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第百六十三話~能登国侵攻~

第百六十三話~能登国侵攻~



 能登国へ向かう為に京を発った義頼であるが、彼は一度近江国へ戻った。

 そこで堅田衆と六角水軍の船に乗り、大津湊から出港する。 この際に義頼は、信長の許可を得た上で最近出番の無くなっていた大型船に乗り琵琶湖を渡っている。 やがて海津湊に上陸した軍勢は、近江国から越前国を経由して加賀国へと入ったのであった。

 既に加賀国は浅井家によってほぼ鎮圧された状態にあるので、義頼の軍勢を阻む勢力など居はしない。 軍勢は順調に進軍し、やがて富樫家の館跡へと到着した。

 そこで出迎えたのは、赤尾清綱あかおきよつなである。 彼の隣では、嫡子の赤尾清冬あかおきよふゆがたたずんでいた。 しかし主だった浅井家家臣は彼ら親子だけであり、他にはあまり見覚えのない者達が居るだけである。 何より、浅井長政あざいながまさがいない。 出迎えぐらいはあるだろうと思っていた義頼の表情は、訝しげであった。

 そんな義頼の様に気付いた清綱は、長政の所在について義頼へ告げたのであった。


「殿は今、津幡城へ入っております」

「津幡城?」

「はい。 この地より更に北、加賀と能登と越中の丁度境辺りにある城にございます」


 津幡城は清綱の言った通り加賀国と能登国、そして越中国との国境くにざかい近くに存在する城である。 また三国を結ぶ交通の要衝であり、七尾街道と北国街道が交差する場所でもあった。

 その様な要衝故に津幡城には一向衆が入っていたのだが、尾山御坊を攻めるに当たって長政が落城させている。 下手に援軍など出されて、尾山御坊攻めの邪魔をされるのを嫌った為であった。

 長政はこの落としていた津幡城に入る事で、上杉謙信うえすぎけんしんがどの様な道を使って侵攻してこようとも対応できる様にと考えたのである。 そして義頼も津幡城の場所を聞き、長政が何を考えて移動していたのかを理解したのだ。

 

「……あー、なるほど。 そう言う事ならば、致し方ないか」

「それで右少将(六角義頼ろっかくよしより)殿。 津幡城へ。向われますか?」

「無論だ」

  

 現在居る富樫家の館跡から津幡城までは、それほど離れている訳ではない。 ましてや街道筋に建つ城である為に、迷って行き付けないと言う事もない。 何より今日中には津幡城には到着しておきたいと考えた義頼は、急ぎ館跡を出立した。 

 やがて夕刻に差しかかった頃、義頼の軍勢は津幡城へと到着する。 その城で、今度こそ義頼は長政と数ヵ月ぶりの会合を果たしたのであった。

 城の大手門で出迎えた長政と挨拶を交わすと、義頼は家臣と共に津幡城へと入る。 城の一室に案内された彼らは、早速情報交換へと入った。

 まず義頼以外の織田家からの将に関してだが、面子としては織田家重臣の丹羽長秀にわながひで毛利長秀もうりながひで。 そして、梶原景久かじわらかげひさであった。

 因みに他の重臣はと言うと、飛騨国に侵攻する柴田勝家しばたかついえに協力する手筈となっている。 そちらには、滝川一益たきがわかずます池田恒興いけだつねおきなどが合力する手筈となっていた。

 さて話を戻して上杉謙信の動向と能登畠山家についてであるが、此方に関しては義頼より長政の方が情報を多く手入している。 これは能登国が加賀国の隣国であった事と、浅井家が加賀国で戦をしている事が作用した結果であった。

 長政が集めた情報によると、七尾城はまだ持ちこたえているらしい。 だが、何時いつまで持つのかは保障の限りではない。 その理由は、既に謙信が軍勢を率いて石動山まで到達しているからであった。

 それに堅城の七尾城であるが、兵数の差は如何ともしがたい。 何より嘗ては能登畠山家家臣であった遊佐続光ゆさつぐみつ温井景隆ぬくいかげたからが、調略によって上杉方に味方しているのだ。

