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第百六十一話~二つの慶事~


第百六十一話~二つの慶事~



 大和国多聞山城、此処は大和国における義頼の居城である。 しかしこの城に常駐しているのは、義頼の代理を務める北畠具教きたばたけとものりであった。

 そして具教だが、義頼の中国遠征に従い播磨国へ向かう予定となっている。 既に兵の用意も整っており、兵糧も間もなく当初の予定を揃える事が出来るのは間違いなかった。


「うーーむ」


 その具教だが、自室にて悩んでいた。

 とは言え、別に播磨国への出陣に対して何か問題が発生したからとかではない。 彼の悩みとは、娘の事であった。

 具教は割と子沢山であり、子供が男子で五人、女子で六人ほど居る。 彼らは父親である具教が義頼預かりとなると嫁いでいる五人の娘以外、全員が伊賀国山田郡の城に移り住んでいた。



 さて前述した通り、六人の娘のうち五人は既に嫁いでいる。 具教の手許に残っているのは、末娘のつき姫だけである。 彼女は中秋の名月の頃に生まれた娘であり、彼女の名前もそこから取られていた。

 そんな月姫であるが、数えで十七であり何時嫁に出してもおかしくはない年齢である。 つまり具教が悩んでいたのは、彼女の嫁ぎ先であった。

 その候補として考えているのは、実は義頼の側室である。 義頼と具教が義理の兄弟であるので、月姫は義頼の姪に当たる女性だ。 しかし彼女は、義頼の姉である北の方の娘では無い。 具教の側室が生んだ子供であり、義頼とは一切血の繋がりを持たない女性であった。

 それに、義頼には側室が一人しかいない。 その側室であるお圓の方も割と年嵩であり、義頼よりも年上であるからこの先に子供を身籠る可能性は決して高いとは言えなかった。


「……やはり、殿の側室だな。 誰かある」

「はっ」


 具教の声に答えて小姓が現れると、彼に家老の井上専正いのうえせんしょうを呼ぶ様に命じた。

 程なく専正が現れると、彼に月姫の輿入れの話をする。 いきなりの事に当初驚いたが、話自体は悪い話しでは無かった。 

 今は六角家重臣、藍母衣衆筆頭たる具教が事実上率いている北畠家であるが、その待遇とて何時まで持つか分からない。 義頼が当主である今は問題ないと思われるが、義頼の嫡子である鶴松丸つるまつまるが六角家の家督を継ぐ頃にはどうなっているか分からないのだ。

 その対策として、義頼の側室に月姫を輿入れさせる。 北畠家の事を考えれば、打ってしかるべき手であった。


「宜しいかと存じます。 いや、むしろ推奨致します。 血筋的にも、全く持って問題がありませんし」

「まぁ、そうだな」


 宇多源氏の流れを汲む近江源氏の嫡流家である六角家当主の義頼に、村上源氏の流れを汲む北畠の息女が輿入れするのである。 専正の言う通り、血筋的には全く問題はなかった。

 なおこの様な場合、家柄的に考えると北畠家の息女が正室となるのが普通である。 しかし月姫が具教の側室の子である以上、必ずしも正室と言う立場となる必要はない。 お犬の方と言う織田信長おだのぶながの同腹妹を義頼の正室としている六角家としても、実は都合がいいとも言えた。


「では早速にでも、拙者が大殿(六角義頼ろっかくよしより)の元へ「いや、俺が行こう」と……殿自らですか?」

「一応、娘の事であるしの。 それに一向衆も、最近は大人しい。 兵も揃っているし、まず問題はなかろう」


 具教の言葉通り、大和国内にも一向衆は存在していた。

 しかし当初は隆盛であった一向衆も、松永家と筒井家という大和国の二大勢力が揃って織田家に臣従すると、徐々に力を削がれていった。

 それでも石山本願寺が対立している為に抵抗を続けていたのだが、具教が義頼の代理として大和国に常駐する様になるとその抵抗もある程度低調となってしまう。 その理由の一つに、具教の娘が飯貝門跡に嫁いでいる事があった。

 その上、石山本願寺は殆ど動けない状況に陥っている。 加賀の一向衆も浅井家によって大分力を落とされており、他方面に援助を寄越す様な真似を出来る状況にはない。 逆に、自分達が援助をして欲しいぐらいであるのだ。

 更には、織田家が決して宗教に対して厳しい対応を行っていない事も大和国の一向衆勢力には都合が悪い。 大和国内だけではないが、織田家は宗教に対して厳しく取り締まっている訳ではない。 対立している筈の一向宗にしても、禁教にしている訳ではないのだ。

