第百四十一話~真意~
第百四十一話~真意~
甲斐国山梨郡古府中にある躑躅ヶ崎館、そこの大広間では甲斐武田家当主たる武田信勝以下、家中の者が揃い出陣前の軍議が開かれていた。
「機は熟した。いよいよ出陣する!」
『はっ』
武田家家臣一同が、声を揃えて返答する。その様子に、武田信勝はゆっくり頷いた。実は武田勝頼であるが、今年の初めに改名をしている。武田信玄亡きあと、後見人となっていた武田信廉からの助言を受けて、武田勝頼から武田信勝に名を変えていたのだ。
武田勝頼の頼だが、諏訪家の通字であり武田家の通字ではない。そこで武田信廉は、武田家の当主として相応しい名に変えるようにと進言したのだ。その言を受けて、最もだと思い名を変える決心をする。彼は武田家の通字である信のあとに、父親の亡き武田信玄が付けた勝の字を残した名、即ち武田信勝を名乗ったのであった。
こうして武田勝頼改め武田信勝となると同時に、彼は朝廷へ正式な任官を求めている。金子を贈るなどした甲斐もあって、武田信勝は父親の官位であった大膳大夫を朝廷より賜ったのであった。
「信君。その方、高天神城を攻めて貰う」
「承知した」
武田信勝より命じられたのは、穴山信君である。彼は内心では「偉そうに」と毒づいているのだが、表だって露わにはしてはいない。それには勿論、理由があった。
武田信勝の後見人にして武田家一門衆筆頭といえる武田信廉は無論のこと、一条信龍や河窪信実といった他の一門衆、さらには馬場信春に内藤昌秀、山県昌景と春日虎綱といった武田家四天王ともあだ名される四人に代表されるような武田家重臣とも関係が悪くはない関係を武田信勝は一応作り上げている。そんな相手に逆らったところで、自らの方が追い込まれるのは火を見るより明らかだからだ。
そんな穴山信君の内心を知ってか知らずか、信勝は言葉を続けていた。
「つらい役かもしれぬが、お願い致す叔父上」
「……分かっている、こちらを気にすることはない」
そう返答した穴山信君の言葉に頷くと、武田信勝は秋山虎繁へと視線を向けた。
「虎繁。そなたには、東濃を攻めて貰う。こたびで三度目となるが、異論はないな」
「無論にございます。寧ろ、望むところです」
秋山虎繁は、今までに二度東濃を攻めている。一度目は武田信玄の命により起こされた西上作戦の前哨戦ともいえるような戦である。この時は命じた武田信玄の言葉もあって、慎重を期して撤退したのである。二回目は、実際に行われた西上作戦の最中である。作戦の途中で味方であった奥三河衆が離反してしまったことで、退却路が閉ざされてしまう可能性が出た為、心ならずも秋山虎繁は退去していた。それゆえに今度こそはという思いが、返答に強く渦巻いていた。
「最後に俺自ら兵を率いて、長篠へと向かう。よいな」
『ははっ』
実はこの三方からの侵攻だが、画策したのは今は亡き一徳斎(真田幸隆)である。彼は年のせいか病がちであったのだが、それでも武田信玄が亡くなると最後の御奉公とばかりに一つの策を武田信勝へと進言したのだ。すると武田信勝も、この進言を受け入れ許可を出す。その後、一徳斎は、策を実現するべく精力的に動いていった。
さてこの策の概要だが、先ず穴山信君と秋山虎繁が兵を率いて出陣する。彼らは指示されたそれぞれの地にて気勢を上げ、織田家と徳川家の軍勢を引き付ける。その、最後の締めとして武田信勝が兵を率いて長篠へと向うというものだった。
また一徳斎は、策の為に徳川家の家臣を数人ほど武田家へ寝返らせている。その彼らからも、しっかり誓詞を得ていた。ここまでお膳立てをした一徳斎であったが、老いと病には勝てず策の完成を見る前に病没してしまう。そこで武田信勝は、重臣らと共に一徳斎の策を引き継いだのであった。
