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第百八十話~今李広と鬼、そして……~

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第百八十話~今李広と鬼、そして……~



 吉川元春きっかわもとはる率いる毛利家の別動隊を忌々しげに睨んでいた義頼であったが、直後に視線を外すと藍母衣衆の吉田重綱よしだしげつなを見遣る。 主からの目配せを受けた彼は、小さく頷くと兵を配置した。

 彼等は、上杉謙信うえすぎけんしん率いる越後上杉家との戦である【御舘館の戦い】の後で、急遽本陣付きとして増員を行った者達である。 特徴として全員が全員、日置流の使い手で構成されていた。

 日置流免許皆伝の義頼や六角家の弓衆奉行で日置流当代の吉田重高よしだしげたかに比べれば落ちるが、それでも使い手である事に変わりはない。 重綱の号令一下、彼らは次々と矢を放った。

 すると、狙いすましたかの様に吉川元春率いる毛利勢に手傷を負わせていく。 そのせいで幾ばくかは脱落はしたが、全ての敵に損傷を与え脱落させるなど土台無理な話である。 その事を体現するかの様に、元春と共に兵を率いている者達は矢による攻撃など物ともしないかの様に突撃を続けていた。

 毛利勢の先鋒は、国司元相くにしもとすけである。 彼は齢八十を数えるが、老黄忠ろうこうちゅう宜しく兵を率いていた。

 また彼は、今は亡き足利義輝あしかがよしてるより「槍の鈴」の免状を与えられた剛の者である。 その武勇が虚名などではない事を、彼は身をもって知らしめていた。

 数こそ矢の雨と言う程ではないが、それでも的確に降り注ぐ矢を時には避け、時には槍で振り払うして進んでいく。 そんな元相のすぐ近くでは、二男の国司元蔵くにしもとぞうも父親同様に槍を振るっている。 彼は父親程の武勇はないが、蛙の子は蛙なのだろう。 やや遅れながらも、敵本陣目指して進んでいた。

 そんな国司親子に続いて、児玉元良こだまもとよし渡辺長わたなべはじめと言った者達がおり、更にその後ろには元春や元春の息子である、吉川元長きっかわもとなが仁保元棟にほもとむねが続いていた。

 彼らは率いている兵の被害すら鑑みず、ひたすらに突き進んで行く。 程なく毛利勢は、矢による攻勢でいささか兵を減らしつつも敵の本陣へと肉薄する。 こうなってしまうと、如何に日置流の使い手と言えど、矢を打つにはいささか難しい。 そこで矢を放っていた面々は、弭槍で迎え撃っていた。

 そしてついに元相を先鋒とした毛利勢と、義頼旗下で本陣の周りに配された近江衆や母衣衆、更には馬廻り衆が刃を交える。 元相以下の毛利勢は遮二無二攻勢を掛け、北畠具教きたばたけとものり率いる藍母衣衆や藤堂高虎とうどうたかとら率いる馬廻り衆が迎え撃っていた。

 直後、六角勢本陣近くのあちらこちらで剣戟の音や怒号が満ちて行く。 その時、義頼の副将である馬淵建綱まぶちたてつなが主に声を掛けて避難する様にと促す。 しかし義頼は、黙って左右に首を振った。


「悪いが建綱、その儀は及ばぬ。 此処で本陣から大将が逃げては、味方が一気に崩壊しかねん」

「ですが殿! 敵が迫っておるのですぞ!!」

「分かっておる。 分かっておるから、退けんのだ! それはそなたも、分かっておろう」

「そ、それは……」


 そう。

 此処で大将たる義頼が退けば、戦線が一気に崩壊しかねない。 そうなってしまえば旗下の者達は、烏合とまではいかなくともかなりの動揺が襲うだろう。 その様な兵に勇戦など、とても無理な話であった。

