第百四十四話~長篠到着~
第百四十四話~長篠到着~
武田信勝が軍勢を率いて長篠へ出陣したと言う知らせが、信貴山城を包囲している義頼たちの元へと届く。その報告を聞いた彼らは、溜息をもらしていた。
「ふう。漸く、茶番も終わりますか」
「そう言われますな、中務少輔(京極高吉)殿。これも、策でありましょう」
「それもそうですな。ところで、右少将(六角義頼)殿。道意殿には、どのように知らせるのか?」
「そうですな……どうせなら、最後まで演じてみますか」
そう言うと義頼は、本多正信を呼んだ。
彼は数日前までこののちに行うこととなる移動の用意を行っていたが、その手筈も整ったので義頼と合流していたのだ。
「殿、何用でしょう」
「お主も知っているだろうが、武田信勝が長篠城へ向かった。ついては、信貴山城へ仔細を知らせたい」
「はぁ」
「そこで、お主が軍使となれ」
楽しげな表情をしながら、義頼は本多正信へ命じる。その表情と言葉が意味するところを察した彼は、小さく溜息をついた。
何せ本多正信は義頼に仕える以前、松永家に仕えている。もし今回の松永家蜂起の裏事情を知らなければ、嘗ての知り合いであるがゆえの軍使任命であると思われるだろう。しかしながら、松永家蜂起も事態の収拾を命じられた義頼による信貴山城包囲も、武田信勝を確実に長篠へ誘導するという作戦上での行動でしかないのだから遊び以外の何ものでもなかった。
「……殿。おふざけが過ぎませぬか?」
「何をいう。これも、敵の目を警戒してだ」
「よく、言われますな。伊賀衆と甲賀衆の目が光り、武田の目が届いていないのを知っておりましょうに」
そんな本多正信の言葉に、義頼は肩を竦めるような仕草をしてから答えた。
「警戒するに越したことはない。正信、そうではないか? 壁に耳ありとも言うではないか」
「はぁ……承知致しました。拙者は軍使として、信貴山城へ参りましょう」
「うむ。気をつけろよ」
「はっ」
その後、義頼は態々直筆で書状を認めると、軍使に任命した本多正信に持たせて信貴山城へ派遣する。実際には戦の状態になっていない戦場で、まさかの軍使登場に道意も彼の息子となる松永家現当主の松永久通も苦笑を浮かべてしまっていた。
「あー、その。何だ、弥八郎(本多正信)殿。こたびの御用向きを窺いましょうか」
「右衛門佐(松永久通)殿、これをご覧ください」
やや疲れたような表情を浮かべながら、本多正信は上座に座る松永久通へ書状を差し出す。そこには武田信勝の出陣と、それに伴い策が成就した旨が記されていた。その書状を見て、松永久通は再度苦笑を浮かべる。それから、父親の道意へ書状を渡す。最後まで目を通すと、彼は笑い声を上げた。
「ふふふ……ははは。まさか殿(六角義頼)が、かような悪ふざけを行うとは。全く思いもよらなんだわ」
笑いこそ収まったが、道意の表情はいまだに笑みを浮かべている。そんなかつての主とその息子を、本多正信は見やっていた。
「それで、返答はいかが致します? この際、なくても構いませんが」
「いや。それでは軍使殿に失礼に当たる、ちゃんと返信しようではないか。のう、久通」
「やれやれ。分かりました父上」
父親の言葉に溜息を付きながらも、松永久通は同意する。その後、直筆による降伏の書状を作成した上で彼は本多正信へ渡した。これにより、松永家の蜂起は一戦どころか両軍勢ともに一兵も損なうこともなく終了する。それから義頼などの主だった将は、密かに信貴山城へと入城した。
信貴山城の天守にある城主の座所には、義頼が座っている。また、松永親子は無論のこと、義頼と一緒に入城した将たちもその場所へ集っていた。
「さて、正信。これからだが、時との争いになる。早速だが、長篠への移動について皆に伝えよ」
先ほどまでのおふざけなど、微塵も感じさせない雰囲気で厳かにいう。そんな義頼の態度に思わず呆気に取られた本多正信だったが、気を取り直すと説明を始めた。
「……承知致しました。まず、移動についてです。徒歩で移動の者は全員、武具防具を外していただきます。身に付ける物は、腰兵糧一つだけです」
