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第十五話~終戦とその後~


第十五話~終戦とその後~


 

 浅井長政あざいながまさは、遠藤直経えんどうなおつねや側近である脇坂安明わきざかやすあきら片桐直貞かたぎりなおさだを交えて戦の幕引きについて模索を行っていた。

 何の事はない、講和の内容について彼らと共に詰めていたのである。 決定的な負けを被った訳ではないが、損害だけ見れば負け戦なのは考えるまでもない。 だからと言って、卑屈な条件など出せる物でも無かった。 だが、彼らが現状において選択できる内容などそう多くはない。 しかし此処ここで、手をこまねいている訳にもいかなかった。

 その理由は、田植えにある。 主力が農民兵などで構成されている浅井勢であるから、田植えの時期を無視するのは出来うる事なら避けたかった。 無論、浅井長政の命があればこのまま対陣も可能であろう。 しかし勝ちらしい勝ちを収めず長対陣となれば、味方から逃亡者が出るのは間違いないと言えた。

 その一方で六角勢の主力は、兵農分離によって生まれた常備兵を基幹として構成されている。 六角家では、兵が足りない場合においてのみ農民を徴募したりしているのだ。

 つまるところ六角勢は、このまま浅井勢と長対陣を続けても補給さえ行われれば問題ないのである。 その補給とて、輜重しちょうを重視する義頼によってほぼ完全な形で肥田城へ送られているのだ。

 後方を敵の水軍に荒らされているだけではなく、六角水軍と堅田衆の手によって浅井勢の輜重部隊にも損害が少なからず出ている。 このままで推移していけば、浅井勢にとって厄介極まりない状態になるのは必定であった。

 この現状に関しては、遠藤直経も片桐直貞も脇坂安明も認識している。 だからこそこの三人も、主と共に和議には賛同したのだ。


「して和議ですが、やはり現状をもって国境とする条件となりましょう」

「直経。 やはり、宇曽川を境とするのか」 

「はい、殿。 今更になって戦が始まる前まで国境であった愛知川まで戻すと言っても、その様な講和条件など相手が納得致しますまい」


 遠藤直経の言葉には、片桐直貞と脇坂安明も頷いていた。

 勝ち戦を重ねているのならばまだしも、現状において浅井家は連敗中である。 そんな浅井家側から言い出した和議の条件が、六角家がもぎ取った地域の放棄だなどとても聞き入れる筈がなかった。

 実際、もし逆の立場であれば、浅井長政とてその様な条件など納得しないであろうし受け入れもしない。 その事を考えれば、遠藤直経の言う通りである事は間違いなかった。


「それもそうだな。 真に業腹ごうばらだが、致し方無いか……いいだろう、宇曽川を境としよう」


 こうして和議の条件を記した書状をしたためると、浅井長政は片桐直貞を軍使に任命して義頼の元へ派遣したのであった。



 その頃、義頼の居る六角家本陣でも軍議が行われていた。

 湖上の戦いで勝ちを収め、また宮部継潤みやべけいじゅんの奇襲も未然に防いだ以上、浅井勢に打つ手は無くなったと考えられたからである。 そうなれば、今度は此方こちらの番であるとばかりに敵勢を攻める手立てについて話し合っていたのだ。

 その軍議の最中に、伝令が飛び込んでくる。 そして彼の口から、浅井家からの軍使が現れた事が伝えられた。 


「浅井からの軍使だと?」

「はい」

「要件は何だと言っている?」

「和議の使者、だそうにございます」


 その言葉に義頼は、いぶかしげな表情を浮かべる。 それから彼は、本多正信ほんだまさのぶへと視線を向けた。 視線を向けられた彼は一つ頷いた後、己の考えを義頼へと告げた。


