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第百七十六話~龍野城攻め~

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第百七十六話~龍野城攻め~


 

 姫路城を出た義頼は、楯岩城に入った。

 そこで表向きは恭順、事実上の降伏をした三木通秋みきみちあきを軍勢に加えると同城を出陣する。 それから義頼は、龍野城と楯岩城の間に存在する石蜘蛛城を全軍で取り囲んだ。

 石蜘蛛城は、播磨島津氏の居城である。 彼の家は、本来であれば彼の家は龍野赤松家の者である。 しかし現当主島津忠之しまづただゆき赤松広貞あかまつひろさだの命により、才構居に表向き謹慎させられている赤松広秀あかまつひろひで赤松祐高あかまつすけたかの兄弟に付けられていた。

 しかし広秀と祐高は、密約と言う形でだが義頼に降伏している。 とは言え、出来る事ならば龍野赤松家に知られない方がいい。 そこで、降伏していると言う事実を隠蔽しつつ、かつ龍野赤松家から疑いの目を向けられない為、才構居の広秀らと密かに打ち合わせを行っていた。

 それは、義頼が全軍を持って城を囲むことで忠之が義頼へ降伏すると言う物である。 それでなくても播磨国に進軍した織田勢は、数万を優に超える軍勢である。 しかもその軍勢に、東播磨の国人や赤松宗家や小寺家などが合流して更に膨れ上がっているのだ。

 その様な軍勢を率いている義頼が取り囲めば、正に十重二十重の囲みと成り得る。 その様な敵を前にして、家の存続を図る為に降伏したとしてもそれは恥でも何でもなかった。

  

「だが……これほどか。 事前に聞いていたとはいえ、な」


 城から実際に囲まれている情景を見て、忠之が思わず漏らした言葉であった。

 幾重にも重なる様に取り囲まれてるばかりか、義頼は大砲も配置しそれらの標準を合わせている。 しかし忠之も、大砲など見た事はない。 だがその存在感は凄まじいものがあり、何か背筋を走るものがあった。

 だがこれだけの物を見せられれば、降伏したとしても説得力があると言う物である。 事実、事情を知らない島津家家臣や城兵に動揺が走っている。 これでは例え事前の密約が無くても、真面まともに戦えるか怪しいものがあった。

 その後、忠之は家臣を集めると義頼に降伏する旨を伝える。 敵の数や大砲と言った物に、完全に士気を挫かれていた彼らはただ粛々と主の決定を受け入れていた。

 軍議を終えると間もなく、忠之は書状を持たせた軍使を派遣する。 石蜘蛛城の大手門が開き軍使が出てくると、彼は義頼の前へと連れて行かれた。 その軍使より書状を受け取ると、中に目を通す。 そこには事前の約束通り、石蜘蛛城の開城と明け渡し。 それから、播磨島津家の降伏が記されていた。

 内容に違いが無いことを確認すると、義頼は藤堂高則とうどうたかのりに返書を持たせて彼を軍使として石蜘蛛城に派遣する。 高則から渡された返書を確認した忠之は、義頼に降伏したのであった。

 城を明け渡すと、忠之は義頼と面会する。 その場で改めて、彼は降伏の口上を述べている。 義頼も口上は受け入れ、ここに密約を隠蔽する為の茶番劇は終了したのであった。

 こうして石蜘蛛城を接収した義頼は、この城を後陣とする。 この軍勢には、忠之も郎党を率いて参陣していた。

 本来であれば才構居に居る広秀らと共にいるのが正しい姿である。 しかし形だけでも抵抗し、そして降伏をした以上は共に行動した方が問題も発生しない。 あらぬ嫌疑を敵味方に対して持たれない為にも、忠之は龍野赤松家の居城である龍野城に進軍する義頼の軍勢と同行したのであった。

 石蜘蛛城を接収した二日後、義頼は進軍を再開する。 三木家や播磨島津家などと言った、義頼が播磨国侵攻後に合流した播磨の国人を先陣とした軍勢は、揖保川近くにある高台の麓に本陣を置いた。

