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第百九十五話~策の顛末~

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第百九十五話~策の顛末~



 燃え盛る炎に包まれている屋敷を吉川広家きっかわひろいえが、そして怪我の治療を終えた市川元教いちかわもとのりが眺めていた。

 また、彼らばかりではない。 屋敷を攻めた吉川兵も、更に保護と言う名目で事実上は捕らえた宇喜多直家うきたなおいえの妻子達も茫然と見続けていた。

 最も、宇喜多家嫡子となる八郎に関しては眺めている訳ではない。 状況がよく分かっていないので、ただ見ていると言っただけであった。 その事を証明するかの様に、彼は不思議そうに異父兄である三浦桃寿丸みうらとうじゅまると母のお福、それから侍女を見ている。 八郎はまだ物心すらついていないので、それも致し方なかった。

 その時、燃え盛る炎によって木が爆ぜる音に混じって別の音が耳に入って来る。 すると焼け落ちて行く屋敷に意識を捕らわれていなかった八郎が真っ先に気付いてそちらを見ると、夜の闇の中で炎に照らされた幾つもの鎧武者が現れ始めていた。

 そんな彼らの姿を見て怯えた様に八郎は、己を抱いている侍女に縋りつく。 茫然としつつも、彼女はほぼ無意識に抱き締めていた。 流石にその頃となると、周囲の様子に気付く者が出始める。 鎧武者の一団を見咎めた彼らは、急いで広家に進言していた。

 その報告に我へと返ったのか、そちらに視線を向ける。 広家の視界に先ず見えたのは、重臣である熊谷高直くまがいたかなおであった。

 そしてやや離れた後方には、父親の吉川元春きっかわもとはると叔父の小早川隆景こばやかわたかかげと思しき存在が居るのが見える。 そこには父親と叔父二人の旗印があるのだから、ほぼ間違いはないと思われた。

 なお、何ゆえに彼らが、しかも兵を率いてこの場に居るのかと言うと熊谷高直が報せたからである。 公用で吉川広家から離れていた彼が戻って見れば、屋敷には少数の小者などしかいない。 しかも屋敷を守る筈の兵などが殆どいないこの状況に、熊谷高直は屋敷に残って働いている者を問い詰めたのだ。

 すると、吉川広家が兵を率いて宇喜多家の屋敷に向かったと言う。 これはただならぬ事が起きたと感じた彼は、急いで主の元へ向かった。

 するとそこには小早川隆景もおり、兄弟で何かを話し合っている。 これは都合がいいと考えた熊谷高直は、両名へ事情を説明した。 話を聞かされた吉川元春は、鳩が豆鉄砲でも喰らったかの様な表情になってしまう。 よりにもよって、息子が兵を率いて宇喜多の屋敷に向かったと聞かされたのだからそれも致し方なかった。 

 あの吉川元春が浮かべたこの表情はとても貴重だが、今はそれどころではない。 小早川隆景が溜息を一つ付いた後で兄に声を掛けると、彼は直ぐに正気に戻った。

 我に返った吉川元春は、急いで兵を集める。 とは言え、別に息子に加担する為ではない。 寧ろ、止める為であった。 吉川広家が何を考えて兵を出したのかは分からないが、宇喜多直家一行の受け入れは当主の毛利輝元もうりてるもとが決めた事に他ならない。 事前に話を通してるならば別だが、そうでないならば独断専行どくだんせんこうなどもっての外であった。

  

「間に合うか分からぬが、止めるぞ。 良いな」

「無論です、兄上……広家の馬鹿者めがっ!」


 屋敷に居る兵を集めた兄弟、そして二人に報せて来た熊谷高直が兵と共に出立した。

 先鋒とばかりに、熊谷高直が兵を率いて進む。 その後を追う様に、吉川元春と小早川隆景が追随していた。

 やがて熊谷高直の進む先に、赤々としたものが見えて来る。 それが炎であると認識すると、彼は後方の吉川元春と小早川隆景に伝令を出す。 そして自身は、兵と共に炎の方へと向かっていった。

