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第百六十八話~戦乱終結~

第百六十八話~戦乱終結~



 さて、石動山に駐屯していた筈の遊佐続光ゆさつぐみつらが何故にこの場に現れたのか。 その理由は、河田長親かわだながちかの撤収にあった。 彼は撤退を行う際に、策を用いて撤退している。 それは、元能登畠山家家臣であった彼らの返り忠による追撃を防ぐ為であった。

 この様な思惑から夜陰に紛れつつ撤退に移った長親だが、彼は本陣の幕や篝火などには一切手を付けずに撤収している。 そればかりか、簡単な案山子かかしまで作成して置いて行くほどであった。

 近くで見れば案山子と直ぐに分かる様な出来だが、篝火の光で闇に浮かぶ影としてならば十分にごまかせる。 そんな、案山子であった。

 まさかあの上杉の者が、そんな物まで作り撤収に移ったなど夢にも思っていない続光達である。 彼らは、長親が密かに行わせていた行動など気付いてもいなかった。

 彼らの後方にある上杉の陣がもぬけの殻になっているなど知る由もない元能登畠山家臣達は、何事もなかったかの様に翌日を迎える。 その日は、朝からもやに覆われていた。 

 日の出の後、目が覚めた続光は陣を出て七尾城の方を見る。 しかし七尾城ももやに隠れ、ぼんやりと姿を確認出来るぐらいである。 そしてもやは石動山にもたなびいており、視界はいい方では無い。 とてもではないが、戦など無理な状況であった。

 最も、上杉謙信うえすぎけんしんが本隊を率いて能登国を南下して以来、七尾城との間に小競り合いすら起こっていない。 ただ睨み合って、対陣しているだけに過ぎなかった。

 しかし、それも当然ではある。 石動山に駐屯している上杉と元能登畠山家家臣が率いる兵の方が多いが、七尾城の堅城ぶりは伊達ではない。 この兵力で七尾城を攻めても、そう簡単に落とせるような城ではないのが予測できるのだ。

 どの道、七尾城攻めは謙信率いる上杉の本隊が戻ってからと言う事になっている。 手柄がいらないと言えば嘘となるが、無理に攻める気も彼を筆頭とする上杉家に降った能登国人には無かったのであった。

 特に何をするでもなく七尾城をそして周りを眺めている続光であったが、彼の後方から近づいて来る音がある。 鎧がすれる様なその音に気付いた彼は、後ろを振り向いた。

 始めは人影だけであったが、やがて姿形がはっきりと見えて来る。 それは、彼の嫡子である遊佐盛光ゆさもりみつであった。 その盛光だが、彼は慌てた風に続光へと駆け寄って来る。 そんな息子の様子に、彼は訝しげな顔をした。


「何があった盛光。 その様に慌てて」

「た、大変にございます父上! 上杉勢が、豊前様が……河田様がおりませんっ!!」

「……は? 馬鹿も休み休み言え。 何で、豊前様が居ないのだ!」

「父上も来てみれば分かります!」


 慌てた様子そのままに、盛光は父親の腕を取る。 そんな息子に何かを感じたのか、続光は急ぎ走り出していた。

 程なく河田長親の陣に到着した続光の視界に、見慣れた数人が写る。 それは彼と行動を共にして上杉家に降伏した温井景隆ぬくいかげたかや、景隆の弟である三宅長盛みやけながもりらであった。

 しかも彼らは、走って来る続光にも気付かずに居る。 何とはなしに嫌な予感に囚われた続光は、その勢いのまま陣内へと分け入った。 その直後、彼の目に入ったのは人っ子一人いない陣である。 焚かれていた篝火の灯は消えており、薄く煙をたなびかせている。 そして人の代りとばかりに、出来の悪い案山子が立ち並ぶだけであった。

 続光には、何の目的があって案山子などが幾つも立てられているのか見当もつかない。 それは、景隆や長盛や盛光も同様である。 長親の陣の様子に、続光達は首を傾げていた。

 だが、考えたからと言って分かる物ではない。 上杉勢に何かあったのかと想像してはいるが、その何かが分からないのだからどう仕様もない。 しかしそれ以上に、問題があった。