なおこの戦には、甲相同盟に従い北条家より援軍も参戦する。何れ長篠城へ向かうつもりの武田信勝はというと、その北條家からの援軍も引き連れて進撃するつもりであった。
話を軍議の場へと戻す。
やがて軍議が終了すると、武田信勝はうしろを向く。そして、改めて居住まいを正した。彼や武田家家臣が向けている視線の先には、日章旗と大鎧が飾られている。この鎧と日章旗は、家祖となる源義光が父親の源頼義より与えられたとされる家宝であり、源義光以来甲斐武田家に代々伝えられた物である。甲斐武田家は、出陣に際してこの御旗と盾無に誓うことを慣わしとしていたのである。
なお日章旗は御旗と称し、鎧は盾無と称していた。
「御旗盾無も御照覧あれ!」
『御旗盾無も御照覧あれ!!』
武田信勝の言葉に続いて、武田家家臣が唱和する。即座に振り向くと、武田信勝は力強く言葉を吐いた。
「では、出陣!」
『おおー!!』
武田信勝の進軍という下知に従い、甲斐武田家の軍勢は動き出したのであった。
雑賀衆との戦も無事に終わり、その直後にあった近衛前久の帰洛という案件を済ませた義頼は、その足で近江国へと戻っている。すると彼は、観音寺城の改修と安土城築城に復帰していた。
その後、一月以上築城と城の改修に従事していたのだが、そこに本多正信が現れる。彼は義頼に対し、最新の情報を持ってきたのだった。
「どうした正信」
「武田が……ついに動きました」
「何!? そうか、動いたか」
「はい」
甲斐武田家が動いた事自体に対して驚きをみせた義頼であったが、その知らせ自体には驚いてはいない。というのも、そう遠くないうちに動く事は予測していたからであった。
武田信玄が死亡した昨年の収穫期辺りから、武田家は徐々にではあったが兵糧などを集め始めている。勿論、彼らも密かに動いているつもりであった。しかし、少数ならばまだしも大軍となればその動きを隠すなど無理である。甲斐武田家の動きは、義頼旗下の伊賀衆と甲賀衆によって察知されてしまったのであった。
またこの情報だが、義頼だけではない。他にも浅井長政の浅井家や滝川一益などといった独自に忍び衆を抱える家も察知している。その為、偽情報ということはなかった。
「して、武田が侵攻したのはどこだ?」
「武田勢が向ったのは二か所、東遠江と東濃にございます。恐らくは高天神城と岩村城かと」
「岩村城と高天神城か……それで、兵力はどれくらいだ?」
「合わせてですが、およそ二万ぐらいだろうと思われます」
「何! それはおかしいだろう。数が合わん」
兵糧の量などといった集めた情報から推察するに、武田家が動かす兵力はおよそ三万強と踏んでいた。実際、義頼は織田信長へそう報告している。しかし、本多正信からの報告では全体で二万ぐらいであるという。義頼は、そんな兵数の差を生み出した情報には何か裏があるのではと警戒した。
「三万の兵を問題なく動かせる兵糧を集めておきながら実質的に動いているのは二万……ならばこの残った一万余の兵は、どこに向かったというんだ?」
考えを纏めるように呟いている義頼の近くには、報告をした本多正信の他に沼田祐光と三雲賢持が居る。沼田祐光と三雲賢持は、本多正信が報告へ現れたあとで呼ばれたのである。そして二人が呼ばれた理由は、いうまでも無く甲斐武田家の出兵が原因であった。
「国元に残す……いやそれもおかしいですな」
「新左衛門尉(三雲賢持)殿、それは確かに。情報から考えるに、三万というのは武田が出兵できる最大兵力。治安等の為に残す兵は、全く別であろう」
