第百九十三話~備前国の陥落~
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第百九十三話~備前国の陥落~
先の戦で花房正幸と嫡子の花房正成、他にも一族たる花房職勝や彼の息子で花房職秀などを味方に引き入れた事で、義頼は備前国の東半分を抑えたと言えた。
しかし、此処で止まるなどといった事はない。 更に備前国の西半分を抑えるべく、じわりじわりと蚕食を開始したのであった。
そんな義頼の調略等が進む中、宇喜多勢は沼城に軍勢を集め始める。 この城は亀山城とも言い、宇喜多直家が石山城を手に入れるまでは宇喜多家の居城であった。 その様な嘗ての居城に集まった宇喜多家の将は、富川秀安や岡家利。 他に伊賀久隆や明石行雄などと、ほぼ全力である。 彼らは彼らの居城に残す筈の兵すらも連れて来ている事から、並々ならぬ決意が感じられた。
そもそも何故に今になって出陣したのか、その理由は二つある。 一つは言うまでもなく直家や妻のお福、それから義理の息子である三浦桃寿丸や嫡子の八郎や二人の娘などと言った者達を落ち延びさせる為であった。
既に塩飽水軍や毛利家との交渉は終わっており、今頃は船で毛利領内へと向かっている筈である。 同行している家臣は、直家の娘婿に当たる江原親次である。 他にも上月景貞や、遠藤俊通が行動を共にしていた。
なお、この直家を迎えると言う件に関してだが、吉川元春や彼の息子が大反対している。 だが最終的には、毛利輝元の「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」との言葉で直家らの受け入れが決まったのであった。
話を戻してもう一つの理由だが、此方は宇喜多家の抱える兵数であった。
それと言うのも、そう遠くないうちに義頼の軍勢は数が増えるからである。 今は収穫の為に国元へと戻っている長岡藤孝や一色義俊などといった織田家の従属大名が、間もなく戻ってきてしまう。 そうなってしまえば、兵数差に物言わせて蹂躙されてしまうだろう。 それでは、宇喜多直家らを脱出させる機会はほぼなくなってしまうのは明白だった。
だからこそその前に、宇喜多家は戦を仕掛けたのである。 こうすれば敵の目も集まり、その隙を突いて直家らを脱出させられる可能性が増えると考えたからである。 そしてその考えは図に当たり、前述した通り直家とその家族は宇喜多領内より脱出したのであった。
その一方で長船城に腰を据えている義頼はと言うと、相手の思惑は別にして戦の手筈を整えていた。
同時に股肱の臣である寺村重友や、重友程ではないにしても長年義頼に仕えている山内一豊に杉谷善住坊率いる大砲部隊を付けて、備前福岡城に派遣していたのである。 更には、花房正幸ら花房一族などの義頼に降伏した備前国人達を彼らの配下として同行させたのであった。
さて重友たちが入った備前福岡城であるが、吉井川沿いに元々建立されていた城である。 しかし嘗て、この辺り一帯を襲った大洪水にあい一度廃城となっている。 その後、浦上宗景を攻める際の大義名分とした浦上秀宗の居城とするべく直家が主導して修築した城であった。
詰まるところ義頼は、先ずこの城で宇喜多勢を受け止めるつもりなのである。 しかる後に長船貞親らの案内で吉井川を密かに渡河させて、側面か後方から宇喜多勢へ攻勢を掛けるつもりであったのだ。
その一方で沼城に入っている宇喜多勢はと言うと、備前福岡城への対応の為と称して大日幡山城へと兵を派遣している。 この城は吉井川を挟んで備前福岡城と相対する様な場所に建てられているので、直家脱出の時間稼ぎと言う意味でも都合が良かったからだ。
「さて、これで打てる手は打った。 後は兄上が、毛利家の庇護下に入れば目的は達すると言う物だ」
「真に」
