第百九十四話~梟雄の死~
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第百九十四話~梟雄の死~
義頼が備前国内を完全に抑えるべく動き始めた頃、長岡藤孝や一色義俊、山名堯煕に京極高吉らと言った収穫の為に一時戦線より離れていた者達が戻って来た。
彼らは宇喜多家を下した後、長船城から石山城へと移動していた義頼の元に現れる。 宇喜多家を降した後で何かと忙しかったが、その様な理由で彼らと顔を合わせないなどとても無理な話である。 義頼は急ぎ調整して時間を作ると、部屋で彼らと面会した。
彼らの待つ部屋に入ると、挨拶の後に長岡藤孝が彼らを代表する形で備前国が織田領となった事に対して祝いを述べて来る。 その言葉に追随する様に他の者からの祝福も受けたが、その言葉が少し皮肉を帯びていた感じなのは否めない。 その理由は、己達が国元に戻っていた頃合いに義頼が軍を動かした事に起因していた。
彼らの立場からすれば、折角の手柄を得る機会が不意となってしまったからである。 とは言え長岡藤孝達も、此度の動きが敵を欺くためと言う事は見当がついていた。 しかしそれでも、手柄を得る機会を失ったのは事実である。 せめて、これぐらい言わなくては収まらないと言う心持ちだったのだ。
そんな彼らの表情を見た義頼は、どこかで見た様な感覚に捕らわれる。 程なく彼は、浅井長政の事を思い出していた。 と言うのも義頼は過去、策を成就させる為に黙っていた事がある。 いわゆる「敵を騙すには味方から」の心持ちからだったのだが、後にその時の事に対して文句を言われた時の浅井長政の表情と酷似していたのだ。
しかし、義頼は敢えてその事には触れ様としない。 下手に話題を振って、藪蛇となるのは御免被るからである。 そこで義頼は何もなかったかの様にその場の雰囲気を流すと、彼らに別の話題を振った。
それは、これからの事である。 何れは毛利攻めを再開するにしても、先ずは足場を固める事が最優先となる。 つまり、備前国人を完全に組下とせねばならないのだ。 その為にも、彼らの軍勢と言う実質的な力が目に見える形となって増えたのは大きな意味を持つ。 備前国内の鎮定を行うに当たって、各地域へ派遣する軍勢その物が増えたのだからだ。
「兵部大輔(長岡藤孝)殿らにも、備前国内の鎮定を頼みたい。 宜しいな」
「承知した、右少将(六角義頼)殿。 のう皆の衆」
『応っ』
義頼の言葉に了承した長岡藤孝は、それから同席している一色義俊らに声を掛ける。 すると、即座に了承の言葉が返ってきた。 これらの事を考えれば、義頼の言葉が正しいのも分かる。 前述した様に先々の事を考えれば、備前国内の治安の確保を優先させるのは当然なのだ。
それにこの備前国内の鎮定だが、短時間で結果を出せればそれもまた功となる。 そして軍監を務める堀秀政も、功をもみ消したりなどはしないのでそちらの心配もなかった。
了承した長岡藤孝達は、義頼の前を辞すると自軍に戻り出立の用意をさせる。 しかし石山城へ到達した当日と言う事もあってか、流石に今日は出立しない。 翌日に発つ旨を伝えると、各々は翌日に向けて休みを取るのであった。
その一方で義頼は、引き続いて面会を行っている。 元々の面会場所であった広間へ戻ると、傍らに居る浦上秀宗と共に訪問してくる者達と顔を合わせていた。 これは義頼の侵攻に際して降伏した国人なども含めて、全員とは言わないが国人達が挨拶伺いに石山城を訪れているからである。 そんな彼らに対し如才なく応じつつ、義頼は言質を取らせる様な言葉は漏らさない。 それは、浦上秀宗も同様であった。
