第百七十一話~教如の反旗~
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第百七十一話~教如の反旗~
近江国へと戻った義頼は、三男の寿亀丸へ六角承禎の用意した御守刀などを渡す。 その後は、鶴松丸や結姫とも親子の触れ合いを行った。
都合七日ほど、近江国に滞在した義頼だったが、その後は三雲賢持と共に伊賀国へと移動している。 その理由は、新式の銃である馬上筒にある。 既に試験等は終わった代物であり、問題なく実用可能な状態にあった。
全長は二尺弱であり、重さも左程ではない。 そして口径は、五匁ぐらいであった。
早速、義頼は馬上筒を撃ってみる事にする。 試作の段階では幾らか試し打ちを行ったが、正式の物は初めてであった。 と言うのも、本来であれば今回の播磨国遠征には間に合わなかった筈だからである。 しかし上杉謙信迎撃の為、急遽能登国へ向かった事で、時間的余裕が生まれ相応数を揃える事が出来たのだ。
逆に言えばそれだけしかないのだが、ある意味では都合がいいとも言える。 馬上筒は、まだ実戦で使用された事のない銃である。 試験上は問題がないとされただけでしかなく、実戦に耐えうるかどうかの試験を行った訳ではないのだ。
さて馬上筒であるが、この銃は銃身が短い為に射程は通常の火縄銃と比較すれば短い。 しかし馬上筒は、名が示す通り馬の上から放つ物である。 一般的な火縄銃の様に、距離が置かれた状況で使用するものではない。 敵とある程度近接してから放つ火縄銃であるので、その様に考えれば十分な代物であった。
手応えは決して悪くはない馬上筒に小さく笑みを浮かべた義頼は、次弾を装填させる為に馬上筒を賢持へ渡す。 そこで賢持は、紙で包まれた物を取り出す。 それは、馬上筒の口径に合わせて作られた早合であった。
早合を使って発射の手順を素早く終えた賢持は、義頼へ馬上筒を渡す。 受け取った義頼は引き金を引いて、再び弾丸を発射したのであった。
「賢持。 早合も完成していたのか」
「はい。 それと、各口径に合わせて取り揃えております」
義頼の言葉に、賢持は頷いてから答えていた。
なお、賢持が言った通り早合は口径に合わせて幾種類か存在している。 結果として数は増えるが、致し方ない問題であった。
その後、義頼も早合を使い次弾を装填する。 最も義頼は知らないが、賢持より多少だが装填に時間が掛かっている。 ただこちらは慣れの問題であり、何れは変わらぬか賢持以上の速さで装填が可能になるのは間違いなかった。
それは兎も角として義頼であるが、彼は馬上筒に弾丸を装填しつつも疾風を連れて来る様に命じる。 程なく現れた愛馬にまたがると、疾風を的へ向かって駆けさせた。
やがて接近した的へ目掛けて、引き金を引く。 よどみなく発射された弾丸は、真中とはいかないまでも確り的へと着弾する。
まずまずと言った成果に、義頼は小さく笑みを浮かべながら賢持の元へと戻った。
「よし、賢持。 馬上筒は持っていくぞ。 毛利との戦で確かめよう」
「ならば、こちらもお持ちください」
そう言って、賢持は台の上に丈夫な太い紐の様な物を置く。 注目する点は、途中途中に小さな筒状の物が幾つかある事であった。 不思議そうにしながら、義頼は視線を賢持に向ける。 すると、賢持は説明を始めた。
その説明によると、これは早合の為の物である。 結われた筒に、あらかじめ早合を仕込んでおいて襷掛けにして持ち歩く為に作成したものである。
三雲賢持曰く、襷早合と言う代物であった。
こちらの襷早合も、火縄銃の口径によって幾つか作成してある。 火縄銃に比べれば簡単に作る事が出来るので、結構な数が保管されていた。
その事を聞いた義頼は、そちらも馬上筒と共に襷早合を播磨国へ持っていく旨を伝える。 それから襷早合を肩から掛けると、馬上筒へ装填する。 そして先ほどと同じ様に的へ目掛けて愛馬を掛けさせると、馬上筒から発砲する。 すると弾丸は、先ほどより中心に近い場所へ着弾した。
その事を脇目で確認しながら駆け抜けた義頼は、疾風を止めると襷早合の一つから次弾を装填する。 装填を終えると、的へ馬で近づきつつ発砲して命中させた。
