第百四十九話~鬼美濃の意地~
第百四十九話~鬼美濃の意地~
不破光治が馬場信春の手により討ち取られたという知らせは、戦場を伝播する。当然のごとく、織田・徳川連合勢、武田勢分け隔てなく伝わっていった。そのお陰か、真田信綱が討ち取られたことで下がった武田勢の士気が上がり、逆に上がっていた織田勢の士気は不破光治の死亡で下がってしまう。これにより戦場中央の趨勢は、分からなくなる可能性を秘め始めていた。
「ふざけるな! ここまできて変えられてなるものか!!」
設楽ヶ原で相対した山県昌景と槍を合わせていた滝川一益は、苛立ちも込めて力一杯得物を振り抜く。その勢いは凄まじい物があり、不意を突かれた山県昌景は距離を取らざるを得なかった。
「何と! すさまじき、刃風よ」
「黙れ! そなたを討ち、再び戻して見せ……ちっ!」
突然、滝川一益が言葉を切ったばかりか舌打ちまでする。その理由は、相対している山県昌景の後方にあった。武田の将と思しき者が、手勢を引き連れて現れたからである。滝川一益は山県昌景と中々に互角の勝負をしているが、それは相手が一人だからだ。ここで相手が二人となってしまっては、幾ら滝川一益とて負ける可能性は非常に高くなる。ここは業腹でも退くか、もしくは救援を募るしかないと彼は考えた。しかしその思惑は、ある意味外れることになるとは流石の彼も想像できなかったのである。
さて、山県昌景の後ろから近付いている武田の将は、内藤昌秀である。彼は自身が死に場所と定めたこの戦場に置いて、八面六臂の活躍をしていた。織田勢が中々追撃に移れない理由は、勿論、馬場信春など武田の将の活躍がある。だが、その中でも内藤昌秀と彼が率いる兵は群を抜いていた。
味方の損害などまるで考えずに、次々と敵を変えては攻撃を仕掛けてくるのである。その為か、織田の将は討てていない。しかし織田の兵に与えた損害は、一番といってよかった。
「修理亮(内藤昌秀)殿! 助太刀無用!」
後方から近付いてきた内藤昌秀に気付いた山県昌景が吠えるが、彼は無視してそのまま近づくと肩に手を置く。手を置かれた山県昌景は、対峙している滝川一益を警戒しつつも内藤昌秀にも意識を向けた。すると彼も、滝川一益に視線を向け牽制する。武田家を代表するといっていい猛将二人と、図らずも相対してしまったことで、滝川一益も動くに動けなくなる。その様子を見たあと、内藤昌秀はゆっくりと口を開いていた。
「三郎兵衛尉(山県昌景)殿。ここは、拙者にお任せいただきたい」
「修理亮殿? 何をいわれる!」
まさかの言葉に、思わず山県昌景は視線を向ける。その瞬間、微かに動いた滝川一益だったが、相も変わらず内藤昌秀が警戒を続けていたのでそれ以上の動きはできなかった。
「我は、この戦場にて責任を取る」
「責任?」
「実のところ拙者は、軍議の場において出た撤退という言葉に一旦は心動かされた。しかしそれ以上に、亡き信玄公の仇を取りたいと考えてしまったのだ」
「それゆえ、我らの提案に賛同しなかったと?」
「そうだ。だからこそ、拙者はここで散る。武田の盾となりて!!」
眼光鋭く滝川一益を睨めつけながらも内藤昌秀は、力を込めて言い放つ。決して大きい声ではなかったが、気迫の籠った言葉に思わず山県昌景が気圧されてしまっていた。
「……」
「そこで頼みがある。ここで散る拙者には、もはや御屋形様を助けることなどできぬ。その役目を、お主に頼みたいのだ」
「……本気か? いや……本気、なのであろうな」
「無論!」
きっぱり、はっきりと言い放つ内藤昌秀。その言葉と態度に、迷いは見られない。そんな内藤昌秀に、もう言葉は届かないだろうと山県昌景は判断する。首を二度三度と振ると、彼は了承の旨を返答した。
「あい分かった。そなたの遺言、しっかりとこの胸に刻ませてもらった」
「……感謝する」
「ならば、この場も頼むぞ!」
「応!!」
山県昌景は内藤昌秀にあとを任せると、辺りに散っている兵を集める。それから、武田信勝を追って戦場を北へと移動を開始した。そんな山県昌景の行動を背で感じながら、内藤昌秀は相変わらず滝川一益を睨み続けている。そして睨まれている滝川一益も、内藤昌秀を睨み返しながら挑発するかのように憎まれ口を叩いた。
「何だ。二人がかりでくるのではないのか」
「ふん! そなたなど、拙者だけでお釣りがくるわ。我は、内藤修理亮昌秀! 行くぞ!!」