 織田家と言うか信長は、己の意向に従うのであれば宗教を保護している。 近江国で一向一揆を起こした一向衆に対する鎮圧後の待遇を見れば、それは明らかであった。


「そうですな。 大和国は比較的安定しておりますし……分かりました。 此方で何かあれば、筒井様や松永様と協力して事に当たります」

「うむ。 俺の方からも、両家には伝えておく。 では、頼むぞ」

「御意」


 具教は早速、書状を認めると筒井順慶つついじゅんけい松永久通まつながひさみちへ届けさせる。 そしてその日の内に、善は急げとばかりに多聞山城を出立していた。

 その一方で具教からの書状を受け取った両家の当主は、思わず苦笑している。 それと言うのも書状を持って来た使者から、既に具教が出立している筈だと聞かされたからだ。

 その後、彼らは了承の旨を使者に伝えると念の為にと対応に動きはじめる。 しかし両者とも、先ず動きはないと踏んでいた。 今大和国内は播磨国への出陣が近い事もあり、無理をしない範囲での動員体制にある。 つまり軍勢が即応体制を整えた状況であり、ここで下手に動けばあっという間に蹂躙されかねないのだ。

 幾ら具教が居ないとはいえ、大和国人も無能では無い。 北畠家にしても人材がいない訳ではないので、軍勢を動かす事に何ら問題はないのだ。

 だが、一向衆が動かないという保証もないので彼らは動いたと言う訳である。 だが結果として、彼らの動きは必要なかった。 一向衆は特段動きを見せる事は無く、静観その物だったのである。 下手に動けば殲滅されかねないので、当たり前と言えば当たり前の対応であった。

 その様な理由から大和国内は、具教がいなくても支配に毛筋ほどの揺らぎを見せなかったのである。



 さてその頃、義頼の居る観音寺城下の六角館に客が訪問していた。

 その客とは、瀬田城主の山岡景隆やまおかかげたかの弟である山岡景佐やまおかかげすけである。 彼が義頼を訪問した理由、それは六角義治ろっかくよしはるに関する事であった。

 話は少し遡るが、今から一年ほど前に義治へ婚姻の話が持ち込まれている。 持ち込んできた相手は、飛騨姉小路家(三木家)であった。 しかし諸々の事情があり、この婚姻話は飛騨国侵攻の大将と目されていた柴田家へ持ち込まれ義治の婚姻話は流れてしまう。 だがその際に義頼は、責任を持って継室を迎えると義治に約束したのだ。

 それから義頼は、約束を果たすべく幾人かを候補として探し出している。 その候補の中から最終的に選んだのが、山岡景隆の弟である山岡景佐の息女である。 景佐の息女はたつと言い、瀬田の龍神伝説に因んで名をいただいていた。

 とは言え義治はまだ人質であったと言う事もあり、義頼も直ぐには景佐に伝えてはいない。 しかし今年の初めに近江衆の人質が全員織田家より返されると、義頼は間髪入れずに景佐に対して息女の龍姫を義治の妻として迎えさせたい旨を伝えていた。


「景佐。 そなたの息女である龍姫を、義治の継室とはしてくれぬか」

「…………右衛門督(六角義治)様の妻にですか……」


 だが義頼から婚姻の申し出をされた景佐は、躊躇いを見せていた。

 やはり【観音寺騒動】を起こした事や、三好長逸みよしながやすの侵攻を許すきっかけを作ってしまった事実が尾を引いたのである。 しかし嘗ては父や兄と共に与力となっていた義頼からの申し出であり、彼としても出来うるならば了承したいところではあった。

 そこで景佐は、義頼に時を置く様に頼み込んでいる。 要するに、見極める時間が欲しいと言う頼みであった。

 政略的に言えば、六角宗家の人間である義治に輿入れする事自体は悪い事では無い。 しかし例え政略であったとしても、出来るならば娘は幸せになって貰いたいと言う親心もある。 そんな景佐の親心が言わせたのが、時が欲しいと言う言葉であった。


「時か……分かった。 取り敢えず、暫くは時間をおこう」

「ありがとうございます」


 義頼としても、無理強いはしたくはない。 そこで、その申し出は受ける事にした。

 それから二ヶ月、景佐は義治を注視する。 その結果、彼の義治に対する評価は大分変っていた。

 まず、嘗て六角家当主であった頃の様子はなりを顰めている。 それだけでは無い、義治は仕事に置いても確りとこなしていたのだ。

 信長の命で近江衆は人質を返され、当然義治も六角家に戻された。 すると義頼は、六角宗家の人間と言う事もあり彼を自らの近臣としたのである。 その義治に義頼は、一つの仕事を与えていた。 それは、播磨国侵攻に向けての準備である。 侵攻の準備が始まった頃でもあったので、義頼はこの仕事を義治に与えたのだ。