 そして揖保川を挟んで対岸近くには鶏籠山があり、この山頂に龍野城が築かれている。 恐らくは、揖保川を天然の堀と考えて建築された物と考えられた。


「さてと新九郎(島津忠之)殿。 貴殿の記されたこの絵図面、相違はないか?」

「無論にございます。 右少将(六角義頼ろっかくよしより)様」


 義頼に台の上に広げられた絵図面を見ながら問われた忠之は、確りと頷いた。

 彼の記した絵図面とは、龍野城の絵図面である。 極つい最近まで忠之は、赤松広貞あかまつひろさだに従っていたのである。 当然ながら、龍野城の構造も知っていたのだ。

 そこで義頼は、降伏した後の忠之に絵図面の提出を命じたのである。 忠之もこの命に答え、急いで大まかではあったが絵図面を提出したのだ。

 その絵図面によると鶏籠山山頂に築かれた龍野城は連郭式の構造であり、本丸から二の丸に続く典型的な山城である。 そしてその麓には、これもご多分にもれず居館や武家屋敷などと言った城下町が形成されていた。

 そんな絵図面をしばらく眺めていた義頼だったが、ふと何かを思いついたのか視線を横に移す。 彼の視界には、本陣の横に鎮座する丘が写っていた。

 しばらくその丘を眺めてから、今度は鶏籠山上に鎮座する龍野城に目をやる。 そしてまるで何かを測るかの様に、じっと眺め続けていた。

 そんな義頼の行動を、尼子勝久あまごかつひさ一色義俊いっしきよしとし。 他に、京極高吉きょうごくたかよし京極長高きょうごくながたか親子や山名堯熙やまなあきひろなどが見ている。 するとそのうち、未だに近江代官でもある義頼の代理として近江衆を統率している父親の蒲生賢秀がもうかたひでに成り代わって今回、近江衆を率いている蒲生頼秀がもうよりひでが尋ねてきた。

 しかし義頼は、視線すら向けずに鶏籠山山頂部と本陣と隣接している丘の頂上部を交互に見続けている。 見方によっては奇行とも言える行動を続ける義頼に対し、諸将だけでなく六角家重臣もまた顔を見合わせていた。

 やがて納得がいったのか、義頼は一つ頷くと別の地図を持ってこさせる。 その地図は、龍野城周辺の地理を記した物であった。 持ってこさせた地図を広げると、義頼はある地点にばつ印をつける。 その場所は、なんと本陣隣に鎮座する丘の山頂部であった。


「右少将様。 この印は何の為につけたのですか?」

「それはだな、頼秀。 ここに、大砲を設置するからだ」

『……はあっ?』


 この場に居る諸将や六角家家臣の気持ちが、重なった瞬間であった。 

 そんな彼らの仕草を見て小さく笑みを浮かべた義頼だったが、直ぐに表情を引き締める。 そして、何故に大砲を設置するのかの理由を彼らに説明し始めた。

 義頼の考えは、ある意味単純である。 丘の上に大砲を設置して、そこから龍野城へ砲撃を仕掛けようと言うのだ。 無論、以前の様な大砲では無理であっただろう。 しかし、義頼が持ってきている大砲は改良版である。 この大砲は仰角が付けられており、その事によって初期の頃より射程が増大していた。

 因みに提案したのは、義頼である。 弓を使う際、最大射程を得る為に斜め上へ向けて矢を射る。 ならば威力は別として同じ射程武器となる大砲ならば、同じ理屈が通用するのではと考えたのだ。

 結局、その考えは図に当たり、当初の様に平たい台の上に置いていた頃の大砲より砲弾の到達距離が飛躍的に伸びたのである。 実際、石山本願寺との戦においてほぼ一方的な戦となった理由の一つはこれである。 石山本願寺から打って出た雑賀衆が、最終的に義頼の陣へ誰も到達出来なかったのだから効果は言うまでもなかった。