 やがて視界の先に、炎に焼かれている宇喜多直家の屋敷とその屋敷を茫然と見ている一団の姿を視認する。 その状況に内心で舌打ちすると、熊谷高直は茫然と炎を見上げている一団に近づいた。 やがて一団の中に吉川広家の姿を認めたが、その頃には気付いたらしい。 幾人かの者が、慌ただしく動いているのが見えた。

 すると熊谷高直は、吉川広家へ使者を出して吉川元春と小早川隆景が後に続いている事を告げる。 大分近づいていた事もあってか彼らからも、父親と叔父の旗印は確認できる。 ならば、疑い様も無い。 急いで吉川広家は、近づいてくる集団を迎えていた。

 程なくして熊谷直高が、その暫く後に吉川元春と小早川隆景が吉川広家の前に現れる。 しかして彼らは、一様に厳しい表情を浮かべていた。 すると、吉川元春が息子を誰何すいかする。 その声は非常に平坦で、およそ感情と言う物が籠っていなかった。


「さて広家。 これは、いかなる仕儀か? 早々に応えよ」

「……は、はいっ」


 父親や叔父の雰囲気に飲まれ身動みじろぎできない吉川広家だったが、声を掛けられた事で彼の硬直も解ける。 それから彼は、まくし立てる様に兵を出して宇喜多直家を討つにあたった経緯を説明し始めた。

 その途中途中で、市川元教が手助けする様に口添えする。 同時に彼らは、持ってきていた書状を吉川元春と小早川隆景に差し出していた。 その書状を見つつも吉川広家の言葉を最後まで聞いた両者は、頭を突き付けて話し合う。 そんな二人を前にして、吉川広家と市川元教は神妙な面持ちで佇んでいた。

 しかし吉川元春と小早川隆景は、二人に頓着しない。 先ず、宇喜多直家の妻であるお福と養子の三浦桃寿丸と嫡子の八郎の身柄を熊谷高直に保護させてから兄弟で話し合っていた。


「隆景、どう思う?」

「あくまで推測ですが織田の、否六角義頼ろっかくよしよりの策でしょう。 やられました、外聞衆が手薄になったのを突かれた形です」

「ああ。 そういえば、あちらにも使っていたんだったな。 先の戦と合わせて、減ったところをと言ったところか。 それについては後で聞くとして、だ。 今の問題は、此度こたびの一件だ。 して、どう決着をつける?」


 兄から問われた小早川隆景は、目をつむると思考し始めた。

 彼としても、此度の件は完全に虚を突かれた形なのである。 もし義頼が策を仕掛けてくるならば己か兄、若しくは宇喜多直家か毛利輝元もうりてるもとへ仕掛けると予測していた。

 だからこそ小早川隆景は兄と図り、宇喜多直家に対する警戒を密にして誰とも接触させない様にしていたのである。 その上で吉川元春と小早川隆景は対応に紛糾していると言った体を演出し、あまり表立って動いていない様に見せ掛けていたのだ。

 しかしながら相手は、小早川隆景の予測を超えた形で策を仕掛けてきたのである。 吉川元春でもなく、そして小早川隆景でもない。 ましてや、宇喜多直家でも毛利輝元ない。 まさかの吉川広家を策に嵌めると言う形で、毛利家の手によって宇喜多直家の排除を達したのだ。


「……義頼からも、直家らの身柄を渡す様にとの要請が来ています。 殿(毛利輝元)が受け入れた以上応じる気などなかったのですが、こうなってはいっその事渡してしまいましょう」

「それは構わんが、隠せばよいのではないか?」

「いえ。 何れは、知られるかと。 何と言っても、此度の様な策を成功させたのですから」


 確かに彼らが今行っている策と先の【佐用河原の戦い】による忍びの減少の為とは言え、毛利家の懐近くまで潜入されたのである。 そう遠くないうちに、突き止めてしまうだろう事が予測できた。

