第百七十九話~鬼の奇襲~
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第百七十九話~鬼の奇襲~
備前国、天神山城。
この城は、浦上宗景が自ら縄張りを行った城である。 そして、嘗ては家臣であった宇喜多直家によって追い詰められた宗景が、最後に籠った山城でもあった。
中々に防御の堅い城であったが、直家の調略により浦上家家臣が相次いで離反してしまう。 不利を悟った宗景は城を脱出したが、行方はようとして知れなかった。
浦上家当主の宗景が逐電した事により、天神山城は開城の憂き目を見る。 此処に備前国は、直家の手中に収まったのであった。
とは言え、宇喜多家は引き換えにそれ相応の被害を被っている。 その宇喜多家に対して、吉川元春と小早川隆景の連名で出陣要請が届いたのだ。
毛利家からの書状を確認した直家は、苦虫を噛み潰した様な顔となる。 漸く浦上家を下したばかりであり、兵の回復の為にも出来れば暫くの間は戦は避けたいところであった。
その様な理由から、とてもではないが直家自らが軍勢を率いて上月城攻略などに向かえる状況ではない。 彼は一刻も早く、占領した旧浦上家の領地を慰撫を行わねばならないからだ。
また、他にもある。
何と言ってもつい少し前に、宇喜多勢として弟の宇喜多忠家と長船貞親と岡剛介らを龍野城主赤松広貞への援軍として送っているのである。 しかもその援軍は、長岡藤孝と赤松政範と宇野祐清率いる軍勢に敗れたばかりなのだ。
此方に対しても手当をしなければならないのだから、頭の痛いところなのである。 だが毛利家と盟約を結んでいる手前、完全に無視をすると言う訳にもいかない。 そこで直家は熟慮の上、やむなく妹婿の伊賀久隆を向かわせる事にした。
そして彼の与力として、花房正幸と花房正成の親子。 そして、上月景貞を同道させる事にしたのであった。
「久隆。 そなたは俺の代理として、軍勢を率いて毛利家に合流せよ。 その後は、上月城攻めに向かえ。 他には正幸と正成、景貞を参画させる」
「御意」
義理の兄となる直家より命を受けた久隆は、天神山城より出陣しやがて三石城跡に到着する。 元々この城は浦上家の居城であったが、嘗て起きた浦上家の内訌の果てに存在意義が失われ打ち捨てられた城である。 その三石城跡を元春と隆景は、宇喜多勢との合流場所としたのだ。
その二人だが、宇喜多勢を率いて現れたのが当主の宇喜多直家でない事に一瞬眉をしかめる。 しかし久隆は直家の妹婿であり、かつ直家配下の将としては最も実力を持っている男でもある。 最低限の義理は果たしているとして、取り分けて追及等は行わなかった。
一応、着陣の挨拶をお互いに果たした翌日、毛利・宇喜多の連合勢は三石城跡を出陣する。 彼らが向かった先は、安室氏の居城である駒山城である。 安室氏は嘗て浦上家に仕えていたが、先がないと感じた安室家は浦上家から宇喜多家へと仕える家を変えていたのだ。
その駒山城だが、上月城の南に位置している。 その為、攻略の後陣とするには塩梅がいいのであった。
この報に驚いたのは、光明山城に居る赤松政範である。 毛利・宇喜多の軍勢の動きから、狙いが居城の上月城である事は想像できたからだ。
しかし彼が、そう簡単に光明山城から動く事は出来ない。 隣接する下土井城と感状山城には、宇喜多家の兵が居る。 下手に動けば、光明山城を敵に奪われかねない。 そこで政範は、姫路城に退いた義頼へ上月城への援軍を要請したのであった。
「……これで、確定しましたな殿」
「うむ。 しかし、上月城か。 そなたらが言う通り、もう少し多くの兵を送るべきだったか」
上月城は、播磨国と美作国と備前国、この三国の国境の場所に建つ城である。 中国への進出を考える織田家と、その織田家を返り討ちにしたい毛利家の双方にとって押さえておいて損がない城であった。
その事は、播磨国人である小寺孝隆は無論、本多正信や沼田祐光や三雲賢持も重要視している。 だからこそ彼らは、義頼へ増援をと揃って進言したのだ。
言われた義頼としても、上月城が要の位置に存在する城である事は認識している。 そこで、彼らの言った通り増援を送ってはいた。 しかし攻めてくるとすれば光明山城の方だと考えていた節があり、多数の兵力までは送っていなかったのである。 結果として毛利家にそこを突かれた格好となっている訳であり、己の読みの甘さに若干の苛立ちを感じていた。
