表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
193/284

第百九十話~備前国侵攻~

お待たせしました。


第百九十話~備前国侵攻~



 織田信長おだのぶながの元へと送った密使の十河存保そごうまさやすが、三好長治みよしながはるの居城である勝瑞城へと戻って来た。

 その後、彼から報告を受けた長治と篠原長房しのはらながふさは、先ず先ずの首尾に胸を撫で下ろす。 だが本番は、むしろこれからである。 長房としても策自体は上手くいくと考えているが、成功が保証されている訳ではない。 もしかしたら想定外の事が起き、結末が全く違うものとなるかも知れない。 そうならない為にも、油断なく策を進めるつもりであった。

 篠原長房は新開道善しんがいどうぜんを通して細川真之ほそかわさねゆきに付いた者達へ、都合のいい情報を多めに流しそして不利な情報を少なめに流して行く。 その結果、今こそが決起の時と真之らは三好長治の打倒を掲げて決起したのだ。

 大将の真之は、福良連経ふくよしみちつねが彼の為に築いた茅ヶ岡城にて兵を挙げる。 次いで小笠原成助おがさわらなりすけは、一宮城にて兵を挙げている。 そして連経はと言うと、生夷城にて兵を挙げたのだ。

 奇しくもそれは、阿波三好家を味方に取り込もうと安国寺恵瓊あんこくじえけいが四国に現れた頃である。 流石にこの状況では、安国寺恵瓊でも会う事は叶わない。 これにより阿波三好家は、毛利家と織田家の戦に巻き込まれるのを回避したのであった。

 この阿波三好家の内訌については、瀬戸内海を挟んで反対側で戦をしている義頼や四国攻めの総大将が内定している明智光秀あけちみつひで、そして四国攻めの副将となる羽柴秀吉はしばひでよしにも知らされている。 阿波三好家で内訌が発生する日より数日前にそれぞれの元へ信長からの軍使が密かに現れ、背後関係に関する情報が届けられたからであった。


「……何とも、大胆と言うか。 それとも、無謀と言うか……」


 感心しているとも呆れているとも取れる言葉を呟いたのは、沼田祐光ぬまたすけみつであった。

 そもそも、この内訌自体は義頼もそして光秀も秀吉も掴んでいる。 義頼は海を挟んでいるとは言え隣国であったので、念の為にと情報を集めていたからである。 そして光秀と秀吉はと言うと、程なく攻める事になる地なので色々と情報収集をしていたのだ。

 その過程においてそれぞれ三人は、阿波三好家で不穏な気配が蠢いているのを察知したのである。 すると三人とも、信長へと情報を届ける。 やがてその返書としてきたのが、阿波三好家に置いて行っているであろう仕組まれた内訌騒ぎについてであった。


「まぁ、同意はするな。 ところで正信、この内訌だが誰が仕組んだ?」

「恐らくですが、右京進(篠原長房)殿でしょうな。 と言いますか、今の阿波三好家家中にこれだけの策を企てかつ実行に移す御仁など彼以外に居るとは思えません」


 事実畿内より三好家が追われ、方針の違いから三好家宗家の三好義継みよしよしつぐとは袂を分かった状態となった阿波三好家を引っ張り支えてきたのは篠原長房に違いはない。 ただ少々強引にでも引っ張って来た事から多少は家中から不満と恨みを買ったが、彼自身が有能故に足を引っ張る事はなかった。

 しかし弟の篠原自遁しのはらじとんが行った讒言を切っ掛けにその不満と恨みが爆発し、一時は主君である三好長治から攻められる寸前にまで追い込まれたのだ。

 だが赤沢宗伝あかざわそうでんによる執り成しと、彼から提供された自遁と母親の痴情を聞くと長治は急遽派兵を取り止める。 それから密かに調べさせた結果、宗伝が言った事こそが正しく自遁の進言は兄を陥れ様と画策した物であった事を突き止めたのだ。

 長治はその報告に、驚きを隠せなかったと言う。 しかしながら彼は、動揺しつつも処分を行った。 実母の小少将は古寺に押し込め、自遁は蟄居閉門後に切腹させている。 そして本人は非公式ながらも長房へと謝り、それを持って事を収拾したのだ。

