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第十二話~六角式目と長政出陣~


第十二話~六角式目と長政出陣~



 六角義治ろっかくよしはると三好家の約定に始まる足利義秋あしかがよしあきの近江国からの動座と三好長逸みよしながやすによる侵攻を解決してから数ヵ月、漸く年が明け正月を迎えた。

 すると義頼は、長光寺城を出ると観音寺城の麓にある六角館を尋ねている。 その理由は、新年の挨拶を御屋形たる六角高定ろっかくたかさだに行う為であった。

 六角館に到着した義頼は、護衛の馬廻り衆や小姓の鶴千代つるちよは控えの間に残す。 それから彼は、一人で六角高定の元へと向かった。  


「御屋形様。 新年、明けましておめでとうございます」

「うむ。 義頼、今年も頼むぞ」

「御意」


 君臣の礼儀を弁えた二人であったが、それも此処ここまでであった。

 この直後、義頼と高定はどちらからとなく笑みを浮かべる。 それは嫌な物では無く、両者の顔に思わず浮かんだ笑みであった。


「さて、堅苦しい挨拶は此処までだ義頼」

「承知した」


 六角高定の言葉に義頼が了承した瞬間、この二人の関係は変化する。 六角家現当主たる者と六角一族の重鎮たる者という立場から、一つ年下の叔父と一つ年上の甥という近しい親戚へと変ったのだ。

 歳が一つしか違わない義頼と六角高定は、昔から仲が良い。 それこそ、兄弟と言っていいぐらいの関係であったのだ。

 とは言え、普段から公的の場でその様な振舞いをする訳にはいかない。 幾ら仲が良くても、義頼と六角高定は主君と家臣の間柄なのだ。 だから通常であれば、義頼も六角高定も君臣の礼儀から逸脱しない様に意識している。 ゆえに公的の場でないのなら、二人は対等なしゃべり方をするのだ。

 因みに、義頼と今は石馬寺に入れられた六角義治だがこの二人も決して仲が悪い訳ではない。 義頼と六角高定ほど仲が良いとは言えないかもしれないが、それは比較の問題でしかない。 世間一般からすれば義頼と六角義治、いや義頼と六角義治と六角高定は十分に仲が良いと言えた。 

 家の事で対立する事もあるが、それはそれぞれの考えからの物である。 決して、彼ら三人の仲が悪いから反対の為の反対をしている訳ではないのだ。

 それはそれとして仲の良い義頼と六角高定であるから、二人の話題が尽きる事はない。 両者は軽く酒を酌み交わしていた事もあり、実に楽しげな雰囲気であった。 そんな二人の四方山話よもやまばなしであったが、やがて一段落すると義頼は自らの態度を改めて居住まいを正す。 そんな彼の仕草を見て高定は、眉を寄せた。


「どうした義頼」

「御屋形様、お話がございます」


 直前までとは違い、義頼の口調が臣下の者が主君へと話し掛ける物へと変わっている。 その様子から、真面目な話だと判断した六角高定もまた居住まいを正していた。

 先程まで部屋に横たわっていた、和やかな雰囲気は鳴りを潜めている。 そんなある種の緊張感が漂う中、義頼は鵜飼源八郎うかいげんぱちろうもたらした情報を六角高定へと報告した。


「……そうか。 重臣達に動きがある、か」

「御意。 恒安に景雄、治秀や茂綱など凡そ十名以上が動いているとの事にございます」


 義頼が名を挙げただけでも三上恒安みかみつねやす池田景雄いけだかげお三井治秀みついはるひで青地茂綱あおちしげつな錚々そうそうたる六角家重臣の名が並んでいる。 そんな叔父の報告を聞いて暫く考えに耽った六角高定だったが、やがて彼は顔を上げた。

 すると彼は、自分に取って一番の懸念となる事を尋ねる。 それは三年前の様に、家中の者が兵を挙げてしまう事だった。

 それでなくても、最低でも十人は動いていると義頼は言っている。 もし十人もの重臣が一斉に兵を挙げようものなら、六角家は内部崩壊してもおかしくはないのだ 


「義頼。 今一度尋ねるが、三年前に起きた【観音寺騒動】の様な謀反では無いのだな」

「まだ確定とは言えませんが、ほぼ間違いなく謀反と言ったたぐいの物では無いと思われます。 しかし、これだけの者が名を連ねているとすれば、一筋縄ではいかないと思われます」