だが、まだ挽回は出来る。 義頼は早急に軍勢を纏め上げると、姫路城から出陣した。 同時に、龍野城からも尼子衆が出陣している。 尼子氏久を大将に、津森幸俊と松田誠保と米原綱寛と彼の息子である米原綱俊を派兵したのだ。
姫路城を出た義頼は、龍野城より出陣した尼子衆と合流をすると出雲街道を進軍している。 やがて、上月城の支城の一つである高倉山城の近くまで到達すると、忍び衆より報告が齎された。
どうやら毛利・宇喜多の連合勢は既に駒山城を出ており、今は浅瀬山城を包囲しているとの事であった。
この浅瀬山城だが、高倉山城と同じく上月城の支城の一つである。 そして城主を務めているのは、赤松政範家臣の上月恒織であった。
彼は、宇喜多勢の将である上月景貞とは同族である。 奇しくも同族の戦いが行われようとしている訳だが、この時代において珍しい事ではない。 ましてや上月氏は、嘗て【嘉吉の乱】において赤松氏が滅ぼされる寸前まで追い込まれた際に、宗家が赤松家を守って滅んでいる。 その後、上月氏は離散すると帰農する者もいれば別の主に仕えた者もいる。 その事を考えれば、別段不思議ではなかった。
「正信。 何とか間に合ったな」
「はい。 やはり、大砲を別にしたのが功を奏しました。 最悪、上月城が攻められているかと思いましたが」
何よりも進軍速度を優先させる為、義頼は大砲を置いてきたのだ。
やはり大砲は大きく重い為、どうしても行軍が遅くなってしまう。 そちらに合わせて進軍を行なっていた場合、到底間に合わなかったと思われる。 だからこそ義頼は、即決で大砲を姫路城に残していた。
「そこはそれ、西播磨殿の家臣もまた有能であると言う事なのだろう」
「そうですな」
今、赤松政範が光明山城より簡単には動けない関係上、城代として彼の弟である赤松正直が上月城に入っている。 彼を中心にがっちりと固めており、実際浅瀬山城には弟の赤松政茂が僅かでも援軍として到着していたのだ。
だからこそ、浅瀬山城主の恒織も同族の景貞からの降伏勧告を退けたのである。 それ故に吉川元春は、城攻めを決定したのである。 そして今正に攻め掛からんとしていたところに現れたのが、義頼率いる軍勢であったのだ。
さて当然だが彼ら義頼の軍勢の動きは、毛利両川たる元春と隆景。 それと、宇喜多勢の大将である伊賀久隆の耳に入っていた。
「ご注進! 敵の援軍と思わしき軍勢が現れました」
「敵の援軍と判断した理由はなんだ」
「大将旗が「隅立て四つ目」にございます」
隅立て四つ目は六角家の家紋であり、大将旗にその家紋を掲げているのだからそう判断しても間違いはない。 ましてや今の播磨国において、多数の兵を率いているのは毛利・宇喜多連合勢と義頼率いる軍勢ぐらいであった。
その事実からどうやら誤報ではないと判断した元春と隆景は、報告してきた者に敵の兵数を確認する。 その者が申すには、大凡だが敵の方がいささか多い様に感じると言う。 その報を聞いた本陣に居る将は、軒並み色めき立つ。 その中にあって、元春と隆景は対照的に落ち着いていた。
二人の考えではどの道、上月城へ向かえば義頼が出て来る事は織り込み済みだったからである。 それでも予想より早い対応と行軍にいささか驚きはあるが、二人にとってはそれだけでしかなかった。
「隆景。 此処は、迎え撃つぞ」
「……そうですな兄上。 下手に城攻めを行い、挟み撃ちは御免被ります」
「そういう事だ。 それに、野戦の方が都合がいいだろう」
「確かに」
元春にそう答えつつ、隆景は笑みを浮かべる。 そんな弟の様子に元春もまた、笑い声をあげる。 しかしそれも僅かの間であり、毛利両川と謡われた二人の表情は真面目な物へと変わっていた。
その後、二人は頷くと立ち上がる。 そして義頼の軍勢を迎撃する準備へと、入っていった。
なお久隆率いる宇喜多勢だが、此方は別動隊として行動することになる。 具体的には浅瀬山城への対峙や、他にも存在する上月城の支城からの援軍に対する牽制を行う事となっていた。
明けて翌日、義頼の軍勢と毛利の軍勢は千種川を挟んで対陣する。 もう少し下流に行けば佐用川と合流して水量が多くなる千種川だが、久崎と呼ばれるこの辺りではそれほど多い訳ではない。 十分お互いに、川を渡河しながらでも戦える場所であった。
陽も上り、夜明けから一刻程経った頃、両軍勢が動く。 先制したのは、義頼の軍勢からの発砲であった。 大砲だけではなく、火縄銃も改良は加えている。 射程が従来の物より伸びているので、先制をする事ができたのだ。
