第百六十六話~【御舘館の戦い】終息~
第百六十六話~【御舘館の戦い】終息~
主人である義頼を庇う様に立つ疾風を排除するべく対峙する小島貞興の放った一撃は、一人の武士によって阻まれていた。
その男は、義頼もよく見知った者である。 その姿に、彼は思わずその武士の名を呼んでいたのであった。
「具教!」
「殿! ここは、拙者にお任せあれ!!」
「……すまん、頼むぞ!」
具教の言葉に、義頼は躊躇いながらもそう答える。 否、そう答えるしか無かったのだ。
体が万全であればまだしも、心身ともに疲れが溜まった上に傷を負った状態で勝てる程「鬼小島」は弱い男ではない。 それは、数回だけとは言え刃を交えたからこそ分かる事実でもあった。
だから義頼は、北畠具教の邪魔にならない様にと退く事を決断したのである。 どのみち謙信も退いた状況であり、これからを考えると本陣に戻って居た方が都合がいいのだ。
その後、義頼は怪我を負っていない左肩を甘噛みして、まるでこの場から離脱する事を促す様に甘噛みしていた疾風に跨り本陣へと駆け戻って行った。
その様に遠ざかる義頼と疾風を背で感じつつ、具教は視線を貞興に合わせ続けている。 それは、小島貞興も同様であった。
何と言っても突然介入して来たこの男の技量が、底知れないと感じたからである。 最早彼の目には、この場から離れて行く義頼など写っていなかった。
「我が名は、小島弥太郎貞興! 貴公は何者か!!」
「拙者は北畠中納言具教なりっ!」
北畠具教。
この名に貞興も驚き、そして納得した。
北畠具教と言えば、塚原卜伝から新当流の奥義「一の太刀」を授けられたと言う剣豪である。 事の真偽は置いておくとして、当代きっての剣豪の一人である事は紛うことなき真実であった。
「……伊勢の国司殿ならば相手にとって不足なし! 参る!」
「来いっ」
次の瞬間、貞興は踏み込む。 程なくして、具教と貞興の得物が火花を散らした。
かと思うと、次の瞬間には立ち位置が変わりお互いの得物が打ち合っている。 二度・三度と躊躇う事なく打合う両者だが、不思議と二人の顔に険はない。 此処が戦場でなければ、まるで腕を競い合っていると思えるぐらいであった。
だが例えその様な雰囲気であったとしても、具教と貞興が行っているのは真剣勝負である。 両者の一撃一撃はとても重く、普通の者であれば数合も持たないであろう事は想像に難くなかった。
その様な一撃を、彼らは代わる代わるに与えて行く。 十合、二十合と交わしていく二人であったが、このままでは埒が明きそうにない。 そう思った貞興は、一端距離を取る為に刀を大きく振り回していた。
それは牽制の為であったが、良き手とは言えない。 その事を証明するかのように具教は攻撃を見切ると同時に、刀を跳ね上げる。 その一撃は鋭く、貞興をして体をのけ反らせていた。
「……流石は北畠殿だな。 まさか一撃で体が流されるとは……だが、退く訳にはいかぬ! 御実城様の元へ、一刻も早く戻らねばならんのだ!!」
「ならば、拙者を倒す事だ」
「言われるでもないっ! これで決める!!」
そう言うと貞興は、何かを振り払う様に刀を振るう。 そんな貞興に対して具教は、口角を上げている。 その表情は、不敵と言うに十分値していた。
その直後、貞興は刀を握りしめると一気に駆ける。 その動きに呼応する様に、具教は正眼に刀を構えていた。 間もなくして二人の豪傑は、己が得物を振るう。 貞興は駆けた勢いそのままに、突きによる一撃を放った。 対して具教は、ただ真っ直ぐに刀を振り下ろす。 やがて二人は交差し、そして駆け抜ける。 そして一人の男ぐらつき、間もなく地面へと倒れ込んでいた。
地面に倒れ伏した男は、小島貞興である。 地面に倒れ伏す彼を心配するかの様に近くに居た彼の愛馬が顔をなめる。 だが、貞興が反応する事は決してなかった。
