第百三十三話~【木津川口の海戦】決着~
第百三十三話~【木津川口の海戦】決着~
毛利家水軍の大将を務める大将の村上武吉と、派遣された水軍の事実上の副将扱いであった香川広景が撃たれたという知らせは、先鋒の浦宗勝にも報告された。
彼は織田家の水軍に突破された後、混乱した味方を何とか纏めて鉄甲船を追い掛けている。しかし、攻め手に欠けていることに変わりがない。それでも何とか接敵し、鉄甲船に乗り込もうと考えていた。外から攻め切ることが難しいものでも、中から攻めることができれば案外脆いだろうと考えての行動である。しかしいざ実行、という段になって味方本陣で起きた事態が彼へ知らされたのである。浦宗勝に知らせたのは、得居通幸だった。
彼は来島村上氏の長子だが、弟が主家筋に当たる河野氏の出であったことから家督を弟へと譲り、自らは得居氏を名乗っている。今回の海戦にも、まだ若い弟の名代として参戦していたのだ。
「何だと! 真か!! 得居殿!」
「ああ。間違いはない、兵部丞(浦宗勝)殿。信じられずに再度確認したが……答えは同じであった」
「な、何ということだ。掃部頭(村上武吉)殿と左衛門尉(香川広景)殿が討ち取られたとは……」
浦宗勝としても、今回のできごとは中々に衝撃が大きい。味方の前線を突破され、敵に本陣近くまで迫られた揚句に大将を打ち取られているのである。この事件が味方に知れ渡れば、士気の崩壊は無論、全滅すら想定し得るのだからだ。
そうなる前に、何としても岩屋城でも毛利領内へでもいいから味方を引かせなければならない。その為には、村上武吉の代りを誰かが務める必要があった。
「残念だが、これは事実として受け入れなければなりません。そこで、兵部丞殿。貴公に、撤退の指揮をお頼みしたい」
浦宗勝は毛利家と敵対する大友家の名将、戸次鑑連からも評されたほどの男である。村上武吉の代理を務めるに、十分な武功と名声を持っていた。
「……得居殿。石山本願寺へ物資を運ぶ別動隊の方は、首尾よく届けたかのう」
「内蔵丞(児玉就英)殿であれば問題なく行ったでありましょう」
村上武吉の率いた毛利家の水軍には、実はもう一つ役目があった。
石山本願寺へ物資を届ける為には、どうしても織田家の水軍が邪魔になる。そこで物資を届ける際に敵の織田家水軍と相対する役目と、道中物資を護衛する役目があったのだ。
勿論、あわよくば再び織田家水軍を討ち果たす、という役目も存在していたが。
何はともあれ、毛利水軍は、鉄甲船を中心とした織田水軍に敗れている。これはもう、疑いようがない。そればかりか、時が経てば経つほどに壊滅への近道となっている状況なのだ。ここは一刻も早く、撤退へと移らねばならない。毛利家としての戦であれば戦場に踏み止まるも吝かではないが、この戦はある意味手伝い戦である。無論、毛利家としての考えがあっての出陣ではあった。
しかし、状況を作り出したのは鞆に居る足利義昭であり、彼らに味方が全滅するまで戦場へ留まる理由はなかった。
「……いいだろう。撤退する」
「承知」
こうして、浦宗勝に従い毛利家の水軍は撤退に入った。
その撤退に際して二人は、少しでも織田家の水軍を分散させる為に別々に撤退を行っている。目的地は同じ岩屋城であるが、浦宗勝は水軍の主力を率いて北回りで、そして得居通幸は南回りで淡路国にある岩屋城を目指したのであった。
こうして浦宗勝と得居通幸が撤退を決めた頃、石山本願寺は活気に満ちていた。それというのも、児玉就英の指揮する別動隊が石山本願寺に到着していたからである。彼が率いてきた船からは、次々と物資や兵が陸揚げされていく。やがて、彼らが戻るのに必要な最低限の量だけを残して全て石山本願寺へ物資は引き渡された。
「顕如殿。確かに、お渡ししましたぞ」
「確かに」
「では、これにて」
児玉就英はやや急ぐように、船へと戻った。
石山本願寺は、織田家領内深くに刺さった棘のような存在である。周りは全て敵に等しい環境であり、そんな場所に長居はしたくないというのが彼の本音であったからだ。
「では、帰りもお気を付けて。必ずや毛利殿には、御仏の加護がありましょう」
「ありがとうございます」
表向き恭しく顕如に一礼すると、児玉就英は出港を命じる。すると旗下の船が、次々と出立していく。彼らの行き先もまた、得居通幸と同じく岩屋城であった。
因みに児玉就英率いる輜重船団が無事に役目を果たせた理由だが、何と言うことはない彼らは見逃されたからである。織田家水軍を率いている滝川一益や九鬼嘉隆、並びに明智光秀や義頼らは、彼ら毛利の別動隊については既に察知をしていた。
