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第百八十一話~終戦~

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第百八十一話~終戦~



 義頼からの命を受けて離脱した馬淵建綱まぶちたてつなであったが、無論何もしないと言う訳ではない。 山岡景隆やまおかかげたから近江衆の者達を送り込んだ後は、義頼から預けられた配と共に軍勢に指示を与えていた。

 過去彼は何度となく義頼に変わり全軍の指揮を取った事のある経験からか、その指揮に淀みと言う物は感じられない。 ましてや本多正信ほんだまさのぶ沼田祐光ぬまたすけみつという、六角家の知恵袋と言える存在が助言しているのである。 相手が毛利両川の一人、小早川隆景こばやかわたかかげと言えどもそう後れを取る事も無かった。

 いや、寧ろ数の有利さを利用して戦況を優位に推し進めていると言った風情である。 だからと言って、油断はできない。 相手はあの謀神とも揶揄される毛利元就もうりもとなりの薫陶を受けた隆景であり、警戒するに越した事はないのだ。

 そして言うまでもなく、兵を指揮する建綱も彼を助言する正信も祐光も十分承知の上である。 三人は敵勢に付け込まれる事の無いよう、慎重に指揮を行っていた。 やがてその様な彼らの元に、伝令が到達する。 その報せによって義頼が虎口から脱した事を知り、一様に安堵していた。

 また、伝令より義頼が合流すると言う報せも伝達される。すると彼らは、より一層気合を入れて指揮を行った。 折角主が凌いだと言うのに、己達が不甲斐ない姿を見せる訳には行かないのである。 配下の忍び衆や伝令などの報せ、戦の流れや味方の士気などを正信や祐光が読み、彼らの読みから建綱は味方に指示を送っていた。


「……流石は我が右腕と頭脳よ。 見事なり」

『殿っ!』


 その様に戦を有利に進めている建綱らに、声を掛けた者がいる。 誰であろうそれは、義頼だった。 彼は馬廻り衆の筆頭の藤堂高虎とうどうたかとらら馬廻り衆に後を任せると、藍母衣衆や建綱の命で現れた山岡景隆らと共に建綱の元へと急いだのである。 そして、見事な指揮を行っている建綱らに声を掛けたと言う次第であった。

 声を掛けられた建綱と正信と祐光は、主の存外に確りした声と無事な姿を見て嬉しそうな声を上げる。 そんな彼らに対して義頼は、頷きながら小さく手を上げて答えたのであった。

 その時、三人は笑みを浮かべた後で頷きあう。 そして建綱が近づくと、義頼へ配を差し出した。 建綱の配は、あくまで味方全体への指示を途切らせない為に預かった物である。 こうして義頼が指揮を行う事が出来る状況になった以上、返すのが筋と言う物であった。

 そしてそれは、義頼も分かっている。 彼は黙って、建綱から配を受け取った。 するとその直後、義頼は母衣衆の一人である布施公保ふせきみやすを呼び出す。 そして彼に、佐々成政さっさなりまさ不破直光ふわなおみつ、それから森長可もりながよしへの伝令を命じる。 指示を受けた公保は、一つ頷くと馬に跨り三人の元へと向かったのであった。



 成政と直光と長可は、信長の命によって義頼の元へと与力として派遣された者達である。 故に当然だが三人は、播磨国への出陣にも同行している。 そんな彼らの元へ、義頼から命を受けた公保が到達したのだ。

 彼は成政と直光と長可と面会すると、義頼からの命を伝達する。 その内容を聞いて三人は驚きの表情を浮かべたが、その直後成政と長可は不敵な笑みを浮かべている。 少し表情を曇らせた直光とは、対照的であった。

 とは言え、直光も了承はしている。 三人からの返答を受けた公保は、即座に取って返す。 そんな彼の背を、成政と長可が嬉しそうに見送っていた。


「右少将(六角義頼ろっかくよしより)殿も、面白い手を使われる」

「しかり」

「……お二方。 危険だぞ、この命は」

『そんな事は、そなたに言われんでも分かっている。 だが、面白いではないか!!』


 不敵な笑みすら浮かべる二人に、直光は小さく溜息をついた。

 どの道、やらねばならないのである。 ならば成功を信じ、行動を起こすだけである。 少し憂鬱になりながらも直光は、準備を始めたのであった。

 丁度その頃、義頼の本陣を急襲した吉川元春きっかわもとはるら毛利勢の別動隊はと言うと、漸く小早川隆景が指揮する毛利家の本隊と合流を果たしている。 図らずも吉川元長きっかわもとながという殿しんがりが残った為か、幸いにも追手は見当たらない。 そのお陰もあり、何とか戻って来る事が出来たのだ。


