第百八十五話~噂の流布~
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第百八十五話~噂の流布~
狙撃による暗殺を退けた義頼であったが、それで戦が終わる訳ではなかった。
しかも現在白旗城には、織田信忠が征西大将軍として在城している。 大将軍としては初の戦である以上、無様な戦を信忠に経験させる訳にはいかなかった。
また暗殺犯に関しては調査中であり、報告を待っている状況にある。 こちらは少し時間が掛かるので様子見の段階だが、他にも手は打っている。 前述した毛利家と宇喜多家に対して流した噂などが正にそれであり、義頼に進言した沼田祐光と六角家で情報を司っている本多正信を中心として、伊賀・甲賀の忍び衆が噂を両家の領地に対して撒き散らしていた。
さてその噂だが、大枠に分けて二種類存在する。 主に宇喜多家の勢力が強い備前国や美作国では、宇喜多家が毛利家の要請によって暗殺を実行させたと言った内容の噂を振り撒いている。 逆に毛利家の勢力が強い他の中国地域に関しては、宇喜多家が単独で暗殺に踏み切ったと言った内容の噂を中心に流布していた。
その様な中にあって、宇喜多家の勢力が強い地域にも宇喜多家が単独で暗殺を実行したとの噂も織り交ぜている。 そして当然だが毛利家の勢力が強い地域にも、毛利家の要請で宇喜多家が暗殺を実行したと言う噂も含ませていた。
更に噂を後押しする様に、義頼自らの手によって射抜かれた浮田家久の首が晒されている。 彼の首は三村元親自らが切り晒したのだが、そこは織田家の軍勢を率いる義頼と毛利勢が対峙する境となっている千種川に程近く、織田勢と毛利勢どちらの目にする場所であった。
それと同時に正信らは、新たな噂も撒いている。 それは、この暗殺騒動に対して毛利・宇喜多の両家が無関係を貫くのではないかと言う物であった。 但しその噂は確定的でなく、非常に曖昧模糊な物としている。 普段であれば一笑に付す程度の代物なのだが、家久の首と言う現実が存在している以上、完全に下世話な噂だと否定する事が難しかった。
それに家久の顔は、彼自身が嘗て三村家親の暗殺を成功させているが故に毛利家の重臣であれば皮肉な事だが分かってしまう。 それであるが故の説得力であり、駒山城にて最前線を任されている口羽春良もその一人であった。
伊賀・甲賀の忍び衆によって出所が分からない様にばら撒かれた噂が耳に入って来た事もあって、春良は密かに小早川隆景の元に赴き確認を取る。 行き成り現れた春良からの言葉に、彼は不快な顔をした。
それは暗殺騒動とその件に関連する事自体を、隆景もまだ把握しきっていない話だからである。 今は確認の真っ最中な話であるので、下手な返答が出来ないのだ。
「その噂話は、知っている。 しかし所詮は、噂でしかない。 気にするな」
「ですが、敵によって晒された首もあって味方の動揺が「春良よ。 そこを抑えるのが、将としての手腕であろう。 そなたは早々に駒山城に戻り、兵の掌握に努めるのだ」お……承知致しました」
いささかの不満を表情に表しながらも、春良は了承すると隆景の前から辞する。 彼を見送りながらも、これは不味いと感じていた。 しかし同時に隆景は、この噂に意図的な物を感じている。 暫く目を瞑り考えていたかと思うと、いきなり立ち上がり西方寺陣と名付けられたこの地を離れる。 向かった先は、大聖寺山城に居る吉川元春であった。
隆景が到着すると、まだ辛そうにしつつも元春が迎える。 やはり義頼によって負わされた怪我と嫡男の吉川元長の死が、微妙に影響していたのだ。
だからと言って、流布し始めている噂の方を放っておく訳には行かない。 隆景は意を決すると、兄へ最近になって流れ始めた噂の件を報告する。 だが元春の元まではまだ話が通っていなかったらしく、報告を聞いた彼の驚きも一入であった。
しかし噂の不穏さを感じたのか、何時の間にか元春の雰囲気は先程までとは全く変わっている。 これがついさっきまでの同一人物かと思うぐらい、元春からは嫡子を失った落胆など最早微塵も感じさせなかった。
