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第百五十九話~安土城での新年の宴~


第百五十九話~安土城での新年の宴~



 無事に年も明けた正月、安土城では初となる新年を祝う宴が催された。

 去年は【設楽ヶ原の戦い】と東濃で起きた【中津川の戦い】が最後の戦であり、また織田家領内の各地域も安定している事から全ての重臣が安土城へつどっている。その安定度は、摂津国で対石山本願寺の総大将として戦っている佐久間信盛さくまのぶもりが安土城に居るのだからかなりの物であると言えた。

 最も石山本願寺は、【木津川口沖の海戦】以降は小競り合いを除き殆ど織田家と戦らしい戦をしていない。佐久間信盛も挑発などを行い敵の出陣を促す事も度々行ったが、それに顕如けんにょらが答える様な事態とはなっていなかった。

 これでは戦にならないと、佐久間信盛も呆れていたが油断するようなことにはなっていない。それというのも彼の脳裏には、【三方ヶ原の戦い】の前に織田信長から向けられた視線がこびり付いているからだった。

 あの時、彼は処罰を受けるだろうと考えていた。しかし実際には、何も無く待遇も変わっている訳ではない。だが織田信長おだのぶながに視線を向けられた時、間違いなく彼の心胆を寒からしめたのだ。だからこそ彼は、例え少勢力であったとしても油断だけはするまいと心に誓ったのである。今の佐久間信盛は、織田信長から不興を買う事を恐れているのだ。

 しかし歴戦の者である為か、無理な戦を行おうとまでは考えていない。その結果、彼は挑発や石山本願寺周辺にある砦に対して兵を出し攻めてみせるぐらいに留めていたのだ。またこの方針は、織田信長へも報告している。始め報告など考えていなかったが、弟の佐久間信辰さくまのぶときからこのやり方は、見方によっては手緩いと取られかねないと指摘されたのだ。

 ある意味、以前よりも織田信長を恐れている節がある佐久間信盛である。それはあり得ると考え、直ぐに大まかな方針を主へと報告する。それ以降はある程度定期的に、報告等を織田信長へとするようになっていた。

 以前よりも多く佐久間信盛から報告が届くことになり織田信長は、その行動に苦笑を浮かべたとも言われているが定かではない。しかし連絡が多くなったことが、織田信長からの指示と言う程でもない言葉が多く佐久間信盛へ届く様になったのも事実であった。

 だからこそ彼は、石山本願寺へ手を抜くようなことはしていない。傍目には戦線が膠着しているかのごとく見えるが、内実的には佐久間信盛の軍勢に石山本願寺が押されているというのが本当のところであった。

 そんな対石山本願寺であるから、しっかりと体勢さえ整えれば総大将たる佐久間信盛が数日ほど抜けたとしても先ず問題はない。そう判断した織田信長によって、佐久間信盛も安土城へ一時的に戻っていたのだ。

 そんな彼が音頭を取り、新年を祝う宴が始まる。この宴においても、義頼の行動に変わりがある訳ではない。織田家の重臣として認識されてはいる彼ではあるが、それでも例年通りに挨拶回りを行っていたのだ。

 やがて一通り回り終えた義頼は、用意された自らの席へと戻って来る。するとそこには、供として義頼と共に宴席へ参加している大原義定おおはらよしさだらとは別に何名かの織田家直臣が顔を揃えていた。

 その場に居たのは、京極高吉きょうごくたかよし京極長高きょうごくながたかの親子。それから長岡藤孝ながおかふじたか三淵藤英みつぶちふじひでの兄弟、そして細川藤賢ほそかわふじかたである。つまりここにいる織田家直臣は、毛利攻めの際に義頼と共に中国へと向かう者達というわけであった。

 なお他に毛利攻めを命じられている一色義俊いっしきよしとし山名堯熙やまなあきひろがいないが、それは二人が織田家家臣ではないからである。実質的にいえば織田家家臣と言って差し支えのない両名であるが、形の上とは言え織田家の従属大名となる為であった。