 喫緊の問題としては、長親率いる上杉勢が居ない現状を七尾城に知られない事である。 今まで彼らは、石動山に上杉勢が居るから此方へ攻めずに七尾城に篭城していたのである。 もしこの事が知られれば、長続連ちょうつぐつらや松波義親が攻めて来るのは必須であった。

 かと言って、此方から攻めるのも論外である。 相手は、七尾城と言う要害に籠っているのだ。 畠山春王丸はたけやまはるおうまるから離反した者達だけでは、到底落とせる城でもない。 逆に返り討ちとなるのは、明白だった。

 しかしこのままでは、何れ七尾城にも石動山の状況は知られてしまう。 その前に、手を打つ必要があった。 するとその時、続光が一つの手を考える。 それは、降伏であった。

 だが続光達は、現能登畠山家当主である春王丸の暗殺を実行した経緯がある。 だがその暗殺も、長家や松波畠山家の者達によって防がれてしまっていた。 そこにのこのこ現れて降伏などと言い出しても、受け入れられる可能性などほぼ無いに等しい。 それ故に彼らは、降伏に反対する。 しかし続光は、横に数度首を振ってから言葉を続けた。

 彼とて、その様な事は分かっている。 だから降伏するのは、能登畠山家では無く織田家である。 能登畠山家の援軍である軍勢、その軍勢を率いる義頼に降伏するのだ。 しかし必ずしも、続光達が生き残る成功率が高いと言う訳ではない。 それでも、七尾城に籠る能登畠山家に出向き彼の家に降伏する、という選択肢よりも幾らかましと言えた。

 この説明に、景隆達も頷き了承した。

 やはり彼らとしても、生き残りたい。 ならば、少しでも生き残る可能性が高い方へ掛けるのは当然の行為なのだ。 彼らは、先ず情報を集める。 特に上杉勢の行方と、義頼の軍勢の動向に重点を置いた。 その間にも、七尾城への警戒は密にする。 また幸いと言うか、上杉家の旗は残っているのでその旗も利用する。 攻める事さえしなければ、そこにいる様に見せ掛ける事は出来るのだ。

 取り敢えず考えうるだけの手を打った続光達だが、内心では苛々としている。 その事を表す様に、貧乏ゆすりをする者や何かにせき立てられるかの様に陣内を歩き回る者など誰もが落ち着きが無かった。

 やがて、その様なじりじりとした焦燥感にさいなまれている彼らの元に、漸く情報が齎される。 時間にすれば半日ほどであろうか、待ちに待った情報を続光達は貪る様に聞く。 そしてその内容に、彼らは絶叫した。

 何と、上杉謙信が負けたと言うのだ。

 憔悴した表情で報告をして来た池田大炊助いけだおおいのすけに主である遊佐続光が再度確認するが、彼は力なく同じ答えを口にするだけである。 その様子に、続光や景隆などは嘘偽りなど無い事を心ならずも確認してしまった。

 衝撃の報告に立ちあがっていた彼らは、一人また一人と力なく床几に座っていく。 やがて全員が座ったが、暫くの間は誰も口を開かなかった。

 本陣に、静かな時間が流れて行く。 その静寂を、続光が破った。 彼はゆっくりと確認する様に、降伏する旨を温井景隆や三宅長盛らに言う。 すると、誰もが力なく頷いていた。

 この様な事態となってしまった以上、彼らには討ち死にするか降伏するかぐらいの選択しか無い。 一応逐電すると言う選択もあるが、彼らは始めからその気はない。 逐電したとしても、能登国へ復帰できる可能性もそして一族再興の可能性も低いからだ。

 その様な理由から降伏で意見を纏めると、彼らは石動山を下山する。 七尾城への牽制の為、旗や陣幕などはそのまま残しての下山であった。 やがて街道に出た彼らは、そこで駐屯して義頼の軍勢を待つ。 降伏は事前に話し合った通り、織田家へするつもりだからだ。

 やがて現れた義頼の軍勢から、藤林保豊ふじばやしやすとよ率いる伊賀衆が斥候に現れる。 すると、遊佐続光や温井景隆や三宅長盛が保豊に対して面会を求めた。

 此処に来てまさかの登場に、保豊も訝しがる。 しかし、ここで義頼率いる軍勢の者に続光らの名前を出した事が逆に信用となった。 能登畠山家救援の為に能登国へ派遣された義頼に、対立してる筈の彼らの名前を出す利点が無いからである。 不意打ちや策に嵌めるぐらいであるならば、そもそも続光らの名前を出す必要が無い。 それならば、中立の能登国人を装う筈なのだ。