「あ、兄上! 無事かっ!?」

「な、何とかな」


 兄の姿を見て、隆景が最初に掛けた言葉がそれであった。

 何せ彼は、家臣に肩を貸してもらっている次第なのである。 致命傷ではないとは言え、義頼の矢は元春に大怪我を負わせた事に間違いはなかった。

 今までは敵本陣へ急襲した事による緊張感やら高揚感やらがいい方に作用していた為、彼も傷に関してはある程度は無視できていたのである。 しかし味方の軍勢に合流した途端、意図せずその心持から解放されてしまう。 すると途端に、嫡子である吉川元長きっかわもとながを残してきた事や怪我の影響などが真面まともに元春を襲ったのだ。

 そんな兄の様子を見て、隆景の表情には憂いがある。 策が成功しなかった事もさる事ながら、兄の状況や味方の損害などがあった。

 何と言っても兄の強さは、弟である隆景が一番知っている。 武人としても将としても、彼を超える者がそう居るとは思っていない。 だからこそ隆景は、織田の今李広とも異名される義頼に対して元春をぶつけると言う手を打ったのだ。

 しかしてその結果が兄の負傷であり、それは中々に重傷と言っていいだろう。 顔から血の気が失せているのが、何よりの証左である。 その上、甥の元長まで失った可能性が高いのだから中々に厳しいと言えた。

 その様な時に気を失ったりしては、味方に影響が出る可能性がある。 その一点を鑑み、元春は気丈にも歯を食いしばって耐えているのだ。 しかし、そんな彼の頑張りが何時までも持つとは思えない。 気が抜ければ、その瞬間に意識が飛んでもおかしくは無いと隆景には見えたからだ。

 そしてもしその様な事態となってしまえば、その影響は一気に味方に広がりかねない。 何と言っても元春は大将であり、同時にその武も味方に知れ渡っている。

 鬼吉川の異名は、伊達ではないのである。

 その元春をして大怪我を負っている事が味方に知れ渡れば、士気が下がってしまう事はまず間違いない。 そうなれば今の戦況が、一気に覆ってしまうかも知れなかった。

 更にこの状況を、敵である六角勢が利用しないとは思えない。 と言うのも、もし自分が同じ立場ならば間違いなく利用するからである。 なれば遠からず、元春の容態が味方に知れ渡る事を考慮しなければならかった。

 それだけではない、元春と共に奇襲を掛けた者達の中にも討たれたと思われる者が居るのだから始末に困る。 国司元蔵くにしもとぞう児玉元良こだまもとよし益田元祥ますだもとよしと言った者達が戻ってはこなかったのだ。  


「兄上が……総大将がこの状態、それに思った以上に味方が被害を受けた。 これでは、退かざるを得ないか」


 正に苦渋と言う言葉がしっくりくる様な表情を浮かべながら、隆景が一言漏らした。

 もしこの言葉が、何時もの元春を見て出た言葉ならば間違いなく彼は食って掛かっただろう。 しかし今は、元春をしても否定はできなかった。

 ともすれば意識が飛びかねない状況であるのは、己が一番分かっている。 となれば、まだ明確な意識があるうちに退いておく必要がある。 安全とされる場所にまで退く事が出来れば、例え大将の元春が倒れたとしても対応できる。 それだけの技量を、隆景は間違いなく持っているのだ。


「……そうか……そう……だな。 隆景、任せるぞ」

「承知した兄上」


 その後、隆景は元春へ治療を受ける様にと言う。 兄が頷いたのを見届けると、彼は如何にして撤退するかを思案し始めた。 だが程なく、彼の表情が厳しいものになる。 それは前線より、伝令が届いたからであった。


「敵が一気に攻勢へと出てきました!」

「何だとっ!」



 さて成政と直光と長可の元へ向かった公保だが、彼は義頼の元へと戻ってきていた。

 そして、三人が動き出した事を伝える。 すると義頼は、正信と祐光と建綱に視線を向ける。 主からの視線を受けた三人は、頷く事で返答とした。

 そんな三人へ頷き返すと、配を振りかざす。 それから一呼吸置くと、掛け声と共に配を振り下ろしていた。

 不思議な事だが、喧噪渦巻く戦場であるにも拘らず義頼の声は響く。 そんな義頼の命を契機に、一気に六角勢が攻勢を強めたのである。 その途端、毛利勢の戦線が押され始めた。