「そなたたちは、ここにいたのか」


 実は挨拶回りを行った際に、義頼は彼らと会えなかった。

 何ゆえであろうかと思っていたのだが、何のことはない。ただ、すれ違っただけであった。義頼が挨拶回りを行ったように、彼らも挨拶の為に幾人かのところを回っていたのである。何といっても義頼も含めてここにいる者たちは、織田家家臣としては新参者に当たる。やはり、それ相応の行動を行わない訳にはいかなかったのだ。


「ああ。それはそうと、新年明けしておめでとう。右少将(六角義頼ろっかくよしより)殿」


 最初に口を開いたのは、京極高吉である。別に取り決めとかがあった訳ではないが、何となくそのような雰囲気となっていたのだ。強いて理由をあげるとすれば、彼が一番の年上だからであろう。実際、彼に続くように他の者達も挨拶を行っている。そんな彼らに対して、義頼もまた挨拶を交わしていた。

 さて彼らが集まったのは、より親睦を深める為である。中国地方へ向けて侵攻する時期がいつからと、具体的に決まっている訳ではない。だが逆に言えば、いつ命じられてもおかしくはない状況でもあるのだ。ましてや彼らは、普段から安土に詰めている訳ではない。義頼は役目があるので安土にいることは多いが、他の者達は領地と安土を行き来している。それゆえに、会える時は会うことにしているのだ。

 とはいえ、宴の席である。 親睦を深める為のやり方は、必然的に酒盛りとなった。しかし、そこに問題がある。それは、異常なまでに酒に強い義頼の存在だ。

 はっきりいってしまえば、義頼に付き合える者などほぼいないのである。彼に合わせてしまえば、まず間違いなく他の者は酔い潰れてしまうからだ。それでは、親睦も何もあったものではない。その為であろう、義頼はなるたけ抑えて飲んだのであった。

 するとそんな義頼たちに対して、滝川一益たきがわかずますが声を掛けて来る。最初は義頼の酒の飲み方が遅いから話し掛けたのだが、そこに居た面子を見て彼は察したのだ。何ゆえに彼らが集っているのかを。

 それでなくとも滝川一益は、織田家に仕官する前は六角家へ出仕していた経緯から義頼とは繋がりがある。その上、彼は甲賀の出であるからか、独自に忍び衆を抱えていた。

 その為か、他の織田家家臣と比べても情報が早い節がある。その情報網を駆使して、滝川一益は他の織田家臣よりも先んじて毛利攻めの情報を掴んでいたのであった。

 因みに、義頼も似た様なことを行っている。ただ、彼が抱えて居る忍び衆が甲賀衆と伊賀衆と言う屈指の忍び衆であるからか、より大きな網を国内外に被せていた。これは、織田信長も周知しているので問題とはなっていない。実際、織田信長も義頼の情報網を宛てにしている節があり、半ば黙認されていたのだ。


「なるほど。そう言うことですか」

「おお、彦右衛門(滝川一益)殿。いかがされましたかな?」


 義頼は既に一度、滝川一益に対して新年の挨拶は行っているので今更挨拶をすることはない。それは滝川一益も同様であり、だからこそ彼も挨拶はしていなかった。

 

「いや。右少将殿がゆっくりと飲んでいたのが目に入ったので気になっただけなので、お気にしないでいただきたい」

「そ、そうか……ですが、そういうことなどと言っておられたがどういう意味か?」

「大したことではありませぬ。貴殿がゆっくりと酒を飲んでいた理由、それを察しただけゆえ」


 何気ない感じであったが、そんな彼の言葉に義頼だけでなくその場に集っていた者達も微かに反応した。彼らは幾度となく戦を経験して来た者達でもあるし、中には知恵者もいる。そんな彼らであればこそ、滝川一益が漏らした言葉から別の意味を導き出していたのだ。

 それは中国地方への進撃が、敵となる毛利方へ察せられているかも知れないということである。確かに大軍となるので、隠し通す事は難しい。兵糧だけ見てもかなりの量となるので、そのことからも察する者はいるだろう。しかしその事実から相手が察知し、かつ懸念するかそれとも懸念しないかを考えるだけでもやり方などは変わって来る。それが事前に分かっただけでも、ある意味で収穫と言えた。

 ましてや、敵には毛利両川の一人である小早川隆景こばやかわたかかげが居る。彼ならば、間違いなく織田家による中国進撃を突き止めてしまうだろうという事に今更だが想像に難くなかった。