 なお長房には再出仕を要請したが、長房自身が隠居を申し出た事もあって最終的には認めている。 以降彼は、長治のお伽衆として傍にあり、助言する事で主君を支えていた。 一見すると隠居後も変わらない様に見えるが、実質的にはかなりの違いがあった。

 隠居前は先頭に立って阿波三好家を引っ張ってきたが、隠居後はあくまで長治と相談の上で主君の命で実行させている。 つまり公式的には決して表に出ず、あくまで相談役に徹していたのだ。

 此度の件についても、詳細を信長へと知らせただけでしかない。 しかし策の内容から、信長はこの危急時に長房が主導したと直感する。 だからこそ十河存保へ、長房宛の言葉を託したのであった。

 それはそれとして義頼から尋ねられた本多正信ほんだまさのぶが答えると、祐光と小寺孝隆こでらよしたか馬淵建綱まぶちたてつなも頷いている。 彼らの意見は一致しており、それは義頼も同じであった。


「ま、そうだろうな。 嘗てであればいたかも知れ……と言うか居たか道意どういが」

『確かに』


 今は義頼の家臣である道意こと松永久秀まつながひさひでだが、嘗ては三好長慶みよしながよしに仕えていた。 その彼に対して、「天稟を持ち、博識で辣腕。 腕利きで狡猾」と批評をした者がいる。 そればかりか、嘗ての敵であった筒井家の重臣から疎まれつつも一目置かれていたぐらいであった。

 何であれ、道意であれば長房と向こうを張れた可能性は多分にある。 最も長房以上に疎まれていた男でもあるので、実行できたかと言われれば必ずしも頷けないところであった。


「道意の事はいいとして、今問題なのは阿波三好家なのだが如何せん四国で起きている事だ。 警戒をしない訳には行かないが、今のところはあまり関係もないか」

「そうですな。 どちらかと言えば、日向守(明智光秀)や紀伊守(羽柴秀吉)殿の領分ですな。 それはさて置き殿、どなたを警戒に当てまするか?」

「そうよな……掃部助(三木通秋みきみちあき)と弥三郎(赤松広秀あかまつひろひで)当たりか」


 両者とも播磨国人であり、三木通秋は三木氏当主であり英賀城主でもある。 そして赤松広秀だが、彼は龍野赤松家を継いで以降は名目上の謹慎場所であった才構居に身を置いていた。 そしてこのどちらの城とも、海に近いところに建てられている。 そこでこの二つの城にて警戒し、対岸の四国で何かあった場合の対応を行うつもりであったのだ。

 すると、正信や祐光や孝隆ら幕僚達が賛成の意を示す。 と言うのも彼らは、この騒動に付け込む形で毛利家が反撃に出る可能性を恐れたのだ。 来島村上家との接触は続けているが、彼の家より明確な回答を得ていない。 つまり、どうしても海上からはいささか防御が弱かったのだ。

 そこにきて、仕組まれているとは言え阿波三好家の内訌騒動である。 これを劣勢な流れを変える好機と捉え、攻めて来ないとも限らなかった。 この収穫を控えた時期で兵農分離を行っていない家では難しいが、相手は毛利家である。 多少の無理は、呑み込めるぐらいの力はあるのだ。

 流石に何年もは無理だが、一年ぐらいならばその屋台骨が揺らぐことはない。 毛利両川やこの二人に口羽通良くちばみちよし福原貞俊ふくばらさだとしを加えた四人衆とも言われる彼らが支えているので、それは尚更であった。


「ところで正信、話は変わるが甲賀衆の方はどのような塩梅だ?」

「はっ。 大いに効果を表している様です」

「そうか。 して、貞親の方はどうだ?」


 義頼が名をあげたのは、元宇喜多家家臣の長船貞親おさふねさだちかであった。

 下土井城にて捕らわれた後、説得を受けて彼は長船家が六角家に所属すると言う条件で義頼に降伏したのである。 その後は密かに備前国へと派遣され、長船家の取り込みを行った。