「恐らくは、耐えられなくなったのでしょう。 後方の攪乱かくらん此度こたびの失敗、それより何より田植えが近いのが一番の理由ではないかと」

「そうか、もう田植えの時期であったな」

「はい」


 浅井家と違い兵農分離が進んでいる六角家において、季節はあまり関係が無い。 金と物資さえ揃える事が出来るのならば、それこそ一年中でも戦う事は可能なのだ。

 最も、これは机上の空論でしかない。 実際にはまず実現不可能であるが、それでも理論上は可能なのだ。


「農民兵が主体の浅井家では、時期的にも限界を迎えたのだな」

「御意。 それゆえに、和議の使者を送りこんで来たのでしょう」

「ふむ……ならば会ってみるとするか」


 義頼は蒲生定秀がもうさだひで馬淵建綱まぶちたてつな、それから本多正信と共に浅井家の軍使と面会する。 程なく、義頼達の前に浅井家の軍使が現れた。

 年の頃なら四十代半ばぐらいと思われる軍使は、義頼の前に用意された床几しょうぎに腰を降ろす。 敵本陣で敵大将と対峙しているとは思えないぐらい落ち着いた表情を、彼は顔に浮かべていた。


「そなたが備前守(浅井長政)殿の使者か」

「はっ。 お初にお目に掛かります侍従(六角義頼ろっかくよしより)様。 拙者は浅井備前守様が臣、片桐肥後守直貞と申します」

「そうか。 して片桐殿、貴殿は和議の使者だそうだが真か?」

「はい」


 そう義頼へ返事をすると片桐直貞は、懐より主から託された書状を差し出した。

 小姓を介して書状を受け取った義頼は、じっくりと一読する。 そこには、前述した通り宇曽川をこれからの国境くにさかいとしたい旨が書かれていた。

 暫くして書状を読み終えた義頼は、片桐直貞の方を見る。 その態度に書状を読み終えたと推察すると、そこで和議の返事に付いて尋ねる。 その問いを受け義頼は、取りあえずは使者に待って貰う事にした。  

 先ず義頼は、浅井家軍使の片桐直貞を本陣内の別の場所へ案内する。 無論、彼の周囲は確りと固めておく。 監視と言う意味合いもあるが、それより何より勝ち戦に酔った味方によって引き起こされるかもしれない襲撃などと言った馬鹿な行動をさせない為であった。


「して殿、書状には何と?」

「和議の申し出だ。 宇曽川を六角・浅井両家の境にしたいと言って来ている」


 片桐直貞が消えてから少しした後、蒲生定秀が義頼に問い掛けた。

 義頼は言葉を返すと、手にしていた書状を渡す。 蒲生定秀は確認するかのごとく渡された書状を一読すると、それから馬淵建綱へと書状を渡した。

 程なく彼から和議の旨を記した書状を渡された本多正信もまた、ゆっくりと時間を掛けて読んだのであった。


「……なるほど……この条件なら問題ないかと思われます」

「しかし弥八郎(本多正信)殿。 もう少し、引き出せぬものか?」

「兵部少輔(馬淵建綱)様、ここら当たりが潮時かと思われます」

「潮時か……」


 本多正信の言葉に、馬淵建綱が呟く様に言葉を返す。 そのすぐ近くでは、蒲生定秀もその意見に同意する様に頷いていた。

 そして義頼だが、実は彼も和議には賛成である。 幾ら長対陣が可能だと言っても、このま悪戯いたずらに戦を長引かせて国力を落とすよりかは遥かにましだからだ。


「建綱、俺も正信に賛成だ。 此度こたびは、【観音寺騒動】の際に浅井家を引かせる為に譲渡せざるを得なかった領地のうちで宇曽川までの土地を取り返した。 それで良しとしようではないか」

「……分かりました」

「となると返書の使者だが……重虎行ってくれ」

「拙者にございますか?」

「そうですな。 越前守(永原重虎ながはらしげとら)ならば、問題ないでしょう」 


 越前守こと永原重虎は、義頼の与力衆の中では馬淵建綱に次ぐ力を持っていた。

 また永原家は、六角家家臣でありながら幕府からも認められた家である。 その永原家現当主を務める永原重虎であれば、浅井家への返書を託す使者としての格は十分過ぎるぐらいであった。


