第百二十九話~婚儀先変更と元服~
第百二十九話~婚儀先変更と元服~
主君の義頼から呼び出しを受けることとなる沼田祐光であるが、彼は別室にあった。勿論、客がきていることなどは知っている。そもそも沼田祐光が宴の用意の陣頭指揮をしたのだから、知っていて当然なのだ。義頼から急遽命じられ急いで用意を整えた宴席であったが、始まってしまえば彼の手を離れる。あとは、女中や腰元達の仕事となるからだ。
こうして一仕事を終えていた沼田祐光は、庭に面した部屋で弟の沼田光友と囲碁を指しながら宴席が終わるのを待っていたのである。客の出自など考えれば、取り分け警戒する必要があるとは思えない。無論、油断などはしないが、それでものんびりと出来る時間であった。
因みに沼田祐光と沼田光友では、囲碁の腕に差がある。兄となる沼田祐光の方が強いので、寧ろ指導碁に近かった。
やがて宴席が終わったので兄弟の二人は、義頼たちと共に姉小路頼綱と京極高吉を見送っている。それから部屋に戻ると、沼田祐光と沼田光友は再び囲碁を指そうとした。しかしてその直後、沼田祐光が義頼に呼び出されたという訳である。すぐに主君の元へと向かうと、そこには義頼の他に六角義治もいた。
「殿、何用でしょうか」
「うむ。少し話があってだな……耳を貸せ」
「はっ」
近付いた沼田祐光に対して、義頼は耳打ちする。彼に告げたのは、姉小路頼綱から提案された婚儀についてであった。
「……婚儀ですか」
「ああ。しかし正直にいうと、飛騨守(姉小路頼綱)殿の思惑が読めん」
「……恐らくにございますが、飛騨守殿は結び付きを強めたいとかんがえているのでしょう」
「結び付き? 六角と姉小路のか?」
「無論それもありましょうが、最大の理由は織田家と姉小路家だと思います」
「織田と姉小路の結びつきで、何で六角が出て来る?」
沼田祐光の言葉に、義頼と六角義治が揃って首を傾げている。そのような二人に対して沼田祐光は、一つ咳払いをすると自分の考えを述べ始めた。
「飛騨守殿としましては、織田家との関係を強めたい。しかし、従属や臣従したという訳でもないのに織田家に対してあまりに露骨な態度を取るのも考え物。そこで、一人身の右衛門督(六角義治)様に目を付けたのだと思われます」
「ん? 関係を強めたいがその手段として我が六角家だと……ああ、そういうことか」
沼田祐光の説明に、漸く義頼は合点がいった。しかし六角義治は、まだ訝しげな顔をしている。そんな彼に対して、沼田祐光は補足の説明を続けた。
「つまりですな右衛門督様。六角家の当主である殿は、大殿(織田信長)の同腹妹を娶っています。傍から見れば、殿は織田家重臣と申してもいいでしょう。そしてその六角家は佐々木の嫡流であり、今は姉小路と名を変えていますが三木家はその佐々木の傍流です。分家の者が一族嫡流へ輿入れするなど変ではありませんし、またそれを行うことで間接的にですが織田家とも繋がりを持てるのです」
そこまで説明を受ければ、六角義治も納得がいったらしく手を打っていた。
「ああ、なるほど……そのような理由かぁ」
「で、義治。お前はどうだ?」
「どうとは?」
「だから。祐光の考えを聞いた上で、飛騨守殿の申し出は是か非かと聞いているのだ」
「異論はありません。正直にいえばどちらでも宜しいですが、継室が来るというのなら拒む理由はありませんので」
「まぁ、そうだろうな。それに、一族として考えても俺のあとを継ぐ候補は多い方がいいか」
「その通りです、殿。ですから前からも申し上げております様にお犬の方様との間に次子を作るなり、お圓の方様意外の側室迎えるなりして下さい」
現在、義頼の男子は鶴松丸だけである。家臣の沼田祐光としては、早く二男以降の子を義頼に作って貰いたいのだ。無論、他の手として生まれたばかりの結姫が婿養子を取るとか大原義定の子を養子とするなどいう手がない訳ではない。だが出来れば、義頼の血を引く子供に次代の当主となって貰いたいというのが六角一門、及び六角家臣の偽らざる本音であった。
「これは、藪蛇だったな。ま、それは置いておくとしてだ……」
「いや、置いておかないでいただきたいのですが」
「……置いておくとしてだな!」
遮っても言葉を続けた義頼に、沼田祐光は軽く肩を竦める。同時に彼は、少し諦観した様な表情を浮かべたのであった。
「この話は、六角家と姉小路家だけに留まらん。一度、殿にお伺いを立ててみるとする」
「そう……ですな。万が一にも、大殿の意向と違っていると厄介です」
「ああ。その為にも、伺いを立てて悪いことなどはあるまい」