 同時に直家が浦上家を滅ぼす際に神輿とした浦上久松丸うらがみひさまつまる改め浦上秀宗うらがみひでむねの確保、及び元浦上家家臣の引き込みを実行させている。 すると長船は義頼の期待に応え、自分の二人の息子である長船綱直おさふねつななお長船定行おさふねさだゆきを宇喜多家より離反させた。

 長船家を押さえれば、彼の家に預けられていた浦上秀宗の確保も簡単である。 どの道、籠の鳥と言った状況にあるので秀宗に他の道はなかった。 また元浦上家家臣の引き込みも順調であり、そのお陰で備前国内の城についての情報なども入手していた。 


「こちらも順調かと」

「では、もう頃合いか?」

「はい。 今が攻め時でしょう。 ただ、四国の情勢がどれだけ影響するか分からないのが懸念材料ですが……」

「それは、仕方あるまい。 状況に応じて臨機応変に動くしかないな。 その為にも、情報は欠かすな正信」

「承知しております」


 取りあえず大体の事は把握できたので、義頼は一先ずお開きとした。

 彼らが退出後、三木通秋と赤松広秀を呼び出して彼らに事情を話した上で海岸に対する警戒を行う様にと命じる。 両者は平伏して拝命すると、早速準備に入った。

 それぞれの陣へと戻った二人は、直ぐに出立の準備を始める。 やがて軍勢が整うと、通秋は英賀城へそして広秀は才構居へと向かった。

 そして二人以外の者で国元帰る必要がない六角家家臣、それと近江衆と丹波衆と大和衆は備前国内への侵攻を準備する。 しかもこの動きは、細川家や一色家の様に一端国元へと戻る者達の動きに紛れてしまう。 義頼も意図した訳ではないが、結果として毛利家や宇喜多家に備前国侵攻準備が悟られなかったのであった。

  



 その頃、宇喜多家では当主の宇喜多直家うきたなおいえが苦虫でも噛み潰したかの様な表情をしていた。

 彼がそんな表情となったそもそもの切っ掛けは、領内の各城にある兵糧が軒並み減っている事にある。 ここ数年の時より、各城の備蓄がかなり少ないと言う現状に直家は初め違和感を覚えていた。

 しかし備前国は無論の事、美作国や毛利家の領地の全てではないが同様の事が起きているとの報告に、戦が続いたせいかと彼は結論付けたのである。 事実、宇喜多家は浦上家との戦に続いて織田家との戦となり連戦に次ぐ連戦となっている。 その事を鑑みれば、予想外に兵糧が減っていてもあり得る話であったからだ。

 しかし、あまりにも少なすぎるのも問題がある。 そこで直家は、己自身の居城にある石山城にある分は勿論、比較的兵糧を残していた城からの輸送を行う事にした。 どの道、近いうちに収穫による年貢が入って来る。 それまで持たせれば、この急場は凌げるとの考えであった。

 だがここで、予想外の事が起きる。 何と、輸送した分の兵糧の悉くが襲撃を受けたのだ。 その被害は思った以上に大きく、輸送した全体の半分ぐらいしか届けることが出来なかったのである。 これは、襲撃者が奪う事より燃やすなど損失させる事を優先した為である。

 なおこの襲撃者たちの正体だが、甲賀衆であったのは言うまでもない。

 兎にも角にも、多大な被害が報告された直家は眉を寄せながら苦虫を噛み潰していたのである。 こうなってしまうと、自領内で備蓄を回すのにも支障をきたしてしまう。 そこで直家は、毛利家へと救援の要請を行う事にした。

 翻って要請を受けた毛利家だが、渋々ながらに要請を承認する。 何だかんだ言っても、宇喜多家が織田家と直接対峙している事態である。 同盟相手と言う事もあって、無碍にはしづらかったのだ。 しかしながら、直ぐに輸送と言う訳にもいかない。 それでなくても先の遠征とその失敗もあって、毛利家領内にある分に余裕があるとは言えないからだ。

 毛利家領内各国から少しづつ集めれば、左程の無理をしなくても宇喜多家の分は確保は可能である。 それであるからこそ時間が掛かるので、毛利家からの援助は収穫直後ぐらいかと思われた。


