第百二十七話~新寺と雑賀調略~
第百二十七話~新寺と雑賀調略~
観音寺城下の六角館、そこで義頼たちは頭を悩ませていた。
「しかし、今になって寺を建てよとは」
「だが、やらねばならぬ。そうであろう、右少将(六角義頼)殿」
「五郎左(丹羽長秀)殿。それはまぁ、そうなのですが……」
そう。
突然に織田信長から、安土山に新たな寺を建築するようにとの命が下ったのだ。因みに、安土山の前の名前は目賀田山である。安土城の名前が決まったことで、目賀田山から安土山へと名前を変えていたのだ。
それはそれとして、織田信長の新たな命とは縄張りとしてもはや完成していた安土城にいきなり寺を追加しろというものなのである。それでなくとも、安土城は魅せる城として縄張りが行われている。ゆえに、全体の調和が重視されている。そこに新たな寺を建築しろというのだから、考慮された全体の調和を崩さないようにと彼らは頭を捻っていたのだ。
「殿、丹羽様。少し宜しいですかな」
「何だ道意(松永久秀)。何か、いい案があるのか?」
口を出して来た道意に対し、義頼が尋ねる。すると彼は、縄張図のある一点を指し示していた。
「いい案かどうかは分かりませぬが、拙者はこの場所をお勧めします」
道意が指し示したのは、山の西側にある道筋沿いだった。
この道は、予定では織田信重の屋敷の脇を通り、やがて大手道へと繋がる道である。そして道意が示したのは、織田信重の屋敷の更に西側であった。
「そこか」
「はい。幸いといいますか、東に若殿のお屋敷がある為、空いた土地となっています。そこで、この空いた土地に道を塞ぐかのように寺を建ててしまうのです」
「ん?……そうか! 防衛としても使えるという訳か」
「丹羽様、その通りにございます」
確かに麓から昇って来ても、ここへ建築物があればそこが防御拠点ともなりえる。また元々が空き地である為、そこに寺を建立したとしても全体の調和を損なうようなこともなかった。
「いいだろう。道意の意見を取り入れるとしよう。右少将殿、早速追加費用の概算を出してくれ……どうした?」
声を掛けた義頼が、返事をしないことを訝しんだ丹羽長秀が声を掛ける。すると義頼は、何か考えているような雰囲気を醸し出していた。
「右少将様。いかがなされました?」
そんな義頼に、安土城築城における大工棟梁の岡部又右衛門も声を掛ける。そこで初めて呼ばれていたことに気付いたのか、義頼が尋ね返した。
「……あ? 何かな又右衛門」
「いえ。丹羽様がお呼びになっても、全然お答えにならなかったので」
「え?」
思わず丹羽長秀の方を向くと、彼は頷きつつ苦笑いている。その仕草をみて義頼は、ばつが悪そうな表情をしながら後頭部を掻いていた。
「これは申し訳ありません、五郎左殿。少々、考え事をしていました」
「それはまぁ、構わぬが。して、何を考えていたのだ?」
「簡単に申さば、追加費用の軽減です」
『追加費用の軽減?』
義頼を除いて、全員が異口同音に尋ね返す。そんな彼らに頷きながら、義頼は自分の考えを述べていた。
「ええ。一から作れば、余計に時も掛かり金もまた掛かります。ですが、既にある物を利用すれば時と金の浪費を防げると」
「既にある物……移築か!」
手を打ちつつ丹羽長秀が答えると、義頼は頷いた。
確かに既にある物を移築すれば、新築するよりも時間は掛からないし建築費用も浮くことは間違いない。ただ一つ問題があるとすれば、それを織田信長が許すかどうかであった。
「その通りです。そこで一度、某が岐阜へ向かいたいと思います」
「態々右少将殿がか?」
「ええ。他にも一つ、報告したいことがありますので」
「他の報告?……ああ、あれか」
「そう。あれです」
「分かった。では、明日にでも発つのか?」
「五郎左殿、そう致します」
さて二人のいうあれとは、天王寺で起きた戦でのことである。
義頼はあの時、鈴木重秀を弓で討ち取っている。だが距離が離れていたことと、鈴木重秀の首を雑賀衆の佐武義昌が持ち去ってしまった為に義頼が誰を討ち取ったかが分からなかったのだ。
しかし、その直後に起きた雑賀衆の撤退とそのうろたえ具合から、雑賀衆の中でそれなりの者を討った事だけは推察出来た。そこで義頼は、自分が誰を討ったのかを山中俊好に命じて調べさせたのである。