 またこの仰角だが、変更が可能である。 その方法は、重しを使っておこなう。 具体的には、大砲の後部に錘を付ける事で仰角を変えるのだ。 ただ、そのままでは大砲自体の重量が嵩んでしまうので、形としては錘を追加する形となっている。 つまり仰角を付ける際は錘を追加し、仰角がさして必要ない場合は全くなくすか少なくしてしまうのである。 なおこの様式となった理由は、移動時に重量を少しでも軽減させる為であった。

 なおこの仰角を変更できないかと言う提案は、杉谷善住坊すぎたにぜんじゅぼう城戸弥左衛門きどやざえもんと言った大砲を実際に使用する者達から出た物である。 その意見を聞き、三雲賢持みくもかたもちが試行錯誤の結果、実現させたものであった。

 何はともあれ、義頼はこの様に改良を追加した大砲であれば十分に届くと判断したのである。 この辺りの判断は、本人が類まれな程に弓術の腕を持つが故であった。

 だがその話を聞いた彼ら諸将としても、半信半疑である。 しかし義頼の言った事を行ったからと言って、彼らに損が出る訳ではない。 それにもし義頼が言う通りに砲撃が成功するのであれば、龍野城を落とす事も容易であるのは想像出来た。

 何はともあれ、先ずは行ってみる事で意見の一致を見る。 こうして虎の子とも言える大砲は、丘の上に据えられる運びとなったのであった。

 その一方で龍野城では、将兵に動揺が広がっていた。 理由は言うまでもなく、義頼が率いる軍勢である。 彼らは揖保川に沿って陣を敷いているので、大凡であるが兵数が把握できるのだ。

 しかも軍勢の先陣と本陣にも相応な距離がある事から、前線に居る将兵は一部でしかない事も理解できてしまったのである。 しかしそんな彼らに対し、龍野赤松家の重臣であり光明山城主でもある内海範秀うつみのりひでが喝を入れていた。


「ふん! 恐れる事などない!! あれらは、数だけでしかない。 所詮は、烏合の衆よ。 堅城の龍野城であれば、宇喜多殿や毛利殿が援軍に来るまでは十分に対抗できる! ですな、殿」

「……うむ。 そうだな」

「聞いたな皆の者。 殿もこうおっしゃっておられる。 だから何も心配せず、迎撃すればよいのだ!!」


 当主の赤松広貞と、内海範秀の言葉を聞き城内に漂っていた動揺も少しは抑えられる。 そして代わりにと言う訳ではないが、士気も多少であるが向上したのであった。



 さて大砲を丘の上に据える事を決めた義頼であるが、早速動きを見せていた。

 彼は先ず、丘の上を切り開いていく。 これは、大砲を据える為の場所を確保する為であった。 但し、龍野城から見える木々は手を付けずに残している。  これは、敵にこちらの動きを察知させない為であった。

 やがて大砲を据える場所が確保されると、いよいよ丘の上へと移動させる。 これには大砲自身の重さもあり、中々に梃子摺る事が予想された。 しかしそこは、大軍を擁する義頼である。 彼は人員や馬を大量に投入する事で、一気に解決してしまった。

 やがて予定していた大砲をすべて据え終えた翌日の早朝、義頼は大砲の前にまだ残されていた木々を全て切り倒していく。 こうして大砲は、朝日が溢れる中、その存在を敵に対して露わにしたのであった。

 勿論、この動きは揖保川対岸の龍野城からも見て取れる。 見張りの者から報告を受けた広貞は、朝が早い時間であるにも拘らず己の目で確認する為に義頼の軍勢の横にある丘の上を凝視していた。

 と言っても、見たからといって理解できるものではない。 何せ今迄、見た事が無い代物であるのだからそれも当然であった。 朝の光を鈍く反射する大きな何かがあると言う事は分かったが、それだけでしかない。 到底、見当が付けられるものではなかった。

 それは龍野城に籠る将兵についても同じであり、彼らにも何かがあると言う事しか分からない。 そしてその分からない何かの存在が、折角昨日上がった士気を下げる要素となっていた。

 人は理解できない物に対して、恐怖を覚える。 その上、眼前には籠城する兵数の数倍ではきかない軍勢が確実に存在する。 この状況下で士気を維持したり上げたりする事ができる将がいれば、その者は間違いなく稀代の名将と言える存在であった。  


