第百三十四話~雑賀攻めと初陣~
第百三十四話~雑賀攻めと初陣~
岐阜城下にある、織田信長の屋敷。その一室に、羽柴秀吉がいた。しかしその部屋には彼だけでなく、他にもう一名ほど共にある。そんな彼らの居る部屋に、小姓から二人が待つ者の来訪が告げられた。
「殿のお越しにございます」
その瞬間、羽柴秀吉と共に部屋にいるもう一人の人物たる竹中重治の体に微かな緊張が走った。
その直後、二人は平伏して、主の来訪を待つ。それから間もなく、部屋に二人の主君である織田信長が入ってきた。部屋へと入った織田信長は平伏する二人に視線を向けることなく、悠然と上座に進んでいく。そこで腰を下ろす、初めて二人を視界に収めていた。
「その方ら、面を上げるがいい」
『はっ』
織田信長の言葉に従い、羽柴秀吉と竹中重治が顔を上げる。そんな二人が向けた視線の先には、冷たいとも取れる怜悧な視線を向ける主君の姿がそこにあった。
「して、秀吉。用とは何だ」
「こちらをご覧ください」
織田信長に少し気圧されていることを自覚しつつも、羽柴秀吉が懐より取りだしたのは四通の書状である。その書状を小姓が受け取り、織田信長の元へと届ける。すると彼は、徐に書状を読み始めていた。
「……ふん。誓詞か」
そう。
その書状に記されていたのは、恭順を約定した誓詞であった。
但し、誓詞であるのは四通のうちの三通となる。ならば残りの一通は何なのかというと、誓詞などではなく織田家への協力を約束した書状であった。
「はい。三緘衆からの誓詞を取り、恭順を確約致しました。また、根来寺とも協力する旨の約定を取り付けた次第にございます」
「なるほど。こっちは、根来の約定か」
手にした根来衆からの手紙を、小刻みに揺れ動しながら羽柴秀吉と竹中重治に問い掛ける。織田信長から問われた二人は、即座に頷いていた。
「それから……殿が決断したおりには、三緘衆と根来衆が道案内を致す事になっております」
さて、三緘衆と根来衆が何ゆえに羽柴秀吉のいう通り織田家に協力する気となったのか。それは、雑賀における実情が原因であった。
実のところ雑賀衆は、大まかに分けると五つの集団に分かれる。雑賀荘と十ヶ郷、宮郷と中郷と南郷であった。そのうち宮郷と中郷と南郷と呼ばれる者たちが、いわゆる三緘衆と言われている。彼らは、一向宗よりも真義真言宗である根来衆と近しい関係にある。その一方で雑賀荘と十ヶ郷は、三緘衆と違い一向衆により近い存在であった。
そんな雑賀衆の中で、本願寺寄りの中心であった鈴木重秀が討たれてしまったこと、それが最初の切欠である。しかしながら、その一件以上に三緘衆の心を動かしたのは【紀伊沖の海戦】と【木津川口沖の海戦】の結果であった。
前者の海戦では雑賀水軍が、そして後者の海戦では毛利水軍と小早川水軍と村上水軍の連合軍が半壊を優に超える損害を受けている。それに引き換え織田方の九鬼水軍と淡路水軍と和泉水軍は、どちらの戦においても軽微といって差し支えないぐらいの損害しか受けていないのだ。
この二つの戦の結果、和泉灘(大阪湾)の制海権は織田家へ完全に移行してしまう。そして石山本願寺は、数年前の状態よろしく重囲の中に取り残されてしまったのである。そのような状況を鑑み、三緘衆はついに織田家へ恭順する決断したのだ。
そして根来衆であるが、こちらは一向衆と違い織田家と明確な敵対関係にないことが最大の理由である。何より根来衆と比較的懇意な関係にある三緘衆が織田家に恭順するならば、恭順は兎も角、彼らに同調するのも悪くはないと考えての行動であった。
「ふむ、道案内のう。不案内な場所ゆえ、それも良いか…………よし! 秀吉、重治。雑賀を討つぞ!!」
『はっ』
一旦決断をしてしまえば、織田信長の動きは素早い。まず彼は、自分の三人の息子となる織田信重と北畠具豊と神戸信孝を動かした。そのように彼らの兵も動かしつつも、伊賀国と和泉国、近江国と河内国、丹後国と丹波国、播磨国と大和国、そして若狭国からも軍兵を集めさせたのである。さらに織田信長は、その兵を二つに分けて浜手と山手から攻める計画を立てた。
