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第百七十三話~備中兵乱~

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第百七十三話~備中兵乱~



 石山本願寺との戦も終わり、後始末に佐久間信盛さくまのぶもりは尽力していた。

 何と言っても石山本願寺は、連続した砲撃に晒されたのである。 無事な建物など皆無に等しく、その後片付けに躍起とならざるを得ないのだ。 そんな石山本願寺跡地とも言える場所の隅に、数にして二十に満たない者達が居る。 それは、義頼と護衛を務める彼の馬廻り衆と母衣衆であった。

 義頼は戦が終わると、己の軍勢を取り纏める指示を出している。 その統括は副将を務める重臣の馬淵建綱まぶちたてつなを筆頭とした重臣達に任せると、この場へと足を運んだのであった。

 義頼が何故にこの場所に居るのかと言うと、京へと向かう前に一度見ておこうと思ったからである。 それは己が命じた事で、いかなる結果を齎したかを胸に刻んで置く為だ。 

 そんな義頼だが、明日にでも預かっている顕如や正室の如春尼じょしゅんにらを連れて京へ向かう事となっている。 その理由は、彼らの新たな寺となる本願寺が竣工するまでの一時的な滞在先とされた大徳寺へ移送する彼らに同行する命を受けていたのだ。

 因みに、始め顕如達は本能寺へ移動させると言う話も持ち上がっている。 しかし本能寺は、嘗て一向宗と諍いを起こした法華宗の寺と言う事もあって候補から外される。 そして最終的に決まったのは、臨済宗の寺である大徳寺であった。

 こうして決まった顕如達の京までの移動に関して護衛を命じられたのが、顕如とも義理とは言え兄弟関係となる義頼である。 どの道、先の戦で消費した物資等を補給しなければ彼と彼の軍勢は播磨国へ向かう事は出来ない。 多少の時間があった事も、選ばれた理由でもあった。

 そんな義頼が、石山本願寺の跡地ともいえるこの場所に入って四半時ぐらい経つ。 彼はその間、ただただ黙って砲撃に晒されたこの地を見ていたのだが、やがて視線を同行してきた家臣達へと向ける。 すると、馬廻り衆の瀧一氏たきかずうじが義頼に対して口を開いた。


「もう宜しいのですか?」

「ああ。 それと、皆にも足労掛けて済まぬな」

「いえ、殿。 お気になさらないでください」


 一氏の言葉に、同行した家臣達も頷いている。 そんな彼らに今一度感謝の言葉を掛けると、義頼は踵を返す。 その主に従って、彼らもまた石山本願寺の跡地から出て行ったのであった。

 そんな義頼達が消えた後も、信盛の指揮による後始末は進んでいく。 その仕事のうちには、此度の戦の原因となった教如きょうにょ以下の面子の生死の確認も含まれていた。 しかし、その仕事は徒労へと終っている。 誰一人として、反旗を翻した中心人物で生存が確認されなかったのだ。

 と言うのも砲撃によって、誰だか判断する事も叶わない様な損傷を負っている死体がかなりの数に上っているのである。 正直に言えば、死体があっても誰が誰だかよくわからないと言うのが真相であった。

 そしてこの場を離れた義頼はと言うと、軍勢に関しては建綱ら家臣達に任せて顕如と共に京へと向かっている。 そう距離があるでもなく、ましてや今畿内は完全に織田領である。 そんな畿内で、そう兵数は多くないとはいえ義頼率いる軍勢を襲う様な胡乱な者などいない。 彼らはつつがなく、大徳寺へと到着していた。 

 その大徳寺には、京都所司代である村井貞勝むらいさだかつが待っている。 彼は京の治安を預かる立場にあると言う理由から、今日以降は貞勝が顕如達の身柄を預かる事となる。 その彼に顕如一行を引き渡した義頼は、そのまま勝龍寺城へ取って返したのであった。

 こうして織田家と一向宗が講和を迎えると、朝廷が考えた通り久方ぶりの畿内に平穏が訪れる。 これを慶事と考えた朝廷は、織田信長おだのぶながへ官位を立て続けに与える決定をする。 その与えた官位とは、権大納言と兼任する形となるが右近衛大将の官位であった。

