第百四十五話~【設楽ヶ原の戦い】~
第百四十五話~【設楽ヶ原の戦い】~
織田・徳川の連合勢、そして武田勢による最終的な布陣が設楽ヶ原にて行われた。
織田家は、織田信長から命じて義頼に率いさせている鉄砲衆を前線の中心に置いている。そして義頼から見て左手に丹羽長秀と羽柴秀吉の両将と、この戦の為に石山本願寺攻めより一時的とはいえ呼び寄せた佐久間信盛が配置されている。また義頼の右手には、徳川勢が配されていた。
さらに義頼の後方には、織田信長が本陣を置いている。そして徳川勢の後方には、徳川家康が本陣を置いている。なお織田信長の後方には、彼の息子となる織田信重と神戸信孝の二人が布陣していた。
その一方で武田勢はというと、長篠城の抑えに弱冠の将を当てると残りの将をほぼ横一線に配置している。武田信勝は設楽ヶ原に流れる連吾川と平行するように布陣し、一斉に攻め掛かる姿勢を見せていた。
ただ一つ、武田勢の気掛かりだったのは、連吾川と織田・徳川勢の陣との間にある湿地帯である。軍勢の一部ならばまだしも、武田勢の全てが迂回するという訳にもいかないからだ。そこで、いかにこの湿地帯を素早く突破出来るか。そこに勝敗の行方が掛かっていると、武田の将は誰しもが考えていた。
因みに、この布陣の前に武田勢本陣で開かれた軍議に置いて、ある提案が武藤昌幸と曽根昌世から出されている。彼らから出た提案、それは退却であった。何せ畿内にて松永家の反乱鎮定に当たっていた筈の義頼がこの戦場に現れた辺り、こちらの策が露見している可能性が非常に高い。ゆえに二人は「逆に利用されているのでは?」と考えたのだ。
それは、他の家臣でも思い描いた者がいる。それが、馬場信春と山県昌景であった。実際に二人は、この軍議に置いて積極的にではないにしても、武藤昌幸と曽根昌世の提案した退却案に賛同している。それでなくても、長篠城が落とせなかった事で後方に敵を抱えている。その為、織田・徳川の連合と長篠城という両面作戦を取らざるを得ない。こうした状況も併せて、彼らは危機感を覚えていたからである。しかしながらこの提案は、軍議で了承とされなかった。
勿論、それには理由がある。まずこの長篠への出陣自体が、この戦場だけで終わる話ではないからである。そもそもからして亡き一徳斎(真田幸隆)の作り上げた策自体が、この長篠で終わりではなかったのだ。
長篠城陥落後でも織田信長が現れない、もしくは遅れていた場合は、そのまま岡崎城まで進軍する。そこで調略似て味方に付けた大賀弥四郎らに開城をさせ、短期間のうちに三河国を落としてしまうのだ。
その後、三河国と秋山虎繁が侵攻した東濃を楔として、織田家と徳川家を分断する。その隙に東と西から高天神城へ向かった徳川家康を攻めて、徳川家を滅ぼすなり降伏するなりされる。そして、遠江国と三河国を手中に収める。これが、一徳斎の立案した策の骨子であった。
それゆえに、織田勢との決戦は覚悟していたことである。多少不利な状況が発生したからといって、おいそれと引く判断など出来るものでもなかったのだ。それに付け加え、義頼の存在がそこに拍車を掛けていた。
【三方ヶ原の戦い】において最終的には怪我と病気によって命を落とした武田信玄であるが、その命を縮ませたであろう怪我を負わせたのが他ならぬ義頼である。つまりここで義頼を討てれば、武田信玄に対する供養にもなるのだ。
そんな考えが、軍議を支配していたのである。その為か、退却の意見が通用しづらい雰囲気が軍議に流れていたということもあった。何はともあれ、ここで開かれた武田家の軍議において、織田・徳川勢との間で雌雄を決するということで纏まる。すると彼らは本陣から退出し各陣へと戻っていったが、武藤昌幸と曽根昌世は残っている。そして二人は、武田信勝に対してある提案をしていた。
「退路の確保だと!? その方ら、戦の前から一体どういうつもりかっ!!」
「御屋形様、万が一を考えてのことにございます。恐らくこの戦は、お互い総力戦となりましょう。場合によっては、武田家を支える屋台骨に多大な傷を負ってしまうかもしれません。それゆえに、負うかも知れない傷を少しでも小さくする手を一つでも打っておくべきだと思うのです」
「……つまりは損害を押さえる為の手段だと、その方らは言いたいのか」
『はっ』
武藤昌幸の口上を聞いた武田信勝は、流石に思うところがあったらしい。暫く、彼と曽根昌世が提案した策の意味をじっと考えていた。
実際問題として、確かにその可能性がないとは言えなくもない。戦は水ものである、ならば考えられる限りの手は打っておくに越したことはない。これもまた、事実だからだ。
