大体は間違いはないだろうと判断した本多正信がそのまま監視も兼ねてやや距離を置いた場所で駐留を命じていたのだった。  

 それはそれとして話を武田家に戻す。

 予測から織田勢と判断している正体不明の部隊の存在が気にならない訳ではないが、今の武田家にそこまで気にしている余裕がない。 何より栗原信盛が問題ないと報告してきているだから、一先ずは大丈夫だという事にした。

 

「さて……現状、どう見る昌世」

「恐らく、負け……かと。 此処で兵を投入しても、押され気味の前線が一時的に持ち堪えるだけです。 何より、余剰の兵力がありません」

「………………詰まるところここまで、という事か……」

「悔しいですが」

「あい分かった。 上野国へ退く手立てを開始するぞ。 先ずは、躑躅ヶ崎館を確保する。 それと前線にて戦っている者達へだが「拙者が参りましょう」……よいのか友晴」

「はい。 武田家の窮地に役立てぬなど、我慢なりませぬ故」


 友晴こと小宮山友晴こみやまともはるは譜代の家臣、小宮山家の者である。 しかし彼は、梅雪には一切近づかなかった。 それどころか、梅雪らを名指しで扱き下ろした人物である。 だが彼は、武田信勝の近臣や武田一門衆からも少々疎まれていた。

 それは、歯に衣着せぬ物言いをするからである。 それ故か、彼は蟄居を命じられていた。

 しかしながら、武田家に対する忠誠は本物である。 それを証明する様に小宮山友晴は、甲斐府中が織田勢より攻められると言う事態に当たって蟄居を破り躑躅ヶ崎館へ馳せ参じている。 後に戻ってきた武田信勝が彼の存在を認めたが、その事を指摘する事はなく将の一人として命を与えていたのだった。

 こうして大体だが撤退の大枠が決まった訳だが、その前にもう一つ行う必要な事がある。 それは、この本陣の扱いだった。 何せ武田信勝が撤退したと分かれば、織田勢から追撃を受けるのは必至となる。 そうならない為に、本陣を動かす訳にはいかない。 更に言えば、武田信勝の代わりとなる存在も置いておく必要があった。

 要は身代わりであるが、ただの身代わりではない。 それこそ文字通り、命を懸ける必要がある身代わりだった。


「その役目、わしが承ろう」

「信友叔父上……宜しいのか?」

「無論よ。 かわいい甥の為だ、せいぜい立派に勤めて見せよう」


 彼は武田信友たけだのぶともと言い、武田信玄の弟に当たる。 彼は武田家先々代当主の武田信虎たけだのぶとらが武田信玄によって甲斐国より追放された後に、その身柄を預かった今川家にて生まれている。 だが武田信虎が京に在する事が多くなると、彼にはついて行かず兄である武田信玄を頼り武田家に帰参した人物だった。

 その身の上から武田家による駿河進攻に一役買った人物であり、駿河国が武田家の物となると駿府城を任されている。 暫くすると駿河国は山県昌景に任される様になるのだが、それまでは彼が統治していたとされている。 その後、彼は甲斐国へ戻り一門衆の一人として武田信玄に、そして武田家を継いだ武田信勝に仕えていたのだった。

 その武田信友が、自ら身代わりを名乗り出たのである。 彼は一門衆であり、身代わりとしても問題がない選択であると言えた……言い出した彼自身の身に安全の保障がない事を除けばの話だが。

 しかしながら、そんな事は先刻承知である。 いみじくも武田信友が言った通り甥の為であり、そして主君の為である。 彼に取り、ここで名乗らない理由がなかった。

 そして武田信勝にすれば、ありがたい以外何物ではない。 唯々ただただ、黙って頭を下げるより他なかった。 とは言う物の、素直に撤退などさせてくれるとは到底思えない。 しかして策は、曽根昌世により提案されていた。 その手立てに従い、手を打っていく。 まず手始めに行ったのは、躑躅ヶ崎館を攻めている織田勢を蹴散らす事である。 そこで武田信友には身代わりとして本陣に居てもらい、武田信勝が自ら兵を率いて躑躅ヶ崎館へと兵を繰り出していた。

