表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
165/284

第百六十二話~北陸戦乱~

第百六十二話~北陸戦乱~



 義頼と六角義治ろっかくよしはるの婚儀が終わってから暫く経ったある日、織田信長おだのぶながは安土城を出立した。

 彼に同行するのは嫡子の織田信忠おだのぶただを筆頭に、織田家重臣の幾人かである。 その中には、義頼も含まれていた。

 今回の上洛だが、信長は何時もと違い多数の兵を連れている。 とは言え、別に信長がどこかに攻め込むと言う訳では無い。 兵が多い理由は信長と信忠の護衛の為の近江衆と美濃衆を引き連れている事と、上洛後は播磨国へ向かう義頼の軍勢が同行している為であった。

 因みに義頼が率いる軍勢は、一度京で集合する事になっている。 正確には、長岡藤孝ながおかふじたかの城である勝龍寺城に集合するのだ。

 その後は、義頼が全軍を率いて播磨国に進軍。 当地で別所家と小寺家と共に、毛利家に味方する播磨国人を鎮定する。 そして播磨国を拠点に、更に西へ侵攻する予定であった。

 なお例外は、但馬衆である。 彼らは、直接播磨国へ向かう手筈となっていた。

 さて安土城を出た信長だが、軍勢と共に街道を進み瀬田城にて一泊する。 翌日には逢坂の関を越えて、山科に入ったところで義頼の軍勢と分かれた。

 しかし義頼には、信長に付いて御所へ向かう任もある。 そこで軍勢は馬淵建綱まぶちたてつなに任せ、彼は一部の家臣や忍び衆を連れて信長に同行したのであった。

 程なく京へと向かった信長だが、新たに造営した御殿に入る。 また彼に同行した織田家家臣は、周辺の寺などに宿泊する。 そして義頼だが、彼は六角堂近くにある六角承禎ろっかくしょうていの屋敷に逗留した。

 因みに義頼と承禎の兄弟は、半月ほど前に近江国で顔を合わせている。 息子の婚儀と言う事もあって、承禎が義治の華燭の典に顔を出したからだ。 その為、彼ら兄弟が特段話す様な事はない。 軽く酒を酌み交わしながら、雑談をしたぐらいであった。

 それから数日後、信長は義頼を供として御所へと向かう。 上洛の挨拶を行うと共に、困窮する公家を救う為に徳政令を実施する旨を奏上した。

 元々この件は既に信長から現関白である二条晴良にじょうはるよしへ通達されていた事であるが、朝廷側の意向で信長が直接奏上したのだった。

 しかし、朝廷が何故なにゆえに態々信長から奏上させたのか。 それは彼に、公家衆の窮状を救った褒美として官位を与える為であった。

 そんな晴良などの動きに、義頼は平伏しつつも内心では白けている。 武士に高位を与えて味方に取り込むなど、公家の常套手段と言っていい。 実際、義頼もその常套手段によって右近衛少将の地位を与えられているのだ。


「真に名誉な事なれど、ご辞退させていただきます」


 しかし信長の返答は、否であった。

 これには義頼は無論の事、晴良などの公家衆も驚きを隠せない。 あまりの驚きに、彼らは二の句が継げなかった。 しかし信長は、まるで気にする事無く言葉を続けたのであった。


「ですが、それでは褒美を下賜していただく帝にあまりにも不敬。 そこで代わりに、我が嫡子と重臣への官位を持って褒美としていただきたく存じ上げ奉ります」


 要は本人は官位を辞退するが、代わりに重臣への官位を褒美としたいと言う事であった。

 実は此方こちらの方が、信長の希望なのである。

 と言うのも、この織田家重臣に与える官位の褒美を隠れ蓑に、朝廷側がある織田家家臣に打った楔を抜こうと考えたのである。 朝廷側の打った楔とは、他でもない義頼の官位であった。

 義頼の現在の官位は、信長が奏上した事で得られた物では無い。 丹波国内にあった禁裏領横領を解決した褒美として、朝廷から義頼に与えられた物である。 つまり、そこに信長は全く関与していないのだ。

 織田家重臣であり、かつ信長の同腹妹の夫である義頼の官位に信長が全く関わっていないと言うのはあまり面白い事態では無い。 そこで信長は、今回の褒美に紛れされる事によって義頼に信長の奏上によって得られた官位をついでに与えようと考えたのだ。