面頬を付けた武将が、沼城から進軍する味方の兵を見ながら一言呟く。 その言葉に、声を掛けられた富川秀安が返答した。
さてこの面頬を付けた男は誰であろう、宇喜多春家である。 彼は脱出する宇喜多直家の影武者として、兵を率いて沼城へと入っていた。 しかし顔を晒していては、敵の忍びに影武者である事が判明してしまう可能性が高い。 その様な事態にならない為に、彼は面頬を付けていたのである。 少なくとも直家や継室のお福、それから二人の息子に二人の娘ら家族が毛利領内に入るまで春家である事を敵に悟らせる訳には行かないからであった。
それでなくても割と最近まで小寺孝隆と交渉を行っていた関係から、敵である六角勢の中には春家の顔を覚えている者が少なくはない。 そしてもし春家が影武者としてこの地に居ると判明してしまえば、直家らの脱出等を含めて全てがご破算となりかねない。 それだけは、何としても避けなければならなかったのだ。
そこで一部の重臣にしか、春家が影武者として直家の代わりを務めている事は知らされていない。 そのお陰か、あまり動きを見せていない割には宇喜多勢の士気が下がる事はなかったのであった。
そんな敵勢の様子を観察している義頼であったが、彼は訝し気に眉を顰めていた。
時間が経てば経つほど不利になるにも拘らず、宇喜多勢は大日幡山城へ兵を進めた以外はこれと言った動きを見せていない。 その事が不気味でもあり、それが彼の警戒感をより高めやや慎重な行動に繋がっていた。
それでなくても、このところ連戦に次ぐ連戦と言った感じで兵を進めていた事もある。 そこで発想を切り替え、いっその事これはいい休憩になろうと割り切る事にしていた。 何れは宇喜多勢の兵糧が足りなくなるか、若しくは劣勢から敵の兵が我慢が出来なくなると思われた。 そうなってしまえば、嫌でも攻めて来るであろう。 例えもし攻めて来なかったとしても、被害なく敵を弱めることが出来るのだからそれもまた良しと考えていた。
戦わずに勝つのが、最善なのだから。
とは言え、警戒だけは怠らない。 どうせ沼城へ向けるつもりの別動隊が浮いた状態となっているので、警戒を兼ねた斥候や巡回を行わせていた。 勿論、彼らばかりに行なわせていた訳ではない。 近江衆や丹波衆と言った他の者達にも、同様に斥候や巡回を行わせていたのであった。
その頃、密かに石山城を脱出した宇喜多直家の一行はと言うと、依頼を受けた塩飽水軍の手引きによって無事に毛利領内の港に上陸していた。
そこからは陸路で、毛利家の居城である吉田郡山城へと向かう。 やがて到着した毛利家の居城にて直家らは、毛利輝元らと面会したのである。 彼らの存在をあまり知られて欲しくはないので、直家一行を迎えたのは毛利両川など一部の毛利家重臣だけであった。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。 此度は我らを迎えていただき、感謝の言葉しかございません」
「うむ。 屋敷も用意させているので、そちらで過ごしていただく事となる」
「ありがとうございます、右馬頭(毛利輝元)様」
輝元との挨拶を済ませた直家の一行は、用意されていると言う屋敷へと赴く。 何れは正式に屋敷を建てることになるが、それまで過ごす事になる言わば仮の屋敷であった。
とは言え形の上では、客である。 例え仮の屋敷とは言え、いや仮だからこそ屋敷は確りとしたものである。 落ちて来た他国の者を迎える屋敷としては、十分な造りであった。
「流石は大毛利、と言ったところか」
「そうですな。 ところで殿、お気付きですか?」
「ん? ああ、盛重。 恐らく、監視であろう。 治部少輔(吉川元春)殿やご子息殿は反対だったと聞いたからな」
