第百八十二話~新装備構想~
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第百八十二話~新装備構想~
杉原盛重や三刀屋久扶と言った犠牲を払いつつも戦場より脱した毛利勢は、千種川沿いに走る街道を使って南に向かう。 彼らが目指したのは駒山城であり、そして大聖寺山城であった。
大聖寺山城とは、駒山城から見て西に位置している城である。 この城は駒山城の支城としての意味合いも持つ城であるが、城単体として見ても単郭でありながらそれなりな防御力を持った城であったのだ。
そこで小早川隆景は、安室氏の居城と言う事もあり守りも堅い駒山城を前線の城として義頼の軍勢を迎え撃つ態勢としたのである。 また、彼は急ぎ駒山城と大聖寺山城の間に陣や防塁の構築を始めている。 完成するかどうかは分からないが、隆景はこれらを一纏めに運用し、義頼の軍勢を止めるつもりであった。
因みに、吉川元春だが、彼は怪我人と言う事もあり大聖寺山城に居る。 総大将の地位は表向き変わらないが、実質的には弟の隆景がその役目を担っていた。
そんな毛利勢を追って、義頼の代理として軍勢を率いる長岡藤孝もまた千種川沿いの街道を南下している。 やがて彼が入ったのは、嘗て赤松氏を率いた赤松則村こと円心が築いたとされる白旗城であった。
この白旗城だが、嘗ては赤松宗家の居城である。 しかしあまりにも播磨国の西側にある為、この地より離れて今は置塩城を居城としていた。 とは言え、同城が廃された訳ではない。 白旗城は、それ以降も城の機能は維持されていた。
確かに赤松宗家の居城ではなくなったが、白旗城は赤松家発祥ともされる地に建つ城である。 また備前国との国境に近く、播磨国西部を抑え続けるに当たっては都合が良かったのである。 そんな白旗城に、赤松則房の案内で軍勢が着陣したのであった。
その着陣を前後として、本多正信は忍び衆を放ち情報収集に入っている。 則房が同行しているとは言え、同地が彼に取り不案内と言う事に変わりはない。 それに、大聖寺山城に入ったと言う毛利勢の動きを探ると言う理由もあった。
やがて忍び衆より、周辺の地理や毛利勢の動きが報告されてくる。 地理に関しては、白旗城に居るのであればそう問題がある様子はない。 則房との情報も合わせ、少なくとも先の戦の様な奇襲をそう簡単に受ける様には感じられなかった。
また毛利勢の動向であるが、駒山城には口羽春良を入れて守りを固めている事が判明する。 他にも、前述した様な毛利勢の動きが報告されていた。
そんな大凡の情報が揃った頃、義頼が白旗城に到着する。 直ぐに藤孝より軍権を受け取ると、直後に正信を呼び出して集めさせた情報を聞き出すのであった。
「……この城跡は何だ?」
「苔縄城跡にございます。 嘗ては城があったそうですが、今は打ち捨てられているとか」
この城は前述した円心が鎌倉幕府執権であった北条氏討伐の為に兵を挙げた城であり、赤松宗家が移動するまでの間赤松氏の居城であった白旗城の支城でもある。 しかし、白旗城が赤松宗家の居城ではなくなると、自然と放棄された城であった。
「ふむ。 ならば、陣城にもなりうるか」
「では、兵を派遣しますか?」
「ああ」
義頼は、駒山城に対する抑えの意味を込めて兵の派遣を決める。 大将は筒井順慶とし、与力に家臣から嘗て丹波衆であった川勝継氏と四王天政孝と四王天政実親子を付けて苔縄城跡へ送り出した。
命を与えた四人が部屋から退出すると、程なくして別の者達が現れる。 それは波多野秀治率いる丹波衆、それと此度の上月城救援に伴って龍野城より尼子勝久が派遣した尼子氏久率いる尼子衆であった。
因みに丹波衆の中に、今回の播磨国侵攻に併せて新たに合流した者が二人ほど居る。 一人は、「丹波鬼」こと波多野宗高の嫡子である波多野宗長であった。
彼の父親である宗高は、先の上杉謙信率いる越後上杉家との戦で命を落としている。 それ故、家督を継いだ嫡子の宗長が加わったのである。 そして彼もまた、父同様に戦上手として知られた武将であった。
