第百五十六話~新砲弾~
第百五十六話~新砲弾~
師走に入って間もなく、義頼は伊賀国の屋敷に居た。
【設楽ヶ原の戦い】に対する褒美として名張郡が与えられた義頼は、これをもって正式に伊賀国主となっている。 そこで彼は、藍母衣衆を護衛として改めて伊賀国を訪れたのだ。
そして彼の伊賀での屋敷には義頼の領地である阿拝郡は勿論の事、仁木義視に与えられている伊賀郡の国人や北畠具教に与えられた山田郡の国人。 そして、新たに義頼の領地となった名張郡の国人も揃っていた。
さて彼ら伊賀国人が何故に義頼の屋敷に揃っているのかと言うと、何という事はない改めての顔見せである。
元々伊賀国人は、義頼の与力であった。 しかし彼が名張郡を賜り伊賀国主となった事に伴って、伊賀国人は織田家家臣から六角家家臣と所属が変更している。 その様な事もあり義頼は、これを機に改めて伊賀国人を集めたのであった。
最も流石に全員は無理なので、伊賀衆の中でも有力な主だった国人だけであったのだが。
「さて……百地殿も、ついに六角家家臣であるな」
その様な経緯から彼ら伊賀国人の有力者が集る広間にて、名張郡の伊賀国人を束ねていると言っていい百地泰光に声を掛けた者が居る。 それは阿拝郡の国人であり、義頼が同地を拝領した際に六角家に家臣入りとなっている藤林保豊であった。
「おう、藤林殿か。 まぁ、そうなるのぉ」
「初めて殿がこの伊賀国に領地を賜った時は様子見だと言っていたが、見極めがついたのか?」
人が悪そうな笑みを浮かべながら言う保豊を見て、泰光は溜息をついた。
確かに六角家は、以前より伊賀衆も運用していた。 しかしそれは、以前までの事である。 少なくとも義頼は、織田家に降伏してからしか伊賀衆を使っていなかったのだ。
それであるにも拘らず、彼は甲賀衆も伊賀衆もそつなく使いこなしたのである。 それも甲賀衆、伊賀衆の分け隔てなく。 それだけでも、見極めなど十分であった。
その上、彼は伊賀国に利益を出している。 火縄銃の生産を始めただけでなく、伊賀焼への傾注や新たな産業として漆器への投資は無論の事、農業や林業への梃入れに始まる伊賀国内の生産力の向上など、領主としても十二分に力を発揮していた。
だからこそ与力である事を差し引いてでも、伊賀衆は義頼の力となったのである。 もし義頼がその辺りの凡夫と変わりが無かったら、今頃彼はこの世から消えていたかも知れなかったのだ。
「藤林殿、それは皮肉か?」
「いや、そんなつもりはないな」
しれっと保豊は泰光へ答えたが、それは間違いなく嘘であろう。 泰光と話す保豊の表情から笑みが消えていないのを見れば、一目瞭然であった。
とは言え、泰光も名張郡の国人を束ねているだけでは無い。 伊賀衆を束ねる上忍三家の一家として、同じ上忍三家の保豊になめられる訳にはいかない。 そこで泰光は、堂々と保豊へ己の存念を告げたのであった。
「まぁいい。 聞きたいのならば答えてやろう。 大殿の、信長公の命とはいえ受け入れた。 それが全てだ」
不敵な表情をしながらも臆する事なく答えた泰光に対して、保豊も先程までの様なふざけているとも取れる態度を改める。 そして真面目な表情となると、泰光へ言葉を返していた。
「……なるほど。 確かにそれが答えと言えばそうなるか。 これは愚問だったな」
「そう言う事だ」
その時、彼ら伊賀国人の主だった者が揃っている広間に、義頼が入って来る。 その途端、広間内に居た伊賀国人達は腰を降ろして平伏した。
そんな彼らを横目で見つつ、義頼が広間の上座に座る。 すると、伊賀国人の中でも筆頭となる千賀地則直が挨拶をした。
義頼は則直の言葉を聞くと、ゆっくりと頷く。 それから国人達に面を上げさせると、彼ら一人一人を眺める様にゆっくりと広間を見回す。 やがて義頼は、嬉しそうに笑みを浮かべたのであった。
