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第百七十二話~石山合戦終結~

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第百七十二話~石山合戦終結~



 

 京の二条にある織田信長おだのぶながの屋敷、そこに佐久間信盛さくまのぶもりが派遣した使者が訪れる。使者となったのは、弟の佐久間信辰さくまのぶときであった。 

 織田家重臣となる佐久間信盛の弟で、しかも火急の使者と言うこともあってか直ぐに織田信長との面会が叶う。やや緊張しながら面会した佐久間信辰は、懐より織田信長宛の書状を取り出すと差し出した。すると文を手にした織田信長は、訝しげに眉を寄せながら書状を開く。読み進めていくうちに、彼の表情は怒りを含んだものへと変わっていった。

 しかし、それも当然であろう。書状に認められていたのが、先の顕如けんにょ追放劇のあらましだからだ。

 それでも織田信長は、怒りを抑えつつ最後まで書状に目を通す。文を読み終えると、酷く表情のない顔で佐久間信辰へ内容に相違ないかを尋ねる。問われた彼が少し恐縮しながらも肯定すると、織田信長はおもむろに立ち上がる。それから馬を用意させると、佐久間信辰へ先導する様に命じた。

 一瞬意味が分からなかったが、程なく彼は兄の佐久間信盛の元へ先導しろと言っていることに気付く。流石に問題はないのかと思わないでもなかったが、主君である織田信長の命では逆らえる筈もない。結局、佐久間信辰は乗ってきた馬に跨ると、先導した。

 織田信長の脇を固めるのは、母衣衆である生駒勝介(いこましょうのすけ)福富秀勝(ふくずみひでかつ)らである。こうして僅かな手勢と共に屋敷を出立した織田信長は、佐久間信盛の本陣へと向かったのであった。



 ところ変わり佐久間信盛の本陣、この地は若干の慌てと共に何とも言えない雰囲気に包まれていた。

 その理由は、佐久間信辰に先導させつつ決して多くはない母衣衆と共に突然現れた主君の存在にある。大将である佐久間信盛は無論のこと、塙直政ばんなおまさらといった石山本願寺攻めの諸将も幾ばくか狼狽ろうばいが隠せなかった。

 だがそれでも、慌てふためいているというほどではない。その理由は義頼にあり、彼からの知らせで佐久間信盛などの主要な者達だけでも織田信長の来訪を事前に察知出来たからだ。

 何故に知り得たのかというと、それは義頼は中国方面を任されるにあたって織田信長には佐治為次さじためつぐ率いる甲賀衆を、そして織田信忠おだのぶただへは滝野吉政たきのよしまさ率いる伊賀衆をそれぞれ護衛として密かに派遣しているからである。その二人のうち、織田信長の護衛を務める佐治為次からの知らせによるものであった。

 とはいえ、知らせがあってから時間があったという程でもない。義頼が急いで佐久間信盛に知らせ、続いて佐久間信盛の与力とされている諸将に通達するのが清一杯であった。

 それでも知っていれば、対応は違う。流石に石山本願寺の事情が事情であるから、全ての者が出迎えた訳ではない。それでも大将の佐久間信盛や、急遽追加派遣されていた義頼などが主君の来訪に対応していた。

 そして織田信長であるが、出迎えの挨拶もそこそこに佐久間信盛と義頼へ顕如を連れて来るようにと命じる。一応、顕如たちの身柄は義頼が預かっていたので、急いで顕如を連れて現れる。ただ、彼だけでなく下間頼龍しもつまらいりゅうも同行していたが、織田信長が気にした様子はなかった。 

 その顕如へ、酷く平坦な声で事態の経緯について敢えて尋ねる。すると顕如は、まず息子である教如きょうにょの行動について詫びを入れることで一応の筋を通した。その上で顕如は自身としては降伏の条件は遵守することを改めて約束し、その証として教如を義絶する旨を伝えた。


