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第十話~動座~


第十話~動座~



 後に【瀬田・布施山の戦い】と呼ばれることになる浅井家侵攻と布施家の謀反が近江国で勃発した頃、畿内の三好家においても動きがあった。切欠は、三好三人衆の筆頭を務める三好長逸みよしながやすである。彼は三好家当主を務める三好義継みよしよしつぐを味方として抱き込むと、阿波国に居た足利義親あしかがよしちかを渡海させるように篠原長房しのはらながふさ三好康長みよしやすながへ要請していた。

 それは三好家が将軍候補としている足利義親に、松永久秀まつながひさひで討伐の命を出させる為であった。


「右京進(篠原長房)殿。この日向守(三好長逸)殿の要請、如何いかとするかのう」

「……山城守(三好長康)殿、拙者は受けようと思う。そろそろ、三好家内の内訌は終わらせたいのでな」

「そうか……そうだな。これを機に、松永を排除するか」


 彼らとて、三好家の内訌を終わらせたいという思いがある。そこで、この要請に答えて足利義親を擁して摂津国へと渡海することにした。

 摂津国は大和国へ松永久秀が移る前に地盤としていたこともあり、三好家領内の内では比較的松永家へ味方する国人が多い地域である。篠原長房と三好康長はその摂津国へ将軍候補の足利義親と共に渡ることで、松永久秀の勢力を削ごうとしたのだ。

 こうした背景から摂津国へと渡った篠原長房と三好康長は、嘗て松永久秀が城主を務めていた越水城へと攻め掛かる。その越水城には、松永久秀に味方する瓦林かわらばやし三河守が城主として守っていた。

 彼は城主として抵抗したが、阿波国だけでなく讃岐国の軍勢すら引き連れて渡海してきた両者の手により、越水城は呆気なく落城してしまう。城主の瓦林三河守は捕えられ、彼は足利義親へ降伏した。

 首尾よく城を落とした篠原長房と三好康長は、同行した足利義親と共に越水城へ入る。そして両者は三好長逸との約束通り、足利義親へ松永久秀討伐の命を出すように願い出ていた。


「公方様、久秀討伐の命をお出ししていただきたく存じます」

「右京進、やはり出さねばならぬか?」

「はい。家中が纏まらねば、公方様を次期将軍として推す三好家と致しましてもやり辛くございます」

「そうか……ならば仕方ない、出すとしよう」


 三好家の力がなくては、次期将軍など望める筈もない足利義親である。そもそも彼に、篠原長房と三好康長からの要請を断るという選択肢がある筈もないのだ。

 こうして出された命を大義名分として、篠原長房と三好康長は松永家へ味方する者たちへと攻勢を掛け始める。この動きに、素早く三好三人衆も同調。彼らは誼を通じていた筒井順慶つついじゅんけいと共に、松永久秀を攻めたのであった。

 味方との連携を篠原長房と三好康長によって分断され、その上、三好三人衆に味方する筒井順慶率いる大和国人達に多聞山城と信貴山城を攻められた松永久秀は動きが取れなくなってしまった。

 此処に三好家に発生した内訌は、松永家の勢力が各地域で不利となった為に一応の落ち着きを見せる。すると三好長逸は、その目を近江国に居る足利義秋あしかがよしあきへと向けたのであった。

 というのも、最近になって足利義秋が有力大名へ御内書を頻りに出し始めていたからである。三好家と敵対する畠山高政はたけやまたかまさは無論のこと、他に関東管領の上杉輝虎うえすぎてるとらなどにも頻繁に書状を送っていたのだ。

 そこで三好長逸は、この目障りとなり始めている足利義秋を掣肘しようと動いたのである。


「義秋から力をなくす為には、六角家の後ろ盾を無くすのが一番だ。となれば、義秋を近江国から追い出せばいい。さてその方法だが……そう言えば右衛門督(六角義治)が受け入れにあまり賛成していなかったとか報告があったような気がしたな」