既に一度だが本多正信より聞いている義頼と道意は特段の変化はなかったが、それ以外の者たちは目を何度も瞬かせていた。それぐらい彼の言葉は、突拍子が無かったのである。
「ち、ちょっと待たれよ」
「悪右衛門(赤井直正)殿、何か?」
「「何か?」ではござらぬ。我らはこれより、別の戦場へ向うのであろう。それであるにも関わらず、武具防具を持っていくなとはいかなる仕儀か!?」
「ああ。その旨に関しては、問題ありませぬ。武田家迎撃の為に長篠の地へ向かっておられる大殿(織田信長)が、全て用意しております。また、道中には食事も用意させておりますゆえに、そちらも問題ありません」
織田領内は、織田信長の命により出来るだけ通り易いようにと土木工事がなされている。 その意味でも、兵の移動は他国に比べても容易いのだ。
「何と! それは真か!!」
「ええ。これで、通常の進軍に比べれば遥かに早く移動出来る筈にございます!」
軍勢と輜重は切っても切れぬ関係だが、その輜重こそが行軍を遅らせる原因でもある。そこで本多正信は、あえてその関係を断ち切ることにしたのだ。無論、通常であれば、このようなことなど行わない。だが、別に用意できる者がいるという現実が、普通ならばあり得ない策を実行へと移させたのだ。
「……これは、前代未聞ですな」
本多正信が言いきったあと、その場には静かな空気が揺蕩っていた。
やがてその静寂を打ち破るかの様に、蒲生賢秀が言葉を上げる。その声は、感心とも呆れるとも取れる様な雰囲気を内包していた。
「父上、確かに」
「忠三郎(蒲生頼秀)も、そう思うか」
「ええ」
彼らの会話は、策を事前に知らされていた義頼と道意、それと策を立案した本多正信を除けばこの場に居る者全ての心情でもある。そんな彼らに対して、義頼が言葉を掛けていた。
「ま、そなたらの気持ちも分からぬでもない。だが、事は一刻を争う。すぐに正信の指示通りに、動いてくれ」
『承知』
翌日の早暁に合わせて信貴山城を発った義頼の軍勢は、一路長篠へ向けて進軍を開始した。流石に義頼らといった将の面々は馬での移動だが、足軽などは本多正信が示した通りの行軍である。それも織田領内を通る行軍し易い道を使っての物であり、しかも輜重を考える必要もなかった。
それに用意させた兵の腰兵糧も、万が一にでも手違いなどが生じて食事が出来なかった場合を考慮しての物である。そんな腰兵糧であるからして、行軍に影響が出るほどの物ではない。そのお陰もあり、通常では考えられない速度で彼らは進軍していったのであった。
さて、話を少し戻す。
時期としては、義頼が信貴山城へと入城した辺り頃である。高天神城へ援軍に向かった徳川家康であったが、彼は武田勢の長篠への進軍を耳にすると間もなく急遽転身している。しかし徳川家が高天神城を見捨てたのかといえば、そういう訳でもなかった。
「殿。こちらはお任せ下さい。高天神城城主の弾正忠(小笠原信興)殿と城の内外で連携し、穴山信君を翻弄致します」
「すまぬが頼むぞ! 元忠、忠広、宗能」
『御意』
徳川家康は、鳥居元忠と鳥居忠広の兄弟に加え、久野城主である久能宗能へ兵を預ける。そして鳥居忠広を自らの代将に任じると、高天神城への救援を託したのである。それから残りの兵全てを引き連れて、徳川家康は長篠へと向かった。その行動は、援軍要請に従っていずれ現れるであろう織田信長の軍勢と、合流を果たす為であった。
その一方で順調に行軍を重ね長篠に現れた武田信勝であったが、彼は眉を寄せていた。いや、彼だけではない。大抵の武田家重臣の表情は、似たような物であった。
「むう。まさか、織田が既に手を打っていたとは」
「御屋形様、確かに。ですが、我らの出陣をどこで知ったのでしょう」
「分からぬ昌景。味方が漏らすとは、少々考えづらい。なれば、どこで漏れたのだろう」
「……嫌な予感がしますな」
「…………」
武田信勝は、山県昌景の言葉を聞きながらじっと考える。というのも、彼らにとってこの状況は予想外でしかないからだった。