 なお京極高吉の嫡子である京極長高だが、彼は気付いていない。周りの反応に、不思議そうな表情をしていた。これは、彼が若いと言うこともある。だがそれより何より、絶対的に経験が足りていない事に起因していた。

 最も、数えで十三歳という年齢を考えればそれも当然ともいえるのであるが。

 その意味では未だ二十代である義頼も同じだが、彼の場合はその若さに反して良くも悪くも色々な意味で経験が多い。その経験の為、他の者達と同様に気付けていたのだ。

 それが喜ぶべきなのか、それとも嘆くべきなのかは判断できないのであるが。


「彦右衛門殿。取りあえずは一献いいかがか?」


 まぁ、それはそれとして今は宴席である。無粋な話を持ち出す時ではないと考えた義頼は、滝川一益も交えて酒を酌み交わすことにした。元々毛利攻めの前提であったとは言え、新年の宴にかこつけて先ずは長岡藤孝らと親睦を深めるつもりだったのである。そこに滝川一益が加わったとしても、大した問題でも無かった。


「宜しいのか?」

「今は宴席。よろしいも何もなかろう」

「ふむ……それもそうですな。では」


 義頼は、胡坐をかいて座った滝川一益に杯を渡すと、義頼は手ずから酒を注いでいく。彼は注がれた酒を飲み干すと、義頼へ返杯した。また彼だけでは無く、その場に居る長岡藤孝たちにも滝川一益は酒を注ぐ。やがて彼らは飲み干すと、それぞれが滝川一益へと返杯していた。

 彼は酒に弱い訳では無いので、数杯程度であれば大したことにはならない。特に問題なく滝川一益は、長岡藤孝らからの酒を順繰りに飲み干したのであった。


「中々に良い飲みっぷりですな、彦右衛門殿」

「おお。五郎左(丹羽長秀にわながひで)殿か」


 滝川一益が全員からの返杯を飲み干した丁度その時、彼へ話し掛けた者がいる。その人物は、丹羽長秀であった。彼がここに来たのは、大した理由はない。敢えて上げるとすれば、挨拶回りが終わった様子の義頼と話す為だった。

 というのも、義頼が織田家の家臣となってから何かと丹羽長秀と縁が多いことに由来している。それゆえか、義頼と一番仲の良い織田家重臣は丹羽長秀であったのだ。

 それは丹羽長秀としても同じであり、付き合い自体は佐久間信盛や柴田勝家しばたかついえの方が長いが気軽に付き合うという意味では義頼の方が上となる。年齢的に言えば一回り以上離れているのだが、二人は馬が合うのか不思議と険悪とはならないのだ。

 そんな二人であるから、義頼も当然のように丹羽長秀を誘う。彼もそれに答え、その場に座ると酒を汲み交わし始めた。すると、羽柴秀吉はしばひでよしなど他の織田家重臣が集まって来る。重臣が三人も揃って酒を酌み交わしているのであるから、そうなっても不思議はなかった。

 彼ら重臣たちと酒を酌み交わしてつつも本来の目的である長岡藤孝たちとの親睦を深めている義頼であったが、こうなって来ると酒を節制して飲むという訳にはいかない。下戸である明智光秀あけちみつひでは除くとして、彼らは食事に舌鼓を打ちつつも酒を酌み交わしていく。そのうちに他の織田家家臣たちも集まり、彼らも含めて陽気に宴は進んでいくのであった。

 そんな頃、織田信長は新年の宴の上座に織田信忠おだのぶただを残して広間より退出している。そして浅井長政あざいながまさら、織田家に従属した大名達と面会を行っていた。

 大体の者達が安土城を訪れたが、徳川家康とくがわいえやすだけは訪問して来ていない。彼は武田家に取られた高天神城の奪還と言う目的もあったが、何より武田家の動向そのものに対して警戒をしている為に大将の家康が軽々に離れる訳にはいかなかったからだ。

 そこで彼は、新年の挨拶と贈り物は息子の徳川信康とくがわのぶやすを代理として安土城に送っている。彼は織田信長にとっても娘婿に当たるので、徳川家康の代理としては申し分はなかった。 


