第百二十八話~姉小路家との婚儀~
第百二十八話~姉小路家との婚儀~
美濃国岐阜城にある大広間。ここでは、新年を祝う宴が開催されていた。
対石山本願寺の総大将に任命された佐久間信盛は、残念ながら今年も参加出来ずにいる。それは、塙直政といった佐久間信盛に付けられた与力衆も同じである。その代わりという訳ではないのであろうが、去年は参加出来なかった柴田勝家が今年は参加していた。
その彼が織田家臣筆頭の佐久間信盛に代り新年を祝う音頭を取ると、会場のあちこちで祝う言葉がかわされる。そんな中にあっても義頼と羽柴秀吉は、織田家臣に対する挨拶回りを行うのであった。
「ふう」
「ささ、一献」
「おう。すまぬな頼秀」
一通り織田家臣を回り戻ってきた義頼の杯に、蒲生頼秀が酒を注いでいく。すると彼は、なみなみと注がれた酒を一気に飲み干してしまう。すかさず蒲生頼秀が注ぐが、義頼はそれもすぐに飲み干していた。
立て続けに杯を二杯空けた義頼であるが、酔ったような様子は微塵も感じられない。いやそれ以前に、彼は新年の挨拶回りで幾らか酒を酌み交わしている。それであるにも関わらず、義頼には酔った様子が見られなかった。
「相変わらずですな右少将(六角義頼)殿、その酒の強さは」
「これは十兵衛(明智光秀)殿」
そこに現れたのは、明智光秀であった。
彼はそれなりに飲んでいる筈なのに酔った様子を見せない義頼を見て「酒ではなく水でも飲んでいるのでは?」と思わず勘繰ってしまっている。それぐらい、義頼の様子は素面と何ら変わりがなかったのだ。
「正直、下戸な拙者としては羨ましいですな。特に、この様な宴席では」
「残念ながら、これは生来の物ですからなぁ。ですが、損なこともありますぞ」
「ほう。損ですか」
「ええ。見ての通り、外から見ても分かりません。その為か、ほぼ際限なく酒を勧められてしまいます。漸く他人が見ても顔が赤いなどという酔った証が分かる頃には、他の方はかなり酒が進んでいます。そうなりますと……」
『やはり勧められる』
ここで義頼と明智光秀の言葉が重なる。すると二人は、ほぼ同時に噴き出していた。
「ははは。なるほど、その様な事態もありえますか」
「ええ。それに、某はまだ二十代と他の重臣の方々と比べても若い。そのせいか、尚さらです」
「なるほど。酒を飲めるのも、決していいことばかりではないということですか」
「程々、それが一番なのでしょう」
「確かに。それは、そうかも知れませんな」
そこで二人は、またしても笑い声を上げる。それにつられるように、彼らの周囲でも笑いが起こっていた。
「おう。随分楽しそうだな、右少将殿に十兵衛殿」
「これは権六(柴田勝家)殿、又左衞門(前田利家)殿と五郎八(金森長近)殿」
楽し気な雰囲気を醸し出している義頼たちのところに、柴田勝家が現れた。
その彼は、自身に付けられた与力を務めている前田利家と金森長近を引き連れている。彼らに声を掛けたあとで笑いを収めた義頼は、柴田勝家へ杯を差し出す。差し出された杯を柴田勝家が受け取ると、酒を注いでいった。
「おっ、とと。済まぬ」
柴田勝家も、それなりに酒は強い。とはいえ宴もたけなわとなった頃であり、彼はいささか顔を赤らめていた。しかし柴田勝家は、構わずに注がれた酒を飲む。それから義頼へ杯を返すと、その杯に酒を注いでいた。
「これは忝くも、鬼柴田殿手ずからの酒。喜んで頂戴致します」
「ふん。世辞などよいわ、さっさと飲むといい」
「では」
すると義頼は、ゆっくりと味わっているかのごとく酒を飲み干した。その仕草には、全く澱んだような節はない。明智光秀が思ってしまった、正に水を飲んでいるかのごとくといった有り様であった。
「相変わらず、いい飲みっぷりよ。のう、十兵衛殿」
「真に、そうですな」
それから前田利家や金森長近からも酒を注がれたが、義頼は平然と飲み干していた。
なおこの新年を祝う宴会だが、夜半過ぎまで続いている。しかし夜明け前までには自然的に終わりを迎え、空けて翌日、義頼は極普通に朝を迎えていた。明智光秀のように基本酒を飲めない者は別として、大抵の宴会参加者がそれぞれの屋敷で二日酔いに苦しんでいる。だが異常なくらい酒に強い義頼は、寝込んでいる彼らとは違いどこ吹く風であった。
そんな二日酔いとは無縁の男は、戦場などの特殊な状況でもない限り出来るだけ行っている朝の調練に入る前準備として体をほぐしている。そんな義頼を尋ねて、朝から来訪者が現れる。それは、蒲生頼秀であった。
「どうした、頼秀。このような朝から」
「無論、右少将(六角義頼)様より手ほどきを受けたく」
頼秀はそう言うと、手にした弓を差し出す。そんな蒲生頼秀を見て義頼は、小さく笑みを浮かべた。