浜手側の大将は、織田信重として彼に兵を引き入らせて紀伊国へと進撃させる。そして山手より兵を率いて攻める大将は羽柴秀吉を任じ、彼に兵を統率させて紀伊国へ攻め寄せるつもりであった。
こうして味方の進軍について大まかな形を決めた織田信長は、尾張国と美濃国の兵を率いて息子の織田信重と共に岐阜城を出立する。彼ら親子は大垣城と佐和山城でそれぞれ一泊し、そして朝妻湊から船で琵琶湖を渡り大津湊で上陸すると坂本城に入りやはりそこでも一泊した。その翌日には、坂本城を出立する。同日中に逢坂を越えて、召集を掛けた諸国の兵が集まる予定の槇島城へと入った。
一方で招集を命じられた織田家従属大名や各国の与力衆などであるが、彼らは織田家からの出陣要請に従い兵を整えると急いで槇島城へ向けて進軍している。やがて招集を命じられた者たちの全てが揃うと、織田信長早速軍議へと入っていた。
その軍議で、自らが考えた大まかな攻め手を味方へ伝える。その後、浜手と山手に分かれて進む軍を率いる将の名を上げようとしたが、その前に義頼が意見を述べていた。
「何だ義頼」
「殿。水軍も動かし、二方ではなく三方から攻めてはいかがでしょう」
「三方だと?」
「はい。浜手と山手からだけでなく、海より水軍にて雑賀に攻め掛かるのです」
これは、義頼の幕僚の一人である三雲賢持から伝えられた策であった。何かと水軍に縁があった彼は、いつの間にか水軍に対しても理解を深めていたのである。そんな三雲賢持から「もし大殿が軍議の席で水軍のことについて触れなかった場合、意見具申していただきたい」と進言されていたのである。しかして織田信長から水軍について一切何も言及がなかった為、義頼がこうして意見を具申したという訳であった。
「海か……義頼、鉄甲船はまだ堺にあったな」
「はっ。毛利家との海戦に勝利後、祝賀を行いましたゆえ」
織田信長は雑賀水軍と毛利水軍を立て続けに破ると、その得られた勝利をより味方と対立する諸大名ら勢力へ印象付けるべく大体的に祝賀を催している。その祝賀を催した場所が堺であり、鉄甲船は勝利の立役者としてその存在を堺の湊にて披露されていたのだ。
「よかろう。嘉隆に命じて、鉄甲船を動かす。それから、和泉水軍も同様だ。それと淡路水軍については、和泉灘への押さえとして残す」
「はっ」
「他に何かあるか?……ないなら、話を先へ進める」
暫く待っていたが他に意見がないのを見ると、織田信長は軍議を先へと進めさせた。つまりは、それぞれより軍勢を率いさせる将についてである。浜手側の大将が織田信重であるのは前述した通りであるが、他にも北畠具豊と神戸信孝が参戦している。また織田信重の補佐として、義頼と丹羽長秀が同行する旨となっていた。
なお、義頼の軍勢の中には元服した井伊頼直がいる。彼は義頼の命で、ついに初陣を迎えたのであった。
義頼は、井伊頼直へ初陣を命じるに際してお圓の方とお犬の方へ確認をしている。といっても、事実上の通達である。それはもし彼女が反対したとしても、連れて行くつもりであったからだ。
「さてお圓、お犬。こたびは、頼直を連れていく」
『……いよいよ初陣なのですね……』
お犬の方とお圓の方は、義頼から話を聞いて始めは驚きを露わにした。
しかしその直後の反応だが、綺麗に分かれている。お犬の方は純粋に井伊頼直を心配していたのだが、お圓の方はいよいよ来るべく時が来たのかという思いから表情を引き締めていた。何せお圓の方は、嘗て女当主井伊直虎として井伊家を率いた女傑である。今は義頼の妻として以前に比べれば穏やかな日々を過ごしているが、お圓の方は武士としての気構えも併せ持っている女性なのだ。