 いや、策が義頼によるものならば既に知られていると言っていい。 そうであるならば、敢えて相手の要求に答えるのも一つの手と言えた。 どの道、宇喜多直家が死亡した以上は残された者にさしたる価値はない。 お福は言うに及ばずだが、彼の長子となる三浦桃寿丸は姓が示す通り宇喜多直家の実子ではなく美作国の国人であった三浦氏の血筋である。 そして八郎だが、数えで四歳の子供でしかない。 父親は亡くなり、同行した数少ない一族や家臣も義兄である桃寿丸と実母を除いて死んでしまったのだ。 

 これでは、利用しようにも利用する価値もない。 織田家の軍勢から攻められていなければ、養育していずれはお家の復興を大義名分にと言う手も使える。 しかし今は、目の前にさし迫っている織田家と言う存在がある以上、そんな悠長な事は言っていられなかった。


「業腹だが、その通りか。 ならばどうする?」

「全て渡してしまいましょう。 首は勿論、残された者も」

「使い道が無い、と言う事か?」

「直ぐにはありません。 それに、目先をどうにかせねば次も見えて来ない。 そうではありませぬか?」

「……確かにな」


 追い詰められていると言う程でもないが、対織田戦で劣勢なのは毛利家である。 しかも、時が経てば経つほど毛利家が不利になる可能性があるのだ。 そしてこの状況を打破する為に、使える物は全て使ってある手立てを行っている。 それが成れば、上手くすれば織田を負い込めるかもしれない。 その為にも、一時的に此方こちらが不利になったとしても時間を稼ぐ必要があった。


「ならば宜しいか? 兄上」

「致し方なかろう」

「あのー、父上に叔父上。 話し掛けても宜しいでしょうか」


 すると頃合いを見計らったのかそれとも偶然か、吉川元春と小早川隆景の間で大凡おおよその対応が決まった直後に吉川広家が話し掛けて来た。

 そこでようやく二人は、それまで殊勝にも黙っていた両名へと目を向ける。 同時に兄弟は、彼らへ説明せねばならない事に思い至る。 小さく嘆息を漏らした二人だったが、間もなく小早川隆景が説明を始めた。

 良くも悪くも、彼は知将である。 それに現状とその後について、最も明確に描いているのもまたこの男である。 それ故に、小早川隆景が一番理路整然と説明出来ると言えるのだ。

 さて父親と叔父に溜息をつかれた吉川広家であったが、流石にいささか気分を害する。 彼にしてみれば、市川元教と共に裏切り者を処罰したに過ぎないのだ。 寧ろ褒められるべきである事態であるのに、報告後はしばらく放置された上に呆れとも取れる溜息を二人からいただいたのだから仕方がないと言えた。


「さて、広家。 それから元教」

『はっ』

「我ら兄弟の見解を伝えるとしよう。 この、慮外者がっ!」

『なっ!?』

躁急そうきゅうに事を運びおって……よいかしっかと聞けっ!!」


 そう前置きしてから小早川隆景は、兄との話し合いの末に結論付けた全てを説明する。 初めは憮然として聞いていた両名であったが、話を聞いていくうちにみるみる顔色が悪くなっていった。

 それもそうであろう。 吉川広家が毛利家の為に良かれと思って行った宇喜多直家への討伐が、実は敵の策に迂闊うかつにものせられた故であると告げられたのだからだ。 とは言え、確かに小早川隆景の述べた結論はあくまで憶測でしかない。 現時点での証拠は、吉川広家が手にした書状しかないからだ。

 そしてその書状には前述した様に宇喜多直家の花押はあるのだが、それとて本物かなど少なくともこの場での判別は難しい。 確かめるには、嘗て毛利家に送られた彼の書状と見比べなければならないのだ。

 その時、吉川広家は、まるで救いを求める様に思わずと言った感じで父親へ目を向ける。 しかし彼は、小さく首を振る事で答えとした。 そんな父親の仕草を見て、吉川広家の顔が歪んで行く。 その様な息子の態度を見て、吉川元春は内心で少し哀れに思ったが今は同情するところではない。 それよりも、一刻も早くこの場から消える必要があった。