 勿論。彼だけでは無い。 宮城堅甫みやぎかたよし水口盛里みなくちもりさと伊奈忠次いなただつぐと言った者達にも同様の任を与えていたが。


 それはそれとして、嘗ては失策も幾つか行った義治である。 だが、石馬寺での生活や織田家における人質生活の間に主に内政面の勉学に励んでいる。 戦に関して、義頼や弟の大原義定より下であると薄々感じていた故の行動であった。

 その事に関しては義頼も把握していたので、丁度いいとばかりに試したのである。 その結果、義治は他にも同様の任を与えられていた堅甫達とも協力して、順調に侵攻準備をこなしたのであった。

 この事実は、景佐の耳目を驚かすに十分である。 【観音寺騒動】などを起こした頃の義治を良く知ってるだけに、彼の驚きは相当な物であったと言う。

 余談だがこの驚きは、彼だけでは無い。 【観音寺騒動】の当事者であった後藤高治ごとうたかはる池田秀雄いけだひでおも、驚きを露わにしていたと言う話であった。

 話を戻し、山岡景佐である。 彼は年初に義治と娘の婚儀話を義頼から申し出された日より二月程経ったこの日、彼は六角館を訪問したのである。 あの時、先延ばしにした婚儀話の答えを義頼へと伝える為に。


「景佐。 何の用だ?」

「右少将(六角義頼)様。 今日訪問させていただいた理由は、答えを伝える為にございます」

「答え? 答えとは何だ」

「無論、右衛門督様と我が娘の婚儀話にございます」


 景佐の言葉に、義頼は思い出したとても言うかの様に手を打った。

 とは言え少しはその婚儀話の件かも知れないという思いが、彼に無かった訳でもない。 だが、二人の今日の訪問の内容について具体的に義頼は全く聞き及んではいない。 その為、今の今まで明確には分かっていなかったのだ。 しかし景佐の言葉で義頼は、漸く合点がいったのである。

 

「そ、そうであったか。 して景佐、答えは何だ?」

「はっ。 右衛門督様と我が娘の龍との婚儀話、受けさせていただきます」

「お、おお! 受けてくれるか!!」

「はっ」


 この二ヶ月の間、仕事振りは勿論だが私生活においても悪い話は全くと言っていいほどなかった。

 山岡家は近江伴氏の流れを汲む家であり甲賀衆とも関係が深く、調べるのはある意味お手の物である。 その情報にも掛からなかったのであるから、まず問題ないと景佐は判断したのだ。

 それに後方支援にある意味特化したと思える義治だが、将としては必要と言える技能ではある。 そして彼自身、後方支援だけの者では無い事は父や兄と共に仕えただけに景佐は分かっていた。

 嘗て義治は、万の兵を率いて戦を行った事もある。 義頼程では無いにしても、将としては及第点を与えられるだけの働きを行う事は出来るのだ。

 将としても先ず先ずであり、人となりも【観音寺騒動】を起こした頃より遥かに良いと判断出来る。 血筋としても義治が六角宗家の者である事を勘案すれば、断る理由も見受けられなかったのだ。

  

「では、早速にでも義治に伝えるぞ」

「ははっ」


 義頼は、小姓の岸茂勝きししげかつに命じて義治を呼び出す。 間もなく義頼と景佐が会っている部屋に義治が現れると、彼に婚儀の話を切り出した。

 およそ一年前の事であった為、始めはいきなり何で婚儀の話がと面を喰らってしまう。 しかし義頼から話を聞くうちに、漸く義治も以前の事を思い出していた。  

 実のところ、義治も余り本気にはしていなかったのである。 姉小路家から申し出のあった婚儀話の流れから義頼より出た、言わば社交辞令なものだと考えていたのだ。 

 しかし義頼は本気であり、こうして義治の婚儀話を纏め上げたのであった。 


「どうだ義治。 景佐の息女である龍姫を妻に迎えるか?」

「龍姫を継室に、か」

「そうだ」


 正直に言えば、龍姫の事は義治もよく知らなかった。

 義治も、景佐に娘がいる事自体は知っていたがそれだけなのである。 しかし、断ると言うのも憚られた。 何と言っても、六角家当主である義頼が纏めた婚儀である。 相手を知らないからなど、話を断る理由にすらならないのだ。