 その際に武田信勝も武田信友も面をして、顔が分からない様にする。 幾度となく武田家と織田家は干戈を交えており、武田家当主の顔などを知っている織田陣営の者は相当数いるので、その為の対策であった。

 何であれ本陣より兵を引き抜いて柴田勝直しばたかつなおを蹴散らすべく、居城の躑躅ヶ崎館へ向かう。 だが戦となる前に武田勢の動きを察知した柴田勝直は、挟撃される事を嫌って兵を退く決断をした。

 本音を言えば躑躅ヶ崎館を落としかったのだが、頑強な抵抗と新たに迫りくる敵勢の動きを考慮した結果、落とし切れないと判断したのである。 そしてその判断は間違いではなく、寸でのところで撤収が完了したお陰で挟撃される事態は免れたのだった。

 こうして躑躅ヶ崎館に入った武田信勝は、破られた大手門を応急修理して何とか使えるようにする。 そして、前線の者達を受け入れる手筈を整えるのであった。 

 そして戦線へと赴く小宮山友晴だが、彼は先ず三ツ者の一人となる壺谷又五郎つぼやまたごろうを春日虎綱の元へ先遣として派遣している。 その後は、小幡信貞と山県昌景の元へ向かう手筈となっていた。

 壺谷又五郎を送り出して暫く、小宮山友晴は春日虎綱の軍勢と合流するべく出陣する。 しかしいきなりの動きであり、当然ながら敵味方問わずに混乱が発生する。 織田の将にしてみれば武田勢の一部が移動すると言う訳が分からない事態であり、そして武田の将にしてみれば本陣を放って逃げているように感じられるからだ。

 それは本陣から近い春日虎綱が一番感じた事であったが、そこに命を受けた壷谷又五郎が来た事で事情を把握する。 決して納得できると言う物ではないが決め手に欠けていた事も事実であり、何より主たる武田信勝が策に従って兵を動かしている以上は否などはなかった。

 その後、現れた小宮山友晴の軍勢と轡を揃えた春日虎綱は、余力など考えず全力で織田勢へ吶喊とっかんを敢行する。 佐久間盛政と中村文荷斎で対応し、漸く五分五分としていた彼らでは援軍を受けたしかも後先を考えていない敵勢を支える事は難しい。 それでも何とか粘りながら、中村文荷斎がせめてもと柴田勝家に現状を報告する。 それから暫く、佐久間盛政と中村文荷斎の軍勢は突破されたのであった。

 その報を受けた柴田勝家は、舌打ちをする。 今の状況で前後を挟まれては、一気に瓦解しかねないからである。 その様な事態を避ける為に、彼は慌てて連絡を取る。 その相手は、義頼であった。

 本来ならば本隊を率いる織田信忠に増援を求めたいのだが、とてもではないがその様な時間はない。 詰まるところ、消去法による選択の結果、一番手近てじかにいる義頼への連絡だったのだ。

 その様な知らせを急遽受けた義頼だが、実は彼もそう余裕があると言う訳ではない。 何せ二つの赤備えを抑え込んでいるのだから、それも当然だった。 しかしながら、ここで柴田勢が瓦解するのは不味いと言うのも理解できる。 そこで義頼は北畠具教きたばたけとものりを大将に、本陣より兵を割く事で要請に応える事にした。

 今でこそ藍母衣衆筆頭の彼だが、元は北畠家の当主である。 軍勢を率いて戦働きをするなど、朝飯前と言ってよかった。 そして彼の補佐として、後藤高治ごとうたかはるを付ける。 もう少し付けたいのは山々だが、今の状況ではそれも難しいのだ。 命を受けた二人は、本陣の兵を連れて柴田勢への加勢に向かった。

 しかし、義頼からの援軍が到着する前に春日虎綱らが柴田勢へと突撃を掛けてしまう。 援軍の要請を出しつつも後方にも多少は兵を配置した柴田勝家だったが、局所的に兵数が逆転してしまった状況では持ち堪えるのは難しい。 不本意ながらも突破を許してしまったのだが、その後の敵の動きに思わず首を傾げた。