 それにこれならば、褒美自体は賜っているので朝廷側の顔は立つ。 また褒美として信長を経由して与えられた物であるので、朝廷側も信長の奏上を断る訳にもいかないのだ。


「なるほど。 家臣の官位か……帝、如何いかがなさいますか?」

「関白。 参議の望む通りにせよ」

「はっ」


 此処ここに信長への褒美は、織田家重臣に対する官位と決まったのであった。

 こうして織田家重臣に与えられる事になる官位だが、流石に今直ぐと言うのは無理である。 これより暫く先に、信長から与えられる事となった。

 なおその面子だが、織田信忠と佐久間信盛さくまのぶもり柴田勝家しばたかついえ林秀貞はやしひでさだ。 それから丹羽長秀にわながひでと義頼と滝川一益たきがわかずまさ明智光秀あけちみつひで羽柴秀吉はしばひでよし池田恒興いけだつねおき村井貞勝むらいさだかつ簗田広正やなだひろまさ。 そして、松井友閑まついゆうかん武井夕庵たけいゆうあんであった。

 因みに彼らへ与えられた官位だが、信忠には正五位下左近衛少将が、信盛には従五位下駿河守が、勝家には従五位下修理亮が、秀貞には従五位下佐渡守がそれぞれ与えられる。 そして一益には従五位下左近将監が、秀吉には従五位下紀伊守が、恒興には従五位下大監物が、貞勝には従五位下長門守が与えられた。

 次に長秀と光秀と広正だが、彼らには名族の名と官職が与えられる。 光秀には惟任これとうの姓と従五位下日向守が、広正には別喜の姓と従五位下右近将監が与えられる。 なお長秀だが、彼は官職を断った為に従五位下の位階と惟住これずみの姓だけが与えられた。

 また友閑には正四位下宮内卿法印が、夕庵には二位法印がそれぞれ与えられる。 最後に義頼だが、彼は官職の右近衛少将はそのままに正五位上の位階が与えられたのであった。

 但し、これは先に述べた様にまだ先の話である。 現時点においては、織田家重臣の中に官位を与えられる者がいるに過ぎなかった。

 さて話を戻して織田家重臣に対する官位の内諾を己の思惑通りに得た信長であったが、彼は用件が済むと御所より辞している。 それから、京における屋敷である二条御新造にじょうごしんぞうへと向った。

 信長と義頼、そして護衛の者と共に歩く京の町は、京都所司代の村井貞勝や彼を補佐する奉行らの手腕によって往年の姿を徐々にではあるが取り戻そうとしている。 まだまだ道半ばであるが、それ故に活気に満ちていると言えた。

 そんな京の町中を進んだ信長の一行は、やがて二条御新造へと到着する。 御新造の玄関まで送り届けた義頼は、そこで信長と分かれ承禎の屋敷へと戻る。 やがて到着した承禎の屋敷へ上がろうとしたその時、気配を感じ刀に手を掛けた。

 するとそこに、一人の男が現れる。 その者の正体を見て、義頼は警戒を解いた。 そこに居たのは、良く知る人物だったからである。 義頼の前に片膝をついて控えていたのは、甲賀衆筆頭の望月吉棟もちづきよしむねであった。


「吉棟か。 あまり驚かせるものでは無いぞ」

「殿、申し訳ありません。 火急の報せが届きましたものですから」

「火急だと? 言ってみよ」

「はっ。 越後の上杉謙信うえすぎけんしんが西へ出陣致しました。 また、能登国にて騒動が起きた様にございます」

「な、何だとっ!!」



 吉棟と共に屋敷へと上がった義頼は、承禎や己の家臣と共に吉棟から詳細を報告させた。

 それによると、越後上杉家が動いたのは三つの理由であるらしい。 一つは足利義昭あしかがよしあきの御内書、もう一つは顕如けんにょ杉浦玄任すぎうらげんにんら加賀一向衆からの援軍要請。 そして最後の一つは、能登国への進軍であった。

 どうやら謙信は、越中国と能登国を足掛かりにして越前国と侵攻した加賀国をほぼ手中に収めた浅井家に対抗すると言う意図の様である。 浅井家を蹴散らすなり滅ぼすなりした後は、上洛を考えていると見て先ず間違いないと思われた。