 此処で策を誤る訳にはいかないと考えた三好長逸は、忍び衆を呼び出し情報の確認を行う。すると彼の思い違いなどではなく、六角義治ろっかくよしはるは足利義秋の受け入れに乗り気ではなかったことが確認できた。


「ならば、手はある。それでなくても右衛門督は、最近不遇を囲っていると聞く。そこにつけ込むとするか。どうせ、口約束よ」

  

 そう独白した三好長逸は、不敵な笑みを浮かべる。それから家臣を一人呼び出すと、彼に密命を与えた。

 それから程なく六角義治は、三好長逸からの密書を受け取る。その書状を一読すると、彼は石塔寺いしどうじを訪問。するとその寺には、三好長逸の家臣である板東信秀ばんどうのぶひでが密かに滞在していた。


「貴公が使者か?」

「その通りにございます、右衛門督様。拙者は三好日向守長逸が臣、板東信秀と申します」


 六角義治から問われた坂東信秀は、平伏してから返答した。


「そうか。ところで坂東殿、この書状に書かれていた事は真であろうな」

「無論にございます。日向守(三好長逸)様は、名門佐々木氏の嫡流である貴殿にこそ新たな管領に相応しいとお考えであります」


 室町幕府の役職である管領は、いわゆる三管領家が交代で就任する役職である。よって、六角家の者である六角義治が就任できる訳がない。だが、此処に一つの例外が存在した。

 実は六角義治の祖父に当たる六角定頼ろっかくさだよりが、唯一と言っていい管領代に就任した前例があるのだ。管領代は、名の通り管領に就任する者が何らかの理由で不都合があった場合に管領を代行する役職である。三好長逸はその前例をもって、六角義治へ管領の地位を約束したのだ。

 六角定頼は、六角家を隆盛りゅうせいさせた人物である。その祖父と同等、いやそれ以上の地位に上ることが出来るかも知れないという言葉は六角義治の心を多分にくすぐったのであった。


「……いいだろう。して、追いだせばいいのか?」

「いえ。あることに目を瞑っていただければ、それだけで構いません」

「あること? それは何だ」

「はい。お耳を拝借」


 坂東信秀はそういうと、六角義治に耳打ちをする。その内容を聞いた彼は一瞬驚きの表情を浮かべたが、直ぐに不敵な笑みに変わると頷き了承したのであった。



 六角義治と三好家が密約を結んでから暫く経った頃、義頼の元へ本多正信ほんだまさのぶがある報告を持ってくる。それは山中俊好やまなかとしよしが齎したものであり、彼はその知らせた内容に絶句してしまった。


「殿。如何いかがなさいますか」

「…………観音寺城に行く。高定……いや御屋形様と兄上に事の次第を確かめる」

「それがよろしいかと」

「正信、後は頼むぞ。それと、三好には注意しろ」

「分かっております。此方こちらはお任せ下さい」


 本多正信の言葉に義頼は頷くと、うまやから愛馬を出させる。彼は即座に跨ると、懐に入れた報告書に手をやる。報告書の有無を確認すると、義頼は馬を駆けさせた。

 そんな主の行動に気付いた山岡景宗やまおかかげむねなどの馬廻り衆が、慌てて追い掛け始める。しかし彼らは追い付くどころか、逆に引き離されたのであった。


「は、迅い……これが侍従様の実力か」

「そうだ。孫太郎(山岡景宗)殿。殿が本気で馬を操れば、誰も追い付けん。もし唯一可能性があるとすれば、殿の師匠であられる承禎様だけであろう」


 山岡景宗に答えたのは、寺村重友てらむらしげともだった。

 彼は義頼の傅役を務めていた蒲生定秀がもうさだひでを除けば、最古参の家臣の一人である。そんな寺村重友の言葉であればこそ、非常に説得力を持っていた。しかしだからといって、単独先行を許していいということにはならない。彼らは、それこそ必死に追い駆けるのであった。