「まぁ、致し方あるまい。 寧ろ、断られなかっただけま「殿! 一大事にございます!!」し……何だ文右衛門、その様に泡を喰って」

「そ、それが……織田勢が攻めてまいりました!」


 そう言ったのは、直家の近臣であり本丸小番衆でもある金光文右衛門かなみつぶんえもんであった。

 その言葉を聞くと、彼はゆっくりと文右衛門を見据える。 それからもう一度、直家は文右衛門に報告をさせた。

 すると、一言一句違える事無く彼は主へと告げる。 次の瞬間、直家は文右衛門に詰めよっている。 彼をして思わずそう行動してしまうぐらい、衝撃的な報告だったからであった。

 だが同時に、兵糧が予想以上に減っていると報告を受けた時に感じた微かな違和感が拭い去られる。 全ては、これだったのかと。

 そこまで思いが至った時、直家は領内の現状に顔色を変える。 現状に置いて宇喜多家は、はっきり言って兵糧に余裕がないどころか全く足りない状況にあるからだ。 収穫を目前にしていると言う事もあって、各城の備蓄についてもどこか楽観視していたのだ。 

 しかし敵が攻めて来るとなれば、話は別である。 戦を行っていない平常時であっても足りないかと言う次第であるのに、この状況で防戦を行なわければならない。 しかも収穫の為にと兵を解散させたばかりであり、再度兵を徴収するなど土台無理な話でしかないのだ。

 この様な状態での籠城など、酔狂以外何者でもない。 しかし打って出ようにも兵の絶対数があまりにも足らず、鎧袖一触となるのは火を見るより明らかであった。 しかしそれでも、兵を出さない訳には行かない。 直家は表情を歪めながらも、迎撃の指示を出したのである。 だがそれは、遅きに失した命であった。





 三石城を出陣した義頼の軍勢だが、大きく分けて三つに分かれていた。

 一つは、騎馬で構成された軍勢である。 この中には、鉄砲騎馬隊も存在していた。 彼らは近江衆の蒲生頼秀がもうよりひでを大将とした軍勢で、その快足を持って比較的海岸に近い街道に沿って一気に西へと向かった。

 しかし大将を務める頼秀は、途中の交戦を出来るだけ避けてただひたすらに進んでいく。 目標は長船家の居城であり、浦上久松丸の城である備前福岡城だからだ。 最低でも長船城に入り、現地に居る長船貞親と合流しなければならない。 その様な理由もあり、頼秀は移動を重視して宇喜多領内をひた走ったのであった。

 それに続くは、義頼率いる本隊となる。 優に万を数える軍勢であり、その圧倒的な兵力と長船貞親の働きで味方となった元浦上家家臣の助力を持ってやはり西へと向かっていく。 途中で幾度か交戦となったが、そもそもの兵力が違う事もあって戦らしい戦になどならなかった。

 ただこちらもどちらかと言えば進撃速度を重点としていたので、籠城を行った宇喜多家家臣は捨て置いている。 しかし、それが幸せかどうかは意見が分かれるであろう。 その理由は、最後に続いた部隊の構成にあった。

 三つ目の軍勢、それは大砲や火縄銃などの火力に重きを置いた部隊である。 歩兵に守られたこの部隊は、歩みは遅いが攻撃力は義頼の軍勢一である。 そんな彼らが、街道に程近い城でかつ籠城と言う選択を行った者達へその攻撃力を叩きこんだのだ。

 その威力と音は凄まじく、味方が少ないと言う事もあって例え一斉射だけであったとしても籠城勢の士気を叩き折るには十分であった。 もし士気が折れなかったとしても、元浦上家家臣による手引きで城の弱みを暴かれてしまう。 更には、残り少ない兵糧の心配もある。 人間、物がなくなってしまった後より、なくなりそうな過程が一番堪えるからだ。 そのせいもあって、籠城が長く続く事はまずない。 大抵は、半日も持たずに開城していた。