 それに兵の数は味方の方が多いとはいえ、毛利勢とてこの戦場に居る兵は万を超えている。 その兵が一斉に襲い掛かってくれば、動揺した兵など敗走の憂き目を見る事となる。 その様な事態にならない為にも、義頼は踏ん張らない訳にはいかなかった。

 それは無論、建綱も分かっている。 だからこそ、言い淀んでしまったのだ。 しかし、義頼の身の安全さえ確保できれば、例えここで負けても立て直しは出来るとも思っている。 それ故に、ここは退いてもらいたかったのだ。

 しかしそんな建綱の思いは、ある一言によって実現出来なくなる。 その一言とは、よりにもよって義頼の言葉であった。


「それに、だ。 建綱、どうやら遅いみたいだぞ」

「何がですか!」

「鬼が来た!! これを持って、退けっ! 建綱!!」


 次の瞬間、陣幕を切り裂かれる。 と同時に、二十名前後の者達が飛び込んできた。

 慌てて建綱は無論の事、本陣内に居た蒲生頼秀がもうよりひで井伊頼直いいよりなおや自陣へ戻る時機を逸していた為に未だ本陣に残っていた長岡藤孝ながおかふじたからが迎え撃つ。 蒲生頼秀は吉川元春嫡子の吉川元長と相対し、井伊頼直は二男の仁保元棟と相対する。 そして藤孝は、益田元祥ますだもとよしと相対した。

 だが三人の他にもう一人、槍を振りかざして突撃を仕掛けた者がいる。 その者は、真っすぐ義頼へ襲い掛かった。 しかし義頼とて、一廉の者である。 彼は構えていた打根で、その者の槍の一撃を受け止めていた。 


「建綱!! 行けっ! 兵は任せるっ!!」

「え? はっ!?」


 建綱をかばうと同時に義頼が渡した物、それはつい先程まで彼が携えていた配である。 義頼へ槍を繰り出した男を相手とする以上、他に手が回らない。 そこで全幅の信頼を置く建綱へ、配を渡したのだ。

 如何に六角家家臣と言えど、万を超える兵を操れる者となればどうしても数は限られてしまう。 ましてや今の義頼の軍勢は、混成軍と言っていいぐらい多岐に渡っている。 その様な味方の軍勢へ的確な指示を与えつつ、かつ小早川隆景率いる軍勢を相手にするのだから生半可な者では無理なのだ。

 だが建綱であれば、それも可能であると義頼は信じているし信頼もしている。 だからこそ今までも、幾度となく彼へ配を預けて来たのだ。

 そして建綱であるが、彼としては嬉しくもあり不満もある。 配を預けられる事は、非常に嬉しい。 しかし同時に、主の危険を肩代わりできないと言う事でもあるのだ。 流石に個人戦と兵の指揮を同時にできるなどと言う、化け物染みた事など不可能である。 それは義頼でも同じであり、それ故に彼は建綱をどかせると同時に配を預けたのだ。


「大したものよ。 まさか誰かを庇いながらも、受け止められるとは思わなんだ」

「そうか。 鬼吉川に褒められるとは、な!」  


 言葉を返すと同時に義頼は、元春の槍を打根で弾く。 同時に懐へ手をやると、打矢を投げつけた。 しかし相手は吉川元春、一筋縄でいく相手ではない。 額に向けられたと判断すると、彼は頭を僅かに下げる。 その為、打矢は元春の額ではなくかぶっている兜の前立てに吸い込まれていた。

 それには、義頼もいささか驚く。 槍を弾いた事で多少なりとも、元春の態勢は崩れていたのだ。 それであるにも拘らず、最小限の動きで攻撃を阻止したのである。 しかも兜で受け止めると言う、肝の据わった行動でだ。 しかし驚いている暇などない義頼は、直ぐに打根を構える。 そして、建綱へ今一度声を掛けていた。

