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第百四十六話~新機軸~


第百四十六話~新機軸~



 土屋昌続つちやまさつぐに続いて小幡憲重おばたのりしげまでもが討ち取られたという知らせを受け、流石の武田本陣にも動揺が走る。その動揺を抑えたのは、内藤昌秀ないとうまさひでであった。


「喝っ!」


 後方にある本陣とはいえ、戦場の弩号は響いてきている。しかしながら彼の一喝は、その弩号すら打ち消すものであった。


「静まれ! 何もまだ負けた訳ではない。見よ、味方は押しているではないか!!」


 確かに内藤昌秀の述べた通り、開戦当初より武田家の軍勢は全体的に織田家の建てた柵へ近づいていた。

 しかしてこれは、織田・徳川の連合勢が迎撃を主とした戦いをしている為である。敵を迎え撃つ以上、どうしても連合勢としては受け身とならざるを得ない。結果として、攻勢は武田勢が握ってしまうのだ。だが内藤昌秀は、敢えてその点は考慮せずただ結果だけをいう。こんなところで、士気の低下を見逃す訳にはいかないからだった。


「う、うむ。 そうだ! 昌秀のいう通りこちらが優勢なのだ! 恐れることなどなにもない!!」


 武田信勝たけだのぶかつが内藤昌秀の言葉に乗り、味方へ撃を飛ばしたその時、この武田本陣へ使者が走り込んでくる。この使者を派遣したのは、馬場信春ばばのぶはるであった。

 彼は戦場で、佐久間信盛さくまのぶもりと相対する感じで布陣していたのだが、戦が始まると馬場信春は敵より遥かに少ない兵数でありながらも攻勢を仕掛けている。この攻撃は熾烈を極め、不覚にも佐久間信盛は兵の壊滅を避ける為に兵を下げざる得なかった。

 相対していた敵を蹴散らし柵の向こう側へと追い遣った馬場信春は、その後、高台に布陣して戦場を眺める。その結果、このままではいずれ兵数差から押し返されてしまうとの危惧をより強めていた。そこで馬場信春は、武田信勝へ弟の馬場信頼ばばのぶよりを使者として送ったのだった。


「御屋形様(武田信勝)! 兄上は、今が引く好機だとおっしゃられています」

「信頼! 引けだと!?」

「はい。戦は味方の優勢であり、敵を陣内に釘づけにしております。また倍以上の兵を擁する敵に敢然と立ち向かい、武門の面子も得ております。ここはこれで了とし、今以上に損害が大きくならないうちに兵を撤退するべきであると申しておりました」

「面子……か」

「はっ。それと、もし同意していただくならば、殿しんがりをお任せしていただく。と、

兄上は申しておりました」


 確かに見た目上は優勢であるし、少なくとも武田勢にはそう見えている。ならばここで引くという選択も、それはあり得る判断ではあった。

 但し、土屋昌続と小幡憲重の二人が討ち死にしていなければである。

 彼らのうちのどちらかだけの戦死であれば、兵を下げることはできたかも知れない。だが、現実は両名が討たれてしまっている。この状況で撤退の命を出すのは、いささか難しかった。


「……いや、出来ん! 既に昌続と憲重が討たれているのだ。こちらもそれなりの者を討たねば、釣り合いがとれぬ!」

「御屋形様!!」


 馬場信頼は翻意をさせるかのような雰囲気を纏いつつ呼び掛けると、当の武田信勝は一瞬だけ彼を見る。彼の表情には、そういわざるを得ない苦悩のような物が滲んでいる。それゆえに、馬場信頼は言葉に詰まってしまった。


「そなたの言い分は分かった。その方は下がれ。 昌幸、あとは頼むぞ」

「御意」

「御屋形様! どうか、ご再考を!」

「下がれといった! 聞こえなかったか!!」

「……ぐ……しかしですな……」

「さ。善五兵衛(馬場信頼)殿、こちらへ」


 馬場信頼は、不満の表情を表しつつも武藤昌幸に先導され本陣より下がる。その二人を、彼はじっと見ていた。やがて両名が陣外へと消えると、武田信勝は馬場信春が布陣しているであろう方角を見つつ一言漏らす。そんな彼の拳は固く握りしめられており、爪が手の平に食いこみ血を流していた。