そしてもう一人はと言うと、赤井家当主の赤井忠家である。 彼が参画した理由は、叔父で己の後見役でもある「丹波の赤鬼」こと赤井直正が傷を負った為である。 その直正だが、彼は上杉家との戦で負った怪我の治療の為、丹波国内に留まっていた。
また彼が丹波国内に留まった理由だが、実は他にもある。 それは、万が一山陰方面から但馬国へ毛利家が侵攻した際に救援として駆けつける為であった。 最もその可能性は、今の時点で考えるとかなり低い。 それは毛利家の戦略として山陽側は小早川隆景が、そして山陰側は吉川元春が担当しているからだ。
山陰側毛利勢の大将格である元春が山陰方面に残っていれば、毛利家及び彼の家に属する者による但馬国への侵攻の可能性が低いとは言えない。 しかし元春は、弟の隆景と共に義頼率いる軍勢と対峙している。 この言わば大将不在の時勢に、山陰側の毛利に組みする者達が単独で動くとは少々考えづらいからであった。
そんな毛利家の内情はさておき、呼び出された秀治率いる丹波衆の面々と氏久率いる尼子衆には義頼より新たな命が言い渡される。 それは、宇喜多家に臣従している岡氏の城である感状山城への派兵であった。
岡氏は嘗て赤松家旗下の播磨国人であったが、その後に浦上家から宇喜多家へと主家を変えている。 そして居城は下土井城であるが、実はこの感状山城も今は岡氏の城であったのだ。
なお岡氏に関してだが、嘗ての主家であると言う繋がりから一応の接触は図っている。 しかし岡氏の居城である下土井城に宇喜多直家の弟である宇喜多忠家らが居る為、あからさまな動きはしていない。 繋ぎだけで今は十分だとして、敢えて危険を冒す事はしていなかったのだ。
「さてそなた達には、感状山城を抑えてもらう。 それで、だ。 この書状を、感状山城の城代に渡せ」
「これは?」
「俺からの書状だ。 岡家には、一応接触はしていたからな。 降伏すれば、命は助けてやると認めてある」
「分かりました。 先ずは軍使を派遣し、降伏を促しましょう」
「うむ。 それと、光明山城からも兵は出させる」
『御意』
義頼の命に答えた後、彼らは一度頭を下げてから部屋を出て行った。
彼らが退出すると、直ぐに鵜飼孫六が現れる。 すると義頼は、彼に光明山城に入っている赤松政範と宇野祐清宛の書状を手渡した。 受け取った孫六は、直ぐに出立すると光明山城へ向けて出立した。
白旗城を出立した孫六は、その日のうちに光明山城へと到達する。 そこで政範と祐清の両名に、義頼からの書状を渡したのである。 そしてあくまで使者でしかない孫六は、とんぼ返りで義頼の元へ戻っていった。
使者である孫六を送った政範と祐清は、二人して膝を突き合わせる。 その理由は、感状山城に送る兵を率いる大将をどちらが務めるかについてである。 両者で話し合った結果、光明山城へは政範が残る事となる。 こうして兵を率いて出陣する将が決まった光明山城から、軍勢が出陣したのであった。
その一方で秀治らはと言うと、義頼から命じられた翌々日には兵と共に出陣している。 彼らは、案内役としてつけられた播磨国人の先導通りに進み、やがて感状山城近くに到着した。 そこには既に光明山城より出陣した祐清率いる兵達もおり、秀治や氏久達は速やかに彼の軍勢と合流を果たしていた。
その直後、軍議を開き感状山城への攻略に取り掛かる。 しかし、先ずは義頼からの書状を届けるのが先決である。 秀治らに預けられた書状は、軍使を通して感状山城の城代へと届けられたのだった。
こうして書状を受け取った城代はと言うと、後日返事をするとして先ずは軍使を帰らせている。 それから一人、彼は如何にするべきかを考えていた。 宇喜多家の援軍である宇喜多忠家が、長岡藤孝が率いた軍勢に敗れた事は既に承知している。 更に嘘か真か分からないが、浅瀬山城近くで行われた戦で毛利勢が敗れたとの話も流れてきていた。
始め信じられない話であったが、こうして義頼率いる軍勢の一部に取り囲まれている以上はあながち嘘とも言い切れない。 そうであるならば、此処で降伏するのも吝かではない判断であった。