 その様な理由から一応は信じられた彼らは、義頼との面会を果たす。 そこで代表する形で、続光が降伏の意思を伝えた。

 遊佐家は能登国守護代の家柄であり、能登畠山家家臣筆頭とも言える家である。 その様な経緯から、極自然な形で彼が上杉家に降伏した元能登畠山家家臣を代表する形となったのだ。

 続光からの口上を聞いた義頼は、処分を保留する。 先ずは、七尾城へ向かう方が先である。 それまでは、監視下に置いておくつもりであった。

 彼らの事は尼子衆に任せる事で一先ず決着を付けると、七尾城へ使いを走らせた。

 程なく到着する事や、今現在分かっている事を七尾城へ籠っている長続連に伝える為である。 使者には、宗先が当たる事となった。

 元々、彼が続連の命を受けて織田家へ救援を求めたのである。 ならば彼が七尾城へ向かう使者となるのが、一番の適任であった。 宗先は義頼からの書状を貰い受けると、畠山義綱はたけやまよしつなの家臣である井上英安いのうえひでやすと共に義頼の軍勢より先行する。 やがて城に到着すると、彼らは諸手を上げて迎えられたのであった。

 七尾城へ入った宗先と英安は、続連と面会して義頼からの書状を渡す。 この書状には当然、降伏した遊佐続光らの事も書かれている。 この書状で続連は、能登畠山家が漸く上杉家と内訌と言う虎口から脱した事を認識した。 


「詳細は分かりました。 鵜飼殿、右少将(六角義頼ろっかくよしより)様の到着をお待ちしていますとお伝え下さい。 春王丸様以下、総出でお迎え致します」

「承知した」


 まだ七尾城に居た鵜飼孫六うかいまごろくは、続連の認めた返信の書状を持って城を出ると義頼の元へと向かった。

 一方、続連はと言うと、宗先と英安と共に畠山春王丸や能登畠山家一族でもある松波義親へ仔細を伝える。 すると義親もまた、続連と同様に危機を脱した事に胸を撫で下ろしていた。

 そして春王丸だが、彼は幼さ故によく分かってはいない。 しかし先日までと違い、続連や義親の表情が柔らかい事は分かる。 その雰囲気から、怖い時間は過ぎたのだと幼心に思っていた。   

 その後、義頼の軍勢を七尾城の大手門で迎える旨が伝えられる。 だが幼い彼ではその意味が分からず、首を傾げるだけであった。


「春王丸様は、大手門にて我らと共に迎えて下されば宜しいです」


 今までも、続連に任せて来た春王丸である。 その続連にそう言われれば、その言に従うだけである。 これも幼い故に、致し方が無かった。

 この後、続連は、義親と共に義頼を出迎える準備を進める。 急いで城内を掃き清めたりと、やる事は山積みであった。

 その一方で七尾城を出た鵜飼孫六は、やがて義頼の元へと到着した。

 そこで彼は、続連からの返信を手渡す。 受け取った書状を最後まで目を通すと、義頼は浅井長政あざいながまさ丹羽長秀にわながひでらに書状を渡した。 すると彼らもまた、書状を読む。 主だった者が書状を読み終えたところで義頼は立ち上がると、進軍の命を出そうとした。

 元々、返信の書状が届けば軍勢を動かすつもりであったのである。 しかし命を出す直前、別の伝令が義頼の元に現れる。 その伝令は、上杉勢追撃の命を出した稲葉一鉄いなばいってつからのものであった。

 その伝令によると、上杉謙信は軍勢を率いて能登国を越境。 そして越中国に入ると、湯山城へと入城した事が伝えられた。

 上杉勢が能登国から出たのであれば、追撃は必要ない。 だが、再度の侵攻が絶対にないと言いきれない以上は監視の目を緩める事は出来ない。 そこで義頼は、一鉄と蒲生賢秀がもうかたひでの二人へ新たに国境近くでの監視の命を出した。

 彼の命を受けて、一鉄の出した伝令が舞い戻っていく。 その伝令を見送ってから義頼は、今度こそ七尾城へ軍勢と共に向うのであった。

 


