第二百十一話~最後の決戦~
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第二百十一話~最後の決戦~
一条小山城へ、武田家からの軍使が到着した。
正使を務めるのは、春日虎綱である。 そして副使だが、武藤昌幸が任命されている。 彼らは織田信忠に面会すると、武田信勝直筆の書状を渡した。
するとその場で広げられ、内容が確認される。 そこに書かれていたのは、降伏の旨を記したものである。 同時に、降伏に当たっての条件もまた記されていた。
その内容は、織田家へ降伏し従属大名となる事と甲斐国と上野国西部の安堵である。 流石に義頼によって落とされてしまった駿河国は諦めており、また降伏の証として信濃国を譲渡するとしていたのだ。
しかしてその内容だが、織田家側からすればほぼ予想通りである。 形の上ではお互いが退いたので引き分けだと言えるのだが、実質は武田家の勝利であると言っていい。 そんな先の戦の結果をもって、甲斐国と上野国西部の安堵を条件としたのが見え透いていた。
その様な書状を最後まで目を通した信忠はと言うと、一先ずは家臣と図るとして武田家の軍使を戻させている。 後日、改めて軍使を送り返答するとしていた。 とは言え、既に対応は決めている織田家である。 武田家が言い出してきた内容も予想の範囲内であり、方針を変える必要はないとしていた。 それでも話し合いをしたと言う体を見せる為、返答には数日開けたのである。 そしていよいよ返答の軍使が派遣され、正使は義頼が副使に本多正信が任命された。
これは前述した通り、義頼がと言うか正信が提示した策が元となっているからである。 一番詳しいであろう、二人が対応する事となったのだ。
躑躅ヶ崎館の広間にて武田信勝と相対した義頼は、書状を差し出す。 その内容を読み進めるうちに、彼の顔が険しくなっていく。 それもその筈で、降伏の条件が武田家が提示した物よりあまりにも隔絶していたからだった。
「使者殿、これは本気か」
「無論にございます、大膳大夫(武田信勝)殿」
そこに記された条件だが、武田家の降伏は認めている。 しかし、本貫地のある甲斐国の領有は認めていない。 ただ認められているのは、上野国にある武田家の領地だけだったからである。 これでは表情が険しくなるのが、道理であった。
なお、甲斐国ではなく上野国にある武田家の領地を認めているのには理由がある。 それは甲斐国から武田家を移動させる事で、領民との繋がりを断ち切る為であった。
そんな、織田家の思惑はとりあえず置いておく。
条件を提示された武田信勝は理不尽に怒りを覚えたが、流石に怒りに任せて手紙を破る事などはしない。 代わりにと言う訳ではないが、信勝は押し殺した表情のままで書状を家臣へと回している。 書状を読んだ武田家臣達は、そこに記された内容が内容なだけに怒りを覚える者が多々であった。
そんな中で武藤昌幸と曽根昌世の両名は、険しい表情を浮かべている。 そして同時に二人は、何ゆえに義頼が交渉の使者となっているのか察していた。
「使者殿、これでは話にならぬ。 条件があまりにも、違いすぎるではないか」
「そうは思いませぬ。 至極まっとうだと思われますが」
「馬鹿な事を言うなっ! これが、甲斐源氏嫡流たる武田家に対する処遇など片腹痛いわっ!!」
武田信勝の言葉に対してさも意外そうな雰囲気を醸し出しながら返答した義頼に対して、長坂釣閑斎が声を荒げた。
彼は、武田信勝の祖父に当たる武田信虎の頃より武田家に仕えた老臣である。 その彼だが、何時の頃からかは分からないが信勝付きの家臣となっており、武田信玄亡き後には重臣の一人として重用されていた。
そんな重臣の言葉に、何人もの武田家臣が同調している。 一触即発と言っていい雰囲気になっており、本多正信は若干気圧された感もあるがそれでも飲まれている訳ではない。 そして正使を務めている義頼はと言うと堂々としており、狼狽える事なく泰然としていた。
「釣閑斎も皆も静かにしろ。 して使者殿、何処が至極まっとうか答えてもらおうか」