実はこの城代、岡氏の一族なのである。 この先、宇喜多家に所属し続ければもしかしたら宗家が滅ぶかもしれないのだ。 その事を考えれば、敢えてここで降伏する事で万が一の事態になったとしても対応する事が可能となる。 家さえ残れば、そこから再興する事も夢ではないからであった。
そこまで考えた時、彼は降伏を受け入れる決断をする。 裏切り者のそしりは受けるだろうが、それも甘受するつもりである。 先ずは家を残す事、それが最優先なのだ。
そう心を決めた城代は、己の重臣を軍使として派遣する。 そして彼の口から降伏の口上と、己が認めた書状を届ける。 此処に感状山城は開城し、城代及び家臣は秀治らに降伏したのであった。
感状山城を落とした秀治や氏久、祐清らは城に入ると義頼へ書状を出して、事の経緯を報告する。 彼らから連絡を受けた義頼は、即座に三つの命を下す事にした。
先ず一つ目だが、それは龍野城に居る尼子勝久に対してである。 義頼は彼に出陣を命じて、今は感状山城に居る者達と光明山城で合流させる事を考えている。 その上で、秀治らと共に下土井城へ向けて兵を進めさせるつもりであった。
次に二つ目だが、それは姫路城である。 義頼は駒山城や大聖寺山城に入っている毛利勢を攻めるにあたって、大砲の使用を考えている。 そこで大砲を、姫路城からこの地へ移動させる為であった。
そして最後の一つであるが、宛先は感状山城である。 先述した通り、下土井城へ兵を進めるにあたって秀治達を光明山城へ集める為であった。
なお感状山城の守りに関しては、赤松則房に命じている。 そこで則房は、家臣である粟生田左吉を派遣し守らせることにした。
則房家臣の粟生田左吉が白旗城より兵を率いて出陣した翌日、義頼の元に三雲賢持が現れる。 彼が訪問してきた理由、それは今回の戦において気付いた事に対する物であった。
「大砲の軽量化……だと?」
「はい。 今回の様な、急いで行軍する場合でも共に牽引出来る様にと思いまして」
そう前置きしてから賢持は、己の考えを詳らかにした。
まず挙げられるのが、口径であろう。 口径が小さくなれば砲身その物が細くなるので、結果として総重量を減らす事が出来ると思っていた。 しかし口径が小さくなれば、引き換えに威力が小さくなる事実は避けられない。 大砲の威力は、打ち出される砲弾の大きさと火薬量によって決まるからだ。
他には、砲身自体を短くする事も挙げられる。 そうすれば、砲そのものを小さくすることが出来る。 これでも、総重量を減らす事は可能であろう。 だが砲身を短くすれば、引き換えに射程が短くなる事が懸念される事であった。
そう言った賢持の話を聞いた義頼は、少し考える。 砲の威力や射程と言う犠牲も存在するが、緊急時にも大砲が同行すると言うのは悪い話ではない。 それに大砲自体が軽くなれば、色々と使える場面が出て来るかも知れないと考えたその時、義頼の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
「……賢持。 軽量化は行っていい。 だが、その事に付随する形で一つ追加するぞ」
「追加にございますか? 殿」
「ああ、そうだ」
そう返事してから義頼は、賢持へ考えた事を伝えた。
彼が切り出したのは、新たなる砲の作成である。 但しその用途は、大砲とは違う概念であった。
切っ掛けは、皮肉にも吉川元春の奇襲にある。 嘗ては似た様な事を行った為に気付けたとも言えるのだが、奇襲や奇襲でなくとも少数で部隊を分けると言うのは得てして危険が伴うものだ。
無論、戦である以上、戦場のどこに居たとしても危険を避ける事など出来はしない。 しかし前述した様な特殊な命を受けた部隊の場合、危険度が跳ね上がってしまう。 本軍より離れて行動するのだから当然と言えば当然なのだが、それもある意味定めだと言えた。
であるからこそ、馬淵建綱などは嘗て義頼自ら率いて行う敵本陣奇襲を反対をしたのだが今は置いておく。
さてここで義頼が言い出した新たな砲だが、それはこの率いる兵の数が少数となりがちである部隊を支援する為の物であった。