 それに義治自身、継室を迎える事に否定的では無い。 六角宗家の者として、義頼の別系統として義治に連なる血筋を残しておくに越した事はないのだ。  


「……わかっ……分かりました。 この話、受けさせていただきます」


 義治と龍姫の婚儀に関していわば仲人を行った義頼だが、彼がこれ以上この話に主導的な関与を行う事は難しい。

 そこで、隠居している蒲生定秀がもうさだひでが義頼の代理として婚儀を進めて行く事になる。

 彼は、景佐や場合によっては山岡景隆とも話し合い義治と龍姫の婚儀を進めて行く事になるのであった。

 こうしてほぼ一年越しの案件に一応の流れを付けて、漸く肩の荷が下りたと考えていた義頼の元にまたしても訪問者が現れる。 それは誰であろう、北畠具教であった。

 彼が六角館に現れたのは、義治と龍姫の婚儀話があった翌日である。 大和国に居る筈の具教が現れたと聞いた義頼は、眉を顰めた。 

 正直に言って、具教が六角館に現れる理由に碌な物が思い浮かばなかったからである。 思い描いたのは大和国人の反抗かそれとも興福寺を筆頭とした宗教関係の話かと、義頼から見れば碌でもないものでしか無かった。

 そしてそんな理由しか思いつけなかった事に、僅かな自己嫌悪も感じていたのであった。

 とは言え、どの様な理由があろうとも会わない訳にはいかない。 いや先ほど上げた事象で具教が現れたのであれば、余計に聞かなくてはならないのだ。

 その様な理由もあり、あまり気が進まないがそれでも義頼は面会する。 具教が通された謁見の間で義頼は話を聞いたのだが、自分が想像していた話とあまりにも違った為に彼は呆気にとられてしまっていた。

 だがそれは、具教も同じである。 己の娘を主君の側室にと話を持ってきたら、その主君が呆気に取られたのだ。

 義頼も具教も、何とも言えずにただ時間だけが部屋の中を静かに流れて行く。 やがて気を取り直したのであろう、義頼が一つ咳払いをしてから具教へ話し掛けたのであった。


「ゴホン! あー、まぁ何だ。 具教、済まんがもう一度言ってくれ。 誰が誰の側室に入るだと?」

「はっ。 拙者の娘である月を殿の側室にと申し上げたのです」

「……月姫を、か」

「御意」


 義頼と月姫だが、面識が無いと言う訳ではない。 全く血が繋がっていないとはいえ、義理の兄に当たる具教の娘である。 そうそう多い訳では無かったが、義頼と月姫は幾度か顔を合わせていた。

 最初の会合は、具教の正室であり義頼の姉に当たる北の方と初めて会った時である。 この時に、具教の家族として月姫を紹介されたのだ。

 最も月姫がまだ成人前の話であり、義頼にしてみれば親戚の女の子以上の感情など持ち合わせる訳もない。 その後も何度かは会っているが、最初の気持ちから全く持って変わっていなかった。

   

「あの月姫が、俺の側室にか。 もうそんなに経つか」


 何となく感慨深いものがあり、義頼は初めて会った頃を思い出して遠い目をしてしまう。 そんな彼の様子に、具教もどういう態度をしていいか分からなくなる。 まさか義頼が、この様な態度を取るとは思ってもみなかったからであった。 

 何であれ、このままと言う訳にもいかない。 具教は気分を切り替える様に、義頼へと話し掛けた。 


「……あの、殿……話を続けて宜しいですかな?」

「ん? ああ、済まん。 続けてくれ」

「それでですが、どうでしょうかこの話、受けていただけますかな?」

「ふむ……」


 そこで義頼は、改めて考えた。

 側室に関しては馬淵建綱まぶちたてつな本多正信ほんだまさのぶ沼田祐光ぬまたすけみつ進藤賢盛しんどうかたもりあたりからそれなりに言われている。 今まで忙しかったと言う事もあり、了承はしても具体的に動いていた訳では無かった。

 だが、そこに来て具教からの側室話である。 しかもその相手は、全く知らない相手では無い。 義理とはいえある程度の人となりを知っている、親戚の娘との話なのだ。

 それに此の度の様な、いわゆる叔姪婚しゅくてつこんが珍しいと言う訳ではない。 また家格と言う意味においても、お互い劣る訳でもなく釣り合いが取れているとも言える。 要は、拒絶する理由がほぼ皆無なのだ。   

 敢えて問題があるとすれば、信長に対してである。 しかし、お圓の方を迎え入れる際に信長から気にするなと言うお墨付きも得ているので事後承諾でも問題とはならないと思われた。

