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第二百三話~天竜川の戦い~

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第二百三話~天竜川の戦い~



 岡崎城より出陣した義頼は、浜松城に向けて進軍を開始した。

 移動の道筋としては、浜名湖を渡るか陸路を通るかの何れかになる。 そして義頼が選択したのは陸路であり、彼は軍勢と共に浜名湖の岸沿いに進軍して浜松城に入る予定であった。

 やがて浜名湖に到着すると、予定通り湖を回り込んで進軍する。 程なくして到着した気賀の近くにて夜を明かした軍勢は、翌日には刑部城近くを通り浜松城近くへと到着した。

 義頼は軍勢を馬淵建綱まぶちたてつなに任せると、馬回り衆と藍母衣衆を引き連れて浜松城に入る。 そこで、徳川家康とくがわいえやす北畠具豊きたばたけともとよとの面会を求めた。 しかしながらいざ面会の段にて現れたのは、北畠具豊と徳川信康とくがわのぶやすである。 北畠具豊は分かるが、もう一人が家康ではなく徳川信康なのに訝し気に義頼は眉を寄せた。

 

「侍従(北畠具豊)様。 何故に三河守(徳川家康)殿が現れず、次郎三郎(徳川信康)殿が現れるのでしょうか」

「今、三河守殿は面会できる状態にない。 そこで代理として、嫡男の次郎三郎殿が面会しているのだ」

「何と……それはお気の毒にございます」


 義頼がそう言って信康に言葉を掛けると、彼は静かに頷いた。

 それならば致し方ないとして、義頼は話を続ける事にする。 先ずは三河国で起きた反乱の鎮定と、異母弟にあたる於義丸おぎまるの無事を伝える。 引き続いて、信康が出陣するに当たって代理とした松平康忠まつだいらやすただの討ち死に、それと重臣の天野康景あまのやすかげ本多重富ほんだしげとみの無事、並びに彼らに三河国を任せてきた旨を伝えた。

 その対応には、信康も否はない。 しかし家老の松平康忠の討ち死には、想定になかった。 そもそも三河国で反乱が起きること自体が、異例なのである。 もし予測ができていたら、出陣などしていなかった筈なのだ。 但し、対策を立てた上で、出陣と言う可能性もないではなかったが。

 何であれ三河国の現状を伝えた義頼は、一つ咳払いをして雰囲気を変えると北條勢との戦について尋ねる。 それに答えたのは、北畠具豊であった。 彼は北條勢からの攻めにより本陣が危機に晒される寸前に、兵を引いている。 現時点で家康が物を申せない状態である以上、彼が伝えるのは当然であった。

 具豊はそう前置きした上で、自身が退くまでに起きた経緯を伝える。 その話の中で、隠居して道感どうかんを名乗っていた北條綱成ほうじょうつなしげが出張っている事に驚く。 そして噂に違わない猛将ぶりに、老いたとは言え侮れないと感じた。


「なるほど。 おおよそですが、経緯は分かりました。 して恐らくこれから起きるであろう北條との戦ですが、大将は誰が務めますか?」

「それなのですが……左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)殿、そなたが務めてはいただけませぬか?」

「次郎三郎殿、某がですか?」

「はい。 仕方ない状況でありますし、侍従殿からも了承をています」


 その言葉を聞いた義頼は、意外そうな顔をしつつ北畠具豊の顔を見る。 しかし何かを我慢している様な表情を浮かべていはいても、信康の言った言葉を一切否定しなかった。

 とは言え二人ともに、義頼に迎撃の大将を任せる事に含むところがない訳ではない。 具豊にしてみれば先の戦の雪辱であるし、それは信康にしても同じである。 彼が直接戦った訳ではないが、父親が昏倒している原因だ。 できうるならば己自身の手で行いたいが、相手はあの「地黄八幡」であり負ける事が許されない状況なのだ。

 翻って義頼はと言うと、これまでに大小取り混ぜて幾つもの戦功をあげている。 年齢で言えば、十才ぐらいの差しかないにも拘らずだ。 正直に言えば、妬みの様なものがないとは言わない。 しかし義頼が来ると言うだけで、意気消沈仕掛けた味方の士気が持ち直したと言っていい。 これでは、彼に任せる外ない。 二人とも此処で下手に意地を張り、揃って無能との烙印を押されたくはなかったのだ。


