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第百八十七話~駒山城の陥落と因幡武田家の継承~

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第百八十七話~駒山城の陥落と因幡武田家の継承~



 織田家と毛利家、両家の再戦の先手を取ったのは、織田家である。 この戦では総大将となる織田信忠おだのぶただの腕が振り下ろされた事で、駒山城攻めが始まった。

 その直後、大砲の一斉放射が始まる。 すると、正に轟音と言っていい音が戦場へと響き渡った。 耳を塞いでいても聞こえるその音に、信忠が連れて来た将は彼を筆頭に驚きと共に呆けてしまう。 事前に聞いていたとは言え、その音と迫力は想定を超えていたからだ。

 但し、丹羽長秀にわながひでなど嘗てに経験している一部の将はその限りにはない。 寧ろ彼らは嘗ての経験から予想して、旗下の軍勢を正気に戻す様にと尽力していた。 そのお陰もあってか、程なく信忠の軍勢の全体が正気に戻る。 するとその頃に、大砲の第二射が行われた。

 今度は一番最初の砲撃と違い、統制された砲撃ではない。 これは用意が整った砲から、順次砲撃が行われる為であった。 無理に統一させると、逆に砲撃の間隔が開いてしまったりするからである。 それならば準備を終えた大砲から砲撃を行った方が、効率的であった。

 その為、釣る瓶打ちとまで言わないが割と間隔が短い砲撃が駒山城へ行われている。 馬は兎も角、何度も砲撃が行われれば人間は慣れる。 砲撃による轟音はどうしようもなかったが、それでも大砲から撃ち出される様子を観察する事は可能となっていた。


「しかし……凄まじいまでの音と迫力だな。 見ると聞くとでは正に大違いだ、のう義頼」

「はっ」 

「そしてこの攻撃に晒されている毛利兵は、どの様な気分であろうか」

「……」


 信忠の何気ない言葉に、義頼は答えなかった。

 正確には、答え様がないのである。 試射や実戦で大砲による砲撃を行った事はあっても、狙われた事などないからであった。 

 それと同時に、如何にして敵からの砲撃を防ぐのかについて考えるべきであることに義頼は気付かされる。 しかし、今は考える事ではない。 考えるとしたら、戦が終わってからである。 下手に思考に耽ってしまい、敵勢から攻撃された際に万が一にも対応が遅れたなどとなったら笑い話にもならないからだ。

 軽く頭を振って思考を振り払うと、目の前の戦に集中するのであった。



 さて思わぬところで信忠が同情を示した毛利勢であるが、此方は此方で驚愕の渦中にあった。

 実のところ、大砲自体は毛利家でも知られていた存在なのである。 それは毛利家が九州北部の覇権を掛けて、大友家と戦をしていた事に由来している。 と言うのも、大友家は毛利家との戦に大砲を使用していたのだ。

 この大砲の名称は仏狼機砲ふらんきほうと言い、火縄銃の元となる鉄砲が種子島に伝来してより約十年ぐらいした頃に、当時の大友家当主であった大友義鎮おおともよししげ大友宗麟おおともそうりん)が手にした物である。 その後、室町幕府との関係を強める為もあって、足利義輝あしかがよしてるへ火縄銃や火薬の調合方法が記された書物と共に献上していた。

 話は少し逸れたが、何であれ毛利家は大友家との戦で大砲が介在した戦を経験していたのである。 そればかりか、毛利家も大友家の様に仏狼機砲を独自に手に入れて研究している。 それ故に毛利勢は大砲の存在自体には慣れているのだが、逆にこの知っている事が毛利勢に驚愕を齎していたのだ。

 その理由は、仏狼機砲自体にある。 この大砲だが、射程としてはそう長い物では無い。 凡そだが、五町程であったとされていた。 しかして駒山城へ撃ち込まれている砲弾だが、距離的に言えば毛利家が所有している仏狼機砲など比べ物にならない。 織田勢より放たれる砲弾は、仏狼機砲の最大射程より更に離れている苔縄城の麓にある法雲寺から打ち込まれているのだ。