「確かにそれはあるな……ところでその名を挙げた者達が集って動いている理由だが、先の騒動が原因か?」

「理由の一つと見て宜しいかと」

「そうか、理由の一つか。 他に上げるとすれば、俺のせいと言えるのかもな」


 六角高定の言葉を聞いて、義頼は曖昧な笑みを浮かべる。 と言うのも、彼の言葉を否定できないからであった。

 先の騒動、即ち足利義秋一行の動座とその原因となった六角義治単独の動きに対して見える形で行動を起こしたのは義頼と六角承禎ろっかくしょうていである。 実際には六角高定も兄である六角義治の説得などに動いていたのだが、義頼と六角承禎の動きが目立ってしまった為に彼の動きが隠れてしまっている。 その結果、他者から見れば六角高定があまり動いていない様に見えてしまっていたのだ。

 その為か、家中に何とも言えない空気が多少なりとも流れたのもまた事実である。 少し自嘲気味に呟いた六角高定の言葉は、その家中に流れた空気が漏らさせたモノだと言っても良かった。 


「……まぁ、いい。 今更言っても、詮無い事だ」

「高定……いや、御屋形様……」

「義頼。 すまぬが、引き続き調べてくれ。 報告は、俺だけに上げればいい。 それと、父上と兄上には黙っていてくれ」

「承知しました。 それと……もう一つ、報告したい事が」

「何だ」

「実は、足利義親あしかがよしちか殿の事にございます」


 此処で義頼は、年明け前に伴長信ばんながのぶが齎した情報を伝える。 それは、阿波国から摂津国の越水城に渡海した足利義親に関する事であった。

 その足利義親だが、彼は摂津国へ渡河してから数ヵ月ほどは越水城に腰を据えている。 しかし極最近になって、越水城より移動していた。 彼の移動した先は、同じ摂津国内にある寺である。 義親ははじめ総持寺に移動したのだが、それから間を空けずに普門寺へと移動していたのだ。

 それから間もなく、朝廷より左馬頭就任への内示が出されたのである。 これにより足利義親は、今は越前国に居る足利義秋と同様に将軍就任の慣例を踏襲した事となった。

 すると彼は、これを契機として名を改めたのである。 左馬頭就任以降、足利義親は足利義栄あしかがよしひでと名乗る様になっていた。 


「なるほど。 畿内でもその様な動きがあるのか。 となると、越前の左馬頭(足利義秋)様へはどうする? 報せるか?」

「そうですな……敢えて静観するのも一つの手かと。 若しくは年始の祝儀にかこつけて、左馬頭(足利義秋)様へ知らせを出すぐらいでしょうか」

「今となっては、そうであろうな……よし。 此処は、年始の祝いという形を取ろう。 義頼、済まんがそなたの個人名義で左馬頭(足利義秋)様へと知らせてくれ」

「承知致しました」


 途中までとは違い、最後は何とも堅苦しい話となってしまった年賀の挨拶であった。

 その後、六角高定の元を辞した義頼は、兄の六角承禎の元へと向かう。 そして彼にも、新年の挨拶を行った。

 こうして新年の挨拶を交わした兄弟だが、その中にあって義頼は六角承禎の様子が気に掛かる。 あまり元気がある様に見えないと言う事もあるが、少し顔色が悪い様に感じたのだ。 はじめは体調でも崩しているのかと思ったが、その様な雰囲気では無い。 だが、他に思い付くのかと言われても想像つかないと言うのが義頼の本音であった。


「兄上。 如何いかがされましたか? お顔の色がすぐれぬ様に見受けられますが」

「ん? いや、そんな事はないぞ」


 弟に心配を掛けない様にとでも思ったのか、六角承禎は否定する。 しかしてその様子では、何でもないと言われても説得力と言う物に欠けていた。 そこで義頼は、更に兄へと言い募る。 すると根負けしたのか、六角承禎は少しずつ話し始めた。