「……そうですか。 お二方が納得しているならば、否はありません。 ですが、旗下に入る以上は命には従っていただきますぞ」

「無論だ。 のう、次郎三郎殿」

「ええ。 侍従殿」


 彼らは金打ちをして、己らの言葉に相違がない事を告げる。 そこまでするのならばと、改めて大将の件を引き受けた。

 一先ず話はここまでとし、北畠具豊と徳川信康に警戒を怠らない様にと告げてから下がらせる。 その後、義頼は忍びを北條勢に向けて放った。 何せ移動を重視していたので、彼にしては珍しく北條勢に対しては最新の情報は殆ど持ち合わせていない。 そこで一つでも多くの情報を手に入れる為に、遅まきながらも情報収集に努めたのであった。

 しかし、此処で一つの幸運が現れる。 それは、北條勢が掛川城へ矛先を向けた事だった。 その理由は、此度の戦の際に結んだ盟約が原因となっている。 盟約を結んでいる関係上、高天神城を見捨てると言う訳にもいかなかったのである。 そう易々と落ちる様な状況ではなかったが、城に籠る武田勢からすればやはり負担でしかない。 そこで、徳川勢の主力を追い払った北條勢は高天神城の救援の為に、掛川城を攻めたのであった。

 今の掛川城には、高天神城の抑えとして家康の命で追加された徳川勢も居る。 ゆえに彼らを駆逐すれば、高天神城は間違いなく一息つける。 その為の、掛川城へ攻め込んだのだ。

 攻められた掛川城は、必死の抵抗をする。 今まで武田家との最前線の一つとして耐えた石川家成いしかわいえなり石川康通いしかわやすみちの親子であったが、兵数差から流石に抵抗しきれるものではない。 それでも幾何かの損害を北條勢に与えた石川親子だが、この多勢に無勢の状況はどうしようもならない。 城主の石川家成は、忸怩じくじたる思いを抱えつつ開城を条件に城からの退去を北條氏繁ほうじょううじしげに打診をした。

 その氏繁にしてみれば、此度こたびの掛川城攻めは甲斐武田家との同盟関係の為の戦である。 ならば、労せずに城が手に入るならばそれに越した事はなかった。 そこで氏繁は、家成からの打診を了承する。 すると程なく、石川親子や彼らが率いる兵と共に久野城へと撤退した。 やがて久野城に入ると、久野城主の久野宗能くのむねよしと共に迎撃の準備を始める。 しかし北條勢が久野城へ攻め入る事はなく、彼らはそのまま西進を続けたのであった。

 なお、久野城の牽制だが、それは高天神城に籠る武田勢が受け持つ。 武田勢に代わり掛川城を攻めた北條勢に対する、せめてもの行動だった。

 しかしながらこの高天神城に籠る武田勢とのやり取りや掛川城攻めにかかった時間、これこそ敵となる北條勢の情報集めを可能にしたのである。 そこで迎撃の方針を変え、出陣する事にした。

 こうして浜松城を出陣した義頼の軍勢は、飯田街道を東進する。 やがて両軍勢は、天竜川を挟んで対峙した。 暴れ川でもありそれ故に川幅も広い天竜川を渡河するとなれば、よほど慎重にならなくてはならない。 だからこそ北條氏繁は、天竜川で一度止まったのだ。

 一方で義頼だが、こちらは先ず迎撃が主である。 無理に渡河を行う必要がなく、川を防衛線としてしまえばいい。 しかも義頼は、川幅を無視できる武器を所有している。 その様な好条件を持つ軍勢が、いきなり不利な渡河を行う理由がそもそもなかった。

 義頼は天竜川よりやや離れたところに三河国での戦いでも使用した大砲を設置しつつ、迎撃の用意を整える。 その対岸では北條勢も、軍勢を整えていた。 しかしながら、両軍勢の布陣場所には違いがある。 北條勢は河原にて布陣しているが、義頼率いる軍勢は堤防の辺りに布陣している。 これには北條氏繁らも訝しく思ったが、敵の布陣にそこまで気に掛ける必要はないかと捨て置くのだった。

 明けて翌日、天竜川に銃声が多数轟く。 口火を切ったのは、北條勢であった。 先鋒を務める笠原照重かさはらてるしげ率いる伊豆衆からの物である。 しかしこれは、あくまで牽制でしかない。 現在の両軍勢の距離の関係上、火縄銃や矢ではそもそも届かない。 味方を送り込む為の、いわば援護射撃であった。

 北條勢の先鋒が次々と天竜川を進む中、義頼は動かない。 ただじっと、敵が渡河している様子を見ているだけであった。 そんな戦場の様子に、北畠具豊が不安気な表情をする。 それはそうだろう。 このまま座していては、何れ渡河した敵勢が雪崩れ込んできてしまうからだ。