「すまぬ、信春。まだ、引けぬのだ」


 その後、武田信勝は表情を改めてから、武田信廉たけだのぶかどと内藤昌秀の方を向いた。


「叔父上、それと昌秀! そなたたちは兵を率いて、前線へ押し出せ! 何としても、敵陣を突破するのだ!」

『御意!!』


 武田信勝の命を受けて、両名が本陣より出て行く。その彼らの背に、小さく彼は言葉を投げかけていた。


「叔父上、昌秀。死ぬではないぞ……」


 戦場の怒号に掻き消え、その呟きに近い言葉は誰に届くでもなく消えていった。



 さて陣幕の外へと退出が命じられた馬場信頼であったが、彼は即座に傍らにいる武藤昌幸へとすがりついた。何といっても、武藤昌幸と今はここに居ないが曽根昌世そねまさただは、武田信勝の側近として家中に重きを成し始めている。つまり馬場信頼は、彼であれば主君を翻意に出来るのではないかと考えたのだ。


「お願いする。兄上より、必ず説得する様にと言われているのだ! 喜兵衛(武藤昌幸)殿! どうか、どうか!!」


 縋る馬場信頼の手をそっと掴んだ武藤昌幸は、彼の手をゆっくりと外す。それから、彼だけに聞こえるような小さな声で伝言を頼むのであった。


「美濃守(馬場信春)様へお伝え下さい。撤退の準備を怠らぬようにと」

「え?」


 言葉の意味が分からず、思わずといった感じで相手の顔を見る。そんな馬場信頼に頓着せず、武藤昌幸は言葉を続けた。


「それと今一つ。撤退の際は、恐らく殿をお願いする事もお伝え下され」

「い、いや。しかし、それだけでは……何より、さきに述べた通りではないか……」

「それだけ伝えれば、美濃守殿ならば分かって下さります! だからお願い致す!!」

「しょ、承知した」


 鬼気迫るといっていい迫力に負け、信頼は慌てて了承すると急いで兄である馬場信春の元へと戻っていく。そんな彼を見送ったあとで武藤昌幸は、武田信勝と同様に馬場信春がいると思われる方向へ視線を向けていた。


「お頼みしますぞ、美濃守殿。恐らく貴殿でなければ、敵の攻勢は止められぬゆえに」


 その後、内心で首を傾げつつも馬場信春の陣へと戻ってきた馬場信頼は、不安な気持ちを押し殺しながらもさきの本陣でのやり取りを告げる。弟から聞いた本陣の様子に、馬場信春は苦虫を噛み潰していた。

 しかし、その後に続いた武藤昌幸からの伝言を聞くと彼の表情から苦虫は消える。それから腕を組むと、何やら考えだしていた。そんな兄の様子に、馬場信頼は怪訝な顔をする。それから少し躊躇いつつも、馬場信春へと問い掛けていた。


「兄上?」

「ん?……ああ済まぬ。喜兵衛からの伝言について考えていた」

「喜兵衛殿の伝言……ですか」

「うむ。して信頼、喜兵衛からの伝言通りに撤退の準備はしておけ」

「良く分かりませぬが、分かりました」


 馬場信頼も納得した訳ではなかったが、それでも家臣として仕えている兄の命である。内心で首を傾げながらも、軍勢の再編に掛かり始めていた。


「いいだろう、喜兵衛。そなたの要望通り、敵は止めてやる。このいのちに変えてもな」


 馬場信春は手にした愛槍を握りしめながら、そう独白していた。



 武田親族衆筆頭の武田信廉と武田家の副将といってはばからない内藤昌秀が動いたことで、武田勢は全軍突撃の様相を呈していた。


「行け! 敵陣を突破、蹂躙して敵大将の首級を上げよ!」

『おおー!!』


 武田の将に率いられた兵が、一斉に柵へ目掛けて突き進んでいく。しかして織田家の将も、相手の動きに対応して迎撃に入っていた。

 まず馬場信春に柵の内側へと蹴散らされた佐久間信盛だが、率いる兵はまだまだいるので馬場信春に対する牽制としてその場に留まっている。そして丹羽長秀にわながひで羽柴秀吉はしばひでよしだが、彼らも柵の内側からじっと火縄銃を構えていた。