「であるか……良かろう。こたびの件について、その方に罪は問わん。だが、教如とその周りは赦免とはいかぬ。無論、分かっていような」

「……致し方ありません。参議(織田信長)殿の決定に従いましょう」


 どのような経緯があったとしても、息子は息子である。出来れば助けたいと思うのは、親としての心情であった。しかし約定を破り、現在の状況を導いたのは他ならぬ教如である。本人の意思かそれとも周りに担がれてかは分からないが、いかな理由があろうとも引き起こした事態に対しておさであれば責任を取らなければならないのだ。

 その結果が息子の死であろうとも、致し方ないと例え強引にでも思い込むしかなかった。

 そんな顕如の言葉を聞いた織田信長は、一つ頷くと視線を義頼へと向ける。そしていっそ厳かといっていいぐらいの雰囲気を醸しながら、ゆっくりと口を開いた。


「義頼。明日の日の出と共に、大砲で最後の合いの手を入れてやれ」

「……御意」


 出来うることならば、受けたくはなかった。

 いってしまえば、この様な事態を避けたいが為に織田信長へあの案を進言したのである。それも、今となってはせんなきことでしかない。織田信長より命が発せられた以上は、万難を排して行う他なかった。

 この後、陣へ戻った義頼は、石山本願寺攻めの準備を始める。その顔は酷く冷めており、およそ表情というものは見受けられなかった。

 そんな主の姿を見て本多正信ほんだまさのぶ沼田祐光ぬまたすけみつは、表情を歪める。義理とはいえ、甥となる教如に引導を渡す役目を請け負った義頼の心情をおもんばかってであった。

 しかしその主君が、敢えて何も言わずに命をこなそうとしている。 そうである以上、二人としても将として仕事に集中するよりなかった。

 その後、義頼は明日から行う戦の準備に対する一通りの命を与えた後である人物の元を訪れている。 その相手と言うのは、義姉である如春尼じょしゅんにであった。それは、こたびの事を自身の口からも伝える為である。石山本願寺に対する攻勢に関しては、顕如から知らされているであろう。しかしそれでも、義頼は姉とも母とも慕った如春尼に告げることを選んだのである。

 そして面会を申し込まれた如春尼だが、少しの間瞑目した後で取り次いだ下間仲孝しもつまなかたかに了承した旨を伝えていた。 程なく義姉弟は、約十八年ぶりとなる再会を果たす。だが幾ら義姉弟とは言え、十八年と言う月日は大きい。ましてや義姉弟と言う関係以前に、二人は己の息子を攻める相手とこれから攻める事となる敵の大将の母親ということになるのだ。

 その上、如春尼は輿入れした時よりさらに美しくなり、義頼は精悍な武者となっている。様々な物が絡み合い、二人の間には戸惑いと言うかなんとも表現しずらい雰囲気が漂っていた。

 果たしてどれくらい時が経っただろう、その場に横たわる戸惑いを取り払ったのは、如春尼である。 彼女は優し気な笑みを浮かべると、義頼へ尋ねた要件を促した。そんな義姉の様子は、おぼろげにだがいまだに覚えている幼き頃の義姉と変わりがないように思える。彼女はやはりあの義姉なのだと、義頼は妙なところで納得してしまった。

 しかし、そんな義頼の微笑も間もなくに消える。それから、悲し気と言うか憂いを帯びた表情を浮かべた。やはり、これから教如を攻めるということを如春尼へ告げるのは辛いものがある。だがそれよりも、本多正信や沼田祐光と考えた策がよりにもよって教如自身に蹴られてしまった事が義頼の気持ちに影を落としていたのだ。