 これは、純粋に数の差によるものである。 義頼は第二陣と言っていい者達も、投入したのだ。 その為、今まで保たれていた均衡が崩れてしまったのである。 如何に毛利勢が手強いと言っても、兵数の差は如何ともしがたいのだ。 毛利勢の前線は、攻勢を強めた敵である義頼の軍勢を押し留めるのに躍起になってしまう。 これによって毛利将兵の注意は、前線に集中してしまった。

 そしてこの状況こそ、義頼が意図したものである。 敵味方の注視がお互いがぶつかる前線へと集中した途端、成政と直光と長可が動く。 しかし三人は、前線へと向かわない。 それどころか、迂回すらしている。 だが指示を出した義頼や彼から話を聞いた建綱や正信や祐光は別として、彼らの動きを注意している者など殆どいない様に思われた。


「このまま、敵本陣を叩くぞ」

『応っ!』


 成政の言葉に、長可と直光が答えた。

 そう。 これが、義頼の出した指示である。 彼は急襲には急襲をとばかりに、三人による逆攻勢を仕掛けたのだ。 それも態々、味方による全面攻勢で敵を釘付けにした上である。

 ある意味、隆景の二番煎じと言っていい。 しかし敵が仕掛けた直後であった為に、逆に嵌ったと言える。 隆景もまさか直後に敵が自ら使った策と同じ様な手を打ってくるとは、夢にも思っていなかったのだ。

 このままいけば、毛利勢は義頼の策に嵌っただろう。 しかし、事はそうとはならなかった。 何と、この動きに気付いた者がいたのである。 それは、毛利家重臣の一人である杉原盛重すぎはらもりしげであった。

 彼は成政らの動きを配下の忍びからの報告で偶々察知すると、足止めに出たのである。 同時に佐田彦四郎さだひこしろうら忍び衆に命じ、味方本陣へと向かわせる。 そして盛重自身はこの場に残り、成政ら接敵してくる敵勢へ攻勢を仕掛けたのであった。

 己らの命を対価として。 

 彼らは最後の最後まで、成政らを足止めし続けたのだ。 盛重らの命を掛けた奮闘により、元春と隆景の命は救われる事となる。 僅かでも時間を稼げた事で、派遣した忍び衆の伝令が毛利本陣へと届いたからだ。

 それは隆景が、味方の損害を減らしつつも撤退を行う方法について考えていた時の事である。 彼の前に、いきなり彦四郎が現れたのだ。 思わずと言った感じで身構えた隆景だったが、その場にいるのが味方である事に気付くと腰の刀から手を放す。 その直後、彦四郎より本陣へと迫る敵勢の存在を知らされたのだ。

 まさかと言う思いが強い隆景だったが、態々味方の忍びが不利となる報せを持ってくるとは思えない。 敵の調略に掛かった可能性が無い訳ではないが、その点においては彦四郎も彼の主である盛重もあり得ないと断言できた。

 ましてや、その盛重が足止めしていると言う。 そこまでの事態が逼迫しているのであれば、敵がすぐそこまで迫っていると考えた方が合理的であった。 となれば、最早形振りなど構っている暇はない。 兄の元春は怪我を負い、甥の吉川元長の生存は正直言って絶望的である。 そればかりか、敵の本陣へ奇襲を掛けた将兵にも当然だが死傷者は出ている。

 有り体に言えば、余裕がないのだ。

 そこまで考えると、隆景は全面撤退の決断を下す。 しかし、三々五々に撤退しては各個撃破されてしまう。 その為、殿しんがりを残さない訳にはいかなかった。

 だがこれは、殆ど死ねと言っているに等しい。 数に勝る義頼の軍勢を、一時でも抑えなければならないからだ。 だが軍を率いる者としては、命じないと言う訳にもいかない。 その時、隆景に対して名乗りを上げた者がいる。 それは、三刀屋久扶みとやひさすけであった。