 さて兄である六角承禎が気に掛けていた事だが、それは石馬寺に入れた六角義治についてである。 彼自身、その判断が間違っていたとは思っていない。 しかし息子を捕えて寺に入れた事自体は、とても気に掛かっていたのだ。

 あれ以来会っていないと言う事もあり、もしかしたら息子が自身を恨んでいるかも知れないと考えている節がある。 それが心に引っ掛かり、六角承禎は少々体調不良な状態になっていたのであった。


「分かりました。 どのみち、この後に石馬寺に行くつもりでした。 某が義治の様子を見て参りましょう」

「……行ってくれるか、義頼」

「ええ。 お任せを」


 自らの胸を拳で叩きながら請け負った義頼は、「善は急げ」とばかりに承禎の前から退出する。 それから護衛を兼ねる同行した馬廻り衆、そして小姓の鶴千代と共に石馬寺へと向かうのであった。



 石馬寺は、聖徳太子しょうとくたいしが建立したと言われている寺である。 きぬがさ山に聖徳太子が登った際、乗って来た馬を繋げた松の樹があった場所とされていた。

 因みにその馬は、山から下りて来ると石に変わり池に沈んでいたと言う。 その事から聖徳太子は寺を建立した際に石馬寺と名付け、直筆による木額も奉納したと言い伝えられていた。 そしてこの石馬寺だが、近江源氏である佐々木氏の庇護を代々受けている。 当然近江佐々木氏の末である六角家も、石馬寺を庇護していたのだ。

 その様に近江佐々木氏と縁が深いからこそ、六角承禎は捕えた六角義治を入れたのである。 その石馬寺に赴いた義頼は、住職と挨拶を交わした後で六角義治との面会をした。 これは新年の挨拶も兼ねている訪問であるから、先ず二人は新年の挨拶を交わしている。 それから六角義治は、義頼が点てた茶を美味しそうに飲んだ。

 その間、義頼はそれとなく観察していたのだが、以前とは大分感じが違う事に内心で少し戸惑いを感じる。 以前はどちらかと言うと、彼には少し張り詰めた感じがあった。

 それも、どちらかと言えばいい意味では無い方でだ。

 しかし、今はそんな事はない。 六角義治から力が抜け、何と言うか極自然の様に義頼は感じていた。


「……ふむ。 石馬寺に入れられてから数カ月だが、少し変わったな」

「そうか?」

「何と言ったらいいか。 そうだな……ああ、険だ。 険が大分取れた、そんな感じがする」

「険か。 全く自覚は無いが、言われればそうだったのかも知れない。 ただ、これだけは言える。 今の暮らしはそう悪くないと思える」

「そうか、悪くはないか。 兄上が聞いたら、喜ぶな」


 此処で義頼から父親の話が出た事に、六角義治は訝しげな顔をする。 その様子に、義頼は思わずばつが悪そうな表情を浮かべた。 そんな義頼に、六角義治は詰め寄る。 居丈高に詰め寄った訳ではないが、静かだからこそ逆に何か追い詰められる様な気分になった。

 すると義頼は、一つ息を吐くと漏らした言葉の意味を説明する。 問い掛けた六角義治は、義頼の言葉一語一句を聞き逃さない様にと身動ぎ一つせずに聞いていた。


「そうか、父上がな」

「ああ」

「……義頼。 父上に伝えてくれ。 拙者は、父上を恨んでなどいないと。 今になってみれば分かる、父上の取った行動は決して間違ってはいなかったと。 だから感謝こそすれ、恨むなど髪一筋も思ってなどいないのだと」

 

 少し間を空けてから六角義治が伝えた言葉には、真摯な思いが詰め込まれている。 決して口調を荒げている訳では無いのに、一瞬でも義頼が気圧けおされるぐらいだから相当な物である。 そんな思いに少し身じろいだ義頼であったが、それは悪い物では無い。 彼は小さく微笑みながら、六角義治に頷き返したのであった。

 その後、石馬寺を出ると義頼は、今一度六角館へと舞い戻る。 そして六角承禎に会うと、一言一句違えず確りと義治の言葉を伝える。 義頼から息子の言葉を伝えられた承禎は、弟に縋り付くと泣きながら喜んだのであった。