「信康、よう来た」

「はっ。参議(織田信長)殿におかれましては、御機嫌麗しく」

「堅苦しいぞ。そなたは俺の義息だ、もう少し楽にせい」


 そう言われても、徳川信康としてはそんな不遜な態度を取る訳にもいかない。確かに織田信長の長女である徳姫を娶っているが、この場には徳川家康の名代として居るのである。万が一にも不況を買い、織田家と徳川家の仲を拗らせる原因となる訳にはいかなかった。

 しかしながら、織田信長直々の言葉である。杓子定規しゃくしじょうぎに断るのも憚れるので、彼は義父と呼ぶという折衷案を出した。


「なれば、義父殿とお呼び致します」

「義父殿か……うむ、それでよいわ」

   

 それでも彼は、やはり父となる徳川家康の名代である。織田信長に対して義父殿とは呼んでいるが、それ以外はしゃちほこ張った口調を崩すことはなかった。こうして信康からの挨拶を受けたあとで織田信長が面会したのは、一色義俊と山名堯熙である。彼ら二人が安土へ来たのは新年の挨拶もあるが、義頼から書状が届いた事が大きかった。

 そんな一色義俊と山名堯熙と面会した信長は、そこで両名に義頼からの連絡が行っているのかを尋ねる。すると二人は、頷くことで了承している旨を伝える。そんな二人を見た織田信長は、彼らに頷き返してから口を開いた。


「ならば話は早い。一色義俊、並びに山名堯照」

『はっ』

「改めて、そなたらに与力を命じる。義頼と共に、毛利へ攻め込むのだ」

『承知致しました』


 彼らが退出したあと、織田信長が次に会ったのは義弟の浅井長政であった。

 加賀一向衆と干戈を交えている浅井家だが、石山本願寺を織田家が圧倒している様に彼の家もじりじりと加賀一向衆を追い込んでいた。加賀一向衆は本拠地である尾山御坊まで、浅井家の軍勢によって加賀一向宗は追い込まれていたのである。それゆえ、佐久間信盛と同様に長期間でなければ大将の浅井長政が戦場を離れることが可能であったのだ。


「ところで長政。加賀はどうなのだ?」

「書状にて、経緯はお知らせした筈ですが」

「それは届いている。だが俺は、実際に戦をしている義弟のそなたから聞きたいのだ」


 そんな織田信長の言葉に、浅井長政は違和感を覚えた。

 書状での知らせより、実際に戦をしている者からの口上を聞きたいという信長の話は分からないでもない。実際、浅井長政でも時と場合によっては考えるからだ。因みに、義頼も同じ考えを持つ時がある。 義頼と織田信長と浅井長政、性格は違うのだがどこか似た考えをする時がある三人でもあった。

 それはそれとして、浅井長政が違和感を覚えたのはそこではない。わざわざ彼に対して、義弟の口からと織田信長が漏らしたからである。 何ゆえにその様に申したかは分からないが、義弟と呼ばれたからにはそれに答えるべきと浅井長政は考えたのであった。


「分かりました、義兄上。では……」


 そう前置きしてから、浅井長政は加賀国での事を語り出した。

 必要最低限の礼義はわきまえつつも、彼の口調はどこか気軽である。そんな義弟の対応に、笑みを浮かべながら織田信長は聞いていた。

 浅井長政が語ったところによれば、加賀国内の一向衆に対しては相当以上の被害を浅井家は与えている。そして尾山御坊に加賀一向衆の主力を押し込めた後は、加賀国内各地域へ兵を派遣して慰撫を行っていた。

 そのお陰もあり、加賀国は浅井家の領地として徐々に治められていった。

 しかしその一方で、この季節に軍事行動は中断している。やはり雪の影響が大きく、浅井家としてもおいそれとは攻められない。そこで浅井長政は雪解けを待って、尾山御坊攻めを再開する気でいた。

 そして、これらの事が書かれている書状は、織田信長の元に届いている。そこに書かれている内容と、今し方浅井長政が語った内容にそう大差がある訳ではなかった。

 何はともあれ彼を最後に、新年の挨拶と言う名の面会も終わりを迎える。そこで織田信長は家臣のいる広間へと戻ったが、そこではある意味予想通りの状況となっていた。良くも悪くも酒に強い、いや強過ぎる義頼は酔い潰れていない。代わりに、幾人かの家臣が酔い潰れ轟沈していた。