 彼は元々、尼子家家臣である。 しかし毛利元就もうりもとなりによる出雲国侵攻時、三沢為清みさわためきよ赤穴盛清あかあなきよもりと共に尼子家を見限り毛利家家臣となってたのである。 それ以降は毛利家に忠誠を誓っていた久扶が、殿しんがりを買って出たのであった。

 元尼子家家臣であるが、尼子家の再興を目指す軍勢にも加わっていない。 それどころか、吉川元春に起請文を提出する事で、己に異心が無いと示していた。 その様な久扶であるので、信用は置かれている。 それ故、隆景は彼に殿しんがりを任せる事にしたのだ。


「では、頼むぞ。 何としても堪えてくれ」

「分かりました」

「それと、息子の事は任せておけ。 悪いようにはせぬ」

「はっ」


 久扶の息子に、三刀屋孝扶みとやたかすけがいる。 孝扶は久扶の一粒種であり、つまり隆景が以降は面倒を見ると暗に言ってのけたのだ。

 知っての通り隆景は元就の子であり、毛利家現当主を務める毛利輝元もうりてるもとの叔父である。 その彼が後ろ盾となったのならば、三刀屋家は安泰と言っていい。 となれば、心置きなく戦えると言う物である。 それを証明するかの様に、久扶と彼が率いる殿しんがりは懸命の働きを見せたのであった。

 先ず彼はただ抑えるだけでなく、殿しんがりの軍勢をさらに分けて別動隊を組織する。 彼らを伏兵として隠した上で、毛利家本陣を目指してくる成政らを迎え撃ったのだ。

 その一方で毛利家本陣を守る様に布陣する久扶の軍勢に成政らも少しは警戒したが、思ったより少ない敵兵に左程の問題はないと判断してそのまま突き進む。 やがて殿しんがりとぶつかったが、やはり久扶の兵は少ないので押されてしまった。 

 このまま押し通すと考えた矢先、成政達は久扶の組織した別動隊の奇襲を受けてしまったのである。 この為、一時的とはいえ混乱をきたしてしまい、軍勢の動きが遅滞してしまう。 まさにこの時を好機とし、隆景は一気に撤退へと入ったのであった。

 そしてこれとほぼ同時期、もう一つの軍勢でも動きを見せる。 それは、別動隊として佐用赤松家の軍勢を牽制している伊賀久隆いがひさたか率いる宇喜多家の軍勢であった。

 彼は毛利勢が劣勢に立ったと感じ、如何にするかを考える。 即ち毛利勢の援軍に回るか、それとも浅瀬山城に牽制を続けるか、はたまた独断で戦場より撤退するかの決断であった。 どう傍目に見ても、毛利勢が劣勢なのは間違いない。 かと言って、盟約もありこのまま見捨てるのは不味い様に思えた。

 だからこそ久隆は迷ったのだが、その彼に迷わず撤退を言い出した者がいる。 それは、与力として同行した花房正幸はなふさまさゆきであった。


「伊賀守(伊賀久隆)殿、何を迷われる。 既に我らは援軍としてこの地に赴き、かつ連合軍総大将の命に従い浅瀬山城の攻囲を行っている。 既に義理は果たしておる、何を躊躇う事があろうか」

「……そうだな。 義理は果たしたな」


 知勇兼備の将として敵味方に名を馳せている正幸からの言葉は、久隆に決断を促すには十分な言葉である。 彼は正幸の言葉に同意すると、全軍に撤退の命を出した。

 それは奇しくも、三刀屋久扶が一度は抑えた佐々成政達三名に駆逐された時と同じくしている。 そして成政達は、そのままの勢いで毛利家の本陣へ向かうのは間違いないと思われた。 であるならば、撤退する時としては悪くはない。 どの道、本陣が急襲されれば当然毛利勢は混乱する。 そしてその混乱は、敵味方問わずに影響を与えると思われるからだ。

 すると案の定、久扶を破った成政達は更なる戦果を挙げるべく敵本陣目掛けて突き進んでいく。 そしてついでとばかりに、進軍上に居る敵将兵にも攻勢を仕掛けていた。

 つまり、敵の目は宇喜多勢にまでは向いていないのである。 その事態を奇禍として、久隆率いる宇喜多勢もまた撤退に入ったのであった。

 その宇喜多勢の動きだが、義頼自身は気付いている。 しかし彼は、取り敢えずは見逃す気でいた。 宇喜多勢は敵であるが、主力と言う訳ではない。 この状況で下手に宇喜多勢を刺激して、要らぬ被害と手間を被りたくはないからだ。