 こうして図らずも六角承禎と六角義治親子の間を取り持った義頼は、六角館を出ると長光寺城の麓にある自らの館へと帰宅する。 そこで一息つくと、蒲生定秀がもうさだひでを呼び出した。


「正月早々、呼び出してすまんな定秀」

「いえ、それは構いません。 ところで、何用でしょうか」

「ああ。 実は、顔が広いその方の力を借りたい」


 蒲生定秀は、彼が蒲生家当主であった頃から独自に地元の名産品を作り上げその販路を広げたりと活動していた事からか何かと顔が広いのである。 その伝手を利用して、義頼は六角高定から依頼された足利義秋に対する祝いの品を用意しようと考えたのだ。 

 その旨を伝えると、彼は即座に了承する。 それから数日後、蒲生定秀はさほど日数を掛けずに新年の祝いの品を用意する。 それらの品は義頼、否六角家が恥をかく事はない物ばかりである。 品物を用意するまでに掛けた日数を考えれば、十分驚くに値する。 その事に喜んだ後で、手放しで蒲生定秀を褒めたのであった。 

 その後、義頼は家臣の中で幾度か足利義秋と顔を合わせている和田信維わだのぶただを呼び出す。 そして彼に、蒲生定秀が用意した足利義秋に対する祝いの品を持って越前国に向う様に命じた。

 和田信維は了承すると、同行者となる寺村重友てらむらしげともと甲賀衆の伴長信と共に祝いの品を持って出立する。 彼ら一行は、以前の様に琵琶湖を渡ると朽木谷を経由し、それから若狭国へと入った。 そのまま和田信維の一行は若狭国を抜けると越前国へと入り、敦賀に滞在している足利義秋へ面会を申し込んだ。

 近江国を追われた足利義秋だが、義頼には一応恩義を感じている。 六角義治に対しては色々と思うところはあるが、その思いを義頼にまでぶつける気はない。 それに、新年の祝いの品も持って来ている。 そうであれば、面会を拒絶する理由など思い付かなかった。

 それほど間を空ける事無く足利義秋と面会した和田信維一行は、義頼からの書状と祝いの品を記した目録を渡す。 それから彼は、躊躇いながらも足利義栄の情報を伝えた。 

 しかし足利義栄に関する情報については、足利義秋も流石に知っている。 将軍就任の競争相手なので、彼に関しては朝倉家の力を借りて情報を集めていたのである。

 図らずも情報の確度が増した訳だが、だからと言って足利義秋としては面白い筈も無い。 和田信維から足利義栄の情報を聞いた後、彼は憮然とした表情を隠そうとはしなかったと言う。


 兎にも角にも、役目を果たした彼らは敦賀を後にする。 往路と同じ道を辿り長光寺城へと戻った彼らは、有りのままを義頼に報告する。 そこで足利義秋の様子を聞いた義頼は、苦笑を浮かべていた。

 その後、義頼は六角高定へ敦賀での事を書状にて報告する。 書状によって顛末を聞いた六角高定は、義頼と同じ様な様子であったと言う。



 それから二ヶ月程経過した弥生三月の中頃、義頼は本多正信ほんだまさのぶと鵜飼源八郎から調べさせていた六角家重臣達の動向についての報告を受けた。

 重臣達の動向について全てを把握した物では無かったが、それでも大抵の動きは分かる報せである。 そこに書かれていた内容は全てでは無いにも拘らず並々ならぬものであり、義頼は思わず二人へ問い掛けている。 しかしながら本多正信と鵜飼源八郎からの返事は、報告を肯定するだけであった。

 これは捨て置ける物では無いと判断した義頼は、急いで観音寺城へ向かう。 叔父の夜中の訪問に驚いていた六角高定であったが、繋ぎを取った者より正月に報告した案件に関する物だと聞くと彼は急いで着替えてから義頼と対面にのぞんだ。 