「手ほどきか。もう、俺からの手ほどきが必要とは思えないが」
「ご迷惑ですか?」
「何を馬鹿なことをいっておる。義理とはいえ甥であるし、何より俺はお前を弟と思っている。迷惑などあるものか」
「右少将様……嬉しく思います」
義頼の言葉を聞いた蒲生頼秀は、本当に嬉しそうな表情をしていた。
「さて。では、早速見せて貰うぞ。上達ぶりを」
「はい!」
それから一刻ほど、義頼と蒲生頼秀は共に鍛錬を行う。そこで弓を置くと、彼らは用意されていた手拭いで汗を拭っていた。
「頼秀。そなたの弓の師として、上達はとても嬉しいぞ」
「右少将様! あ、ありがとうございます!!」
義頼から出た褒めの言葉に、蒲生頼秀はとても喜んでいる。そんな一番弟子の態度に微笑みを浮かべながら、義頼は言葉を続けた。
「さて。一息ついたら朝飯としようか。頼秀、お前も食って行け」
「喜んで御相伴にあずかります」
朝食を済ませたあと、義頼と蒲生頼秀は六角義治をも加えてとめどない話をしていた。彼らの話題にこれという明確な話もなく、はっきりいえばほぼ雑談であるといっていい。ある意味、正月らしいといえる時間を彼らは過ごしているのであろう。そのように寛いでいる三人の元に、種村貞和が顔を出す。彼は義頼へ、客が来ていることを告げたのだった。
「客だと? 誰だ?」
「中務少輔(京極高吉)殿と、もう一方にございます」
「ふむ。分かった、通せ」
「はっ」
種村貞和へ客を通す用に命じると、義頼はその間に着換をする。それから暫くしたのち、種村貞和が戻って来ると義頼は客間へと向かう。やがて部屋に入ると、確かにそこには京極高吉の他にもう一人座っていた。
「良く来られた、中務少輔殿。まずは新年、明けましておめでとう」
「おめでとう、右少将殿」
まずは新年の挨拶を京極高吉とかわした義頼は、彼の隣に居る男へ視線を向けつつ何者かを尋ねる。すると京極高吉は、男の姓を告げた。
「姉小路? もしかして、飛騨の姉小路殿か?」
「はい。姉小路飛騨守頼綱にございます」
さて姉小路頼綱が、何ゆえに京極高吉と共に義頼の元に来たのか。それは、彼の出自ゆえである。元々飛騨国には、国司として京より下向した公家の姉小路家があった。しかしその姉小路家だが、室町幕府の任命した守護の京極家と争いに負けて没落してしまう。その結果、飛騨姉小路家は宗家扱いの小島家と古川家と向家の三家に分裂した。
のちの世で【応仁の乱】と呼ばれるようになる大乱をへて戦国の世となると、飛騨国における京極家の力も落ちてしまう。それにより、飛騨国守護としての支配も緩んでしまったのである。こうして守護職にあった京極家の力が緩んだことで、彼の家の被官であった三木氏が頭角を現したのである。
先に述べた姉小路家の分裂だが、まず宗家扱いであった小島家の力が落ちる。すると古川家が小島家を圧倒し、古川家は小島家を取り込み宗家となっていた。しかしその古川家も、戦国の荒波は厳しかったらしく、飛騨国で頭角を現していた三木家の当主であった三木良頼によって滅ぼされてしまう。彼は残った向家から継室として妻を娶り、三木家中に組み入れていた。
こうして事実上、姉小路家を滅ぼすと、三木良頼は当時将軍位にあった足利義輝や五摂家の近衛前久に接近する。そしてついに、自身の姉小路家継承を朝廷に認めさせたのであった。
なお、姉小路家を継承するに当たり、三木良頼は名も変え姉小路嗣頼と称している。恐らくは当時は近衛嗣久と名乗っていた近衛前久に配慮した為と思われた。また、彼の嫡子であった三木自綱もまた名を変えている。姓は父親と同じくは姉小路となり、名については呼称を変えずに漢字を頼綱へと変更していた。
新たに姓を得た姉小路嗣頼は、飛騨国司姉小路家の名を大義名分として飛騨国統一に動き始める。しかし甲斐武田家から侵攻され降伏し、姉小路嗣頼は武田家の傘下となっていた。
しかし彼はその一方で、十五代将軍に就任していた足利義昭や織田信長とも誼を通じている。そればかりではなく、甲斐武田家に対する牽制として上杉謙信とも密かに誼を通じていた。
実際姉小路家は、越後上杉家の越中国侵攻時に息子の姉小路頼綱を援軍として送る約定をかわしている。そのようにして姉小路家は、甲斐武田家に屈しながらも、彼の家からの独立を模索していた。しかし、一昨年末近くに当主の姉小路嗣頼が病死してしまう。その跡を継いだのが、姉小路頼綱であった。
急遽家督を継いだ彼は、父親が急死であった為にいささか混乱してしまった家中の取り纏めに奔走する。時間こそ掛かったが、どうにか家中の秩序を取り戻した。