「して、隆景。 一体、どういうことなのだ!?」
「詳しくは拙者も分かりませぬ。 ですが兄上、あくまで想像の範疇は出ませんが……恐らく、してやられたとそう踏んでいます」
「……やはり、そう思うか」
「ええ。 だが、状況的にはあり得ると思わされてしまう。 そして否定しようにも、敵の手に証拠がある。 これでは、手の打ち様がない」
「……むぅ……そうだな……」
「とは言え、事実は確認せねばならないでしょう。 そうしなければ、家臣と国人の動揺が押さえられません。 それでなくても、一向宗を熱心に信じる家臣や国人はあの状態ですし……」
此処で何故に一向宗が出て来るのか、それは安芸国や備後国を中心に一向宗門徒が多い事が根底にあった。
元々、安芸国や備後国などの中国地方には、相応の一向宗門徒が存在している。 そして彼らは、以前より毛利家に協力していた経緯がある。 その為、毛利家臣は無論の事、国人にも一向宗を信心している者が比較的多く存在していたのだ。
そんな中、織田家と石山本願寺が争いを始めると、戦乱を逃れる為に一向宗門徒が毛利領へと更に逃れたのである。 毛利家が石山本願寺と同盟関係にあった事が、その一向宗門徒の移動に拍車を掛けたのだ。
最もそれだけであったのならば、毛利家としてもそう気にする事ではない。 生前の毛利元就も彼らを保護していたので、以前からの方策を踏襲していればさほど問題ではなかったのだ。
しかし顕如が織田家に降伏し、図らずも織田家に組み込まれた事で事態が一変してしまう。 顕如が義頼の依頼で播磨国に存在する一向宗寺院に対して中立を宣言させた事が、安芸国など中国地方に在する一向宗に対して飛び火したのだ。
彼らは一様に、織田家との戦いには中立を宣言したのである。 この動きは、当然一向宗門徒にも波及した為に彼らも同様の動きをしていた。 だが、話は彼らだけに留まらなかったのである。 一向宗を信じている毛利家臣や各国の国人達にも、少なくはない影響を与えてしまったのだ。
一向宗を信じているとは言え、彼らは毛利家に仕える者達である。 だから一向宗寺院や門徒達の様に中立を宣言する事などはしなかった。 しかし、態度や言動に無意識であっても表れてしまうものなのである。 それは一向宗門徒ではない毛利家の者達からすれば、非協力的だと見えてしまう程に。
それだけでも頭が痛いところにきて、今回の暗殺未遂騒動である。 しかも暗殺されかかった対象が、義頼と言うのがもどかしかった。
これがまだ毛利家内か宇喜多家内で起きた事ならば、まだ対応の仕様がある。 しかしながら今回の件は、敵である織田家に起きた事件である。 毛利家からでは、現状において手の打ち様がなかった。
取り敢えず出来る事と言えば急いで事件を調べ上げ、主犯を上げる事である。 最も隆景には、心当たりがあった……いや、ありすぎていた。 間違いなく、宇喜多直家の命によるものであろう。 他の可能性として主君である甥の毛利輝元が存在するが、彼では無理であった。
もし毛利両川たる吉川元春と小早川隆景の両名か片方の者が側に居れば分からないでもなかったが、輝元だけで暗殺を決断できるとは元春も隆景も考えていない。 彼自身が暗殺の様な手段を嫌っていると言う事もあるが、性格的にそう易々と暗殺と言う非常手段に訴えるとは思えなかったのだ。
となれば、可能性は一つしか残らない。 まして残った可能性が直家であり、あまりにも納得できてしまう。 そう考えれば、暗殺を誰が主導したかなど論ずるまでもなかった。
ただこの暗殺未遂騒動が、敵の謀略とも考えられない事も無い。 しかし今回の場合に関しては、その可能性は低いと考えていた。 何と言っても、浮田家久の首が雄弁に物語っているのである。 故に今回の場合、突如発生した状況を逆に利用して謀略を仕掛けたと考える方が隆景的にはしっくりくるのだ。
つまりは毛利側が、全く意図しないところでしっぺ返しを食らった形なのである。 しかも、味方に策への対応が全く用意されていない状況でである。 そしてこの考えには、元春も賛同したのであった。
