第百三十話~鉄甲船出陣~
第百三十話~鉄甲船出陣~
観音寺城の改修現場、義頼はそこにいた。
その傍らには、道意(松永久秀)と蒲生賢秀がいる。そして、二人の他に蒲生賢秀の嫡子となる蒲生頼秀や元服した井伊頼直、さらには馬廻衆筆頭の藤堂高虎といった姿があった。
だが、なぜに蒲生頼秀と井伊頼直と藤堂高虎の三人がいるのかといえば、それは彼らが城の建築に興味を示したからである。そこで義頼と同様に、道意から築城のいろはについて教えを受けていたのだ。
つまり彼らに取って改修中の観音寺城は、生きた教材といっていい代物なのである。そんな彼らと共に観音寺城の改修現場を検分し、取り分けて問題がなかったことを義頼は自らの目で確認している。また他にも、現場を監督している者たちへ声を掛けて彼らからも話を聞いている。無論、織田家と敵対する大名たちへの警戒や現場の監視もあって伊賀衆や甲賀衆を紛れこませているが、彼らから齎される情報だけで全てが分かる訳ではない。やはり現場の人間から直接話を聞くことは、貴重な意見となり得るのだ。
そして建築現場を管理する監督などから話を聞いた限りでは、幸いにも特段危険な個所はない。また、現場で仕事に従事する者たちからも取り分けて大きな不満は出ていない。そのような言葉を聞けたことに、義頼は内心で安心していた。
その後、六角屋敷に戻ると彼は、現場で聞けた意見や進捗状況などを纏めていく。やがて一段落つくと、義頼は一緒に回った者たちと共に一息ついていた。
「まずまず、予定通りか」
「遅れていないだけ、ましといえるでしょう」
確かに蒲生賢秀の申す通り、進捗状況が予定通りなのは喜ばしいことである。この様な大きい現場となると、事故などといった予定外の理由などにより遅れることが往々にしてあるからだ。だがそのような雰囲気がないのだから、喜びこそすれ愚痴を漏らすようなことではないのだ。
「……そう言えば、義父上。完成したという鉄甲船ですが、いつになれば投入されるのでしょうか」
「頼直。どうした、藪から棒に」
「あ、申し訳ございません。先ほどの進捗が予定通りと聞いて、ふと思いだしたのです」
本人は淡々と話しているつもりであるが、顔は少し紅潮しているし言葉もやや早口である。いかに彼が鉄甲船を気にしているのは、手に取るように分かった。
「どうやら、気になるらしいな頼直は」
「あ、いえ、その……はい」
言葉尻は小さくなったが、それでも井伊頼直は気になっている事実を認める。すると義頼は、笑い声を上げた。
「お前も男だな」
「義父上! 悪いですか!!」
少し気分を害したらしく、井伊頼直は言葉を荒げながら義頼へ言葉を返す。そんな義息の態度に、義頼はさらに笑い声を上げていた。
「ははは……いや済まん。悪いことなどないぞ。むしろ気持ちは、俺も同じだ」
「えっ!?」
義頼の言葉に、思わずという感じで井伊頼直が声を上げる。そんな義息に対して義頼は、静かに笑顔を向けていた。
「何だ、意外か?」
「あ、はい。義父上は、そのようなことに興味がないのかと思っていました」
「それは、ものによるな。鉄甲船に関しては、俺も殿へ案を出している。船の建造に直接は係わっていないが、案を出した身としては気になるのだ」
「そ、そうだったのですか。義父上が、案を出されたと」
「但し、俺だけではない。まぁ、その案を出した者も、今は猛特訓中らしいが」
その頃、織田信長は、鉄甲船建造を急がせていた。
その為に大型船を既に建造、運用経験を持つ六角水軍の将である駒井秀勝や堅田衆の居初又次郎を派遣させたぐらいである。それが功を奏したらしく、鉄甲船は織田信長が指示した船籍数を予定よりも早い段階で揃えていたのだ。
「何と! そうなのですか!?」
「ああ。だからそのうちに、見られるであろう。出陣前に船のお披露目を行うかは、分からないがな」
義頼の申した通り、船を建造していた九鬼嘉隆率いる九鬼水軍や奉行として関わっていた滝川一益らは、新機軸ともいえる鉄甲船に慣れる為の訓練に勤しんでいたのである。その進捗状況から恐らく今年中、それもそう遠くないうちに出陣があるだろうと義頼は踏んでいた。そしてその予測だが、程なく現実の物となる。それは、織田信長がいよいよ頃合いは良しとして決断しからであった。
【天王寺の戦い】に勝利し、陸からは石山本願寺を押し込む事に成功している。また足利義昭に忠節を誓う伊丹親興と伊丹忠親の親子は、荒木村重によって居城の伊丹城へ押し込められた状況となっているので問題とはならなかった。
しかし和泉灘(大阪湾)が、未だ毛利家の勢力下にある。ここを取り返さなければ、毛利家の用意した援軍や兵糧などが運び込まれてしまうのだ。それでは時をいたずらに伸ばし、戦を長引かせるだけの結果しか生まない。この状況を打破する為には、是が非にでも和泉灘を押さえる必要があった。