元々、宇喜多直家を油断ならない相手と見ていた吉川元春である。 当然ながら、彼の息子も直家を信じている筈もない。 そこで、元春らの気持ちも汲む為に小早川隆景は宇喜多直家の監視役を任せたのであった。
実のところ、信が置けないと言う意味では隆景も同じである。 しかし彼は宇喜多家との同盟を進めた過去があるので、あからさまな態度に出る訳には行かなかったのだ。
その点、元春は初めから反対している。 そんな彼が落ちてきた宇喜多家の面々に対して監視の網を被せるのは、むしろ当然の行為であるとみられるからであった。
それに宇喜多家としても、元春の手の者が監視をしていると言うのであればある意味で納得できてしまう。 一貫して元春が宇喜多家との同盟に反対していたと言うのは、直家らも情報を手に入れているからである。 寧ろ、此処で態度を軟化された方が逆に怖い。 何かを企んでいるのではないかと、勘繰ってしまうのだ。
また監視をされていると言う事は、ある意味で安心できる。 監視の目と言うのは、そのまま護衛とも成り得るからだ。 今となっては毛利家が頼りなので、直家としても変な動きをするつもりはない。 探られても痛くはないので、そのまま放っておくつもりであった。
なお盛重こと宇喜多盛重は、宇喜多の連枝衆である。 そして此度の脱出に伴い同行した二人の連枝衆の一人である。 もう一人は、宇喜多直重と言った。
「そうですか。 しかしながら、お気を付けを」
「分かっている。 頼る相手ではあるが、真の味方かと言われれば首を傾げなければならんからな」
この辺りの度胸は、若い頃に諸国を放浪した直家らしいところであった。
話を備前国に戻し義頼達であるが、この宇喜多勢の動きの無さはいくらなんでもおかしいと感じていた。
そこで一旦、備前国内に展開していた甲賀衆を長船城に集めている。 その上で、伊賀や甲賀や尼子家の忍び衆である鉢屋衆問わずに徹底した情報収集を始めていた。 するとその情報網に、予想だにしない情報が引っ掛かる。 その情報とは、宇喜多直家についてであった。
何と直家は既に備前国より逃亡し、毛利を頼っていると言うのである。 初めその情報が本多正信より上げられた時には、彼は思わず訪ね返したぐらいであった。 それぐらい、義頼にとっては寝耳に水な情報であったと言える。 しかし続報で、毛利輝元が用意したと言う宇喜多家の者が逗留する屋敷の存在や直家自身の確認がされたとまであっては、信じざるを得なかった。
「では、あれが囮か。 だから動かない、そういう事なのか?」
「どうもその様です。 完全に、裏をかかれました」
宇喜多家は、毛利家に援軍の要請をしてまで徹底抗戦の構えを見せていたのである。 しかも暗殺まで計画し、かつ実際に行っている。 そこまでしておきながら、この段になって国外へ脱出したと言うのだから正信や沼田祐光が出し抜かれたと思っても仕方がなかった。
だが正信も祐光も、当代きっての策士である。 出し抜かれたからと言って、そのままにしておく事などする筈もなかった。
「ですが、毛利領に居ると言うのであれば、手がないではありません。 一つ策を仕掛けてみようかと、上野之助(沼田祐光)殿や官兵衛(小寺孝隆)殿と話し合った次第にございます」
「策、だと? ふむ……それはどの様な策なのだ?」
義頼が訪ね返すと、我が意を得たりとばかりに正信と祐光と孝隆が代わる代わる策についての説明を始めた。 その話を聞きつつ、義頼も思案する。 それは無謀とは思えず、そして成就する可能性が必ずしも低いとは思えないからだった。
何より、味方に殆ど損害がないのが好い。 戦が上手いとされている義頼だが、彼自身は戦わずに済むならばそれに越した事はないと考えている。 己自身の名誉より、如何に味方の損害を減らせるかに腐心するのを良しとするのである。 その意味でも、彼らの策は申し分ないと言えた。
