第百四十話~義頼の茶~
第百四十話~義頼の茶~
雑賀衆を降伏させた織田信長は、中野城を出立した。彼の向かった先は、弥勒寺山城である。ここで、雑賀衆降伏の条件とした者たちの首を討つ為であった。
途中の中津城で長岡藤孝を、吹上城で山手の軍勢の別動隊である堀秀政と蜂屋頼隆と飯沼長実を加える。次に立ち寄った東禅山寺城にて、同城を攻めた織田信重を加え、最後に宇須山砦を攻めた義頼の軍勢と合流すると彼は弥勒寺山城へ到着した。
この城には、山手の軍勢を率いる羽柴秀吉が入っているので今になって雑賀衆が問題を起こすこともない。とはいえ、これから大勢の者が腹を切る事態に変わりはない。その為か、ぴんと張った糸のような緊張感が城内を漂っていた。
なお織田信長の前で腹を切るのは、鈴木重意以下連名で降伏した者と彼らの嫡子である。それ以外の者については、庭に誂えた場所で腹を切ることとなっている。また彼らの介錯であるが、これは今回の雑賀衆討伐に同行した人員の中で腕の立つ者たちによって行われる。その為、義頼の母衣衆である藍母衣衆の者たちにも声が掛かっていた。
すると義頼は即座に応じ、柳生宗厳らを派遣している。こうして人員が揃うと織田信長は、早速雑賀衆に腹を切る命を出す。そこで彼らは順繰りに腹を切り、その端から首を討たれていった。
最後に残ったのは、鈴木重意と土橋守重、岡崎三郎大夫に松江定久、湊高秀と嶋本左衛門大夫と粟村三郎大夫の七名である。その彼らも、与えられた部屋でそれぞれ腹を切ると、次々に首を討たれていくのであった。
弥勒寺山城内に、血の匂いが充満している。そんな中にあって織田信長は、討った首全てを集めて塩漬けを命じていた。これらの首を、紀伊国から撤退時に持ち帰る為である。そして持ち帰った首に関しては、見せしめの為に京の三条河原で晒すこととしていた。
程なくして討った首を集め終えると、彼ら雑賀衆の遺体も集めるようにとの命を出す。やがて集められた遺体を全て荼毘へと付すと、弥勒寺山に鎮魂の慰霊碑を建てる旨を羽柴秀吉に命じていた。
こうして弥勒寺山城における用件を済ませた織田信長は、城を出ると鈴木重意の居城であった雑賀城へと向かう。この城は既に開城しており、今は明智光秀が入っていた。
因みに雑賀城を守っていた佐武義昌であるが、彼は開城を引き換えに城より脱している。その後、明智光秀は密かに旗下の忍び衆に命じて追跡を掛けたのだが、地の利のある佐武義昌に振り切られて撒かれていた。
「殿。お待ちしておりました」
「出迎えご苦労」
明智光秀を筆頭に、九鬼水軍を率いる九鬼嘉隆や和泉水軍を率いる淡輪隆重が出迎える。そんな彼らに一声かけてから、雑賀城へと入った。既に城内は明智光秀らの手により、徹底的に調べ上げられている。その為、万が一にも、雑賀城内で襲われるなどあり得なかった。
やがて彼らの案内で、織田信長が雑賀城内の広間に入る。そのうしろには、嫡子の織田信重を先頭に織田家の家臣と雑賀討伐に加わった諸大名が続いた。やがて彼らは、広間のそれぞれの場所に着席する。間それからもなく、太田宗正を先頭に雑賀衆が入って来た。
鈴木重意も亡く、彼と共に行動していた雑賀衆の有力者らも首を討たれた今、太田宗正は織田家の後ろ盾を得て雑賀衆の筆頭となっていたのだ。
「参議(織田信長)様。我ら雑賀衆、織田家へ降伏致します」
彼らは着座すると、織田信長へ平伏した。
「うむ。 大儀!」
「はっ」
改めて雑賀衆が、降伏の言上を行う。ここに雑賀衆は、織田家家臣となった。こうして雑賀衆を打ち破った織田信長は、早速論功行賞を行う。この戦においての褒美は、殆どの者が金子や名物となっているのだが、その中にあって羽柴秀吉だけは違っていた。
「羽柴藤吉郎秀吉」
「はっ」
「その方は雑賀の調略、そして雑賀衆の本拠となっていた弥勒寺山城をいち早く囲んでいる。そこでその方には紀伊国を与え、紀伊国主となれ」
『おおー』
織田信長からの褒美を聞き、羽柴秀吉へ羨望の眼差しと嫉妬の眼差しが向けられた。とはいうものの、紀伊国を与えられた彼の立場で考えると褒美と言えるかは少し怪しかった。確かに雑賀衆の降伏により、確かに紀伊国北部に関しては織田家の版図となっている。しかし紀伊国南部に関しては、動向が未だ不明なのであった。
