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第百九十一話~備前国攪乱~

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第百九十一話~備前国攪乱~



 備前国石山城、そこは宇喜多家の居城である。 その一室にて、宇喜多家当主の宇喜多直家うきたなおいえは正に苦虫を噛み潰したと表せる表情をしていた。

 その理由は、電光石火の如く侵攻してきた義頼率いる軍勢にある。 秋の収穫まであと僅かと言うこの時期を狙ったかの様な……いや間違いなく狙ったであろう侵攻に対してであった。

 事前の情報から義頼の軍勢もそれぞれの国元へ一時的にであろうが返す様な動きをしていた事に、少なくとも収穫が終わるまでは小競り合いは兎も角、本格的な戦は起きないと考えていたのである。 しかしいざその段となって見れば、唐突に国境を越えて戦線を一気に抜き長船城近辺にまで進出している。 しかも通過途中にある備前国人衆などから抵抗らしい抵抗もなく入城している事を鑑みれば、下土井城で六角勢の捕虜となった長船貞親おさふねさだちかが義頼に付いた事も恐らくだが想像できた。

 長船貞親は、富川秀安とがわひでやす岡家利おかいえとしと並んで宇喜多家においては重臣中の重臣である。 その彼が幾ら捕らわれた後とは言え、敵方に付いた影響は大きい。 しかも都合が悪い事に、主に備前国人からさもありなんと言う雰囲気が醸成されてしまっているのだ。

 これには直家が義頼に対して敢行した暗殺が、未遂に終わった事によるものが大きい。 それでなくても直家は、姻戚関係を結んだ松田元賢まつだもとかたとその父親である松田元輝まつだもとてるを謀略を使って死に追いやった事がある。 更には石山の地を欲すると、元々石山一帯を治めていた金光宗高かなみつむねたかを難癖をつけて家の存続を引き換えに謀殺した事もあった。

 そんな経緯を持つ直家である事から、もし今後貞親が帰参を果たしても謀殺されるかもしれない。 ならばその前にと彼が考え寝返っても何ら不思議はないだろうと、寧ろ同情的な視線が長船家へと向けられた始末であった。

 此方に関しては完全に備前国人達の勘違いなのだが、しかしその様な気運が生まれたのもまた事実である。 ひいてはこれが、義頼が侵攻前に貞親を通して仕掛け備前国国人に対する調略が上手くいった元ともなっていたのだ。

 その事が根本にあるが故か、義頼が行った侵攻を果たした地域に対する慰撫や降伏勧告は実に滞りなく行われている。 岡家の様な宇喜多家重臣に連なる様な家は流石にそう多い訳ではなかったが、引き換えに備前国人らが義頼の支配を受け入れる要因の一つとなっていた。

 他にも備前国内に、宇喜多家と同様に佐々木氏の流れを汲む家が幾つかあったと言う理由も存在しているが、それはそれであった。

 その事もいい加減頭が痛いのだが、それ以上に厄介な事がある。 義頼が侵攻した事で、六角勢との前線に近い地域で収穫がままならなくなってしまったのだ。

 何と言っても相手は、毛利両川が率いる軍勢を蹴散らした存在である。 しかも軍勢を率いる義頼は、武田信玄たけだしんげん上杉謙信うえすぎけんしんと真っ向勝負をして勝利を得ていた。 その様な敵将が大軍を率いて身近におり、侵攻してきている。 今はその様な噂はないが、それでも何時その矛先が向けられるか分からない。 つまり備前国の者達は、義頼に対してある種の畏れの様なモノを抱いてしまっていたのだ。

 当たり前だが、前線に近い地域であればあるほどその傾向は強い。 当然、収穫など行うより身の安全を確保する方が先となってしまったのだ。 これでは収穫など、土台無理な話である。 前線に近い領地の収穫はほぼ無理であり、致し方ないと諦めるしかなかった。

 こうなると、備前国の西部地域だけで兵糧等の都合を付けなくてはならない。 だが、ここで義頼の仕掛けた兵糧の買い付けが地味に効いてくる。 収穫量が減ったところにきて、去年からの残りもほぼない。 しかも戦はあるので、兵糧の確保は必須なのだから始末が悪かった。

 とは言え、ない袖は振れないのもまた事実である。 そこで直家は、毛利家への援助を求める事にした。 角南重義すなみしげよしに直筆の書状を持たせて、毛利家へと派遣したのである。 その内容を有り体に言えば、援助の要請であった。