 軍勢を率いて七尾街道を進む義頼の視界に、七尾城が見えて来た。

 彼の城は山の上に建つ山城で、そこから尾根伝いに幾つもの曲輪を配している。 その配置を遠巻きに見た義頼は、上杉謙信が短時間で落とせなかった事を理解した。

 要所要所に曲輪があり、攻める隙を見出すのが難しい。 恐らくだが、例え自分が攻めたとしても梃子摺るであろうと思わせる城なのだ。

 北陸随一、難攻不落と謡われるだけの城である事は間違いなかった。

 そんな七尾城の大手門近くまで進むと、多数の人影が確認出来る。 それは、能登畠山家の者達である。 彼らは義頼率いる援軍を出迎える為に、大手門まで出向いたのであった。

 その中には宗先そうせんもいるが、流石に此処からでは分からない。 義頼は軍勢を止めると、馬淵建綱まぶちたてつなに兵を任せてから能登畠山家の者が待つ大手門へと歩みを進めて行った。

 当然だが彼の周囲には、藍母衣衆や馬廻り衆があって辺りを警戒している。 そんな彼らを引き連れつつ近づいた義頼の視界に一人の幼い姿が見て取れた。

 その幼い者の後ろには、能登畠山家の家臣と思われる武士が控えている。 その構図を見て義頼は、先頭に居る童子が現能登畠山家当主の畠山春王丸であるのだろうと当たりを付けた。

 その姿は、今年数えで五才となる息子の鶴松丸と殆ど大差はない。 そんな春王丸を見て義頼は、藍母衣衆と馬廻り衆に着いて来るなと命じた。

 その命に、母衣衆筆頭の北畠具教きたばたけとものりや馬廻り衆筆頭の藤堂高虎とうどうたかとらが異議を申し立てる。 しかし義頼は、再度彼らへ留まる様に厳命した。 その強い口調に、不承不承彼らは従う。 そんな姿を確認してから、義頼はゆっくりと春王丸に近づいて行った。

 さて何故に、ついて来るなと命じたのか。 それは、少しでも春王丸が恐怖を抱かない様にという義頼の配慮であった。

 それでなくても春王丸は、今まで戦の真っただ中に居たのである。 剣戟や怒号が聞こえる度、恐怖にかられただろうことは間違いない。 それでも春王丸は、必死に耐えたのだ。

 そんな怖い戦が漸く終わったと言うのに、武装した武士を多数引き連れた男が近づいて来る。 更なる恐怖が春王丸を襲う事は、容易に想像出来る。 だからこそ、彼らを留めたのだ。

 単騎となった義頼は、春王丸の近くまで行くとしゃがんで視線を下げる。 視線をほぼ同じ高さにすると、優しくそれこそ息子の鶴松丸に語り掛けるかの様に己の名を言う。 それから春王丸へ、敢えて名を尋ねた。

 その問いに、目を白黒させながらも春王丸は自分の名を伝える。 だだ少し声が震える様な感じはしたが、それが怖れに起因する物なのかそれとも別の起因による物なのかは分からなかった。

 その時、義頼は優しい笑みを浮かべる。 するとその笑みを見た春王丸から、緊張感と言うか窺う様な雰囲気が幾らか和らいだ様に感じた。

 実は今まで春王丸からは、緊張と言うか警戒感の様な物があったのである。 しかし義頼が一人で近くまで来た事と、視線を下げた事。 そして我が子を包む様な笑みを浮かべた事で、その警戒感が薄れたのだ。

 その途端、春王丸の方から義頼へおずおずと近づいて来る。 やがて手が届く距離まで近づくと、やはり窺う様に義頼の顔を見た。  

 すると義頼は、再度笑顔を浮かべる。 それから、ゆっくりと己の手を春王丸の頭に置くと優しく撫でた。 頭に手を置かれる瞬間、春王丸は体を震わせたがそれだけである。 その後は、優しく何度も髪をなでつけるかの様に頭を撫でる義頼のされるがままにしていた。