ここに織田信長は決断し、織田家旗下にある水軍を召集したのである。勿論、中心となったのは、鉄甲船を建造した九鬼水軍となる。他には淡路水軍と、漸く再建を果たした和泉水軍が招集されていた。
また彼ら水軍とは別に、三人ほど将が集められている。一人は、九鬼嘉隆と共に奉行として鉄甲船建造に係わった一益である。そして明智光秀も、召集されている。但し、彼は堺で合流と言うとしていた。
そして残った最後の一人が、義頼である。その義頼が招集された理由だが、三つ程あった。一つは、義頼自身が水軍を率いることが出来る為である。これは彼が六角家臣時代、六角全軍の指揮を事実上の陣代の形で幾度となく任されていた事実に由来していた。何せ六角家には、六角水軍という水軍を旗下に持っていたのである。当然、陣代として幾度となく戦を経験している義頼も、水軍を指揮下に置いていたのだ。
次に、織田家臣内に置いて火縄銃の運用に長けていることにある。義頼は、六角家が織田家に降伏する数年前より、鉄砲を運用していた。この事自体は、さほど珍しい訳ではない。しかし火縄銃を部隊で運用しているとなると、途端に少なくなる。火縄銃自体が割と高めということもあるが、それ以上に火縄銃には連射がしづらいという欠点がどうしても有ったからだ。
そして義頼だが、彼もはじめのうちは他家と変わらず最初の一撃を与える部隊として運用していたのである。しかしのちに、幾つかの組みを作りその者たちを纏めて部隊とするという運用方法を考案する。これにより、連射が出来ないという欠点を克服していた。
さらにいえば、鉄砲衆と弓衆を並行して運用している。これを実現したことで、ついには雑賀衆や根来衆に匹敵する射撃部隊(弓と銃の混合部隊)を作り上げていたのだ。
その上、義頼の運用する鉄砲衆の火縄銃には全て銃槍を取り付けが可能である。そのお陰で、たとえどのような戦場であっても鉄砲衆が浮いた戦力とならない戦える部隊となっていた。
最後の理由は、織田信長の考えにある。それは、この海戦の主軸となるのが火縄銃や大鉄砲などの火器であると考えていることに由来していた。つまり、鉄砲衆や弓衆の運用に長け、水軍も指揮できる。その上、万を超す軍を率いたことのある将などそうざらにいるものではない。しかしその数少ない将の一人が、他ならぬ義頼なのだ。
それゆえに織田信長が彼を招集したのは、不思議でもなんでもなかった。いわば、必然であったとさえいえる。こうして大将の一人として招集された義頼であるが、率いたのは六角水軍と堅田衆を中心とした近江衆であった。
丹波衆や大和衆では、海戦に慣れていないというか殆ど経験が無いので当てにはならない。なにより両国は内陸の地であり、水軍を運用するような国ではないからだ。
しかし近江国は、先に挙げた二国と違う。海に面していないという事実は二国と変わらないが、琵琶湖の存在が水軍を必要としていた。確かに湖上の水軍である為、九鬼水軍や淡路水軍ほど海戦に経験がある訳ではない。しかし、素人に任せるよりは遥かにましである。その為、義頼は六角水軍と堅田衆を中心とした近江衆を編成したのであった。
「義父上!! 何ゆえに連れて行っていただけないのですか!」
元服した直後の大戦ゆえか、井伊頼直は自分も参戦出来ると息巻いていたのである。しかし蓋を開けてみれば、義頼が義息の参戦を認めようとしない。その為、井伊頼直は義頼へ問い掛けたという次第であった。
「ふう。いいか、頼直。お前を連れて行かない理由、それは単純だ。そなたは、戦を経験していない。それでなくてもこたびの戦は、水上での戦いとなるであろう。そのような戦に、戦場を経験したことがないなどという者など連れて行ける訳がなかろう」
「そ、それはそうですが! しかしっ!!」
「それにな、頼直。戦がこの一戦で終わり、と言う訳でもないのだ。阿波三好家や毛利家、越後上杉家に甲斐武田家。ざっと名を挙げただけでも、織田領の近隣にこれだけの手強い家がある。それゆえ、機会はまだまだある。頼直が慌て戦場へ出る必要など、全くないのだ」
「…………分かりました」
「うむ。してお前には、わしの代理として我が六角家を守って貰う。まず干戈を交えることなどはなかろうが、これも一つの戦だ。しっかりと頼むぞ」
「はい、父上」
こうして井伊頼直を説得して残した義頼は、その足を志摩国へと向けていた。
彼が直接畿内へ向かわなかった理由は、本人も含めて率いる軍勢を少しでも海上での運航を兵に慣れさせる為である。海上では湖上以上に荒れるということなどは、義頼も知っている。だが知っているだけで、経験した訳ではない。そこで、経験すれば違うであろうと考えたからこそであった。