 少数の護衛と共に石山城を出た重義は、街道をひた走る。 途中で襲われる事を危惧したが、特に襲われる事も無く国境を越えた事に安堵していた。 しかして、これは偶然ではない。 実のところ重義の一行は、備前国内にて不定期戦を仕掛けていた甲賀衆に発見されていた。 しかし彼らは、敢えて見逃したのである。 その理由は、事前に出ていた命故であった。

 半ば中国地方に対しての兵糧攻めを行っている義頼にとって、戦闘継続力を奪う意味でも敵勢の兵糧は邪魔である。 その邪魔な存在を排除する為に、輸送を行わせるのである。 そしていよいよ手に入れると言った状況で失わせれば、備前国人や宇喜多家直臣の心を攻める事にも繋がるからであった。

 その様な思惑があるとも知らず、使者の角南重義の一行は吉田郡山城へと到着する。 そこで彼は、面会を願い出る。 程なくして面会が許されると、直家直筆の書状を渡していた。

 この要請を受けて毛利輝元もうりてるもとは、叔父である毛利両川や福原貞俊ふくばらさだとし口羽通良くちばみちよしを呼び出していた。


「金の無心ならぬ物の無心か……して御一同、どうなされますか?」


 書状を読み終えた後、口羽通良がそう切り出した。

 しかし、誰も口を開かない。 その為、奇妙な沈黙が部屋を支配していた。 一瞬か、それとも一刻か。 長いとも短いとも取れない静かな時間が、部屋の中を流れて行く。 すると、福原貞俊が重々しく己の考えを告げる。 それは、この要請に応えると言う物であった。

 別に天候不順などがあった訳ではないので、ほぼ予想通りの収穫量である事はまず間違いはない。 そこで領国より少しづつ集めれば、宇喜多家に送る分ぐらいは余裕で確保できるのだ。

 これは、数か国に渡る領地を持つ毛利家だからできる手である。 領地が広いと言う事は、当然収穫で得られる量も多いと言う事に他ならない。 そこで領内の各国より少しづつ集める事で、一国が負担する宇喜多家への援助物資の徴収量を少なくしたのだ。

 しかも宇喜多家は、義頼の収穫直前と言う時期の侵攻を受けて心ならずも領地が減っている。 当然だが輸送する量は宇喜多家が備前一国を押さえていた頃よりも少なくなるので、毛利家の負担はより少なくなるのも幸いと言えた。

 また毛利家としても、義頼に敗れた上に早々兵を退いた言う事もあって何とはなしに要請を断り辛い。 その後ろめたさとも取れる空気を払拭する為にも、此処は要請に応えておくのが得策である。 そう決断した彼らは、早速にでも領国内より少しづつであるが物資を集め始めた。

 これが功を奏し、予想通り毛利家内における不満はかなり抑えられている。 その事に安堵しつつ、毛利輝元もうりてるもとや毛利両川ら重臣達は胸を撫で下ろしていた。

 次に彼らは、集めたこれらの物資を宇喜多家へと輸送し始める。 初めは船でと考えたのだが、この物資は虎の子とも言える存在である。 そこで安全性を考え、陸路による輸送を行っていた。 但し途中で通る事になる備中国が不安の種とも言えるが、それを言い出せばきりがない。 毛利家は陸路による輸送を決断し、順次出発させた。

 こうして直家が何とか兵糧の確保に奔走しているその裏で、義頼の備前国侵攻は徐々にではあるが進められていた。

 しかしながら長船城までは一気に進んだ当初の動きとは裏腹に、長船城に本陣を移してからの進軍は大分遅くなっている。 だが侵攻速度の遅滞とは裏腹に、味方の士気は高い。 その理由は、先鋒を務める三村元親みむらもとちかにあった。

 この宇喜多家の戦は、彼らに取り待ちに待った雪辱戦だからである。 しかしながら、元親らには兵が殆どと言っていいぐらいにいないのだ。 士気云々は置いておき、そもそも兵がいなくては話にならない。 そこで義頼は釣竿斎宗渭ちょうかんさいそうい三好政康みよしまさやす)と弟の三好為三みよしいさん、それと為三の嫡子となる三好可正みよしよしまさが援軍として付けられていた。