 それは、何時までも軍勢へ指示を出さない訳にはいかないからである。 本陣も緊急事態と言えるが、同時に前線もあるのだ。 今は兵の数も多い上に、播磨衆や大和衆などの踏ん張りがあるので問題ではない。 しかし何時までもその状態が続けば、味方の士気等に悪影響も出かねない。 そうなれば、結果がどう転ぶのか分からないのだ。


「建綱っ! 此処は任せろっ!!」

「…………御意! 弥八郎(本多正信ほんだまさのぶ)、上野之助(沼田祐光ぬまたすけみつ)!!」

『はっ』

「そなた達は、拙者と共に来るのだ」

『えっ!?』


 建綱の言葉に、本多正信と沼田祐光は思わず顔を見合わせる。 すると、視線は吉川元春へ固定したまま義頼が二人へ指示に従う様にと命じた。

 二人が闘えないと言う訳ではないが、相手は敵本陣へ突撃を敢行した上で成功させる様な者達である。 しかも今は、味方の軍勢に指示を出し続けなければならない。 その様な事態にあっては、二人を本陣に留めるよりは軍勢の指揮に力を傾注させるべきだと判断したのだ。

 要は、適材適所である。 現在の本陣に最も必要なのは侵入した敵を撃退する直接的な力なのだ。


「建綱と共に行けっ! そなた達に、軍勢の命運を任せるっ!!」

『……分かりました……』

「させるかっ!」

「そうは、いかぬっ!!」


 咄嗟に元春が手にしている槍を投げ付けるべく構えたが、それは叶わなかった。

 素早く行動を起こした義頼の打根が、迫って来たからである。 無視すれば建綱に届くであろうが、そうなれば己が致命傷を負いかねない。 それでは、意味がないのだ。

 あくまで元春の、否毛利家の目的は義頼である。 建綱を討ったところで、義頼を討てねば本末転倒となる。 それでは、命を懸けてまで突貫した意義まで消えてしまうのだ。

 仕方なく元春は、思いっきり踏ん張ったかと思うと強引に体を後ろへ倒す。 無論無理な行動故に無様に倒れたが、それでも義頼の打根は寸でのところで逃れられた。

 まさかの動きに思わず呆気に取られたが、直ぐに気を取り直すと追撃を行う。 しかしその僅かの間に元春は、槍を手放すと刀を抜き放っていた。

 この刀は吉川家に代々伝わる物で銘を「狐ヶ崎」と言い、嘗て鎌倉時代に起きた【梶原景時かじわらかげときの変】に置いて当時の吉川家当主である吉川友兼きっかわともかねが景時の三男で剛勇をもって知られた梶原景茂かじわらかげもちを討ったとされている代物であった。

 その様な由来を持つ刀で、吉川家当代である元春が義頼の打根を反らし躱す。 そして僅かの間でも体勢を崩した元春は、その隙に立ち上がっていた。 すると義頼が元春へ向かって突きを放つが、彼は刀で滑らす様にして避ける。 そのまま一歩踏み込むと、お返しとばかりに突きを入れた。

 だが義頼は、腰に差した綱切筑紫正恒を抜き放ち打ち払う。 義頼の手にした刀も佐々木家の頃より伝わっている代物であり、奇しくも先祖伝来の刀が相見えた瞬間であった。 しかしその様な事を気にしている程の余裕が、両者にある訳ではない。 皮肉にも義頼の腕が、結果として元春の意識を集中させてしまっていた。

 正にその隙を突いて、決断をした建綱が託された配と共に乱戦模様である本陣から離れていく。 後ろ髪を引かれる思いではあったが、それは正信や祐光も同じである。 三名とも、納得していない表情をしつつ軍勢の指揮ができる場所へと移動していくのであった。