先ほどと同様にそのまま駆け抜けると、馬を止めて早合を使う 装弾を終えると、馬上筒を的へと構える。 しかし発砲はせず、そのまま銃口を上へと向けた。
「……ふむ……悪くはない。 こちらも、実戦での使い心地を確かめるとしよう」
「承知致しました。 急ぎ、この襷早合も用意します」
「襷早合とは、その名か……うむ、良き名だな……おうそうだ、賢持。 その方も、播磨に来い」
「……は?」
いきなり言われて、賢持は思わず声を上げる。 それぐらい、主の言葉は彼にとって唐突だった。
しかし義頼も、考えなしに誘ったわけではない。 彼なりの考えで、賢持を連れて行こうと言い出したのである。 その考えとは、実際に運用するところを見せる為であった。
試験は試験でしかなく、本来の目的に実際に使用した場合とはどうしても違いが出来る。 その違い自体が大きいか小さいかは別として、実際に使用している状態を開発や改良に携わっている賢持へ見せる事自体が有効ではと考えたからだ。
またこの事は、賢持としてもありがたいと言える。 伝聞に聞く事と自分の目で見る事とでは、あからさまに違いが出てくる。 特に運用に関しては、是非とも己自身で確認してみたいことでもあったからだ。
「どうだ?」
「よ、よろしくお願いします! 殿っ!!」
「お、おう」
思った以上の食い付きに、思わず義頼は気圧されてしまう。
その後、数日掛けて全ての用意を整えた賢持より馬上筒と襷早合を受け取った義頼は、伊賀国内に残っている一部の伊賀衆に護衛させて京に向かう為に出立しようとした。 しかしその直前、急使が義頼の元に飛び込んでくる。 それは、京に残している本多正信からの使者であった。
京で何かあったのかと疑った義頼だったが、それはある意味で正解である。 と言うのも、石山本願寺に対する朝廷の答えが出たからであった。
そんな使者の言葉に、義頼は驚きを露わにする。 まさかこんなにも早く、事態が動くとは考えていなかったからだ。 義頼自身としては、朝廷が答えを出すまで一月か二月は掛かると踏んでいたのである。 だからこそ、正信を京へ残す判断をしたのだ。
しかしこれはある意味で、義頼の判断が甘かったと言える。 義頼や承禎が動かした公家の面々を考えれば、答えが出るまでの時間が短かったのも左程不思議な事ではなかった
近衛家や二条家の様な摂関家、転輪法三条家や徳大寺家や久我家や菊亭家(今出川家)と言った清華家。 正親町三条家や三条西家や中院家と言った大臣家、庭田家や中院家と言った羽林家など錚々たる者達が動いている。 早期に話し合いがもたれ、そして結論も早くなるのは当然とも言えた。
それにこの講和は、朝廷にとっても都合がいい話なのである。 織田家と石山本願寺の争いは、畿内に残った最後の戦である。 この戦さへ静まれば、【応仁の乱】以降何かと騒乱が絶えなかった畿内に平穏が訪れるのだからだ。
この様に織田家側の意向や朝廷側の考えなどが絡み出された判断だが、早いに越したことはない。 京の勝龍寺城へと向かう一行については、三雲賢持と馬廻り衆の田原武久と母衣衆の北畠具房に任せる。 そして義頼は、彼らから先行して京を目指した。
使用したのは、旧東海道である。 と言っても、都がまだ大和国内にあった頃の東海道である。 何であれこの街道を使って義頼は、伊賀国から大和国を経由して京へと向かったのであった。
やがて京に到着すると、その足で六角堂近くにある六角承禎の屋敷へと向かう。 到着した屋敷で義頼は、兄の承禎と正信に面会した。
面会を果たした義頼は、二人から書状が渡される。 そこに書かれていたのは、顕如と取り交わす条件に付いてであった。 いまさら何をと訝しげな顔をした義頼だが、ふとある事に気付く。 何と、条件に追加がある。 それは、一向宗門徒に対する赦免であった。
実はこの条件、信長が追加させたものである。 義頼が最初に提示した条件には、無かったものであった。
「兄上。 この条件ですが」
「ああ、それか。 参議(織田信長)殿が、急遽追加をしたのだ」
「何故でしょう」
義頼は、不思議そうな顔をした。
