第百三十五話~信重侵攻~
第百三十五話~信重侵攻~
参画している全ての軍勢の大将である織田信長と別れ、浜手側を進む織田信重率いる軍勢であるが、彼らは淡輪城にて一泊している。そして翌日には城を出立すると、孝子峠へと続く街道を進んでいた。
この孝子峠だが、ここには一筋の道が通っているだけであり、どうしても軍勢を縦長にせざるを得ない。そこで織田信重は、同行している弟二人や織田家家臣、そして従属大名家を呼び寄せ軍議を開いたのであった。
「その方らも承知しておるだろうが、孝子峠は全軍を同時に進むなど決してできはしない。また、手の者の報告によると、孝子峠の頂上付近では雑賀の者が駐屯している。そうだな、義頼」
「はい。我らの調べによりますると、雑賀の者達が埋伏して待ち構えていることが分かっております」
「うむ。そこで先鋒を決めようと思うが、誰ぞ名乗り出て」
『拙者にお任せあれ』
「……その方たちか」
先鋒に立つ者の存在を促そうとした織田信重が言い終わらないうちに、二人の男が名乗りを挙げた。それは、長岡藤孝と一色義俊の両名である。奇しくも丹後国の南北を治める二人が、故意かそれとも偶然かは分からないがほぼ同時に名乗りを上げたのだ。
「丹後を治めるその方達が同時に名乗りを上げるとは……まぁ良かろう。では、二人に先鋒を任せる。我らの第一陣として兵を率いて進み、我らを待ち構える雑賀の者を蹴散らしてくるのだ」
『はっ』
「次に俺が叔父上と弟たち、それから一益と長秀と共に行く。最後に義頼、その方が堯熙や長治らを率いて続くのだ。いいな」
『御意』
軍議を終えると、織田信重は旗下の軍勢を三つに再編成する。その上で、孝子峠へと入った。程なくして義頼から命じられて軍勢の斥候を務めていた伊賀衆が、先鋒を務めている長岡藤孝と一色義俊の元に現れる。すると伊賀衆を率いていた伊賀崎道順が、先鋒の二人へ手に入れた情報を伝えていた。
「やはり、雑賀の者がいるのは間違いないのだな」
「はい。間違いござりません」
書状に目を通したあとで尋ねてきた長岡藤孝に対し、伊賀埼道順は簡潔に答える。その直後、長岡藤孝と一色義俊は頷き合っていた。
「ご苦労であった。その情報を若殿(織田信重)へお伝えするのだ」
「承知致しました」
こののち、二人は警戒を密にしたまま孝子峠を越えるべく進軍した。また長岡藤孝と一色義俊に続く織田信重が率いる第二陣だが、こちらも伊賀埼道順から報告を受けると軍勢の歩みを早めている。そしてそれは、第三陣としてそのあとから続く義頼も同様であった。
程なくして長岡藤孝と一色義俊は、雑賀の者がいると報告を受けた孝子峠の最高部付近まで到着する。漸く登り切ったのもつかの間、まるで頃合いを見計らっていたかのように雑賀衆が二人へと奇襲を仕掛けた。
こうして長岡藤孝と一色義俊が率いる軍勢を襲撃した雑賀衆は、絶妙の機会で織田家の軍勢に打ち掛かった……筈であった。しかし両名は既に孝子峠に存在している雑賀衆の情報を得ており、彼らの奇襲は奇襲と成りえない。逆に迎撃の体勢を取られている状況であり、織田勢からの逆撃による痛撃を与えられてしまったのだ。
雑賀衆は兵数差ゆえに奇襲を仕掛けたのであるが、奇襲とはならずに迎撃されるなどまるで悪夢である。しかしてそれは、夢でも何でもない厳然たる事実であった。しかも、孝子峠に潜伏しているつもりであった雑賀衆の方が織田信重の先鋒を担っている長岡藤孝と一色義俊が率いる軍勢に比べて兵が少ない。この状況下では、勝負になる方が難しかった。
奇襲に失敗した雑賀衆は、長岡藤孝の先鋒を務めた下津一通などによって押し返されてしまう。さらには、急いで駆け付けた織田信重率いる第二陣が援軍として加勢したのだ。ここに孝子峠へ陣取っていた雑賀衆は、半数近くの者が討ち取られてしまったのである。辛うじて生き残った者たちは、ほうほうの体で中野城へと逃げるしかなかった。
緒戦とはいえ勝ち戦であり、幸先はいいといえる。小競り合い程度とはいえ、勝利には変わりがない。その為、織田信重も笑みを浮かべていた。