その後、義頼は使いを出して、明日にでも織田信長を面会したいというお伺いをする。程なく帰って来た使いから、了承を得たことを知らされたのであった。そして翌日になると、約束通り義頼は主君の館を訪れる。通された控えの間で暫く待っていると、織田信長の側近でもある堀秀政が表れた。
彼に従い部屋を出た義頼は、織田信長と面会する為に別の部屋へと通される。そこでも暫く待っていると、小姓から織田信長の来訪が告げられる。それから間もなく、義頼が平伏している部屋に織田信長が入って来た。
「義頼、何用だ?」
挨拶どころか、いきなり用件を尋ねてきた。
しかし義頼も、織田信長のこのような態度には慣れている。その為、別段いつもと変わらない態度でこたびの訪問理由を告げたのであった。
「……といった次第にございます」
「ふむ……六角と姉小路の婚儀か……悪いとはいわぬ。言わぬが、正直必要ないな」
甲斐武田家との戦がこれからどのようになるか分からないが、その過程に置いて飛騨国を押さえておくという意味では悪い話ではない。だが、自らの同腹妹を嫁がせている義頼の六角家と結ばせるほどの価値があるとは思えなかったのだ。
「そうですか……」
「うむ。権六(柴田勝家)か、もしくは柴田の者であれば、それはそれでよかったも知れん。水先案内人代りにのう」
織田信長は、いずれ柴田勝家に飛騨国攻略を命じるつもりであった。
流石に、まだ甲斐武田家の影響がある状態では難しい。しかし、そう遠くないうちに再戦することになるであろう武田家との戦に勝った暁には、飛騨国攻略に乗り出すつもりであったからだ。
「柴田家ですか……殿、その話ですが可能かもしれません」
「何? どういうことだ」
「柴田家は、某と同じ佐々木の末にございます。柴田の血筋は、佐々木氏庶流である加地氏の流れを汲む新発田氏の一族となる筈です」
越後新発田氏の祖先は、佐々木盛綱である。その佐々木盛綱の息子は、のちに褒美として賜った加地荘に因んで姓を加地と変えている。その加地氏の庶流に当たるのが、新発田氏であった。
そんな新発田氏の一族に、柴田義勝という男が居る。彼はやがて越後国を出ると、尾張国へと移動している。その柴田義勝の孫に当たる人物が、柴田勝家であった。
「ほう。六角と柴田にその様な因縁があったのか……」
「はい……して、いかがにございましょうか」
暫く待った義頼であったが、織田信長より考えが纏まった様な雰囲気を感じた為、まるで答えを促す様に尋ねる。その機を見たとも思える言葉に、織田信長は小さく笑みを浮かべていた。
「義頼。その婚儀、わしが預かる。六角ではなく、柴田との話を勧めさせるからな」
『はっ』
「それと頼綱だが、まだ岐阜に居る。俺の代理として、経緯を早々に伝えてやれ」
『御意』
こうして、織田信長の前を辞した義頼は、その足で姉小路頼綱の元を訪れた。
そこで彼に対して、婚儀の件についての経緯を伝える。すると彼は、少しの間だが考えにふけった。できれば婚儀相手として六角家を望んでいた姉小路頼綱であるが、変更された婚儀相手も分家の傍流とはいえ同じ佐々木氏の一族でかつ織田家重臣の柴田家である。妹の婚儀の相手が勝家か柴田一族の誰かとなるかは分からないが、それはそれで悪い条件でもないのだ。
「……承知致しました、六角殿。こたびは縁がなかったと、諦めましょう」
「済まぬ、飛騨守殿。ご縁があれば、いずれは検討しましょう」
「ええ」
その後、姉小路頼綱の前から辞して六角屋敷へと戻った義頼は、六角義治と沼田祐光に経緯を伝える。すると、またしても縁が無かった六角義治は、表情こそ笑っていたが流石に頬が引きつっていた。
「済まん、義治。必ず、継室を見付けるから」
「は、ははは。まぁ、期待しないで待っていますぞ、殿」
そして実際に義頼は、言葉通り六角義治の継室を探し出している。その相手とは、山岡景佐の娘であった。
さて人騒がせな婚儀話がひとまず決着してから数日後、義頼は岐阜にいる近江衆の人質を集めた新年会を行っていた。その席で彼は実に楽しげに酒を酌み交わしていたが、その裏で苦渋の決断を一つ行っていたのである。その決断とは、佐々木氏本貫地の扱いについてであった。
安土城という新たな城が築かれれば、当然だが城下町も作られる。そしてその城下町が造成される範囲に、義頼の領地である佐々木氏本貫地が含まれていたからだ。
その事実を知った時、義頼は大いに人知れず悩んでいる。だが佐々木氏本貫地と引き換えに家臣を路頭に迷わせるよりはいいと判断した義頼は、ついに佐々木氏本貫地を織田信長へ献上する旨を決めたのであった。