しかしそれは、当然であろう。 見事なまでの切り口が、鎧の上から刻まれているのだ。 なお且つ、その傷口から留まる事無く血が流れだしている。 正しく、致命傷であった。
そして相対した具教であるが、彼もまた無事では済まない。 具教は、己の肩を抑えていた。 貞興の最後の意地か、彼の一撃は具教の体に傷を負わせていたのである。 ただ違いがあるとすれば、貞興の負った傷は致命傷であり、具教の負った傷は致命傷ではないと言う事に他ならなかった。
そう。
ほんの僅かの差で、貞興の最後の一撃は具教の命を奪うまではいかなかったのだ。
「流石は、鬼とまで言われた男よ。 のう、小島殿」
そう一言漏らすと、具教は周りを見渡した。
しかし六角・浅井の連合勢も、そして上杉勢も具教と貞興の結末に気付いた者が居る様には見えない。 その事を確認した具教は、倒れている貞興の遺骸へ手を合わせたのであった。
北畠具教が介入したお陰で小島貞興の前から何とか退いた義頼はと言うと、六角・浅井連合勢の本陣に到達していた。
己を襲う腕や肩の痛み、それと全身を蝕む疲労は激しい。 しかしそこは、佐々木流馬術免許皆伝者である。 義頼は、片手であるにも拘らず見事な手綱捌きで疾風を御していた。
やがて本陣へと入ると、軍勢を任されていた馬淵建綱や織田家からの援軍の大将を務めている丹羽長秀らからも喜びを持って迎えられる。 しかし、本陣へと戻った義頼に一息入れる暇などない。 兵を任せていた建綱に、戦場の様子を尋ねる。 すると彼は、即座に義頼へと報告した。
建綱の話しでは、緒戦は僅かに押し返された頃合いもあったが、今は丹波衆を中心に大和衆や近江衆も奮闘して押し返しているとの事である。 その報告に、彼は一先ず安心した。
しかしその直後、本陣へと現れた甲賀衆から味方の丹波衆が危機に陥った事が報告される。 すると義頼は、怪我の応急処置を行っていた沼田祐光に構わず甲賀衆に詰め寄ると仔細を話す様に厳命した。
その怜悧とも言える目と身に纏った迫力に、報告をした甲賀衆は思わず怯む。 だが彼は唾を飲み込む事で幾分気を落ち着けると、微かに震えた様な声で報告し始めたのであった。
図らずも攻勢の中心となったのは、丹波衆である。 彼らは、丹波の赤鬼こと赤井直正や、青鬼こと籾井綱利。 それと丹波鬼こと波多野宗高や荒木鬼こと荒木氏綱を中心に、八面六臂の働きをしていた。
その丹波衆は、先ず最初に相対した安田顕元と上条政繁を打ち破っている。 そればかりか、顕元の首級を取ると言う手柄まで上げていた。
残された政繁は、顕元が討たれた事でいささか混乱した味方の兵を率いて近くに居た本庄繁長と合流する。 そこで態勢を立て直そうとしたが、それもままならなかった。
顕元を討った丹波衆が、政繁を追って繁長の部隊に襲い掛かったからである。 その為に繁長は、味方を収容しつつ敵を迎撃すると言う難しい戦いを行う事になる。
しかし彼は、見事にその難題をこなして見せたのであった。
とは言え、攻め込まれている事に代わりはないので劣勢となるのは否めない。 それでも繁長は、急遽旗下に入った政繁の軍勢すらも差配して何とか丹波衆の突破だけは許さないでいた。
この事態を、敵本陣の急襲の為に本陣から一時的に居なくなる上杉謙信に代わって上杉勢の本陣を預かっていた景勝は対応を傍らに控える二人に尋ねる。 その二人とは、直江景綱と斎藤朝信の二人であった。
景綱と朝信は、若い景勝を補佐する役目を謙信から命じられていたのである。 であるからこそ景勝は、彼らに尋ねたのだ。 その問いに従い、二人は援軍を出す様にと返答した。
二人から出た最もな言葉に景勝は頷いたが、一つ問題がある。 何処から、援軍を捻りだすかと言う事だ。 上杉勢は敵より少ない兵で、戦を行っている。 とてもではないが、兵を向ける余裕などない。 下手に将兵を引き抜けば、かろうじて支えている戦線がそれを契機に崩壊しかねないのだ。
「何をしている! 本陣より兵を分けよ!!」
「義父上!