「分かりました。 侍従様や藤十郎(蒲生定秀)殿からの指名とあれば、行かぬ訳には参りますまい」

「では頼むぞ」

「はっ」


 その後、義頼は返書を認めて永原重虎に持たせると、浅井家の軍使である片桐直貞と共に浅井家の本陣へ派遣した。

 今度は逆の立場となった彼は味方である浅井家本陣へと入ると、六角家の本陣に居た時よりも警戒する。  その理由は、義頼が片桐直貞へ対して危惧したもの同じであった。

 そんな直貞の気持ちを知ってか知らずか、永原重虎は何一つ表情を変える事無く浅井勢の本陣を眺めている。 いや、確認していた。 折角なので、浅井本陣をつぶさに観察しているのである。 これは六角家の本陣へ現れた片桐直貞も行っていた事なので、どっちもどっちであった。

 やがて彼らは、途中で問題など起きないまま浅井長政と面会する。 無事に永原重虎を自らの主君の元へと連れて来れた事に、片桐直貞は内心で安堵していた。


「ご苦労だった、直貞。 それで、貴公が六角家からの使者か」

「はっ。 六角侍従義頼が与力、永原越前守重虎と申します。 お見知りおきを」

「うむ。 して早速だが、侍従殿の返事は是か? それとも非か?

「その件につきましては、此方こちらをお読みください」


 永原重虎はそう言って、懐より書状を差し出す。 その書状には、義頼が浅井家の提案した和議を了承した旨が書かれてあった。 その内容に、浅井長政は内心で安堵する。 もう対陣する限界に近く、これ以上引き延ばす事は難しいからだった。 無論、この書状だけで両家の話し合いを終わらせられはしない。 細かな個所も詰めねばならず、それは別途行われる事だった。


「相分かった、越前守殿。 返書を認める故、今暫くお待ちあれ」

「承知した」


 やがて無事に六角家の本陣へ戻った永原重虎より書状が手渡された事で、両家の和議は成立した。

 この後は細かな条件を詰める為の話し合いが、両家で行われる事となる。 六角家の使者は蒲生定秀が務める事となり、浅井家の使者は遠藤直経が務める事となった。

 こうして、両者の間で詳細な事についての話し合いが持たれる。 この協議は特に問題なく進行して、両家の間で無事に最終的が和議が締結される運びとなった。  



 六角家と浅井家との間で和議が締結されてから二日後、浅井長政は和議に記した約定通りに陣を引き払うと撤退へと入る。 そんな浅井勢の様子を、義頼は宇曽川の対岸からじっと見ていた。

 なお彼は、万が一を考えて周辺には甲賀衆を放っている。 その為、例えこの和議が浅井長政の策略であったとしても、十分対応出来る体制を義頼は整えていた。 しかしながら彼の危惧は、現状では取り越し苦労で終わっていると言っていい。 と言うのも周辺地域に派遣した甲賀衆からの報告で、伏兵の存在は確認出来ない事が確認されていたからだ。


「どうやら、粛々しゅくしゅくと小谷に戻る様だな」

『はっ』


 浅井家の居城である小谷城へ戻るであろう長政を見ながら、義頼が一言漏らす。 その声を聞いた蒲生定秀と本多正信の二人が、揃って返事をした。

 やがて浅井勢の撤退が完了する頃には、義頼も撤収の準備を開始する。 後の事は山崎賢家やまざきかたいえゆだねた義頼は、戦勝報告も兼ねてもう一人の援軍の将である大谷吉房おおたによしふさと共に観音寺城に向かった。

 城に到着すると、軍勢を馬淵建綱に預けて六角高定ろっかくたかさだの元へ報告に向かう。 一応攻められたと言う事もあって、彼は麓の六角館では無く観音寺城の本丸に居た。


「義頼、吉房! 無事に戻ったか」

『はっ』

「報告は読んだ。 良くやってくれた」

「御意。 それと、御屋形様。 宇曽川より向こうに関してなのですが、如何いかがなさるおつもりか」

「その件に関しては、賢家に調略を行わせるつもりだ。 彼奴の補助として、高野瀬秀澄たかのせひでずみ河瀬秀宗かわせひでむねを付けてな」


 因みに今回の戦で得た土地についてだが、宇曽川に近い土地は山崎賢家の領地になる事が既に決まっている。 そして残りの観音寺城に近い地域については、六角宗家の直轄地として組み込まれる事になっていた。