 彼らは長続連ちょうつぐつらと同様に、七尾城を知り尽くしていると言っていい。 これでは、今この瞬間にも七尾城が落ちたと情報が入ったとしても何ら不思議ではないのだ。 


「……ふむ。 これは、最悪を想定した方がいいか?」

「最悪と言うと、七尾城の陥落か」


 確認する様に言った長政の言葉に、義頼が重々しく頷く。 すると宗先そうせんが、寂しげな表情を浮かべた。 七尾城の陥落、それは即ち父親の続連や兄である長綱連ちょうつなつらの命が危ないと言う事に他ならないからである。

 但しその件に関しては、七尾城より宗先が送りだされる際に父親の続連から覚悟だけはしておく様にと言い含められているので彼が外聞もなくうろたえる様な事はない。 しかしそれでも宗先としては、家族に無事でいて欲しい。 肉親である以上、当然と言えば当然の気持ちであった。

 そんな宗先の様子に気付いてはいる義頼だが、この状況では何を言っても下手な慰めにしかならない。 先ずは、確実な情報を得る事が最優先であると考えた。

 そこで義頼も、伊賀衆と甲賀衆を出して情報収集に努める事にする。 彼は甲賀衆筆頭の望月吉棟もちづきよしむねと、伊賀衆筆頭の千賀地則直ちがちのりただを呼び出す。 間もなく、二人が義頼の前に現れた。

 すると義頼は伊賀衆と甲賀衆に、上杉謙信の動向と能登畠山家で起こっている内訌の推移を念入りに探る様にと命じる。 二人揃って了承すると、義頼と長政の前から辞したのであった。



 上杉勢の動向と能登畠山家の状況についての情報を得る為とは言え、義頼と長政は止む負えず動きを止めている。 そんな彼らとは逆に活発に動いているのが、他ならぬ謙信であった。

 話は丁度、義頼が加賀国に入った頃にまで遡る。

 既に能登国へと侵攻していた謙信は、七尾城に程近い石動山に陣を張る。 その謙信率いる上杉勢に合流したのが、遊佐続光や温井景隆や三宅長盛みやけながもりらであった。

 彼らは上杉家からの調略に応じると畠山春王丸はたけやまはるおうまるの暗殺を企てたのだが、続連や綱連などの機転で寸でのところで暗殺に失敗してしまう。 そこで彼らは、即座に兵を上げて七尾城へ攻勢を掛けたのであった。

 しかし七尾城は、前述した通り堅城である。 それ故に、勝手知ったる彼らであったとしても中々落とせないでいた。 そんな最中に謙信が軍勢を率いて現れた事で、戦の趨勢が変わってしまう。 上杉勢に能登畠山家から離反した続光が加わった事で、七尾城の守備兵を遥かに超える軍勢となってしまったのだ。

 それは絶望的とも言える兵数差であるが、七尾城で事実上の大将を務める長続連が降伏を是としない。 その理由は、例え降伏しても長一族が生き残れないと判断しているからである。 それならば、息子の宗先が連れて来るであろう織田家の援軍を待った方がまだ建設的であった。 


「少しいいか? 対馬守(長続連)」

「これは常陸介(松波義親まつなみよしちか)殿、何でしょうか」


 松波義親は、畠山義綱はたけやまよしつなの息子である。 しかし彼は父親と行動を共にぜず、能登畠山家に残っていたのだ。

 以降、彼は畠山家一門の者として行動していたが、分家に当たる松波畠山家の当主が病で急死してしまった為に急遽養子として松波畠山家を継いだのである。 そして今回の戦に置いては、居城の松波城は重臣に任せて己は一族と共に七尾城に入っていたのだ。


「やはり、降伏はせぬのか」

「無論。 降伏すれば殿は排除され、最悪は闇から闇へと葬り去られてしまいます。 畠山家臣として、それを座して見ている訳には参りません」


 続連の言葉はもっともらしく聞こえるが、彼とて嘗ては己の主君を追放している。 そんな彼の言葉は実に白々しかったが、言葉自体に嘘はないので義親も頷かざるを得なかった。