但し、懸念がない訳ではない。 策を仕掛ける相手の陣営には、小早川隆景が居る。 彼ならば、策を仕掛けても見破りかねなかった。
「だが、相手が策に掛かるか? 毛利には、あの小早川隆景がいるのだぞ」
「確かに殿の言われた通り、左衛門佐(小早川隆景)殿が策に掛かるとは思えません。 ならば別の者に仕掛ければいい、それだけの事にございます」
「ふむ。 そなたらは自信があるのだな……まぁ、成功しなくても損はないか。 上手くいけば、敵の手で首が討たれると言う訳だしな」
『はっ』
いみじくも義頼が言った通り、策を仕掛けたところで義頼が何か損をするわけではない。 成功すれば成功したで問題が出る訳でもないし、また失敗したところで実害と言った物が発生するとも思えないのだ。 そうであるならば、策を仕掛けるべきであろう。 それに何もせず後悔するぐらいなら、やってから悔いた方がましと言う物であった。
「いいだろう、やってみろ」
『御意』
義頼からの許可を得た事で、策を実行しようと三人が席を立とうとする。 しかしその時、小姓を務める沼田頼光が現れた。
彼は祐光の兄に当たる沼田清延の嫡子であり、頼光が元服する際に義頼から偏諱を賜ったのである。 そして光の字であるが、こちらは清延と祐光の父であり今は亡き沼田光兼より一字を貰った物であった。
その頼光が言うには、沼城より軍使が義頼を訪ねてきているのだと言う。 何とも申し併せたかの様な軍使の訪問であり、義頼だけでなく正信らも眉を顰めたのであった。
しかしながら、丁度いいと言えば丁度いい。 この場には今、義頼を支える幕僚の主要な面子が揃っているのだ。 後は、六角勢の副将であり家臣筆頭格の大原義定に次ぐ地位にある馬淵建綱や、六角家重臣で建綱の次席となる永原重虎当たりを揃えればいい。
そこまで考えると義頼は、頼光に対して使者の案内を命じる。 そして別の者に建綱や重虎、他にも北畠具房などの主要な家臣を呼ばせたのである。 程なくして長船城の大広間には、六角家の主要な重臣や他にも近江衆を義頼に代わり率いている蒲生頼秀などが揃う。 その様な大広間に、沼城からの軍使が通された。
翻って沼城から派遣された軍使の正使を務めていたのは、明石景季である。 彼は、宇喜多春家と共に沼城に籠る明石行雄の弟であった。
「そなたが使者殿か」
「は。 お初にお目に掛ります。 宇喜多家が臣、明石飛騨守行雄が弟にて明石三郎左衛門景季と申します」
「して三郎左衛門(明石景季)殿、ご用件を賜りましょう」
「ではこちらを……」
そう前置きしてから、景季は書状を取り出した。
差出人は宇喜多直家……ではなく宇喜多春家である。 その差出人の名を見て、つい少し前に手に入れた情報に嘘が無い事を確認してしまった。 それはそうだろう。 宇喜多家当主である宇喜多直家が城に居るのであれば、弟の宇喜多春家の名で書状を出す必要がないからだ。
それであるにも拘らず、軍使の差し出した書状は宇喜多春家の名義なのである。 正にこの書状の存在こそが、宇喜多直家が既に逐電している事の証左であった。
部屋の中に、何とも言えない奇妙な感覚が流れて行く。 その感触を認識しつつも、義頼は書状の内容を確認した。 そこに書かれていたのは、降伏の申し出である。 しかも責任を取って宇喜多春家や富川秀安、更には大日幡山城へ進出している岡家利らが切腹すると書かれているのだ。
「して、残された宇喜多の兵は伊賀久隆や明石行雄が抑えると」
「御意。 如何でしょう、右少将(六角義頼)様。 残された備前国人へ、ご慈悲をいただけませぬか」
宇喜多直家が既におらず毛利領内へと逃げおおせていると言う事は既知していたし、そちらに関しては本多正信らが策を立てる事になっている。 既に彼らには許可を出しているので、軍使が長船城から消えれば即座に動き始める事に間違いはなかった。