 流石にこの就任を断っては、不敬と取られかねない。 そこで信長は官位を受ける代わりに、ある条件を村井貞勝を通して密かに朝廷へ伝える。 その条件と言うのは、嫡子である織田信忠おだのぶただの征西大将軍の就任であった。

 実は信長、西を息子に任せるつもりであったのだ。

 既に対毛利家の総大将である義頼と、今回石山本願寺が片付いた事で漸く実現が可能となった明智光秀あけちみつひでを大将とする四国征伐。

 更には何れ任命する事になるであろう九州担当の将を付けて、信忠を総大将として西を平らげさせる構想を練っていたのである。 その大義名分として、征西大将軍を欲したのであった。

 こうした信長の意向を受けた朝廷も、長く乱が続いている日の本に和を齎すのであればとこれを受け入れる。 此処に信忠には征西大将軍への就任と、新たな官位として右近衛中将を与えたのであった。

 因みに信長は、この任官により名目上はまだ将軍である足利義昭の持つ官位を超えた事になる。 その為、彼は以降「上様」と呼ばれる様になり、それに伴い信忠は「若殿」から「殿」と呼ばれるようになった。

 また朝廷は、石山本願寺との折衝に長く働きがあったとして、六角承禎ろっかくしょうていを当主とした新たな家を創設させる。 彼は何時の間にか朝廷における武を統括する存在となっていた事もあり、異例ではあるが公家としてではなく武家のままでの創設であった。

 家格としては、羽林家と同等の扱いとなる。 その為、承禎を家祖とする彼の家は、武家羽林六角家や高家六角家と呼ばれるようになった。

 これらの人事に関しての情報は、勝龍寺城で先の戦で消耗した弾薬等の物資が揃うのを待っている義頼の元へも届けられる。 彼は即座に京の町中まで戻ると、信長に面会して一向宗との戦が漸く終了した事に対して祝いの言葉を述べていた。

 その後は、信忠にも面会して祝いの言葉を述べた義頼は、次に六角承禎の屋敷へと向かう。 そこで兄に対しても、祝いの言葉を伝えると祝いの宴を行った。 しかし義頼には、播磨国へ向かう役目もある。 故に羽目を外す様な宴とはならず、いささか静かな宴であった。

 最も義頼の酒の強さを考えれば、承禎の方が先にへべれけとなるのはほぼ確定である。 むしろ、両者共に酒を抑えたと言う方が正解であったと言えた。

 宴の後、承禎の屋敷で一晩泊まった義頼は、屋敷を出ると勝龍寺城へと戻っている。 そこで今度こそ物資が整い次第、播磨国へ向かう腹積もりであった。

 そんな義頼の元、意外な者が訪ねて来る。 その人物とは、角倉了以すみのくらりょういである。 しかも彼は、手ぶらで訪れた訳ではない。 土産を持って、現れたのだ。


「右少将(六角義頼ろっかくよしより)様。 ご依頼の品に相当するような物、見つけましたぞ」

「何っ! 真かっ!!」


 義頼が了以に依頼していたものと言うのは、今までにない物であった。

 彼は内政の一環として、名物の作成を奨励している。 その過程で彼はふと、未だ国内に無いものを名品とすればいいのではとの考えに思い当たった。

 そこで義頼は、殆ど六角家の御用商人に等しい存在となっている了以に国内には無い物、即ち南蛮の物品を手に入れる様にと依頼したのである。 そうでなくとも、南蛮より珍しい物品が齎される昨今である。 その様な物を領地で作り出す事が出来れば、効果は大きいとの考えであった。

 その際に義頼が了以に依頼した物の中心となるのは、食物である。 その理由は、名物品であると同時に栽培した領地内においての食物増産を狙ったのだ。

 無論、それら食物ばかりではなく他にも考えている。 例えば、硝子があった。 この頃、硝子は国内産業としては衰退している。 しかし南蛮貿易で齎された硝子製品によって、関心はされていた。 そんな折、了以を通してある文献が手に入る。 それは、硝子制作の方法を記した物であった。

 その様な文献を手に入れた義頼は、三雲賢持みくもかたもちに渡して研究と制作を一任する。 しかし彼はこの後、義頼に付き従って播磨国へと向かわなければならない。 そこで賢持は勘定方とも相談の上で、予算を確保してから幾人かを担当として当てていた。