 この義頼の予測だが、本多正信ほんだまさのぶ沼田祐光ぬまたすけみつも賛同していた。


「ところで吉棟。 能登で起きた騒動とは何だ?」

「はっ。 どうも能登畠山家で、内訌が起きたかと」

「は? 能登畠山家で内訌? 何故に、そうなった」

「どうも上杉家からの調略が、引き金かと思われます」


 現在、能登畠山家は幼君が当主を務めている。 先代が急死した為、数えで四才の畠山春王丸はたけやまはるおうまるが当主に就任していた。

 しかし、こんな幼子に飾りとしての当主以外務められる筈もない。 その為、能登畠山家の実権は、重臣の一人である長続連ちょうつぐつらが握っていた。

 だが、この状況に他の重臣は面白い筈もない。 そんな能登畠山家に対して、謙信は能登国侵攻前に調略を仕掛けたのだ。

 すると調略に乗った能登畠山家の重臣である遊佐続光ゆさつぐみつ温井景隆ぬくいかげたからが、春王丸暗殺を仕掛けたのである。 しかし寸でのところで続連や彼の嫡子である長綱連ちょうつなつらが、防ぎ切ったのであった。

 春王丸の暗殺に失敗した能登畠山家の重臣達は、それぞれの居城で兵を上げると越後上杉家に援軍を要請する。 その援軍要請と一向衆からの援軍要請を受けて謙信は、兵を西に向けたのであった。


「大方、公方様が御内書を出しているのだろう。 違うか、義頼」

「その通りです、兄上。 まぁ、何であれ殿には報告せねばならないですが」

「その方が良かろう。 ああ。そうだ。 それからついでという訳ではないが、修理大夫殿と徳祐殿も連れて行ってはどうだ? 大義名分にはなろう」


 修理大夫とは、嘗て能登畠山家で起きた騒動【永禄九年の政変】によって能登国を追放された元能登畠山家当主の畠山義綱はたけやまよしつなの事である。 彼は承禎の娘婿であり、義頼から見ると義理の甥に当たった。

 その義綱であるが、出家して徳祐と名乗っている父親の畠山義続はたけやまよしつぐと共に能登国を追放された後は承禎を頼って近江国へ逃れている。 だが義綱と徳祐の身柄は、娘婿とその父親と言う事もあり承禎が請け負っていたので義頼は全く関与していなかった。

 その義綱と徳祐だが、やがて承禎や神保長職じんぼうながもとや謙信の後援を得て能登国へ侵攻するが失敗して敗退している。 彼ら畠山親子は何とか近江国へと逃げ戻ると、再度の侵攻を画策する。 しかし、程なくして六角家が上洛途中の織田家に敗れてしまった為に再侵攻を行う事は出来なかった。

 それでも彼ら親子は暫くは近江国内に居たが、承禎が武家故実を拝命して京に上る頃を前後して義綱と徳祐も京へと移動している。 以降、義綱と徳祐は京にて活動していたが、その成果は捗捗はかばかしくなく未だに京に居たのであった。


「修理大夫(畠山義綱殿)と徳祐(畠山義続)殿ですか……その件も含めて殿へとお話「申し訳ありません」し……」


 お話すると言葉を続けようとしたその時、部屋の外から声が掛かった。

 声を掛けて来たのは義頼の家臣では無く、承禎の家臣である。 その為、義頼は言葉を続けるのを止める。 その代わりに声を上げたのは、この屋敷の主でもある兄の承禎であった。 


「何だ」

「お客様がお見えにございます」

「客? 誰だ?」

「修理大夫様にございます」


 まさかの人物の来訪に、思わず義頼と承禎は目を合わせる。 今まさに話していた人物の本人が、まるで申し合わせたかの様に現れたからであった。

 そんな部屋の中の様子に対して気を利かせたのか、取り次いだ者が断ろうかと提案して来る。 だが義綱に用があるのは、義頼らとて同じである。 義綱がどの様な用件で尋ねて来たのかは分からないが、追い返す必要は全く無かった。