 とは言え、救援に来たのである以上は兵を向かわせる必要がある。 そこで義頼は、赤松宗家当主の赤松則房あかまつのりふさを浅瀬山城へ派遣している。 赤松宗家当主となる則房ならば、打って付けであろうと判断したのだ。

 それに彼であれば、万が一にも同士討ちなどは発生しないと言う考えもある。 旗印などを掲げるのでまずはないだろうが、少しでも要らぬ要素を排除する為でもあった。 

 やがて浅瀬山城に入った則房は、城主の上月恒織こうづきつねおりや上月城からの援軍として入城していた赤松政茂あかまつまさしげの救援の成功を収める。 則房率いる赤松宗家の将兵は、歓喜を持って浅瀬山城へ迎えられたのだ。

 こうして佐用赤松家の救援に成功した義頼は、一先ず安堵する。 一応の目的を果たしたので、此処で戦を手仕舞いにしてもいいだろう。 だが、本多正信や沼田祐光、そして小寺孝隆こでらよしたか三雲賢持みくもけんもちと言った義頼の幕僚を務める者達は反対した。

 戦こそ、当初は本陣へ攻勢をかけられたりしたが、今や寧ろ優勢となっている。 その上、鬼吉川こと吉川元春に手傷を負わせたばかりでなく彼の嫡子である吉川元長も討ち取るだけの戦功を上げている。 ここで手を引いてしまうと言う必要性を、彼らが全く感じなかったからだ。

 今後は間違いなく敵の主力となる毛利勢が撤退に移っている以上、どうせならば挙げられるうちに戦果は挙げておくべきである。 そう判断した上で彼らは、義頼に追撃を進言した。

 言われてみれば、最もである。 それにここで戦果を挙げて置けば、何れ播磨国入りする織田信忠おだのぶただにも報告ができると言う物である。 それ故に義頼は、毛利勢の追撃を決断した。

 同時に義頼は、宇喜多勢に対して例え形だけでも手当を行った方がいいとも考えた。

 義頼が彼らに当初は手出しをしないとした理由は、前述の通り藪蛇とならないかを心配したからである。 下手に手を出して、噛みつかれては元も子もない。 兵数差から先ず負ける事はないだろうが、要らぬ被害など受けない方がいいのだ。 しかし毛利勢への追撃を決めた今となっては、最早一緒である。 そこで予定を変え追撃の兵を、派遣する事にしたのだ。

 宇喜多勢を追わせるのは、井伊頼直いいよりなおと重臣の永原重虎ながはらしげとら、それと大和衆の松永久通まつながひさみちである。 彼らに兵を預けて、伊賀久隆らの追撃を命じていた。

 但し、追撃は美作国との国境までと厳命している。 下手に越国を行ってしまうと、今調略を仕掛けている美作国の国人達が反発する可能性がある。 それを防ぐ為にも、追撃は国境までとしたのだ。

 因みに追撃部隊の大将は、頼直となる。 彼は既に義頼の庶長子と認められているので、その人選は当然の措置であった。

 こうして宇喜多勢に対しても手を打った義頼であるが、それが終わると彼は長岡藤孝ながおかふじたかを呼び出している。 やがて彼が現れると、己の配を差し出していた。


「兵部大輔(長岡藤孝ながおかふじたか)殿、貴公には俺の代わりに軍勢を率いて毛利を追ってもらいたい」

「……何故ですかな? 右少将(六角義頼ろっかくよしより)殿」

「俺は、此処でまだやる事が残っているのだ」


 そう言うと義頼は、つい先程まで両軍勢がぶつかっていた戦場を眺める。 その様子に、藤孝は彼が行おうとしている事に気付いてゆっくりと頷いた。

 義頼がこれから行おうとしている事、それはこの地に塚を作る事である。 その理由は二つあり、一つは吉川元長きっかわもとながを討った直後に言い放った言葉を実践する為である。 そしてもう一つは、一人の家臣を弔う為であった。

 その家臣とは、馬廻り衆として仕えてきた沼田光友ぬまたみつともである。 彼は、吉川元春率いる別動隊が率いる別動隊の先鋒を務めた国司元相くにしもとすけの二男である国司元蔵と戦い、その命を散らしたのだ。