 と言うのも、実は越後上杉家に一人能登畠山家の家督を継げる者がいるからである。 それは、畠山義綱はたけやまよしつなの弟である畠山義春はたけやまよしはるであった。

 義春は幼少の頃、能登畠山家と越後上杉家の関係強化の為に人質として送られたのである。 しかし謙信が彼を気に入り、養子としたのだ。

 その為、彼は名を変えて上杉義春うえすぎよしはると名乗っている。 その様な関係もあって謙信は、嘗て義綱が能登国への侵攻を行った際に手を貸したのだ。


「そうか。 五郎(上杉義春)殿が居たか……確かにその事を勘案すれば、降伏も難しいか」

「そう言う事にございます」

「となれば、全ては貴公の息子に掛かっていると言う訳だな」

「はい。 真に厳しいですが、信じて待つ他ありません」

「……そうだな。 援軍の当てがあるだけまし。 と、言ったところだな」


 少し間を開けてから、義親が一言漏らす。 その言葉には、あまり期待と言うものは籠められていなかった。

 だが、彼の期待とは裏腹に義頼率いる軍勢は既に加賀国と越前国の国境を越えている。 しかし篭城中である為に、その情報は七尾城にまで届く事はない。 代わりに情報を入手したのは、上杉謙信であった。

 今回の軍事行動の第一歩は、能登国を併呑する事にある。 その次に、顕如より依頼されている加賀一向衆の救援にあった。 そこで加賀国内の最新情報を入手する為に謙信は、越後上杉家の忍び衆である軒猿のきざるを加賀国方面に放っている。 その軒猿からの報告であった。


「織田が来たとな」

「はっ。 中国へ向かうと思われていた六角義頼の軍勢が、急遽派遣されたよしにございます」

「六角が来たか……これは浅井長政と合流するな」


 勘なのかそれとも別の理由なのかは分からないが、謙信は義頼の軍勢が長政の軍勢と合流すると即座に結論付けた。

 そこで彼は家臣の河田長親かわだながちかを呼び出すと、彼に続光ら元能登畠山家臣を付けて七尾城の押さえを命じる。 こうして続連らが城から打って出れない様に手を打つと、謙信は軍勢を率いて石動山を下りると七尾街道を南下した。

 上杉の軍勢が向かったのは、土肥親真(どいちかざね)が城主を務める末森城である。 城近くにまで到着した謙信は、陣を張るとまるで脅しでも掛けるかの様に軍勢で取り囲んだのだった。

 その後、間もなくして斎藤朝信さいとうとものぶが末森城に対して、降伏を促す書状を出す様にと謙信へ進言したのである。 彼は城攻めを行い、兵を失う事を嫌悪したのである。 数日中には起きるだろう義頼と長政の連合勢との戦に、少しでも兵を当てたかったからだ。

 しかし、この意見に直江景綱なおえかげつなが反対する。 彼は例えここで多少の兵を失ったとしても、後顧の憂いを抱えて戦をするよりはいいと考えたからだ。

 朝信と景綱と言う二人の重臣からの進言を聞いた謙信は、暫く熟考する。 やがて考えが纏まると、結論を告げる。 彼が採用したのは、朝信の策であった。

 その決定に不満が無い訳ではないが、御屋形たる謙信が出した答えである。 己の意見を否定された景綱であったが、彼はそれ以上何も言わずに黙って謙信の言葉に従ったのであった。 

 その一方で義頼はと言うと、丁度この頃に津幡城で能登国の状況を知ったのである。 まだ最悪の状況とはなっていない事を聞きつけた畠山義綱と宗先は、安堵して胸を撫で下ろしていた。

 もし七尾城が落とされ、能登国が上杉家の手に渡っていれば取り返すのが難しくなるからである。 だが現状では、能登畠山家の居城である七尾城も能登畠山家現当主である畠山春王丸も無事であった。

 それはそれとしてまだ七尾城が落城していないと言う報を受けた宗先は、息せき切って義頼と長政に救援を詰め寄る。 あまりの勢いに、思わず義頼もそして長政も後ずさりしていた。


「分かった! 分かったから宗先、顔をそんなに近づけるな!! 俺に、そちらの嗜好しこうはない!」

「あっ! その、申し訳ありません!!」


 漸く状況に気付いた宗先が、慌てて二人から離れると平伏する。 そこで義頼は、安心したかの様に息を一つ漏らすのであった。  

 