 未だに起きているのは、義頼程では無いにしても酒に強い家臣か全く飲めない者ばかりである。その飲めない者も殆どは退出しており、残っている者で名が通っているのは明智光秀ぐらいであった。

 織田家重臣と言うこともあり、彼は残っていたのである。こういう場合、酒が飲めない者は割を喰う事が多い。そして明智光秀もご多分に漏れず、酔い潰れた者の面倒を見る羽目となっていた。


「相も変わらずの苦労性だな、光秀は」

「父上。もう、宜しいのですか?」

「一通りは終わったわ。後はここぐらいだが……また一人潰れたか」


 織田信長と織田信忠の目の前で、簗田広正やなだひろまさが義頼と飲み比べの末に酔い潰れたのだ。彼は、【桶狭間の戦い】で一番手柄とされた簗田政綱やなだまさつなの嫡子である。そんな酔い潰れた彼の隣で介抱しているのは、父親の梁田政綱であった。

 実はこの飲み比べ、梁田政綱は息子に辞めろと注意している。幾度となく酒宴に参加し、その度に義頼の酒の強さを垣間見て来た彼にしてみれば、息子が負けるのは火を見るより明らかだったからだ。それゆえに止めたのだが、梁田広正はその注意を振り切り義頼と飲み比べに及んだのである。その結果が、今の状態であった。

  

「しかし、義頼はうわばみ……いやざるですな父上」

「確かにな。一度は酔い潰れるところを見てみたい物だ」

「日頃から飲むと、酒に強くなれるのでしょうか」

「いや。どうやら義頼は、日頃は飲んでもたしなむ程度らしい。あれは、天性の物だな」

「真ですかっ! それは、何ともはや」


 父親の言葉に織田信忠は、驚きと感心が綯い交ぜになった様な表情を浮かべながら義頼を見る。いみじくも織田信長が言った通り、義頼が宴会以外で深酒をする事はまずない。それに彼は毎日飲む訳でもなく、数日ごとに晩酌をするぐらいであった。

 彼が宴会以外で酒を深く飲む時は、戦で亡くなった家臣や兵士を個人的に葬送する時ぐらいである。それが嘘か真かはおいておくとするが、何であれ義頼が普段はあまり酒を飲まないと言うのは事実であった。


「まぁ、そろそろ開きとするか。いい加減、起きている者の方が少ないしな」

「そうですね」


 こうして新年の宴もお開きとなった翌日、義頼は普段とあまり変わらない様子で目を覚ました。 

 それでも少しは影響が残っているのか、起きた時間は何時いつもより幾らか遅い時間である。だが何時もと違うのはそれぐらいでしか無いのだから、やはり酒に対する強さは異常であると言えた。

 やや遅い時間であったからか、義頼は軽めの鍛錬を行ってから朝飯とする。それから一服した後、安土城に信長を尋ねた。実は昨日の宴会中に信長へ話そうと思っていた事だったのだが、その機会がないままに宴会が終わってしまったのである。そこで、今日改めて伝えることとしたのだ。

 彼が主へ伝えたい事とは、茶会である。 道意(松永久秀まつながひさひで)との茶席の際に話した織田信長を招いて、茶席を開くのだ。

 勿論、茶頭は道意である。当然ながら、彼の持つ古天明平蜘蛛こてんみょうひらぐもの茶釜も使用される。やがて目通りの叶った義頼は、信長へ茶会を数日後に開く旨を伝えたのであった。 


「……ふむ、新年の茶会か。茶頭は、道意が務めると言うのか。ならば当然、平蜘蛛は」

「勿論、使用致す事になります」

「よし、ならばいいだろう。俺も参加するぞ」

「はっ」

「それと、信忠や長秀も連れて行く。構わぬな」


 言葉だけならば、織田信長は義頼へ一応尋ねている。しかして実態は、ほぼ要請という形の命令であった。そして織田信長が織田信忠を連れて行こうと考えた理由は、後学の為である。彼に織田家の家督を譲った訳だが、同時に息子へ茶器も譲っている。 そこで織田信忠に茶会を経験させる為に、連れて行くつもりであったのだ。