 しかし、彼もただでは死なない。 何と、相打ちながらも元蔵を討っている。 つまり、元蔵を討った者こそ光友であったのだ。


「……分かり申した。 出来れば拙者も残りたいが、毛利を放っておけぬからな」


 光友は、藤孝から見れば義理の弟に当たる。 だからこそともに残りたいと思ったのだが、いみじくも彼が言った通り撤退した毛利勢を放って置く訳には行かないのもまた事実なのだ。


「すまぬ。 これだけの軍勢となると、どうしても貫目が必要なのだ」


 義頼の軍勢には京極家や一色家、山名家や赤松家など錚々たる名門が名を連ねている。 そんな彼らを戦場限定であるならばまだしも、軍勢を率いての行動となるとやはり知名度と言うか重しの様な物が必要となってしまうのだ。

 その意味では、元々が細川一門である藤孝は引けを取らない。 何より藤孝であれば、軍勢を預けるのに義頼は何ら憂いを感じ無いのだ。


「ふむ。 承知しました。 此方は、お任せあれ」

「お頼み申す」


 話の間ずっと差し出していた配を握りつつ、藤孝は了承の返事をする。 その彼に頷くと、義頼は踵を返す。 そして藤孝もまた踵を返すと、軍勢を率いて毛利勢を追うのであった。

 先ず道案内も兼ねて、赤松則房が浅瀬山城より戻って来る。 これは配を預ける前に義頼の命が既に届いていたので、何も問題なく軍勢と合流することが出来た。 どの道、毛利勢も宇喜多勢も居ないのだから浅瀬山城に兵を残す必要もない。 その意味でも、赤松勢が戻る意味はあったのだ。

 浅瀬山城より戻った則房を先導として、軍勢が進軍していく。 そんな味方の軍勢を見送った後、義頼は敵味方の区別なく戦場にある遺体を出来るだけ集めた。 

 そして戦場となった佐用川を挟む様に毛利勢の本陣があった場所には毛利家の塚を、そして己の本陣があったところには味方の塚を建てる。 そして、味方の塚に寄り添う様に、一つ小さめの塚を作る。 この小さな塚こそが、沼田光友を祭った塚であった。

 なおこれらの塚は仮の物であり、何れは正式な物を建立するつもりである。 退いた毛利勢の追撃もある以上、そう長く時間をかける訳には行かない為の措置であった。

 それはそれとして、毛利勢の塚と味方の軍勢の塚で冥福を祈った義頼は、その後で光友の塚の前に立つと静かに瞑目する。 そんな彼の脳裏には、若狭国より落ちてきた沼田一族を保護して以来、馬廻り衆としてそして母衣衆成立後は藍母衣衆として常に傍にあった彼の様々な姿が去来している。 その一つ一つを噛みしめるかの様に、義頼はじっと彼の塚の前で立ち尽くしていた。

 どれくらい時間が経ったであろう、やがて義頼の目から一筋の涙が零れ落ちる。 しかし、涙が地面へ落ちる前に瞑っていた目を見開くと踵を返す。 それは、何かを振りは切るかの様な仕草であった。

 すると、後ろで控えていた沼田清延ぬまたきよのぶ沼田祐光ぬまたすけみつが視線を投げかける。 その二人に義頼は、声を掛けたのであった。


「済まぬな。 俺が不甲斐ないせいで、そなたらの弟を死なせてしまった」

「その様な事はございません。 弟も、本望でありましょう」


 清延の言葉に、祐光も頷く。 そんな二人の仕草に、義頼は小さく笑みを浮かべた。

 己を気遣ってくれている、それが分かったからである。 何と言っても清延と祐光は、実の兄弟なのだ。 義頼以上の悲しみが、彼らを襲っている筈である。 それであるにも拘らず主を気遣う二人の心遣いが、義頼の心に温かさを灯したからこそこぼれた笑みであった。


「ありがとう、清延に祐光」

『はっ』

「……さて、名残惜しいが何時までもは居られん。 急いで毛利勢を追うぞ!」

『御意!!』


 清延と祐光の返事に頷くと、義頼は六角家の将兵と共にこの地より離れて行った。

 こうして先行した本隊と義頼率いる六角家の将兵は、毛利勢を追っていく。 そして頼直率いる別動隊は、宇喜多勢を追撃したのであった。

 

タイトル通り、此処での戦は終わりです。

まだまだこれからですが。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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