それは、そうだろう。 一向宗の最上位である法主の顕如と朝廷を介する形とは言え、事実上の降伏と取れる講和を結ぶのだから。
今更、一向宗門徒の赦免が必要とは考えずらいからである。 するとその疑問には、苦笑を浮かべながら正信が答えていた。
「それは恐らく、先を考えての事かと」
「先? 先とは何だ正信」
「顕如殿を抑えても、地方の一向宗門徒が従うとは限りません。 そこで、勅命をも使って抑え込むつもりかと愚考します」
「……それでも逆らいし時は?」
「殲滅するおつもりでしょう。 大殿(織田信長)は」
予想した通りの言葉を、やや小さいながらもきっぱりと間髪入れずに正信は言い放った。
帝の勅命と一向宗法主の言葉に逆らったのだから、その様な結末を迎えたとしてもそれは自業自得である。 赦免と言う手を差し伸べたにも拘らず、その手を振り払ったのだから致し方ないと言えた。
「流石と言うか何と言うか……」
「確かにな」
正信からの言葉を聞いて漏らした義頼の言葉に、承禎もまた同意したのであった。
さて石山本願寺との講和についてであるが、表に立つのは朝廷となる。 勅命が出る以上、当然の仕儀であった。
勅使となるのは勧修寺晴豊と庭田重保、そして今までの経緯から六角承禎が任命される。 勅使の三人は、用意が整うと京より出立して石山本願寺へと向かった。
なお、勅使が向かう事は既に石山本願寺へ通達されている。 その点に関しては、遺漏などあるはずもなかった。
程なくして到着した勅使は、石山本願寺の門の前で出迎えを受ける。 三人を出迎えたのは、下間頼廉であった。
彼に先導されて、勅使の一行は石山本願寺内へと入っていく。 そんな彼ら一行の目に、立て籠もる一向宗門徒の姿が飛び込んできた。 門徒らは疲弊しているらしく、勅使が通って行くのを気にしている様子はない。 それ以上に痩せこけており、正直なところ彼らは動くのが億劫であったのだ。
そんな門徒達を、眉を寄せながら見つつも勅使は建物の中へと案内される。 一室へ通された一行は、そこで暫く待たされた。 やがて、勧修寺晴豊と庭田重保と六角承禎の三人が別室に案内される。 勅使である彼らが上座に通された部屋には、顕如を筆頭に息子の教如などの一門衆。 そして、重臣の下間氏の者などが揃っていた。
そんな部屋の中であるが、緊張感すら漂っている。 その様な重苦しい雰囲気の中、承禎が懐より取り出した勅書を読み上げた。
列挙された条件は前述の通りであり、変更はない。 とは言え、拙速に返答と言う訳にもいかない。 勅使である三人もその辺りの事情は考慮しており、数日以内の返答を求めるに留めていた。
その後、勅使が帰った部屋に残った一向宗の幹部達は如何にするべきかの話し合いに入る。 法主である顕如は厳しい条件であろうが受け入れるつもりであった。 顕如がその気である以上、反対はないと思われたがそうとはならなかった。 よりにもよって、顕如の嫡子である教如が反対したのである。 そればかりか、下間融慶までもが教如に同意したのだ。
まさか次期法主と言うべき息子と老臣の域にある融慶が反対するとは思ってもみなかった顕如は、驚きを露わにした。
そもそも此度の講和を働き掛けたのは、顕如ら一向宗側である。 そして持ち掛けられた講和条件には、門徒の総赦免までもが記されていた。
更には、宗祖たる親鸞の廟所がかつてあった大谷に寺の再建までもが記されている。 何より、帝の勅命まで出ている。 総合的に厳しい条件であったとしても、受け入れないという選択肢がある筈がなかったからだ。
第一、勅命に反対した時点で一向宗は恐らくは朝敵となる。 これは事実上の最後通告に等しく、そうなれば国内において迫害の対象となる事は想像に難くない。 一向宗を束ねる者達であるからこそ、そんな選択が出来はしないと思っていたからだ。
だが、実際にはこうして教如と融慶が反対している。 最早近隣に味方などなく、その現実をあまりにも直視していない二人の反応に怒りを覚えた顕如は、息子と融慶へ追い払うかの様に冷たく退席を命じた。
そんな顕如の態度に、教如は怒りを覚える。 だが拳を握り締めて我慢すると、融慶と共に部屋から出て行った。 二人が消えた後は、明確に反対している者はいなくなる。 しかし消極的な反対者もおり、この後の協議は彼らの説得に時間が費やされた。