 面会が叶うと義頼は、本多正信や鵜飼源八郎から報告された報せの全てを伝える。 その上で六角高定に対して、六角家当主としての判断を問い掛けていた。


「高定、どうする? 捕えるか?」

「……義頼。 この件はこのまま放っておいていい」


 六角高定の言葉に、義頼は驚きの表情となった。

 それもその筈であり、重臣達の動きが本当であるとするならば、その結果として齎されるのは六角家の衰退である。 六角一族の重鎮として、何としても避けたい顛末なのだ。

 だからこそ義頼は、六角高定へと考え直す様にと詰め寄る。 しかし彼から出た意外な名前に、そんな義頼の動きは封じられたのであった。


「兄上が?」

「そうだ義頼。 父上の意向が入っているのだ。 最も、何時いつ気付いたのかは分からんがな」

「そうか兄上が……して兄上は何と?」

「内容は兎も角として、受け入れなければ不満は解消しないだろうとの事だ。 そして父上の言には、俺も賛同する。 この辺りで、不満を解消しておく必要もあるからな」

「……分かった。 六角家当主である高定が受け入れると言うのならば、これ以上は言わないでおくとしようか」


 兄の六角承禎が気付いていた事と彼が言ったという言葉には驚いた義頼だったが、その動きについて六角高定が承知しているならと彼は引き下がる事にした。

 その日は館に泊り、翌日になると長光寺城へと戻る。 居城に到着すると義頼は、本多正信を呼び観音寺城で六角高定と語った内容を話したのであった。 


「これからは、やりにくくなるかも知れん」

「間違いなくなりますな。 しかし、平和な時ならばまだしもこのご時世に悠長な事を」

「そうだな。 裏目に出ないといいのだが」

「全くにございますな。 ああ。 それと、殿。 源八郎殿に動いて貰いました」


 唐突な感がある正信からの報告に、義頼は訝しげな顔をしつつも動かした内容について尋ねたのであった。



「源八郎に何をさせた?」

「浅井家の動きを探って貰っております。 浅井長政あざいながまさが【観音寺騒動】の時の様に動くかも知れませんので」


 本多正信に言われ、義頼も納得した。

 要請があったとは言え浅井長政は、【観音寺騒動】が起きた際にも動いたぐらいなのである。 今回の件にかこつけて、またしても兵を動かす事は十分に予測できる事であった。


 事後承諾と言う形になった訳だが、元々情報収集に関しては本多正信に一任している。 この浅井家の件も、その一環と考えて問題ないと言える。 そこで義頼は、改めて本多正信へ浅井家の情報収集を密にする様に命を出したのであった。

 やがて翌月に入ると間もなく、六角家の重臣十数名の連名による奏上が当主の六角高定になされた。

 そのお題目としては、六角家当主の暴走を防ぎ家臣領民との融和を図るとしている。 しかし実際には、六角家の権力を抑制する物である事は間違いなかった。

 重臣達から奏上された内容を確認した六角高定は、少しの間目を瞑る。 やがて目を見開くと、承禎の意向もあり奏上を受け入れたのである。 そんな苦渋の決断をした六角高定の姿と、彼に苦渋の決断をさせた重臣の顔を義頼はじっと見つめていた。

 後に【六角式目】と呼ばれる様になるこの奏上だが、大小は別にして六角家家中に不協和音を発生させる事となる。 すると義頼と本多正信が警戒した江北の浅井長政が、好機と捕えて動いた。 しかし元から浅井家を警戒していた事もあり、彼らは即座に対応する。 急遽兵を招集すると同時に、観音寺城の六角高定に対しても伝令を出した。

 間もなく義頼から浅井家について報告を受けた六角家当主は、彼に浅井勢迎撃の任を命じている。 正式に総大将となった義頼は、集めた兵を率いて長光寺城を出陣する。 その後は観音寺城を掠める様に行軍し、やがて愛知川を越えると先ずは肥田城を取り囲んだ。

 率いる軍勢を肥田城に籠る浅井勢に見せた義頼は、自ら弓を引いて矢を城内に撃ち込む。 その矢には、降伏を促す文が結び付けてあった。

 この素早い動きに、肥田城代の高野瀬秀澄たかのせひでずみは慌てふためく。 義頼が率いる兵は多い上に、味方である長政が小谷城を出たという話が全然高野瀬秀澄の元には来ていなかったからだ。