「滝川彦右衛門一益! 来い、昌秀!!」
『うおおおおーーー!!』
次の瞬間、滝川一益と内藤昌秀、二人の猛将の槍がかち合う。その威力はお互い遜色なく、ほぼ同じ力で弾け合った。その直後、同時に二人は槍を引くと、円を描くかのごとく得物を振るう。滝川一益は下から振るい上げ、内藤昌秀は上から下へ振るったのだ。やがてぶつかり合った両者の槍は、まるで固定したかのように空中で止まっていた。
「流石は滝川、一筋縄ではいかぬ」
「それはこちらも同じよ。感状の一つも貰っていない男が、ここまでとはな」
「ふん! 拙者と御先代様との間に、そのような無粋な物が必要なかっただけのことに過ぎぬわ!!」
そう言い切ったと同時に内藤昌秀は、滝川一益の槍を巻き込むように動かす。しかし相手の動きにいち早く気付いた滝川一益が即座に槍を引いたので、獲物が巻き込まれるような事態にはならなかった。
「やる!」
「なめるなっ」
両者は、再び得物を振るう。またしても得物がぶつかり、そして弾かれる。二人の決着は、まだまだ着きそうになかった。
不破光治から手傷を負わされながらも討ち取った馬場信春は、手早く旗下の軍勢を纏める。するとその纏めた軍勢の中には、主君である真田信綱を討たれた真田衆も加わっていた。本来であれば、彼ら真田衆へ話をするところであるが、今は兎にも角にも時間が惜しい。馬場信春は真田家の家臣を纏めている河原正良に対して頷くと、再度突撃を開始した。
やがて柵まで到達したかと思うと、彼らはすぐにでも柵に取り付く。そして、織田兵の邪魔を受けながらも、柵を乗り越えていった。程なく、馬場信春も柵を乗り越えるが、彼はそこで新たな敵と遭遇した。
「鬼美濃! ここは通さぬ!!」
そう宣言しつつ馬場信春の前に躍り出たのは、森可成である。彼は既に齢五十を越えているが、とてもかくしゃくとしている。今ではその長い戦場での経験を買われ、義頼からも信頼されていた。
とはいうものの、歳のことをいうのならば馬場信春もいい歳である。何せ森可成より幾らか年上であるのだから、十分老齢といっていい。しかし、そのような歳であるにも関わらず戦場を掛け回っているのだから彼も大概であった。
「邪魔をするな!」
「そうはいかぬ!!」
馬場信春の槍と森可成の十文字槍が、激しく火花を散らす。そのまま互いに相手を押し切ろうと力を込めるが、二人の得物はまるでのり付けでもされたかのように動かなかった。すると二人は怒声と共に、さらに力を込める。それに従い、顔が紅潮していく。そればかりか、彼らの槍も微かに震えている。その在り様は 両者がいかに力を籠めているのかが良く分かる状況となっていた。
だが一向に動かない獲物に埒が明かないと判断した馬場信春と森可成は、すかさず距離を取る。ほぼ同時に離れた二人は、得物を構えつつ対峙した。
「何奴、名乗れ!」
「森三左衛門尉可成!!」
油断なく武器を構えつつ、相手の誰何に対して森可成は名乗りを上げる。その名乗りを聞いた馬場信春は、やや驚いた様な表情浮かべたが、その次に不敵な笑みを浮かべていた。
「攻めの三左か……なるほど、流石の腕よ。だがわしは、そなたを喰らい尽くして先に進んでくれるわ!」
「やってみるがいい! 鬼美濃!!」
二人は同時に駆け出すと、接敵と同時に突きを放つ。しかし二人は寸でのところで見切ると、半歩分だけずれることで互いの攻撃を避ける。そして引き戻した槍を構え、睨み合う。そんな二人の顔には、一筋の線が入っていた。
やがてその線が紅くなると、一筋の滴が垂れ落ちる。それは、互いの槍が起こした刃風により出来た切り傷であった。
「これは……流石というべきか」
「そうかの鬼美濃。そなたが肩を怪我していなければ、わしの方がより深かい傷を負ったかも知れぬ」
「ふ。そうかも知れぬし、違うかも知れん。これもまた、運という物だ」
「ならばその運、わしは喜ばねばならぬか」
「果たして、そういくかのっ!」
言葉と共に、馬場信春は再度突撃する。そして気合いと共に、息継ぎすらさせぬ勢いで槍を突いていく。しかし森可成は、まるで小枝でも扱っているかのように軽々と己の十文字槍を振る。間もなく収まった馬場信春の連続突きは、全て可成に捌かれていた。
「やる!」
「何の! 今度はこちらからよ!!」