「うむ。 息災そうで何よりだ」
『はっ』
「ところで皆も知っているとは思うが、此度俺が伊賀国主となった。 それに伴って、そなた達伊賀国人全てが俺の家臣となった。 最も、実感は湧かんのだがな」
義頼の言葉に、伊賀国人達は苦笑を浮かべた。
伊賀国阿拝郡の者は除くが、それ以外の伊賀国人は義頼の与力である。 そんな彼らが与力となってから、既に三年程月日が流れている。 その間、彼らは与力と言うより実質六角家の家臣の様な扱いであった。
それが今になって織田家直臣から六角家家臣となったと言われても、実感が伴わないと言うのが正直な気持ちである。 これは実のところ、義頼も同じであったのだ。
「まぁ、今更という感じが拭えない事は確かなのだが……これも一つのけじめであろう。 これからも、宜しく頼むぞ。 お主達伊賀衆、そして甲賀衆の齎す情報こそが我が六角家の政戦全ての根幹なのだから」
『御意!』
この後、義頼主催の宴が開かれた。
すると義頼は、この席でも他の宴の席と同じ様に彼ら伊賀国人達に対して一人一人酒を注いでいく。 既に何回か経験しているとはいえ、いささか伊賀国人達は恐縮してしまっていた。
そんな彼らに対して義頼は、媚び諂うでもなくかと言って居丈高に偉ぶるでもなく自然体で対応する。 そのお陰もあってか、彼ら伊賀衆の中にあった当初の固さは何時もの様に極自然と消えていく。 そうなれば後は皆、宴を楽しむだけであった。
「どうだ泰光、飲んでいるか?」
「無論にございます、殿。 この様な楽しい酒は、味わう物にございましょう」
「おお! 正しくその通りだ!! ほれ、飲め飲め」
泰光の元を訪れた義頼は、手ずから彼の持つ杯へ酒を注いでいく。 泰光の杯になみなみと酒が注がれると、彼は一気に飲み干した。
それは中々堂にいった飲みっぷりであり、義頼は手放しに彼を褒め称えた。
すると義頼の賛辞を受けたせいかそれとも酒のせいか分からないが、泰光は顔を少し赤らめる。 すると彼は、赤ら顔のまま義頼へ返杯を行った。
泰光より返杯を受けた義頼が杯を差し出すと、彼は酒を注いでいく。 酒が零れる寸前まで杯に注がれると、義頼は一呼吸おいてから酒を呷った。
こと酒に関しては、身内からすらもうわばみ扱いされる義頼である。 彼は顔色を全くと言ってもいいぐらいに変える事無く、酒を飲み干す。 そんな義頼を見て、伊賀国人の青木信定や滝野吉政は喝采を浴びせていた。
「流石は右少将(六角義頼)様。 堂にいった、いい飲みっぷりです」
喝采とまではいかなくても、泰光も義頼の飲みっぷりには感心している。 だからこそ彼は、素直に賛辞を呈したのだ。
「そうか? まぁ、俺の飲みっぷりなど置いておくとしてだ。 まだまだ楽しんでくれ」
「はい。 無論にございます」
義頼は、この様な応答を宴の席のあちこちで伊賀国人に対して行っていく。 やはり酒に強い義頼は、彼は宴に参加している全ての伊賀国人に対して行ったのであった。
やがて宴もたけなわとなった頃、漸く義頼は自分の席へと戻って来る。 そこに彼が座ると、保豊が酒瓶を持って現れる。 彼は義頼へ酒を注ぎつつ、労いの言葉を掛けたのであった。
「いやはや殿。 お疲れ様にございます。 先ずは一杯」
保豊は労いの言葉と共に、義頼の持つ杯へ酒を注ぐ。 酒で満たされたその杯を取ると、彼は味わう様にゆっくりと飲みこんだ。
全て飲み杯を開けると、義頼は返杯する。 すると保豊は、押しいただく様にして受け取った。
「喜んでいいただきます」
「泰光にも言ったが、そう鯱張るな。 酒は楽しむ物であって、畏まる物ではないぞ」
「ははっ。 真にそうですな」
そう言うと保豊の雰囲気は、少し砕けた風になる。 その様子に、義頼は笑みを浮かべた。
こうしてその夜は、楽しげに更けていくのであった。