 その様な事情から、新たな領地を褒美として義頼へ与える訳にはいかない。 そこで彼には、金銭と名物が与えられていた。

 最も、義頼としても実はその方が有り難い。 ここで下手に浅井家から取り返した地域に領地を貰うと、飛び地を治める事になってしまう。 ましてやその飛び地は、浅井家との最前線とほぼ同義となるに等しい地域である。 その様な場所に飛び地の領地など、正直に言えばごめんであった。


「そうですか、分かりました。 では某は、長光寺城へ戻ると致します」

「ああ。 ご苦労であった義頼、吉房も」

『はっ』



 浅井勢を撃退し長光寺城に戻った義頼であるが、安穏あんのんに過ごしていた訳ではない。 戦が終わったとは言え、それだけが彼の仕事ではないからだ。

 そこで義頼は、この図らずも平穏となった時期を幸いと考えて開墾などの内政に力を入れていく。 今年の収穫は無理でも、来年以降は期待できるのだから手を抜く様な事はしない。 彼は足繁あししげく現場へ赴き、見聞などを行っている。 その表情は、とても穏やかであった。

 だが戦の様な激しさなど無いが、日々の仕事とてやはり忙しい。 義頼は湖南の抑えと防衛も担っていると言う事もあってか、月日などはあっという間に移ろっていった。

 やがて夏の暑い中でも時折り秋の涼しさを感じ始めた頃、義頼に与力として付けられた甲賀衆である山中俊好やまなかとしよしがある報告を持って現れた。

 彼の齎した情報、それは近江国隣国である美濃国の情勢についてである。 美濃国では現在、斎藤龍興さいとうたつおきと尾張国の織田信長おだのぶなががしのぎを削っているのだ。 最も、戦自体はほぼ終わりと言って良いだろう。 斎藤龍興は居城の稲葉山城へ押し込まれ、織田勢に包囲された状態にある。 今はかろうじて、落城していない状態に過ぎなかったからだ。


「……そうか、ついに稲葉山城が落ちたか」

「はっ。 斎藤龍興は助命され、僅かな家臣と供回りを連れて長島方面へと向かいました」

「長島……一向衆か」

「はい」


 伊勢国にある長島は、一向衆が事実上抑えている地域である。 その勢力は侮りがたく、周辺の伊勢国人も手を出せずにいた。

 また六角家は、前述した通り一向衆とも因縁がある。 一向衆を率いる顕如けんにょの妻が、猶子とは言え六角家より輿入れしている。 その様な理由もあって、六角家は一向衆に対して友好とまではいかなくとも比較的好意的な中立という立ち位置を示していた。


「まぁ、いい。 斎藤家と六角家は敵対していたのだから、気にする事でもないな」

「それは確かに」


 六角承禎ろっかくしょうていの妹、即ち義頼の姉に当たる人物が嫁いでいたのは、斎藤道三さいとうどうさんにより追い出された元美濃国主の土岐頼芸ときよりのりである。 その為、六角家は斎藤家を敵視していたのだ。 


「斎藤家が滅んだ事は分かった。 とすると俊好、あちらの話も進むのか?」

「ほぼ間違いないと思われます。 程なく、浅井家と織田家との間で祝言が執り行われるかと」


 織田信長は斎藤家を攻めるに当たって、北近江に勢力を張る浅井長政に目を付けた。 いわゆる、兵法における遠交近攻である。 織田信長はその一環で、浅井家の引き込みを図ったのだ。

 この織田家との同盟に関しては浅井家内に置いても賛否両論であり、浅井長政の側近中の側近である遠藤直経は反対したと言う。 しかし織田信長は浅井家に有利な条件を示す事で、彼の家と同盟関係を結ぶ事に成功したのだ。

 その条件とは、信長の同腹妹であるお市を浅井家に輿入れさせると言う物である。 お市は扶桑ふそう(日本の異称)一とまで謡われた美女であり、聡明な人物であった。

 浅井長政が美女に釣られたと言えばそれまでであるが、彼女は織田信長の同腹妹であると同時に彼から可愛がられていたと言う。 その事を鑑みれば、決してそうとばかりは言えなかった。