 さて六角勢本陣にて相対するそれぞれの軍勢の大将であるが、周りなど最早見えない状況に陥っていた。

 既に綱切筑紫正恒を鞘に戻し打根を構える義頼と、狐ヶ崎を構える元春は微動だにしない。 いや、僅かづつであるが二人はにじり寄っていた。

 やがて手にした刀の間合いに入った元春が、得物を振るう。 すると義頼は、踏み込んで半身となると刀を避ける。 同時に間合いを詰めており、そのまま打根を突き出していた。

 すると元春は、脇差を中程まで抜いて打根を滑らしている。 その隙をついて、刀を戻している。 そして義頼も避けられたと分かった直後には、後ろに下がり間合いを戻していた。

 一端間合いを取るかと思われたのも束の間、両名とも動く。 動きそのものは義頼の方が僅かに早いと思われるが、間合いはまだ刀の方に分がある。 結果として二人は、ほぼ中央で得物を打ち付けていた。 次の瞬間、両者とも打ち付けた武器の反発を利用してそれぞれに体を回転させる。 全く逆の方向に回った二人は、今一度ほぼ同じところで得物をぶつけ合っていた。

 だが、今度は反発など起きない。 それどころか、まるで糊付けでもしたかの様に微動だにしなかった。 いや、よく見れば小刻みに震えている。 二人が込めた力がほぼ同じであった事から、起きた状況である。 暫しそのままでいたが、まるで申しあわせたかの様に間合いを開く。 そこで義頼が打矢を投げたが、刀で打ち払う。 その仕草はまるで、その行動が分かっていたかの様であった。

 すると二人は、微かに笑みを浮かべる。 そこには嫌な物は一つもない、まるで親しい者同士が腕比べをしているかの様な雰囲気であった。

 だが言うまでもなく両者は敵同士である、その事を体現するかの様に二人は踏み込んでいた。

 元春が上段から刀を振り下ろすと、義頼は一瞬だけ止まる事で凌いで見せる。 直後、踏み込んで突きを放とうとしたが叶わない。 何と元春は、地面直前にまで振り下ろした刀を返さずにそのまま跳ね上げたのだ。 彼は、刀を返していては間に合わないと判断したのである。 その分だけ早い戻しであり、まず当たるかに思えた。

 たとえ峰であっても打ち据える事が出来れば、隙が生まれる。 上手くすれば、骨などに異常をきたすかも知れない。 との願いを込めた戻しであったが、義頼は元春の思惑の上を行ってみせた。

 視界の片隅でその動きに気付けた義頼は、踏み込もうとした足を半ば強引に真っ直ぐ前ではなく斜めに持っていく。 その為か体が斜めとなり、寸でのところで狐ヶ崎を躱す事に成功したのだ。


「……驚いた。 当たると思ったがな」

「…………そう簡単に、当たってやる訳には行かない」


 そう返した義頼だが、内心では冷や汗ものだ。

 かろうじて気づくことができたので寸でのところで避ける事が出来たが、殆ど偶然に近い。 先ほどの言葉とて、半ば強がりに近いのだ。


「そうか。 ならば、当てるまでよ!」

「返り討ってくれる!!」


 直後、二人はほぼ同時に突貫した。

 その一方で、義頼の本陣自体は静かになっている。 大将同士の戦いに、周りが魅入られたと言っていい。 それぐらいに両者の戦いは、凄まじくも峻烈だったのだ。

 しかし、永遠にも続くかと思われた状況だが突如として打ち切られる。 それはある一人の存在が、現れたからであった。 その者は佐田彦四郎さだひこしろうと言い、毛利家の杉原盛重すぎはらもりしげが棟梁を務める忍び衆の一人である。 彼もまた下忍を率いて、この戦に参戦していたのだ。

 その彦四郎が、現れると同時に義頼へ対して棒手裏剣を投げ付ける。 まさかの介入と行動に一瞬だけ驚いたが、直ぐに反応してその手裏剣を避けていた。

 この行動には、吉川元春も驚きそして怒りを露わにする。 だが彦四郎の報せを聞くと、その怒りも収まる。 そればかりか、眉を寄せ難しい顔となっている。 吉川元春の表情を歪ませた情報とは、敵方の増援の報せであった。