そもそも彼らに、粛清や殄戮を行う気はない。 もし行うとしても、それは備前国内鎮定後に毛利と矛を合わせるであろう義頼ではない。 この地を纏める旗頭になるであろう、浦上家の仕事なのだ。
そして浦上秀宗が備前国を抑える旗頭となる事は、織田信長もそして織田信忠も承知している。 彼らは義頼が後ろ盾となる事を条件に、許可したのだ。 幾ら元々備前国に力を持っていた浦上家とは言え、そう簡単に信用できるものではない。 それが例え、義頼の推薦であってもだ。
そこで、推薦した当人に責任を取らせる事にしたのである。 もし何かあれば、それは全て義頼の責任となる。 その様な事案とならない為には、浦上秀宗に梃入れしない訳には行かなくなるからだ。 最も義頼は、元から承知の上で推薦しているのだから、彼にとって織田家の思惑など今更であった。
また義頼の後ろ盾を得ている浦上秀宗だが、今時点では備前国人の粛清などを行う気はない。 先ずは備前国を纏め上げるのが急務であり、その為にも治安を維持し続ける事が肝要となるからだ。 粛清も一つの手と言えるが、未だに毛利家との戦を続けている織田勢の事を考えれば悪手である。 此処は粛々とそして素早く備前国内を纏め上げ、毛利勢に対応できる状況を作り上げなければならないのだ。
さてその対応だが、大抵は所領の安堵となる。 だが、宇喜多家や富川家や岡家などの様に最後まで抵抗した者達の所領は全て没収した。 だが、家の存続は認めているので彼らが潰れた訳ではない。 今後は浦上家に仕官するも良し、帰農するも良し、そして国外に出るも良しとしていた。
そして他家に仕官後、織田家に敵対した場合は容赦しないと釘をも刺している。 もし敵対すれば、容赦なく討つとまで言い渡したぐらいであった。
因みにこの対応のお陰で、岡家や富川家は潰れていない。 岡家の家督は、居城の落城後は義頼に捕らわれていた岡貞綱へと渡っている。 そして富川家は、嫡子の富川達安へ譲られていた。
なお富川達安であるが、家督を継承した際に姓を富川から戸川へと変更する旨を義頼に伝えている。 読み自体は変わらないが、彼なりのけじめの意味を込めた変更であった。
また、陸だけでなく海からも臣従してきた者達が居る。 それは、塩飽諸島を本拠地とする塩飽水軍である。 彼らも備前国が織田家の勢力下に入った事で、それまでの毛利家よりだが一応中立と言う立場を捨て旗幟を鮮明にしたのだ。 これは義頼に取って、望外の喜びである。 塩飽水軍の力を借りれば、より大量に兵站が確保される事となるからであった。
彼らの様に石山城を訪問してくる備前国人は勿論、それ以外にも義頼旗下の将兵や長岡藤孝らと言った存在によって備前国内は抑えられて行く。 それは手際良く行われ、かつ早急に進められたのである。
やがて備前国内の鎮定に一通りの目途が経った頃、義頼は本多正信ら幕僚と副将の馬淵建綱を集める。 そして彼らと共に、今後のと言うか来年に向けての動きについて話し合う為であった。
「これから、どの様に攻めるか」
「そうですな……」
問われた彼らは少し言い淀んだ後で、それぞれが策を出す。 義頼の幕僚である彼らが示した策とは、以下の三つであった。
一つ目は、美作国への侵攻である。 最早国内の半分以上織田寄りになっているこの美作国を完全に勢力下に置き、しかる後に山名豊国を旗頭に因幡国へと進軍すると言う物であった。
二つ目は、この策の変化と言っていいだろう。 備前国を落とした事で領地的にも地続きとなった備中国国人を蜂起させ、毛利の目と軍勢をそちらに釘付けにした隙に美作国を落とすと言う物であった。
最後に挙がった物は、美作国は無視すると言う物である。 既に美作国大半を織田領としており、残った地域など無視したところで問題など起きない。 その様な地域へ力を割くぐらいならば、備中国や因幡国へ兵を差し向けたほうが効率がいいと言う物だった。