さらに付け加えれば、紀伊国中部に関しても鈴木家などと同じく一向宗寄りである。しかし彼らは、鈴木家ほど石山本願寺に傾倒はしていない。せいぜい、物資の輸送ぐらいである。 つまり羽柴秀吉が名実ともに国主となるには、彼らの動き次第のところがあったのだ。
それでも、和泉半国はそのままでの加増である。秀吉……否、羽柴家に置いて、嬉しいことに間違いはなかった。
「喜んで拝領致します」
「うむ。励めよ」
「御意」
こうして紀伊国を羽柴秀吉に任せると、織田信長は兵を率いて紀伊国まで進撃した道順を、そのままなぞるように戻っていく。中野城から淡輪城へ至り、次いで岸和田城から高屋城と進み、それぞれの城で一泊したあとで軍勢は、やがて槇島城へと到着している。そこで織田信長は、漸く諸国の兵に対して解散を命じていた。
既に雑賀城で褒美を与えられている彼らは、織田信長からの帰国命令に取り分けて何をいうでもなく粛々と帰国の準備を行う。やがて用意が整った者から順次、三々五々諸国へ帰途に付いた。やがて諸国の将兵が全て帰途へ付いた事を確認すると、織田信長も兵を率いて槇島城を出立する。京郊外に兵を駐屯させると、自らは京に新たに構えた屋敷へと入ったのであった。
ここには元々、公家の二条屋敷が存在していたのである。しかし二条家は既に引っ越しをしていた為に、空き家となっていた。
そこで、京都所司代を務める村井貞勝と島田秀満に命じて、京へ滞在する際に使用する自らの屋敷を建てさせていた。この屋敷の造営には、凡そ一年近く掛かっており、完成したのはほんの半月程前となる。それは丁度、雑賀攻めの為に槇島城へ織田信長が入った頃と重なっていた。
因みにこの屋敷だが、三年程前に足利義昭が織田信長に建築するようにと命じた屋敷とは別物である。足利義昭の言葉に従い建てられる筈であった屋敷は、徳大寺邸跡地に建築される予定となっていた。しかし、屋敷を完成させる気が全くといっていいほど無かった織田信長の意向と、他でもない足利義昭がその頃に仕掛けた織田家包囲網が仇となり竣工を向かえられなかったのだ。
何はともあれ、織田信長は初めて京での屋敷へと入ったのである。当然のように、村井貞勝と島田秀満を伴って屋敷内を見て回っていた。
「貞勝、秀満。気に入ったぞ」
『はっ』
「それに、この龍躍池。やはり、良きものだ」
そもそもこの地に屋敷を建てようと織田信長が考えた理由こそ、この龍躍池を中心とした風光明美なところである。また、屋敷の建築に際して織田信長の意向がふんだんに盛り込まれており、そんな屋敷を気に入らない筈がなかった。
その後、二日ほど新築した屋敷を堪能した織田信長は、京に入って最初の仕事を行う。 それは、紀伊国での先勝祝いを兼ねた茶会の開催だった。
自らの嗜好ということもあるが、家臣に対する礼儀作法の一環として織田信長は織田家内に茶を広めたと言う経緯がある。その甲斐もあり、織田家内において重臣は大抵茶を嗜んでいるので茶会を開いたところで特に問題になどはならなかった。
茶席にて家臣らが飲んでいる茶を横目で見ていた織田信長であったが、彼の視線は特に二人の男へ注がれている。それは、義頼と稲葉一鉄である。それというのも、この二人の作法が、他の織田家家臣と比べて完全に一線を画していたからだ。
しかし、それも当然といえる。稲葉一鉄は志野省巴より目録を伝授されるほど志野流に通じている人物であるし、義頼に至っては志野省巴をして「武士にしておくのが惜しい」と思う程に茶に才を見せた男なのだ。
その時、織田信長が悪戯心を起こした。
この茶会は元々一日掛けてゆっくり行う物であったのだが、織田信長は急遽予定を変更する。不住庵梅雪が茶道頭を務めていた茶会を一度終わらせると、義頼に対して茶を点てるようにと命じたのだ。
但し、滝川一益と稲葉一鉄に稲葉貞通の親子といった義頼の腕に付いて周知しているのでこの言葉を聞いても驚くだけである。しかしながら義頼の腕を知らない者たちからすれば、「大丈夫なのか?」と心配する有様であった。
そんな様子を見て、織田信長は人を喰った様な笑みを浮かべる。そして、本当に楽しそうに笑い出すのだった。
「ははは……義頼。俺や友閑を唸らせたそなたの腕前を、心配そうにしている者へ見せてやれ」
『……ゑ?』