 やがて柵を越えようと突撃してきた真田信綱さなだのぶつな真田昌輝さなだまさてるの兄弟、その兄弟と共に行動した甘利信康あまりのぶやすに対して、丹羽長秀の鉄砲隊と羽柴秀吉の部隊に居る根来衆が銃撃を始める。この濃密な射撃を受けて、流石の三人も足を止めざるを得なかった。そんな敵に生まれた隙を見逃すほど、丹羽長秀と羽柴秀吉も甘くはない。二人は、間断なく銃弾を浴びせ続けていた。


「……不味い。このままでは、蹂躙される。昌輝、郷左衛門尉(甘利信康)殿! 一度引き、体勢を立て直すぞ!」


 弟の真田昌輝、そして甘利信康と共に攻勢を仕掛けた真田信綱であったが、予想外の銃撃に一度下がる決断をした。内心では、忸怩じくじたる思いである。しかし味方が壊滅しては元も子もないので、彼らは攻勢を止めると再編の為に後退した。

 そしてほぼ同じ頃、徳川家と相対していた小山田信茂おやまだのぶしげ川窪信実かわくぼのぶざねもまた突撃していた。一方で彼らを迎え撃つ徳川家康とくがわいえやすはというと、家臣となる大久保忠世おおくぼただよ大久保忠佐おおくぼただすけの兄弟に加え、大須賀康高おおすがやすたか榊原康政さかきばらやすまさ本多忠勝ほんだただかつらに命じて迎撃させていた。

 

「……五分、か。流石は武田よ、のう数正」

「御意」


 兵数だけでいえば、迎撃した徳川家の方が多い。だが武田家の二将は、そんな兵数差などものともせずに戦っているのだ。


「とはいえ、感心している場合ではないか……何としても討て!」

「御意」


 そう命じつつも徳川家康は、内心でどちらかだけでも捕えられないかと考えている。目の前の両将だけではないが、総じて武田家の将は能力が高い。そこで徳川家康は、徳川家の力を押し上げる為にも武田家の者を配下に欲しいと考えていたのだ。


「とはいえ、今は難しいであろうな。しかしいずれは……」


 拳を握りしめつつ、徳川家康は小さく独白した。すると、偶々聞こえたらしく、石川数正いしかわかずまさが主へ問い掛けた。 


「何か言われましたか?」

「いや、何でもない」  


 徳川家康は石川数正の問いを誤魔化すと、再び戦場へ目を向けていた。



 戦場の中央部であるが、ここが一番の激戦地となっていた。

 さきに本陣より出陣した武田信廉と内藤昌秀、他にも元から中央付近に布陣していた武田信豊たけだのぶとよ原昌胤はらまさたねに加え、父親の小幡憲重が討たれてしまったあとに旗下の兵を再編した小幡信貞おばたのぶさだが攻め込んでいたからだ。

 さらには、中央付近へ流れて来た山県昌景やまがたまさかげも攻勢を強めている。そんな錚々たる面々の敵と相対している義頼だが、彼は三重に建てられた柵を最大限に利用しつつ釣瓶打ちに鉛玉や矢を打ち込み、彼らを迎撃していた。


「……そろそろだな。出せ!」

『はっ!』


 義頼の命により、今まで隠されていた物が姿を現す。それは台の上に乗せられた、大砲であった。



 雑賀(紀州)討伐の後、鉄甲船は解体されているのだが、その時に船から大砲を降ろしている。その降ろされた大砲を見ながら、義頼は傍らにいる三雲賢持みくもかたもちへ一言呟いていた。