 そんな義弟の様子を見て眉を顰めた如春尼であったが、やがて立ち上がると黙って義頼に近づく。その直後、彼女は包み込む様に義弟を腕の中に抱き締めていた。


「どうしたのです、義頼」

「……義姉上……泣き言を言ってもよろしいですか?」

「私も御仏に仕える身、お聞きしましょう」

「…………某が一向宗に対して行ったことは、全て無駄だったのでしょうか」


 如春尼も、そして顕如もこたびの講和に関する約定が義頼が進言した案を元にしているという旨は聞き及んでいる。決して優しくはないその内容であったが、既に織田信長の不倶戴天の敵となっていた一向宗を残す為にはそれも致し方ないと思えるだけの物ではあったのだ。

 だからこそ顕如は、講和の内容を全て受け入れる決断をしたのである。その決断に朝敵となるのを恐れたという理由はあったが、何もそれだけではないのだ。そんな夫の心うちを知るからこそ、如春尼も反対などしなかったのである。

 しかし、よりにもよって自分の息子が講和を反故にしてしまっている。その上、義頼が義理の甥となる教如の籠る石山本願寺を攻める事となったのだ。それでなくても義頼は、身内に少し甘いところがある。それは、嘗て義理とは言え姉として接していた如春尼の記憶にもあった。

 それも十八年と言う年の月日で変わってしまったかと思っていたが、先ほど見せた義頼の態度で懸念であると彼女は判断していた。


「義頼……いえ、鶴松丸。貴方は、成すべきことをしたと思います。たとえその結果が、思いの通りにいかなかったとしてもです」

「そうでしょうか」

「ええ。私が保証します」


 如春尼は、義頼へしっかりと告げる。それが、明日にでも己の息子を攻める相手であったとしてもだ。前述した通り、今回のことは教如に非がある。であるからこそ、義頼が家臣に対して迷いを見せるわけにはいかないのであろう。それ故に、彼は義姉である如春尼へ泣き言をつい漏らしてしまったのである。そんな義頼の気持ちがなんとなくでも分かったからこそ、彼女は義姉として義弟を励ましたのだ。


「それと鶴松丸。このようなことは、私ではなく奥方になさい。相手が違うと、私は思いますよ」

「義姉上!」


 思わずと言った感じで義頼が言葉を漏らすと、如春尼は口に手を当ててころころと微笑む。彼女はあえてからかうようなことを言って、義頼の気持ちを晴れるようにしたのだ。そんな義姉の気持ちを察したのだろうか、義頼は微苦笑を浮かべている。しかしそれも長くは続かず、彼は表情を引き締める。すると、如春尼もまた居住まいを正したのであった。


「義姉う……いえ、如春尼殿。ありがとうございます。それと明日になりますが、某は講和を破った石山本願寺を攻めます」


 先程までとは打って変わり、断固たる態度で義頼は言い放った。

 分かっていたとはいえ、悲しくはないと言えば嘘になる。その為であろう、僅かの間だが如春尼の表情が歪んだ。そして彼女は何かを言おうとしたが、ぐっと堪えるかのような仕草をしつつ口を閉ざす。それから少しの間を開けた後、如春尼は僅かに悲壮さを滲ませながらも確固たる表情を浮かべつつ改めて口を開いた。


「……そうですか…………ご武運をお祈りしています」

「はい。ありがとうございます。では」


 一つ頭を下げると、義頼は立ち上がった。

 そして武将らしく、堂々と如春尼と面会を果たした部屋を出て行く。そんな義弟の後ろ姿を見送った彼女は、手を合わせると一言呟いていた。


「義理とはいえ、叔父と甥が争うのですか……戦国の世の習いとは言え、悲しいことです。阿弥陀様、どうぞお救いください」



 明けて翌日、据えられた大砲全ての砲門が石山本願寺へと向けられていた。  

 そんな光景をじっと見ていた義頼の脳裏には、これから一向宗門徒が味わうであろう事象が沸いてはよぎっている。しかし既に織田信長の命と言う賽が振られており、もはや止めることなど不可能であった。