 と言うのもこの時代の婚儀は、人質の要素を孕んでいる面がある。 織田信長の愛する同腹妹を人質と出来る事を考えれば、十分に結ぶ価値のある同盟だったのだ。

 ただ、懸念が無い訳ではない。 そしてこの懸念こそ、遠藤直経が反対した理由でもある。 それは、浅井家と既に同盟関係にあった越前朝倉家の存在であった。

 織田家と朝倉家は、元をただせば同じ主君に仕える家同士である。 室町幕府管領家である斯波家の家臣であった両家だが、家格と言う意味では朝倉家の方が上であった。 その為、万が一にも両家が敵対した場合、朝倉家が折れるとは思えないのである。 それでなくても浅井家は、過去の苦しい時に朝倉家と同盟を結び支援を受けている。 いわば越前朝倉家と言う後ろ盾を得る事で、彼の家は北近江に覇を唱えたと言っていい。 その様なえにしを持つ朝倉家と織田家が衝突した場合、過去の縁を重視するかそれとも新たな縁を重視するかで浅井家が分裂する可能性が出るのだ。 

 特に浅井長政の父親である浅井久政あざいひさまさは、朝倉家重視と言っていい。 その関係から、朝倉家に比べると家格が低いとされる織田家を良くは思っていないのだ。

 そこで浅井長政は、同盟を結ぶに当たってある項目を追加している。 それはもし織田家が越前朝倉家を攻める際は、必ず浅井家に報せると言う物であった。 これにより、浅井久政を筆頭とする織田家との同盟反対派もついには折れる。  此処ここに、織田家と浅井家の同盟関係が成立したのであった。


「織田と浅井の同盟が確定か……六角家に取って、現時点では慶事で無いと言わざるを得んな」

「それと殿。 越前に移動された左馬頭(足利義秋あしかがよしあき)様の手の者が、信長殿と接触しているとの情報もあります」

「左馬守様が越前より信長殿の元に移動という事にでもなれば、織田家は上洛の大義名分も得るか……今さらだが、義治は寄貨きかを逃したな。 さて、と」


 そう言うと、義頼は立ち上がった。

 それから山中俊好と甲賀衆に護衛を命じると、彼らと共に長光寺城を出る。 義頼が向かったのは、観音寺城である。 その理由は、この情報を六角高定に伝える為であった。

 やがて義頼の一行は、観音寺城下の六角館に到着する。 直ぐに六角高定との面会を希望すると、大した時も掛けずに面会する事が出来た。

 山中俊好を伴って高定との面会に赴くと、そこには兄である六角承禎が居る。 別段聞かれて困る訳ではないし、何より兄の意見も聞きたいと思っていた義頼であるから丁度いいと言える。 何と言っても、二度も報告するという手間が省けるからだ。

 義頼は居住まいを正すと、六角高定と六角承禎に山中俊好の齎した情報を伝える。 その情報を聞き甥は軽く眉を顰めるぐらいだったが、兄は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「浅井と織田が、本格的に手を結ぶというのか」

「はい、兄上」

「尾張、美濃の二国を抑えた織田と江北の浅井か……厄介だな」

「父上。 それほど厳しい事なのでしょうか」

「そうだな……その方が答えてやれ」


 六角高定が父親の六角承禎に対して問い掛けると、彼は弟の義頼に水を向けた。

 いきなり話を振られた事で一瞬呆気に取られたが、一つ咳払いをする事でその態度を誤魔化す。 それから義頼は、六角高定へ己の考えを告げた。

 義頼のと言うか義頼と六角承禎の兄弟が懸念している事とは、彼我の国力差にある。 近江国の半分を押さえる六角家であるが、幾ら近江国が豊かだと言ってもやはり半国を押さえているに過ぎない。 その一方で織田家は、尾張国と美濃国と言う近江国にも匹敵しかねない豊かな二国を押さえている。 六角家と織田家の国力差は、倍はあるのはほぼ間違いなかった。

 その様な織田家と、六角家が対立している浅井家が同盟を結ぶのである。 その結果、六角家に齎される事を考えると間違いなく悪夢であった。


「高定。 簡単に言えば、国力差だ。 尾張と美濃を抑える織田家の国力は、単純に考えても六角家の倍は固い。 そこに、浅井が加わる。 後は、推して知るべしといったところだな」