何であれ、此処は早急に手を打つ必要がある事に間違いはない。 しかも微妙な匙加減が求められる事案であり、この様な案件に対応できるとなれば隆景自身が動く必要があった。 だがそれは、前線を元春に任せると言う事である。 怪我だけならばまだしも元長の死から完全に立ち直ったとも思えない兄に任せていいのか、判断できなかったのだ。
前線を任せると言い出すべきか逡巡していた隆景だが、元春が腕を組んで考え出すと取り敢えず口に出す事を止める。 急ぎと言えば急ぎだが、一刻を争うと言う程でもない。 少なくとも兄が考えを纏めるぐらいの時間は、取れる案件ではあったからだ。
やがて考えが纏まったのか、元春が顔を上げる。 そこには、先ほどまでの愁いを帯びた雰囲気は微塵も感じなかった。 流石に怪我等による影響がある為、顔色が戻った訳ではないが表情は引き締まっている。 そこにはこの地における毛利勢総大将たる、威厳が現れていた。
「隆景。 そなたが何を心配しているのか、俺は分かっているつもりだ。 だから俺は兄として、そして今回の軍勢の総大将として命じる。 急ぎ此処より離れ、殿の……いや輝元の元に戻れ。 そして、事の収拾に当たれ」
「それは、兄上の山陰も含めてと言う事でしょうか」
「……ああ、構わん。 事は一刻を争う、山陰だ山陽だと拘っている場合ではない」
「それは有り難いのですが……宜しいのですかな?」
「宜しくも宜しくもないもないわっ! 此処で後方にて騒がれては、勝てる戦も負ける。 そんな事、お前には自明の理であろう」
どんな強大な家であっても、家内が騒がしくては力を十全に表す事など出来はしない。 そしてそんな家が亡ぶことなど、過去に枚挙が無かった。
毛利家とて、今まで目の当たりにしてきたのである。 いや、寧ろ毛利家こそ知っていると言っていいかもしれない。 元春と隆景の父親である毛利元就は、その時々の状況を利用して上手く立ち回り続けつつも中国地方で強大な家であった大内家や尼子家を倒して来たのだ。
毛利家を中国……いや日の本国内においても一、二を争う様な強大な家に押し上げたと言ってもいい事象が、今度は己の家に降りかかろうとしている。 だが今ならば、まだ防ぐことも可能である。 その為にも、此処は何としても隆景が動く必要があった。
「承知致しました。 これより、密かにこの地を発ちます」
「任せたぞ、隆景……しかし、やはり現実となってしまったか」
「何がにございます? 兄上」
「宇喜多だ。 だから、信用できんと言ったのだ俺は」
吐き捨てる様に言った元春の言葉に対して、隆景は曖昧な笑みを浮かべた。
彼とて、直家が信じきれないと判断している。 その隆景が、長年誠意を見せた三村家を切ってまで宇喜多家と手を結んだのは織田家への対応にそもそもの理由があった。
三村家は備中国に力を持つ国人であり、宇喜多家は備前国に勢力を張っている。 そして畿内から進行してくるであろう織田家の軍勢が最初にぶつかるのは備中国の三村家ではない、備前国の宇喜多家なのだ。
それでなくとも三村家及び備中国内は、三村家親の暗殺に端を発する騒動で混乱している。 その様な状況下において毛利領を出来るだけ守りたい隆景としては、どちらを重要視するかなど考えるまでもなかった。
と言っても、今更である。 兄の言った通り、一刻も早く後方に戻る必要があった。 恐らくだが義頼は、忍び衆を送り込んで噂を撒いたと思われる。 同時に家久の首を晒す事で、裏付けの様に証拠を示している。 これにより、噂に信憑性を付加していたのだ。
義頼がこれほど策に通じているとは聞き及んでいないので、傍に居る者の仕業だと推測できる。 彼の周りには本多正信を筆頭に、沼田祐光や小寺孝隆と言った知謀の士が多い。 更には戦場より離れたとの報告がある三雲賢持も、侮れない存在である。 そんな彼らによってこの策が実行されたと考えるのが、隆景は妥当と判断していた。
しかも策であると見抜いておきながら、後手にしか回れていない事が腹立たしい。 だがそれを言っても、詮無き事である。 元春の前から消えた隆景は大聖寺山城を出ると、西方寺陣へと戻る。 そして急ぎ用意を整えると、翌日の早朝には西方寺陣を出立したのであった。