しかし同時に、義理とはいえ母でもある。引き締まった表情の中に、お犬の方と同様に間違いなく義息の井伊頼直を心配する表情が見え隠れしていた。
「うむ。武家の男として、いつかは迎えねばならぬ。それが今、というだけだ」
「それは、分かっています。ですが、心配に変わりはありません」
「安心しろお圓、それにお犬もだ。わしが必ず生きて連れて帰る。鶴松丸の為にもな」
義頼の嫡子である鶴松丸だが、兄として井伊頼直を慕っている。そして井伊頼直も、純粋な好意を向けて来る鶴松丸をかわいがっていたのだ。
「はい。殿と次郎(井伊頼直)の無事の御帰還、神仏に願っております」
「勿論、私も」
「ああ。それは、しかと頼むぞ。お圓、お犬」
それから義頼は井伊頼直を呼び出すと、彼へ出陣の命を告げる。初陣と聞いて始め呆気に取られた頼直であったが、漸く言葉の意味を理解したらしい。彼は飛びあがんばかりに、喜びを表していた。
「義父上! 真にございますか!!」
「嘘などいわぬ。お圓は元より、お犬も承知しておる」
「大かかさま(お犬の方)と、かかさま(お圓の方)もですが」
「うむ。二人とも喜んでおったぞ。最も、心配もしていたがな」
「そ、そうですか……」
お圓の方も、そしてお犬の方もそれこそ実の息子のごとく井伊頼直を慈しんでいた。その為か、井伊頼直も彼女たちには心配を掛けたくはない思いがあった。確かに、初陣は純粋に嬉しい。だが、二人に心配を掛けていることが小さな棘の様に彼の胸に突き刺さっていた。
「頼直、そのような顔をするでない。そなたも武士の子、今の世で戦は避けられぬ。ゆえに心配を掛けることは、致し方ない。とても残念なことではあるがな」
「はい」
「だからこそ、必ず生きて帰れ! 自身が大事な者の元に!! そして同時に、一人でも多くの兵を連れて戻るのだ」
「一人でも多くの兵を連れて……ですか……」
「そうだ。一人でも多くだ。その責が我らにはある、そう心得よ」
「はっ、はい!!」
初陣を喜んでいた先程までとは打って変わって、神妙な態度をしつつも元気よく答えた義息に対して義頼は柔らかな笑みを向けた。こうして初陣を迎えた井伊頼直であったが、彼は義父である義頼と共に織田信重の近くに控えることになっていた。
話を戻す。
織田信長の三人の息子、それから義頼と丹羽長秀の他に浜手の将として共に進軍するのは織田信包に滝川一益、蜂屋頼隆と長岡藤孝に一色義俊、並びに山名堯熙と別所長治らの名が言い渡されていた。
続いて山手の将であるが、こちらは三緘衆と根来衆の先導を受けて紀伊国への調略を行っていた羽柴秀吉が織田信長の命で大将となっている。そして彼の他には池田恒興に畠山昭高、それから稲葉一鉄と稲葉貞通の親子、そして氏家直通に飯沼長継と飯沼長実の親子に堀秀政らの名が挙がっていた。
最後に義頼の意見具申のあとに急遽参戦が決まった水軍衆であるが、こちらは九鬼嘉隆以下鉄甲船を操る九鬼水軍衆、それと和泉水軍が出陣する。またこの水軍だが、明智光秀が水軍大将として率いることとなっていた。
軍議が終わると織田信長は、早速軍の再編成へと入る。やがて数日掛けた編成を終えると、その翌日には槇島城を出立して高屋城へと移動する。その高屋城で一泊すると、その次の日には岸和田城へと入っていた。
「さて、進軍に関しては槇島城で話した通りである。そこで、光秀」
「はっ」
「その方だが、堺へ留まれ。そして俺の命があり次第、堺より水軍を率いて出陣し紀伊へと向かうのだ」
「御意」
水軍を率いる明智光秀へ命を与えた織田信長は、翌日になると彼を残して岸和田城を出陣する。やがて織田家の軍勢は、若宮八幡宮へと到着した。織田信長はそこに本陣を構えると、浜手より攻める織田信重らと山手より攻める羽柴秀吉らに分かれる。そして本人はというと、本陣と定めた若宮八幡宮に留まったのであった。
井伊頼直、初陣します。
ご一読いただき、ありがとうございました。