 それは、軍勢全体の指揮を任された馬淵建綱が齎した物である。 軍勢を任され指揮の為に襲撃中の本陣から離れたとはいえ、手を打たないと言う訳にはいかない。 そこで彼は、近江衆のうちで元六角領内で南西部や西部の国人を招集した。

 彼らは今でこそ安土城に居る織田信長おだのぶなが直属と言う立場だが、元を正せば義頼が元服後に与力とされた者達である。 言わば義頼の家臣に近い立場で、六角家が降伏するまで命に従っていたと言っていい存在でとても近しいのだ。

 それであるが故に、建綱は早急に彼らを集めたのである。 流石に全てと言う訳ではないが、瀬田城主の山岡景隆やまおかかげたかを筆頭とした山岡一族や青地茂綱あおちしげつな高畑源十郎たかはたげんじゅうろうと言った者達が集った。

 すると建綱は、彼らに他言無用を念押しした上で事情を話す。 その上で、救援を命じている。 彼らは驚きを表したが、直ぐにその命を拝領した。  

 命を受けた彼らは、敵である毛利勢に気付かれない様に静かにそして素早く本陣へと向かったのである。 この六角勢の動きを、彦四郎らは偶然にも察知する。 そこで忍の統制は弟の佐田甚五郎さだじんごろうに任せ、自らはこの場にやはり弟の佐田子鼠さだこねずみと共に現れたのであった。

 次の瞬間、彦四郎は吉川元春へと近づく。 横槍を入れられて憤懣やる方なしと言った雰囲気であるが、彼が気にした様子はない。 静かに元春へと近づいた彦四郎は、建綱が向かわせている近江衆が近づいている事態を告げた。 その報せを受けて、元春は眉を寄せる。 今のままこの場に居続ければ、立場が逆になってしまうからだ。

 前述した様に、元春が敵本陣へ奇襲を掛けたのは義頼を討ち取る為である。 しかしこの手は、多分に危険も孕んでいる。 もし大将首を取る前に敵勢に囲まれれば、元春が討たれる立場に陥ってしまうからだ。

 だが成功すれば織田家との戦に機先を制するばかりだけでなく、痛撃すらも与えられる。 織田の今李広の名は、武田信玄たけだしんげんや上杉謙信相手に少なく見積もっても優勢と言う名声が付き纏っている。 その義頼を討てれば、これに勝る物などそうそうある物では無いのだ。

 だからこそ吉川元春も小早川隆景も、この乾坤一擲とも言える策を実行したのである。 しかし思った以上に義頼がそして北畠具教などの周辺の者達が手強かった事が、ある意味でこの策を崩してしまったと言える。 やはり、馬淵建綱と言う存在を結果として見逃してしまった事が悔やまれるが今それを言っても仕方がなかった。

 この様な事態となってしまった以上は、早々に退却する必要がある。 となれば、最早迷う必要もない。 元春は腹を括ると、即座に撤収を決めた。

 また彼は、彦四郎へ後方で義頼の馬廻り衆や藍母衣衆と相対している味方にも告げる様に命じている。 するとその命に、弟の佐田子鼠が頷くと同時に命を伝えるべく向かっていくのが見て取れた。

 その事を確認すると、元春は二人の息子らに退却の命を出す。 ここまで来てと言う思いが強い彼らであるが、命を出したのが吉川元春である以上、逆らうと言う選択肢はない。 早速撤収に入った元春に従い、彼等もまた踵を返したのであった。

 しかし、それを座して見ている義頼でもない。 彼は元春が退却の命を出すと、即座に沼田清延ぬまたきよのぶの嫡子でもある小姓の沼田頼光ぬまたよりみつに雷上動の弓を要求する。 そして渡された弓を引くと、矢を立て続けに二度放っていた。