 道意は、茶人として一廉の人物である。その者が茶頭を務める茶会であるのだから、経験としては申し分はないだろうと考えたのだ。そしてもう一人。 茶会に連れて行く者として名が上がった丹羽長秀だが、彼は織田信長をして我が友であり兄弟であるとまで言わしめた家臣である。そこまで買った家臣もそうはいないので、織田信忠と並んで連れて行くと述べたことも分からないではなかった。

 それゆえに義頼も、主の言葉に否とは言わない。それに丹羽長秀であれば、彼としても気心を知れている。その為か、義頼は即座に了承していた。

 これで用件が済んだ義頼は、織田信長の前から辞して安土城を出ると六角館へと戻る。それから道意を呼び出すと、彼に信長との話が終わった旨を伝えた。


「そうですか……決まりましたか」

「うむ。それに、若殿や五郎左(丹羽長秀)殿も来られる。当日は、粗相なきようにせねばならぬ。道意、頼むぞ」

「御意!」



 それから時間も経ちその日の午後、義頼のところへ小姓の水口正家みなくちまさいえが現れる。 そして彼の口から、客達の来訪を伝えられた。六角館へ訪問して来た面子は、昨日の宴席で共に飲食しつつ語らいあった長岡藤孝たち。それと、昨日織田信長と面会していた一色義俊と山名堯熙であった。

 特に織田家従属大名である両名は、義頼ら織田家臣達と顔を合わすことがまずない。それゆえ、今回の新年の挨拶で安土を訪れる際に取り敢えず顔を合わせることとしていたのだ。

 幸い、織田家臣達に昨日の宴会の影響はあまり残ってはいない。集る時間が午後であったことと、深酒をしないようにと心がけていた為であった。

 因みに一色義俊と山名堯熙の二人だが、そもそも酒を飲んでいないので酔う訳がなかった。

 しかしまだ戦を行うと決まった段階でしか無いので、彼らの集いはあくまで相互の交流を深める為である。そのような集まりで明確に戦における作戦がとかの検討などは無く、かと言って昨日の今日である為か酒は出されてない。彼らは素面しらふのまま、話をしているだけに過ぎなかった。

 

「ところで右少将殿。これは……もしかして南蛮菓子か?」

「ええ、弾正左衛門尉(三淵藤英)殿。ちょっとした伝手で手に入れたので」

『ほう』


 義頼の言葉を聞いて、ここに居る者達は物珍しそうに菓子を見ていた。

 彼らの前におかれている南蛮菓子は、ビスケイト(ビスケット)である。昨年末に、京の豪商である角倉了以すみのくらりょういからの贈答品の一つであった。

 前述したように角倉家は、義頼と同じく佐々木の一族の末である。かつ義頼が織田家の重臣となっている為、何かと懇意にしていた。このビスケイトを含めた贈り物も、それゆえに贈答されたのである。 折角なので、丁度いいとばかりに彼らに出した物であった。

 暫くめつすがめつ眺めていた彼らは、何とはなしに義頼の方を見やる。すると、彼はゆっくりと頷いた。

 義頼とて、見たこともない食べ物を客に出す様な事はしない。少なくとも、自らどういった物なのかを確かめた上で出している。だからこそ、客をもてなす為の菓子として出したのだ。

 そんな義頼の態度を見た彼らは、意を決したかの様にビスケイトを口にする。すると今まで殆ど味わったことのない味とその食感に、個人差はあるが概ね好評であったと言う。

 何であれ彼らは、そう遠くないうちに来るであろう毛利家との戦に想いを馳せつつもそんな珍しい菓子を摘まみながら話に興じるのであった。

 因みにその翌日に義頼は、浅井長政とも面会している。彼とは新年の挨拶と、子供が身ごもった事に対する祝いの言葉を受け取っている。その後は、浅井長政と彼に同行した浅井家臣と共に新年を祝う宴を簡素ながらも行ったのであった。


最近、戦もなく平和な義頼です。

最も、数か月先には戦が始まりますが……


ご一読いただき、ありがとうございました。

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