 どれぐらい撫でられたあろうか。 やがて、春王丸の目に涙が浮かぶ。 その時、義頼は諭すかの様に言葉を紡いだ。


「よく頑張ったな」

「……う、うわぁぁぁぁ」


 その途端、まるで堰を切ったかの様に春王丸が泣き始める。 そしてそのまま、むしゃぶりつく様に義頼へしがみついた。 

 彼は春王丸を抱き止めると、優しく腕の中に包み込む。 そして片手で頭を撫で、もう一方の手であやす様に背を叩き続けるのであった。 そんな春王丸に、長続連や松波義親が慌てて近づこうとする。 しかし他ならない義頼が目で押し留めた為、二人は近寄るのを止めざるを得なかった。

 代わりにと言う訳ではないが、一人の男が近づいて来る。 誰であろう、畠山義綱であった。 彼に対しては先程の二人と違い義頼が牽制しないので、問題なく間近まで近付けたのだ。

 そこで義頼に目で確認してから腰を降ろすと、義頼と同様に春王丸の頭を撫でる。 彼に取り春王丸は、孫に当たる存在である。 だからこそ義頼は、義綱が近づくのを邪魔しなかったのだ。

 そんな義頼の手とは違う新たな感触に、春王丸は鼻をすすりながら顔を上げる。 そこには、彼が初めて見る顔があった。 一瞬、警戒した春王丸だったが、義綱の笑みを見ると幾らかその警戒感が薄れる。 それから春王丸は、義頼に目で誰かを尋ねていた。

 その問い掛けを受けて、義頼は義綱の事を紹介する。 彼が祖父に当たる人物だと知ると、目を丸くして驚いていた。 それも、当り前であろう。 そもそも春王丸は、祖父が居るなど知らなかったのだ。

 また能登畠山家の家臣らも、嘗て義綱を追放したという事実をまだ幼い当主に言うつもりもなかったのである。 そこに来ていきなり現れた祖父に、驚かない筈が無かった。

 だが、そこは肉親である。 春王丸は、早くも義綱への警戒感を解いていた。 その様子に義頼は、抱きとめていた腕を解くと彼の背中に手を添えて軽く押す。 その仕草に促される様に、春王丸は義綱の腕へ納まっていた。

 その様子を見ていた続連は、複雑な顔をする。 事実上の傀儡としてではあっても、今まで幼い春王丸を支えて来たという自負がある。 その春王丸が、会って間もない祖父と義頼に懐いたからであった。

 因みに春王丸だが、義頼から見ると大甥おおおいに当たる。 義頼の姉の孫に当たるので、実は義頼も親族ではあったのだ。 ある意味、血が成したとも言える義頼と義綱と春王丸の関係であった。

 なおその意味では、松波義親も親族ではある。 しかし彼は親族と言うより家臣として接していた為、大叔父に当たるにも拘らず春王丸から親族とは思われていなかったのだ。



 閑話休題



 何であれ七尾城に到着した義頼達は、祖父である義綱に抱えられた春王丸と共に城内へと入る。 彼らを先導するのは、松波義親と長続連であった。

 二人の案内で、義頼達はやがて本丸へと到着。 するとそこには、二層と決して高くはないが天守閣が建てられていた。

 天守閣に入った義頼達は、広間へと案内される。 その上座には義頼が座り、一段下がった場所には春王丸を抱えた畠山義綱と浅井長政が座った。 

 そして広間の右には六角家の家臣や、京極高吉きょうごくたかよしと息子の京極長高きょうごくながたか親子や長岡藤孝ながおかふじたか。 一色義俊いっしきよしとし筒井順慶つついじゅんけい松永久通まつながひさみちなどと言った者達が座り、左には浅井家家臣が座った。

 そんな義頼の軍勢の主だった者達と浅井家家臣に挟まれた場所には、能登畠山家の者達が平伏している。 やがて、能登畠山家筆頭家臣である続連が援軍の礼を言上した。

 本来であれば当主の役目であるが、数えで四才の春王丸には到底無理である。 そこで能登畠山家筆頭家臣である長続連が、春王丸の代わりに援軍の礼を言上した。

 だが、彼の言葉はそこで終わらない。 そのまま続連は、能登畠山家の従属と春王丸の後見として義綱を迎える事も伝えたのであった。

 何故に彼が織田家への従属と義綱による春王丸の後見を言い出したのかと言うと、義頼らより先行する形で七尾城に戻って来ていた宗先から織田家より援軍が派遣されるまでの経緯を聞き及んでいたからである。 どの道、織田家からの援軍が無ければ上杉謙信の侵攻を止める術は無い。 その事を鑑みれば、織田家への従属も義綱の後見役就任も致し方ないと受け入れたのであった。