 具豊は我慢できなくなったのか、しきりに打って出ないのかと声を掛ける。 しかし、義頼は黙殺していた。 その態度に怒りを覚えた具豊が更に言い募ろうとした正にその時、義頼の手がすっと上がる。 そして配を返すと、おもむろに振り下ろした。

 その直後、まるで堰を切ったかの様に味方の軍勢から轟音が響き渡る。 それらは、大砲から砲弾を発射させたものであった。 大砲から一斉に吐き出された砲弾は、天竜川の半ばまで渡河していた北條勢に容赦なく降り注ぐ。 戦場となった天竜川は、阿鼻叫喚の様相を呈していた。


「な、なんなのだ! 何が起きている!!」

「わ、分かりません!! おそらくは大砲によるものかと思われま「馬鹿を申すな! まだ射程には入っておらぬだろうがっ!!」す……しかし、音と言い損害と言い大砲としか思えません!」

「そ、それは…………そうだが……」


 北條氏繁らが驚くのも無理はなかった。

 彼らとて、大砲の存在を知っている。 事実北條家でも、大砲は所有しているのだ。 しかし、北條家で所有している大砲だがこの距離は届かない。 何せ敵とは、まだ七から八町前後は離れている。 幾ら大砲でも、この距離では届かない筈なのだ。

 いや、もしかしたらまぐれで届くかもしれない。 しかし、敵の大砲全部が全部届いているところを見れば間違いなく射程内だと分かった。 それは即ち、北條家で所有してる大砲、いわゆる仏狼機砲とは違うという事になる。 そしてその想像は、正鵠を得ていた。

 義頼が所有している大砲群は、今使用している砲弾にしろ大砲本体にしろ全て改良版である。 和製大砲と言ってはばからないものであり、北條家が購入した物とは、比べるのがそもそも間違いだと言っていい代物なのだ。 

 とは言え、初めてそれらの大砲へ相対した者達にそれを言うのも酷であろう。 だがそんな事よりも、彼らには急ぎ行わければならない事がある。 それは、軍勢の掌握であった。

 決して届くはずもない距離から砲撃された事で、完全に先鋒が混乱をきたしている。 そんな味方に対して、容赦なく敵は砲撃を浴びせ続けているのだ。

 この状況では、混乱しない方がおかしい。 実際、彼らがこうして状況の判断ができる理由は、実際の砲火に晒されていないからである。 もし己らが先鋒に居たら、混乱している事は想像に難くなかった。 しかも、どうやら敵勢も動くつもりらしい。 大砲の援護を受けた敵勢が、徐々に進軍を開始している様子が見て取れた。

 このままでは先鋒が壊滅するか、そこまでいかなくても壊走しかねない。 重鎮たる笠原照重を信用しているが、このまま手を拱いているのも面白くはない。 そこで氏繁は、自身と同じく北條家一門衆となる北條康種ほうじょうやすたねを向かわせることにした。

 何せこの瞬間にも、味方が敵の砲火に晒され死んでいる。 その様な苦境にある彼らを救うと言う明確な意思を味方に見せる為にも、敢えて一門衆の投入を決めたのであった。

 しかしながら、ただ投入しただけでは無駄死にとなりかねない。 彼とて、無駄に康種を死なせたい訳ではないのだ。 そこで敵勢の目先を反らす意味でも、康種とは別に兵を送り込もうと考える。 とは言えこれはかなり危険な役目であり、かつ精鋭である必要があった。

 その時、氏繁に対して声を上げた者が居る。 果たしてその人物とは、父親の道感であった。 これには氏繁が、いささかうろたえてしまう。 何せ命を与えてしまうと、即ち父親に死地へ行けと言うに等しいのだからその気持ちは分からないではなかった。

 しかしながら、氏繁は北條勢の総大将である。 例え身内であっても、時には非常とも言える命を出さない訳には行かない。 いや、身内だからこそ出さねばならなかった。

 氏繁は少しの間目を閉じた後、目を見開き父親の道感へ別動隊の指揮を言い伝える。 その命を静かに受けると、彼は馬に跨り別動隊となる者達と共に戦場へと向かって行った。





 その頃、北畠具豊は呆然と戦場を見ていた。

 彼に取り、此処まで間近に大砲へ触れたのは初めてである。 しかも視線の先で、その破壊力をまざまざと見せているのだ。 しかも義頼の言によれば、破壊力で言えば更に上があると言う。 寧ろ口径も含めて全体が小型化されている分、控えめな方だと言うのだから具豊の反応も分からないではなかった。