この宴会から数日後、義頼は岐阜を出立している。しかし出立前に織田信長へ挨拶を行った際、彼は佐々木氏本貫地を織田家に献上する旨を能面のような表情をたたえた顔で伝えていた。
そして織田信長としても、いつ切り出そうかと考えていた話題なだけに、義頼から言い出した事には喜色を浮かべていたと言う。その後、近江国の六角館へ戻った義頼や丹羽長秀などは、正月ということで中断していた築城などの工事を再開する。同時義頼は南近江代官としての職務をこなす傍らで、大原義定と蒲生賢秀を治安維持の為に残した上で領内を巡回していた。
義頼は訪問した先々で、家臣や国人らを集めて新年を祝う。その途中で京に立ち寄り、兄である六角承禎に挨拶した義頼はやがて丹波国へと入った。
「戻ったぞ」
「お帰りなさいませ、あなた」
「ああ。お犬もお圓も虎松も、大事ないか?」
「はいっ!」
義頼からの問い掛けに、問題など無い旨を証明するかのように虎松が元気に答える。すると義頼は、優しく彼の頭に手を置く。それから、愛しむ様に虎松の頭を撫でた。
「虎松。俺が居ない間、お犬やお圓や鶴松丸や結のことを頼むぞ」
「お任せ下さい。お義父上」
「ああ。頼りにしているぞ」
その時、義頼の足に何かが抱きついてきた。そちらに視線を向けると、足に鶴松丸が抱きついている。その態勢のまま、彼は父親となる義頼の顔を見上げていた。すると義頼は、一つ笑みを浮かべてから鶴松丸を抱き上げる。その途端、鶴松丸は嬉しそうに笑った。
「鶴松丸も元気そうだな」
「は、はい。父上」
鶴松丸の言葉に、義頼も笑みを浮かべる。それから一頻り息子の相手をしたあとで義頼は、結姫を抱き上げていた。
「さて虎松。かねてからの約束通り、そなたを元服させる。この丹波で、国人達と新年を祝った後に近江へ戻る。そなたの元服は、それからとなる」
「はいっ! 義父上!」
小気味よい虎松の返事を聞きながら、義頼は笑みを浮かべる。そんな彼の腕の中では、結姫が眠りに落ちていた。それから数日後、新年を祝う宴を家臣や丹波国人たちと共に開く。その宴会のさなか、波多野秀治が義頼にあることを尋ねて来た。
「右少将(六角義頼)様。虎松様の元服の儀ですが、我らも参列して宜しいですかな?」
「ん? それは構わんぞ、他にもいるのだからな」
この宴会が終わってから大体一週間後ぐらいに、虎松の元服の儀が行われることとなっている。その元服の儀には、大和衆の筒井順慶と松永久通などの大和衆や仁木義視ら伊賀衆、それから甲賀衆の三雲成持や尼子勝久を筆頭とする尼子衆、さらには蒲生賢秀など近江衆が参列を希望している。これは虎松が義頼の義息であり、事実上の庶長子であることに由来している。
何はともあれ、波多野秀治の申し出た参列が義頼より了承されると、彼だけでなく波多野宗高や赤井直正、荒木氏綱や籾井綱利らも参加を表明していた。
『では、我らも参列致しとう存じます』
「あ、ああ。無論、構わぬぞ。それに、元服後には祝宴も開く。そちらにも参加をしてくれ」
『承知致しました』
それから半月後、近江源氏の氏神を祭る沙沙貴神社において、佐々家などの与力家や各国の与力衆などが参列する中、義頼を烏帽子親として虎松が元服した。
「虎松。そなたは今日より、井伊次郎頼直と名乗るがいい」
頼の字は義頼の名から一字を取っており、直は井伊家の通字である。そして次郎は、井伊直虎の別名たる次郎法師から取ったものであった。
「はっ。謹んで、お受け致します」
元服して井伊頼直となった虎松を、お圓の方は嬉し涙を流しながら見詰めていた。彼女に取り、今日と言う日は待ちに待った日でもある。その為、喜びも一入であった。またそれは、井伊家の家臣も同じである。一時、義頼とお圓の方との間に出来た子に井伊家を継がせるべきとの意見も彼らから出ていた。とはいえ、井伊頼直は幼い頃から井伊直虎の後継として苦労してきたのである。そのことを知っているだけに、結果として彼が井伊家を継承することは嬉しかったのだ。
「さて、こうして元服したか暁には、井伊家の家督は頼直に継がせる。異論はないな」
「勿論です、四郎五郎様。皆もいいですね」
「承知致しました。殿、お圓の方……いえ次郎法師(井伊直虎)様」
「そうか! では、我が義息を頼むぞ。無論、他の者もだ」
『御意!』
義頼の言葉に井伊家家臣団は、改めて六角家と井伊家に忠誠を誓ったのであった。
えー、結局別の佐々木一族(柴田家)と結ばせました。
それと、虎松君がやっとこさ元服を迎えました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