明けて翌日、酔いつぶれて義頼の屋敷に宿泊した一部の伊賀国人は頭を押さえて頻りに首を振っている。 だがその度に頭痛が襲う様で、堪える様にしかめっ面をしていた。
そんな彼らを傍目にしながら、あれだけ酒を飲んだ義頼はと言うと平然としている。 彼は何時もの時間に起き、朝の鍛錬と称して弓の修練を行っていた。
するとそこに、同行した井伊頼直が現れる。 彼も昨日の宴には参加していたが、若い割に無茶には飲んでいない。 その為か、いわゆる二日酔いとはなっていなかった。
どうやら圓(井伊直虎)の教育が良かったらしく、自ら節制した様である。 そんな彼であったが、弓の鍛錬を行っている義頼に近づくと彼に弓の手ほどきを願い出た。
義頼にとって彼は義息であり、かつ弟子でもある。 そんな頼直の願いを、義頼が断る筈もない。 一つ頷くと、自らの修練を止めてまで義息の指導を行ったのであった。
それから半時ほど、義頼はじっくりと基礎を中心に教え込んでいく。 自ら願い出た事もあり、頼直は黙々と義頼の指導に従っていた。 とは言え、いきなり詰め込んだところで身につく筈もない。 適当な頃合いで指導を終えると、義頼は頼直へ一人でも教えた事の修練は続ける様にと伝えた。
「いいな。 修練は、積めば必ず身につく。 例え詰まらないと感じても、決しておろそかにはするな」
「はい」
「特に基礎は重要だ。 全ての技は、基礎の上に成り立っていると知れ」
「御意」
その言葉で締めくくった義頼は、小姓の水口正家が用意していた手拭いで体を拭く。 水で冷やされた手拭いは、火照った体に気持ちが良かった。
なおその手拭いは、頼直にも渡されている。 義父からの指導を受けて、義頼以上に火照った体には、冷やされた手拭いはとても気持ちが良かった。
其其が汗を拭くと、義頼と頼直は正家に手拭いと弓を渡してから屋敷へと上がる。 それから間もなく、二人は共に修練の間に用意された朝餉を食す。 修練後の食事は、体を動かした爽快感もあってか格別であった。
程なくして朝餉を終えると、義頼は護衛の藍母衣衆と共に鉄砲鍛冶の元へむかった。
この鉄砲鍛冶だが、元々彼は日野にて鉄砲鍛冶を務めていた者である。 しかし伊賀国で鉄砲を作成するに当たって、蒲生定秀が見出した者でもあった。
彼の命で伊賀国へと移住したこの男は、伊賀国内における鉄砲鍛冶の元締めを務める男となったのであった。
彼の名は、大窪善兵衛と言った。
その善兵衛の居る鍛冶場を訪問すると、何と出掛けていると言う。 行き先を尋ねると、彼は近くにある射場に居るらしい。 義頼は鍛冶場を出ると、彼が居るという射場へと向かった。
この射場は始め火縄銃の試し打ちなどの為に作られたものであったが、今は拡張されており大砲の試射も可能な射場へと変わっている。 そんな射場へと到着した義頼は、目的の人物を探す。 それから間もなく、義頼は鉄砲鍛冶の元締めを務める善兵衛と、そんな彼の傍に居るもう一人の男を見掛けた。
「賢持、善兵衛、何をしている」
「これは殿。 実は、大砲を使い新たな試みを行っております」
義頼に答えたのは、三雲賢持である。
彼は義頼の命で、最近は伊賀国に居る事が多い。 そんな賢持へ与えられた命とは、火縄銃や大砲の改良であった。
勿論この命は賢持だけでなく、杉谷善住坊などの六角家で火器を扱う者達にも命じられている。 ただ彼らは普段の任務もあり、今やほぼ専属となっている賢持程には関われて居なかったのだ。
それは兎も角として賢持と善兵衛から話を聞くと、何でも多数の火縄銃用の弾丸を詰め合わせて一つの砲弾として発射。 相対した敵へ、より損傷を与えるという物らしい。 ただ問題が一つあり、その砲弾を使用すると弾丸が散らばるからか射程が短くなってしまう事であった。