「倍、か……」

「それだけではない。 もし朝倉家から左馬頭様が移動なされば、織田家は上洛の大義名分を得る。 そうなれば、少なくとも三好家が押す阿波公方(足利義栄あしかがよしひで)殿を認めていない以上、六角家としても邪魔は出来ないだろう」

「そう言う事だ。 現状で考えれば、義頼の言う通りとなる。 しかし六角家の今の当主は高定、お主だ。 よく考え、行く末を決めるのだ」

「……分かりました、父上」


 叔父と父親の言葉を聞き、六角高定はじっと考え始める。 そんな彼の姿を見て、義頼と六角承禎はお互いに頷き合うと部屋から出て行った。 そのまま兄弟は、連れ立って別室へと入る。 そこで両名は、膝を突き合わせて話し始めたのであった。


「義頼。 お主は引き続き情報を集めよ。 甲賀衆の大半を使ってでも、情報を集めるのだ。 ここで判断を間違えると、六角家が没落しかねん」

「ですが、兄上。 某には、そこまでの権利がございませんが」


 義頼は六角家当主では無い。 一部の甲賀衆を与力として使う事は可能だが、ほぼ全てのと言うと流石に無理である。 その様な事が可能なのは、公式には現六角家当主である六角高定ぐらいであった。


「分かっている。 高定に話し、後に命を出させる。 だが、密かにだ。 此度こたびの事、密を持って良しとするぞ」

「承知致しました」


 すると翌日には、甲賀衆筆頭の望月吉棟もちづきよしむねが大半の甲賀衆と共に長光寺城の義頼の元を訪れる。 全てでは無いのは、防諜にも人員が必要だからだ。

 何であれ義頼は、彼らに情報収集の命を伝える。 しかし同時に、無理だけはしない様にとも命じた。 情報は確かに必要だが、彼ら甲賀衆が消されては元も子もない。 義頼が彼らに求めているのは情報を持ち帰る事であって、命を捨てる事ではないからだ。


「分かりました、侍従様。 そのお気づかい、決しておろそかには致しませぬ」

「頼んだぞ」

『御意』


 その後、甲賀衆は浅井家へそして織田家と朝倉家へと潜入するべく出立した。

 とはいえ、そう直ぐに情報が集められる訳ではない。 徐々に届いてはいたが、集めるべき情報はまだまだ必要である。 まだ暫くは、時が掛かるのは明白であった。

 最もこれは義頼は無論の事、六角承禎や六角高定も認識していた事である。 特に六角高定には、焦りが無いとは言わない。 だがそれでも彼ら六角宗家の三人は、表面上には見せないようにしつつ情報を集めて行くのであった。



 やがて年も明けた一月半ば頃、義頼は蒲生家の居城である中野城に在った。 彼が中野城に赴いたのには、勿論理由がある。 それは、義頼の小姓を勤める鶴千代つるちよの元服の為であった。

 鶴千代の父である蒲生賢秀がもうかたひでは、鶴千代の元服に際して義頼に烏帽子親を頼んだのである。 彼が義頼に頼んだ理由は二つあり、一つは息子が義頼の小姓として仕えている事あった。 そしてもう一つの理由だが、それは鶴千代が義頼の弟子に当たるからである。 そして依頼された義頼はと言うと、蒲生賢秀の申し出を当然の様に心よく承諾した。 そして粛々と進んでいく元服の儀、やがて加冠の際に鶴千代は元服後に名乗る新たな名を告げられたのであった。

 

「鶴千代、そなたに我が名より一字を与える。 今日より蒲生忠三郎頼秀と名乗るがよい」

「は、はいっ!」


 やや緊張気味ながらも、鶴千代改め蒲生頼秀は返事をした。

 同時に、彼は笑みを浮かべている。 弓と茶の師でもあり、同時に兄とも慕う義頼の一字を偏諱へんきされた事が嬉しかったのだ。 そんな弟とも思っている蒲生頼秀の表情を見て笑みを浮かべた義頼であったが、直ぐに表情を引き締める。 それから彼は、蒲生賢秀の方へと視線を向けた。 