主君から命じられた山中俊好は、配下の者たちと共に石山本願寺へ紛れこむと逃げ込んだ雑賀衆に付いて徹底的に調べ上げる。だが目立つ訳にもいかないので、その調べは実に慎重であった。
その為に時間が掛かったが、雑賀衆に付いて一つ変更があった旨が判明する。それは石山本願寺へ派遣されていた大将が、鈴木重秀から佐武義昌へ変更されたというものであった。しかもその理由が、鈴木重秀が病により倒れたからだというのである。その上、鈴木重秀だが、何と雑賀へ戻ったというのだ。
幾ら大将が病に倒れたからといって、まだ戦の最中である。それであるにも関わらず、大将を外したばかりか雑賀にまで戻したという。その話に不自然さを感じた山中俊好はさらに詳しく調べてみる。すると、鈴木重秀が病に倒れた時期というのがちょうど天王寺での戦のあとであることが判明する。実際、天王寺での戦の撤退時、雑賀衆の纏めていたのは佐武義昌であった。
「源八郎殿、どう思う?」
「ここは、雑賀に行ってみる方がより情報を得られると思うが大和守(山中俊好)殿」
「そなたもそう思うか……太郎左衛門(伴長信)殿は?」
「拙者も同じですな」
「ならば、雑賀へ向かうとするか」
『おうっ!』
共に潜入している鵜飼源八郎と伴長信が、自分と同じ考えを持っていると確認出来た山中俊好は、彼らと共に石山本願寺より消えた。
なお石山本願寺には元々潜入している者は居るので、情報収集に付いては問題とならない。実際、彼らが首尾よく石山本願寺へと潜入出来たのも、先に潜入している彼らの手引きによる物であった。
何であれ石山本願寺を出た山中俊好たちは、雑賀にて情報を集め始める。石山本願寺に潜入した時以上に警戒しながら、鈴木重秀の情報収集と並行して雑賀の情報も調べ上げていく。やがて彼らは、ある奇妙さに気付いた。
それは、鈴木重秀の姿が全く見えないということである。幾ら病とはいえ、姿形が全く見えず気配すら感じられないというのはいかにもおかしい。その事実に山中俊好たちは「重秀は既に死んでいるのでは」との疑いを強めていた。
彼らはさらなる情報収集を進めて行くうちに、漸く鈴木重秀が死亡している可能性を掴む。それは、彼の墓である。密かに首だけ雑賀へと戻された鈴木重秀は、極々近い者たちでの葬儀を行うとこの地に葬られたというのだ。
とはいえ、それだけで死亡したという判断をする訳にはいかない。もしかしたらそのような情報を流し、相手を撹乱させる為の罠かも知れないからだ。そこで山中俊好と鵜飼源八郎と伴長信は、鈴木重秀の父親である鈴木重意の居城である雑賀城へ潜入した。
同城の奥深くまで潜入した彼らは、やがて決定的ともいえる証拠を掴む。一つは、鈴木重秀の位牌である。そして今一つは、愛山護法と銘打たれた火縄銃であった。
「これは……間違いない。鈴木重秀の位牌」
「それに、あの火縄銃もだ。大和守殿」
伴長信の言葉に、山中俊好は頷いた。
「確か愛山護法は、重秀の愛銃の銘だった筈」
「そうだ、源八郎殿。ならば死んだというのは、ほぼ間違いはないであろう」
「うむ。では長居は無用。雑賀の実情も含めて、急いで殿に報告だ」
『おうっ』
山中俊好の言葉に小さく同意した二人は、すぐに撤収へと入った。
この素早さが功を奏し、彼らは見付かることなく城から退出することに成功する。もしあと少し遅かったら、彼らは偶々部屋に向かっていた鈴木重秀の兄に当たる鈴木重兼に見付かっていた筈だったからだ。
何はともあれ、無事に館を脱出した彼らはその足で近江国へと向かう。そして義頼に面会すると、鈴木重秀の死の仔細とその過程で集めた雑賀衆の情報を報告したのであった。
「そうか。俺が討ったのは、鈴木重秀だったか」
『はっ』
「三人ともご苦労だった、下がって休め」
『御意』
その後、義頼は丹羽長秀に面会して得た情報と近いうちに岐阜へ向かう旨を告げる。それを聞いた丹羽長秀も、同意していた。そのような経緯から、丹羽長秀も鈴木重秀の死について知っていたのである。そしてそれは、織田信長から追加の寺建築の命が届く数日前のことであった。
こうして義頼は、雑賀衆の情報と新たな寺を建築するに当たっての意見を携えて岐阜城下の六角屋敷に向かう。そこで一泊した翌日、織田信長と謁見した。