前述の通り、織田信長は趣味と実益を兼ねて茶を家中に広めたのでどう悪くいっても下手などということはない。また今しがた名前の挙がった松井友閑にしても、茶人や文化人として織田家中は元より京や堺の者たちからも一目起これている。その二人を揃って唸らせたというのだから、茶会に参加している者たちの驚きは相当なものであった。
何はともあれ義頼は、小さく息を吐くと茶を入れ始める。滝川一益や稲葉親子のように義頼の腕前を知っている者は別にして、他の織田家臣たちは固唾をのんで見守った。
『ほぉう……』
しかしそのうちに、茶室に漂っていた何とも言えない空気は薄れていく。それは、初めて義頼の茶を見た者たちから感嘆の声が漏れていたからだ。
嘗ては千宗易をも弟子とした志野省巴が、茶人としての全てを注ぎこんだといってもいい男の茶に、彼らは見惚れたのである。実際に腕前を知っている筈の織田信長や松井友閑、稲葉親子ですら思わず感心していたのだから、相当な物であることに間違いなかった。
そんな静かな興奮が冷めやらぬうちに、彼らは義頼の点てた茶を飲んでいく。その場の雰囲気も相まってか、彼らは等しく落ち着いた心持となっていた。
「……義頼、見事だ。以前より、さらに一段上げたな」
そんな織田信長の賞賛に対し、とても優雅に義頼は返礼する。弓術天下無双、今李広といった勇猛なあだ名を持つ猛将という姿とは全くかけ離れた存在がそこにあった。
「某はまだまだにございます。師の足元にも、遠く及びませぬ」
「ふむ……志野省巴であったか、そなたの師は。確かもう、死んでいるのであったな」
「……はい」
織田信長の言葉を聞いて、義頼は少し言葉に詰まる。それでも彼は、はっきり返答していた。因みに近くでは、稲葉一鉄も目頭を押さえる様な仕草をしていた。
「しかし 実に惜しいな。そなたや一鉄の茶を見てつくづく思う、俺も味わってみたかったと」
「と、殿の言葉を聞き、師も泉下で喜んでおりましょう」
「全く!」
てらいのない称賛に義頼は無論のこと、思わずと言った感じで稲葉一鉄も言葉を挟む。そんな二人を見て、織田信長は微苦笑した。
「そうか? まぁ、そういうことにしておくか。それは兎に角、義頼大儀であった」
「御意」
この言葉を持って、一日目の茶会は終わりを告げた。
その翌日には、京や堺の茶人や文化人を招き昨日に引き続いて茶会を行う。招待された客人も、そして招いた織田信長も問題なく茶を楽しんだのである。その二日目の茶会も恙無く終わった日の夜、義頼は織田信長へと呼びだされていた。
「御用とは何でしょうか」
「うむ。その方、近江に戻る前に丹波へ行け」
「は? 丹波にございますか?」
今さらだが、丹波国の国主は義頼である。幾ら主君の命とはいえ、丹波へ戻れと命じられる理由が良く分からず義頼は思わず問い返していた。
「そうだ。そして、前久殿を連れて来い」
「……そういうことですか。つまりは、帰洛の許可が下りたのですな」
「そうだ。俺が京に着いた翌日に、武家伝奏の勧修寺晴右 (かじゅうじはるすけ)が来訪して言いおったわ「帰洛を許す」と」
「承知致しました。急ぎ丹波へと戻り、太閤殿下を連れてまいります」
「うむ」
翌日の早朝、藍母衣衆と共に京を出立すると丹波国へと戻る。その翌日には、近衛前久と面会して訪問した用件を告げていた。すると彼は、涙を隠さずあからさまに流しながら喜びを表す。一頻り涙を流しあとで、近衛前久は義頼へ礼を述べていた。
「そなたの口添えがあればこそだ。礼を申す」
「いえ、太閤殿下。某は、殿へと介しただけにございます。礼をいわれるのであれば、某ではなく殿へ言上して下さい」
「それは無論だ。しかし、そなたの力があったのもまた事実。だからこそ、礼をいうのだ。右少将(六角義頼)殿、感謝する」
「謝意、確かに承りました」
身の回りの物はあとで送らせるとして、近衛前久は義頼と共に京へと向かう。実に六年振りとなる京の街並みを見て、彼は感動に身を震わしていた。一頻り身を震わせたあとで、一行は織田信長の屋敷へと向かう。そこで、礼を述べた近衛前久は懐かしの我が家へ戻っていた。
明けて翌日、彼は朝廷へ参内する。そして、今上陛下や公家たちに帰洛の挨拶を行うのであった。
雑賀討伐、その後です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