 しかも、それが最大の射程とは思えない節がある。 山の麓にある法雲寺から駒山山頂に存在する駒山城へ向けて砲弾を放ちながら、難なく届かせているのだ。 とてもではないがこの状況で、織田勢の所有する大砲が限界であると考えられる程口羽春良くちばはるよしは楽観主義者ではない。 むしろ、織田家の大砲にはまだ余裕があると考える方が無難であった。


「くそっ! 織田家の所有する大砲は、化け物かっ!!」


 苛立ちと共に春良がそう漏らしたのも、致し方ないだろう。 それぐらい、毛利家と織田家が所有する大砲の性能に隔絶差が存在するのだ。 なまじ小早川隆景こばやかわたかかげより仏狼機砲の性能について聞かされていた事が、悪い方に働いている。 知らなければ、まだ驚きだけで済んでいたのだ。

 こうなると、更なる心配が出て来る。 それは、駒山城の後方に存在している大聖寺山城に居る吉川元春きっかわもとはるの存在である。 もし春良が考えた通り織田家の所有する大砲の射程に余裕があった場合、大聖寺山城にも届く可能性があるのだ。

 いや、現状を考えた場合、届くと想定していた方がいい。 寧ろ届かせる自信があったからこそ法雲寺に大砲を配置したと思った方が、より安全であると思われた。 

 そうであるならば、此処は最悪を考えた方が無難である。 つまり大聖寺山城も、駒山城と大聖寺山城に間に築かれた西方寺陣も無事ではないと言う事になる。 ならば駒山城もさる事ながら、毛利勢の本陣としている大聖寺山城に居る元春の安全が第一であった。

 最悪駒山城であるならば、落ちて終わりである。 しかし大聖寺山城の場合、落ちてそれで終わりとはならない。 下手をすれば、総大将の命が失われかねないのだ。 

 となれば、元春には大聖寺山城より退去をして貰わなければならない。 そして前線の城を任された以上、己が殿しんがりとなるだろう事は想像に難くない。 何としてもこの城で踏ん張り、敵を受け止めるのである。 彼が率いる駒山城の将兵が頑張れば頑張っただけ、元春の身の安全が担保されるのだから他の選択肢などあろう筈がなかった。

 春良はそう判断すると、直ぐに大聖寺山城の元春へ使いを出す。 だが、その大聖寺山城でも問題がある報告が届いていた。

 但し、別段大聖寺山城で何か問題が起きたと言う訳ではない。 此処ではない場所で起きた戦が、影響を齎したのだ。 それは、波多野秀治はたのひではるが攻めた下土井城である。 彼の城を攻め落とした秀治の軍勢は、下土井城から鴾ヶ堂城へと攻め掛かっていた。 この城は元々赤松家家臣の太田氏の城であったが、赤松家の没落などもあり浦上家の所属を経て宇喜多家の城となっている。 この辺りは、下土井城を居城とした岡氏と同じであった。

 だが此処で問題なのは、この城にはあまり兵を置いていなかった事にある。 それは下土井城が堅城であり、しかもつい最近まで最前線でなかった事がその理由であった。 それだけに、城を持たせる事は難しい。 別動隊とは言え、万を超える兵が攻め掛かって来たのである。 鴾ヶ堂城は数日も持たずして落城、織田家所属の城となってしまった。

 すると秀治ら別動隊は、いったん城に入り留まる。 しかし彼らはあくまで城攻め後の休息として入っただけであり、数日も経たないうちに更なる進軍を行う事は明白であった。

 何と言っても鴾ヶ堂城近くには、大聖寺山城の更に後方にある別名城と備前国三石城跡との中間地点に出る街道が走っている。 もしここまで進出されてしまうと、色々と問題が出て来る。 特に三石城跡は、毛利家・宇喜多家連合勢の兵糧等集積地としていた事もあるので、今の時点で織田勢に抑えられる訳には行かなかった。

 そうでなくても、宇喜多直家うきたなおいえを信用していない元春である。 毛利勢の拠点となる様にと手を加えた三石城跡へならばまだしも、毛利の力が殆ど及ばない備前国北側に抜けて美作国へ抜ける事が出来る街道など考慮していなかった。 それであるが故に、別名城と三石城跡を繋ぐ街道を分断される訳にはいかない。 輜重と後方を遮断されれば、そう遠くないうちに味方の士気が保てなくなるからだ。