武田勢は、織田家の軍勢が到着する前に長篠城を落とすつもりであったからである。そうすることで、後顧の憂いをなくす。その上で、改めて織田勢と対峙することを予定していたのだ。しかしながら、実際に到着してみれば、長篠城には既に後詰がいるという状況となっている。なればこそ、早々に落とす必要があると判断した武田信勝は、急遽家臣を集めて軍議を開くと、その席で長篠城攻めを提案した。
「兎に角、長篠城に布陣する。後方の鳶ノ巣山には兵を送り、迂闊に動けないように牽制するのだ」
「なるほど。それであれば、落とせるやも知れませぬ」
「うむ。悪くはありますまい」
原昌胤と内藤昌秀という二人の重臣から賛同を得られた上に、取り分け反対もでてこない。これで軍議の流れは決まり、武田勢はすぐにでも布陣を始めていた。
明けて翌日、布陣を終えた武田信勝は長篠城攻めを開始する。しかしながら長篠城の守りは堅く、中々に落ちそうもない。それどころか、城内から数百丁に上る銃撃があり、昼を過ぎても大手門すら突破できていない状況にあった。
「……予想はされていたが、実際攻めるとまた違うな。聞きしに勝る堅牢さだ、のう昌秀」
「は。ですが、所詮は小城に過ぎませぬ。後詰の織田勢さえ押さえられれば、そう長くは持ちますまい」
「だといいが……」
その時、伝令の百足衆の一人が飛び込んでくる。息せき切って現れた百足衆は、途切れ途切れながらも武田信勝へ報告を行っていた。
「お、織田の本隊が現れました!」
『何だと!』
こうも早く織田の本隊が現れるとは、露ほどにも思っていなかった武田信勝と内藤昌秀は揃って声を上げる。しかしながら彼らの向ける遥か視線の先には、こちらへゆっくりと近づいて来る軍勢の姿が見えていた。
「どうする昌秀! このままでは、挟まれかねんぞ!」
「……致し方ありません。鳶ノ巣山に回した兵を戻し、彼らに長篠城を牽制させましょう。その間に我らは、移動致します」
「となれば、やはり設楽ヶ原か?」
「はい。どのみち、すぐに引けはしません。織田がそう簡単には許さないというのもありますが、我らにはここで対陣する理由がございますゆえ」
「そうだったな」
彼らがここで織田家本隊と対峙する理由であるが、この地より東にある東濃に答えが求められる。それは、今まさに東濃を攻めている秋山虎繁が率いる軍勢に、これ以上援軍を送らせない為であった。
それから間もなく、急遽転身して長篠へと向かっていた徳川勢が、ついに長篠へ到着する。しかしてそこには、既に織田信長旗下の軍勢が布陣している。そして、武田信勝の軍勢も現れていたのである。結果としてほぼ同時に到着した両軍勢は、長篠城近くに存在する設楽ヶ原へ布陣していた。
「ふむ。 どうやら、即座に長篠城へ向かわねばならないと言う状況ではないな」
漸く長篠へと到着した徳川家康は、先行していた服部正成旗下の伊賀衆より報告を受けるとそう一言漏らす。その言を聞き、石川数正も頷いていた。
「はい。どうやら河尻殿の存在が武田に対する牽制となっており、同時に長篠城兵に対する安堵感となっているかと愚考致します」
「ならば、ここは織田殿の元に向かうとするか」
そう言って立ち上がろうとする徳川家康に対して、石川数正は声を掛けた。
「お待ち下さい、殿。織田様のところへ向かうのは勿論ですが、その前にここは兵を分けましょう。そして、一隊は長篠城へ向かわせるべきでありましょう」
「……理由は?」
「我らが現れたということを、新九郎(菅沼正貞)殿や美作守(奥平定能)殿や子息の九八郎(奥平貞昌)殿へ報せる為にございます」
同盟関係にある織田家は元より、仕えている徳川家からも援軍が来たとなれば長篠城に篭城している将兵の士気は上がる。それは、長篠城の落城をより困難にさせる一助となるのは明らかであった。
「なるほど、良かろう。多くは割けぬが、長篠城……は無理か。鳶ノ巣山周辺へ、向かわせよう」
こうして徳川家康は、酒井忠次や奥平貞能の娘婿となる本多重純などといった者たちを派遣する。それは前述した通り、徳川家当主たる徳川家康がこの地に現れた旨を、長篠城に籠る味方へ知らしめる為のものでもあった。