 それと言うのも武田勢は、脇目を振らずそのまま駆け抜けるとそのまま小幡信貞の軍勢と山県昌景の軍勢に合流したからである。 こうなってしまうと、兵の数からくる織田家の有利さが激減してしまう。 幾ら義頼だと言っても、春日虎綱などと共に兵が増えた赤備えを抑え込み続けるのは難しい。 次第に押し返されてしまう事となり、ついには包囲が崩れてしまう。 すると、それこそが好機とばかりに春日虎綱と合流を果たした小幡信貞と山県昌景は崩れた綻びより戦場からの離脱を敢行した。

 完全に一点突破を意図しての動きであり、流石に対応しきれるものではない。 相手が精強な武田勢であった事もあり、不覚にも脱出を許してしまった。

 しかも彼らは、撤退の最後尾に小宮山友晴を当てている。 始めは春日虎綱が当たる筈だったのだが、彼が名乗り出た事で変わったのである。 すると小宮山友晴は、巧みに兵を操りながら義頼からの援軍を得て体勢を立て直し追撃に入った柴田勝家の軍勢を翻弄していたのだ。


「誰だあれは」

「分かりません。 割り菱ですので、武田の一門でしょうか」

「ふむ。 何であれ、このまま見過ごしは出来んな……弓を」 

「はっ」


 義頼は渡された雷上動の弓を構える。 始め真っ直ぐ引き絞ったが、直ぐには放たずそのまま幾らか動かして行く。 そうして微調整をしたかと思うと、義頼は弦を手放す。 雷上動より放たれた矢は、そのまま撤退を支援しているある男へと吸い込まれて行くのであった。 



 劣勢だった兵を局所的に集中する事で敵対する兵数を味方の方が多くなる状況を作り出す事でどうにか前線からの脱出に成功した武田勢はと言うと、前述の通り小宮山友晴を最後尾に配置して撤退に移っていた。

 後は、先行した武田信勝の部隊を追うだけである。 そしてさいわいな事に、その目論見は成功しそうな雰囲気である。 先程までの苦戦もあってか、安心感が彼を包みこんでいく。 しかしながら、その事が最大の油断となってしまった。

 それは、軍勢の最後尾で起きた。

 言わば殿しんがりとして撤退していた小宮山友晴であったが、一瞬の安堵からか振り返りつつ見ていた後方より目を逸らしてしまったのである。 するとまるでその事が分かっていたかの様に、彼の体に決して無視できない衝撃が襲い掛った。

 その衝撃はかなりな物であり、彼は不覚にも馬から落ちてしまう。 何があったのか理解できないまま何とか立ち上がったが、そこで彼は自身の目を疑ってしまう。 その理由は、自身の胸から出ている鏃の存在であった。

 その直後、彼は口から血を吐き出す。 どうやら長くはないと判断した小宮山友晴は、手で血を拭うとかろうじて手放さずにいた槍を構えると迫りくる織田勢を睨みつけた。


「来い! 織田の雑兵ども!! 此処を抜きたくば、我がしかばねを越えていくがいい!」


 裂帛れっぱくの気迫が籠った宣言に、思わずと言った感じで敵味方問わず兵の足が止まった。 

 その途端、小宮山友晴が声を上げて退く様にと命じる。 その声に弾かれたかの様に、武田勢が動き始める。 その事を背に感じつつ、彼は槍を構えて織田勢を牽制し続けた。

 しかしながら、矢により胸を貫かれた状態ではそう長く持つ筈もない。 小宮山友晴は、己の意識が闇に沈んでいくのを感じつつも目を瞑る事なく織田勢を凝視し続けたのだった。

戦の流れ的に、勝敗が凡そつきました……多分。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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[良い点] 武将と武将の戦い自体は自分的には大好き。 [気になる点] 鉄炮や大砲ってこの時点でもっと強くないか?と、思った。 上杉謙信辺りから狙撃手の話が出てこなくなった。 戦力、兵の数が書かれないの…
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