「まぁ、このままここに居ても始まらぬし何よりも目立つ。 この場は俺と隆景が連れてきた者達に任せ、一先ず俺の屋敷に向かうぞ」

『…………はい』


 有無をも言わせない雰囲気を持った吉川元春の言葉に、吉川広家と市川元教は項垂れながらも返事をする。 その後、彼らは宇喜多家の関係者で生き残ったお福と桃寿丸と八郎と二人の娘をも連れて言葉の通り屋敷へと向かった。

 程なくして屋敷に到着すると、お福と桃寿丸と八郎と侍女を別室に閉じ込め事実上の監禁状態にする。 そして彼らは、これからの対応についての協議を始めるのであった。



 毛利家首脳陣が対応に苦慮を重ねている頃、柘植清広つげきよひろに率いられた伊賀衆は何とか石山城へと戻ってきていた。

 彼らはその足で、此度の策を任されていた小寺孝隆こでらよしたかへ報告をする。 柘植清広からの報告を受け取ると、彼は本多正信ほんだまさのぶへと報告。 その後は、二人揃って義頼の元へ訪れると策の経緯と結果を報告した。


「……なるほど。 策は成った、そう捉えていいのだな」

『御意』


 報告によれば、宇喜多直家の妻と彼女の連れ子、そして子供達は生き残っていると言う。 少々意外であったが、義頼にしてみれば問題になる訳ではない。 それに宇喜多直家の現正室は後妻であり、連れ子自身は宇喜多家の血を引いていなかった。

 また子供も三人いるが、二人は娘でもう一人はものごころもついていない幼子である。 幾ら宇喜多直家の血を引いていようと、その様な子供達にまでは流石の三村元親みむらもとちかも文句を言う事はない。 そもそも彼とは宇喜多直家の首を渡す事で終いとする話が付いているので、問題とはならない筈であった。


「となれば、今頃は対応に頭を悩ませているのかもな」

「かも知れませぬ」


 義頼の言葉に、小寺孝隆が人の悪そうな笑みを浮かべながら答えた。

 何と言っても、暗殺騒動時に撒かれた噂に続いての不祥事である。 しかも皮肉が効いている事に、毛利が頭を悩ませているであろう死とは義頼の暗殺を指示したであろう宇喜多直家なのだ。

 前回はまだ巻き込まれただけなのでまだましと言える事態であったが、此度の件は完全に当事者であった。


「ふむ。 これは、毛利の動き待ちか。 となれば正信、美作や因幡への出兵だが無理だな」

「……そうですな。 これから軍を動かせば、雪のせいで閉じ込められる可能性が出てしまいかねないと官兵衛(小寺孝隆)からも聞き及んでいます。 それに、殿も上様の命で安土に戻られます。 致し方ありません、来年の雪解けを待ちましょう」


 山陰は比較的雪の多い地域であるし、美作国でもやはり雪もそれなりに降る。 従って年末も近いこの時期に出兵してしまうと、現地で雪が原因となり動けなくなってしまう可能性が多分にあった。 それより何より、軍勢を率いる大将の義頼が安土へと戻らなくてはならないのである。 この様な状況下で軍勢を動かすのは、いささか難しいと言えた。

 それならば大将である義頼が安土より戻った後、雪解けを待って軍勢を動かした方が現実的である。 無理をする必要などないのだから、冬の間に周到に準備を整え万全を期した方が間違いなかった。

 だが、問題がない訳ではない。 山陰と違い山陽は、雪がそう多く降る訳ではないと言う事だった。 偶には大量に降る事もあるらしいのだが、本当にまれである。 つまり、冬であっても軍勢を動かす事が可能なのだ。