 しかしまだ着手してより日が浅く、成果としてはこれと言ったものはない。 しかしながら全く成果が無いと言う訳でもなく、有り体に言えば試行錯誤の真っ最中であった。

 他にも、馬の育成などを行っている。 こちらは、家臣の岸教明きしのりあきに任せていた。 彼は元々松平(徳川)家の家臣であったが、三河一向一揆で一向宗に味方した事が原因となり、松平家を出奔し諸国を浪々としている。 その際に彼は馬喰ばくろうを生業としていた事で、馬に詳しかったからだ。

 それに何より馬体の良い馬と言う物は、武士に取り欲しい存在である。 そこで義頼は、教明に馬体の良い馬を増やす様に命じたのだ。

 これは、先の石山本願寺との戦で試験的に導入した騎馬鉄砲隊に対する為でもある。 やはり馬体の良い馬が揃っていた方が、同じ攻撃を敵へ掛けるに当たって迫力などと言った様々の要素に影響するからであった。

 しかし未だ始めてからそう時が経っていないと言う事もあり、あからさまに違いがあると言うようなものはない。 ただ従来より、若干大きいだろうと思える子馬が結構居るのではと思える結果は出ていたのであった。



 閑話休題



 話を戻して義頼だが、彼は了以が持ってきた土産の食物とその苗を見ていた。

 その手土産とは二種類であり、一つは薄めの赤紫色をしている。 その名は、甘藷かんしょと言う。 極最近になり手に入ってきたもので、食すると甘いらしくその事に名は由来していた。

 実際、食べてみたが確かに美味く甘みがある。 これならばと、思わせる物であった。

 もう一つは、黄色い粒粒が一杯ある棒状の食物である。 名は南蛮黍なんばんきび、若しくは略してなんばと言われていた。 こちらは甘藷に比べれば美味いとは言えないが、食べられない事もない程度の代物である。 ただ成長は早いらしく、了以はどちらかと言うと食糧増産の方に重きを置いた上で持って来たものであった 

 さてどちらも、日の本ではまず見ない食べ物であるのは間違いはない。 しかも南蛮などでは、普通に食されているものでもあった。


「ふむ。 よかろう。 取りあえず、栽培できるのか領内で試してみる」

「ははっ。 ありがとうございます」


 甘藷と南蛮黍の両方の購入を決め、ある程度の量を手に入れた義頼は領内で試験的に栽培を始める事にする。 だが時期が少々ずれている事もあり、こちらも結果が出るのはまだ先の事であった。

 こうした予定外の事があったりもしたが、それから間もなく先の石山本願寺との戦で使用した物資の補給が終わる。 そこで義頼は、今度こそ勝龍寺城を出陣する。

 そして小寺孝隆こでらよしたかが播磨国における拠点として提供した姫路城へ向けて出陣したのであった。





 さて義頼が勝龍寺城から出陣する中国地方では、一つの兵乱が終結しようとしていた。

 それは後に【備中兵乱】と称される様になる、備中国で起きた兵乱である。 この兵乱は、中国の雄である毛利家と、初めは毛利家旗下の大名として働いてきた三村家。 そして、備前国の大名である宇喜多家の争いであった。

 元々備中国は、小領主が乱立していた地域である。 そこに大内家や尼子家がちょっかいを出して小領主を抱き込み、覇権争いを行っている。 しかし大内家も滅び、尼子家も滅ぶと備中国人の三村家が台頭したのだ。

 当時の三村家当主であった三村家親みむらいえちかは、毛利家の後ろ盾を得ると瞬く間に備中国を席巻する。 大半の備中国を領地とした家親は、更なる領地を求めて隣国の美作国や備前国へと出陣した。

 既に勇猛さで名を近隣に知られていた家親は、その名に違わない戦を行っていた。 しかし家親は、その最中で暗殺されてしまう。 彼の暗殺を実行させた男は、当時は浦上家家臣であった宇喜多直家うきたなおいえであった。 