隆景が西方寺陣を出た翌日の昼過ぎ、白旗城に居る義頼へ一つの報告が齎された。
差出人は、丹波衆を纏める波多野秀治である。 義頼の命を受けて感状山城を開城させた彼は、赤松則房の家臣である粟生田左吉に城を預けた。 その後は、感状山城を出ると光明山城に向かう。 その城に滞在して兵の疲れに対する労いつつ、龍野城から出陣してくるであろう尼子勝久率いる尼子衆を待っていたのだ。
それから数日としないうちに現れた尼子衆と合流すると、秀治らは光明山城を出陣する。 向かった先は、宇喜多忠家が居る下土井城であった。
その下土井城にて、忠家は顰め面をしている。 それは当初の考えを、実行できなくなったからであった。 忠家としては、織田勢の隙を突く形で備前国まで兵を退くつもりだったのである。 旗下の兵は少なく敵の兵数は非常に多いと言うこの状況で、抵抗などしても鎧袖一触されるなど想像に難くない。 その前に、備前国まで戻るつもりであったのだ。
だが、今となってはそれも難しくなっている。 その理由もまた、義頼によって撒かれた噂にあった。 兵数で劣っているとは言え、ここで兵を退いてしまえば噂に更なる現実味が帯びてしまう。 伝え聞くところでは、浮田家久の首も晒されている。 その事からも、簡単に兵を退く訳には行かなかった。
「しかし、兄上も厄介な時に。 もう少し後で……せめて拙者達が退いてからにして欲しかった。 のう越中守(長船貞親)、そうは思わぬか?」
「まぁ、そうですかな?」
宇喜多忠家の言葉に対し、長親は是とも否とも取れる返事をした。
幾ら彼が宇喜多直家の弟とは言え、述べている事は主に対する愚痴だからである。 だがしかし、愚痴をこぼしたくなる気持ちも分からなくはない。 何と言っても自分達があずかり知らぬところで行われた狙撃で、退く事もままならない状況に追い込まれてしまったのだ。
この様な状況であれば、愚痴の一つも出ようと言う物である。 その為か貞親は、愚痴を咎めるでもなくまた肯定もしなかったのであった。
「ま、愚痴を言ったところで、現状か変わるでもないな。 それよりも貞親、何か手はあるか?」
「……土佐守(宇喜多忠家)様であれば、言わずともお判りでしょう」
「まぁ、そうなのだがな。 それでも、縋りたくなるではないか」
「気持ちは分かりますが、現状では如何ともしがたいですな」
苦笑を浮かべながら貞親は答えた。
そもそもにして、兵の数で負けている。 だからこそ直家は、毛利家へ援軍の要請も行ったのである。 それだけでなく戦場で討ち取るのが難しいと判断すると、密かにそれこそ味方にも黙って暗殺と言う手段に打って出たのである。 しかしながら、どちらの手も義頼によって失敗の憂き目となっている。 そこで忠家は、兵力の集中を考えて下土井城より兵を退くと言う決断をしたのだ。
だがその決断も、義頼の暗殺騒動が表面化した事で実行が難しくなっている。 故に此処は、兵が少ないと言う現状を踏まえてでも抵抗の姿勢を毛利家に対して見せ付ける必要があった。
しかしながら、その抵抗も長くは続かないと判断している。 やはり、敵との兵数の隔絶は如何ともしがたい。 それに例え敵が本隊ではないと言っても、彼らは侮れない存在であった。
敵勢には「西播磨殿」とまで言われた赤松政範や、宇野家の全盛期を作り出した宇野政頼の嫡子である宇野祐清がいる。 それから波多野秀治率いる丹波衆、更には尼子勝久率いる尼子衆までいるのだ。
政範が手強いのは、隣国の事なので忠家も承知している。 そして祐清に関してもあの政頼の息子であり、舐めて掛かっていい相手とは到底思えなかった。
また丹波衆だが、幸いな事に赤鬼こと赤井直正は従軍していない。 しかし若いながらも青鬼の異名を持つ籾井綱利や、荒木鬼こと荒木氏綱が参陣している。 とてもではないが、手を抜ける様な相手ではなかった。