最終的に彼らが不承不承ながらも条件全てを受け入れる事に応を示した事で、数日に渡った協議も終わりを見せる。 異見が纏まると、顕如の意向を受けて数名が石山本願寺を出ると勅使の元へと向かった。
石山本願寺を出た彼らは、勅使の元へと向かう途中で見慣れないものを見かける。 それは、信長の命で展開した義頼が軍勢と共に持ち込んだ大砲であった。 その大砲は、砲門全てを石山本願寺へ向けて鎮座している。 何とも言えない迫力に使者の一人であった下間頼廉は、思わず息を飲んだ程であった。
「……あれが、噂の大砲か」
「頼廉様。 何とも言えぬ、雰囲気を持ちますな」
「うむ頼龍……確かにな」
武田勢を、そして上杉勢を押し留めたと言う話は頼廉達も伝え聞いている。 話半分と思っていたのだが、己の目で見ればあながち嘘ではないのかと考えていた。
そんな大砲を遠めに見つつも勅使と再度会った彼らは、織田家の石山本願寺攻め大将である佐久間信盛や急遽派遣された義頼が立ち会う中、講和条件全てを受け入れる誓詞を差し出す。 書状を交わした石山本願寺側の使者は、小さく笑みを浮かべた。 これで漸く、長い戦が終わりだと考えたからである。 あとは実行に移すのみであり、その為にも頼廉達は急いで石山本願へと戻った。
しかし話は、そう簡単には終わりを見せなかったのである。 頼廉達が石山本願寺まであと少しまで近づいた頃、何故か山門が開いていく。 やがてある程度開くと、そこから幾人かの者達が出てきたのだ。
始めは出迎えかと思ったのだが、それにしては様子がおかしい。 その事を証明するかの様に、石山本願寺の壁の上には多数の人影が確認できた。 その人影だが、全員が火縄銃を持っている。 構えてこそいないが、彼らから殺気の様な物を感じて頼廉は立ち止まった。
一体全体何が起きたのかも分からないまま立ち止まっていると、先ほど山門から出て来た者達が近づいてくる。 その者達は何と、顕如達であった。 一団には顕如の他に、妻の如春尼や下間頼宗や平井越後守や八木駿河守といった者達が居た。
慌てて駆け寄ると、顕如は駆け寄って来た頼廉を見てから視線を石山本願寺の山門の上へと移す。 その視線を追って視線を向けると、そこには数名の人影があった。
よく見れば、そこには教如の姿がある。 他にも下間融慶や下間頼俊、そして粟津元隅 (あわつもとずみ)と言った者達が居た。
「聞けいっ! 仏敵に組みしようとするわが父とその一党は、一向宗門徒に非ず。 故に本願寺十二世、教如の名において追放する。 何処へと、消えるがいいっ!」
一方的に宣言すると、教如は山門の上から消えた。
いきなりの事に頼廉達は、二の句が継げない。 それも当然だろう、 まさか教如が父親を追放するなど、想像もしていなかったからだ。
そんな中、下間仲孝の受けた衝撃は大きい。 己の兄が顕如の追放などと言った愚挙に加担するとは、夢にも思っていなかったからである。 彼は膝から崩れ落ちると、手を地面につけて項垂れてしまった。
そんな仲孝の肩に、手を置いた者が二人居る。 それは、顕如と如春尼であった。 己の肩に手を置く二人を見た仲孝は、思わず今の自分を恥じた。 顕如と如春尼は、息子である教如に捕らえられた上、石山本願寺から追い出されたのである。 二人が負った境遇に比べれば、自分の身に降りかかった事など小さい様に感じられたからだ。
その途端、仲孝の足に力が入る。 彼はゆっくりと立ち上がると、顕如と如春尼に頭を下げた。 そんな仲孝の様子に、二人は笑みを浮かべる。 それから顕如は、ゆっくりと口を開いた。
「この場に居ても、最早どうにもなりません。 真に断腸の思いですが、移動します」
「顕如様、どちらへ向かわれますのでしょう」
「……六角殿のところへ参ります」
暫く視線を巡らせた後で、顕如は隅立て四つ目の旗印が翻る軍勢へと踏み出すのであった。
この様子は、石山本願寺を囲む様に展開している織田家の軍勢からも見て取れた。
最も遠目であり、詳細な事は分からない。 分かっているのは、石山本願寺から何名かの者が出てきた事と頼廉達が駆け寄ったぐらいであった。