「分かりませぬか。 しからば大膳大夫殿……某が答えにございます」
義頼の答えに、武田信勝は眉を寄せる。 それは、他の武田家臣も同じであった。 その中で武藤昌幸と曽根昌世は、やはりと言う表情をしている。 その様な表情を二人がしてる事に、視線を巡らした武田信勝が気付いた。
だが、最初から視線を向けた訳ではない。 彼は義頼の答えの意味が分からず、思わず家臣はどうであろうと視線を巡らしてしまう。 その時、二人の表情が偶々目に入ったのだ。 その様子に何か思い当たることがあるのかと、武田信勝は二人に視線で問い掛ける。 すると暫く間を開けた後で、曽根昌世が確認する様に義頼に対し尋ねた。
それは嘗て義頼と織田信長が、ただ一度干戈を交えた【野洲川の戦い】に関してである。 その事に、流石は信玄の眼とまで称された御仁だと感心する。 その後、義頼が肯定すると曽根昌世と武藤昌幸は思わず天を仰いでいた。
そんな彼らの仕草を前にして、流石に武田信勝も他の武田家臣も雰囲気がより悪くなっていく。 すると、武藤昌幸がゆっくりと口を開いた。
「御館(武田信勝)様、それに方々。 その書状の根拠は御使者殿……左衛門督(六角義頼)殿が織田家に降伏した際の処遇が元となっているのです」
武藤昌幸の言葉に、武田信勝をはじめ武田家の面々は首を傾げている。 その様な中、義頼が口を開きその理由を答えていた。
「その通り。 そちらの方が申した通り、我が六角家が織田家に降伏した際に某が受けた処遇、それが本貫地の安堵だけでした。 それを考えれば、遥かに温情ある措置かと存じますが?」
「だからそれが、何だと言うのかっ!」
「まだ分かりませぬか。 甲斐源氏嫡流が武田家と言うのならば、我が六角家も近江源氏嫡流。 家格も位階も同格の家ならば、処遇も同じとするのが道理と言う物。 それであるにも拘らず、我が殿より格別の配慮を持って六角家が降伏した際よりも好待遇と言っていい条件である武田家の上野国に存在する領地の安堵を認めている。 してその何が不満か、某に分かる様に御聞かせ願いましょうか」
義頼が答えたその言葉に、武藤昌幸と曽根昌世以外の武田家の者が一様にあっと言う表情となった。
確かに、甲斐武田家も六角家も源氏の嫡流を担う家である。 しかも、義頼と武田信勝の現在の位階も全く同格の従四位下なのだ。 これが庶流であれば、そうは問題とならなかったであろう。 しかし、近江源氏嫡流六角家の処遇と言う前例があるが為に、同格の武田家にも適応されてしまうのだ。
だからと言って、そうですかと受け入れる気にはなれない。 それでなくても先の戦では、事実上の勝利を得て決着がついている。 如何に前例があろうとも、武田家が譲歩する理由とはならないと考え反論した。
「だがそれは、随分と傲慢ではないか? 何より先の戦で、両家の決着は付けたではないか」
「ほう。 これは異なことを申されます。 確か……釣閑斎様でしたか」
「そうだ。 そなたは何者か」
「これは失礼を。 拙者は六角左衛門督様が家臣、本多弥八郎正信と申します。 さて、貴殿は決着をつけたと申されましたが、織田家からしてみれば武田家と干戈を交えた数ある戦の一つにすぎませぬが」
此処に、織田家と武田家の明確な差が出ていた。
いみじくも本多正信が言った通り、織田家としては数ある戦の一つに過ぎない。 判定としては確かに負けたと取れるが、あくまで偶々そうであっただけなのだ。 少なくとも織田家は、雌雄を決したなどとは思っていない。 改めて、仕切り直しすればいいからだ。
一方、武田家にはもう後がない。 あと一戦ぐらいは可能だが、そこで完全に打ち止めとなる。 それ以降は、ただ時間潰すだけとなってしまうのは間違いなかった。
しかも、時が経てば経つ程に士気は下がって行く。 その理由も、兵糧にあった。 完全になくなれば、ある意味で諦めもつく。 だが、現在多少なりとも残っている。 それが厄介なのである。 人は完全にない状態より、徐々になくなって行く事態の方がより心が折れるのだ。 そうなっては、もう戦どころではない。 それこそ、無条件に降伏するしかなくなってしまうのは想像に難くなかった。