 しかし普通であれば、分けた部隊の歩みの違いから各個撃されかねないのだがそうはなっていない。 その理由は、宇喜多家が兵を集められなかった事にあった。

 最も義頼は、それを狙って事前より策を仕掛けたのである。 更に宇喜多家や毛利家の軍勢にさきがけて、長岡家や一色家や山名家の兵を国元へ戻す動きを見せていた。

 これにより毛利家も宇喜多家も、織田家が収穫時は攻め込まないと錯覚したのである。 だからこそ彼らも、一度軍勢を解散すると言う決定をしたのだ。

 しかしながら織田家は兵農分離を進めているので、そもそも攻める時期を選ぶ必要がない。 流石に真冬などで雪が深くなれば無理だが、それ以外であれば農閑期や農繁期を考える必要がなかった。 ましてや義頼は、織田家よりも早く兵農分離の先駆けとも言える行動を行った六角家の当主である。 収穫時などを狙って敵の隙を突くと言う戦のやり方は、織田家以上に理解していると言って良かった。 

 此処に備前国へ侵攻した義頼だが、同時に井伊頼直いいよりなおへ指示を出して軍勢を押し出させている。 義父となる義頼から遅れること一日、彼は美作国へと侵攻したのだ。

 義頼の事前の調略と、宇喜多家から事実上の美作国放棄を美作国の国人へと伝えていた事もあり、侵攻は速やかに行われる。 織田家に擦り寄った美作国国人の蜂起もあって、宇喜多家寄りの立場を取った美作国国人は僅かのうちに追い込まれて行った。

 そんな国内の流れを感じ取ると、中立の対場を取った美作国人も織田家へと靡いて行く。 こうなっては最早立ち行かないとして、彼らもまた順次織田家に降伏していく。 やがて美作国は、大半が織田家の勢力下に収まっていく。 残るは、毛利家寄りの態度を示した者達だけであった。

 こうして美作国侵攻を順調に推し進めている頃には、蒲生頼秀率いる騎馬で構成された軍勢が長船城へと到着していた。 すると抵抗どころか、ゆっくりと大手門が開いていく。 門をくぐるとそこには、長船貞親と義弟となる長船源五郎おさふねげんごろうが居る。 他にも貞親の息子である長船綱直おさふねつななお長船定行おさふねさだゆきの兄弟、都合四人からの出迎えを受けた。

 三人とも貞親の説得に応じており、それは家臣も同じである。 これには備前国内全体で備蓄が少なくっている事もあるが、何より毛利両川が率いた軍勢を真正面から戦い打ち破ったと言う事情が最大に影響していた。

 他には、先の暗殺未遂騒動がまだ尾を引いていると言うのもある。 もしかすると直家から長船家が切られるのではないかと憂慮してであり、今までの事があって必ずしもないとは言い切れない。 だからこそ長船家は、家臣も揃って宇喜多家より離反する決意をしたのだ。

 先行した頼秀らが貞親と合流してから数日、いよいよ義頼率いる中軍が長船城にと到着する。 城に通じる道には頼秀ら騎馬隊が勢揃いしており、そして城の大手門の前には長船貞親以下長船家一門の者達が雁首揃えて出迎えていた。

 やがて馬廻り衆と藍母衣衆に守られた義頼が、軍勢から離れる。 大手門に近づいた時点で馬を降りたかと思うと、ゆっくり貞親に近づいたのであった。


「お待ちしておりました。 右少将様」

「ああ。 ご苦労だった、貞親。 して、そこに控えるのは?」

「はっ。 妹婿の源五郎、それから嫡男の綱直と二男の定行にございます」 

「そうか。 流石はその方の義弟と息子だ、中々に皆良き面構えよ」

『ありがとうございます』

「うむ。 貞親同様、そなたらにも期待するぞ。 励め」

『はっ』


 その後、長船城内に入ると義頼はある部屋へと通される。 その部屋には、備前福岡城に居る筈の浦上秀宗がいた。

 何故に備前福岡城に居る筈の彼がいるのかと言えば、密かに長船城へと戻っていた貞親によって居城の備前福岡城から長船城へ密かに移動していたからである。 無論、宇喜多家が感づかない様に影武者を置いている。 年恰好が同じくらいで、まだ伊賀衆として引き立てられていない者に変装を施しているのだ。