 義頼は一つ首を振ると、脳裏に浮かんだ情景を振り払う。そして石山本願寺を見定めると、全てを振り切るかのごとく腕を振り下ろした。

 その途端、一斉に砲弾が石山本願寺目掛けて吐き出される。大砲より打ち出された砲弾は、全てが命中した訳ではない。しかしそれなりの数が降り注ぎ、壁と建物と言わずに破壊を齎した。

 義頼としても、ここで容赦する気はもうない。下手に手心を加えては、またぞろ反抗をしかねないからだ。しかも織田信長より、全て織田家で物資は賄うとの言質も得ている。義頼は、釣る瓶打ちのごとく大砲から砲弾を放っていた。

 この攻勢に驚いたのは、石山本願寺に立て籠もる教如である。大砲の話自体は聞いていたが、まさかこれ程とは夢にも思っていなかったのだ。たった一撃で、城にも等しい石山本願寺外周の壁は破壊されている。建物もそれは同じであり、屋根を打ち抜いたかと思うとそのまま地面に降り注ぎ建物の土台ごと土と建材を辺りにまき散らしていた。

 そんな石山本願寺を襲っている情景に、教如は正に度肝を抜かれている。それと同時に、織田家の持つ実力をまざまざと見せつけられていた。一向宗側が精一杯の戦いを行っているというのに、敵である織田家は幾つか掛ける戦線の一つでしかない。勿論手を抜いていた訳でもないのは、敵将であった佐久間信盛が幾度となく戦を仕掛けてきた事でも分かる。しかし織田家が、この戦に全力を傾けていた訳ではないことがこの攻勢で証明されてしまったのだ。

 今まで戦を続けていたという自負を持っていた教如や下間融慶しもつまゆうけいであるから、そう簡単に負けるなどとは思っていなかったのである。だが、この戦は違う。敵勢が石山本願寺へ近づいてもいないのに、ほぼ一方的な攻撃を行っているのだ。

 このままでは何もできずに終わりを告げてしまう、いやもしかすれば今にも敵の放つ大砲の弾が己の身に降りかかるかもしれない。そんな恐怖に似た戦慄が、教如などの者達の背に走る。するとその時、一人の伝令が教如らの元へ飛び込んできた。


「ほ、法主様! 伊賀守(佐武義昌さたけよしまさ)殿と源四郎(的場昌長まとばまさなが)殿が、打って出られました」

「なっ! 誰がそのような命を出したっ!!」

「そ、それが……「このままでは負ける! 故に打って出る! 門を開けよ!!」と源四郎殿が……」


 慌てて教如や下間融慶らは、表に出ると打って出た雑賀衆を視界に収める。外に出れば砲弾による死亡も考えられたが、それは建物内に居ても同じであった。



 ひっきりなしといえる砲弾の攻撃に、織田家の紀伊攻めの後で石山本願寺へ入った雑賀衆の生き残りを率いる左武義昌と的場昌長は苦々しい顔をした。彼らは、銃の専門家である。であるからこそこのままでは、そう遠くないうちに壊滅させられることは想像に難くなかった。

 そこで的場昌長は、雑賀衆を率いて逆激することに全てを掛けたのである。大将を討ち、敵を混乱させる。さすればこの攻勢も止む、そう考えたのだ。

 決して勝機が高いとは言えない攻めだが、このままでは一発も打たずに負けかねない。佐武義昌もそう考え、彼に同意したのだ。何といっても時は一刻を争う、次の瞬間には教如などが亡くなっているかもしれないのである。なればここは独断でと、二人は強制的に門を開けさせると雑賀衆を率いて打って出たのであった。

 その様子は、義頼からも遠めに分かる。すると、一部の大砲の砲弾を通常弾から散砲弾へと変更させた。散砲弾は、敵兵が大砲に近づいてきた時に使用してその真価を発揮する近接用の砲弾である。発射の直後に小弾をまき散らすこの砲弾は、対人としては格別の威力を発揮した。   