何せ織田家は、戦をする必要もない。 先に言った通り、そう遠くないうちに武田家の兵糧が尽きてしまうからだ。 しかもこの事実を、間違いなく織田家は認識していると見て間違いないと思われる。 そうなると、先の戦での勝利も意味をなさなくなってしまう。 待てば確実に勝利が転がり込んでくるのだから、織田家が無理をする必要など全くないのだ。
最早、先の戦で得た勝利など無かったかの様な雰囲気である。 これではどちらが勝者だったのか、分からなくなっていた。
武田家の者は口を閉ざし、何とか状況を打破しようと試みるも結局は何も思いつけない。 ただ口を開閉ているだけで、言葉にはならないのだから推して知るべしである。 そんな中、武田信勝が口を開いた。
「使者殿。 何であれ、我らからの提案と織田家の提案に差がありすぎる。 先ずは家中に諮る故、少しまたれい」
「ふむ……良いでしょう。 ですが、何時までもと言う訳には参りませんぞ」
「分かっておる。 近日中には返答する」
「そうですか……では何れ」
そう言うと、義頼ら軍使の一行は躑躅ヶ崎館の広間から出て行く。 武田家の小姓に案内され、館を辞去した。 そんな一行が退出するのを、武田の者達は黙って見送る。 それから暫く後、武田信勝は家臣と如何に内応するべきかを議論を始めた。
しかしながら、選択肢はそう多くはない。 義頼とのやり取りによって、選択の幅が狭められてしまったからである。 何せで織田家から喧嘩を売られたに等しく、甲斐源氏嫡流の武門の者として受けざるを得ない状況となっているのだ。 更には前述した様に、兵糧も乏しいと言う実情も相まって先に延ばす若しくは断ると言う選択もできないのが歯痒かった。
「御屋形様。 これではもはや、今度こそ決着をつけるしかありませんぞ」
「むぅ。 しかしな虎満……いや、それしかないか……皆はどう思う」
「先の戦での勝利も先のやり取りで、ある意味うやむやになってしまいました。 となりますると、備中守殿の言われた通り今一度戦を行わない訳にはいきますまい」
備中守こと小山田虎満の言葉に同意しながらも、武藤昌幸の表情は非常に厳しい。 そしてそれは、曽根昌世も同様であった。 彼らからしてみれば先の戦が最後の戦であり、そこで得た勝利から少しでも武田家に有利な条件を引き出すつもりだったからだ。
しかしながら、その思惑も義頼の処遇と言う前例によって覆されてしまっている。 これは、完全に想定外である。 何せ武藤昌幸も曽根昌世ですら、軍使として現れた義頼の存在で、初めて気付けたぐらいなのだ。
兎にも角にも、流れ的にはもう一戦は行なければならないだろう。 それは、先の戦で事実上の勝ちを収めている事が後押ししていると言って良かった。
「そなたらの考えは分かった。 今一度、けりを付けようぞ」
『応っ!』
こうして、武田家は家中の意見を再戦で取り纏める。 その一方で織田家では、戻った義頼より話を聞いていた。 明確な答えを得られなかった訳だが、その場の流れからほぼ予定通りに進めた事を報告されたのである。 これにより後がなくなったのは織田家も同様だが、先の戦における事実上の負けを覆す為でありそれこそが目的なので問題なかった。
そもそも、兵数では武田家を凌いでいる織田家である。 王道の戦を行えば、負ける要素など殆どない。 警戒するとすれば先の戦で受けた奇襲などの奇策だが、そちらも二度目の戦となれば殆ど効果はない。 武田家もその事は分かり切っているので、正面からくる事はまず間違いなかった。
それでも万が一がない訳ではないので、警戒はする。 その分だけ兵は裂かれるが、それを考慮しても兵数で負けはしない。 しかも先の戦で、少なくない損傷を武田家も受けている。 その点でも、負けるとは思えなかった。
「そうか。 一応は思惑通り、という事だな」
「まだそうだとは言い切れませんが、十中八九間違いはないでしょう。 故にこの戦は、絶対に勝ちを納めなければなりません」
「分かっている。 それに、ただ決戦を行う訳ではないのだからな。 して義頼、手引きは可能か?」