 この様な理由から急遽軍議を開いた高野瀬秀澄だったが、正直に言って実があったとは言い難い。 義頼からの書状を根拠とする降伏派と、徹底抗戦派の水掛け論が展開されたに過ぎなかったのだ。

 これ以上は進展の見込み無しと判断した高野瀬秀澄は、一端軍議を中断する。 そして一人部屋に戻ると、自らの処し方について思案した。 篭城するのも策だが、力押しにされれば持たせる事は難しい。 それぐらい、肥田城に籠る兵の数と義頼率いる軍勢の兵の数が隔絶しているのだ。

 それでも援軍があれば篭城するのだが、肝心要の援軍が何時いつ来るか分からない。 これでは、策に組み入れ様が無かった。


「……となれば、結論は一つしかないか……」


 こうして結論を出した高野瀬秀澄は、再度家臣を集める。 その席で彼は、皆に対して思案の答えを宣言をした。


「六角家に、侍従(六角義頼ろっかくよしより)殿に降伏する」

「と、殿! 何故なにゆえですか!!」


 唐突な高野瀬秀澄の言葉に、徹底抗戦派の一人が慌てて尋ねる。 すると彼は、思案の末に導きだした自分の考えを説明した。


「未だ備前守(浅井長政)様が小谷城を出たと言う報は入っておらぬ。 かと言って、この状況で籠城したところで兵数差が大きく勝ち目は薄い。 そう時を掛けずに、肥田城は落ちるだろう」

「ですがっ!!」

「それに、元々高野瀬家は六角家に臣従していた。 ここで敢えて一族を割る事で、どちらが勝っても一族が残る様にしておくのも悪くはない。 無論、この考えに不満を持つ者もこの場にはいるだろう。 その者達はすぐに城より退去し、父上や弟のところに向かうといい。 以上、解散!」


 軍議を半ば強引に終わらせた高野瀬秀澄は、そのまま広間を退出した。

 その足で櫓に向かうと、肥田城を取り囲んでいる義頼の軍勢を見る。 その味方との兵数差に、改めて思わず息を飲んだ。

 その時、彼は奇妙な事に気付く。 城の搦め手側の包囲が、妙に薄い様に見えるのだ。 その事に眉を顰める高野瀬秀澄だったが、やがてその理由に気付いた。 と言うか、気付けた。

 包囲が薄いところより、恐らく父や弟のところへ向かうであろう味方が抜けているのである。 そんな敵の様子に、高野瀬秀澄は苦笑を浮かべた。


「やれやれ。 どうやら、此方こちらの考えなどはお見通しか」


 そう。

 彼が漏らした通り、義頼は落ちる者が居るなど先刻承知であった。

 城を取り囲めば、間違いなく浅井方の意見が割れると予測していたのである。 その様な時、本多正信が敢えて搦め手側の包囲を緩める様に義頼へ進言している。 この意見には義頼も頷き、彼は本多正信の言葉通り肥田城の搦め手側の包囲を緩めたのであった。 


「相当な者が、侍従殿の近くには居る様だ。 やはり勝ち目は薄いな……降伏の選択は間違いでは無かった」


 それから翌日早朝までに、数人の将が肥田城より脱出した。

 彼らは高野瀬秀澄の父親である高野瀬秀隆たかのせひでたかや、弟に当たる高野瀬景隆たかのせかげたかの元へと向かう。 その城から脱出した者達が十分に離れた頃、まるで図ったかの様に高野瀬秀澄の元へ義頼からの軍使が訪れた。

 すると彼は、大胆にもその軍使と共に義頼を訪ねている。 この高野瀬秀澄の行動に義頼は内心で驚くも、表面的には嬉しそうに面会を了承していた。


「お初にお目に掛かります。 拙者は肥田城代、高野瀬美作守秀澄にございます」

「挨拶、痛み入る。 某は、六角侍従義頼だ。 美作守、確認だが降伏で間違いないな」

「御意」

「そうか。 その方の降伏だが、受け入れよう」

「ありがとうございます」


 こうして肥田城代の高野瀬秀澄は、降伏。 城は明け渡され、義頼は肥田城へと入った。

 すると彼は宇曽川対岸にある高野瀬氏の居城高野瀬城を警戒しつつ、別動隊を組織する。 別動隊の大将は、六角高定より援軍として派遣された山崎賢家やまざきかたいえが任命される。 また別動隊の先鋒には、降伏したばかりの高野瀬秀澄が任じられていた。