「……とは言え、美作にしろ因幡にしろ備中にしろ来年だな」
「やはりそうなりますか……仕方ありませんな」
六角勢の出陣が来年になる理由だが、実は二つあった。
一つは、雪に他ならない。 因幡国にしろ美作国にしろ、そう遠くないうちに雪が降り始める。 そうなっては、進軍が難しいのだ。
勿論、無理をすれば可能ではある。 しかしながら、今無理をする理由などないので態々軍を進める必要がなかった。
そして今一つだが、義頼が安土へ戻らなければならないからだ。
主である織田信長より、正月前に戻る様にとの命が届いている。 それと言うのも、安土城と観音寺城の建築がついに終わりを迎えたからである。 そこで織田信長は、竣工式を行うとしたのだ。
その式を開くに当たり、義頼が安土へ戻る必要が生じたのである。 どの道、義頼の参加は必須であるので断るなど出来ない。 安土城の天主閣、及び安土城の詰めの城として改修された観音寺城。 そのどちらの事業も、奉行として推し進めたのは義頼だからだ。
その役目は甥の大原義定に引き継がせているが、その理由も中国地方への出陣である。 もしなければ、義頼が最後まで面倒を見ていた筈なのだ。 それに引き継いだ大原義定も、義頼が描いた構想通りに完成させている。 とどのつまり義頼が最後まで奉行を務めなかっただけで、安土城の天主閣にしろ観音寺城の改修にしろ義頼の考えのままに建築された物であった。
そこまで関わった事業の竣工式に、出ないなどまずあり得ない話である。 そもそも竣工式を開く際に中心とならなくてはならないので、戻らないと言う選択その物が発生しない。 だが、本音を言えば戻りたくはなかった。 別に織田信長の命に不満がある訳ではなく、この冬の間に播磨国や備前国などの足場固めをより確りと行いたいからである。 しかし、竣工式があるとなれば戻らざるを得ない。 義頼は相反する思いを内心に抱えながらも、表には出さないでいた。
「何か不満か?」
「いえ。 その、出来れば因幡国へは出陣しておきたかったのです。 雪が降り出す前に」
確かに山陰へ兵を出す事自体、反対はしない。 しかし竣工式や冬の到来が間近に迫りながらも出兵に未練を見せる本多正信に、義頼は眉を顰めた。
「正信。 そこまで拘るのは、何ゆえだ?」
「それは、毛利家のある人物を山陰へ拘束しておきたいからです」
「毛利の人間で山陰へ拘束だと?…………あっ! 吉川元春かっ!!」
「御意」
今でこそ義頼率いる織田家侵攻軍に対抗するべく山陽側まで出張ってきている吉川元春だが、そもそも彼が担当していたのは山陰側の毛利領と周辺の従属した国人達である。 しかしその山陰にて動きがあれば、本人がどう思おうとも戻らない訳には行かないのだ。
何せ織田家の侵攻を放っておけば切り崩されてしまうのは間違いなく、それでは数年前の尼子衆侵攻の再現となる。 いや、規模からすればそれ以上となるのは必至であった。 そうなれば、毛利家の屋台骨すら揺らぎかねない。 そしてその事を吉川元春が、そして小早川隆景が看破できないとは到底思えなかった。
「なるほど。 つまり、毛利も分けさせるか」
「はっ。 此方も軍勢を分けるのですから、相手も分けた方が宜しいかと考えました。 とは言えおっしゃられた通り雪もありますし、何より殿御自身が安土へ戻らなければならない事情もあります。 それと宇喜多に仕掛ける策もありますので、そちらとの兼ね合いも考えねばなりません」
「そうか。 そっちもあったのであったな。 それで孝隆、首尾はどうなのだ?」
「何時でも実行は可能です」