『御実城様!』
思わず考え込んだ三人に、力はないが鋭い声が掛かる。 反射的にそちらを向くと、吉江資賢に補助されながら本陣内へと入って来た上杉謙信の姿があった。
彼は本陣到着の少し前に、軒猿の者と合流している。 そしてその者から、大まかだが戦場の趨勢を報告されていた。
その後、本陣へと入った謙信は、悩み始めた三人を目にしたと言う訳である。 彼らの様子から、劣勢となった味方の対応についてであろうと彼は半ば確信する。 その直後に謙信は、前述した言葉を三人に対して告げたのであった。
確かに本陣から兵を分ければ、援軍にはなる。 代わりに、本陣が手薄となってしまう事は否めなかった。 だから景綱と朝信は、その事を考えの埒外としていたのである。 本陣を預けられた者として、代理の景勝を含めて危険にさらす訳には行かないと考えていたからだ。
しかし、謙信の命があれば別である。 直江景綱は、謙信の言葉が発っせられた直後に娘婿の直江信綱を援軍として向かわせる様に景勝へ進言する。 そこで景勝は義父に視線を投げると、謙信は一つ頷いた。
本来の総大将である謙信の了承を得られたのであれば、躊躇う理由など無い。 景勝は即座に信綱へ兵を預けて味方の救援に向わせたのだ。
こうなると劣勢なのは、逆に丹波衆である。 彼らは、なまじ優勢であった為に味方より突出していたのだ。 言わばその事が、仇となった形である。 具体的に言うと、丹波衆は上杉勢によって半包囲状態に追い込まれたのだ。
完全ではないとはいえ、この包囲網は中々に厚い。 このままでは、全滅とはならなくても敗走の可能性も考えられる様な半包囲網であった。
となれば、その前にこの半包囲状態から脱出する必要がある。 しかし下手に引けば、彼らを追って来た上杉勢に押し込まれてしまう。 そうなれば、丹後衆や大和衆などと言った他の味方にも影響が出かねなかった。
そんな事態を防ぐには、この包囲を抑える人材が必要である。 それも、己が命を捨てるだけの覚悟を持った存在の必要があった。
それくらい、半包囲されたと言う代償は大きい。 その事実に、丹波衆を率いる波多野秀治は重苦しい雰囲気となる。 しかしその直後、この場に居る将で最も年嵩の波多野宗高がその役目を引き受けると宣言した。
前述した様に、上杉勢を抑えるには命を引き換えにしなければならない可能性が多分にある。 丹波衆が体勢を立て直す為には幾許かでも時間が必要であり、その時間を稼ぐ為に本庄繁長や直江信綱や上条政繁の兵を押し留める必要があったからだ。
そして宗高は、その役目に自分が相応しいと考えたのである。 齢六十を優に超えている彼であり、何時身罷ってもおかしくはない……例えその様な気配が、見受けられなかったとしてもだ。
そんな老将が、味方を生かす為に死兵となる。 この様な状況は、そうそう訪れる様な物ではない。 彼にしてみれば、人生の最後で見せる晴の舞台と言ってよかった。
「左衛門大夫(波多野秀治)様、分かっておいでなのでしょう?」
「そ、それはそうだが……出羽守(波多野宗高)」
「ならば、決断なさいませ。 そなたは今、丹波衆を率いる者なのですぞ」
「……分かった。 出羽守、そなたに命じる! 見事、上杉を抑えて見せよ」
「承知!!」
始めは躊躇っていた秀治であったが、宗高に諭されて覚悟を決める。 彼の表情には先程までの迷いを含んでいた色など微塵もなくなり、そこには確固たる決意しか存在しなかった。
そんな迷いのない表情と声で、秀治は「上杉を抑えて見せよ」と命じている。 すると宗高は、微かに喜色すら浮かべて本陣から出て行く。 程なくして彼は、旗下の兵と共に凄まじいまでの攻勢を上杉勢目掛けて仕掛けたのであった。