「本当に、頼秀を蒲生家へ戻さなくても良いのだな」

「侍従様の臣として、お使い下さい」

「……そうか、分かった。 頼秀には引き続き、仕えて貰う。 俺の馬廻り衆としてな」

『御意』


 義頼の言葉に、蒲生賢秀と蒲生頼秀の親子が揃って返事をした。

 程なくして、蒲生頼秀の元服の儀は終了する。 その日の夜は、彼の元服を祝う宴が華やかに催されたのであった。



 それから暫くした頃、義頼の元に朝倉家に対して情報収集を行っている甲賀衆から一つの情報が齎される。 それは現在、越前国で朝倉家の庇護を受けている足利義秋が前関白の二条晴良にじょうはるよしを招いて元服式を行うという情報であった。

 この情報が届けられると、義頼は苦笑いを浮かべた。 それも致し方ない事であろう。 もし六角義治ろっかくよしはるが三好家と結んでいなければ、この元服の儀は六角家が行っていた筈の儀式であったからだ。

 しかし、実際にはこうして朝倉家の下で行われている。 要するに義頼としては、苦笑いを浮かべるしか無かったと言うのが正直なところであった。


「……本来であれば、六角家で行っていなければならなかったのであろうな」

「殿、確かにそうかも知れませぬ。 ですがそれは、後の祭りではないでしょうか」

「正信。 その方は、歯に衣を着せぬところがあるな」

「言葉を飾ったところで、結果が変わる訳ではありませんので」

「その通りだが、少しは穏便な言葉を選べ。 下手すると、味方に敵を作るかも知れんぞ……まぁいい。 それは兎も角、使者ぐらいは送っておくべきか?」


 結果として足利義秋を追い出した形となっている六角家だが、同時にその事が六角家の本意では無かったのも事実である。 また、足利義栄を将軍候補として六角家が認めていない以上、足利義秋との繋ぎは例え小さくても残しておきたかった。

 そこで義頼は、対応について本多正信へ問い掛ける。 彼は政略や戦略では、義頼家臣の中で一番と言っていい男である。 そんな本多正信に問うのは、当然と言えた。

 主君から問い掛けられた彼は、少し考えてから口を開く。 本多正信より義頼へ提示したのは、三つであった。

 先ず前提条件としては、必ず六角家当主である六角高定へ伝える事である。 その上で本多正信は義頼へ、三つの対応を提示した。

 一つは、義頼が個人的に送ると言うもの。 二つ目に、六角家が公式に送ると言う物である。 そして最後の一つは、完全に無視すると言う物であった。

 この三つを提示した上で、本多正信は義頼にどれを選ぶのか尋ねる。 しかし義頼が当主ではない以上、六角家自体を巻き込む可能性がある判断をする訳にはいかない。 そこで、どの道この足利義秋元服の儀の情報を持って観音寺城へ赴かねばならない義頼は、六角高定へ先ず話す事に決めた。

 翌日、彼は観音寺城に赴くと六角高定に足利義秋の元服の件を知らせる。 同時に、六角家としての対応について問い掛けたが逆に義頼が六角高定から問い掛けられた。

 すると義頼は、昨日の本多正信が言った事と同義の考えを話す。 義頼の考えを聞いた六角高定は、暫く考えた後で彼に伝えた。


「義頼には、割りを食って貰う。 そなたが個人的に祝いの使者を出してくれ」

「と言う事は、無視はしないのだな」

「ああ、しない。 兄上の件で、少し後ろめたいところがある」


 六角高定の答えを聞いた義頼は、そこで居住まいを正すと了承の旨を六角高定へ伝えるのであった。 


「承知致しました。 この件は、某が担当致します」

「頼んだぞ」

「御意」

 

 正式に命を受けた義頼は、直ぐに長光寺城に戻ると和田信維わだのぶただを呼び出した。

 程なくして現れた彼に対して義頼は、己の代理として越前に向かう様に命じる。 その命を聞き訝しそうに眉を顰める和田信維に、此度こたびの経緯を説明した。


「左馬頭様の元服、ですか」

「うむ。 そなたは、以前にも俺の名代として越前へ赴いている。 それゆえ、何か言われる事はなかろう」

「分かりました。 殿の名代としてこの和田八郎信維、越前へ参ります」

「頼んだぞ」

「御意」


 それから三日後、彼は義頼から渡された書状三通と幾許かの祝いの品、それから最低限の護衛の者と共に、長光寺城を出立した。 その後、和田信維は直接越前国には向かわず、前回と同様に針畑峠を抜けてから若狭国へ入る。 その後、越前国に向かっている。 彼が若狭国を経由した理由は、浅井領内を抜ける事が難しいからであった。