「ふむ……ならば、早速行え。 それと侵攻だが、策の結果如何で毛利がどの様な反応をするか分からない。 よって、宇喜多直家に仕掛ける策次第と言う事にしておこう。 良いな」
「ははっ」
こうして、宇喜多直家が備前国を抜け毛利領内に居る事が分かった時に彼ら幕僚が進言した策がついに動き始めたのであった。
吉田郡山城から少し離れた場所、そこが宇喜多直家に与えられた屋敷であった。
そして護衛と称した部隊が、近くの屋敷に駐屯している。 つまり宇喜多直家の屋敷は、毛利家の監視下にある。 その役目を帯びているのは、吉川元春であった。
しかし、彼も宇喜多直家に時間を割いていられる程暇でもない。 じりじりと近づいてくる義頼率いる織田勢へ対応する為にも、弟の小早川隆景と共にそちらへ集中したい。 そこで彼は、義頼との戦で亡くなった吉川元長に代わり新たな吉川家嫡子となった三男の吉川広家に担当させてたのであった。
なお彼の名は元々吉川経信であったが、元長が亡くなり新たな嫡子となった事もあって毛利輝元から家祖である毛利季光の父親、大江広元より一字を与えられている。 以降、経信は吉川広家と名乗っていた。
因みに元春には二男が存命しているが、彼は仁保氏へ婿入りしたので吉川家にいない。 その為、当時は経信を名乗っていた三男の広家へ元春の鶴の一声で家督のお鉢が回って来た恰好であった。
それはそれとして吉川広家は、部隊を率いて直家らの監視の為に駐屯しているのだが、そんな彼の元に兵が二人息せき切って飛び込んでくる。 しかも彼らは怪我をしているのか、両者とも少量であるが血が滴っていた。 兵が焦っているのも気にはなったが、今は治療が先である。 吉川広家は直ぐに傷を診せる様にと言ったが、その者は遮る様に手にしていた紙を差し出す。 少し兵の血と思われる染みが付いていたが、読むには差し支える程ではない。 仕方なく受け取ると、治療をするようにと再度伝えてから紙を開いた。
するとそれはただの紙ではなく、書状である。 それだけならばまだしも、その内容はとても看過できるものではない。 それ故か無意識に体を振るわせ始めた吉川広家へ、市川元教が声を掛けた。
「殿。 如何なさいましたか?」
「見よ、これを!」
「……こ、これはっ!?」
手渡された書状に目を通した市川元教は、その内容故に思わず声を上げてしまう。 それも当然であろう。 その書状に記された内容とは、宇喜多直家の策謀だった。
宛名が無いので、誰との共謀かは分からない。 家中なのか、それとも攻めてきている織田家なのか。 しかし、分かっている事が一つある。 宇喜多直家が、毛利家中で策を巡らしていると言う事であった。
因みに内容だが、宇喜多直家が毛利輝元などと言った毛利家の当主や重臣たちの寝首を掻くと言う物である。 無論、今すぐには無理であろう。 しかし、何れそれこそ織田の軍勢が迫り家中に不穏な空気などが流れれば可能かとも見える策であった。
「おのれっ、直家! 毛利に逃げてきた本当の理由はこれかっ!」
「……それならば、あの義頼が対応も納得できます。 あくまで宇喜多家が滅んだのは、此方に対する策。 本当は、滅んではいない。 だからこそ、家を残したのでしょう」
「そうか。 そういう事かっ! 確かに父上から聞いた時、おかしいとは思っていた。 最後まで逆らい続けた富川や岡の家が潰されていない事は! だが策ならば当然と言う事か。 うぬぬ……直家め、最早許せん! 元教、兵を集めろ。 あやつに、天誅をくれてやる!」
「はっ」
この時、彼らに取って不幸だったのは、この場に経験豊富な家臣が居なかった事である。 吉川広家が嫡子となって以来、吉川家重臣の熊谷高直が彼の傍に居たのだが、偶々この時は公用があり屋敷に居なかったのだ。