この隙に秀治や赤井直正らは、言わば宗高と彼の兵を囮とする事で一端下がるとそこで即座に態勢を整えるべく再編成へ入る。 そしてこの場に残った波多野宗高と彼に付き従う将兵はと言うと、それこそ死兵となり繁長ら上杉勢に突貫したのであった。
驚いたのは、その上杉勢である。 不利になっていた筈の敵兵が突撃して来たからである。 しかも、劣勢な状態で兵を二手に分けてだ。
此方に向って来る将兵の数は決して多くはないが、放っておいていい訳でもない。 むしろきちんと迎撃しなければ、善からぬ未来すら予測してしまいそうなぐらいの勢いをその宗高が率いる将兵は持っていたのだ。
そんな敵兵の存在を見た繁長は、即座に迎撃の判断を下す。 彼は直綱や政繁にも伝令を出して、その旨を伝えていた。 繁長からの伝令の言葉を聞いた二人は、少し迷った後で了承する。 気の回し過ぎではないかと思ったからだが、別段ここで反対する必要もないからだ。
どの道、敵である事に代わりはない。 ならば、潰せる機会があるうちに潰して置いたら良いとの判断も働いた為であった。
こうして相対する敵勢から、確りとした迎撃を受けては流石の丹波鬼と言えども耐えきるのは難しい。 ましてや、相手はあの上杉である。 程なくして波多野宗高は敵勢に囲まれ、数えで六十五の生涯を閉じる事となった。
しかし彼は、その命と引き換えに貴重とも言える時を間違いなく稼いでいる。 その間にどうにか体勢を立て直した丹波衆は、改めて繁長らに突貫した。
だが、敵もさる者。 相手は、鬼神とまであだ名された繁長率いる上杉勢である。 宗高の勢力が欠けたとは言え丹波衆相手に、彼は信綱と政繁と共に五分……いや少しばかり優位にさえ立っていたのだ。
報告を聞き終えた義頼は、奥歯を噛みしめた。
まさか波多野宗高が討ち死にするとは、考えてもいなかったからである。 義頼は、僅かの間だが目を瞑り宗高の冥福を祈った。 やがて目を開くと、援軍を送るべきか否かを考える。 しかしてその直後、本多正信と沼田祐光から進言を受けた。
彼らは、異口同音に援軍を送るべきだと言う。 ほぼ同時に己の懐刀とも言える二人からの進言を聞いた義頼は、即座に判断した。
先ず彼は、寺村重友と山内一豊を呼び出す。 やがて二人が揃うと、義頼は救援の命を与えた。
主からの命を受けた重友と一豊は、即座に了承すると本陣から出て行く。 二人は旗下の兵を率いて、丹波衆の救援に向かったのであった。
義頼からの援軍を受けて、丹波衆は漸く上杉勢を押し返す。 これで反撃に移れると彼らが考えた正にその時、予想もしなかった痛撃を受けたのだ。
それは、斎藤朝信率いる上杉勢である。 彼は、再度丹波衆が襲って来ても劣勢とならなかった味方に対して更なる兵を送る事を決断した上杉謙信の命を受けてこの場に現れたのであった。 本来であれば、謙信自らが兵を率いたいところであったが、流石に重傷を負った身で戦線に建つのは難しい。 そこで、朝信を送り込んだのだ。
果たして命を受けた朝信は、前線へ到着するとその勢いのまま丹波衆へ攻勢を仕掛けたのである。 この一撃により、丹波衆は崩壊するかと思われたが、寸でのところで防いだ者がいた。
それは丹波の赤鬼こと、赤井直正である。
しかし彼は朝信の奇襲を受けた事が原因となって、深い傷を負い片腕が殆ど動かなくなっていた。 だが直正は怪我なぞ何する物ぞとばかりに、槍を振りまわして大立ち回りをしていたのであった。