 そこで承禎は、義綱を隣室へ通す様にと伝える。 正信や祐光など義頼の家臣らはこの部屋に残り、屋敷の主である承禎と義頼が義綱を迎える為に隣室へと移動した。

 それから間もなく、義頼と承禎が居る部屋に義綱が現れる。 しかし彼は一人では無く、もう一人同行者を連れていた。

 その男は僧体であり、能登国孝恩寺の住職で法名を宗先と名乗った。

 ただ、くだんの男はとても僧侶には見えない。 むしろ、武将が何かの理由で僧体をしていると言われた方が納得出来る様な男であった。


「して修理大夫殿。 拙者に何用か?」

「実は義叔父たる右少将(六角義頼)殿へ、取り次ぎをお願いしたく参上致した次第」

「は? 某にですか?」


 まさか自分に用があるなど露ほど思ってもみなかった義頼は、驚きの声を上げた。

 しかし驚いたのは、実のところ義綱と宗先も同じである。 取り次ぎを頼みに来た屋敷で、取り次ぐ予定の相手と対面したのだからそれも当然かもしれない。 しかし彼らにとっては、渡りに船である。 承禎の隣に居る義頼に対して、勢い込んで宗先が口を開いた。


「お願いの儀がございます。 織田参議様へ、取り次ぎをお願いしたいのです!!」 


 宗先の言葉に、義頼と承禎は思わず視線を合わせた。

 謙信の西進と、それに伴う能登国への侵攻。 その件に付いて話し合いをしていた矢先に現れたのが、畠山義綱と宗先と名乗る僧侶である。 その宗先が、謙信の情報を仕入れた義頼が報告しようとしていた信長に用があるから取り次いで欲しいと言う。 この奇妙な符号の一致に、義頼と承禎の兄弟は顔を見合わせてしまったのだ。 

 しかし、だからと言って了承と言う訳にはいかない。 先ずは、信長へ取り次ぎを願い出る理由を確認しなければならなかった。


「え、っと。 宗先殿……でしたな。 殿への取り次ぎを求める理由をお聞かせ願いたい」


 言葉自体は落ち着いているが、義頼の眼光はとても鋭く宗先を見ていた。

 勿論、それは警戒しているのである。 まだ法名しか名乗っていない男を、幾ら義理の甥が連れて来た者だからと言って易々と信長へ目通りさせる訳にはいかないからだ。

 それは宗先も分かっているらしく、彼は一つ頷くと信長への用件を話し始めた。

 彼の話によると宗先は僧侶であるのは間違いないが、同時に父親の長続連と同様に武将でもある。 彼は住職を務める孝恩寺の名を通称として、幾度となく戦場にも出ていた。

 その宗先が何故に京に居るのかと言うと、信長に救援を要請する為である。 能登畠山家の居城である七尾城に籠る事で、反旗を翻して越後上杉家に従った重臣達からの攻勢は何とか凌いでいる続連であるが、それも上杉謙信が現れればどうなるか分からない。

 そこで続連は、息子で僧侶でもある宗先にみすぼらしい乞食僧の様な格好をさせて七尾城より使者として送りだしたのである。 続連が頼ったのは信長であり、そして京にて能登国再侵攻の画策を続けている義綱と徳祐の親子であった。

 それに義綱としても、能登畠山家当主に返り咲きたいのであって家を滅ぼしたい訳ではない。 そして謙信の侵攻を許すと言う事、それは即ち能登畠山家の滅亡と同義であった。

 だからこそ、義綱にしても宗先にしても信長へ援軍を要請したいのである。 もしそれが叶うのであれば、織田家に従属するのも吝かでは無かった。


「お願い致します右少将殿! どうか! どうか、取り次ぎを!!」

「……分かりました」

『おおっ!』

「どの道、殿へはお知らせするつもりでした。 これからお屋敷へ向かいますが、ご同行致しますか?」

『是非ともお願い致します!』 


 義綱と宗先が、揃って返事をするとほぼ同時に頭を下げた。

 まるで鏡の様に、言葉と行動が一致している様に義頼は小さく笑みを浮かべる。 だがすぐにその笑みを表情から追い払うと、義綱と宗先に声を掛けてから立ち上がる。 声を掛けられた二人は、義頼に続いて立ち上がった。


「と言う訳ですので兄上、某は殿の元へと向かいます」

「相分かった」


 それから正信ら連れて来た者達に声を掛けてから義頼は、母衣衆と義綱と宗先を連れて承禎の屋敷を出ると二条御新造へと向かうのであった。



 二条御新造へと到着した義頼は、至急の報せありとして信長との面会を申し出る。 取り次いだのが何かと顔を合わせる事のあった堀秀政ほりひでまさと言う事もあり、義頼はあまり待たされる事も無く信長との面会を果たした。