なお義頼だが、彼は全く船酔いとなっていない。彼は軍を率いても、また個人的にも湖上を移動することが多くもないが少なくもない。さらに利用する船の大きさは、大型船も小型船もあるのだ。そのことからかそれとも先天的にそういう体質なのかはわからないが、生まれてこの方、ただの一度も乗り物酔いを経験したことがなかった。
流石に、大荒れに荒れた海ならばもしかしたら酔うかもしれない。しかしそのような状況でないならば、義頼が船に酔うなどまずあり得なかったのだ。
「海上といえども、流石に安定しているな。大型の船は」
「右少将(六角義頼)様、真に」
義頼は海の上を飛ぶ鳥を見ながら、傍らに居る駒井重勝へ声を掛けていた。因みに父親の駒井秀勝はというと、鉄甲船建造に係わった経緯から義頼の乗る鉄甲船の船長を命じられているのでこの場に居ない。そして声を掛けられた駒井重勝であるが、彼も義頼の言葉には同意していた。
「とはいえ……やはり、遅いな」
「それは仕方がないかと。既存の木造船に鉄板を張っただけですが、その加重は相当な物です」
「船の仕様や性能に関しては報告書で見ていたが、実際に経験しないと分からないということか」
「はい」
「だがこれでは、素早く動いて海戦など無理な話だな。となれば事前に彦右衛門(滝川一益)殿や大隅守(九鬼嘉隆)殿と詰めたように、鉄甲船を突出させて敵を引き付ける。しかるのちに、反撃となるか……」
鉄甲船を囮、若しくは拠点のように扱い敵を誘引するのだ。
当然だが、鉄砲や弓などで迎撃するが、防ぐことは叶わず接近を許してしまうだろう。だが、それこそが狙いでもあった。つまり敵の攻撃が効かないことを見せつけ、相手の士気を折る。その上で鉄砲衆や弓衆による射撃や、味方の水軍による攻撃による敵の殲滅するつもりであった。
「どうだ祐光。何か、問題はあるか?」
「……いえ。特に問題はない、そのように思われます」
義頼に問われた沼田祐光は、暫く考えた上で答えた。
別に彼が水軍の運用に長けているから答えられた、という訳ではない。だが、今回の海戦における戦法は陸上においても運用出来る。だからこそ、彼に答えられたのだ。
要は鉄甲船を、城と考えればいい。敵を城に引きつけて、その隙に味方の兵を敵の後方や側面に回して攻撃を仕掛ける。別に、奇をてらった作戦でも何でもない。正にありきたり、拠点に籠った際に行う迎撃戦の王道といっても憚らない戦法なのだ。
「そうか。して重勝、そちはどうだ?」
「今さら、急に変える必要はないかと思います。それにどうあがいても、素早さでは小早船や関船には勝てません。ならばその様に戦うのは、道理にかなっています。あと問題となるのは、毛利家が出て来るか否かです」
確かに駒井重勝が言う通り、毛利家の水軍が出て来るかどうかは分からない。しかし、毛利家が出て来ないその可能性は低いと考えられていた。どのみち海上まで包囲されれば、石山本願寺が援軍を要請するのは間違いない。しかしその要請を受けて援軍を派遣できる家など、畿内にはないのだ。
可能性があるとすれば伊丹家と阿波三好家と雑賀衆だが、伊丹家は荒木村重によって伊丹城に押し込まれている。そして阿波三好家は、前述の通り家中動乱が収まったばかりである。最後の雑賀衆も、内部に対立の問題を抱えている。その対立も羽柴秀吉による調略の手が伸びたことで、より煽られた状況となっていた。
越後上杉と甲斐武田は、すぐに援軍などできない。距離の問題などがあり、現実的に無理なのである。となれば、残りは毛利家しかなかった。
そしてその毛利家も、援軍を断る事はまずしない。領内に居る足利義昭の件もあるし、何より織田家を畿内へ足止めしておく為にも援軍は必要なのだ。
「間違いなく、押っ取り刀で出て来るであろう。少しでも織田家の力を削ぎたい毛利家としては、援軍を出さない選択は取れない筈。そうだな、祐光」
「はっ。実際、毛利家が公方(足利義昭)様を受け入れた理由もそれでしょう。本音を申さば小早川殿辺りは来て欲しくはなかったのでしょうが、将軍としての権威はまだ使えますので」
織田家が押さえた畿内は兎も角、地方では将軍の権威はまだ通用する。だからこそ、各家の思惑はあるとしても、足利義昭の敷いた新たな信長包囲網に越後上杉家や武田家などが参加したのだ。
「それに、一度はこちらの水軍を破っている。だから、出て来ないという選択はまずないだろうな」
「なるほど。それは確かに」
「だからこそ、今回は負けられん。我らも、気を引き締めて戦わねばならんぞ」
『御意』
沼田祐光を筆頭に気合の入った返答をしてくる家臣たちに、義頼は満足げな笑みを浮かべたのであった。
ついに鉄甲船が動きました。
彼女の初陣です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