己の身を自身の流した血で赤く染めながら、丹波の赤鬼が奮闘する。 そんな彼に触発されたのか、籾井綱利や荒木氏綱も奮起していた。 そのお陰もあり、丹波衆の崩壊は最後の線で免れる。 いや、それだけでなく、朝信の突破も許さないでいたのだ。
そして義頼も、前線の様子を報告されると動きを見せる。 彼は尼子勝久を呼び出して、尼子衆による援軍を命じたのだ。
しかも、それだけではない。 義息である井伊頼直と永原重虎も呼び出すと、彼らにも兵を預けて援軍としたのだ。
すると、そこで一人の男が口を開く。 それは、織田信長が派遣した援軍の大将である丹羽長秀であった。
「ならば右少将(六角義頼)殿。 拙者も行こう」
「五郎左(丹羽長秀)殿。 宜しいのか?」
「我らも殿の命で、援軍としてこの地まで来たのだ。 なれば直接、上杉と干戈を交えなければ面目が立たぬと言うものだ」
「五郎左殿、感謝します」
更に、戦場の動向を見て浅井長政も名乗りを上げる。 彼は新庄直頼に兵を預けると、彼らと共に援軍となる様に命じたのである。 義頼も長政の言を受け入れて、浅井勢の投入に感謝した。
此処に義頼は、兵の逐次投入という愚を避ける意味も含めて多数の兵を一気に動かす言う手に打って出る。 今が押し時と考えての、決断であった。
援軍となった彼らは、三手に分かれて攻勢を掛ける。 井伊直頼と永原重虎、そして尼子衆は味方を助けるべく正面から上杉勢へ攻勢を掛けた。 そして丹羽長秀と新庄直頼は、態と時間差を付けて左右から襲い掛かる。 上杉勢は正面からの援軍に対応していた為に、やや遅れて攻勢を掛けて来た長秀と直頼の対応が遅れてしまう。 それ故に上杉勢は、完全に押されてしまったのだ。
何はともあれ新たな援軍を受けた丹波衆は、波多野宗高と言う犠牲を出しつつも彼らと協力して上杉勢より優勢をもぎ取ったのである。
なおこの優勢だが、これはそのまま六角・浅井の連合勢全体にも広がっていった。
そんな前線からの新たな報告に、義頼は小さく笑みを浮かべる。 するとそこに、北畠具教が藍母衣衆と馬廻り衆と共に本陣へと戻って来る。 そればかりか具教は、小島貞興の首と状況が状況であったが為に上杉謙信が落とした彼の愛刀である小豆長光を持参していた。
具教は義頼の前に跪くと、貞興の首と小豆長光を置く。 義頼はどちらも見覚えがあったので、見間違う筈もない。 そこで義頼は、具教の功を賞賛した上で、上杉謙信の迎撃に活躍した母衣衆と馬廻り衆も賛美した。
その時、具教が負傷している事に気付く。 よく見れば、彼以外にも幾人かが怪我を負っていた。 そこで義頼は、即座に治療を受ける様に彼らへと命じる。 その命に従い、具教ら怪我を負っている者は治療を受けるべく下がって行った。
その一方で謙信はと言うと、前線からの報告を聞いて今後の動きを検討していた。
それでなくても上杉の本陣には、既に謙信の養子である上杉景虎と「鬼小島」とまで称された小島貞興が討ち死にしたとの情報が齎されている。 その上、一度は押し返しかけた戦況が再度押されている。 その為か、上杉本陣と上杉勢に不穏な空気が流れ始めていた。
その空気を敏感に感じ取った謙信は、小さく首を振る。 それから確りと景綱らを見た上で、静かに「撤退する」と宣言した。
上杉本陣内を静かに流れた謙信の言葉に、彼らは始め理解出来ない。 それどころか、何を言っているのかと言わんばかりに主を見ていた。 すると謙信は、念を押す様に今一度同じ事を言う。 そこで漸く、彼らは謙信の言葉を理解したのであった。
「ぎ、義父上……撤退ですか?」