つまり敵との距離が開いてしまうと、あまり意味を成さなくなってしまうのである。 だが近接では、絶対的な強みであると言う。 そこで義頼は、実際に新式の砲弾の試射を見せて貰う事にした。
それから間もなく、装填されたその新式の砲弾が大砲より放たれる。 すると、通常使用する砲弾に比べれば遥かに近い位置でその砲弾は効果を表していた。
確かに射程は、二人が言った様に短い。 だが砲弾より別れた弾が、散らばって着弾していると思われる様子が見て取れた。
因みに賢持曰く、この散らばる弾は子弾と名付けたらしい。
「この様に近接距離では無類の力を発揮するとは思いますが、いかんせん射程が通常の砲弾ほど期待出来ません」
「ふむ……」
義頼は、賢持の言葉に答えず砲弾が着弾した場所へと向かう。 そこで散らばって着弾している子弾を見ていたが、徐にしゃがみ込むと子弾を穿り返し始めた。 そして全てとは言わないまでもある程度の数の子弾を穿ると、それが散らばっていた大凡の範囲を目算した。
「大体これぐらいの射程で……散らばっている範囲が…………おお! 結構広いな」
「あの、右少将様。 何をなさっておられるのですか?」
賢持と共に近づいた善兵衛が義頼へ声を掛けるが、彼は新式の砲弾が齎した結果の方が気に掛かるのか言葉を返さない。 思わず善兵衛は、隣に居る賢持と視線を合わせ目で彼に尋ねてしまう。 しかし賢持も分かる筈もなく、彼は肩を竦めるだけであった。
「賢持! 善兵衛!」
『は、はいっ!!』
いきなり義頼から呼ばれた二人は、素っ頓狂な声を上げつつも返事をする。 だがその様な事は全く気にせず、義頼は二人の肩を掴むと勢いよく尋ねた。
「この新式の弾だが、射程以外に問題はあるのか!」
「え? は? あ! いえ。 射程が短くなるという以外に問題はありません。 そうであったな、善兵衛」
「は、はい。 射程以外にはこれと言った問題はありません」
「そうか! ないというのであれば、その砲弾を作れ!!」
義頼は、この砲弾であれば【設楽ヶ原の戦い】で行った様な敵が近づいたので大砲を下げるといった行為を行わずに済む事に気付いたのである。 敵との距離があれば通常の砲弾を、そして敵が近づけばこの新式の砲弾と使い分ければ問題なく運用できるのだ。
唯一の問題というのであれば、敵に接近されすぎて大砲が鹵獲される事であろう。 しかし現状において敵となる者達がこの大砲の扱い方を知っているとは考えづらいので、万が一鹵獲されたとしても味方の戦力が下がるだけで敵の戦力が上がる心配はあまりない事であった。
とは言え、先々には敵も大砲を運用する様になる事は想像に難くない。 その対策について、何れは考える必要があった。
ただ普通に考えたら、大砲をより移動させ易くするぐらいしか思いつかないのだが。
「わ、分かりました殿。 そ、それは構いませぬが……一応理由を聞いても宜しいですか?」
義頼にいきなり詰め寄られた賢持と善兵衛は目を瞬かせるが、それでも彼らは理由を尋ねる。 すると義頼は、【設楽ヶ原の戦い】での事を彼に余す事無く伝えた。
確かにその状況にあれば、十分に使えると思われる。 ならば、砲弾の作成を否とする理由は無い。 伊賀製火縄銃、通称伊賀筒の鉄砲鍛冶の元締めである彼は、義頼へ新型砲弾の作成を約束した。
「承知致しました。 今少し試射を重ねた上で、作成したいと思います」
「頼むぞ」
「はっ」
「ところで、殿。 名は何と致しましょう」
「賢持、名とは何だ?」
「この新式の砲弾にございます。 ただ砲弾では、通常の砲弾と混合しかねません。 何か名称があった方がいいかと思いまして」
賢持の言う通り、砲弾だけでは紛らわしい。 使い分ける事を考えれば、尚更であった。
実際火縄銃でも弾丸の重さで分けている事を思えば、賢持の問いも当然と言えた。
「むぅ……そうだな……弾が散らばるのだから散弾でいいのではないか?」