 その言葉を受けて、義綱が膝の上に乗せていた春王丸を己の脇に座らせる。 きょとんとした眼を向ける春王丸を尻目に、彼もまた織田家への従属と春王丸の後見を義頼へ約束したのであった。

 こうして能登畠山家は織田家へ従属したが、まだ義頼達が兵を引く訳にはいかない。 と言うのも、越中国の湯山城に入った謙信率いる上杉勢の動向がまだはっきりとしない為であった。

 越中国の国境近くに稲葉一鉄率いる美濃衆と、蒲生賢秀率いる近江衆に駐屯させているが彼らからの続報はまだない。 また彼らとは別に甲賀衆と伊賀衆をそれぞれ幾人か派遣して探らせているが、そちらからの報告も無いのである。 謙信の動きがはっきりとしない以上、おちおち戦勝を祝う宴もままならなかったのであった。





 こうして義頼達が頭を悩ませている上杉謙信はと言うと、特に問題なく能登国を出ると湯山城へと入っている。 また、彼らを追う様に石動山より退いた河田長親も湯山城へつい先頃だが到着していた。

 これで、能登国に侵攻した全ての上杉勢が揃った事になる。 そこで謙信は将を集めて軍議を行うと、その席で改めて撤退する旨を伝えた。 幸いにも当初懸念された神保家による元神保家家臣の扇動は起きておらず、越中国内は静謐その物である。 どうやら取り越し苦労であったらしく、この好機を逃す理由など謙信には無かった。

 まずこの湯山城には長沢光国ながさわみつくにを残し、越中国と能登国の境目を守らせる。 それから富山城に吉江宗信よしえむねのぶと彼の息子である吉江景資よしえかげすけを入れて、湯山城が攻められた際の援軍を命じる。 最後に河田長親を松倉城へ入れて、彼に越中国を抑える役目を与えたのであった。


「さて長親、宗信、景資、光国。 決して、此方からは攻めるな。 今は落ちた力を回復させる事に集中する」

『御意』


 首尾よく撤退した謙信だが、損耗は相応に受けていた。

 養子の上杉景虎うえすぎかげとら小島貞興こじまさだおきらと言った者達の討ち死にもさる事だが、何より兵の損傷が大きい。 大砲や火縄銃、弓矢から受けた損害が馬鹿にならないのだ。 先ず兵を回復させなければ、到底戦を起こすなど無理である。 これは、【設楽ヶ原の戦い】後の武田家も同じであった。

 兎にも角にも謙信は、国境における防戦を第一とする様にと越中国に残す彼らに厳命する。 その後、本隊を率いて越後国へ撤退したのであった。

 この謙信の動きは、湯山城近くにて上杉家の忍び衆である軒猿と鎬を削りながらも情報収集に当たっていた甲賀衆と伊賀衆も把握する。 彼らは急いで能登国内へ取って返すと、七尾城へ上杉勢の動向を報告した。

 彼らから上杉勢の完全撤退と思われる報告を聞いて、能登畠山家は安堵感とそれ以上の歓喜に包まれる。 例え織田家と浅井家の援軍があったとはいえ、あの上杉謙信を戦の勝敗による結果で撤退させたのだから当然とも言えた。

 それは、援軍である義頼が連れて来た将兵も、そして長政率いる浅井勢も同じである。 その為か織田家の者も浅井家の者も、そして能登畠山家の者もまるで旧来の友であるかの様に喜びを分かち合っていた。 

 そんな彼らを見て、義頼は微かに微苦笑を浮かべている。 あの上杉謙信と一騎打ちを行い、かろうじて薄氷と言える勝利を得た彼である。 どうにか生き残ったと言う感覚の方が大きいからだ。

 最も、勝利自体を喜んでいない訳ではない。 だから喜びを爆発させている彼らを咎める気もないし、水を指す気も無かった。

 しかし総大将として、やらねばならない事を疎かにする事は出来ない。 義頼は一先ずこの場を鎮めると、毛利長秀もうりながひで梶原景久かじわらかげひさに声を掛けた。

 と言うのも、彼らは治安維持の為に義頼が能登国から撤退した後も残る事になっている。 能登国における態勢が安定するまで、能登畠山家に協力して治安維持に努める為であった。