「……これ程か。 大砲と言うものは」

「そう言えば、侍従様も初めてでしたか。 では、存分に見分あれ」

「ああ。 そうさせてもらう。 それはそうと左衛門督、次郎三郎殿の方は大丈夫か?」

「まぁ、大丈夫かと。 その為に先に動いてもらい、しかも敵の目を我らに向けたのですから」


 そう。

 実は、この本陣に徳川信康の姿はない。 それは彼に、別の命を与えているからだ。 その命とは、北條勢に対する奇襲である。 徳川家が二俣城を武田勢より取り戻している事を利用して義頼は、彼へ奇襲の役目を与えていた。

 その命に従い、信康は軍勢を率いて先行する形で浜松城より東ではなく北東へ出陣している。 彼らは二俣城近辺で天竜川を渡河すると、川沿いに南下して社山城へと入っていた。 

 この城は嘗て今川家の城であったが、武田信玄たけだしんげんによって落とされている。 その後、信玄の死によって武田勢が撤退すると、今度は徳川家の城となる。 徳川家康はこの社山城を基点にして、二俣城を武田家より取り返したのだった。

 以降は徳川家の支配地域が広がるに従い城の重要性も薄れ、今は城代が置かれているに過ぎない。 その社山城へ秘かに入った信康の軍勢は、息を殺してじっと出番が来るのを待ったのだ。

 そしてこの軍勢には、今川氏真いまがわうじざねも加わっている。 そんな彼の傍らには、四人程の将も居た。 彼らは今川家の家臣であった者達であり、かつ氏真が武田家の駿河攻めによって掛川城に逃げおおせてからも支えた者達である。 面子を上げれば朝比奈一族の朝比奈泰勝あさひなやすかつ朝比奈泰朝あさひなやすとも、そして掛川城から氏真が退去した後は帰農していた原川頼政はらかわよりまさと弟の讃岐入道であった。

 そんな少ないながらも今川家の軍勢と共に時を待っていた信康の元に、織田家と北條家の軍勢が天竜川でぶつかっているとの報せが届く。 その直後、信康は出陣した。

 なお彼らの出陣は、丁度道感の別動隊が北條勢より離れた頃であった。

 それはさておき、信康に最早軍勢を隠す気はない。 彼は速度第一で南下すると、北條勢の脇腹へ喰らいついた。 しかし、すぐに破られた訳ではない。 それと言うのも氏繁は、念の為にと北側へ兵を配していたのだ。

 これは、北條勢でとある将より出たとある進言が理由にある。 彼は氏繁へ北からの奇襲を警戒する様にと進言をしたのだが、あり得ぬと一蹴したのだ。 しかしながらしつこく進言してきたので、流石に気に掛かってくる。 そこで氏繁は、一部の将兵を本陣にやや近い北側へ配置したのである。 しかしてその結果が、進言通り敵からの奇襲であった。

 何であれ北にも一応ではあっても軍勢を展開していたのだが、奇襲を受けたのが予想よりもやや先鋒よりである。 その為、そこに生み出されてしまった隙を突かれ信康や氏真の軍勢の突貫を許してしまったのだ。

 因みにこの側面からの奇襲だが、策を建てたのは本多正信ほんだまさのぶである。 話を聞き有効だと判断した義頼が、信康に命を出したのだ。 地の利と言う意味では、徳川家が一番ある。 何せ、武田家と遠江国の領有について、しのぎを削っている真っ最中なのだ。 そこで、信康にお鉢が回ってきたのであった。

 何はともあれ北から奇襲を掛けられてしまった北條勢であったが、だからと言ってそう簡単に負ける様な軍勢でもない。 奇襲を受けた関係上不利は否めなかったが、瓦解などせずに何とか押し止め耐えている。 北條氏繁も今は我慢のしどころと、いささか劣勢ながらも潮の変わり目を見つけ出そうとしていた。 



 氏繁の心情は兎も角としてその前線だが、北條康種らが味方の混乱を抑えるべく奮闘している。 その一方で彼らは、比較的混乱が収まったものから順次後退させていた。 しかし次から次へと叩き込まれる砲撃に、遅々として進まない。 そればかりか、大砲とは別の要素が戦場に紛れ始めていた。 それは、矢玉である。 火縄銃より放たれた弾丸や弓より放たれた矢が、少しづつだが加わっている。 ふと視線を巡らせば、何時の間に敵勢との間合いが縮まっていた。