 直家は勇猛な家親との戦で味方の戦力が減るのを良しとせずに、鉄砲による暗殺を行ったのである。 この暗殺が成功し当主の家親が撃たれ死亡した為に、美作国や備前国に進出していた三村勢は兵を退かざる得なかった。

 すると直家はこの隙を逃さず攻勢に転じ、三村家が侵攻し抑えた美作国や備前国の領地を次々と攻め取っていく。 この働きによって宇喜多直家は、浦上家重臣へと出世した。

 だが三村家も、備中国の大半を僅かな期間で抑えた家である。 その誇りに掛けても、このまま泣き寝入りなどする筈もなかった。 父親の三村家親の死後、家督を継いだ嫡子の三村元親みむらもとちかを大将とした三村勢が家親の敵討ちと称して毛利家からの援軍と共に備前国へ侵攻した。

 この戦は、主戦場となった明善寺城から名を取り、【明善寺合戦】と呼ばれる様になる。 詳しい経緯は省くが、戦では宇喜多直家の働きが光り侵攻時の作戦を根本から覆されてしまった三村・毛利の連合勢が凡そ半数の兵で迎撃した宇喜多勢に敗れてしまった。

 この働きにより浦上家筆頭家臣となった直家は、この後は浦上家に対して下剋上を行う様になる。 その一方で敗れた三村・毛利勢はと言うと、大きな被害を受けつつもどうにか備中国へと舞い戻っていた。

 しかし、この負け戦が三村家に齎した影響は大きい。 今まで抑えていた備中国内の国人から、宇喜多家に走る様な者を出してしまったのである。 だがそれでも三村家は、後ろ盾である毛利家の支援もあって相応の勢力を備中国内に残していた。

 この後は度々、宇喜多家に付いた国人を討つべく元親は兵を派遣する。 しかし直家の派遣した援軍などに阻まれ、目的を果たす事が出来なかった。

 だがこの流れに、変化を齎す事案が発生する。 それは、毛利家と宇喜多家の間で結ばれた同盟であった。 嘗て一度は下剋上に失敗した直家であったが、彼自身の才を惜しんだ主君の浦上宗景うらがみむねかげが許した事で、浦上家への帰参が叶っていた。

 しかし直家は、諦めた訳ではない。 数年後、彼は再び宗景に反旗を翻すと、事前に調略していた美作国や備前国の国人、更には毛利家とも同盟を結び味方につけたのであった。

 なお宇喜多家と毛利家の同盟だが、毛利両川の一人である吉川元春きっかわもとはるは直家を信用できないと反対している。 しかし山陽の担当は宇喜多家との同盟に賛成の立場を取る小早川隆景こばやかわたかかげであった事から、彼の意見は退けられ宇喜多家と毛利家は同盟関係となったのであった。

 しかしこの同盟に怒りを表したのが、三村元親である。 直家が元親の父親である家親の敵である事は、毛利家が知らない筈がない。 それであるにも拘らず、宇喜多家と同盟を結んだのである。 しかも元親には、何の相談もなくだ。 だから、彼の怒りも当然と言えた。

 そこで元親は毛利家との関係を完全に断絶すると、独自に動き始める。 こうなってしまうと、今度は毛利家が困ってしまう。 毛利家には毛利家の思惑がある為、元親の勝手を許す訳にはいかなかったのだ。

 するとその状況を打破するべく、吉川元春が動く。 彼は単身三村家の居城である備中松山城を尋ねると、元親に面会を申し出る。 元親も彼の男意気を鑑み、面会には応じてたのであった。


「どうしてもだめか、修理進(三村元親)殿」

「例え駿河守(吉川元春)殿のお言葉なれど、出来ませぬ」


 元春は何とか元親の考えを翻意させるべく粘り強く説得を行ったが、元親は耳を貸さない。 幾日に及んだ説得であったが、最後まで元親が首を縦に振る事はなかった。

 最終的に元親と元春の交渉は不首尾に終わり、元春はやや肩を落として備中松山城を去る事となる。 こうなっては、毛利家としても黙ってはいられない。 程なく小早川隆景を大将とした毛利勢が組織されると、軍勢は備中国へ侵攻を開始した。

 攻め込まれた元親は必死に防戦したが、そもそも毛利家と三村家では国力が違いすぎる。 その他にも三村家は、叔父の三村親成みむらちかしげの離反などがあって数か月も経たないうちに徐々にだが追い込まれて行った。