その後、徳川家康は武田勢を避けて設楽ヶ原を大きく迂回する。程なくして織田家の軍勢と合流を果たした徳川家康は、すぐに織田信長と面会するべく織田本陣へと赴く。すると、即座に面会することができた。
「おう、来たか家康殿」
「はっ。それと織田殿、援軍忝く存じます」
「何、気にするな。我らとて、武田とは一度決着をつけねばならんと、思っていたところだ」
「そうで……」
「殿」」
徳川家康が返事をしようとした時、織田家の伝令が本陣へ現れる。そこで徳川家康は、口を閉ざすことで報告を優先させるべきだという態度を織田信長へ示した。
「すまぬな、家康殿。それで、いかがした」
「は! 六角様が到着いたしました!」
「……はぁ!? 何ゆえに右少将殿が!」
徳川家康が驚くのも無理はない。遠江国から三河国に来た徳川勢と、大和国から三河国へ来た義頼率いる軍勢が長篠へ到達した時間が殆ど変わらないのである。これを驚くなという方が、無理な話であった。
そして報告を聞いた織田信長はといえば、徳川家康の反応に対して人が悪い笑みを浮かべている。そんな織田本陣へ義頼が顔を出すと、そこには楽しげなというか人の悪いというか、兎に角笑みを浮かべた織田信長と驚きの表情をした徳川家康が佇んでいた。
「義頼以下、到着してございます」
「おう。来たな義頼。案外、早いではなかったか」
「某もこれ程とは、正直予想外でした」
「そうか。ああ、武器防具などは用意してあるので渡す。あとで、取りに行け」
「はっ」
織田信長への報告を終えた義頼は、頭を下げる。それから主の隣に居る徳川家康に対して、軽く会釈してから挨拶をした。
「これは徳川殿。一瞥以来にございます」
「はぁ、そうですな右少将殿……って、そうではなく! 織田殿! 彼は、信貴山城を攻めていたのではないですか!!」
「ああ、そうだ。無論、嘘ではないぞ。しかし嘘ではないが、あの謀反騒ぎは策略なのだ。信勝を、間違いなく長篠へ出陣させる為のな。のう、義頼」
「はっ」
その後、織田信長は、初めて徳川家康へ信貴山城攻めの真実を告げる。結果として味方から騙された形となった彼は、何とか表情に不満が出ないようにと隠したが、態度までは隠せていなかった。
「すまぬな。だが 「敵を欺くには味方から」というではないか」
「……そう、ですな……」
完全に納得した訳ではないが、相手はあの武田家だ。
いかに武田信玄が亡き者であるとは申しても、彼の残した家臣はまだまだ健在である。また武田家の新たな当主である武田信勝も、決して愚将という訳でもない。いささか勝ちに逸る傾向はあるように見て取れるが、だからといって無能だとはいえない。そんな武田家を陥れる為の策だといわれては、いやが上でも納得せざるを得なかった。
「以前付けられなかった決着を、この地で付ける為だ。ゆえに機嫌を直せ、家康殿」
「……分かりました、織田殿」
「うむ。では家康殿もこられたことであるし、早速だが軍議へと入ろう。よろしいかな?」
「無論です」
こうして徳川家の軍勢と合流を果たし連合軍となると、軍議を開き設楽ヶ原の布陣を決めた。
また織田信長は、並行して陣も構築している。雑賀攻めの際に、雑賀衆が雑賀川沿いに建築された柵から参考にした柵を複数建築する。そしてその建てた柵自体も、やや土を盛り上げて建てるなどといったことをしていくのであった。
「さて義頼。そなたを鉄砲総奉行に任じ、運用を任せる。そして、アレの運用もな」
「お任せ下さい」
「うむ。せいぜい、武田の度肝を抜いてやれ」
「御意」
その上で織田信長は、旗下の将の中から明智光秀や滝川一益といった火縄銃に通じた武将や、野々村正成や福富秀勝といった母衣衆らも選抜して鉄砲奉行に任じると義頼に付けている。その後、義頼は自ら率いる軍勢と、合流した明智光秀らが率いる軍勢と共に武田勢を迎撃するべく布陣したのであった。
織田・徳川・武田の軍勢が、長篠に揃いました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