「あ、あれは一体、何なのだ……?」


 思わずと言った感じで漏れた広貞の言葉に、答える者は誰も居ない。 そして広貞も、答えを期待して漏らしたわけでもない。 目の前の状況に呆気に取られたことで、意識せず漏らしてしまったのだ。

 龍野城に居る誰もが理解できないままにいる間、義頼達もただ漫然と過ごしていた訳ではない。 攻勢に移るすべての準備を終え、いよいよ最終確認を行っていた。

 事前の準備は確りとおこなわれていたので、ここで問題が発生したり見つかる事はない。 全ての準備が終えた事を報告された義頼は、鉄砲奉行の杉谷善住坊へ攻撃の命を出した。

 彼は六角家鉄砲奉行であると同時に、この軍勢全ての鉄砲衆を纏め上げる存在である。 六角流砲術を開いた者であり、同時に幾人もの敵将を狙撃した人物でもあるので味方から特段に反対する者はいなかったのであった。

 因みに彼の弟子に、一色家家臣の稲富直家いなどめなおいえが居る。 彼は元々、祖父の稲富祐秀いなどめすけひでから火縄銃の手解きを受けた火縄銃の使い手である。 その祖父が六角流砲術の元となった佐々木流砲術の印可を受けていた縁から、一色家が織田家に従った後は六角流砲術の門下生となっていたのであった。

 さて話を戻して、義頼から命を受けた杉谷善住坊は腕を振り上げる。 それから一拍を置いた後、腕を振り下ろした。

 その途端、大砲から砲弾が飛び出す。 大砲から撃ち出された砲弾は、鶏籠山を飛び越える。 それは即ち、義頼の判断が正しかった事への証左でもあった。

 それはそれとして、折角の砲弾も当たらなければ意味はない。 そこで杉谷善住坊は、仰角の調整を行うと再度の砲撃を試みた。 それでも当たらず、大抵は飛び越えてしまう。 だが全てではなく、幾つかの砲弾は龍野城を捕らえていた。

 すると杉谷善住坊は、三度調整を行う。 そして今度こそ仰角は正解となり、大砲の砲弾は全て命中していた。

 龍野城へと着弾した砲弾は、当然の様にそこで破壊の嵐を巻き起こす。 その対象が地面であろうが建築物であろうが、そして人であろうが結果に変わりはない。 砲弾は全てに等しく、破壊と言う結果を押し付けていた。

 その様な景色を見て義頼は一先ず頷いたがその直後、進撃の命を出す。 その命に従い、旗下の軍勢は揖保川を渡河し始めた。 先頭を行くのは、尼子衆である。 彼らは一斉に川へ飛び込むと、揖保川の対岸目指して突き進んでいった。

 なお最初に義頼の軍勢の先陣を務めていた播磨衆であるが、彼らは第二陣となっている。 義頼は、大砲による攻撃を決めた際に播磨衆を下げて代わりに尼子衆を置いたのだ。

 何故に陣立てを変更したのかと言うと、その理由も大砲にある。 義頼が率いる軍勢のうちで、但馬衆と播磨衆は大砲に慣れていない。 その為、大砲を使用した際に驚きのあまり混乱をきたしてしまうのではないかと懸念したのである。 そこで、既に大砲の介在した戦を経験済みである尼子衆に先陣を命じたのであった。 

 そんな尼子衆であるが、先頭切って進んでいるのは尼子氏久あまごうじひさである。 彼は元々、尼子新宮党を率いた尼子国久あまごくにひさの孫にあたる人物であった。

 新宮党は、嘗て尼子家家中において一目置かれた精鋭である。 そんな彼ら新宮党を率いていたのが国久であり、彼の孫らしく氏久もまた武勇に優れていた。

 因みに氏久は勝久の兄に当たり、本来であれば彼が尼子家再興の旗頭となっていてもおかしくはない。 しかし尼子家再興を目指していた山中幸盛やまなかゆきもりが最初に見つけたのが勝久であった事から、後から尼子家再興の軍勢に合流した氏久は弟の勝久の家臣となる事を受け入れていた。