 しかし引き換えに射程が短く、通常ではあまり使用できないと言うか意味がない。だが、敵兵が近づいてくるこの状況下においてはうってつけの砲弾であった。

 それと同時に義頼は、もう一つの新兵器投入を決断をする。それは、馬廻り衆の永原頼重ながはらよりしげが率いる、馬上筒を装備した騎馬鉄砲部隊であった。永原頼重の騎馬鉄砲部隊は、最前線を迂回すると側面に展開する。そこで、次の号令を待つのであった。 

 話を戻して雑賀衆を率いて打って出た佐武義昌と的場昌長はと言うと、真一文字に織田陣を目指している。しかし、見逃されるなどということはない。六角家の鉄砲奉行である杉谷善住坊すぎたにぜんじゅぼうは、雑賀衆目掛けて散砲弾が装填された大砲による砲撃をさせた。

 果たして散砲弾は目的の通りの効果を示し、少なくはない損傷を雑賀衆に与える。しかしそれでも、雑賀衆は止まらなかった。ならばと杉谷善住坊は、吉田重高よしだしげたかと図り敵勢を迎え撃つ体制に入る。その後まもなく、前線には鉄砲衆と弓衆による迎撃態勢が整っていた。

 すると次の瞬間、幾つもの火箭と矢が雑賀衆へと降り注いでいく。そうして放たれた火箭と矢は、何とか己の火縄銃の射程にまで入り込み弾を撃とうとしていた雑賀衆に襲い掛かっていった。

 程なく火箭と矢は、それこそ間断なく襲い掛かり、更なる損傷を雑賀衆へと齎す。そしてこの攻勢により、的場昌長は涅槃へと旅立っていった。それでもまだ雑賀衆には、佐武義昌がいる。彼は僅かでも勝機を見出そうと、火縄銃による狙撃を行おうとしていたがそれもかなわなかった。

 その理由は、永原頼重にある。彼が率いる騎馬鉄砲衆が、雑賀衆へ横撃を喰らわせたのだ。それでなくても、散砲弾と重厚な銃撃に青息吐息となっていた彼らである。そこに、銃撃を与えつつ騎馬が迫ってくるのだ。この攻勢を受け、ついに雑賀衆の士気は崩壊した。

 もはや雑賀衆は、軍としての体は成していない。そこに鉄砲騎馬衆が一撃を与えると、そのまま駆け抜けていく。そして彼らが消えた途端、またしても銃撃が再開された。 

 次々と打たれていく雑賀衆、その様な中で佐武義昌は最後の意地とばかりに一人の男に狙いを定める。それは、六角義頼ろっかくよしよりである。しかしその瞬間、佐武義昌は信じられない物を目にする。それは正に銃口の先で、己を狙い定めている相手が見えたからであった。

 驚きと共に、まさかと言う思いが彼の中を駆け巡る。そんな僅かな隙が、彼の命運を決定付けた。次の瞬間、佐武義昌の視界で何かが光った様に感じた後で目に熱いものを感じる。それこそ、彼が味わった最後の感覚であった。



 義頼は構えていた弓を下ろすと、小姓の水口正家みなくちまさいえに渡す。弓を受け取りながら彼は、不思議そうな顔をしていた。

 その理由は、義頼の行動にある。軍の指揮を取っていた義頼が一瞬身震いしたかと思うと、突然辺りを見回したのであ。それからある一方向を見定めると、愛弓の雷上動を寄越す様に言ってきたのだ。

 訳が分からないままも水口正家は忠実に命をこなし、雷上動を手渡す。それから流れるような仕草で弓を引き狙いを定めると、矢を躊躇いもなく放っていたからだ。

 義頼の行動の意味が理解できていない彼は、ただ呆気に取られているばかりである。そんな家臣を見て義頼は小さく苦笑いを浮かべると、彼に対して命を出したのであった。


「正家! 銃撃のあと、今一度鉄砲騎馬隊に攻勢を掛けさせるようにつたえよ」

「は? ぎ、御意!  直ちに伝令を出します」


 慌てて義頼から離れる家臣の背を一瞥した後、視線を最前線へと向ける。だが彼の体からは、嫌な汗が噴き出しているのを感じていた。

 実は佐武義昌が義頼への狙撃を敢行しようとしたその時、何とも言えない怖気おぞけのような物が彼の背中を走り抜けたのを感じたのである。その感覚は、以前鈴木重秀すずきしげひでから狙撃された時と同様の感覚であった。