 更にはその者を補助する為に、伊賀衆を一人派遣している。 その派遣した者とは、変装の名人とされた山田ノ八右衛門やまだのはちえもんと言う伊賀忍びであった。 その様に彼らを備前福岡城に置き、浦上秀宗がいる様に演出して宇喜多直家の目を誤魔化したのである。 その隙に城を抜け出ると、長船城に匿われたのであった。

 なお秀宗が義頼の話に乗った理由だが、身の危険を感じてである。 事実、秀宗は誰とも分からない存在に命を狙われていたのだ。 しかも長船家は、あずかり知らぬと言う。 演技かと秀宗もそして数少ない彼の家臣は訝しんだが、それにしては真に迫っている。 となれば、本当に知らないと判断してよいと思われた。

 そうなれば命を狙っている最有力候補として思い浮かぶのは、宇喜多直家である。 義頼に対しても家中の誰にも諮らず密かに暗殺を仕掛けた彼であるので、その矛先が己らに向かないとは到底思えなかった。 そこにきての、貞親を通してだが義頼からの調略である。 宇喜多家に居るにしろ義頼の元に転がり込むにしろ、神輿となるのは想像できる。 ならば同じ待遇でも、命の危険が少ない方に掛けるのはむしろ自然の摂理であった。

 因みに義頼はと言うと、秀宗を神輿とした後も監禁するとか全く考えていない。 彼を味方にしたのは、備前国を攻めるのもあるが寧ろ備前国陥落後にこそ本当の役割があると言っていい。 宇喜多家を排した後は、備前国国人の抑えとしての役目を与えるつもりなのだ。

 最もそこには、織田信長や織田信忠おだのぶただの意向も入る可能性があるので絶対とは言い切れない。 それでも義頼は、浦上家に任せる様にと進言は行っていた。

 何であれ当初の予定通り、浦上家当主と目される浦上秀宗を押さえると本陣を長船城に置く。 そこで秀宗を理由として、周辺の慰撫や取り込み。 そして、城攻めも行っていた。

 彼が最初に出向いたのは、 肩脊城である。 この城は貞親と並ぶ宇喜多家家老の一人岡家利おかいえとしの居城である。 しかし彼は直家の命で石山城下町の建設に携わっている事から居城におらず、代わりに嫡男の岡貞綱おかさだつなが守っていた。

 貞綱は長船城に義頼の軍勢が入った事を知ると同時に、長船家が宇喜多家より離反した事を理解する。 急いで籠城の構えを取ると、直家に長船家の離反と援軍の要請を記した書状を出した。 しかしこの使者は、事前に備前国内に侵入していた甲賀衆によって捕縛討ち取られてしまい、書状が直家の元まで届く事はなかったのであった。


「さて、と。 では、孝隆。 使者の役目を頼むぞ」

「はっ」


 義頼の言葉を受けて、小寺孝隆こでらよしたかが肩脊城へ使者として赴く。 数名の供と共にに向かった一行だが、その中に首桶を持った者がいた。 しかるに桶の中には、言うまでもなく首が納められている。 それは、貞綱が直家へと送った使者の首である。 そして孝隆の懐には、此方も甲賀衆が回収した書状が納められていた。

 これらを持って軍使として肩脊城へ入ると、これらの物件を証拠に抵抗は無駄である事を彼らに告げる。 口だけならば嘘だと否定も出来たが、使者の首と貞綱直筆の書状まで出されてはぐうの音も出ない。 しかも肩脊城は取り囲まれており、例え使者を全て殺してから改めて使者を出したとしても石山城へ到達できる可能性は皆無であった。

 その上、兵糧も少ないと言う現実が存在する。 それでも岡家は慎重であり、ある程度の備蓄は残していたのだ。 とは言え収穫を当てにしていたのも事実であり、残している兵糧は他家に比べればましと言う程度しかないので長期の籠城など無理であった。

 事ここに至り、貞綱も降伏を決意する。 義頼も戦をしないのであるならば越した事はないので、降伏を受け入れて行く。 この様に硬軟取り混ぜ、義頼は備前国の東側を押さえて行くのであった。

ついに、備前国へ侵攻を開始しました。

文中通り、備前国での旗頭は浦上家です。

直家は自身が用いた方法を、そのまま叩き返された形です。


一読いただき、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