そして尼子衆だが、山陰の麒麟児と異名された山中幸盛を筆頭に錚々たる者達である。 彼らは数年前まで実際に毛利家と争い、一時的とはいえ尼子家旧領の出雲国などを手中に収めていたのだ。 その後に発生した尼子衆内での問題などによって、彼らは織田家の庇護下となっている。 その事情を鑑みても、手強い事には変わりはないのだ。
「土佐守様」
「ん? どうした清三郎(岡剛介)」
「敵が現れました」
「……来たか。 では、参るとするか」
忠家は貞親と剛介、そして下土井城の城主である岡家当主と共に外へ向かった。
程なくして、視界には既に城を取り囲まんとしている敵勢の姿が見える。 そもそも逃げ出す気はなかったとはいえ、敵勢に囲まれているのを見るともう逃げる事は叶わないと言う現実感がここにきて味方に漂っていた。
それでも味方からの援軍でもあればまだ別なのだが、とてもではないが期待できない状況にある。 それは単純に、宇喜多家の兵に余裕が無い事にあった。 毛利家の要請によって上月城攻めに軍勢を出した宇喜多家だが、その兵がまだ戻っていないのである。 つまり今の宇喜多家では、領内の治安と国境を守る兵以外に人員を揃えるのはいささか難しかったのだ。
「城に籠っているとは言え敵は多数、そして味方は寡兵か……手の打ちようがないな」
「なれば、降伏するべきなのでは?」
「いや、今は不味い。 少なくとも、一回は刃を交えておかねばなるまい。 では、始めるか」
『はっ』
忠家の言葉に返事をした貞親らは、城の各門の守りを指揮する為に城内に散っていく。 そんな彼らを見送ってから忠家は視線を前に戻すと、感情の読み取れない目でじっと敵勢を見詰めていた。
その一方で下土井城を取り囲んだ波多野秀治は、一度本陣に各将を集める。 一応、彼がこの軍勢の大将格であるのだから当然ではあった。 それから程なく、勝久ら尼子衆や政範と祐清が本陣に揃う。 すると秀治が、城攻めに対する意見を求めた。
と言うのも、この城攻めに関して一つ付帯事項が存在するからである。 それは、宇喜多忠家の捕縛にある。 最も絶対ではなく、出来れば捕縛を行えと言う程度の物でしかなかった。
何故にその様な命が下っているのかと言うと、元は小寺孝隆からの願いに端を発している。 彼の祖母が近江国より落ちた際に、世話になった家が宇喜多家であった。 当時の宇喜多家当主は直家の祖父に当たる宇喜多能家であり、彼は近江国より落ちてきた祖母一行を受け入れたのである。 つまり孝隆は、恩がある宇喜多家に対する恩返しの意味も込めて、義頼にせめて家だけでも残してほしいと懇願したのだ。
義頼としても、備前国を抑え美作国にも影響力を持っている宇喜多家を残す利点はある。 流石に直家を当主のままと言う訳には行かないが、一族の誰かを持ってとするならばと孝隆の願いを受け入れたのだ。
そこで候補としたのが、忠家だったのである。 他にも直家の嫡子と言う選択もあったのだが、まだまだ海のものとも山のものともつかない幼子であり、この戦乱の世においていささか心もとなかったのだ。 その点、忠家であれば問題とならない。 彼の人格も悪いものではないとの事であり、直家の代わりとしては十分であった。
ただ、秀治らとしては忠家の命を奪いたいと考えている。 そこには、義頼が暗殺されかかった事件があった。 未遂に終わり無事であったとはいえ、宇喜多家の者が暗殺に関わっていたのである。 下土井城に居た忠家が関与していた可能性は低いのだが、彼が宇喜多家の一門衆である事に変わりはない。 報復や見せしめと言う意味も込めて、忠家の命だけは討っておきたいと思ったのだ。
すると彼らに対して、口を出した者がいる。 誰であろうそれは、立原久綱であった。 彼は尼子衆の参謀役であり、同時に義頼の参謀総長と言える立場にある本多正信とも近しい関係にある。 そんな男が発した言葉であれば、秀治としても無視する訳には行かなかった。
「皆様の気持ちはわかります。 そこで此処は、一度右少将(六角義頼)様にお伺いを立ててみては如何でしょう。 もしかして、この暗殺騒動が原因となり命が変わっているやも知れません」
「それは……あり得るかも知れぬ。 諸将は、どう思われますかな?」