 もし義頼が居ない時に毛利家に動かれると、それはそれで面倒である。 しかし、幸いと言えるか分からないが長岡藤孝ながおかふじたかが戻ってきている。 彼ならば義頼の代理として、この混成軍と言える軍勢を率いる事が出来るのが救いであると言えた。


「それがいいだろう。 それと俺が離れる間だが、兵部大輔(長岡藤孝)殿に任せようと思う」

「……そうですな。 あのお方ならば、問題はないと考えます」


 実際、【佐用河原の戦い】の後に、義頼に代わって軍を率いて移動している。 その後、白旗城を拠点として義頼が合流するまで毛利勢と対峙していたのだ。 

 また別動隊を率いては、宇喜多勢を敗退に追い込んだ事もある。 家柄もあり実績も残しているので、備前国人をも取り込んだ義頼の軍勢であっても纏める事が出来るからだ。 

 本多正信からも賛同を得た義頼は、藤孝とそして馬淵建綱まぶちたてつなを呼び出す。 そして彼に、自身が安土へ戻っている間の軍勢を任せると通達した。


「……承知致しましたぞ、右少将(六角義頼)殿。 留守は確りと、預かりましょう」

「お頼み申します。 それと建綱、そなたには六角家の軍勢を任せる。 兵部大輔殿や、残していく祐光や孝隆と力を合わせてくれ」

「御意」


 幾ら義頼が戦場から離れて安土へ向かうと言っても、軍勢と共に離れる訳ではない。 母衣衆である藍母衣衆と過度ではない程度の精兵を連れて行くだけなのだ。 当然だが、残された六角家の兵を纏める者が必要となる。 馬淵建綱は義頼の副将としての地位に長年ある男であり、正に打って付けの存在であると言えた。

 そして先程述べた様に、義頼は幕僚から沼田祐光ぬまたすけみつと小寺孝隆を残しておくつもりである。 小寺孝隆は播磨国の国人であり、毛利家や中国地方の情報にそれなりに精通している。 そして祐光に関してだが、こちらは彼の出自によるものである。 長岡藤孝の妻は沼田光兼ぬまたみつかねの娘なので、彼と沼田祐光は義理の兄弟になるのだ。

 また言うまでもない事だが、沼田清延ぬまたきよのぶや【佐用河原の戦い】で没した沼田光友ぬまたみつともとも藤孝は義理の兄弟であった。

 こうして安土へ戻る手筈は整えた義頼だが、彼はすぐに石山城を発とうとはしていない。 繰り返しとなるが、対峙している相手はあの毛利家である。 油断をすれば、何を仕掛けて来るのか分からないのだ。 それに安土へは、大晦日の少し前までに戻ればいい。 義頼は、日程に合わせて発つつもりであった。

 それから数日したある日、もう少し経てば安土へ出立すると言った頃に毛利家からの軍使が石山城に現れる。 正使を務めていたのは、毛利家重臣筆頭である福原貞俊ふくはらさだとしであった。 彼は小早川隆景と共に、山陽における軍政を担当している。 その事から、軍使となったのであった。

 何より今は亡き毛利元就もうりもとなりからも信頼の厚い武将であり、下手をすれば毛利一族の者より信を置いたとさえ言われている。 また、家中でも「表裏のない正直者」として信頼されていた事もあっての派遣であった。

 石山城の広間へと通された福原貞俊は、目を瞑りじっと待つ。 広間には、北畠具教きたばたけとものりを筆頭とする藍母衣衆や藤堂高虎とうどうたかとらを筆頭とする馬廻り衆。 その他にも、馬淵建綱ら六角家の重臣が揃っている。 やがてその広間に、義頼が入って来た。