そんな状況を伝え聞いた義頼は、訝しげな顔をする。 しかしこのままでは分かる筈もなく、彼は望月吉棟に命じて、甲賀衆を派遣させた。
程なくして彼らと接触した甲賀衆は驚くが、何とか表には出さずにいる。 一行の中に顕如と如春尼が居た事を考えれば、流石と言えた。
それはそれとして顕如らを保護した甲賀衆は、六角勢の本陣へと彼らを連れていく。 やがて到着した彼らに会った義頼は、複雑な顔をした。 その理由は、如春尼である。 義姉とも慕った彼女が輿入れ以来の再会が、このような形になるとは想像だにしていなかったからだ。
とは言え、事情を聴かない訳にはいかない。 そこで義頼は、佐久間信盛へ伝令を出してそちらへ向かう事を連絡する。 その上で、顕如達を藍母衣衆と共に護衛して信盛の本陣を訪問した。
義頼ら一行が信盛の本陣へ到着すると、顕如は一つ大きく息を吸う。 それからゆっくりと、彼らへ事情を説明したのであった。
話は、下間頼廉ら顕如の側近が石山本願寺を出た頃まで遡る。
講和条約締結の為に頼廉達が顕如の近くを離れた事を千載一遇の好機と捕らえた彼らが、行動に出たのだ。
下間融慶ら考えを同じとする同士達と語り合った教如は、織田家に降伏する事を良しとしなかった元雑賀衆の者と共に実父である顕如を捕らえたのである。 その他にも、実母である如春尼や顕如の側近達も同様に捕らえた教如は、頼廉達が戻ってくる時節を見計らって石山本願寺より放逐したのだ。
流石に父親や母親の命は取りたくなかったので、法主の強制退位の後に放逐という形に留めていた。
それからは、見ての通りである。 石山本願寺より放逐された顕如は、頼廉らと共に佐久間信盛よりはまだ信用できる義頼の元へと向かう。 その途中で甲賀衆に保護され、義頼の元へと到着したという仕儀であった。
「……つまりは顕如殿。 そなたの息子は、約定を反故にしたと言う事だな」
事情の説明を終えた頃合いを見計らって、義頼が確認する様に顕如へと問い掛けた。
問われた顕如は、苦虫を大量に噛み潰したかの様な表情をしたままゆっくりと頷く。 その途端、殆ど表情がなかった義頼の顔が怒りに歪んだ。
「ふざけるな! 折角の策を潰しやがって!!」
『と、殿! 落ち着いてください!』
「落ち着けだとっ! 正信! 祐光! あいつは……教如は、知恵を絞って捻り出した生き残れる道を態々潰したんだぞっ!」
本多正信と沼田祐光が止め様としたが、こと武にかけては義頼の方が遥かに上である。 ましてや通常では考えられないぐらい激昂している状態であり、二人では到底止める事など叶わなかった。
また信盛も普段は見られない義頼の態度を見て、呆気にとられている。 そしてそれは、同席している信盛の息子の佐久間信栄や塙直政と言った織田家家臣もまた同じであった。
普段は温厚と言うか、穏やかと言うかどちらにしろ荒い印象を同僚から持たれないのである。 そんな義頼が激昂し言葉を荒げている姿など、殆ど目にした者などいないと言ってよかった。
結局、義頼を止めたのは柳生宗厳ら藍母衣衆である。 流石に宗厳や可児吉長らなどといった豪の者が、それも複数が相手では幾ら義頼とてどうにもならなかったのだ。
彼らに止められた義頼は、何とか話を出来るぐらいまでは落ち着く。 だがまだ怒りが収まった訳ではなく、苛立たしげな表情を浮かべていた。
そんな義頼とは対照的に、織田家の他の者達はひどく冷静である。 普段とは真逆の態度を義頼が取った事で、逆に冷静になってしまったからであった。
「あー、まぁ兎に角だ右少将(六角義頼)殿。 先ずは、殿にお伺いを立ててみよう」
「……わかりました。 駿河守(佐久間信盛)殿にお任せします」
「うむ。 それと、顕如殿も宜しいな」
良いも悪いも、今の顕如には頷くしかない。
教如が思いもよらない行動を起こしてしまった以上、己が織田家と行動を共にするという態度を信長へ示さねばならないからだ。
そんな顕如の思惑は一先ず置いておくとして、顕如からも言質を取った信盛は今起きてることを認めた書状を持たせて京に居る信長へ使者を送り出したのであった。
教如、大暴走の巻。
ご一読いただき、ありがとうございました。