「散弾ですか……しかしそれでは火縄銃の弾と勘違いする物が出るかもしれません」
「ならば、散砲弾とでもしておけばいい」
「おお。 それならば、間違えないでしょう」
此処に新式の砲弾の名称が決まり、散砲弾と名付けられる事となった。
その後、義頼は善兵衛に困っている事などが無いかを聞いた。
元々、善兵衛の元を訪れる気になった理由がこれなのである。 伊賀国を訪れる際に始めから予定した訳では無かったのだが、ふと観音寺城改築で同様の事を行ったのを思い出したのである。 そこで、どうせ伊賀国へ来たのだからついでにとばかりに思い立ったのだ。
最も、まさかここで新式の砲弾を目にするとは思っていなかったのだが。
「それで、善兵衛。 何か他に不都合はあるか? 全ては無理かも知れぬが、出来うる範囲で叶えるぞ」
「いえ。 取り敢えず現状を維持していただけるのであれば、特にはございませぬ」
「遠慮などしなくてもいいのだぞ。 どしどし伝えてくれていい」
「はっ。 その様な時がきたら、遠慮なく申し伝えさせていただきます」
新式の砲弾という思わぬ収穫を得た義頼は、賢持や善兵衛などと共に射場を後にする。 その後、善兵衛の家により一休みしてから伊賀国での屋敷へと戻る。 その道すがら、義頼は同行した賢持へ尋ねた。
「賢持。 善兵衛はああ言っていたが、本当に大丈夫なのか?」
「先程の件ですか……特段困っているとは、拙者も聞いてはおりませぬ」
「そうか。 ならば良いのだが」
義頼は当主として配下には仕事を行う環境を作らせる事こそ自らの役目と考えている。 どうせ一人で全てを行うなど、土台無理なのだと教えられていたからである。 だからこそ、彼は現場の意見も尊重していたのだ。
「ですが、散砲弾の作成に当たり多少の融通はお願いしとうございます」
「そうだな……分かった。 堅甫には伝えておこう」
「ありがとうございます」
堅甫こと宮城堅甫は、義頼家臣の中において内政官筆頭と言っていい人物である。 当然金の管理なども手掛けており、金額の大きい金を動かすには彼の承認も必要であったのだ。
無論、義頼の鶴の一声で動かせないという訳ではない。 だが、その辺りは仕組みとして確立させているので彼も横紙破りな真似はあまりしたくはない。 もし義頼が横紙破りを行うとすれば、それは緊急事態であると言えた。
程なくして屋敷へと戻った義頼は、出立の準備を行わせる。 伊賀国人達は義頼が出掛ける前に頭を押さえながらも屋敷からは退出していたので、未だに死屍累累という状況では無くなっていたのでそちらは特に問題はなかった。
屋敷内の自室へと向かう義頼に対し、やや幼い声が掛けられる。 見ると、井伊頼直が近づいてくるのが見て取れた。
「義父上。 今日中に出立されるのですか?」
「いや、そこまで急ぐ事はなかろう。 明日にでも発つつもりだ。 それとも何だ、母親が恋しいか頼直」
少し人の悪そうな笑みを浮かべながら、義頼は言う。 その表情にからかっているという雰囲気がありありと見て取れたが、言われた頼直は憤懣やる方ないと言った感じとなっていた。
「なっ! そ、そんな事はございません!!」
「はははは。 分かっている、冗談だ」
「い、幾ら義父上でも言っていい冗談とよくない冗談があります!!」
「だから謝っておろう。 すまんすまん」
「もう! これっきりとして下さい、義父上!」
「分かった分かった」
人の悪そうな笑みは既に無くなっていたので、頼直もそれ以上は義頼へ文句を言わなかった。
その翌日、伊賀国に残る国人や家臣達に見送られて屋敷を出る。 街道を通り甲賀郡を経由して、義頼は六角館へ戻ったのであった。
伊賀国でのお話です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