 広間の上座に腰を降ろすと、彼は視線を向ける。 その視線の意味を感じ取った福原貞俊は、ゆっくりと口を開いたのであった。


「お初にお目に掛ります。 拙者、福原左近允貞俊と申します。 此度は主、毛利輝元の命によりまかり越しました」

「うむ。 某が、六角右少将義頼だ。 して左近允(福原貞俊)殿、赴かれた用向きについて聞こうか」

「はっ。 先ずは此方をお納めいただきたい」


 そう言うと福原貞俊は、持参した書状を差し出す。 その書状には、彼を軍使として差し向ける事となった経緯について書かれていた。

 そこには不幸な行き違いによって宇喜多直家、及びその一族と家臣を討った事。 そしてその責任を取り、吉川広家と市川元教に然るべき処分が下された事も書かれていた。

 最も他家の事ゆえに、二人に下された処分の詳細については書かれていなかった。

 因みに、後日下された処分についての情報が届く事となる。 それによれば吉川広家と市川元教は廃嫡となり、それぞれ別の寺に押し込められる。 しかも吉川広家に限って言えば、名を戻している。 此度の一件に対するけじめのつもりなのか、読みは同じだが別の字を当て吉川経言きっかわつねのぶと名乗っていたのだった。

 なおこの一件で、吉川家の嫡子の座が広家こと経言より仁保家に養子として入っていた仁保元棟にほもとむねに譲られている。 更に元棟には、経言に与えられていた広の一字が改めて与えられ吉川広元きっかわひろもとと名乗る様になっていた。

 だがこれにより、仁保家は当主が不在となってしまう。 そこで吉川家に戻った仁保広元の代わりに、備中猿掛城主である穂井田元清ほいだもときよが養子として入る事となった。 彼は毛利元就もうりもとなりの四男であり、此度の件で仁保家当主が吉川家へ戻らざるを得なくなった事に対する毛利家から出されたせめてもの対処であった。

 因みに彼は、以降は仁保元清にほもときよを名乗る様になった。

 話を戻して、書状には別の件も記されている。 それは以前に義頼から要望があった、直家ら宇喜多家の者への対応であった。 具体的には、此度の騒動で討った者達の首と生存した直家の正室と四人の子を引き渡す旨が記されている。 更に文の端々には、策によるものだとにじませる言葉が織り込まれている。 これは、小早川隆景が書状に仕組んだせめてもの意趣返しであった。

 その文を読み、義頼は内心で苦笑を浮かべる。 しかし、表情には出さない様に努力していた。 だが、かくしきれなかったのであろう。 微かにだが、唇の端が引きついていた。


「なるほど。 相分かった、右近允殿。 その首だが、此処ここで見分させてもらうぞ」

「構いませぬ」

「では、修理進殿を呼べ」

「はっ」


 義頼は福原貞俊が持参したと言う宇喜多直家の首を持ってこさせるはしで、修理進こと三村元親みむらもとちかをこの場に呼び寄せた。 彼を呼んだのは、首実検をする為である。 例え多少の年月が経っていたとしても、親の仇の顔を見間違えるとは思えなかったからだ。

 程なくして義頼と福原貞俊が面会をしている広間に、三村元親が現れる。 彼は広間に入ると、毛利家からの軍使を務める福原貞俊を冷たい目で見たが、それだけである。 それから広間に腰を降ろし、じりじりと焦る気持ち抑えつけつつ三村元親は目を瞑って首桶の到着を待った。

 そこに漸く、首が一つ現れる。 その首を見た瞬間、三村元親の表情が驚きに変わる。 しかし次の瞬間には、正に親の仇を見る表情となった。 そんな彼の様子を見れば、台の上に置かれた首が偽物ではないだろうと言う察しはつく。 しかし確認をしない訳には行かないので、義頼と福原貞俊のほぼ中間に置かれた首を良く確かめる様にと促した。

 すると三村元親が震える体を内心で叱咤しつつ、立ちあがる。 それからゆっくりと首に近づくと、めつすがめつ見て確認を行う。 やがて首が偽物ではない事を確信すると、三村元親が本物である事を報告した。