この様な部隊は、潜んで行動する事が良しとされる為に本隊からの支援は受けらづらくなる。 始めから部隊位置を把握していれば、敵を引き付けると言う意味を込めて敢えて本隊からの攻勢を激しくするという様な支援はできる。 だが、逆に言えばそれぐらいしか出来なくなるのだ。
流石にどこかに潜んでいるであろう味方諸共大砲で吹き飛ばす、などと言った事をそうそう出来る物などではない。 誤射や緊急事態故の苦渋の決断ならばまだしも、通常における戦で味方殺しを幾度となく行うなどはっきり言って論外であった。
そこで、この新たな砲となる。 その仕様はと言うと、どの様な状況下においても共に行動できると言う概念の元に考えられていた。 その為には、徹底的とも言える軽量化や砲そのものの縮小化が必要である。 出来うる事ならば、馬などに頼らず人の手で運べる事が望ましいとまで義頼はしたのだから相当な物であった。
勿論、犠牲は伴う。 まず間違いなく、射程は短くなるだろう。 砲自体の強度や耐久性も、従来の物に比べて悪くなる事が予想される。 だが義頼は、その全てを飲み込んででも新たな砲をと望んだのだ。
その様に言われた賢持だが、技術的には可能だと考えていた。
但し、実際に作成してみなければどの様な事が起きるか分からない。 どの道、己が言い出した大砲の軽量化の件もあり伊賀国へ向かう必要がある。 狙い目としては義頼が言い出した事と賢持が言い出した事に共通する事柄もあるので、同時進行は可能だと判断したのだった。
「承知致しました。 では早速、伊賀へと「あ、待て。 まだ話は終わっていない」まい……他には何でありましょうか」
「その、だな。 今俺が言った砲に、お蔵入りした砲弾も使えるようにして貰いたい」
「お蔵入りさせた砲弾と言いますと、アレにございますか?」
「そう、アレだ」
お蔵入りさせた砲弾、それは毛利家が使用しているものが出発点となっていた。
それは、毛利水軍や村上水軍などの瀬戸内で主に活動する水軍が使用する焙烙玉である。 この焙烙玉を、より遠くへ飛ばせないかと考えた結果に生み出された物であった。
仕組みとしては、砲弾を中空にしてそこに火薬を詰める。 砲弾からは導火線が伸びており、導火線に火をつけた後に打ち出すと言う物であった。 また構造としても焙烙玉もほとんど変わる物でもなく、違いとしては砲弾が金属である事と大砲を使用して打ち出すぐらいであった。
だがこの砲弾は、最終的には採用されていない。 それはある意味、致命的とも言える短所が存在したからだ。 その短所とは、射程の短さにある。 義頼が現在使用している大砲の射程に比べて、砲弾が破裂するまでの時間が短すぎるのだ。
この砲弾には導火線が付いている以上、その導火線以上に持たせる事はできない。 だが、導火線が長ければ長いほどいいと言う物でもなかった。 試行錯誤の結果、最大でも凡そ十町ぐらいが限界なのである。 しかし義頼が使用している大砲の射程は、更に長い事は既に記している。 つまり、砲弾が敵や目標物に当たる遥か前で炸裂してしまうので使用する意味が全くなかったのだ。
大砲を角度が全くない状態、即ち零距離射撃で極端に導火線を短くしてから撃ち出して使用すれば意味がないとは言わないがこちらには既に同様の性能を持つ散砲弾が存在している。 そこに、新たな砲弾を加える意味があるとも思えない。 その為、この新砲弾は実験こそ行われたが採用とはならずにお蔵入りとなってしまったのだ。
だが、義頼の提案した新式の砲であれば話は別となる。 提案した義頼も、そして聞かされた賢持もこの砲を作成するにあたってまず射程が犠牲となるだろうと考えている。 ならばその射程の短さを利用する事を、義頼は考えたのだ。
射程が短くなるとは言え、最大で十町ぐらいはある。 しかも運用するのは、伏兵の様な隠れて行動する事を前提に行動する部隊である。 とどのつまり、敵から見れば何処から撃っているのか分からないのだ。
それだけでも混乱が予想されるところへ、精鋭による奇襲すらもありえる。 最も奇襲は絶対にあるとは言わないが、それでもどこから攻勢をかけているのか分からない敵が存在する。 それだけでも、意義はあった。