 因みに三好為三だが、これは三好政勝みよしまさかつが家督を息子に譲り剃髪後、名乗った法名である。

 何であれ三村元親は、釣竿斎宗渭と為三と可正と言う援軍と共に敵へと当たっていく。 彼ら三村勢は、当たるを幸いに攻勢を掛けていた。

 ただ元親とて、殄戮(てんりく) を行う気はなどはない。 彼ら三村家の者にとって、どうあっても許せないのは宇喜多直家である。 彼の男の首を暗殺された三村家親みむらいえちかの墓前に捧げるまで、どうしても許せなかったからだ。

 しかしながら逆に言うと、彼ら三村家は宇喜多直家さえ確保できればそれでいいとも言える。 無論、それで恨みの全てが晴れる訳ではない。 だが、例え少数でも援軍を送ってきてくれた六角家の意向を無視してまで声高に言う事も憚れる。 そんな彼らの妥協点が、直家の首なのだ。

 そして義頼としても、幾ら同族の流れを汲んでいるとは言え今更直家と手打ちなど御免被る。 最低でも世代が変わらなければ、本当の意味での交渉などあまり行いたくはなかった。

 最も、今も交渉自体は行われている。 直家の派遣した弟の宇喜多春家うきたはるいえと、小寺孝隆こでらよしたかの間でである。 しかし元から纏める気のない孝隆によって、のらりくらりと躱されている状況であった。





 さて吉田郡山城を出た宇喜多家に対する援助物資だが、無事に懸念であった備中国を抜けていた。

 輸送の任を受けた奈古屋元堯なごやもとたかはいささか興ざめしたが、問題がないに越した事はない。 やがて到着した国境に程近い備中高松城にて、物資の引き渡しを行う。 宇喜多家側の将は、能勢頼吉のせよりよしであった。

 そして彼らを守るのは、城主の清水宗治しみずむねはるである。 【備中兵乱】が始まった頃、彼は三村家より離反して毛利家に付くつもりであった。 父親の敵を討ちたい三村元親の気持ちも分からなくはないが、相手は中国の雄である毛利家。 とてもではないが、勝ち目が見えなかったからだ。

 だが、六角家が接触してきているのを知った彼は、毛利家に付くと言う考えを改めたのである。 六角家、当然だが後ろに居るのは織田家である。 その織田家は、武田家を破りそして上杉家からも勝利をもぎ取っている。 そしてそこには、少なからず六角家……否義頼の影があった。

 であるならば、必ずしも負けるとは言えないかも知れないと思案の後に結論付けたのである。 そう心に決めると宗治は、侵攻してきた毛利勢に対して果断に抵抗した。

 庶兄である清水宗知しみずむねともと弟の難波宗忠なんばむねただ共に、備中高松城に籠ったのである。 彼らは必死に城を守り、最終的には三村元親が備中松山城を脱出するまで抵抗を続けたのだ。

 しかしながら【備中兵乱】終息後に、毛利家の意向を受けた河原直久かわはらなおひさ竹井直定たけいなおさだが使者として現れると宗治に開城を迫ったのである。 すると暫く考えた様な素振りをした後で、素直に開城を承諾したのだ。

 これには裏があり、直久と直定が訪れる数日前に三村家忍び衆の一人である中村家好なかむらいえよしが現れたかと思うと、備中松山城が落城するまでの経緯を聞き及んでいたのである。 これは、【備中兵乱】の責任を取るとして切腹した三村正親みむらまさちか石川久式いしかわひさのりが出した最後の命によるものであった。

 つまり、一人でも三村家側に残った家臣達を残すべく、二人は三村家忍び衆に詳細を伝えさせたのである。 この話を事前に知っていた為に、開城の要請に対して応じたと言う訳であった。

 すると毛利家は、宗治の待遇をそのままとする。 これは、毛利家による備中国人の取り込みの一環として行われた物である。 しかし当の宗治は、恩義とは全く感じていなかった。

 それも、そうであろう。 前述した通り、三村元親が逐電しなければならなくなった直接の理由は他でもない毛利家にあったからだ。 それでも、もし元親や嫡子の勝法師丸かつほうしまるが亡くなっていればまた話は違っていたかも知れない。 しかし元親も勝法師丸も生存している現状では、毛利家に尽くす気などほぼ皆無であった。

 しかも宗治の前では、毛利家家臣の奈古屋元堯と憎んでも憎み切れない宇喜多家家臣の能勢頼吉が見た目上は和やかに物資の受け渡しをしている。 その守備を命じられているのだから、彼の気持ちは押して知るべしであった。