しかし、別動隊が物資の補給を行う部隊であると分かると、無視すると決め込んだのだ。確かに、補給をされるよりはされない方が良いに決まっている。だが幾ら水軍の船といえども、一回の補給で数万の兵を抱える石山本願寺への補給を満たせる筈もない。それこそ、篭城できる期間が少し伸びる程度でしかないからだ。
その補給も、和泉灘(大阪湾)を押さえてしまえば継続することは出来ない。一回分の補給を邪魔する為に織田家水軍を分けるより、この一戦に投入できる全戦力を敵へぶつけ、決定的な勝利を手にすることへ邁進する決断をしたのだ。
その結果が織田家水軍の勝利であり、毛利家水軍の和泉灘制海権の喪失である。その意味では、戦力の集中を行った彼らの判断は英断であった。
そのような理由により無事に石山本願寺物資を届けた後に出立した児玉就英率いる別動隊であったが、彼らはそこで信じられない状況を目撃することになる。それは、織田水軍に追い回される毛利水軍の一部であった。
「少ないとはいえ、毛利家の水軍が……一方的に押されているだと!?」
毛利水軍と小早川水軍、そして村上水軍の連合という、この時代において正に最強といって憚らない毛利水軍が、どう贔屓目に見ても勝っているとはいえない状況に陥っていたのだ。
しかも、それだけではない。数は少ないようなので分隊なのかも知れないが、それでも彼らは精鋭といっていい。そんな味方水軍衆の動きが、普段を考えればあり得ないぐらいにお粗末なのである。この状況に児玉就英は、本陣で何かがあったのではと推察した。
「内蔵丞殿! これは一体……」
共に石山本願寺への補給に従事した冷泉元豊が、驚きの表情を浮かべながら児玉就英へ訪ねる。問われた児玉就英は、暗い表情を浮かべながら自身の考えを答えていた。
「民部(冷泉元豊)殿。これはあくまで、状況から推察したに過ぎませぬ。しかし、間違いではないとも思います」
「し、して内蔵丞殿のお考えを聞かせ願いたい」
「多分、味方は負けたのでしょう」
「ば、馬鹿な! 織田の水軍ごときに、我が毛利水軍が負けたとそういわれるのか!!」
驚きのあまり、冷泉元豊の口調が荒くなっている。そんな彼の口を児玉就英は、即座に塞いでいた。
「しっ! 声が大きい!!」
「す、済まぬ」
「全く……誰が聞いているのか、全く分からぬのだ。言動には注意していただきたい!」
声を押さえながらも状況を察しろとばかりに言葉を紡いだ児玉就英に気圧されたのか、冷泉元豊は口を塞がれたたまま頻りに頷くことで返答とする。その仕草を見て、児玉就英は元豊の口から手を離していた。
「内蔵丞殿。その……先ほどの言葉だが、相違ないのか?」
「推察の域を出ないが、ほぼ間違いはないであろう。それと……こちらも推察に過ぎぬが、味方の本陣でも何かがあったであろう」
「何かとは?」
「さぁて。だが、これだけの混乱だ。余程のことではないか? たとえば、大将の掃部頭(村上武吉)殿が討たれたか……また討たれていなくても部下に命じることが可能な状態にないとか色々考えられる。だが、ここからでは分からぬな」
石山本願寺へ物資を届けた帰りであり、児玉就英と冷泉元豊も敵は干戈を交えていなかった別動隊を率いていたのである。その彼らが情報のない状態で遭遇したできごとの内容を想像するなど、土台無理な話であった。
「……だ、だがそれならば、左衛門尉殿(香川広景)殿が変わるのではないか?」
「ならば、左衛門尉殿にも何かがあったのであろう。だからこそ、あの体たらくを一部とはいえ味方が晒しているのだ」
児玉就英はそういいながら、自身たちが率いている船団から少し離れている味方を指さす。そんな彼の動きに合わせて、冷泉元豊も指し示した先にいる味方の水軍を見る。そして彼は、その在りように訝しげな顔をしていた。
それというのも、冷泉元豊の目から見ても味方の動きがとてもではないが精鋭とはいえないからである。児玉就英にその事を指摘された冷泉元豊の表情から訝しげなものは消え、代わりに何ともいえない表情へと変化した。
「これは、何とも……」
「こたびの戦に送り込まれた兵は、皆精鋭である。ならばこのような状況など、普通ではまず考えられん。となれば、普通ではない何かが起きたと考えるのが道理というものだ」
「そこで本陣で何かがあったと、そういわれたのか……となれば、すぐに救援へと向かわねば!」
しかし児玉就英は、その言葉に首を振る。彼の示したまさかの対応に、冷泉元豊は驚きの表情を浮かべる。その後、憤慨やる方なしといった雰囲気を伴いつつ児玉就英へと詰め寄っていた。
「内蔵丞殿! それはどういう意味か!!」
「我らが有する兵力は、敵よりも多くはない。必死に逃げている味方を加えても、超えることは不可能である。そんな兵数で織田家水軍へ突撃しても、逆に討ち取られるだろう」