 その氏久だが、彼は尼子衆と共に我先にと川を渡り切り対岸へと到達する。 その後に続くのは、前述の通り播磨衆である。 始め轟音とも言える大砲が発する音に驚いていた彼らであったが、流石に何度も聞けば慣れはする。 それでもまだ多少は大砲の砲声に驚きながらも、播磨衆は揖保川を渡河していく。 続いて山名堯熙率いる但馬衆や北丹後衆を率いる一色義俊などが、揖保川を渡河する予定であった。



 大砲による砲撃を命じてから義頼は、じっと本陣にて味方の軍勢の渡河が完了するのを待っていた。

 何れ渡河が完了すれば、城攻めに移行させるつもりである。 その直前には砲撃を止めさせると同時に、城攻めの開始とするのだ。

 それも、あと少しで始まるであろう事は間違いない。 また味方の渡河の際に懸念事項であった龍野赤松家の将兵からの襲撃だが、こちらは幸いな事に行われていない。 此方に関しては、沼田祐光ぬまたすけみつから大砲による砲撃によって混乱している為だろうとの意見具申がされていた。

 祐光よりその意見を聞いた義頼は、笑みを浮かべる。 味方の損害が少ない状況で、渡河を完了できる見込みであるからだ。

 しかし、油断は禁物である。 過去には油断によって戦の情勢がひっくり返された事など、枚挙にいとまがない。 馬淵建綱まぶちたてつなよりの進言に内心同意しつつも頷いた義頼は、油断なく渡河を成功させるようにと命を発した上で己の気持ちも改めて引き締める。 そんな雰囲気が伝わったのか、本陣に居る将兵や実際に行動している軍勢にも適度の緊張が流れたのであった。

 その一方で、敵勢からの砲撃に晒されている龍野城側はたまったものではない。 大砲から放たれた砲弾が次々と城に着弾し、物であろうと人であろうと構わずに破壊を齎しているのである。 士気など完全に崩壊しており、雑兵などから我先にと逃げ出しているのだ。 

 そして兵を止める筈の将も、己の命を守るのが精一杯であり兵の掌握など出来はしない。 今の龍野城内は、正に混乱の坩堝るつぼと化していたのであった。 その様な城中において、広貞はこれでは勝どころの話ではないと考え始める。 城を枕に討ち死にも一瞬だけ頭をよぎるが、それもこの有様ではこのまま嬲り殺しもあり得てしまう。 そこで広貞は、重臣の内海範秀を召し出すと彼に軍使の任を命じたのであった。


「……範秀。 すまぬが、軍使として敵陣へ赴け。 そして赤松広貞は、六角義頼殿に降伏すると伝えて来るのだ」

「殿…………承知致しました」


 城内が混乱していると言っても、範秀の様に未だ比較的冷静な者も数は少ないがいる。 その様な者達で面子を揃えると、範秀を正使とした軍使を広貞は派遣したのだ。



 渡河を果たした義頼の軍勢は、そこで後続がある程度揃うのを待っている。 具体的に言えば、第二陣である播磨衆が揃い次第、龍野城へ向けて進撃する手筈であった。

 それに合わせて、砲撃は止む手筈となっているので味方から攻撃を受ける事はない。 だが万が一もあり得るので、確実視されるまでは慎重に行動するつもりであった。

 やがて、第二陣となる播磨衆が赤松則房あかまつのりふさ別所長治べっしょながはると言った者達に率いられて渡河を完了する。 その時点で隊伍を整えると、彼らは龍野城へ進撃を行おうとしていた。

 しかしいざ龍野城へと言う段になって、その龍野城から軍使が来たとの報せが彼らの元へ舞い込んでくる。 ここにきてのまさかの来訪であったが、無視すると言う訳にもいかない。 これにより龍野赤松家からの軍使である範秀は、義頼の本陣へ送られたのであった。