 分かれてからあまり時間が経っていないにも拘らず面会を望んだ義頼に対して、信長は訝しげな表情を浮かべている。 しかし何時までもこのままと言う訳にもいかないので、信長は義頼へと水を向けた。

 義頼は一つ返事をすると、同席している吉棟に上杉謙信の動向と能登国で起きた騒動について報告をさせる。 彼の話が終わるまで目を瞑りながら黙って聞いていた信長であったが、話が終わってから暫くした後でゆっくりと目を開くのであった。


「謙信坊主が動いたか。 それと能登のう……義頼、やはり動きは連動してると見て間違いないな」

「はっ。 その証拠と言う訳ではありませんが、能登畠山家より援軍の要請がありました」

「何? どういう事だ?」


 眉を寄せながら問い掛ける信長に対して、義頼は義綱と宗先からの話をした。

 その話を聞き、信長は義頼が連れて来た義綱と宗先を召し出す。 控えの間に居る義綱と焦る気持ちをどうにか抑えている宗先は、漸く信長との面会を果たした。

 二人は信長に対して一つ頭を下げると、宗先が義頼と承禎へ先ほど話した内容を伝える。 二度目と言う事もあり、彼は問題なく信長へと伝えていた。


「謙信への対策か」

「はい。 それが叶うならば、能登畠山家は織田家に従属致しましょう」

「ふむ……良かろう。 援軍、出してやる」

「おおっ! 感謝致します」


 なお宗先の父親である続連は、能登畠山家の従属までは言っていない。

 しかしこうした騒動が起きた以上、続連が能登畠山家の実権を握り続けるのは難しい。 それに、援軍を出す信長も何かと言って来るであろう。 そうなれば代わりの者に春王丸の後見をさせる事なるが、その後見となる人物は同じ能登畠山家一族であるのが望ましかった。 

 となれば、この面会に同席している義綱が一番の候補となる。 こうし宗先と共に目通りを果たしてもいる義綱であるから、信長としてもそうなる方が都合がいいのだ。

 こうして宗先は、独断もあったがどうにか信長からの援軍を引き出す事に成功する。 すると信長は、誰を向かわせるかについて考えだした。

 実は現在、直ぐにでも軍勢を率いて動ける織田家の者は二人存在する。 一人は言わずものがな義頼だが、もう一人は飛騨国に侵攻予定の柴田勝家であった。

 信長から命を受けた勝家は、一門衆の柴田勝定しばたかつさだと飛騨国人の姉小路頼綱あねこうじよりつなの妹との婚儀を纏め上げている。 その上で、頼綱に先導させて飛騨国を鎮定するのだ。

 その為に侵攻する軍勢は既に整っており、後は軍を動かすだけである。 しかし、東濃より飛騨へ侵攻する勝家を北陸に回すのは現実的では無い。 となれば、自ずと答えは一つしかなかった。


「義頼。 中国へ向かう前に、その方が行け」

「某にございますか?」

「そうだ。 毛利攻めの軍勢と、俺と信忠の護衛として連れて来た近江衆と美濃衆から幾らかを引き連れて謙信坊主を蹴散らして来い。 追っ付け、追加も送る」

「承知致しました。 ところで、殿も能登へ向われますか?」

「いや、行かぬ。 そなたに任せるぞ」

「承知致しました」


 義頼は僅かに口角を上げながら、信長から任を拝命した。

 それから直ぐに二条御新造を辞すると、承禎の屋敷へと戻る。 そこで兄に、信長との話とこれから出陣する旨を簡潔に話した。

 その話を聞いた承禎は、何とはなしに苦笑を浮かべてしまう。 織田信長や武田信玄たけだしんげんと直接刃を交えた事もある義頼が、今度は上杉謙信と対峙すると言うのだ。

 そんな弟の戦歴を思うと、良く生き残っている物だと思えてしまったからである。 それも、怪我らしい怪我を負う事無くである。 悪運が凄まじくいいのだろうと考えたその時、思わず漏れた笑みであった。

 そんな承禎が浮かべた笑みを見て一瞬だけ不思議そうな顔をした義頼だが、兄が頷いた事でその思いも消えてしまった。

 その後、義頼は、承禎の屋敷に同行した忍びを率いている二人を呼び出す。 間もなく現れたのは、甲賀衆の有力家でもある佐治家の佐治為次さじためつぐと伊賀衆の滝野吉政たきのよしまさだ。