「そうか。 では間違いないのだな、修理進殿」

「はい。 あの顔は正しく、憎き直家めにございます」

「分かった。 首の扱いは、後でにする。 大儀だった」

「……はっ」


 弱冠、宇喜多直家の首に未練がましい表情を見せた三村元親だったが、そのまま何も言わずに退出する。 かくて広間には、義頼の家臣と軍使の福原貞俊だけとなった。


「これで毛利家と我らの間に、何の問題も無くなった。 心置きなく、戦えると言う物だ。 まして毛利は、同盟の者の命すら奪う。 何も痛痒つうようも感じる事は無い」

「これは手厳しい。 事実がある以上、全ては言い訳となりましょう。 しかしながら右少将殿、我が毛利とて中国に覇を唱えた家。 易々とは、行きませぬぞ」


 敢えて挑発じみた言葉を掛けた義頼に、福原貞俊は顔色一つ変えないで言葉を返す。 しかし言葉の最後で彼が見せた不敵な表情が、嫌に心へ残った。 貞俊も、毛利家筆頭家臣とまで言われた男である。 根拠のない事を言うとは、到底思えなかったからだ。

 そこまで思いが至ったその時、義頼の胸の内に何とも嫌な感じが広がる。 勿論確証がある訳ではなく、はっきり言えば勘以外の何物でもなかった。 だが、それを確かめる術もない。 一先ず、その考えは仕舞い込んだ義頼は改めて福原貞俊へ言葉を掛けた。


「……軍使殿。 して用向きだが、他にあるかな?」

「いえ。 拙者の役目は和泉守(宇喜多直家)殿達の首と生き残りし者達を届けるだけにございますれば、そろそろお暇致します」

「そうか。 ご苦労であった。 建綱、大手門までお送りして差し上げろ」

「御意」


 馬淵建綱に命じた義頼は、本多正信と沼田祐光と小寺孝隆に目配せをした。 すると三人は、微かに頷き了承の返事をする。 やがて馬淵建綱に案内された福原貞俊が消え、他にも広間にいた家臣達も消える。 最後まで広間に残った義頼と本多正信達だったが、促されて立ち上がると義頼の後に続いて広間から出る。 そのまま、城の一室に彼らは入ったのであった。


「先程の左近允の話だが、何かが気になる」

「……確かに、最後の言葉と表情は気になります。 上野之助(沼田祐光)と官兵衛はどう思うか」

「拙者も、何かが引っ掛かりましたな。 妙な違和感と言いますか……官兵衛は如何様いかように感じた?」

「何かがある様なそうでない様な……ただ、しっくりは致しません」


 小寺孝隆だけがいささか心もとない様子であるが、彼らが何かを感じたと言うのであれば義頼の勘も強ち間違いではないと言える。 ともすれば、警戒を密にする必要があった。 何より、数日後には義頼が石山城を出て安土へ向かわなければならない。 もしかしたら、警戒しすぎるぐらいで丁度いいのかも知れないのだ。


「正信、祐光、孝隆。 警戒を密にしろ。 此方こちらが策を仕掛けた様に、相手も策を仕掛けたかもしれん。 警戒は怠るでないぞ」

『御意』


 異口同音に返事をした三人が、揃って部屋から出て行く。 そんな彼らの背中を、何とも言えない表情で義頼は見送っていた。

 それから数日後、義頼は母衣衆などの護衛と共に石山城を出立する。 また、同行者として堀秀政ほりひでまさの姿もある。 彼は軍監として義頼に同行していたのだが、此度織田信長おだのぶながの命でその任を解かれたのだ。 とは言え、軍監の存在がなくなった訳ではない。 堀秀政の代わりには、下石頼重おろしよりしげが派遣される事となっていた。

 更には、織田信長からつけられた三人の与力である佐々成政さっさなりまさ森長可もりながよし不破直光ふわなおみつも同行している。 この三人は織田家直臣なので、織田家からの命があれば当然だがそちらが優先されるのだ。

 そんな四人も含め、安土へ一行は向かっている。 しかし義頼の胸の内には、毛利家の動きに関して一抹の不安が横たわっていたのであった。

一応、この様な決着としました。

宇喜多家の血は、八郎ただ一人……かも知れません。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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