森可成はそう言いつつ、愛用の十文字槍を下から上へと振りあげる。その攻撃を大きく下がることで避けた馬場信春は、そこに生まれたであろう隙を突くべく踏み込もうとする。だが森可成は、まるでその行動を読んでいたかのように今度は十文字槍を振り下ろしてきた。
その速度は、異常なほど早い。途中で気付いた馬場信春は、咄嗟に槍を頭の上で横向きにして構えた。するとその横に構えた槍を狙ったかのごとく、森可成の槍が振り下ろされる。その事の他に重い一撃に、受け止めた馬場信春の腕は軽く痺れてしまった。
「このっ!」
しかし馬場信春は、まだ痺れの残る腕で槍を振るい牽制することで、森可成と距離を取ることに成功する。その後、彼らは改めて対峙するが、二人には普通では考えられない症状が現れていた。
彼らは相応に歳を取っているとはいえ、まだまだ現役である。普通ならばこの短時間の間に、肩で息をするほど疲労することはない。しかし、そんな二人の表情には疲れが見えている。また異常といえるぐらい、汗をかいていた。
これは馬場信春が突貫したという理由もあるにはあるが、最大の理由は目の前の森可成にある。攻めの三左とまで称された男から受ける圧力がことの他、馬場信春の心身を蝕んでいたのだ。
もっとも、これは森可成とて同じである。何といっても彼が相対しているのは、鬼美濃とまで称された猛者馬場信春である。普段ならば兎も角、全力で向って来ている相手から受ける圧力は生半可な物ではないからだ。
『これは、長くは持たぬか』
両者の口から不意に出た言葉は、奇しくも一字一句に至るまで同じである。そのことに気付いた馬場信春と森可成は、思わず見合ってしまった。
「お互い歳かの、鬼美濃」
「かも知れぬ、攻めの三左」
「ちまちまとやるのは、性に合わん。これで決める!」
「望むところよ」
実のところ、馬場信春に取ってこの森可成からの申し出はありがたかった。
この場所で敵を食い止めることを目的としている彼と違って、馬場信春にはまだ先がある。そしてできうることなら義頼を討ち、最終的には織田信長まで刃を届かせたいのだ。
だからこそここで足止めを食らって、力を使い果たす訳にはいかない。勿論、自らが討たれる可能性だってあるのだが、そのことを差し引いても、そうそうに先へ進めるという事実は馬場信春を魅入らせたのであった。
『おおおおおお!』
掛け声とともに駆け出した二人の槍は、互いに交わることなく相手へと向かっていく。そして二人の槍は、まるで吸い込まれるかのごとく、相対する者の体に傷を残した。
『ぐうっ!!』
苦しげな両者の声と共に、何かが噴き出すような音が聞こえて来る。それだけではなく、何かが落ちるような音が一つだけ小さく聞こえてきた。その直後、両者は片膝を突く。森可成の肩には槍が深々と突き刺さり、そして馬場信春に至っては、片腕が亡くなっていた。
十文字槍によって彼は肩口を切られており、腕は綺麗に飛ばされてしまっている。つまり先程聞こえた音は、森可成によって切られた馬場信春の腕が落ちた音だったのだ。その切り落とされた腕も、実は不和光治が傷をつけた肩の方であり、つまり馬場信春の腕を切ったのは森可成と不破光治であるといって良かった。
「うおおおお!」
正にその時、腕を斬り飛ばされている馬場信春が大声を出す。それは痛みからではなく、自らを奮い立たせる為の雄叫びであった。彼はまだ森可成の肩に刺さっている槍の柄を握ると、強引にそのまま大きく振るう。それは、片腕を切り取られた男とは到底思えない力であった。
森可成ごと愛用の槍を振り回した馬場信春は、そこで投げ捨てる。投げ出された森可成に刺さっていた槍も、地面と衝突した際により深く刺さってしまった。
「ぐぐっ……がっ!」
その上、地面に落ちた際に頭を打ってしまい、森可成は少しの間だけだが、意識を飛ばしてしまった。すぐに起き上がってこない森可成を見た馬場信春は、そのまま立ち上がると半ば強引に自身の傷口を縛った。
「ま、まだ死ねぬ。武田家の為にも、そして御屋形様の為にもだ!」
正に鬼気迫るといった雰囲気を醸し出している馬場信春に、誰も近付けない。そんな周りの様子など頓着せず、彼は前へと進んでいった。
馬場信春が、織田陣へ突入しました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