 二人が揃うと、義頼はある命を伝える。 その命とは、信長と信忠の護衛であった。

 今までであれば信長と信忠の割と近くに義頼自身が居た為、それほど必要とは考えていなかった。 しかし今後は急遽命じられた越後上杉家との戦の後に向う毛利家と、腰を据えて戦う事になる。 下手をすれば年単位で戦場に駐在する事になるとなれば、自分がいない間に護衛を受け持つ者が必要であった。

 単純な武力であれば近江衆や美濃衆が居るが、暗殺や毒殺などとなるとやはり武士より忍びの方が一日の長がある。 その事を勘案すれば、やはり忍び衆を張り付ける必要を感じたからであった。


「その方らに命を与える。 為次は甲賀衆と共に殿を、吉政は伊賀衆と共に若殿を密かにお守りしろ。 但し、近江衆や美濃衆などの近侍している者達の面子は潰すな。 難しい命だとは思うが、お主らなら出来ると信じている」


 義頼の言葉に、二人は微かに苦笑した。

 命の難易度は別として、この様に言われては受けないと言いづらいからである。 だが彼らの実力をすれば、決して不可能でもないのも事実である。 だからこそ二人は、苦笑を浮かべたと言えた。

 こうして義頼からの命を拝した二人は、それぞれに旗下きかの甲賀衆と伊賀衆を率いて信長と信忠の護衛を行う様になるのであった。

 彼らに命を与えた翌日、義頼は屋敷を出ると勝龍寺城に向かう。 そこで同城に集結していた将兵に、中国に向かう前に越後上杉家と戦をする旨を伝える。 その数日後には、蒲生賢秀がもうかたひで率いる近江衆や西美濃三人衆が率いる美濃衆と共に中国では無く北陸へ兵を進めるのであった。

 それと、直接播磨へ向かう事となっている山名堯熙やまなあきひろだが、彼と但馬衆は予定通り播磨国へ向かわせている。 別所家と小寺家に堯熙と但馬衆が合力すれば、一時しのぎの援軍としては十分であったからだ。

 また信長は、加賀一向衆との戦の総仕上げに掛かっている浅井長政あざいながまさに対して謙信の動きに対する援軍を送る旨を記した書状を出していた。

 なお書状を受けとった長政であるが、彼も越後上杉家や能登畠山家の動きは既に察している。 そこに届いた援軍を伝える書状であった為、内心で喜んでいた。

 能登畠山家は兎も角、やはり上杉謙信の名は大きい。 そんな名将と戦える事に武者震いを覚えつつも、浅井家当主としては少しでも被害を少なくしたいと言う思いがあったからだ。

 また、来訪するのが義頼率いる兵と言うのも悪手ではない。 良くも悪くも過去に近江国の覇権を巡って対立した両家であるからか、お互いの手の内が一番分かっているのもやはり六角家と浅井家なのだ。

 信長からの書状に目を通した長政は、赤尾清綱あかおきよつなに渡す。 書状を渡された清綱は、目を通すと他の浅井家重臣に渡した。

 因みに、長政率いる浅井勢が駐屯しているのは元加賀守護の地位にあった富樫家の館があった場所である。 加賀一向衆の本拠地である尾山御坊を攻める本陣として、館跡を利用しているのだ。

 因みに富樫家であるが、加賀一向衆との戦に敗れ越前国に逃げ込んでいる。 そこで今は富樫家当代の富樫泰俊とがしやすとしは息子ともども浅井家に仕えており、此度こたびの加賀攻めでも富樫家嫡子の富樫稙春とがしたねはると弟の富樫家俊とがしいえとしを引き連れて参陣し加賀国内の道案内を務めていた。 


「そうか……義頼が来るのか……」

「他の織田家重臣方よりは戦を行い易いですな」

「清綱の言う通りだな」

「さすれば兄上、一向衆は取り敢えず動けないようにすれば宜しいかと」

「うむ、そうだな政元。 では清綱に清冬、そなたら親子に此処ここは任せる。 いいか! 蟻の子一匹尾山御坊から出すな!!」

「はっ」

 

 こうして再び北陸で義頼と轡を並べて戦う事になった長政は、その奇妙な縁に小さく笑みを浮かべるのであった。


義頼、中国の毛利家と対峙する前に北陸で越後上杉家と対峙です。

きっついな、これ。


ご一読いただき、ありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