「はっ。 一条小山城へ戻る少し前に、またしても接触がありました。 あとは修理亮殿に、お任せします」
「うむ、任せておけ。 湯村山城より、勝直が動く故な」
さてここでの手引きとはだれを指すのか、それは犬山鉄斎である。 彼は元々織田一族であり、以前は織田信清と名乗っていた。 しかし尾張国統一の中で織田信長と対立し破れると、居城であった犬山城より逃れ武田家を頼っている。 首尾よく武田信玄に匿われた信清は、犬山鉄斎と名を変えて武田家臣となっていたのだ。
また彼は織田信長のいとこに当たり、彼の正室は信長の妹となる。 無論、対立した事で離縁はしているがそれはさておき、繋ぎを取る人物としては悪くない選択であった。
それに織田信長は兎も角、織田信忠には特に思うところはない。 何より、義頼が勝山城に現れた辺りから接触してきていたので、その意味でも調略する対象としては特に問題ないと言える人物であった。
とは言え先の戦の結果、どう動くか分からなかった。 しかし彼は、義頼と武田信勝の会談を受けてそのまま接触を図る事にしたのである。 そこで、急いで手の者を派遣して義頼を追い掛けたのだった。
「ならばよい。 では今度こそ、決めるぞ」
『はっ』
此処に両者の思惑が合致し、再びの戦が勃発する事になったのだった。
その翌日、武田家から軍使が現れ決戦の日にちが提示される。 織田家としても特段問題もないので、そのまま受け入れられた。
それから数日後、一条小山城を出た織田勢と躑躅ヶ崎館を出た武田勢が向き合う。 義頼が事前に放った忍び衆により、別動隊などは存在しない事が判明している。 その忍び衆のうちで甲賀衆は何があってもいい様にとそのまま警戒を続け、伊賀衆は本多正信の指示によりある場所へと向かって行った。
両軍勢が対峙してより半時、いよいよ動きを見せる。 程なく織田信忠と武田信勝の配が掲げられ、そして振り下ろされる。 間もなく、織田家側から大砲の一斉射が行われる。 先に損傷を与え出鼻を挫く為の一撃であったが、それで今更怯む様な武田勢でもない。 既に、何度も大砲と相対したのである。 皮肉にもその経験が、武田勢から怯むと言う事態を奪い去っていた。
勿論、損傷は出ている。 しかしそこで足が止まるという事はなく、突き進んでいく。 それは織田勢の先鋒を務める柴田勝家率いる軍勢も同様であり、やがて両軍勢はぶつかった。
武田勢は自信を持つ己が軍勢の突破力に賭けたが、相手も織田勢屈指の猛将である柴田勝家の軍勢である。 そう易々とは、突破できる筈もない。 しかし嘗ては最強とも言われた武田勢であり、勢いこそ落としつつも柴田勢の重圧をこじ開けていく。 遂には突破すると、後方を抑える様に秋山虎繁の軍勢が展開する。 同時に武田勢の先鋒を務める両赤備えが、再度突撃を敢行する。 その赤備えの前に立ち塞がったのは、義頼率いる六角勢であった。
彼が率いる軍勢は、兵数だけでも織田信忠率いる本隊と比べても遜色ない上、丹波四鬼などと言った精鋭も多い。 その軍勢とぶつかった赤備えだったが、ついには受け止められてしまう。 これは先の戦で、少なからず赤備えにも損傷が出ていた事も影響していた。
如何な精鋭赤備えと言えども、兵数の差は如何ともし難い。 しかも相手が精鋭となれば、尚更であった。 そこに、池田恒興と池田元助率いる一隊が横撃を仕掛ける。 先の戦での汚名返上とばかりに、池田親子は赤備えへ攻勢を掛ける。 突破力を殺されたところでの一撃であり、さしもの赤備えと言えど押し返すのはかなり難しかった。
その一方で武田勢の突破を許してしまった柴田勝家であったが、そこで終わる様な男でもない。 彼は己が軍勢を二つに分けると、一隊を自らが率いて秋山虎繁の元へと向かう。 そしてもう一隊は、佐久間盛政に預けると武田本陣への攻勢に向かわせた。
これは、義頼が武田勢の先鋒の突進を完全に止めた事で可能となった動きである。 流石にそれがなければ、兵を返しただろう。 だが義頼が武田勢を喰いとめた事で、そこまで後方を気に掛ける必要がなくなったからだった。