続いて弓衆による射撃も始まるが、この頃には毛利勢も火縄銃を放っており序盤は射撃戦の様相を呈していた。
序盤に関しては、義頼率いる軍勢の方が優勢である。 これには二つほど理由があり、一つは単純に義頼の率いる兵の方が多いからである。 そしてもう一つは、義頼の軍勢は射撃戦が十八番と言っていい事にあった。
これは義頼が日置流免許皆伝である事と、六角流砲術の始祖とされる事にある。 六角家当主が弓と銃の専門家と言う事実が、家中に影響を及ぼした形であった。
またこれはある意味偶然であるのだが、長岡家と一色家もまた射撃戦を得意としている事も作用している。 長岡家当主は言うまでもなく長岡藤孝であり、彼も日置流の使い手であった。
そして一色家は、六角流の元となった佐々木流砲術の印可を持つ稲富祐秀の家である稲富家がある。 その為か、砲術が盛んな家であったのだ。
兎にも角にも射撃戦を優位に進める義頼は、このまま押し切るつもりである。 頃合いを見計らって、決め手となる部隊を突撃させるつもりであった。
その一方で毛利勢の本陣では、小早川隆景がじっと戦況を見つめている。 味方が劣勢の為かその拳はきつく握りしめられていたが、悲壮感がある訳ではなかった。 そして、更に不思議な事がある。 何故か毛利家の本陣に、大将である吉川元春が居ないのである。 これは、裏で進めている作戦の為であった。
「……頼みましたぞ、兄上。 どうやら、そちらが決め手となりそうだ」
堪える様に奥歯を噛みしめながら、小早川隆景は配を振るうのであった。
「流石は毛利両川、そう簡単には崩れぬ。 やはり、一筋縄ではいかんな」
「確かに」
義頼の言葉に、本多正信が相槌を打つ。 そして沼田祐光や三雲賢持、小寺孝隆も同意する様に頷いていた。
しかしてその一方で、正信ら義頼の幕僚を務める者達は毛利勢の攻めに違和感を感じている。 敵の大将は吉川元春であるが、彼は「鬼吉川」の異名を持つ猛将である。 しかし決して猪武者と言う訳ではなく、時と場合によっては策を弄して城を落としたりもしているのだ。
しかも敵勢には、知将と名高い小早川隆景までいる。 そんな敵勢の毛利家が、ただ闇雲に兵を押し出している事が不思議であったのだ。
近くに居る四人が、眉を寄せたり首を傾げたりしている状況を見れば気になるというものである。 そこで義頼は、それぞれ一人一人に対して理由を問い質した。 すると問われた正信達は、己が感じている違和感を述べていく。 言葉は違えど彼ら四人の言葉は、全く同じで攻め掛かって来ている毛利勢に対する物であった。
新参だが知恵者としても今まで義頼の参謀を務めている正信や祐光、賢持から認められている孝隆も含めた四人が揃いも揃って同じ懸念を抱いている。 その事を認識した義頼は、改めて敵の動きを見た。
そこで、義頼もまた違和感を覚える。 但しその違和感は、参謀の四人とは違い敵兵の動きにあった。 一見するとただ遮二無二突撃を行っている様にも見えるが、そこには明確な指示の下で動いている様に見えたからである。 思わず眉をしかめた義頼であったがその時、長岡藤孝が義頼の本陣を尋ねて来る。 彼は兄の三淵藤英に配を預けてまで尋ねてきたのだ。
その理由は、義頼と同じであると言っていい。 どうにも拭えない違和感を伝える術が見いだせなかった為に、己自ら足を運んだのだ。
「どうしたのだ、兵部大輔(長岡藤孝)殿」
「右少将(六角義頼)殿。 これは、おかしい。 何がと言われると、これとは言えぬので「違和感が拭えないのであろう」ある……その通りだ」
驚いた様に答える藤孝に、義頼は違和感を確信に変える。 何かが同時に起こっている、そう考えた方が良いと判断したのだ。
ではその起こっている事とは何か、そこに思案を巡らす。 状況としては、多数の軍勢が正面から当たっている。 その様な事態に臨みながらも行える策となれば、実はそう多い訳ではなかった。
戦自体は昔と変わっていない、言わば王道ともいえる正面から軍勢がぶつかり合う戦場である。 その様な戦場で有効とされる策と言えば、先ず思いつくのは奇襲であろう。 しかし誰でも思いつくが故に、成功率はあまり高くはないともされていた。
だが、成功すれば効果は大きい。 また成功とまではいかなくても、ある程度の損耗を敵に対して与える事が出来る可能性がある。 だからこそ、未だに廃れていないとも言えるのだ。 そして義頼も嘗て、戦で同じ事を行っている。 最もこれは結果としてそうなったという形だが、行ったことには変わりはない。 その戦とは、【掛下城外の戦い】であった。