 だが宗治、そんな感情を押し殺しながら黙々と命じられた職務を全うしている。 程なくして物資の受け渡しを終えると元堯は吉田郡山城へ、頼吉は石川城へと戻って行く。 そんな両名をじっと視界に収めつつ、宗治はただただ忍の一字で己を押さえ続けていた。

 その一方で無事に物資を受け取った頼吉であったが、備前国へ入ると間もなく必死とならざるを得なくなっていた。 それは、今正に襲撃を受けているからである。 しかも敵と思われる相手の目的は、兵糧にあるのは明白であった。


「……くっ! こいつらかっ!! 最近、領内を荒らしまわっている不届き者と言うのはっ!」


 宇喜多家は、義頼が仕掛けた襲撃部隊による不正規戦闘によって、元々少なかった物資を減らされている。 その物資を補うのが、毛利家から送られた頼吉が今運んでいる兵糧等である。 それ故に、何としても守らなければならなかった。

 しかし相手は手馴れているらしく、中々間近で見える様な所には表れない。 陰に隠れつつ、嫌がらせの様に攻撃を仕掛けていた。 それはまるで、少しづつ相手を削るかのごとき嫌らしい攻め手である。 しかし頼吉にしてみれば、彼らに構ってなどいられない。 何としても、先ずは石山城へ運ばなければならないからであった。

 だが、程なくして誤算が生じてしまう。 それは、兵の暴走であった。 頼吉は己を律し、嫌らしい攻勢にも我慢し続けたが、兵までが出来るかは別問題である。 堪忍袋の緒が切れたらしく、一部の兵が勝手に反撃を始めてしまったのだ。

 慌てて落ち着く様にと命を出すが、完全に血が上っている様で聞き入れない。 此処で最悪な事に、残りの兵からも賛同して反撃を始める者達が出始めてしまった。 こうなっては、兵の手綱を操るのは難しい。 頼吉には、兵が落ち着くのを待つより他になかった。

 これにより完全に足が止まり、そればかりか意識としても味方の兵に向いてしまう。 この好機を、襲撃部隊を率いる望月吉棟もちづきよしむねが見逃す筈はなかった。

 甲賀衆精鋭による、物資に対する奇襲を行ったのである。 はっきり言えば、焼き討ちであった。 頼吉ら宇喜多勢の意識が逸れた事が確認されると、物陰から火矢にて火を付けたのである。 しかもただの火矢ではなく、義頼の提案によって改造された物であった。

 具体的には、矢に火薬を詰めた筒を追加で装填したのである。 しかも、雨天時でも消えにくい「雨火縄」を使用した導火線を使用している。 これによりほぼ天候に関係なく、火矢を放てる様にしたのだ。

 また弓も、武士が使う様な大弓ではなく小弓を使用している。 射程は完全に劣るが、元からある程度近づいて隠れながら撃つ事を想定しているので問題とはならなかったのだ。

 そんなある意味新装備による焼き討ちは、思いの外上手くいく。 撃ち込まれた火矢からは次々と火薬の破裂による爆発が起こり、発生した炎が舐める様に物資を飲み込んで行く。 消火しようにも、大量な水など近くにはない。 宇喜多勢にできた事は、せいぜい土を掛けるぐらしかなかった。

 そんな右往左往している敵勢を見ていた吉棟であったが、何時までもこの場に留まっていては何れ危険となる。 頃合いを見計らって、一時撤退する事とした。

 そのお陰もあってか、兵も落ち着きを見せる。 そこで能勢頼吉は、物資の鎮火を命じた。 三分の一程の兵で警戒を行い、残りの兵で鎮火を行ったのである。 しかしながらそれなりの数の物資が焼けてしまい、それらは使い物にならない。 厳密に調べればもう少し救えるだろうが、そんなものは微々たるものでしかなかった。

 それよりも、今は残った物資を持って急いでここを離れる必要がある。 頼吉は断腸の思いで、ぱっと見で使えそうもない物資は捨て置くと急ぎこの場より離れたのであった。

 それから暫く、吉棟が甲賀衆と共に戻って来る。 彼らの目的は、戦果の確認であった。


「首尾は中々、と言ったところか。 まずまずだな」

「はい、拙者もそう思います」

「うむ。 では、念の為に残された物資で使える物が無いかを探っておくとしよう。 右馬允、頼むぞ」

「はっ」


 吉棟は後を石部家清いしべいえきよに託すと、他の甲賀衆と共にその場を去る。 彼らは、次の獲物に向けて移動を開始したのであった。

 そして何とか望月吉棟率いる甲賀衆の襲撃から逃れた能勢頼吉であったが、確認してみると被害はやはり大きかった。 それでも逃れられた事に変わりはなく、彼は一息入れると言う意味込めて、暫しの休憩を行う。 当然、警戒は怠らない。 しかし、休憩中に敵からの追撃を受ける事はなかった。