「だから見捨てると、そういわれるのか!」
「落ち着け! 民部殿。負けているとはいえ、浦殿も居られる。他にも得居殿もおられるのだから、味方がそう易々と、壊滅とはならんであろう。だから我らは、敢えて見付かり敵を引き付ける。そのまま岩屋城まで引けば、織田家の水軍とて追撃を諦める筈だ」
「そ、それはそうかも知れぬ」
「どのみち、我らの行き先は岩屋城なのだ。ここで見つかったとしても、岩屋城へ悠々と着けるか、それとも追撃を受けているかの差でしかない。ならば、せいぜい敵を吸引しようではないか」
こうして、児玉就英の率いる石山本願寺補給船団は、わざと織田水軍に見付かるような航路を進む。当然ながら、気付かれてしまう。彼らの姿を見た追撃している織田水軍は、淡路水軍を率いている安宅信康の弟、安宅清康が追撃を行う。しかし荷が殆どなく、空船に近い状態の児玉就英率いる船団の船足は早い。必死になって安宅清康は追い駆けたが、なかなか追いつけなかった。
これは児玉就英と冷泉元豊が、絶妙ともいえる距離を保った上で追わせたからでもある。しかし、そんな事を安宅清康が分かる筈もない。結局、児玉就英と冷泉元豊を追撃した淡路水軍は、毛利水軍へ追いつけないまま岩屋城近辺へと到着してしまった。
その一方で岩屋城へと入った毛利水軍は、ほぼ時を同じく城へと到着した得居通幸とも合流を果たす。ついで囮役を務めていた児玉就英率いる船団も合流し 彼らは協力して織田水軍の迎撃体勢を整えたのであった。
鉄甲船は、元々追撃に向く船ではない。はっきりといってしまえば、海上に浮かぶ城のような存在である。そんな鉄甲船に、義頼と九鬼嘉隆、滝川一益と明智光秀は乗船している。その為、彼らが毛利水軍の追撃に向かうことはできなかった。
代わりに毛利家の水軍を追ったのは、関船や小早船ばかりである。また水軍の規模の関係から、追撃に参加した船は淡路水軍と九鬼水軍所属の船だけであった。
再建してからあまり時の経っていない和泉水軍は、追撃に参加せずに鉄甲船の護衛として残っている。その追撃した淡路水軍と九鬼水軍だが、執拗に追うまでは行っていない。九鬼水軍は、九鬼嘉隆から命を受けた鳥羽宗忠が垂水の沖近くまで浦宗勝を追い駆けたが、そこで追撃を止めると引き返していた。
そして得居通幸を追った安宅信康と、児玉就英を追った安宅清康は岩屋城まで進んだがこちらもそこで停船していた。そこで暫しの間、海上から遠巻きにしていた安宅兄弟であったが、やがて撤収に入る。彼らは、木津川河口近くで停泊している鉄甲船と合流するべく引き返したのであった。
その一方で和泉水軍と共に戦場に残った義頼たちであるが、彼らは戦場より少し離れると九鬼嘉隆の乗る鉄甲船に集っていた。
「大隅守(九鬼嘉隆)殿」
「十兵衛(明智光秀)殿、何かな?」
「追撃した者たちであるが、追い付けますかな?」
「無理とはいいません、しかし望み薄でしょう。それに、こちらは大勝しています。これ以上の戦果を求めなくとも、不都合はありますまい」
確かに織田家水軍は、今回の戦に置いて事実上完勝といって憚らなかった。
前回の海戦にて散々に負けた意趣返しをした、といっても過言ではない。毛利家の水軍大将を務めた村上武吉と副将扱いであった香川広景を討ち取っているし、敵水軍に対しても半壊を超える損害を与えているのだ。
壊滅させることができなかったのは残念ではあるが、村上水軍を擁する毛利水軍へそれだけの与えた上で、味方の損害は少ない……いや、毛利水軍に比べれば、微少といっていい損害しか被っていないのだから、これ以上を望むのは贅沢というものであった。
「それはまぁ、そうかも知れませんが……」
「十兵衛殿。勝ち過ぎると、侮りを生みかねない。何ごとも程々が良いであろう」
「そうそう。彦右衛門(滝川一益)殿の言われる通りかと某も思います」
「ふむ。それもそうだな」
滝川一益の言葉に、義頼も同意する。 そんな二人の言葉に、明智光秀もそう思うようになっていた。正にその時、噂をすれば影とばかりに浦宗勝を追撃していた鳥羽宗忠率いる九鬼水軍が戻って来た。
さらにそれから一刻半ぐらいたった頃になると、淡路水軍も戻ってきていた。彼らから追撃の結果を聞いた義頼たちは、彼らを労う。それから、全ての船団を率いて堺の湊を目指す。その間に、彼らは海戦に在り様を書状に纏めておく。程なくして、堺に到着すると織田信長の元へ走らせたのであった。
村上武吉と香川広景が討たれたのに、まだ名将、勇将の残る毛利水軍。
人材厚いな。
ご一読いただき、ありがとうございます。