あの戦を全体的に俯瞰してみると、義頼が行った武田本陣への突貫は迂回した一部隊による奇襲攻撃とも取れる。 【掛下城外の戦い】では、織田家援軍の大将であった佐久間信盛と徳川家康率いる軍勢と、武田勢の主力がぶつかっていた。
その一方で滝川一益より知らせを受けた義頼が、急遽出陣して武田本陣へ攻勢を掛けたのである。 結果として、迂回した部隊による奇襲攻撃と同じ効果を生んだのだ。
そこまで考えた時、義頼の背筋に寒いものが走る。 その途端、彼は命を出していた。
「皆! 本陣を固めろ、敵が来るぞ!!」
『何ですと!?』
「早くしろ! 間に合わなくなる!!」
主より命じられた馬廻り衆や藍母衣衆の面々は納得した訳ではなかったが、それでも切羽詰まったかの様な義頼の態度にただ事ではない事を察する。 彼らは本陣近くに陣取っていた極一部の近江衆と馬廻り衆、それから本陣の兵と藍母衣衆に命を出して本陣を固めさせた。
そしてまさにその時、義頼の軍勢と毛利家の軍勢がぶつかる戦場の南側より鬨の声を上げつつ近づいてくる一団が現れる。 その一団は、丸に三つ引両の旗印を掲げていた。
彼らを率いていたのは、吉川元春である。 何と毛利勢は、己の方が少ない兵数であるにも拘らず軍勢を二つに分けていたのだ。 本来の大将である元春が別動隊を率いて出陣、夜陰に乗じて両軍勢がぶつかる事になるであろう戦場を大きく迂回して渡河したのであった。
そして副将の隆景が、本隊を率いて戦場に現れていたのである。 彼の役目は、敵の誘引である。 それ故に、小細工なしの正面からの戦に固執したのだ。
犠牲となる兵の命を無視して。
内心では忸怩たる思いもあった策なのだが、彼をしてこの策を決断させた理由は大砲にある。 幸いにも大砲自体は見当たらなかったのだが、隆景は義頼の軍勢が持っていると言う前提でこの策を実行したのだ。
何と言っても、義頼が率いる軍勢は毛利家と渡り合えるだけの数を有している。 そこに播磨の国人も加わっただけではなく、織田信忠の軍勢まで現れると言う情報も得ていた。
ならば此処で、せめて義頼だけでも潰しておかなければ後顧の憂いが発生すると判断する。 そこで隆景は、ある意味で兵の命をすり減らす様な策を立案したのである。 そしてこの策を実行するにあたって、彼が一番適任と思えたのが兄の元春であった。
「……面白い。 いいだろう、隆景。 その役、喜んで受けるぞ」
「ですが兄上。 分かっているとは思いますが、危険ですぞ」
「ふん。 戦場のどこに居ても、危険に代わりなどない」
「それは、その通りですが……」
「であろう? ならば、面白い方が良い」
そう言うと、元春は笑みを浮かべる。 そこには、「鬼吉川」とまで称される毛利家きっての猛将の姿がある。 そんな兄を見て、やはり一番の適任は兄だけだと確信した隆景は改めて元春に奇襲を掛ける別動隊の大将を任せる事にしたのであった。
「何時奇襲をかけるかの判断は、兄上にお任せします。 その間、拙者は出来るだけ敵の主力を引き付けます故」
「任せて置け! 最高の時に攻勢を掛けてくれるぞ!」
実際、元春が突撃を判断した時は正に絶妙と言っていい。 主戦場における両軍勢の動きは、全面攻勢へ移行する様子を呈している。 この様な状況にあるならば、この奇襲は大抵成功していたであろう。 しかして義頼は、その大抵の範疇に入らない。 その上、彼と同じ様な思いを抱いた長岡藤孝と言う男がいた事が元春と隆景の不運であったと言えた。
何せ奇襲をした筈であるにも拘らず、敵勢に迎撃の用意が整っているのである。 ただ時間が無かったからなのか、兵数がそう多い訳ではない。 大凡であるが敵本陣を守る兵の数と、元春が率いている兵数に隔絶した差がある様には見えなかった。
此処はこのままいくべきだと判断した元春は、味方を鼓舞する意味合いも込めて前線へと躍り出る。 彼は、息子の吉川元長と仁保元棟と共に突き進んでいった。
「吉川元春、推参!! 六角義頼! その首、もらい受ける!!」
こうして前線にて義頼率いる軍勢と隆景率いる毛利家の軍勢がぶつかる中、その後方では元春率いる毛利家別動隊による六角勢本陣の奇襲が行われたのであった。
鬼吉川こと吉川元春と今李広こと六角義頼が相見えます。
上手く書けてるといいけどなぁ。
ご一読いただき、ありがとうございました。