 風切り音からかそれとも予測していたのか、それは分からない。 だが結果として元春は、振り向きざまに義頼の矢を刀で払って見せた。

 だが彼であったとしても、最初に放った矢を追走する様に迫って来る第二の矢に対応しきれるものではない。 それでも元春は、死と言う未来から逃れる為に彼は体を動かして見せる。 そのお陰もあり、何とか急所に当たる事だけは回避して見せた。

 しかしそれは、あくまで急所に矢が突き立つ事を回避したに過ぎない。 矢そのものを回避したと言う訳ではなく、元春の体には矢が深々と突き刺さっていた。 その為か、彼の動きが思わずと言った感じで止まってしまう。 その隙を、義頼が見逃す筈もない。 彼は即座に三本目の矢を番えると、元春目掛けて放っていた。

 このまま数瞬後には、間違いなく矢が突き刺さる……かに思えたのだが、その未来を変えた者がいる。 それは、元春のすぐ近くに居た男であった。


「父上!」

「何っ!!」


 その男、吉川元長の行動に義頼は思わず声を上げる。 と言うのも、彼が元春へ体当たりをしたからだ。

 父親のすぐ近くに居た為か、元長は元春が動けない事を察したのである。 そしてその父親を狙って矢が放たれた事にも、彼は気付けている。 そこで元長は、父親を襲う矢から彼を護るべく体当たりをしたのであった。 そのお陰で、元春は矢に襲われる事態からは逃れてはいる。 だが、代わりに犠牲となったのは元長であった。

 元春へ止めを刺す筈であった矢は、吸い込まれる様に元長へ突き刺さる。 それだけでは留まらず、義頼の矢は胸を貫きそのまま背中へと抜けている。 つまり義頼の矢は、元長の体どころか彼が身に着けていた鎧すらも貫いて見せたのであった。

  

「元長っ!」

「……父上っ! お逃げ……下さいっ!」


 心臓こそ避けていたが、己を貫いた矢が致命傷を齎したのは何となくだが気付けていた。

 この怪我では逃げるなど到底不可能であり、足手纏いにしかならない。 そこで元長は、殿しんがりとしてこの場に残り足止めをするつもりであった。

 ふらつき、ともすれば意識が飛びそうになる己を叱咤しつつ、刀を抜く。 普段であれば重さなどそうは感じない愛刀なのだが、今はまるで鉛の塊でも持ったかのように重い。 それでも元長は、取り落としそうになる刀を握り締めて必死に構えていた。

 するとその姿を見た毛利の兵が、刀を抜き元春に対して背を向ける。 彼らもまた元長と同様に、元春を逃す為のいわば捨て石となる決断をしたのであった。


「そなた……らっ!」

「父上っ! て……ったいを!」

「しかしっ!」

「分かってい……る筈です! 大将が退くか……らこそ、素早く撤……退できる事をっ!!」

「…………すまぬっ!!」


 元長の言った通り大将たる者が退くからこそ、旗下の将兵もまた退けると言う物である。 それが分かっているからこそ元春は、息子の言葉に従ったのだ。

 断腸の思いを押し殺しながら。

 最後に苦し気の中にも笑みを浮かべている息子の姿を目に焼き付けると元春は、傷を負った己を叱咤しながら今度こそ撤退を再開したのであった。



 味方の兵と共に退いていく父親の後姿を一度だけ視界に収めた元長は、視線を前に向けた。

 これであとは、一人でも多く敵を道連れにするだけである。 此処は敵地であり、相手には事欠かない。 出来うるならば敵の大将である義頼を含めた敵将を討っておきたいなどと思いながら、元長は構えていた。

 しかし此処で相手にするのは、義頼の家臣でも特に武に秀でた者達である。 如何に死兵として覚悟を決めているとは言え、彼らの思惑が簡単に実行されると考えるのはいささか虫がいいと言う物であった。