 そんな頃、三村家に接触をしてきた者がいる。 それは、本多正信ほんだまさのぶにより派遣された六角家の忍びであった。 正信は備中国で兵乱が起きていたことは掴んでいたが、あくまで情報収集に留めている。 義頼にも報告はしていたが、特に動く事はしていなかったのである。 しかし信長の命により義頼が中国担当に決まると、正信は三村家に対して接触を図っていた。

 とは言え、伝手はない。 何とかしなければと考えた正信を助けたのは、義頼である。 彼は正信に、備中国国人の一家である平川家の存在を教えたのだ。

 と言うのも平川家が、佐々木氏の流れを汲む家だからである。 しかも平川家は、三村家に味方する国人である。 正に仲介としては、うってつけと言える。 早速正信は、平川家当主である平川久親ひらかわひさちかを通じて三村元親に繋ぎを取った。 

 この申し出だが、元親としても大変ありがたい申し出である。 此処で織田家の協力を得られれば、毛利勢を押し返せるかもしれないからだ。 元親は何とか織田勢の中国出陣まで粘ると決めたが、元々毛利家と三村家でいかんともしがたい力の差がある。 抵抗むなしく三村家は、居城の備中松山城に追い込まれてしまった。

 その頃には既に義頼の先発として山名堯熙やまなあきひろが播磨国入りをしているが、彼の軍勢だけで毛利勢を引かせるにはいささか心もとない。 事実、毛利勢が退く事はなかったのだ。


「流石は毛利……いや。 この場合は、小早川隆景か」

「どうする、修理進殿」

「…………叔父上。 此処は、再起に掛けたいと考えております」

「織田家か」

「ええ」


 城を枕に討ち死に。

 これも確かに、一つの結末と言える。 しかし元親としては、何としても直家に一矢報いたいと考えたのだ。 例え命が取れなかったとしても、心胆寒からしめるぐらいはせねば父親の墓前に報告も叶わない。 その思いが、泥を啜ってでも生き残ると言う選択をさせたのだ。

 甥であり三村家当主の言葉を聞いた三村正親みむらまさちかは、納得した様にゆっくりと頷く。 彼としても、直家は兄の敵である。 その直家と三村家に何の断りもなく手を結んだ毛利家よりは、まだ織田家の方がましの様に思えたからだ。

 またこの考えには叔父の正親だけでなく、副将格で義理の兄弟となる石川久式いしかわひさのりらも賛成している。 方針が決まると、正親や久式らは元親を落ち延びさせる策を練る。 やがて彼らが思いついた策とは、次の通りであった。

 毛利勢の目を誤魔化す為には、元親の影武者がどうしても必要となる。 そこで影武者の役は、正親が務める事となる。 彼が身代わりとなり敵味方の衆目を集めるうちに、元親は密かに城を脱出を図ると言う物であった。

 そして彼と同行するのは、嫡子の勝法師丸かつほうしまるや一門衆である三村親重みむらちかしげとその息子の三村親富みむらちかとみらとなる。 命を伝えられた親重と親富親子は、身命を賭して命を果たすつもりであった。

 やがて敵味方合わせて周りの状況も整い始めた頃、備中松山城に思いも掛けない者達が来訪する。 それは、百地泰光ももちやすみつが率いる伊賀衆である。 彼らは義頼より窮地に追い込まれた三村家から、せめて元親やその子を助けるべく派遣されたのであった。

 まさかここで例え少数とは言え救援が来るとは夢にも思ってみなかった三村家臣団は、大いに奮い立つ。 彼らは更に勇躍し、策をより確実に成功させるべく劣勢がどうしたとばかりに連日攻勢を掛ける。 家近十郎いえちかじゅうろうらと言った者達の犠牲も出たが、その甲斐あってか毛利家の忍び衆である外聞衆の目も含めて毛利勢の集める事に成功したのだ。