 それを防ぐ為にも、後方へ兵を送らない訳には行かない。 しかしそうなると、今度は最前線の駒山城へ送る兵が少なくなってしまう。 それが原因となり駒山城が落とされてでもすれば、やはり問題なのだ。

 この相反する問題をどう解決するかと頭を捻らせていた元春の元へ、その駒山城から使者が現れる。 使いの者から書状を渡された元春は、春良の書状に目を通し驚きを表した。 書状には、自身が殿しんがりとなり敵を引き付けるので、その間に毛利領へ撤退する様にとの元春へ撤退を促す内容が記されていたからである。 

 確かに今のうちに兵を退けば、織田勢に後方を遮断される事などなくなる。 しかし、それは同時に駒山城を囮にすると言う事であった。 有り体に言ってしまえば、春良らを見捨てると同義である。 だが、毛利家と連れて来ている兵の事を考慮すれば、その判断もやむなしであった。


「…………致し方ない。 取り敢えず、三石城跡まで撤退する。 春良には殿しんがりを任せると……そう伝えよ」

「はっ」


 苦虫を百匹ぐらい纏めて噛み締めたかの様な表情を浮かべつつ、元春は決断した。

 此処にいる兵は、毛利家が領外へ派遣できる最大兵力と言っていい。 それ故に、全滅させると言う訳には行かない。 それ故に元春は、春良の提案を受け入れたのだ。

 一端決断すれば、もう迷わない。 元春は口頭による返信を使者に託すと、兵を退く準備を始める。 やがて撤退の用意が整うと、三石城跡に向けて兵を退いたのであった。

 そして駒山城に殿しんがりに志願して残った春良は、砲撃の中にあって必死に城へ留まり続けている。 彼らがいる以上、織田勢が大聖寺山城へ兵を向ける事など出来はしないからだ。 しかし、何時までも持つ訳ではない。 相当数の砲弾が撃ち込まれており、相応にかなりの損害が城と兵の両方へ出始めていたからだ。


「そろそろ頃合いです……殿、もう十分かと思われます」

「そうか。 ならば、城攻めだな。 義頼、高吉へ命を出せ」

「はっ」

「それから、我が旗下からも兵を出すぞ」

「御意」


 信忠からの命を受けて義頼直属の忍びの一人である多羅尾光太たらおみつもとが、京極高吉きょうごくたかよしの元へと向かう。 そして、信忠が連れて来た丹羽長秀や滝川一益たきがわかずますらにも出陣の命が下った。

 直後、彼らは兵を整えたかと思うと、法雲寺より出陣する。 千種川沿いに進軍し、やがて到着した駒山城へ攻め上がって行った。

 また元来の対毛利家の軍勢である義頼旗下の兵はと言うと、光太の届けた指示に従い軍を動かし始める。 先鋒を務めるのは、播磨衆の一員である別所長治べっしょながはるの兵である。 彼の家を先頭に、軍勢は千種川を越えて駒山城へ攻め上がっていった。

 その一方、本丸ではなく前線まで赴いて味方を鼓舞しながら指揮をしていた春良であったが、数の差は如何ともしがたい。 幾ら城に籠っているとは言え、やはり堪えるのにも限度がある。 ましてや敵の織田勢は、一方ではなく二方から攻めているので此方も兵を分ける必要があった。

 それでなくても、敵に比べれば少ない味方の将兵である。 さらに兵を分ければ、手薄になるのは必至であった。 どれだけ時間が稼げるのか、春良は不安になる。 しかし、元春が安全圏まで退くまでは無理をしてでも敵勢を抑える必要がある。 その為にも、どうしても弱気になる訳には行かなかったのだ。

 気合を入れなおそうと両頬を張った春良であったが、直後に悪い知らせが届く。 その報せとは、別所長治の叔父に当たる別所吉親べっしょよしちか旗下の兵によって西側の曲輪が占拠された事であった。

 駒山城は、東と西に峰が分かれた駒山に築城されている。 東と西それぞれの峰に曲輪を設けた、一城別郭の城であった。 その西側の曲輪が、敵の手に落ちたのである。 すると間もなく、苔縄城方面から攻め上がってきていた織田勢も西側の曲輪へと到着した。