「河内(毛利長秀)殿、源左衛門尉(梶原景久)殿。 後はお任せする事になりますが、宜しいな」

『無論です、右少将(六角義頼ろっかくよしより)殿』


 義頼の問い掛けに、二人は異口同音に言葉を返す。 すると義頼は、頷く事で答えたのであった。

 その後、能登国の国境近くにて上杉勢の警戒に当たっている筈の美濃衆と近江衆の元へ使いを放ち入手した情報を伝達する。 義頼からの使いを務める馬廻り衆の布施公保ふせきみやすより上杉勢の越後国撤退を聞いた稲葉一鉄と蒲生賢秀は、安堵の表情を浮かべたと言う。

 それから数日した後、上杉勢の撤退を受けて七尾城では戦勝を祝う宴が開かれる。 この宴席で、義頼は能登畠山家の者達から挨拶を受けた。 しかし義頼は、謙信との一騎打ちで負った怪我もあり、医者から酒を止められている。 しかし祝い酒と言う事もあり、酒量を抑える事で対応していた。

 とは言え能登畠山家臣は、その過程で驚きの表情を浮かべる事となる。 それは、義頼の異常なまでの酒の強さに対してだ。

 宴に参加している能登畠山家の重臣全てから酒を一杯づつだけとはいえ飲んだにもかかわらず、彼は酩酊するどころか呂律すら怪しくならないのである。 変化があったとすれば、いささか顔を赤らめたぐらいであった。

 なお、義頼の酒の強さを嫌という程知っている織田家の者や浅井家の者に変化はない。 いや、能登畠山家の者達の反応を楽しんでいる様子であった。

 この宴は、戦が終わって間もないと言う事もありその日のうちに終わりを迎える。 しかし喜びのあまり、長続連や松波義親などの能登畠山家の者達は二日酔いとなる者が多かった。 そんな彼らと一線を画して、義頼は平然と朝を迎えている。 その様子を聞き、彼らは改めて驚愕の表情を浮かべたのであったと言う。

 それはそれとして上杉謙信が撤退した以上、義頼の役目も一応終わりである。 だが、最後に見届けるものがある。 それは、能登国内の仕置きであった。

 畠山義綱先導の元、謀反に加担した者達に対する処分が発せられる。 とは言え、現当主の畠山春王丸を暗殺しようとした者達である。 後見役としても、そして祖父としても許せる筈もなかった。

 遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らに対しては全員切腹を言い渡す。 打ち首としないことは、せめてもの情けであった。

 ほかの国人にも切腹を言い渡し、家を断絶させたりしている。 しかし遊佐家と温井家と三宅家は、能登畠山家における重臣の家である事からか取り潰しだけは免れていた。

 領地を大幅に削った上で遊佐家には、分家筋の遊佐長員ゆさながかずへの家督相続を許している。 次に温井家であるが、長綱連ちょうつなつらの正室が温井景隆の妹と言う関係から綱連の子を養子として継がせる。 最後に三宅家であるが、こちらは松波義親の二男である松波義直まつなみよしなおを温井家と同様に養子とした上で三宅家を継がせる事としたのであった。


「右少将殿。 ご異見はございますかな」

「……いや、某から言う事はございません」


 義綱より尋ねられた義頼は、丹羽長秀に目配せする。 すると彼は、小さく頷き返した。

 長く信長の傍に仕えた長秀に異論がないのならば、義頼としても反対する理由はない。 それに処分としては妥当なものであり、これといった不満があるわけでもなかったので仕置に関しては認めたのだ。

 すると義綱は、内心で安堵する。 信長より全権を任された義頼の言葉は、そのまま織田家の了承と言ってもいいからだ。 それは、畠山家家臣も同様である。 少なくとも現時点では、治安以外の干渉はないと分かったからであった。

 何はともあれ、こうして能登国内における大まかな仕置きが終了する。 すると義頼は、義理の兄弟でもある畠山義綱に任せて能登国より撤退した。

 此処に、能登国の戦乱は終息を迎えたのであった。 

 

漸く、能登国の戦も終わりです。

案外、長くなりました。


ご一読いただき、ありがとうごじました。

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