「そうだ、景勝。 此処からの挽回は、最早無理だ。 兵数の差が、如実に表れ始めている。 となれば、早々に退くのが最上の策だ」
「…………そうですな。 このままでは押し切られてしまうでしょう」
酷く冷静な謙信の言葉に、直江景綱は同意した。
最早、上杉が攻勢へ移る時期を逸している。 その上、最も計算外なのは、消耗戦とも言える様相を呈してしまった事にあった。
浅井・六角の連合勢と上杉勢では、後者の方が兵数が少ない。 だからこそ謙信は、乾坤一擲とも言える敵本陣急襲を即決したのだ。 しかし、その思惑は見事なまでに外されている。 こうなってしまえば、後は兵数差から押し込まれるのは必至だった。
そしてもしそんな状況にまで追い込まれてしまえば、撤退どころか敗走もままならなくなる。 幾ら精強と謡われる上杉の兵と言っても、組織だった動きも出来ない様な状況に陥ってしまえばその強さも完全には発揮出来ない。 しかしその様な状況へ突入してしまう前に兵を纏め撤退に入れれば、損害はあっても被害は最小限に抑えられるのだ。
だからこそ、景綱は謙信の撤退に同意したのである。
そんな謙信と景綱とは違い、景勝と資賢には両者が撤退と判断した理由が分からない。 そこで景勝は、目で景綱に対して説明を求めていた。
そんな景勝と資賢の態度に、景綱は苦笑する。 それから景勝と資賢に対して、撤退と判断した理由を説明して聞かせた。 その言葉に景勝と資賢は、思わず納得する。 特に景勝は本陣にあって戦場の趨勢を逐次報告されていた事もあって、尚更に納得してしまったのだ。
「分かりました。 義父上、撤退しましょう」
「うむ。 それと、朝信。 長実と長親にも、撤退の旨を伝えよ」
「御意」
謙信が味方の劣勢から撤退の判断をした頃、義頼は思案顔をしていた。
それは、上杉勢の動きにある。 戦況を味方の優勢に傾かせたとはいえ、まだ決定的だとは言えない。 それであるにも拘らず、上杉勢が今までとは違う動きを見せたからだ。
上杉勢は長尾与太郎と水原親憲を前線に配すると同時に、他の将兵は後方へ下がらせる動きをさせたのである。 その動きから察する事が出来るのは、撤退の二文字であった。
それは、本多正信や沼田祐光もまた感じている。 いや、彼らだけでは無く母衣衆や馬廻り衆の者も感じ取っていた。
その為か、彼らは異口同音に義頼が考えた撤退と同じ言葉を口にする。 己だけでは無く、他の者も同じ様に感じたと言う事実に義頼は自分の考えに確信を持った。
「どうやら上杉は、撤退する気の様だな」
『その様です』
「ならば、次の一手はどうする」
「……この様な物は如何でしょうか」
義頼からの問いに、やや間を置いてから祐光が一つの策を進言した。
それは、この隙に末森城を完全に抑えてしまおうと言うものである。 彼の末森城は七尾街道を抑える要衝であり、やがては七尾城へと向かう義頼らにとって抑えておきたい城なのだ。
上杉勢が攻めて来ても城主である土肥親真は降伏しなかったのだから、少なくとも味方である事は間違いない。 しかしそれを差し引いても、確実に味方の城としておく必要があったのだ。
しかも城の近くには、上杉の一将が駐屯して末森城を牽制している。 その上杉勢をどうにかする意味でも、兵を向かわせる価値はあったのだ。
その事は、義頼も理解している。 だから彼は、祐光の進言を聞くと即座に実行へと移す事にした。
義頼は、幾許か残していた兵のうちで与力の佐々成政と不破直光と森長可を末森城に派遣する事にする。 義頼から命を受けた三人は、即座に兵を率いて末森城へと向かったのであった。