「全く……まぁ、身内を助けたいという気持ちは分かるがな」

「真に、相済みませぬ」

「いいから、もう立て宗先。 それに、援軍には行くから安心せい……それで備前守(浅井長政)殿は、どうされる?」


 義頼は援軍として来ているが、あくまで能登畠山家に対してである。 決して浅井家への援軍として、加賀国にまで来た訳ではないのだ。

 それに浅井家としても、今は加賀国鎮定の総仕上げと言える時期である。 加賀国内での迎撃ならばまだしも、他国にまで遠征するかどうかは長政の判断一つに掛かっていた。

 だが話を振られた長政は、即座に共に行動する事を義頼へ告げる。 このまま放っておけば、能登国を得た謙信が南下して加賀国、そして越前国へ侵攻して来るのは火を見るより明らかだった。

 何せ謙信の行動の基準となっていると思われる原因は、足利義昭あしかがよしあきの出した御内書であると予測されている。 そして御内書には、謙信が軍勢を率いて上洛し織田家を駆逐する様にとの要望が入っている。 その要望がある以上、謙信の上洛は覆し様のない既定路線なのだ。

 つまりどう転んでも、浅井家と上杉家が衝突するのは回避する事が出来ない未来なのである。 ならば、義頼と言う兵力が身近にあるうちに上杉勢を蹴散らしておきたい。 ひいてはそれが、浅井家の勢力温存にも繋がるからであった。

 この様な理由から意見の一致を見た義頼と長政は、やがて来るであろう援軍を待って出陣する事に決めた。

 この決定に宗先は一度難色を示したが、義頼と長政から一撃で上杉を追い払うための措置だと言われては受け入れざるを得ない。 戦に負けてしまっては、何の意味もなさなくなってしまうからだ。

 やがて幾日か経つと、丹羽長秀と毛利長秀と梶原景久が軍勢を率いて津幡城へと現れる。 義頼は彼らを軍勢に組み入れると、長政と共に城を出陣した。

 彼らが向かったのは、当然だが末森城である。 援軍が向う事は事前に親真へ知らされているので、土肥家がそう易々と降伏・開城に舵を切る事はなかった。

 何と言っても義頼と長政の率いる連合勢の兵数は、軽く見積もっても能登国へ侵攻して来ている上杉勢の倍は有している。 幾ら上杉勢が強いと言っても、この兵力差ならば負ける事はないだろうと親真が判断しても何ら不思議はなかった。


「茂次。 織田様と浅井様の軍勢が津幡城を出たそうだ」

「兄上、それは重畳ですな」

「うむ。 精々、引き付けておかねばなるまいて」

「しかし父上。 下手に上杉が援軍の動きを知ると、力攻めを行っては来ませんか?」

『む……』


 親真の息子である土肥家次どいいえつぐの指摘に、親真と彼の弟である土肥茂次どいしげつぐは揃って唸った。

 確かに、その可能性については否定できない。 謙信としても、二手に敵が居る状況は避けたい筈だからだ。 例えその一方の兵が少なかったとしても、危険は出来うるだけ取り除いておきたいと思うのが人情である。 ましてや率いる兵の強さに自信を持っている将ならば、それは尚更だった。


「だが、何か手があるのか?」

「はい。 ここは、敢えて敵の策に乗りましょう」

『何っ!?』


 ここでの家次の言葉に、親真と茂次は此処でも揃って声を上げる。 それだけ、家次の言葉が両者にとって意外だったのだ。

 前述した通り謙信は、城を囲んだ後も無理に攻めてはいない。 朝信の進言通り、降伏を促す軍使を出していた。

 因みに降伏の条件だが、領地の安堵と引き続いて末森城の城主を務める事である。 かなりの好条件だが、この条件に対して土肥家を首を縦に振る気はなかった。

 援軍が津幡城にまで来ていると言う事もあるが、何よりここで能登畠山家に貢献しておけば領地の増加が見込めるからである。 非常に生々しい実情だが、家の栄達を考えれば当然の判断とも言えた。