三雲賢持の言葉に沼田祐光も同意したが、それだけに義頼も本多正信も沼田祐光も三雲賢持も納得できないのだ。その時、部屋の外に気配を感じる。部屋の中に居る四人の中で、最も早く気付いた義頼が視線をそちらに向ける。するとその仕草を見て、残りの三人が義頼の視線を追っていた。
「殿」
「何だ孫六」
声から正体の分かった義頼が、その者の名を呼ぶ。部屋の外にいたのは、小姓の岸茂勝であった。
「道意殿が、至急お目通り願いたいと」
「……至急にだと?……よし、この部屋に通せ」
取りあえずの対応を決めてから会おうと考えた義頼だったが、至急という言葉にひっかかりを覚える。はっきり言って勘みたいなものに過ぎないのだが、無視していいとは思えない。そこで暫し考えてから、義頼は道意を部屋へと通した。勿論、本多正信と沼田祐光と三雲賢持は部屋に残したままであったが。
何はともあれ岸茂勝に先導されて道意が部屋に入って来る。彼は義頼に挨拶しながらも部屋に居る他の面子を見て、彼らが集っている理由を察した。
「どうやら、武田のことですな」
『なっ!』
彼らは揃って、驚きを表した。
義頼でさえ、武田家が動いたという情報を得たのはつい先程である。それであるにも拘らず道意が知っていたのだから、驚くのも当然であった。
「道意。何ゆえに分かった」
「拙者が訪問した理由もまた、武田だからです。土屋昌続と名乗る武田者が、武田信勝の使いと称して接触して来ました」
「ふむ、なるほど。して、用件は?」
「これを」
道意が差し出したのは、甲斐武田家当主武田信勝からの書状である。そこには武田家の長篠出兵に合わせて、兵を起こす旨を要請すると記されていた。
『これは……謀反の要請!?』
書状を読んだ沼田祐光と三雲賢持が揃って声を上げつつも、彼らは傍らに置く刀に手をやった。何せ道意は、安宅信康が織田家に降る際において「信用ならん」と言わしめた男である。彼ならあり得ると、二人は警戒したのだ。
そんな二人とは対照的に、義頼と本多正信はそんな素振りを見せていない。そもそも本多正信は、道意の家臣であった時期がある。彼の性格などは把握しているので、さほど不思議はない。しかし義頼にはその様な理由がない……訳では実はなかった。
「殿! 何ゆえに黙っておられるのか!」
「そうですぞ! 殿!!」
沼田祐光と三雲賢持が義頼へ声を掛けるが、彼は答えず目を瞑ったままであった。
さて話は、義頼が大和国添上郡を得て間もない頃まで遡る。
大和国に領地を得ると、彼は道意と会談をしている。義頼としては、もうこれ以上謀反を起こしてほしくない為である。 道意は義頼の話を暫く黙って聞いていたが、話が一段落つくとゆっくりと口を開いた。
「左衛門佐(六角義頼)殿。拙者からも一つ尋ねたいが、よろしいですかな?」
「道意殿、何かな?」
「貴殿は何ゆえに、弾正大弼(織田信長)……様に従っておられる」
彼の言葉に、義頼は訝しげな表情を浮かべつつ眉を寄せた。
「どういう意味か?」
「そのままの意味です。貴殿ならば、あの男に勝るとまではいいはしませぬ。ですが、劣っているともいいえますまい。少なくとも拙者は、そう見ている。しかし貴殿は、弾正大弼様に従っている。その理由、お聞かせ貰えぬか?」
「何を聞くかと思えば……答える理由はない!! と申しても、道意殿は納得しないだろうな」
「当然です。その様な言葉で納得できるなら、始めから聞かぬ!」
道意はそう言うと、じっと相手の目を見る。嘘偽りなど許さんとばかりの視線を向けて来る彼に、義頼は一つ溜め息をついた。
「分かった。答えよう」
「おお!」