その一方で、末森城近くに駐屯している上杉勢の鰺坂長実はと言うと、彼は思案に耽っている。 それは、味方である上杉勢の動向にあった。
上杉勢の動きから、何処かは分からないが撤退しようとしている様に感じられる。 それであるにも拘らず、彼の元には未だ具体的な指示が届いていない。 これではどうしていいか判断出来ず、長実は進退極まっていたのだ。
そんな迷っている長実の元に、六角・浅井の連合勢から分かれて此方に向って来る将兵が居ると言う情報が齎される。 旗印から、迫る軍勢は佐々家と不破家と森家の兵であろうとも報告されている。 この情報に、長実は眉を顰めた。
しかし、それも当然であろう。 味方である上杉勢の動向は今一つ分からず、その代わりと言う訳でもないのだろうが敵勢が迫って来ている。 この結果から得られる答えについて、長実は必死に思考を巡らせたのだ。
やがて彼は、一つの結論を得る。 それは即ち、味方が負けたのではないかと言うものである。 そう考えれば、もう間近にまで迫って来ている成政らが率いる軍勢の意味も凡そ見当がついてしまう。 彼らは、末森城救援の為に向けられた軍勢であるという事なのだ。 件の軍勢に末森城に籠る土肥一族の将兵が加われば、とてもではないが勝ち目はないのだから。
「事ここに至っては、致し方ない。 降伏しよう……それに敵が六角家と浅井家と言う事が、幸いするかも知れん」
鰺坂長実、実は近江国の出身なのである。 そして六角家と浅井家は、言わずものがな共に近江国の有力者であった。 つまり長実は、同郷の者であれば助命される可能性がそれなりにあると踏んだのである。 そしてその判断は、間違いでは無かった。
末森城に向った成政らから長実が降伏して来たと聞いた義頼は、少し考えてから彼を許したのである。 しかしその理由は、長実が考えた様に同郷の近江国出身者だからと言うものでは無かった。
いや、その理由が皆無であったとは言わない。 だが最大の理由は、他にあった。 義頼としては、これ以上いたずらに時をかけたくなかったのである。 彼が能登国へ赴いた最大の理由は、能登畠山家の救援にある。 一刻も早く、七尾城へ向わねばならないのだ。
その事から、義頼は鰺坂長実の降伏を受け入れたのである。 その後、彼は御舘館に兵の一部を残すと、末森城へ移動する。 程なくして城に到着すると、義頼は土肥親真や息子の土肥家次らと面会した。
また今更だが、義頼の軍勢には畠山義綱や長続連の息子である宗先も同行している。 その様な同行者と言う理由もあり、彼ら土肥一族は平身低頭して義頼らを迎え入れていた。
こうして末森城に入り腰を据えた事で漸く一息ついた義頼は、伊賀衆と甲賀衆に命じて上杉勢の動向を探らせた。 上杉勢が戦場から退く気なのではと言うのは、あくまで戦況における敵兵の動きからの判断でしか無い。 そこに、明確な裏付けはないのだ。
それに何と言っても、未だ能登国内に上杉謙信率いる上杉勢が居ると言う状況に変わりはないのである。 敵勢の動きを把握しなければ、本来の目的地である七尾城へ向けて兵を進めるのは難しい。 かと言って拙速に動き七尾街道を北上して、上杉勢や上杉家に加担する能登国人から挟み撃ちにされましたでは笑い話にもならない。 だからこそ義頼は、此処で改めて情報収集に力を入れたのであった。
そして主から命を受けた伊賀衆と甲賀衆はと言うと、すぐに情報収集へと入る。 彼らの懸命な働きで、義頼は上杉勢の動向を把握するのであった。
義頼の軍勢からも、犠牲が出ました。
上杉相手に無傷は、ありえませんので……
ご一読いただき、ありがとうございました。