「だがその件は、断る事で一致しているではないか」 

「分かっております。 だから、策なのです。 さも降伏勧告を受ける様な素振りを見せる事で時間を稼ぎつつも、上杉の軍勢を末森城近くに留まらせるのです」

「おおっ! なるほどっ!!……しかし、よく思いついたな」

「実は、ある方の入れ知恵でして」

「ある方? 誰だ?」

「父上のお知り合いにございます。 おい。 連れて参れ」


 家次が声を掛けると、程なくして一人の男が入って来る。 その者の顔を見て、親真はもちろん茂次も絶句した。


『なっ! 小次郎殿っ!!』


 二人の前に現れたのは、嘗ては同僚として畠山義綱に仕えていた富来綱盛とぎつなもりだった。

 綱盛は能登畠山家で起きた【永禄九年の政変】の際に追放された義綱と共に、近江国へ落ち延びたのである。 それ以降は、共に落ち延びた飯川光誠いがわみつのぶと力を合わせて義綱の近臣として近江国で、そして京で活動していたのだ。

 今回の能登畠山家に対する援軍が決まると。当然の様に彼は主君である義綱と同僚である光誠改め宗玄と共に加わったのであった。


「し、しかし。 何故なにゆえに小次郎(富来綱盛)殿が」

「六角右少将様の御家中、沼田殿からの策を密かに伝えに参った」


 沼田祐光ぬまたすけみつは、謙信が七尾城より南下して末森城を目指している事を聞き及ぶと、先んじて上杉勢の足止めを考えた。

 暫く悩んだ末に思い付いたのが、家次が父親と叔父に対して告げた策である。 この策を末森城へ伝える為に、祐光は義綱の家臣である綱盛を借り受けたのだ。

 そして義頼の出す末森城への密使とは別に、完全に秘匿した形で盛綱を派遣したのである。 何故に祐光が、義頼の出した密使とは別に盛綱を派遣したかは定かではない。 だが結果だけ見れば、盛綱は問題なく末森城へと入れたのであった。

 その盛綱から伝えられた祐光の策に従い、親真は弟の茂次を返答の使者として派遣して時間を稼いでいく。 やがて義頼と長政の軍勢が翌日には近在まで辿り着くであろうという頃合いなると、茂次は忽然と上杉の陣から姿を晦ましたのであった。

 事ここに至り、謙信や謙信に降伏の策を勧めた斎藤朝信も土肥勢に騙された事を察したのである。 己が立てた策を良い様に利用された朝信は、怒りを露わにしたと言う。

 その後、謙信は策が敗れた以上は致し方ないと末森城を攻めるべく兵を動かそうとする。 しかしそんな矢先、加賀国方面に忍ばせていた軒猿より義頼と長政の軍勢がほど近い坪井山にある砦に入ったのであった。

 坪井山砦は、能登国を追放された義綱や父親が地位奪回の為に侵攻した彼らに対する備えとして作られた砦である。 だがこの砦は、当時義綱によって攻め落とされていた。 その様な経緯から義頼と長政は、他でもない義綱の案内でこの砦に入ったのであった。


「……朝信。 我らは完全に嵌められたな」

「申し訳ありません、御実城様」

「良い。 見抜けなかった我にも落ち度はある。 それよりも今は、織田と浅井に備える。 話は、彼奴等きゃつらを討ってからだ」

「御意」


 謙信は末森城の抑えとして鰺坂長実あじさかながざねを残すと、義頼と長政を迎撃するべく七尾街道を南下した。

 また謙信の動きを知った義頼と長政も、坪井山砦を出陣する。 この砦を後陣こうじんとすると、北進して程近い場所にある御舘館みたてやかたに入ったのであった。

 この御舘館も、能登国奪回戦の際に義綱が本陣とした場所である。 元々この館は在地国人のものであったが、義綱が能登国へ侵攻した際に奪取した館であった。

 その後は打ち捨てられていたが、縄張り自体は確りとした梯郭式平城である。 堀などもあり、防御拠点としてはまだ十分な城であった。

 そして義頼とて伊賀国内の城館建築や観音寺城の改修、それに安土城天主閣の建築を奉行として行った男である。 こと城に関しては、一家言あると言っていい。 その義頼の目から見ても、まだまだ拠点としては使える城跡であった。


「此処ならば後方の坪井山砦と併せて、最悪負けたとしても耐えられると思われます」

「確かに、修理大夫(畠山義綱)殿の言われる通りだ。 のう、備前守殿」

「ああ」


 こうして御舘館に入った義頼と長政は、守りの将を残すと即座に出陣する。 やがて彼らの軍勢は、末森城から南下して来た上杉家の軍勢と対峙したのであった。


総文字数で、百万字を突破しました。

それはそれとして、義頼と長政は能登国内に侵攻しました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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