 首尾よく越前国へと到着した和田信維は一乗谷の朝倉義景あさくらよしかげを訪問して義頼の書状を渡す。 朝倉義景は書状を一読した後、和田信維を足利義秋の在所に案内させる為に一人の男を呼び出した。 その男とは、朝倉家重臣の山崎吉家やまざきよしいえである。 彼は朝倉家臣内でも軍略に優れた者として名を得ており、外交にも明るい男であった。

 そんな山崎吉家に案内され、和田信維は足利義秋の在所を訪問する。 以前からの付き合いもあり、和田信維一行の対応は細川藤孝ほそかわふじたかが行っている。 待つ事暫し、やがて和田信維だけが面会を許される。 書状を受け取った足利義秋は、一読すると声を掛けた。


「面を上げよ」

「はっ」


 和田信維は顔を上げて、足利義秋を見る。 そんな彼の着ている服は、上等な物であった。 流石は「名門朝倉家」と言ったところであろう。 しかし着ている物とは裏腹に足利義秋の顔には少し疲れた様な表情が見て取れたが、その表情も一瞬で消えていた。

 

「信維。 義頼からの祝いの品、余は嬉しく思うぞ」

「左馬頭様からのお言葉、我が主に必ずお伝え致します」


 その後、特に問題など起きず面会は終了した。

 それから数日経った頃、二条晴良が一乗谷に到着する。 すると和田信維は、二条晴良にも面会して義頼からの土産の品と幾許かの金子を届けている。 これは二条晴良に取って、望外の収入である。 彼は満面の笑みで、和田信維から土産と金子を受け取っていた。

 それでなくても此度の足利義秋の元服の儀に伴い、朝倉家から金子などを受け取っている二条晴良である。 その上、六角家から土産や金子を渡されたのであるから、彼の喜びは相当な物であった。 

 そんな二条晴良の到着から三日後、二条晴良臨席のもとで足利義秋の元服の儀が執り行われる。 なお彼への加冠は、朝倉義景が自ら務めていた。

 また、足利義秋の秋の字が不吉であるとして改名を行う。 以後、足利義秋は足利義昭あしかがよしあきと名乗る様になった。

 こうしてつつがなく元服の儀が終わった数日後、和田信維は足利義昭や細川藤孝らと言った幕臣や朝倉義景に挨拶を行うと、越前国から出立する。 行きと同様に帰りも彼の一行は、若狭国から針畑峠を越えて近江国へと戻った。

 越前国より和田信維が戻ると、義頼は彼より報告を受ける。 その後は、自ら六角館に赴き六角高定に詳細を報告した。 すると彼は、義頼に対して褒美として彼に官位を授けると宣言する。 やはり彼としても、義頼へ対応を押し付けてしまった事が少し申し訳なく思っていたのだ。

 それにやや古い話であるが、三好長逸みよしながやすが攻め寄せてきた際に何だかだとあって義頼へ褒美を出しそびれた事がある。 そこで六角高定は、その一件も合わせて褒美を出そうと考えたのだ。

 彼は京へ重臣など人を派遣して、六角家と繋がりを持つ公家衆を動かした。 有り体に言えば金子を渡して、朝廷に働きかけたのである。 無論朝廷にも、献金は行っていた。

 その公家衆と朝廷に渡した金子が直ぐに効果を発揮し、義頼に渡す新たな官位が六角家にもたらされたのだ。

 さて義頼であるが、三好長逸の件に関しては今更と言う気がする。 しかし貰えると言うのであれば、彼に断る理由もなかった。


「六角義頼! その方へ、新たに従五位上左衛門佐の官位を与える」

「御意!」


 これにより義頼は、侍従から左衛門佐へと昇官したのであった。


元服した蒲生忠三郎頼秀は、史実の蒲生氏郷です。


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