また、義頼や賢持は気付いていないが、この新砲には別の意味もある。 この新砲が実現すれば、鉄砲隊や大砲を装備した部隊でなくても砲による火力を得られるのだ。 それは最前線においても同義であり、一体どれだけの恩恵を兵に齎すのか未知数である。 その為、義頼も賢持もその点については全く気付かなかったのだ。
「承知致しました。 何とか砲弾を使える仕様で、考えてみます」
「すまんな。 無理を言って」
「いえ。 これが、拙者の仕事です。 それに何より、正直に言えば面白いです」
「そうか……では、頼んだぞ」
「御意!」
賢持は義頼に言った通り、嬉しそうな表情を浮かべていた。
また、その表情が嘘でなかったと言わんばかりに早速行動している。 義頼も、その日のうちに賢持が白旗城より出立すると聞いたときは驚きと若干の呆れの表情を浮かべたぐらいだ。
何であれ賢持は、伊賀国へ向けて出立したのであった。
毛利勢敗走の報せだが、当然だが宇喜多直家の元にも届いている。 彼は浦上家最後の城であった天神山城を重臣の富川正利に任せると、居城である石山城へと戻っていたのだ。
その石山城で、毛利勢の敗走と援軍として送り出した伊賀久隆の撤退を報告されている。 妹婿の久隆については、美作国経由の撤退なのでそう問題はならないと踏んでいる。 しかし衝撃だったのは、毛利両川が敗れた事にあった。
幾ら義頼の兵が多かったとはいえ、あの毛利両川を敗走に追い込んだのである。 しかも未確認情報ながらも、あの吉川元春が怪我を負ったと言う情報まで飛び込んできたのだから押して知るべしであった。
はっきり言って、幾ら直家と言えど初見であの二人を撤退させるなどまず出来ないと思っている。 戦を引き延ばし、幾度かの会戦の後であればそうは言わない。 簡単ではないが、出来ないとは思っていなかった。
しかし義頼は初の戦で、両名が率いる軍勢を退かせている。 それだけでも、十分警戒してしかるべきと判断できる存在であった。
「織田・浅井、武田、上杉、そして毛利両川……織田の今李広の異名は伊達ではない、そう言う事か。 となれば、尋常な手で彼奴を何とかするなどかなり難しいと言わざるを得ないか」
直家はじっと考えた後、小姓に命じて一人の男を呼び出す様にと命を出す。 その男は徳倉城を預ける家臣であり、名を浮田家久と言った。 最も彼自身は、宇喜多一族の者では無い。 ある手柄を立てた事で、家久は直家より浮田の姓と直家の家の名を授けられたのである。 それ以前は、遠藤秀清と名乗っていた。
さて彼が立てた手柄だが、直接的にではないにしても実は義頼と関わりがある。 その手柄とは、今は義頼の元に居る三村元親の父親である三村家親の暗殺であったからだ。
彼は嘗て直家の命により、弟の遠藤俊通と共に火縄銃による家親の狙撃を実行したのである。 この狙撃による暗殺は成功を収め、兄弟揃って宇喜多家の有力武将に名を連ねたのだ。
つまり直家は、義頼を戦場にて討ち取るのではなく暗殺によって排除しようと考えたのである。 そしてその役目を、嘗て家親狙撃を成功させた彼ならば相応しいと呼び出したのであった。
連絡を受けて急きょ徳倉城より現れた家久であったが、直家の命に難しい顔をする。 有り体に言って、家親の狙撃よりも難しいと予想されるからだ。 しかし事情を聞けば、主君たる直家がその考えに至った理由も理解できる。 そこで彼は、失敗した場合に残される家族の事の取り立てを引き換えに拝命した。
因みにこれは、以前の家親暗殺の際にも行われた事である。 そして直家もそれに答え、彼の二人の息子を生れて数年になる嫡子の傍に仕えさせることを約束したのであった。
「分かりました……そこまでの厚遇を約束していただけるのであれば、拝命致します」
「済まぬが頼むぞ。 それと家久」
「はっ」
「必ず、生きて帰ってきてくれ」
「…………御意」
翌日、石山城を出立すると家久は、一路播磨国へと向かったのであった。
別の大砲の構想です。
それと……中国三大謀将最後の一人が動きました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