「理由は大きくわければ二つ。一つは、殿から多大な恩を得ているからだ。某の助命しかりであるし、お犬の嫁入りしかりである」
「なるほど。して、今一つとは?」
「それは……家臣領民に平和な世を見せたいからだ」
「…………え?」
途中で一拍置いた義頼の口から出た言葉を聞き、道意は驚きの表情を浮かべる。それぐらい彼にとっては、意外だったのだ。
「何だ、変か?」
「あ、いえ。そのようなことはございませんが……平和な世ですか」
「そうだ。某は無論だが、歳を相応に重ねている道意殿でも平和な世など知りはしないだろう。いや、細川家と山名家が争ったあの戦を切欠としてはや百年。今の日の本の者で、平和な世を知る者などがいるとも思えん」
「確かに」
細川家と山名家が争った戦とは、いわゆる、【応仁の乱】である。
この応仁の乱自体は、十年程で一応の終結を見ている。しかしこの戦を切欠として争いが全国へ飛び火し、各地域で争いが絶えず起こる様になってしまったのだ。
「だからこそ、家臣領民に見せたいのだ。平和な世というものを、な」
「それが、左衛門佐殿が弾正大弼様へ従う理由ですか」
「あの時、殿に敗れ助命された時からそうだ。天下統一、そうなれば平和な世も来る筈だ」
「それは、どうでしょうな。弾正大弼殿は、苛烈過ぎるところがある。今は戦の世だからまだよいが、平和な世となればそれは仇となりませぬかな?」
「確かにそれはあるかも知れん。だが不遜な物言いだが、殿とていつまでも生きていることなど出来ぬ。某も、そして貴殿もそうだ」
義頼の言葉に、道意は頷いた。
当たり前の話だが、永遠に生きる存在など居る訳が無い。もし居るとすれば、それは神仏ぐらいであろう。
「何れは若殿が、またそのお子が織田の天下を継ぐ事になる。若殿やそのお子が継いだ時、殿とは別の方法で天下を治めればいいだけであろう。違うか?」
言われてみれば、当たり前のことであった。
織田信長が天下を統一したとしても、彼が永遠に天下を治められる訳ではない。何れは息子、その孫へと引き継がれる。ならその時代の者が、変えればいいだけという話であった。勿論、それが上手くいくかどうかなど分かりはしない。しかし、織田信長の性格が平和な世には向かぬ……などと考えるよりは遥かにまし、いや建設的だといえる話だった。
「お子や、さらにそのお子が世のありようなど変えていけばいい。ただそれだけの事ですか……分かりました。しからばこの道意、左衛門佐殿に賭け申す!」
「真か!」
「はっ。戦のない世とは、嘗ての主たる修理大夫(三好長慶)様が目指した事でもあります。 それ故、左衛門佐殿に賭けます。そして、貴殿が賭けた弾正大弼様にも!!」
「……の! 殿!! 聞いておられるのですか!」
思考を過去へと戻していた義頼だったが、沼田祐光の声に意識を戻す。それからゆっくりと目を開くと、彼は沼田祐光と三雲賢持へ声を掛けた。
「心配無用だ。道意は、謀反などはせぬよ」
「勿論にございます、殿」
義頼の問いに、道意は間髪入れずに答えた。
「ですが……のう左衛門尉殿」
「ああ。上野之助(沼田祐光)殿」
「大丈夫だ。祐光、賢持! 俺を信じろ!!」
義頼は、両者の肩に手を掛けつつしっかりと二人の目を見る。ここまでされては、彼らも主君を信じざるを得なかった。
『分かりました』
「うむ。それは何よりだ。さて、と。俺は、岐阜へと向かう。正信と道意は、俺と来い」
『はっ』
「祐光と賢持は、兵を整えよ」
『御意!』
このあと、義頼は本多正信と道意を連れて、岐阜にいる織田信長の元へと向かったのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