その後、軍勢を再編すると、敗走した雑賀衆が逃げ込んだ中野城へ目掛けて孝子峠を下っていった。やがて峠を下りきると、織田信重が率いる浜手側から侵攻した軍勢の視線の先に中野城が見えて来た。
さてこの中野城だが、雑賀城の支城に当たるのだが、この城が担っている役目はそれだけではない。孝子峠越えの道と、より海沿いの道である大川峠を越える道が合流する要衝に立地する城である。つまり、和泉国から走る二つの街道筋を押さえる場所に建つ重要な城でもあった。
「中野城であるが、どう攻めるか」
取り敢えず、孝子峠を下ったところで陣を張った織田信重は、父親の織田信長が補佐として付けた義頼と丹羽長秀へ尋ねる。するとその問いに対しては、義頼が答えた。
「若殿。先ずは、降伏勧告を致しましょう」
「降伏!? 雑賀の者が受け入れると思うか?」
「分かりません。しかし、攻めずに城を手に入れる事が出来るのであればそれに越したことはございません」
「まぁ、それはそうだな……いいだろう、降伏勧告を行う。なれば、条件はどうする?」
「城主、及び近臣の者は切腹。引き換えに、城兵と女子供の命を助けるとすれば宜しいかと愚考します」
「ふむ……概ね妥当なところだな。まずはその条件で、幕引きを画策してみるとしよう」
言い出したということもあって、降伏勧告を認めた書状を届ける軍使の人員については、義頼の担当となる。彼は義息の井伊頼直を伴って織田信重の元から離れると、自ら率いる軍勢の元へと戻る。その間に井伊頼直は、義頼へと話し掛けていた。
「義父上。何ゆえに城攻めを行わないのです!」
初陣の為かそれとも本来の気質なのか判断は付かないが、少なくとも井伊頼直は気分が高揚しているようであり、鼻息が荒い。そんなようすを見せる義息に対して義頼は、まるで諭すように言葉を返していた。
「孫子にも「軍を全くする旨を上となし、軍を破るは之に次ぐ」とある。また、同書には「城を攻むは下」ともある」
「「軍を全くする旨を上となし、軍を破るは之に次ぐ」に「城を攻むは下」ですか……」
「そうだ。味方の被害はなるべく出さずに勝ちを収めるのが最上であるといいたいのだと、我は考えている。そして城攻めについてであるが、味方に多大な被害を齎す事態となりかねない。だから孫子も、城攻めは下策と断じたのであろうな。然らば戦を行わずに済めば、それに越したことではない。違うか? 頼直」
「それは、そうですが……」
だが彼はいまだ納得はいかない様子であり、井伊頼直の語尾には城攻めに対する未練といっていい何かを感じる。そんな義息へ義頼は、なおも言葉を続けた。
「ただ、これはあくまでこちらの考えだ。我らに思惑があるのと同様に、敵にも思いがある。 必ず、こちらの考えに沿うとは考えづらいのもまた事実だ。また、遭遇戦のように有無をも言わさずに戦闘となる時もあるし、孫子が下策とした城攻めを行うことも多々あるだろう。だが、結果が最上に近付けるようにする努力は怠るべきではない。それこそこたびのように、余裕があるなら尚さらだ。その上で結果が駄目であれば、戦にもなるであろう」
「そうなれば、城攻めですかっ!」
先ほどまでと違い、井伊頼直は喜色満面な表情を浮かべる。すると義頼は、苦笑を浮かべた。
「若殿より、我らが命を受ければな。そうならなければ、我らに出番はまずないであろう」
「そう……ですね……義父上」
「頼直。初陣で手柄を立てたいという気持ち、俺も分からないではない。だが……抜け駆けはするな! いいな!!」
どちらかといえば優しい目をして井伊頼直に言葉を掛けていた義頼であったが、最後の言葉を発した際は、一転して厳しい目を義息に向けていた。初めて垣間見た歴戦の将を彷彿とさせる義父の迫力に、まるで冷や水を掛けられたかのように熱病の如く興奮していた気持ちが冷えていく。すると井伊頼直は、唾を一つ飲み込みながら義頼へ頷き返していた。
「わ、分かりました義父上」