「……ふう。分かった。二人とも、好きにせよ。但し、実行は密かに行え。それこそ、味方にも知られぬようにだ」
『御意』
武田信勝の許可を得た二人は、すぐに彼の前を辞する。その後、武藤昌幸と曽根昌世は、地元の者へ密かに報酬を払って協力させることで入手した情報を頼りに味方の布陣に合わせて退路を確保したのであった。
「内匠助(曽根昌世)殿。これで少なくとも、速やかに撤退は出来るな」
「うむ。ここの守りは、我に任せよ。御屋形との約定通り、誰にも……それこそ味方にも知られぬようにしておこうぞ」
「頼みます、内匠助殿。万が一の時、ここの存在が武田家の力を残す要となりましょうから」
「分かっている、安心せよ。その代わり、殿(武田信勝)をしっかりお守り下され」
「委細承知!」
武藤昌幸は、曽根昌世の言葉に力強く返答する。その後、曽根昌世はこの地に残り、武藤昌幸は自陣へと戻ったのであった。
明けて翌日、設楽ヶ原は一面霧に包まれていた。
夜中に気温が下がり、朝霧が発生したのである。その霧によって、両軍勢は大まかな位置しか把握できないでいる。もう少し霧が薄くならねば、戦を始めるのはお互いに取って危険であった。その為か、織田・徳川連合勢と武田勢はじりじりとしつつも霧の晴れるのを待っている。やがて時が進むと共に徐々にではあったが、設楽ヶ原を覆っていた朝霧は静かに薄れていった。
お互いの姿が大体認識できるぐらいまでに朝霧が晴れた頃、織田信長や武田信勝に取って予想外の事態が起きる。何と、徳川家家臣の大久保忠世とその弟である大久保忠佐の率いる部隊が、彼ら兄弟の正面に陣取る山県昌景へ火縄銃で射掛けたのだ。
何ゆえ大久保兄弟が号令を待たずして彼らは仕掛けたのかというと、それは徳川家の為と思っての行動であった。こうして戦が起きてしまった経緯は兎も角として、この戦は徳川家領内で起きた物である。だが、実際に戦を主導しているのは織田家と武田家である。だからこそ大久保兄弟は、せめて戦だけでも徳川家の者によって幕を上げる必要があると考えたのである。そのような事情もあり、ここに【設楽原の戦い】は切って落とされたのであった。
戦の口火を切った大久保忠世と大久保忠佐の部隊から放たれた鉛玉は、山形昌景の兵に容赦なく襲いかかる。しかしそこは、戦巧者の山県昌景である。旗下の兵へ損害は出しつつも兵を操り柵は迂回して側面から攻撃を仕掛けようとする。その動きを見て、大久保忠世は思わず賞賛していた。
「……見事。流石は、武田の赤備えだ。一筋縄ではいかぬか!」
「兄上! 敵を褒めている場合ではありませんぞ!!」
「分かっている。忠佐は兵を率いて押し出せ! その隙に鉄砲衆は柵内に下がらせる」
「御意!」
大久保忠佐は兄のいう通りに兵を押し出すと、山県勢に一撃を与えて僅かでも押し留める。その隙に鉄砲衆を下げさせつつも、大久保忠佐は即座に引いた。すると当然だが、山県勢は追って来る。しかしながら、追撃する山県勢に対して再度火縄銃が撃ち掛けられる。その為、これ以上の追撃は難しくなった。
「引け! 深追いはするな! まだ戦は始まったばかりぞ! 弓兵、支援せよ!」
『はっ』
山県昌景旗下の弓兵が、下がる味方の兵に対して援護射撃を行う。これでは大久保勢としても追い掛ける訳にはいかず、たたらを踏んでしまう。その隙に、山県昌景は兵を引き態勢を立て直していた。
『……なんと! 慌てもせぬとは!』
敵勢の動きに、大久保忠世と大久保忠佐の兄弟は目を見張り、異口同音に声を上げる。このような動きを見せられては、早々に次の攻撃という訳にはいかない。しかし、このままお見合いという事態も望むものではなかった。
「よし! 再度攻撃を……何!」
「馬鹿な!!」
大久保兄弟が驚いたのも無理はない。何と、引いたはずの山県昌景が再び攻撃を仕掛けて来たからだ。この為、この場における戦の主導が大久保勢から山県勢へと移ってしまう。しかし大久保勢は、がっちりと守り山県勢を押し留める事に成功した。
「……これでは埒が明かぬ……弥五郎(小山田信茂)殿に伝令! 我らは戦場中央に向けて転戦する! この場はお任せすると伝えよ!!」
「御意」
伝令が走ると同時に山県昌景は、兵を纏めると即座に移動を開始する。この山県勢の動きは、対面している大久保勢は勿論、その隣に陣取る大須賀康高にも見て取れた。
「むっ!? 山県が移動だと? よし、こちらも合わせて……って何!」