その様な状況であるのだから、直家に関してはこれ以上考える必要はない。 今は降伏と言う申し出をどうするかだけであるが、はっきり言って断る理由がなかった。
直家が居ない以上、春家が代理である。 その当主代理を務めているであろう春家からの申し出であり、しかも受ければ備前国の平定に目途が立つ。 此処で備前国内での戦を終わらせることが出来るのだから、先の事を考えても降伏を許すのが妥当であった。
「……いいだろう。 だが一つ、条件がある」
「条件にございますか?」
「うむ。 うむ。 六郎兵衛(宇喜多春家)殿の介錯だが、修理進(三村元親)に任せたいがどうだ?」
「…………分かりました。 その条件をお受けします」
これは、宇喜多直家が逃亡してしまっている事に対して、せめてもの手立てであった。
三村元親との間で、直家の首を持って一先ずの区切りとする事で話し合いはついている。 しかし現在、直家は逃亡してしまっている。 これでは、元親との約定を完遂する事にはならなかった。
そこで彼の父親である三村家親の狙撃を企てた直接的な当事者と言う訳ではないが、此度の降伏で首を差し出した春家に関してを任せる事で代わりとするのである。 無論これが、一時凌ぎに過ぎない事は承知している。 何れは直家の首は渡すつもりだが、そちらに関しては策次第なのでまだ不確定である。 故に、現段階で確実である春家の介錯を任せると言う選択をしたのだ。
だが、相手にとっては唐突の申し出である。 一度は持ち帰るだろうと考えていた義頼であったが、その考えはいい意味で裏切られた。 何と景季が、この場で了承したからである。 義頼に取っては正直意外だったのだが、別に彼の独断と言う訳ではない。 軍使として赴くに当たり、景季は春家より命じられていたからだ。
それは、余程の条件ではない限り受け入れても良いと言う物である。 宇喜多家に味方している全ての国人の命などと言った条件が出た場合は、流石に受け入れられなかった。 だが春家本人を含めた条件であれば、その限りではない。 それにこれまでの義頼の所業から、凡そ酷い事などが出て来るとは思えなかったからだ。
そして蓋を開けてみれば、春家の介錯を務めるのが三村元親であると言った物である。 これであるならば十分に受け入れられると、景季はそう判断したのだ。
「そうか。 ならば、宇喜多春家の降伏を我が名に置いて認める」
「ははっ」
こうして宇喜多春家らの降伏が認められると、春家らは西方寺慈眼院に集められる。 その一方で、伊賀久隆や明石行雄など春家に後を任された者達は改めて義頼に対して降伏の口上を行った。 その後、彼らは義頼配下となり一先ず宇喜多家臣や兵の取り纏めを行う。 無論、監視付きである。 その役目は、永原重虎と長船貞親が担っていた。
そんな中、吉井川の河原にて降伏の条件である主要な宇喜多重臣の切腹が行われる。 宇喜多春家の介錯は、約定通りに三村元親が務めている。 他に首を討たれた者を上げると、富川秀安は北畠具教が介錯を行い岡家利は柳生宗厳が担当していた。
その後、春家の首は三村元親へと渡される。 首を受け取った彼らは、必ず直家の首と共に三村家親の墓前に捧げると改めて誓いあっていた。
なお、春家には一人息子がいたがまだ元服前と言う事もあり命を救われている。 彼は義理とは言え親戚となる伊賀久隆に母親と共に預けられた。
この宇喜多重臣の切腹を持って備前宇喜多家は滅び、備前国は織田領となる。 しかし宇喜多直家は未だ毛利領内において健在であり、厳密には滅んだとは言えない。 だがそんな直家に対し、本多正信ら義頼の幕僚が立てた策が忍び寄るのであった。
備前国も、織田領となりました。
但し、宇喜多直家は逃げおおせていますが……
ご一読いただき、ありがとうございました。