義息の返事を聞き、義頼は満足そうに頷く。やがて彼らは、自らの陣に到着した。すると義頼は、暫く考えた上で後藤高治を呼び出すと彼を軍使へ任命する。主君から命を受けた彼は、軍使として中野城に向かう。用件を告げると、城内へ案内されやがて城主に謁見した。
この中野城を築いたのは、畠山家に仕える貴志氏である。しかし、後藤高治が謁見した城主は貴志氏の出ではない。むしろ、義頼や後藤高治に近い者であるといえた。
彼の名は今井兼行といい、実は近江国出身なのである。それも義頼が最初に城主となった長光寺城に近い、武佐の出身の一向宗門徒であった。
とはいうものの、別に彼と義頼や後藤高治の間に面識がある訳ではない。言ってしまえば、ただの偶然に過ぎなかった。
「お初にお目に掛かる。拙者、六角右近衛少将義頼が臣、後藤壱岐守高治と申します」
「丁寧な挨拶、痛み入ります。拙は今井権七兼行と申します。して御用の件は何でしょう、壱岐守(後藤高治)殿」
「これを」
そういってから、後藤高治は義頼からの書状を差し出す。その書状は、義頼が認めた物であり、その達筆に兼行は感嘆の声を小さく漏らしていた。
元々義頼は、字が下手と言う訳ではない。しかしここ一、二年でとみにその腕を上げている。その理由は、まだ丹波国に居る近衛前久のお陰であった。彼は能書家であり、また青蓮院流を学んでいる。その近衛前久より義頼は、手ずから指導を受けていたのだ。
義頼から書の指導を依頼された近衛前久は、彼に世話になっている手前もあって快諾する。手慰み程度と考えていた依頼であったのだが、指導していくうちに気持ちが変わる。まだ荒い中に光る物を義頼の中に見た近衛前久は、本格的に彼を指導したのであった。
「……受け入れることは叶いませぬ。雑賀衆の一人として、そして一向衆門徒としてもです」
「だが今井殿。そなたが受け入れてくれれば、城兵や女子供は助かるのだぞ」
「ふん。冗談ではない。一向宗門徒として、仏敵織田信長へ降伏など城内に居る者で誰一人考えておらぬわ!」
彼の言葉も、あながち嘘ではなかった。
少なくとも、中野城に籠る一向衆門徒と雑賀衆には織田信長へ従う気などない。ただあくまでも一向宗門徒だけの考えであり、全ての者が同じ考えを持っている訳ではなかった。しかしながら、城内には圧倒的に門徒の数が多い。その状況下で、一向衆門徒ではない者が声高に降伏しろとは言えない状況にあったのだ。
一方で後藤高治も、子供の使いではない。何としても相手を翻意させるべく、実に一刻に渡り懇々と今井兼行への説得を行った。しかし、その試みは全て徒労に終わり、今井兼行は決して首を縦に振ろうとはしない。ついには痺れを切らしたのか、軍使の後藤高治を城外へ追い払っていた。
中野城から戻って来た後藤高治は、ありのままを義頼へと報告する。彼からの報告を受けた義頼は、少し意気消沈となりながらも織田信重へ降伏勧告が不調に終わった旨を知らせたのであった。
「申し訳ありません、若殿」
「気にせずともよい。俺も戦をせずに城が手に入れば、それでいいと考えたのだからな。それに、元々攻める気であった。その時点まで戻った、そう考えればいい」
「はっ」
この後、織田信重は将を集めて再度軍議を開く。その結果、山名堯熙と別所長治で城攻めの先鋒を担うことに決まった。手筈としては、山名家の兵が城の正門を攻め、一方で搦め手側は別所家が攻め掛かる。元からあり過ぎるぐらいに兵数差があり、この状態で力押しされては勝負になりはしなかった。
逃げ道のない城で、今井兼行らは十重二十重に囲まれてしまったのである。それでも一向宗門徒が多い城内は、中々士気が下がらなかった。それはそれで見上げたものであるが、衆寡敵せずもまた事実である。中野城に籠る雑賀衆と一向宗門徒は容赦なく討ち取られていき、僅かな時間で中野城は落城したのであった。
この中野城落城の報告を息子の織田信重より受けた織田信長は、若宮八幡宮に敷いた本陣を引き払うと淡輪城へと向かう。そこで一泊したあと、孝子峠を越えて中野城へと入ると、この城を次の本陣としたのであった。
織田家にとり、順調な滑り出しと言えるかな?
ご一読いただき、ありがとうございました。