 こうなっては、兵を集中させるしかない。 西の曲輪での防衛は諦め、本丸がある東の曲輪に籠り春良は抵抗を続ける事にした。 しかし一城別郭の城は、片方の曲輪が落とされては十全に城としての効果を発揮できなくなってしまう。 その為、兵数の差もあって瞬く間に春良が籠った東側の曲輪も本丸を除いて制圧されてしまった。


「……最早、これまでか……」

「悔しゅうございます」

「だが、時は稼げた。 治部少輔(吉川元春)様であれば、もう安全圏にまで退いておろう」

「ですな」

「……後は、我らの処遇だけよ」


 そう言うと、春良は立ち上がった。

 そんな彼の頭には、血止めの布が巻かれている。 だが、その布に付着した血は赤黒くなっていない。 つまり、血が止まっていないのである。 次から次へと攻め寄せて来る敵兵への対処に忙しく、治療をしている暇などなかったのだ。

 その為、応急的に布を巻いているに過ぎない。 そのお陰でかろうじて血の流出がゆっくりとなっているが、早急に治療を行わなければ遅かれ早かれ失血による死が訪れる事に間違いはなかった。

 最も、今更治療を行う気もない。 どの道、敵勢から十重二十重に囲まれている。 とてもではないが、助かる見込みなどなかった。 無論、降伏すれば命が助かる可能性はあるだろう。 だが、春良以下駒山城本丸に居る者で、降伏しようと言うつもりの者など残っていなかった。 刀折れ、矢尽きるまで戦うつもりである。 最早、完全に死兵と化したと言って良かった。

 その後、意を決した春良以下の毛利兵は、各々得物を持って織田勢へと突貫していく。 少数とは言え、死兵となった者達である。 凄まじいまでの、気迫と攻勢であった。 しかし、彼らが如何に死兵と化そうが人である事に変わりはない。 一人、また一人と討たれて行った。

 やがて致命傷を負いながらも最後まで抵抗した口羽春良の死を持って毛利兵は全滅、此処に駒山城は落城する。 引き換えに織田勢は、想定以上の被害を被っての勝利であった。





 鳥取城へと向かっている小早川隆景こばやかわたかかげは、世鬼政矩せきまさのりより渡された吉川元春からの書状を一読すると大きく息を吐いた。

 それから、最後の一兵に至るまで抵抗を続けた春良たちの冥福を祈る。 その後、隆景はねぎらいの言葉を掛ける。 それから返書を認めると、政矩へ持たせた。

 その書状には、元春に対してある提案が書かれてある。 それは、撤退の提案であった。 既に二度、織田家と干戈を交えた以上、宇喜多家の要請に答えたと言える状況にある。 ならば今後の検討も兼ねて一度退き、戦略の練り直しを行うのも一つの道だからだ。


「よいか。 必ず兄上に渡せ。 必ずだ」

「御意」


 隆景より念を押された政矩は、一つ頭を下げると三石城跡に撤退した元春の元へと戻っていった。

 暫く使者を見送った隆景は、やがて視線を切ると進軍を再開する。 そして漸く、当初の目的地であった鳥取城へと到着した。

 そこで隆景は、亡き武田高信たけだたかのぶの嫡子となる徳充丸の出迎えを受ける。 また彼だけではなく、そこには武田家家臣の広岡国宣ひろおかくにのぶらも控えていた。

 彼らを前にして馬を降りた隆景は、徳充丸に近づくとお悔やみの言葉を掛ける。 その言葉に徳充丸は、確りと答える。 まだ数えで十五である事を鑑みても、大したものであると言えた。 しかし、悲しみまでは隠せない。 それでも徳充丸は、必死に悲しみを堪える様な表情をしていた。

 その後は、武田家臣に案内されて鳥取城内へと隆景は入る。 一室に入り着替えると、改めて面会する。 そこで毛利輝元もうりてるもとと小早川隆景の連名で発行された、徳充丸の武田家家督相続を認める書状が渡された。