 因みに事がつつがなく進んだ理由は、既に揖保川を渡河した者達の中に播磨衆が居た事にある。 龍野赤松家において重臣と言っていい範秀であるから、当然ながら播磨衆の中にも彼を見知った者もいる。 その者達によって、範秀の存在が担保されたからであった。

 兎にも角にも六角勢の本陣へと送られた範秀は、首尾よく大将である義頼と面会を果たす。 そこで、広貞からの書状を差し出していた。

 軍使より渡された広貞直筆の書状を、義頼は目を通す。 最後まで読み終えると、彼はゆっくりと顔を上げて範秀をひたと見た。


「して勘解由(内海範秀)殿。 書状を見る限り、下野守(赤松広貞)殿は降伏すると言っているようだが?」

「はっ。 我が主赤松広貞は、右少将様に降伏致す所存にございます」


 義頼に対して平伏しつつ口上する範秀を、義頼はじっと見ていた。

 実のところ、義頼に降伏を許すつもりはなかったのである。 既に、赤松広貞に対して何度となく使者を派遣している。 その使者をことごとく、龍野赤松家は追い返してきたのだ。

 それに広貞の二人の弟である赤松広秀と赤松祐高は、家の存続を条件に義頼への降伏を受け入れている。 つまり赤松広貞の代わりの人材は確保している状態であり、広貞が必ずしも生きていなければならない訳ではないのだ。

 それに義頼は、この戦を播磨衆に対する一種の示威行動とするつもりもある。 播磨衆は義頼の率いてきた軍勢と一戦も交えずに、織田家に恭順なり降伏なりしている。 これは強大な織田家から自らの家を守る為に取った行動であり、それに対して今更とやかく言うつもりはない。 しかしながら、それであるが故に織田家の実力を播磨衆は見ていないのである。 そんな播磨衆に対して釘をさす意味を、此度の戦で示すつもりだった。

 なお、この事を言い出したのは義頼ではない。 本多正信ほんだまさのぶと沼田祐光と三雲賢持の三人である。 ある意味脅しとも取れる行動を聞かされた義頼は、一瞬眉を寄せたが最終的には了承していた。

 何はともあれ、その様な腹積もりであった六角勢である。 ここにきての降伏は、正直に言って迷惑でしかない。 とは言え、此処で追い払い厳しすぎると思われる事も播磨衆に遺恨を残しかねない。 そこで義頼は、暫く考えてから追加の条件を範秀に伝えたのであった。


「降伏すると言うのならば、龍野城に籠っている者で主要な人物の命を差し出してもらおう。 無論、下野守殿を含てだが」

「なっ!? そ、それは!! あまり「さすれば、それ以上は龍野赤松家は無論の事、城に籠った兵にも指一本手出しはせぬしさせぬ」に…………もし、間違いがあった際は如何なされまするのか?」

「某自らが、我の刀の錆としてくれるわっ!」


 自らの腰に差した刀を手にしつつ決して大きくはないが気迫の籠った言葉に、問うた範秀の方が気圧される。 いや、彼ばかりではない。 この場にいる六角家重臣や与力とされた諸将、更には石山本願寺での戦に引き続いて軍監を務めている堀秀政ほりひでまさですら思わず目を見開いていた。

 それだけの迫力を見せられた範秀は、思わず唾を飲み込む。 それから平伏すると、何とか主にお知らせしてきますと伝えてから義頼の本陣を後にすると急いで龍野城へと戻っていった。

 慌てて龍野城へと戻る範秀が本陣から消えると、義頼は渡河を完了した尼子衆などに進撃を命じる。 時を同じくして杉谷善住坊にも命を出して、間違っても味方を攻撃しない様にと釘をさしておいた。

 義頼からの命を受けて尼子衆や播磨衆は、揖保川からの進撃を開始する。 また鉄砲奉行の杉谷善住坊も、何時でも大砲を放つ事が可能の状態を保ったまま、兵に待機を命じたのであった。


大砲の本領発揮です。

城攻めの手段が変わるなぁ、多分。

最も、経済力が必要ですが……


ご一読いただき、ありがとうございました。

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