「殿。 どうやら、頃合いにございます」

「久式……それから叔父上を筆頭にそなたたちも、よくやってくれた」

『はっ』


 すっかり支度の終えた元親の言葉に、三村家家臣一同は言葉を返した。

 それから代表する形で、久式は義頼から派遣された伊賀衆に元親や嫡子の勝法師丸の事を頼む。 託された泰光もそれこそが義頼からの命であり、否などある筈もない。 万難を排して、必ずや義頼の元まで届ける旨を約束した。

 そんな泰光の言葉に頷くと、久式は立ち上がる。 続いて正親らが立ち上がり、広間から出ていく。 彼らは、元親が図る脱出を支援する為、毛利勢に更なる攻勢を掛ける。 そこに生まれるであろう隙をついて、元親達は備中松山城より落ち延びるのだ。

 果たして久式と正親による夜襲が行わる中、伊賀衆と共に元親らは脱出を行う。 被害をものともしない三村家の攻勢に少し驚いたが、そこは毛利両川の隆景だ。 彼は、確実に敵勢の迎撃を行う。 しかしそれ故に生まれた僅かな綻びをついて、元親らは備中松山城からの脱出に成功した。

 こうして何とか城を出た彼らは、義頼の派遣した伊賀衆と共に東を目指す。 元親らは備前国には向かわず、少し遠回りだが美作国に向かった。 宇喜多家の勢力が強い備前国を避けるとなれば、他に道はないからである。 最も美作国も宇喜多家の手は伸びているのだが、それでも備前国内に比べれば遥かにましであったのだ。

 だがもし泰光率いる伊賀衆の協力が無ければ、元親達は途中でどうなったかはわからない。 それぐらい、難儀な逃避行であった。 しかし伊賀衆の活躍もあり、元親の一行は多少の犠牲を払いつつも何とか美作国を抜ける。 そのまま播磨国内に入ると、彼らは何とか姫路城へ転がり込んだのであった。

 それは丁度、義頼が播磨国へ向かう直前の事である。 その頃には、姫路城には山名堯熙の他に長岡藤孝ながおかふじたかも入っていた。 そこで元親は、藤孝と面会をする。 実は元親には教養人としての顔もあり、その縁から藤孝と親交があったのだ。

 その後、百地泰光も含めて三村元親から事情を聴いた藤孝は急いで彼を保護したのである。

 因みに備中松山城に残った三村正親と石川久式らはと言うと、彼らに率いられた落城寸前まで抵抗を続ける。 しかし本丸近くまで攻め込まれると、二人は覚悟を決めたのであった。


「よいか。 我らは、ここで腹を切る」

「責は我らが負う。 そなたらは、我らの首を持って、降伏するのだ」

「左京亮(三村正親)様! 源左衛門(石川久式)様! まだまだ戦えます!」


 正親と久式の言葉に、田中直重たなかなおしげが声を張り上げる。 しかし、その言葉を聞いた二人は静かに首を振った。

 二人が切腹して責任を負うと言ったのには、理由がある。 正親と久式は、己達が全ての責を被る事でほかの家臣達を生き残らせるつもりなのである。 これは、落ち延び織田家の伝手を得て戻ってくるであろう三村元親に、一人でも多くの家臣を残す為であった。


「そなたらの命は、此処で散らすべきものではない。 何れは戻ってくる殿の為に、使うのだ」

「それでしたら、お二方も同じではありませぬか!」

「いや。 引き換えが無ければ、それもままならぬ」

「故に、我らが腹を切るのだ」


 揺るぎようのない何かが籠った声で、正親と久式が三村家の家臣達に理由を告げた。

 この決意の言葉を聞いては、彼らとしても二の句が継げない。 ならば、二人の遺志を継ぐ事こそが最善であると彼らは頷きあう。 そして各々に金打ちして、二人に対して誓いを立てる。 そんな彼らに対して小さく笑みを浮かべると、正親と久式は切腹した。

 間もなく介錯した二人の首と共に、残った三村家家臣は城門を開くと小早川隆景に降伏する。 此処に【備中兵乱】は終了したが、それは同時に織田家と毛利家の戦の幕開けとなったのであった。


ちょっとした内政と、ある食物の登場時期の前倒しです。

多分時間軸的に手に入っても不思議はない「筈」なので、登場させました。

(と言いつつタイトルと内容は、その事に全く触れていないと言う罠)


ご一読いただき、ありがとうございました。

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