 やがて休憩も終わり進軍を再開しようとした正にその時、僅かに生まれた隙を突く様に甲賀衆による再度の襲撃が行われたのである。 しかも襲ったのは、吉棟率いる者達ではなかった。

 実は甲賀衆だが、備前国に潜入すると幾つかに分かれている。 先程の吉棟に率いられた者達しかり、今襲ってきた者達しかりである。 そして彼らだが、鵜飼源八郎うかいげんぱちろうに率いられた甲賀衆であった。 源八郎は敢えて休憩中は襲わず、進軍に移る為に意識が変わる瞬間を狙った攻勢を掛けたのである。 これはそれなりの成果を生み出したが、やはり一度の襲撃後故に迎撃態勢を整えるのも早かった。

 頼吉の命により迎撃態勢へと移行し始めているのを見咎めた源八郎は、内心で臍を噛む。 敵の対応が、予想より早かった為であった。 すると源八郎は、早々に撤退へと入る。 彼にとって今回の襲撃は、あくまで備前国制圧の一環である。 此処で無理をしてまで、襲い続ける必要はないのだ。

 こうして短い合図を出しつつ消えた鵜飼源八郎を追うかの様に、甲賀衆も立ち去る。 それから暫く、襲撃はもうないと確信した頼吉は、進軍を再開させ今度こそ石山城へと向かった。 

 漸くと言った感じで石山城へと到着した頼吉の最終的な損失だが、全体の三割程になると思われる。 思った以上の損害であり、内心で頭を抱えていた。 とは言え、報告をしない訳には行かない。 彼は内心で、主からどの様な叱責を受けるのかを憂慮しつつも報告を行った。

 頼吉が僅かに体を震わせながら報告をする間、宇喜多直家は腕を組みじっと耳を傾けていたが、やがて報告が終わると腕を解き目を開く。 そしてゆっくりとした口調で、彼をねぎらったのである。 今は一人でも将が欲しい時であるので、下手な対応を行って離反される事を直家は恐れたのだ。


「……あ、殿。 その、放免ですか?」

「そなたは、物資を届けた。 しかし少なからず減らした、これで相殺とする。 下がってよい」

「は、ははっ」


 被害の大きさから叱責かはたまた厳罰かと少し怯えていた頼吉であっただけに、此度の対応に驚きがあった。

 とは言え、処罰がないと言うならば幸いである。 頼吉は内心で安堵と喜びをかみしめながら、表面上は粛々と直家の前から辞していた。

 そして部屋に残った直家はと言うと、頼吉が消えてもじっとある一点を見詰めていた。 しかしながら、彼の目に部屋の情景は写っていない。 その理由は、完全に思考へと埋没していたからだ。

 未だに弟の宇喜多春家うきたはるいえから喜ばしい内容の書状が届かないところを見れば、交渉が難航している事は理解できる。 しかも国内では、神出鬼没とまでは言わないが襲撃が成功不成功問わずに頻発している。 民が巻き込まれていない事は幸いだが、この襲撃による被害も真綿で首を絞められる様で鬱陶しかった。

 その上、この襲撃に対応した隙を狙うかの様に義頼による侵攻が行われたのである。 彼の先発隊が例え騎馬で構成されていたとは言え、素早く長船城にまで進撃できた理由でもある。 つまり義頼は、収穫直前の僅かな気の緩みと先行して潜入させ備前国内を荒らす甲賀衆に対応する機会を見計らって電撃的に進撃したと言う訳であった。


「……状況は悪いが、まだまだ諦める訳には行かぬ。 何としても、生き残る道を探らねば……」


 独り言のように呟く直家だが、彼の目には諦めの色など見えない。 そこにあるのは、如何にしてこの危急から脱するかと言う思いだけである。 しかしそんな直家の思いを嘲笑うかの様に、事態は動いていくのであった。

う~む。

筆のノリにムラが……っと、裏方活躍中の甲賀衆です。


ご一読いただき、ありがとうございました。


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