 これは義頼の、悪運の良さと言ってもいいかも知れない。一度でも経験していたことで、彼の頭の中には狙撃の文字が浮かんだのだ。だからこそ自身が気になるままに、怖気の出どころを探したのだ。

 やがて義頼は、前方で鈍く僅かに光る何かを見咎める。その瞬間、水口正家に雷上動を渡すように命じていた。

 間もなく差し出された雷上動と矢を受け取ると、すぐに狙いを定める。それから一拍の後に放たれた矢は、正確に義昌の眼を貫くと頭蓋を貫通する。義頼より放たれた矢の矢じりは、地面に倒れ伏した義昌の後頭部より垣間見えていたのであった。


「流石は雑賀衆。 鈴木重秀の他にも、恐るべき者はいたのか」


 そう一言呟いた義頼であったが、その呟きは大砲が生み出す轟音と戦場の喧騒に消え、誰の耳へも届かなかったのであった。





 佐武義昌が戦場の露と消えた頃、雑賀衆の受けた損害を目の当たりにした教如は驚愕していた。

 石山本願寺へ残った雑賀衆は、いわば最後の切り札である。その切り札が、鎧袖一触がいしゅういっしょくとばかりに鏖殺おうさつされていく様は悪夢以外の何物でもなかった。

 多数の火縄銃を要する傭兵団としての雑賀衆を駆逐していくということは、即ち石山本願寺内に残っている一向宗門徒ではどうにもならないとうことの証左でもある。それでも長年に渡り織田勢の攻勢に耐えてきた石山本願寺があればどうにかなるという考えも、現在進行形で否定されているのだ。

 義頼の指揮の下で放たれる砲弾は、着弾する端から壁を建物を破壊し、そして一向宗門徒らを屠っている。その矛先が、いつなんどき自身に降りかかるかもわからないのだ。

 

「こ、これでは勝てぬ。先代の……いや、父上の判断は正しかったと言う事か」

「……法主様……」

「融慶……降伏の使者を出せ。拙僧らの戦いは、ここまでのようだ」

「…………承知致しました」


 悄然とした様子の教如が発した言葉を聞いた下間融慶は、苦渋の表情を浮かべつつも了承する。彼は下間頼俊しもつまらいしゅんを使者に仕立てると、織田家へと送り出した。

 たとえ不倶戴天の相手とはいえ、軍使は軍使である。 織田信長は、軍使の目通りを許した。その会合に、軍使たる下間頼俊は驚きのままに硬直してしまう。そんな彼に対して不敵な笑みを浮かべると、織田信長は要件を告げる様に声を掛けた。

 さも平然と声を掛けられたことで皮肉にも硬直が解けた下間頼俊は、慌てて懐より書状を取り出す。 それは教如直筆による、降伏の書状であった。

 表情を見せぬまま最後まで目を通した織田信長は、そこで漸く顔を上げる。その表情は、侮蔑で溢れていた。


「帝からの講和というこちらから差し出した手を払っておきながら、今さらになって降伏だと? 馬鹿も休み休み言え」

「さ、参議様。 どうか! どうかご慈悲を」


 下間頼俊は、縋り付かねない勢いで織田信長に許しを請う。しかし、その表情が変わることはない。まるで虫を払うかの様に本陣から追い出すと、万見重元まんみしげもとへ義頼の元に伝令として赴けと命じていた。

 すぐさま出立し、やがて到着した義頼の本陣で、万見重元は義頼と面会する。同席したのは義頼と、堀秀政ほりひでまさである。彼は軍監として、義頼の軍勢に合流していたのだ。