またそれとは別に勝家は、戦が始まると同時に湯村山城へ伝令を出している。 使者より兄からの書状を受け取った柴田勝直は、一つ頷くと全軍で城より打って出る。 その勢いのまま、彼は躑躅ヶ崎館へ攻め寄せたのであった。
堪らないのは、館に残されている者達であろう。 とは言えそこは、武田家の居城である。 館の守りは、一門衆の河窪信実に任せていた。 そんな躑躅ヶ崎館へ、織田家の将が率いる軍勢が押し寄せたと言う訳である。 しかも館内には織田家に内通している犬山鉄斎がおり、彼が手引する手筈となっている。 その為、躑躅ヶ崎館の大手門は開かれてしまった。
しかしながら川窪信実は、城に残っている小原継忠と共に決死の防衛戦を展開する。 その尽力もあり、この時点での落城は免れていた。
その一方で織田信忠は、ついに全軍総攻撃の指示を出す。 躑躅ヶ崎館が攻められれば、落城してもしなくても武田勢に動揺が走ると織田勢は判断していた。 だからこその総攻撃であり、その命を受けた義頼も柴田勝家も武田勢への攻勢を強めたのであった。
この敵勢の動きは、流石に武田信勝らも気付く。 つい先ほどまで五分に渡り合っていた筈の敵勢からの攻めが強くなったのだから、当たり前であろう。 だが、その理由が分からない。 何より此処で攻勢を強めたという事は、今まで全力でなかったという事に他ならない。 この戦がある意味で両軍にとっての決戦である事は、認識している筈である。 それであるにも拘わらず、全力でなかった事の理由が分からなかったからだ。
その時、武田の本陣へ伝令が飛び込んでくる。 すると伝令は、息も切れ切れに報告をした。 それは、湯村山城の柴田勢による躑躅ヶ崎館攻めの報せである。 しかしながら、前述した様に躑躅ヶ崎館は落ちてはいない。 とは言え、驚きがない訳ではない。 特に躑躅ヶ崎館は、武田信勝の祖父に当たる武田信虎が居城に定めて以来、六十年近く攻められた事のない城であるだけに実際に攻められるとどうしても動揺が発生してしまう事は拭えなかったのだ。
「落ち着けいっ! 躑躅ヶ崎が落ちた訳ではないっ!! 動揺など、戦が終わってから幾らでもしろ。 今は織田勢に対し全力を傾ける事に集中するのだ!」
『御屋形様……はっ』
その時、武田信勝の一喝によって武田勢に広がり掛けていた動揺が多少なりとも収まりを見せた。
確かに、今は動揺などしている暇はない。 この瞬間にも、敵の攻勢が強まっているのだ。 この状況を打破しなければ、先などないのである。 そこで武田信勝は、春日虎綱に戦線への出陣を命じた。 先ずは、立て直しを図る為である。 命を受けた春日虎綱は、佐久間盛政へと攻撃を仕掛ける。 現在、武田本陣へ一番近づいていた敵部隊を破り、攻め口を確保する為であった。
さて武田勢に攻め寄せていた佐久間盛政であったが、相手が春日虎綱となれば不足などない。 直ぐに迎撃に移ったのであった。
しかし、此度は相手が悪いと言わざるを得ない。 春日虎綱と言えば、海津城においてあの上杉謙信率いる越後上杉家への対応を十年以上に渡り任される様な男である。 まだ若い佐久間盛政の相手としては、いささか荷が勝ち過ぎていたのだ。
最初の一撃こそ上手く凌いでみせたが、直ぐに次の手を打たれてしまう。 その用兵はまさに老練と言うに相応しく、反撃の隙など見えはしなかった。
その手練手管に思わず盛政は感心してしまったが、直ぐに頭を振ってその思いを追い出す。 すると彼は、反撃に移るべく攻勢を仕掛けたのである。 そんな敵の動きに、春日虎綱が気付かない筈もない。 彼は巧みに佐久間盛政の攻勢を受け流すと、相手を敗走させる為の攻勢を逆に仕掛けた。
その様な攻撃に翻弄されてしまい上手く抑える事が出来ない佐久間盛政だが、それでも打ち破られない様にと受け止めて見せる。 それでも、不利は否めない。 何とか突破だけはさせまいと、必死に兵を鼓舞し続けるのであった。
凡そ、八年ぶりのイベント(?)、フラグ(?)に基づく対応となります。
お互いの家が同格であったが故に起きた事でした。
ご一読いただき、ありがとうございました。