大須賀康高が山県昌景へ追いすがろうとしたその時、小山田信茂と河窪信実の両将が、山県勢が抜けたことで出来た穴を埋めるかのように展開することで、あっという間に対応してしまう。これでは、山県勢の追撃どころの騒ぎではなかった。
『これが武田か!』
大久保忠世と大久保忠佐の兄弟と大須賀康高は、改めてあの武田家と戦っているのだと自覚させられたのであった。
その頃、中央付近では、織田勢と武田勢の戦が始まろうとしていた。
だが蓮吾川と湿地帯により普段の進撃が出来ないことと、まるであざ笑うかのように柵を出入りしつつ銃撃を仕掛けて来る義頼が率いる鉄砲衆のせいで、武田勢は遅々として前に進めていなかった。その上、鉄砲衆は小集団がかわるがわる銃撃を与えて来るので、銃撃の切り目などが殆どない。それでなくても、織田勢の操る鉄砲の数は桁が違う。優に数千を数える火縄銃が、間断なく射掛けてくるのだ。
それでも、切れ目が生まれることはままある。しかし、その切目も弓衆から放たれる矢によって埋めてしまうのだ。とは言え、完全に切り目がないという訳でもない。僅かではあるがところどころで、どうしても切れ目が生まれてしまう時もある。その僅かな隙を、武田勢が見逃す筈もなかった。
「行け!」
『おおー!!』
土屋昌続率いる部隊が、先陣を切る。彼は、真っ直ぐに戦線の中央で翻る六角家の旗と松永家の旗目指して突き進んでいった。
「おのれ、松永! おのれ、六角!! よくも、よくも我を謀ってくれたな!!」
松永家は織田家に反旗を翻し、そして義頼は万を越える兵力でその討伐に向かっている筈であった。しかしながら、義頼と松永久通率いる松永家は揃って布陣している。この状況を見れば、謀られたことなど自明の理であった。
だからこそ土屋昌続は、先陣の任を持ってこの責を雪ぐつもりなのである。しかして彼が率いる軍勢には、義頼の与力を務める佐々成政と森長可の率いる軍勢から放たれた鉛玉が次々と襲いかかって来る。それにも構わずに土屋昌続は、襲い来る銃弾の雨にも怯まずただ愚直に敵陣へと突き進む。だが、そのような心意気があったとしても現実は非常であった。
「ぐ……がはっ!」
狙ったものかそれとも偶然の産物か分からないが、織田勢より放たれた一発の銃弾が、彼の胸板を貫いたのである。すると今まで命中しなかった鬱憤を晴らすかのように、次々と銃弾が襲いかかってくる。ついに土屋昌続は、自らと愛馬もろとも蜂の巣にされてしまったのであった。
「お、御屋形様……申し訳ありません。し、信玄様。今こそ御傍に……」
武田家家中に置いて将来を嘱望された若き武将、土屋昌続は義頼旗下の鉄砲衆によって討ち取られてしまったのであった。
しかし武田の将は彼だけではない。他にもいる。それを証明するかのように、土屋勢と並走するかのように攻め掛かってきている軍勢があった。その軍勢は小幡憲重率いる小幡勢であり、彼は息子の小幡信貞と共に押し出して来ていた。
因みに小幡家は武田家臣というより従属した同盟者という立場の一族であり、対等とまではいわなくても相応に特別な扱いを受けた一族である。これは、小山田家にもいえることであった。
その為か、このたびの戦でも小幡家の動員した兵数は多く、武田信勝が率いる武田家本隊の兵の次に多い兵数を誇っている。ゆえに小幡勢の突撃は、土屋昌続の数段上を行く迫力と勢いを持っていた。
「これは、凄まじいな……善住坊、弥左衛門。あの敵将を撃て!」
『御意!!』
義頼は家臣の杉谷善住坊と城戸弥左衛門という銃巧者の二人に狙撃を命じる。彼らは、原田杢右衛門、服部甚右衛門などといったやはり銃達者と共に、小幡憲重を狙撃した。
まさかの狙撃に驚きを表した小幡憲重であったが、彼は間一髪のところで最初の銃撃をやり過ごすことに成功する。だが、大将が狙撃されたことは事実である。その為、小幡勢の進撃が僅かに鈍る。そのことを見咎めると、小幡憲重は味方を叱咤した。
「止まるな! 進め!!」
『おおー!』
大将の叱咤に威勢を取り戻した小幡勢は、再度攻勢に入る。しかしこの一瞬の停止と叱咤が、彼の命を決定付けることになってしまった。
「貰った!」
城戸弥左衛門の火縄銃から放たれた銃弾が、小幡憲重の顔面を直撃する。しかも銃弾の勢いは、彼の体を後方に飛ばし馬の上から叩き落としている。そして当の小幡憲重はというと、自らに何が起きたか分からぬまま、顔が熱いという場違いな考えを持っている。その思考を最後に、彼は永遠に意識を閉ざしたのであった。
【設楽ヶ原の戦い】開幕です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