 さて山崎賢家に率いられた別動隊の矛先、それは日夏氏の居城荒神山城である。 荒神山城の手前にある小高い丘に賢家は陣を置くと、荒神山城主である日夏ひなつ安芸守に降伏を促した。 しかし日夏安芸守は、警戒してか降伏を受け入れる事を良しとしない。 しかし代わりに提案したのが、城の明け渡しであった。

 日夏安芸守より代案を出された山崎賢家は、書状を義頼に送り判断を委ねる。 書状を受け取った義頼は、蒲生定秀と本多正信に諮ったのであった。


「俺は受け入れてもいいと思うが、二人はどう思う」

「拙者は賛成です、弥八郎(本多正信)はどうだ?」


 蒲生定秀は直ぐに義頼の考えに賛成すると、思案顔の本多正信へと話を振る。 蒲生定秀より話を振られた本多正信は少し考えた後で、彼も蒲生定秀同様に賛成の意向を示した。

 自身の知恵袋とも言える二人からの同意を得られた義頼は、山崎賢家に了承の返事を認める。 書状を受け取った山崎賢家は、日夏安芸守に軍使を出して義頼の許可が出たことを伝えた。

 それから三日後の昼過ぎ、日夏安芸守は一族を率いて荒神山城より退去。 山崎賢家は慎重に城内を探索した後に、制圧したのであった。





 さて、荒神山城の明け渡しが始まった頃の事である。 義頼に警戒されている浅井長政だが、彼は浅井一門衆の浅井井演あざいいひろが城代を務める横山城に入っている。 そこで彼は高野瀬秀澄が義頼に降伏した事と、肥田城を開城した事を知ったのであった。


「くっ!! あとせめて数日早く出ていれば、肥田城をみすみす義頼に渡さずに済んだ物を!」


 実は高野瀬秀澄が肥田城で降伏か否かの軍議を開いていた頃、浅井長政だが彼は居城の小谷城を出立した直後だったのである。 その為、肥田城代の高野瀬秀澄には浅井長政出陣の報がまだ届いていなかったのだ。 


「殿。 悔やんでも、仕方がありません。 これでも、目一杯急いだのです」

「分かっている!!」

「何れにせよ、先手を取られてしまいました。 この上は、一刻も早く高野瀬城の援軍に向かいましょう」


 浅井長政は叩きつける様に、重臣の遠藤直経えんどうなおつねに怒鳴り返している。 その遠藤直経だが、彼は首を小さく竦めるのみであった。

 翌日早朝、浅井長政は急いで軍勢を整えると横山城を発つ。 本来の予定では寄るつもりであった佐和山城に寄らず、そのまま行軍する事にした。 同時に、佐和山城主の磯野員昌いそのかずまさに対して書状を送り出陣させる。 そして途中で磯野員昌の兵と合流を果たす。 それと前後して、荒神山城を退去した日夏安芸守達とも長政は合流を果たしたのであった。

 この長政の動きを知った肥田城の義頼は、荒神山城に駐屯した山崎賢家に出陣を命じる。 そして義頼自身も、肥田城から出陣する。 彼は肥田城を後陣とすると、宇曽川沿いに陣を展開した。


「正信。 後は、長政を待つだけだな」

「はっ」

「それはそうと、駒井親子と猪飼殿の水軍は出港したか?」

「まだその報は届いていませんが、遅くとも数日中には動くでしょう」


 義頼は長光寺城を出陣する際に、六角水軍を率いる駒井秀勝こまいひでかつと息子の駒井重勝こまいしげかつ。 それと、猪飼昇貞いかいのぶさだを促し堅田衆を出陣させている。 これは彼らに浅井長政の軍勢の後方を荒らさせる為であったが、結果としてこの出陣が別の戦を引き起こす事になるとは義頼も知り得る由は無かったのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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