 そんな努力など露知らず、義頼は単騎観音寺城に兄の六角承禎ろっかくしょうていと甥の六角高定ろっかくたかさだを尋ねる。観音寺城の麓に建つ六角館に到着した義頼は、馬を預けると二人に面会を求めた。


「どうした義頼、仏頂面しおって」


 面会した兄に仏頂面と言われた義頼であったが、彼はその表情を変え様としない。如何いかにも不機嫌ですという雰囲気のまま、懐から山中俊好の報告書を出すと口を開いたのであった。


「……御屋形様、それと兄上。両者に尋ねたいことがある。だが、先ずはその報告書を読んで貰いたい」

『何だ?』


 六角承禎と六角高定の親子は、義頼の差し出した報告書を広げる。読み進めるうちに二人の表情は先ず驚愕を表し、それから戸惑いへと移り変わっていった。


「さて……では改めて尋ねる。此度の一件、これは一体どういうことなのか説明をしていただきたい。俺は兄上と御屋形様より、左馬頭(足利義秋)様について一任されていた筈だ。それにも拘らず此度のような仕儀に至った理由、お聞かせ願いたい!」


 義頼に詰め寄られる様に問われた六角高定は、苦虫を噛み潰したような顔になる。そして六角承禎も、同様な表情を浮かべていた。

 この二人が同じ様な表情をした理由は、この場に居ない六角義治が原因だ。前述したように、彼は三好家と単独で約定を結んでしまっている。そして六角家は、興福寺より脱出した足利義秋を受け入れている以上、足利義輝あしかがよしてるを討った三好家は相容れぬ敵同士なのだ。

 それでなくても六角家は、今までもどちらかというと幕府寄りの態度を示している。故に、例え足利義秋のことがなくても先代将軍の足利義輝を討った三好家と結ぶなど言語道断であった。


「……義頼。よく知り得たな」

「兄上や高定のお陰で、優秀な甲賀衆に事欠きません」

「そうか……家内にも手を伸ばしていたか」

「【小倉の乱】しかり、【瀬田・布施山の戦い】しかり。家中においても、油断出来ませんので」


 表情を変えることなく、暗に六角家内にも情報収集の手を伸ばしていると断言している年の離れた弟に対して、六角承禎は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「まぁ、それは良い。確かに義頼が危惧した通り、義治は三好と結んだわ」

何故なにゆえ止めなかったのです、兄上」

「無論諫めた、美濃斎藤家の時の様にな。だが、既に遅かった」


 それは、六角義治がまだ六角家当主であった頃の話である。彼は、当時の美濃斎藤家当主であった斎藤義龍さいとうよしたつと婚姻による同盟を成し遂げようとした過去がある。 実際、斎藤義龍の娘が輿入れするという段階まで話は纏まっていたのだ。

 しかし六角承禎が、自分の妹が嫁いだ元美濃国主の土岐頼芸ときよりのりを追放した美濃斎藤家との同盟に強く反対の意向を示す。その為、この話は流れてしまっていた。


「遅かった……ですか」

「ああ。遅かった。 義治は、三好と既に約定を結んでいるようだ」


 そういいながら六角承禎は、少々悔しげな雰囲気を纏う。その隣では、六角高定もまた似たような雰囲気を纏っていた。

 そんな二人の様子に、これ以上幾ら尋ねても最早手遅れであると義頼は判断する。そこで彼は、二人に頭を下げるとおもむろに立ち上がった。


「義頼。何処どこへ行く?」

「俺は兄上と御屋形様より、左馬頭様のことを任されておりました。今回の様な不測の事態が起こったからといって、その役目を放棄する訳にはいきません。此処は左馬頭様の安全の為にも、六角領より移動していただきます」


 義頼は無論だが、実は六角承禎と六角高定も六角義治が結んだという約定の内容については把握していない。つまりこの場に居る誰も、何が起きるかまでは分かっていないのだ。

 となれば、義頼の言う足利義秋の移動は早急に行った方がいいことも理解できる。そこで六角承禎は、義頼の援護射撃を行うことにした。

 具体的には、息子の六角義治を抑えるのである。約定の内容まで把握していないので、少々難しいかもしれない。しかし、弟の義頼に足利義秋の保護を自ら命で行わせた以上はこのまま座して見ない振りと言う訳にはいかなかった。