 だがやはり、筋としては通すべきである。 義頼はその旨を具教に伝えると、彼も拒否はしなかった。

 そこで義頼は、一先ず彼を帰らせると急ぎ安土城へ登城する。 多少は待たされたが、面会が叶うと具教からの側室話を信長へ伝えた。


「……その方も律儀だのう。 以前、圓を側室へ迎える際に気にするなと言った筈だぞ」

「それはその通りですが、筋は筋ですので」

「全く。 妙なところで固いのう義頼は。 相分かった、許可する」

「はっ」

「それと、義頼。 今日以降は、その様な話は書状で構わん」

「御意」


 信長からの許可と言質を得た義頼は、北畠具房きたばたけともふさの屋敷に向かう。 そこには、具教が居る筈だからだ。

 果たして二人に会った義頼は、信長から許可が出た事と月姫を側室として迎える旨を伝えたのであった。

 此処ここに図らずも、義頼と義治の婚儀話が持ち上がる。 慶事であり、どうせならと両者の婚儀は続けて行われる事となった。

 義頼の方は側室を迎えると言う話なのであまり準備に時間は掛からないが、義治の方は新たな正室となる女性を迎える話である。 六角宗家の者の婚儀であり、それ相応の体裁ていさいが求められた。

 その上、播磨国侵攻もそう遠くないうちに実行に移される。 その様な事情もあってか早急に準備が整えられ、どうにか同月中に全ての準備を完了した。

 此処に六角家は、義頼の新たな側室となる月姫の輿入れと義治の華燭の典をほぼ同時に執り行う事が出来たのであった。

   


 近江国でこうした慶事が立て続けに起きた頃、遠く越後国にある春日山城にて上杉謙信うえすぎけんしんは届いた書状を読んでいた。 

 彼の近くには、直江景綱なおえかげつなが居る。 景綱は黙って謙信が書状を読み終えるのを待っていたが、書状を読み終えたと判断すると謙信へ声を掛けた。


「御実城様。 またいつもの、上洛を促す書状にございますか?」


 やや皮肉の籠った声で、直綱は書状の内容を指摘した。

 この書状の差出人は、毛利領内の鞆に居る足利義昭あしかがよしあきである。 彼からの書状、即ち御内書には上洛を促す旨が記されていた。

 だがこの内容自体、今に始まった事では無い。 京を追放されて以来、色々な武家へ御内書を何度も出している。 それゆえの、景綱の態度であった。 

 しかし謙信は彼の態度を咎めるでもなく、黙って読み終えた御内書を渡す。 受け取った景綱が中身を見ると、彼の言った通り上洛を促すものではあった。

 だがそこには、何時いつもと違い逼迫さを感じる。 その事に景綱は、眉をしかめた。


「見ての通りだ。 内容自体にさしたる違いはないが、文章に逼迫さを感じる」

「ですな」

「理由は分かるか?」

「恐らく、織田家の動向でしょう」

「で、あろうな」


 要は、義頼が大将となって行う播磨国への出陣である。 これはいよいよ信長が決断した対毛利家との戦の為である事は、言うまでもなかった。

 そこで義昭は、自信の保身と毛利家からの要請もあり上杉への御内書を出したのである。 その見返りと言う訳ではないが、義昭の仲介で一度は破綻した上杉家と北条家の和議が進んでいる。 今のところは順調に推移しており、余程の事が無い限りは先ず結ばれるであろうと上杉家も北条家も考えていた。 


「して御実城様、如何いかがなされます?」 

「直ぐに上洛とは行くまい。 何より、浅井が邪魔だ」


 越前国を抑え、加賀国も既に殆ど抑えている浅井家は上杉家にとって上洛を阻害する蓋である。 故に上洛を行う為には、この浅井家を排除する必要があった。


「浅井と言えば、顕如けんにょ殿より加賀への援軍要請もありましたな」

「うむ。 その件もある。 よって雪解けを待って、先ずは能登を押さえる。 その後は南下し、加賀に向い浅井を撃破する。 上洛は、その後よ」

「御意」


 景綱が下がると、謙信は庭に面した障子を開ける。 空を見上げると、綺麗な月が輝いている。 その月を見ながら、謙信は独白した。


「さて、浅井を攻めれば必ず織田が出てこよう。 来るのは信長か、それとも毛利攻めの軍勢が整っている織田の今飛将こと六角義頼ろっかくよしよりか? はたまた鬼柴田こと柴田勝家しばたかついえか? いずれにせよ、楽しみな事よ」


義頼の側室と六角義治の継室話でした。

なお二人の姫の名ですが、調べても判明しなかったのでオリジナルです。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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