彼が居れば止めたであろう吉川広家の行動だが、居ない以上は止められる筈もない。 その為、若さ故の勢いのまま行動に移った吉川広家に引き摺られる様に市川元教も同行した。
やがて集めた兵を率いて出陣した彼らは、宇喜多直家の屋敷を囲んで行く。 彼に取りこの行動は毛利家の為を思っての事であり、だからこそ隠そうとはしていない。 しかして、屋敷内に居る宇喜多家の者達も表の騒がしさには気付いた。
警戒の為、遠藤俊通が梯子を掛けて塀の上から覗き込む。 するとそこには、毛利家の兵が屋敷を取り囲んで居るのが見て取れた。
思わず息を飲んだが、何とか声を上げるのだけは押さえる。 それからゆっくりと梯子を下りると、見たありのままを主たる宇喜多直家や宇喜多連枝衆の二人、それから江原親次へ告げた。
その報告に騒然となるが、一人首を傾げた者がいる。 それは、宇喜多直家その人であった。 彼からすると、此度の行動は腑に落ちないのである。 もし邪魔であるならば、そもそも受け入れなければいい。 確かに監視はあったが、受け入れてからそうは経っていないこの時期に兵を差し向けて来ると言うのは不自然でしかないのだ。
しかし、今は考えている場合ではない。 早急に、迎撃の用意をする必要があった。 一先ず頭の中から毛利家の行動に対する不自然さを追い出すと、急ぎ迎撃の用意をする。 しかしながら、これは絶望的とも言える戦いであった。
先ず味方だが、殆どいない。 連枝衆の宇喜多盛重と宇喜多直重、江原親次と遠藤俊通の四人。 そして備前国脱出時より同行した護衛の兵、二十数名だけであった。
翻って毛利家は、吉川広家率いる兵が二百前後はいると思われる。 凡そ十倍はある兵力差でとなっており、とても護りきれるものではなかった。
どの道、旗印から攻めてきているのは吉川家の兵だと言う事は判明している。 あの鬼吉川が鍛えた兵であり、その強さは言うまでもないからだ。
「相手は鬼吉川の兵! 敵として不足などない! 各員、奮起せよっ!」
『おおっ!!』
こうして、隔絶した兵力差の攻防が始まった。
しかしどう考えても、負け戦である。 万が一にも勝機を見出せるとすれば、それは宇喜多直家の感じた不信感であろう。 だが、その様な曖昧模糊たる物に掛けるなど出来ない。 何より宇喜多直家が口に出していない以上、そもそもその様な考えになる筈もなかった。
しかして彼らは、絶望的とも取れる防衛戦を展開する。 追い込まれたからか、彼らは驚いた事に一度は吉川広家の攻めを押し返している。 そればかりか、市川元教に手傷を負わせると言う快挙まで上げていた。 正に「窮鼠猫を噛む」と言ったところであろう。
だが彼らの奮闘も、そこまでであった。
市川元教が手傷を負った事を知らされた吉川広家が、自ら陣頭に立ち責め立てたのである。 怒涛とも言える攻勢に、兵もそして将も等しく討ち取られて行く。 気付けば宇喜多直家の近くに数名の兵と、連枝衆の宇喜多盛重だけであった。
「盛重。 お福や子供達についてだが何か知っているか?」
「……いえ。 存じ上げません」
その言葉に宇喜多直家は、妻のお福や嫡子の八郎と養子の三浦桃寿丸、そして八郎の二人の姉の死を予感する。 しかしながらその予想は、彼に取っていい意味で裏切られていた。 何と生き残った兵の一人が、行方を知っていたのである。 とは言え、彼が知っていたのは四人と侍女が毛利の兵に捕らわれていたと言う事実だけである。 その後については、流石に分からなかった。
だが死んでしまったと言うよりは、朗報と言える。 それに八郎や娘らが生き残っているのであれば、宇喜多の血が途絶えた事にはならない。 ならば、残された道は一つであった。