 

「殿よりの命を伝える。六角右少将義頼、いかなる慈悲も許さぬ。石山本願寺を、更地へと変えるのだ」

「……承知致しました」


 葛藤かそれとも違う何かか。

 義頼は万見重元より織田信長の命が伝えられたあと、僅かな間が空く。だが文字通り僅かな間でしかなく、次には了承していた。

 その後、本陣より使者が消えてから程なく、表情を消した義頼が立ち上がる。その様子に、堀秀政は少し心配そうな視線を向けた。彼も軍監としてこの場に居るが、堀秀政と義頼は何かと縁がある。年齢も数歳しか離れていない事もあり、相応な友人という関係でもある。だからこそ、義頼を心配したのだがそれはいらぬものであった。

 じっと前を見据えたその様子に、迷いとかいったものは感じられない。これならばと、堀秀政はもう何も言わない。そしてそれは、正鵠を得ていた。

 織田信長によって追い返された軍使がほうほうの体で石山本願寺へ入った事が確認されると、義頼は砲撃を再開させる。その砲撃に、容赦などは微塵も感じられない。本堂などといった石山本願寺の建築物が一掃されるまで、若しくは大砲が熱を帯びてそれ以上の砲撃を行うのが危険と感じられるぐらいまで砲弾を吐き出す事を止めようとしなかった。

 徹頭徹尾、正に苛烈なまでの砲撃に晒された石山本願寺は、一切合切のとまではいかなくとも殆どの建築物を破壊されてしまう。その段になって義頼は、漸く砲撃の停止を命じたのであった。

 砲撃が止むと、今までの轟音が嘘のように戦場がしんと静まり返る。そして織田信長はというと、砲撃が止むまでの間じっと経緯を眺めていた。


「ふむ……大分、手間が省けたな。築城の着手も早まるか? まぁ、いい。急ぐ案件でもない。それよりも、信盛」

「は、ははっ」

「後は任せる。顕如には、講和をしっかりと履行させろ」

「ぎ、御意!」


 凄まじいまでの砲撃に呆気に取られた様になっていた佐久間信盛に後を任せた織田信長は、さっさと京へと戻っていった。こうして最後の最後まで混沌とした様子を見せた織田家と石山本願寺の戦は、この時を持ってようやく終結したのであった。 



 さて新たな任務を受けた佐久間信盛はと言うと、彼はその命をしっかりとこなすべく邁進する。その裏で彼は、こたびの戦を見て一つ心に決めたことがあった。それは、自身の隠居である。石山本願寺との事実上の最終戦となったこの戦だが、決したのは大砲と火縄銃といっていい。弓衆による攻撃もあったが、それも含めて遠距離からの攻撃に終始しているといっていいだろう。そこには近接戦など、ほぼ存在しなかったのだ。


「時代は変わった……ということなのだろうな」


 彼とて、火縄銃を使った戦などは学んでいる。だからこそ【設楽ヶ原の戦い】でも、一翼を担ったのだ。しかし目の前で展開された戦は、とてもではないがついていけそうにもない。ならば石山本願寺との戦の勝利を有終の美として、一線から身を引くのも悪くはないと感じたのだ。

 一度心が決まれば、あとは楽な物である。この後、彼は積極的に役目を務めあげ、講和に関した全てを大過なく終えると織田信長へ隠居を申し出たのだ。

 そして織田信長としても、自分の息子である織田信忠おだのぶただが本当の意味で表に立った時の為、家臣の世代交代と言う刷新を考えていたのでこの申し出は都合がいい。少し考えたようなふりをしつつ、織田信長は佐久間信盛の隠居を認め息子の佐久間信栄さくまのぶひでへの家督相続を許した。

 その後、隠居した佐久間信盛は、茶などの趣味に没頭しつつ、悠々自適に晩年を過ごしたのであった。


石山合戦、終了致しました。

根切に近いですかね。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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