「義頼。義治はわしらに任せよ、必ず抑える」

「うむ」

「そうですか。では御屋形様、兄上。義治のことを頼みます」


 すると義頼は、そこでもう一度頭を下げる。そして今度こそ二人の前から辞すると、長光寺城に向かった。

 こうして義頼が六角館から立ち去ると、すぐに六角承禎と六角高定は動き始める。二人は六角義治と会うと、これ以上は動かぬ様に説得を試みたのであった。


「義治。もう今さら、約定に関しては問わん。だが今は、一つだけいうことを聞け。一切動くな」

「動くな、ですと?」

「ああ。義頼が左馬頭様の御為に動く、六角領内より移動させる気のようだ」

「ですから兄上。今は自重して下さい」


 六角承禎と六角高定から義頼が動いたとの話を聞いた六角義治は、暫く考える。その後、彼は二人の説得を受け入れるつもりとなった。彼にしてみれば、途中の経過がどうであろうと足利義秋の後ろ盾を六角家が行わなくなるのであるならばそれでいいのである。六角義治は、別に足利義秋の命まで欲しい訳ではないのだ。


「……分かりました。御屋形様と父上のお言葉に従いましょう」


 皮肉のつもりか、態々平伏してまで六角義治は二人の言葉を受け入れるという返答を行った。そんな兄の態度に、六角高定は不機嫌そうな雰囲気を纏う。そして六角承禎だが、不思議なぐらい変化が無かったのであった。

 その一方で六角館まで追い駆けて来た家臣や与力衆と合流した義頼は、彼らと共に長光寺城に戻っていた。それから蒲生定秀と本多正信を呼び出し、二人と話し合う。また、山中俊好に命じて三好家の、取り分け三好長逸を筆頭格とする三好三人衆の動向を念入りに調べさせている。これは本多正信から、三好長逸の動きが何やら怪しいとの報告が入ったからであった。

 まだ具体的に、何かをしているという報告が入った訳ではない。しかし、今回の件を機に矢島へ攻めて来るかも知れないと義頼は予測したからだった。


「定秀に正信、どう思う。俺の気にし過ぎか?」

「……可能性は決して低くはないという気がします。弥八郎(本多正信)の考えは、どうだ?」

「拙者も同意します。間違いなく三好三人衆は動くでしょう。もしかしたら、長逸単独かもしれませんが」

「そうか。ならば、警戒させるとしよう」


 そういうと義頼は、直ぐ山岡景宗を呼び出す。そして彼に、父親の山岡景隆やまおかかげたか宛ての書状を手渡しながら命を与えて長光寺城より出立させる。やがて山岡景宗が部屋の外へ出ると、視線を蒲生定秀と本多正信へと戻した。


「あと左馬頭様だが、俺に考えがある」

「どうなされますのか?」

「六角領内からの移動。行き先は……若狭だ」

『なるほど』


 蒲生定秀と本多正信が同意したことから考えに自信を持った義頼は、立ち上がろうとしたが、しかし何か思いついたらしく、再度腰をおろしている。それから蒲生定秀と本多正信へ、義頼は万が一を考えていつでも兵を動かせるようにと指示を出した。

 二人が指示を了承すると、今度こそ義頼は立ち上がり部屋から出る。そして和田信維わだのぶただ駒井秀勝こまいひでかつを探し連れ出すと、矢島御所へと向かった。

 義頼は六角家当主である六角高定の代理として、幾度となく足利義秋らと面会を重ねてきた経緯がある。その為、彼らは殆ど待たされることもなく、面会することができた。


「面を上げよ」


 平伏する義頼一行に、足利義秋は声を掛けた。

 その言葉に従い顔を上げた義頼であったが、その表情には隠しきれない憂いがある。そんな表情を浮かべる彼に足利義秋と彼の家臣らは訝しげな顔をする。それから、義頼へ端的に何かあったのかを尋ねた。