「何だ義頼、用とは」
「はい。まずはこちらをご覧ください」
義頼は書状に纏めた雑賀の情報と、新たな寺の意見を差し出す。最初に目を通したのは、新たな寺に関する意見であった。それを見たあとで織田信長は、移築で構わない旨を義頼へ伝えている。それから目を通した雑賀の情報に、織田信長は目を見張った。
実は鈴木重秀だが、織田家と石山本願寺との戦で織田家に対して一番被害を与えているといっていい将であったのだ。その鈴木重秀が既に死亡しており、またそれだけではなく一枚岩と思われていた雑賀の中でも実は対立がある旨が書かれていたのだから驚くのも無理はなかった。
だが織田信長は、驚いているだけの存在ではなかった。彼は即座に、これはつけ込みどころと判断したのである。織田信長は不敵な笑みを浮かべると、目の前の義頼へ話し掛けた。
「さて義頼。雑賀だが、その方ならばどうする?」
「……そうですな……中郷と南郷と宮郷をこちらへ引き込む方が宜しいのではないかと。その上で雑賀を攻めるか、もしくは降伏なりを彼らへ呼び掛けるかしてはいかがでしょうか」
その答えに、織田信長は満足そうに頷く。その理由は、義頼の言葉と自身の考えと一致するからだった。
「うむ。俺もそう思う。早速にでも、手を打つとするか。義頼、その方は近江へ戻れ。ご苦労だった」
「はっ」
義頼が下がると、織田信長は雑賀に対する手を考え始めた。
「先ずは、義頼も上げた三郷を内応させるか。話はそれからだな」
彼はそう独白すると和泉国半国、いわゆる泉南を治める羽柴秀吉に三郷、通称三緘衆の調略を行うようにと指示する。主君からの命を受けた羽柴秀吉は、弟の木下秀長と竹中重治、それから蜂須賀正勝を呼び出した。
「殿より、雑賀衆の調略を命じられた」
羽柴秀吉はそういいながら、一つの書状を出す。それは、義頼の提出した雑賀衆の現状を記した書状であった。彼らは差し出された書状を、じっくりと読む。そこには、雑賀衆の現状が詳しく書かれていた。
「して兄上、この書状は?」
「殿より送られて来たものだ。流石は殿、雑賀のことが手に取るように分かる……と言いたいが、違うであろうな」
「ええ。恐らく、情報を集めたのは六角殿でしょう」
『何と!』
羽柴秀吉と竹中重治の言葉に、木下秀長と蜂須賀正勝は驚きを表した。
「それは真か! 半兵衛(竹中重治)殿」
「ええ。間違いないでしょう、小六(蜂須賀正勝)殿」
「これだけの情報を、六角殿がか!!」
蜂須賀正勝も、嘗ては織田家と斎藤家の間を上手く立ち回った独立勢力の国人だった。だからこそ、情報と言う物の大切さも理解している。情報を素早く手に入れなければ、どちらかの勢力にあっという間に併呑されかねなかったからだ。
「幾ら伊賀衆と甲賀衆を配下に置いているとはいえ、この正確さは足長坊主とまでいわれた亡き武田信玄に勝るとも劣りません」
蜂須賀正勝と同様に、竹中重治も感心している。そんな二人を見て、羽柴秀吉が苦笑を浮かべていた。
「情報が豊富なのは有り難い。だが、味方とはいえ他人任せなのはあまりよくはない。我が羽柴家でも、負けぬようにせねばなるまいて」
『確かに』
「まぁ。そのうちに何とかするとして、今は雑賀への接触を行おう」
「それですが、藤吉郎(羽柴秀吉)殿。ここは雑賀だけではなく、根来にも接触致しましょう」
「根来にか?」
「ええ。彼らは、雑賀衆に匹敵する者たちでもあります。それに、どちらかと言えば惣に近い雑賀衆より、傭兵に近い根来衆の方が味方にし易いかと思われます」
竹中重治の言葉通り、根来衆はどちらかといえば傭兵集団に近かった。
また雑賀衆に比べると、織田家に好意的な集団でもある。雑賀衆に匹敵するほどの技量を持つ傭兵集団をより確実な味方と出来れば、その先にあるかもしれない戦に置いても頼れる存在となるのは間違いなかった。
「良いだろう。雑賀の三緘衆への接触と並行して、根来衆への接触も行うこととする。では、とただちに掛かれ」
『御意』
木下秀長と竹中重治、そして蜂須賀正勝の三名は、羽柴秀吉へ了承の返事をするとすぐに動き出したのであった。
本日二話目の投稿です。 何となく筆が乗ったので……
ご一読いただき、ありがとうございました。