「賢持……この大砲だが、使えぬか?」

「殿(六角義頼ろっかくよしより)、使うとは?」

「いや、そのままの意味だ。この大砲、不安定な海上に浮かぶ船の上で使えていた。ならば、地面の上なら殊さら問題なく使えると思わぬか?」

「ですが、このように重いです。殿、どう使うのですか?」


 そう三雲賢持から逆に問われた義頼は、顎に手をやりながら暫く考える。やがて思い付いたらしく、表情を綻ばせながら口を開いた。


「………そうだ! 板に車輪でも付けて、その上に乗せてしまえばいい」

「板に車輪ですか?」

「そうだ! こんな風にな」


 そう言うと義頼は、紙と筆を持って来させる。そしてその紙に、大雑把ながらも絵図を描いたのだった。


「……おお! なるほど!! ぶ厚い板に車輪を付けて、その板の上に大砲を置くのですか!!」

「うむ。取りあえずは、作ってみたい……っと。その前に、殿(織田信長)から許可を得ねばならぬ」

「そうですな、確かに」

 

 大砲は織田家の所有物であり、六角家が所有している訳ではない。義頼が無許可で、勝手に使う訳にはいかないからだ。その後、義頼は織田信長の元を訪れると起こした絵図面を用いて説明を行う。話を聞いた当初は彼も訝しげな表情をしていたが、やがてその表情は徐々に喜色を帯びて来た。


「面白い! 早速作れ!!」

「はっ」


 こうして義頼は、移動式の台に乗せた大砲を作成した。鉄甲船に乗せていた大砲の全てをその仕様に改造すると、三雲賢持に命じて試験を行わせて不具合を洗い出させる。その試験も終わり、いよいよ実戦投入に至ったのであった。



 何とか銃撃と射撃を掻い潜って柵へ取り付こうとしていた武田勢の前に、見慣れぬ物が十台以上現れる。より正確にいえば十八門の大砲が並んでいるのだが、武田家の者にそのようなことなど分かりはしない。ただ、見慣れない何かが現れたぐらいにしか感じていなかった。


「放てー!」


 その瞬間、轟然たる大音響と共に全大砲が火を吹いた。

 あまりにも大きい音に、歩兵は敵味方構わず耳を抑えてしまい、それに伴って足も止まってしまう。また戦場に響いた轟音により、なまじ柵へ近づいていた馬などに至っては、恐慌をきたし乗り手を振り落としながら暴れ回っていたのだ。

 そんな中、ほぼ水平に発射された砲弾は、進行上にある全ての物を薙ぎ払いながら突き進んでいく。やがて着弾すると、盛大に土の柱を作り土砂を巻き上げていた。


「何をしている! さっさと、撃ち続けろ!!」

「……はっ! ははっ」


 義頼の旗下に入っている鉄砲衆と弓衆は、彼の叱咤で我に返るとまだ呆ける敵へ火縄銃と弓による射撃を再開する。まだ何が起こったか分かっていない武田勢は、その射撃により次々と討ち取られていった。そんな武田勢にあって、最初に気付いたのは山県昌景である。銃撃音と弓の射撃音、そして兵の悲鳴を聞いて漸く我に返ったのだ。


「……っく! 何だったのだ、今の音は……」


 彼はまだ少し耳鳴りのする耳を押さえつつ、まずは現状把握に努める。そんな彼の目に写ったのは、次々と銃撃や射撃により討たれていく味方の姿であった。


「不味い! 一度引け、このままでは全滅ぞ!!」


 山県昌景の怒声に、残りの四将も意識を取り戻す。それから比較的短時間で現状を把握すると、山県昌景と同様に一旦兵を引くようにと命を出す。だが正にその時、まるで彼らの行動を遮るかのごとく義頼の命が戦場を走り抜けていた。


「第二射! 撃てー!!」


 その直後、けたたましいまでの轟音が再度戦場に響き渡ったのであった。


陸戦で大砲が使用されました。

鉄甲船解体で出た余剰武器ですけど。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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