秀治はこの場に居る他の者にも尋ねたが、彼らからこれと言った意見は出てこない。 であるならば、ここは久綱の意見を採用するべきと判断した秀治の言葉によって軍議は終結した。
その後、白旗城へ使者が向かう事となる。 言い出したのが立原久綱と言う事もあり、尼子衆旗下の鉢屋衆が派遣された。 白旗城に到着した使者は、義頼へ書状を渡す。 一読した後で出た言葉は、好きにしてよいと言うものであった。
流石に暗殺未遂まで起きては、小寺孝隆も宇喜多家を助けたいとは言い続けられなかったのである。 それに宇喜多家でなくても、手がない訳ではない。 宇喜多家の存続は、孝隆の意向を汲んだものでしかなかったからだ。
また、義頼も聖人君子と言う訳でもない。 戦場という非常時であるならばまだしも、平素で暗殺を決行したと思われる彼の家に対して、そこまで頓着しようとは考えなかった。
しかして対応の一任を保障された事を戻って来た使者から聞いた秀治ら別動隊は、即座に城攻めの準備に入る。 彼らは下土井城を包囲したかと思うと、ほぼ一斉に城へと攻め掛かった。
此の戦で目覚ましい働きを見せたのが、尼子衆である。 それはこの下土井城での戦が終われば、次はいよいよ毛利勢との戦となるかも知れないからだ。 そうなれば、実に四年越しの雪辱戦となる。 前回の戦で負った借りを漸く返せるのだと、彼らの士気は天を突くほどであったのだ。
その事を証明するかの様に、尼子衆は怒涛の勢いで攻めあがっていく。 そんな彼らの勢いは、異常と言えた。 あっという間に幾つかの曲輪を押さえつつ、城内を突き進んでいたのだ。
なまじ丹波衆や赤松政範と宇野祐清といった播磨衆が大手側に集結していた事で、下土井城の将兵をそちらに向かわせた事が仇となった形である。 大手門守備の為に指揮をしていた岡家当主は、前後から挟まれた形となり誰とも知れない者に討たれてしまった。
分かれて攻め込んだ彼らが合流を果たすと、そのまま下土井城の本丸を取り囲む。 反撃どころかあっという間に下土井城の主要部分を押さえられた忠家らには、撤退する暇もなかった。
これでは、最早手の施しようがない。 忠家達に残された手としては、本丸を枕に討ち死にしかない様に思われた。 籠城した彼らがそう覚悟を決めた正にその時、軍使が訪れたのである。 立原久綱が正使となった軍使は、忠家と長親と剛介を相手に、滾々と降伏する様に説き伏せた。
そんな久綱からの言葉を聞きつつ、忠家はじっと考える。 あっという間に攻略されてしまったが、それでも抵抗する意思は見せたのである。 なれば将として、少しでも兵を生き残らせなければならない。 となれば後は、降伏と言う道しか残されていなかった。
そこで忠家は、久綱の説得を条件付きで受け入れる。 その条件は、兵と宇喜多家臣の命であった。 それさえ叶うのであれば、己の命すら対価とするとまで言ってのけたのだ。
そして久綱だが、あくまで敵勢を降伏させる事が出来ればそれでいいのである。 ましてや忠家が自身の命を対価にするとまで言っているのだから、正に渡りに船と言っていい提案であった。 そこで久綱は内心では一も二もなく、しかし対外的には鷹揚な仕草で忠家の条件を受け入れる。 忠家と久綱、二者の合意がなされた事で此処に下土井城攻略戦は幕を閉じたのであった。
戦を終えると、忠家は約定通り将と城兵の助命を引き換えに腹を切る。 それを見届けた秀治は、即座に忠家の首と書状を義頼に提出して下土井城攻略戦の顛末を報告する。 その報告こそが、義頼の元へ届いた報告であった。
「しかし、忠家も哀れですな。 兄のしでかした事への尻ぬぐいなのですから」
「仕方なかろう。 それよりも正信、此方もいよいよ動くぞ。 秀治達は、鴾ヶ堂城へと向かい毛利勢の後方を脅かす手筈となっている。 そして我らは殿と共に駒山城を、そして大聖寺山城を落とす。 急ぎ手筈を整えよ」
「御意!」
命を受けた正信は、静かに部屋を出ると駒山城、並びに大聖寺山城攻めの手筈を整え始めるのであった。
中国地方に噂が撒かれました。
色々と、影響が出てきます。
ご一読いただき、ありがとうございました。