 その事実を証明するかの様に毛利の兵が一人、また一人と討たれて行く。 そして気が付けば、味方など僅か二人となっている。 その二人も、元長ほどではないが大怪我を負っていた。

 妙に耳に響く己の心臓の拍動をおぼろげながら認識しつつ、元長は再度刀を構える。 どの道、もうすぐ命は尽きる。 ならば最後の一暴れと思った矢先、視界の先に三名の男が現れた。

 先頭に立つ男を見た瞬間、ともすれば飛びそうになっている元長の意識が覚醒する。 つい先程まで、父親と死闘を繰り広げていた男の顔なのだから、それも当然と言えた。


「……その方。 吉川元春殿のご子息か」

「如何……にも。 父元春……が嫡子、吉川少輔……次郎元長なり」


 名乗りこそ堂々としているが、胸を貫いている矢の影響は大きい。 元長は最早、呼吸をするのも労力となっていたのだ。 それでも彼は、刀を義頼の方へと向けている。 あの鬼とまで呼ばれた父親の息子として、無様な姿は晒さないと言う決意からでもあった。


「流石は鬼吉川の子、鬼の子は鬼か……良かろう。 そなたの最後、近江源氏嫡流当主六角右近衛少将義頼が彩ってくれ様ぞ!!」

「……感謝する!……いくぞっ!!」

「来いっ」


 数度息を整えると、先程までの体の重さなどどこかに吹き飛んだのかと思うぐらい力が湧いてくる。 その途端、元長は力強く駆け出す。 その彼を追って、生き残った二人の毛利兵もまた駆け出していた。

 程なく彼らは、義頼達へ肉薄する。 毛利兵の二人はそれぞれ、義頼の両脇に控えていた蒲生頼秀と井伊頼直によって討ち取られる。 そして義頼と対峙した吉川元長は、振りかぶった刀を振り下ろそうとした刹那、義頼の雷光もかくやと言う突きによって今度は心臓を貫かれていた。


「お……見事……」


 その一撃を受けた元長は、感嘆の言葉を残した。

 その言葉を聞きながら、彼の心臓を貫いた綱切筑紫正恒をゆっくりと引き抜いていく。 すると元長は、力が抜けた様に義頼へもたれ掛かって来た。

 しかし義頼は、倒れ込んできた敵将の体を確りと受け止める。 それから、静かにその遺体を地面に横たえる。 そして明けている眼を閉じさせると、立ち上がり言い放った。


殿しんがりとして残った者達は、真の武士もののふである。 決して、無碍には致すでないぞ!」

『……御意』


 本陣に居る者達からの返事を聞いた義頼は、大きく頷く。 それから彼は、馬淵建綱への伝令を放つ。 彼に本陣での騒動に決着がついた事を、伝える為であった。

 命を受けた伝令が消えて間もなく、建綱に命じられた山岡景隆以下駆け付けた近江衆が現れる。 彼等は本陣において無事な姿の義頼を見て、まず安堵の表情を浮かべていた。

 いきなり彼らが現れた事に義頼は、訝し気に眉を顰める。 本陣を急襲される以外で想定外の事でも起きたのかと、危惧したのだ。 しかし景隆より建綱の命で現れたと聞き、そうではない事に内心で安心する。 だが表情には出さず、態度は泰然としていた。


「そうか。 大儀である。 今から建綱と合流するが、そなたらもこい」

「承知致しました」


 こうして吉川元春と小早川隆景が仕掛けた策の虎口より逃れる事に成功いた義頼であるが、まだ戦が終わった訳ではなかった。

 元春が退いた事で程なく終わるかとも思われるが、敵勢による急襲の事実は変わりようがない。 義頼は、油断なく敵を見据えたのであった。


タイトル通り、今李広VS鬼です。

他に一名も登場ですが……


ご一読いただき、ありがとうございました。

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