「して徳充丸殿。 これを機に、元服を迎えられてはどうであろう。 もし宜しければ、兄上に成り代わり拙者が烏帽子親となりますが如何か?」

『ま、誠に御座いますか!?』

「うむ」


 喜色を表した武田家臣に対し、隆景は確りと頷いた。

 高信の死によりいささか安定感が欠けた因幡国において隆景が徳充丸の烏帽子親を務めると言う事は、引き続いて毛利家が武田家を支援すると言う意味を孕んでくる。 元来であれば烏帽子親は元春の方がいいのだが、そう呑気な事を言ってはいられない事情もある。 そこで隆景はあくまで元春の代理と言う事で、申し出をしたのだ。

 翻って因幡武田家とすれば、ありがたい申し出である。 新たな当主となる徳充丸の元、一丸となって因幡国統一に邁進するには都合がよいからであった。

 だが、話はこれだけで終わらない。 元服に当たり隆景は、何と毛利元就もうりもとなりの名から一字を授けたのである。 但しこれは、彼の一存で行った事ではない。 隆景が吉田郡山城を出立する前に、確りと武田家を味方として置く為にと輝元と話し合った末に決めた事であった。

 何はともあれ、こうして徳充丸は元服を迎えたのであるが、何故に山陰を担当する元春の名からでも毛利家現当主である輝元でもなく、毛利家先々代当主である元就の「就」の字が与えられたのかと言うとあまり高言できないが消去法の結果であった。

 輝元の「輝」は、今は亡き足利義輝から賜った物でありそう簡単には与えられない。 そして「元」字は、毛利家の家祖である大江広元おおえひろもとに由来する通じである為、やはり簡単には与えられなかった。

 ならば元春の「春」の字ならば問題ないとしたいが、幾ら兄より山陰における沙汰を今回に限り許可されたとはいえ、流石に当事者が居ない場所で与えるのは憚られたのである。 そこで、毛利家と懇意にしている家であれば文句が出て来るとは思えない毛利元就の「就」の字が候補として残ったのであった。


「徳充丸殿はこれより、武田源三郎就信と名乗られよ」

「武田源三郎就信……ありがとうございます、左衛門佐(小早川隆景)様」

「うむ。 この名を許された殿……右馬頭(毛利輝元)様の為にも、励まれよ」

「無論にございます。 武田家は、終生毛利家の味方でありましょう」


 こうして徳充丸は以降、武田就信たけだなりのぶと名乗る様になった。

 この毛利家の武田家への肩入れを見せた事で、高信の死と義頼の撒いた噂による動揺はなりを潜め因幡国は一応の落ち着きを見せる。 しかし、まだまだ予断を許さない状況である事に間違いはない。 就信の最初の仕事は、先ずこの動揺を抑える事にある。 何れそれがなった暁には、亡き父の悲願であった武田家による因幡国統一を実現させるつもりであった。

 若い身ながら思いを新たにする就信の烏帽子親を無事済ませた隆景は、元服式が終わると用意された祝いの宴に参加する。 暫く祝いに参加した後で、彼は宴会より辞すると宛がわれた部屋へと戻った。

 するとそこには、男が一人控えている。 その者は、隆景の命で動いていた外聞衆である。 そして彼と他に幾人かの者が、命を受けて動いていた。

  

「して、首尾はどうだ? 色よい返事はあったか」

「残念ながら」

「そうか……」


 外聞衆の報告を聞いた隆景は、少なからず落胆していた。

 彼が外聞衆に命じていたのは、織田家に所属する者への接触である。 具体的には、丹波国の赤井家や摂津国の荒木村重あらきむらしげ、播磨国の別所家などであった。 しかし何れの者からも、色よい返事はない。 それでも諦めずに接触を続けているのだが、未だに徒労へ終わっていた。 

 特に村重や別所家は、その行動で明確に毛利家へ同調しない旨を示されていると言っていい。 村重は織田信忠に従い摂津衆を率いているし、別所家も同様に義頼の旗下として働いているのだ。

 また赤井家もそれは同じであり、当主は別所家と同様に義頼旗下の将として働いている。 更に丹波国に残っている赤井直正あかいなおまさに至っては、毛利家からの使者など歯牙にも掛けずけんもほろろに追い返したぐらいであった。