こうして姉小路家を纏め上げた姉小路頼綱は、武田信玄が亡くなったことでいささか混乱した甲斐武田家より離反する。そして彼が、庇護を受ける先として選んだのが織田家であった。その証として姉小路頼綱は、織田家による今年の新年の挨拶にかこつけて岐阜を訪問したのである。そこで織田信長と面会し、新年の挨拶と贈り物をしたのが昨日のことであった。
さてこの姉小路家の名跡を継いだ三木氏だが、元を辿ると佐々木一族の庶流である多賀氏を祖とする一族である。つまり姉小路頼綱は佐々木一族の者として、嘗て仕えた京極家の現当主を通じて佐々木嫡流の当主である義頼の元を訪れたのであった。
「なるほど。何はともあれ、よく来られた。歓迎しよう」
義頼は人を呼ぶと、酒と幾らかの料理を出す。その間に人をやり、時間がないので派手には出来ないがそれでも宴席の用意をさせた。
やがて用意が整うと、宴席に移動する。その席には、六角義治や蒲生頼秀も加わっていた。
姉小路頼綱を歓迎する宴席である為、当然だが彼が上座にある。そんな姉小路頼綱に対して義頼たちは、次々に酒を注いでいく。はじめ恐縮していたが、適当に酒が入ればそんな態度も軟化していった。
やがて宴もたけなわとなると、彼の堅さも取れる。空気もゆったりとしていい心持となった頃、まるで見計らったかのように姉小路頼綱が口を開いた。
「いやぁ。真に良い気分です、右少将殿」
「そう言って貰えるのならば、宴席を設けた甲斐があったという物です」
「ところで、右少将殿」
「何か?」
「右衛門督(六角義治)殿に、奥方は居られるのか?」
『は?』
いきなりの話題転換に義頼は無論のこと、六角義治や蒲生頼秀や京極高吉が揃って声を上げた。一瞬冗談か何かと思い姉小路頼綱を見ると、そこには至極真面目な表情をした男が居る。その顔を見るに、冗談ではないという事こと認識出来た。
「飛騨守(姉小路頼綱)殿、急に何を言われる?」
「いえ。大したことではございませぬ。もし居られぬのであれば、我が妹を迎えてはいただけないかと愚考したまでです」
ところで、姉小路頼綱が何ゆえに妹の婚儀などと言い出したのか。それは別に、酔った上の戯言ではない。れっきとした考えに基づいてであった。
今回、姉小路頼綱が織田信長の元を訪れたのは、対武田の意味が非常に大きい。甲斐武田家に降伏し、形的には傘下に収まっているが、姉小路家の悲願は自家による飛騨国の統一にある。だが今までは武田の力が大きく、声高にそのことを言う訳にはいかなかった。
しかし姉小路家が恐れた武田信玄も死に、その武田家も織田家と引き分けとなったことで以前のような勢いがないと思える。だからこそ姉小路頼綱は、先述したように甲斐武田家より離反して織田家にすり寄ることで今一度飛騨国統一に乗り出せる好機だと判断したのだ。
以前より織田家とは一応付き合いがあったとはいえ、関係が濃密という訳ではない。しかしここで妹を差し出すなどしては、あまりにも態度が露骨すぎるというものだ。だが、織田家の重臣に六角家がある。佐々木嫡流である六角家に、分家筋の姉小路(三木)家当主が妹を妻にと願っても何ら不思議ではないのだ。
その上、幸いと言っていいかは分からないが六角義治には妻が居ない。いや正確にいうと、現在妻がいないのだ。実は義頼が元服する前の話であるが、六角義治は一度妻を迎えている。しかし、婚儀を挙げて一年も経たないうちに正室は急病で亡くなってしまっていた。
その後、彼には幾度か婚儀の話が持ち上がっている。しかしその度に畿内での戦や観音寺騒動などの紆余曲折があった為か、いつの間にか話すらも上がらくなっていたのだ。
「……飛騨守殿。急な話ゆえ、いささか時をくれぬか?」
「構いませぬ。良きお返事をお待ちしております」
「うむ。済まぬ」
「お気になさらずに。では、中務少輔殿。そろそろ、お暇致しましょう」
「お、おう。 そうだな……しからば右少将殿、右衛門督殿、忠三郎殿。いずれ、また」
最後にそう言うと、京極高吉と姉小路頼綱は六角屋敷を辞する。彼らを見送った義頼たちは、その後、空いている部屋へと入った。なお蒲生頼秀であるが、彼は京極高吉と姉小路頼綱を見送った後はそのまま屋敷を出ている。話はあくまで六角家内のことであり、自分が口出す事ではないと考えたのであった。
「さて、どうしたものかな……取り敢えず、祐光の意見も聞いてみるとするか」
そういうと義頼は、岐阜へ同行している沼田祐光を呼び出す。すると、彼の意見を聞いたのであった。
もしかしたら、フェイントかもしれない。
義治と姉小路家の婚儀話です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