 無論、この進撃は義頼の指示である。 鉄砲衆と弓衆が、それぞれの奉行の指示の元で射撃をしている。 そして、彼自身も既に本陣の天幕も払って進軍していたのだ。 これはいよいよ早めに退かねばと、康種はあらん限りの声を張り上げて撤退を促していく。 すると何かの幸運か、敵の大砲が鎮まったかに思えた。

 しかしてそれは、幸運でもなんでもない。 義頼の命により、大砲の打ち方が止まったからだ。 だが何ゆえに止めたのか、それは北畠具豊が率いてきた軍勢が満を持して突撃を行ったからだった。

 此処が押し時と判断した義頼からの命を受けて、六角勢の鉄砲衆や弓衆からの射撃も鳴りを潜めた戦場に具教になり代わり前線に赴いた木造具政こづくりともまさ率いる伊勢衆が切り込んでいく。 まだ混乱から立ち直ったとは到底言い難い北條勢の先鋒部隊と言う事もあって、あっという間に混戦模様となってしまった。

 伊勢衆は混乱している北條勢に対し、当たると幸いに攻撃を仕掛けていく。 だが敵が登場した事で逆に遣るべき事ができたからなのか、北條勢は反撃に転じる。 しかし深く切り込まれた分、押し返すのは難しかった。 それでも康種らが必死に味方を鼓舞しているので、軍勢の瓦解は防げていた。

 そんな北條勢の様子を義頼は、軍勢を進撃させながらも見つめている。 その間にも前線の北條勢の様子が、少しづつ変わっていく。 何と彼らは、康種の指示の下で敵からの攻勢を堪えているのだ。 今は具豊が率いている伊勢衆が北條勢深く攻め込んだ為に味方の方が優勢だが、このまま推移すれば結果が分からなくなりかねない。 下手をすれば、逆転まではいかなくても北條勢の撤退が首尾良く成功してしまう可能性が見え始めていた。


「流石は北條、と言ったところだな」

「殿。 敵を誉めてどうしますか」

「建綱。 俺は敵、味方問わず尊敬するべき人間は尊敬するぞ。 だからと言って、戦場で敵に手心は加えんがな。 雷上動を持て」

「はっ」


 義頼は愛弓の雷上動の弓を持ってこさせると、矢を番えて引いた。

 なお、この雷上動の弓だが「数人引き」だったと言われている。 弓の名と弦の強さの真偽はさておき、強弓である事に間違いなかった。

 その様な雷上動の弓を義頼は、躊躇う事なく引き絞る。 それこそぎりぎりと音がするほどに引かれた弓は、ある一点に狙い定められていた。 すると次の瞬間、矢は弾かれた様に戦場を突き進む。 ただひたすら一直線に突き進んだ矢が進むその先に居るのは、誰であろう北條康種である。 つまり義頼は、離れた場所で北條勢を鼓舞している康種目掛けて矢を放ったのだ。

 針の穴を通すかの様にまっすぐ突き進む矢は、敵味方入り乱れる戦場をものともせずに突き進んでいく。 やがてあと少しで康種まで届くと言うところで、思わぬ邪魔が入る。 それはただの偶然なのだろうかそれとも意図した物かは分からないが、射線上に一人の北條兵が入り込んでしまったのだ。

 当然ながら、矢はその兵に当たる。 しかして義頼の矢は兵の首へと突き立ち、そこで止まるかと思われた。


「貫けっ!!」


 直後、辺りに響き渡る声に馬回り衆と藍母衣衆の面々が声の主へ視線を向ける。 いわずものがなその声は、義頼のものである。 するとその言葉に後押しされるかの様に矢は不幸な北條兵の首を貫き、殆ど勢いを減じさせる事なく康種へと向かって行った。

 だが何であれ人と言う名の遮蔽物があった事に間違いはなく、その障害を貫いた分だけ矢は遅れている。 それは僅かな時間であったが、彼とて道感こと北條綱成と並び称された北条綱高ほうじょうつなたかの嫡子である。 幾多の戦場で鍛え上げられた「勘」を働かすには十分な時間であったようだ。

 その勘に従ったからなのかは分からない。 しかし康種が何気に視線を向けたその先で、紅い華が咲く。 それが何なのかと理解する間もなく、彼は馬上で本能的に体をよじっていた。

 まさにその時、義頼の矢が康種を捕らえる。 体をよじった事で何とか急所に当たるのを防いだが、矢が突き立つ未来までをも回避した訳ではない。 しかも義頼の放った矢は康種の肩か腕かと言う辺りに命中したばかりでなく、突き立った勢いそのままに康種を馬上から叩き落したのであった。

北條勢vs織田・徳川連合勢勃発です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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