残される三人の為にも、無様な死は迎えられない。 ならば華々しく散るか、腹を切り果てるだけである。 そして宇喜多直家が選んだのは、前者であった。 彼らは庭に躍り出ると、吉川の兵に切り掛かっていく。 形としては奇襲であり、これで数名の兵は命を散らした。
だが、反撃もそこまでである。 その直後には取り囲まれ彼らは槍衾となる。 すると、ただ一人を除いて全員が倒れ伏した。 唯一倒れなかったのは、宇喜多直家である。 しかも彼は、己に刺さった槍のうち一本引き抜くと吉川広家目掛けて投げ付けたのだ。
凄まじいまでの精神力だが、肉体が受けた損傷はあまりにも大きい。 残念ながら宇喜多直家が投げた槍は、吉川広家の手前に刺さっただけであった。
「……これまでよの」
凄絶なまでに不敵な笑みを浮かべつつそう一言漏らした宇喜多直家は、ともすれば力が抜けそうになる己を叱咤しつつ短刀を首筋に充てる。 そして、一気に切り裂くと今度こそ倒れ伏したのであった。
あまりの最後に吉川広家は勿論、誰からも言葉は出ない。 ただ静かに、吉川の旗が風に靡くだけであった。 しかし次の瞬間、屋敷の方が明るくなる。 何事かと見れば、屋敷からは炎が噴き出していた。
「な、何だ! 何があった!!」
「わ、分かりません! それよりも、退去致しましょう」
「そ、そうだな! それと、首は忘れるな」
「御意」
炎に慌てつつも宇喜多直家と宇喜多盛重の首を討った吉川広家達は急いで屋敷から離れる。 そんな彼らを、少し離れたところから見ている男が居た。 しかしその場には男だけでなく、付き従う数名の者達がいる。 彼らは顔こそ隠しているが、全員伊賀衆であった。
ところで何故に伊賀衆がこの場に居るのかと言うと、実は吉川広家に書状を持ち込んだ二人こそ伊賀衆の二人だったからである。 一人は山田ノ八右衛門であり、もう一人は高羽左兵衛と言う。 両者とも、変装術に優れた忍びであった。
毛利領内に忍び込んだ彼ら伊賀衆は、宇喜多家の者達を警護の名目で監視している吉川兵の二人に甲賀衆より融通してもらった薬を盛り眠らせたのである。 それから山田ノ八右衛門と高羽佐兵衛は、変装術を用いて眠らせた兵に成り替わった。
その後、二人はさも大変な書状を手に入れた体で吉川広家へ事前に用意した宇喜多直家の花押を真似てある書状を届けたのである。 これこそが、件の書状が渡った真相であった。
「して、遺体は置いてきたのだな」
「はい、三之丞様。 手ぬかりなく、死体は置いてきております」
「ならば良い。 討ち入った屋敷で起きた火事の現場に、刀傷の死体があっても何ら不思議な事などないからな」
『御意』
此度の策を実行するにあたって、伊賀衆を率いて安芸国へ潜入する様に命じられたのが三之丞こと柘植清広である。 その彼の指示で、吉川広家に書状を届けた後で伊賀衆は入れ替わった吉川兵を涅槃へと送っている。 すると彼らはこの討ち入りに紛れて、誅した兵士の遺体を置いておいたのだ。
後は、炎で全てを灰燼に帰してくれる。 下手に死体が残ると、義頼が仕掛けた策と判明する可能性がある。 いや、小早川隆景ならば察する可能性が高い。 しかし届けた者からの証言などが無ければ憶測となってしまうので、怪しいとは思っても追及は難しくなるからだった。
それはさておき、暫くして炎が屋敷全体に回りもはや手が付けられなくなる。 すると吉川広家の兵とは別にこの場に近づいてくる集団があることに気付いた清広ら伊賀衆は、敵へ見つかってしまう前に静かにこの場から立ち去ると夜の闇に溶け込んだのであった。
タイトル通り、あの御人がついに死亡です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