 彼らが此処まで織田家よりの態度を示したのには、勿論理由がある。 彼らはそもそも、織田家の支配にさしたる不満を持っている訳ではないのだ。 しかも織田家自身は強大であり、頼みとするには申し分が無い。 とどのつまり寄らば大樹の陰なのであるが、家を残す事を第一義と考える彼らにとって当然の行動であった。

 だがそれ以上に、懸念している事がある。 それは、口羽春良も驚きを露わにした大砲の存在であった。 もし織田家、引いては六角家を裏切り、あの大砲を向けられては堪らない。 あの大砲に狙われでもしたら、例え城に籠っていたとしても城ごと壊されかねない。 その上、大砲を壊そうとしても易々と近づく事すらも叶わない。 これは皮肉にも、火器に長けた雑賀衆が証明した事でもあった。

 それはまだ一向宗が、織田家へ降伏する前の事である。 紀伊国を織田家に押さえられた後、雑賀衆の一部は佐武義昌さたけよしまさと共に石山本願寺に籠っていた。 しかし石山本願寺は、大砲による攻撃で一方的に叩かれてしまう。 その際、全滅の可能性を憂いた義昌ら雑賀衆が打って出たのである。 しかし彼らは、大砲へ到達する事も叶わずにほぼ全滅したのだ。 

 この状況は、龍野城でも発生している。 此方に至っては、城から打って出る事すらも叶わなかったのであった。

 つまるところ毛利家よりの誘いを受けた者達は、織田家を離れ毛利家に付いた結果これらの再現を我が身に受ける事を嫌ったのである。 はっきり言えば、大砲の矢面に立たされるなど御免被ると言うのが彼らの偽らざる心境であった。


「済まぬが引き続いて頼む。 もし義頼の軍勢の後方を攪乱できれば、色々と動きが取れる様になるからな」

「御意」


 毛利家を取り巻く環境が、決して良くはない事は外聞衆も理解している。 いやむしろ、外聞衆こそが一番知っていると言っていいだろう。 だからこそ彼は隆景の言葉に了承の返事をすると、静かに部屋から出て行った。

 そして見えているにも拘らず思わず見失いかねない外聞衆の技量を目の当たりにして、隆景の表情に小さいながらも驚きの色が浮かび上がる。 だがそれも一瞬であり、部屋から男が完全に消えるとこれからの事について隆景は思考を巡らすのであった。

 その一方で三石城跡に居る元春は、政矩の持ち帰った書状に目を通した後は思案に耽る。 隆景の言う通りに一度退くか、それともこの場に残り引き続いて義頼や信忠の軍勢と対峙するかについてであった。

 程なくして元春は、撤退の決断をする。 完全に攻勢時機を逸していると言うのもあるが、他にも暗殺騒動を起こした直家の為に将兵を失いたくはないと言う思いもあった。

 だが宇喜多家からの要請で兵を動かした以上は、直家に退く前に通達する必要がある。 元春は渋々、石山城へ使者を出す。 するとその書状を受けた直家は、暫く考えた後で援軍に対する感謝の文章と共に援軍の礼を兼ねた宴を開きたい旨を記して返書を行った。

 しかし直家を嫌っている元春であり、しかも負け戦の後ではとても受ける気にはならない。 気持ちだけいただくと改めて返書をした上で、返事も待たずに三石城跡より撤退を開始した。

 元春からの使者からの言と、旗下の忍びからの報告で毛利勢の行動を知った直家は内心で歯ぎしりする。 実のところ彼は、この宴の席で元春を謀殺する気だったのである。 そして毛利両川の片割れの首を手土産に、織田家に降伏する考えであった。

 義頼に対して暗殺を実行しておきながらふてぶてしい行動だが、手土産が吉川元春の首ならば受け入れるだろうと直家は踏んだのである。 ただ、三村元親みむらもとちかの存在がうっとおしいが、そこは気にしなければいいだけの話と考えていた。

 しかしその目論見も、体よく躱された形となっている。 だからと言って、文句が言える訳がない。 だからこそ直家は、内心の歯ぎしりを隠しながらも表面上は黙っていたのであった。


さり気なく、宇喜多直家が吉川元春の命を狙っていたと言う。

なお文中の武田就信ですが、史実の武田助信です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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