 その足利義秋の言葉に促された義頼は、意を決する。それから一つ大きく息を吸い、そして吐くと漸く口を開いたのであった。


「とても残念な知らせにございます左馬頭様。我が甥、右衛門督(六角義治)が三好と密約を交わした模様です」

『何!?』


 おおよそ想定していなかった義頼の言葉に、驚く足利義秋とその家臣たちであった。

 その為、暫くの間は部屋に沈黙が訪れる。やがてその沈黙を打ち払うかのごとく、細川藤孝ほそかわふじたかが確認するかのように尋ねた。


「侍従(六角義頼)殿。それは相違ないのですかな?」

「真に残念なことにございますが、相違ございません。某自身が観音寺城に赴き、御屋形様と我が兄から確認致しました故に」


 飾り気など全くないただ淡々と事実だけを話す義頼の言葉が与えた衝撃は相応なものがあったらしく、辺りに一層のざわめきが広まった。するとその様なざわめきの中にあって、足利義秋が核心と言うべき事を尋ねる。それは、義頼の行動についてであった。

  

「して、義頼。その方は如何いかがする気だ?」

 

 何気ないような足利義秋からの言葉であったが、その言葉の持つ意味を理解した彼の家臣の雰囲気が険呑なものに変わる。だが義頼は、怯むでもなく静かに足利義秋へと返答していた。


「左馬頭様におきましては、すぐにでもご動座していただきたいと考えております」

「……つまり、余を落ち延びさせると?」

「はい」

「六角家の意向に逆らってということですかな、侍従殿」


 そこで藤孝の兄である三淵藤英みつぶちふじひでに問われた義頼は、首をゆっくり横に振った。


「勘違いをしないでいただきたい、大和守(三淵藤英)殿。此度の一件はあくまで義治が独断で行ったことであり、六角家の総意ではない。しかしながら、三好はそう見ていないでしょう。その証左ではございませんが、どうやら三好三人衆の筆頭格である三好長逸が何やら動いている模様です」

『何だと!』


 義頼から齎された新たな知らせとなる三次長逸の動きを聞き、足利義秋を含む彼らに驚きの言葉が満ちた。

 だが、それも致し方ないことであろう。何といっても足利義秋の家臣の中には足利義輝の御所で三好三人衆らから襲われて、命からがら逃げ出した者が多少なりとも含まれているのだ。


「そうか……もはや、一刻の猶予もない。そういうのだな」

「御意」

「相分かった。不本意だが、義頼のいう通りにしよう。して、どこに向かえと?」

「某の考えですが、若狭国の大膳大夫(武田義統たけだよしずみ)殿がよろしいかと存じます。大膳大夫殿は、左馬頭様の義理の御兄弟に当たります。まず、無下むげにはしないと思われます」

「ふむ、義統か……そうだな、そうとしようか。ところで義頼、手筈は整えるのであろうな」

「無論にございます。安心して出立の準備をお始め下さい」

「うむ。では頼むぞ」


 急ぎ矢島御所を辞した義頼は、まず足利義秋の警備も務めている矢島越中守の館に入る。 そこで二通書状を認めると、同行している和田信維と駒井秀勝を呼ぶ。そして彼らに書状を渡しつつ、使者になってもらう旨を伝えた。 

 義頼の命を受けて和田信維と駒井秀勝は、使者となることの意味について声を揃えて尋ねる。そんな二人に対して、義頼は頷いてから具体的な命を伝えた。


「先ず信維だが、その方は大膳大夫殿の元に行け。次に秀勝だが、その方は堅田衆棟梁、猪飼殿に会いにいくのだ」

「それは構いませぬが、具体的にはどうしろと言われますのか?」

「大膳大夫殿へは、左馬頭様の受け入れを。そして猪飼殿だが、彼には輸送を司る堅田衆の本分をお願いするのだ」

『御意』


 こうして和田信維と駒井秀勝は、義頼から書状を受け取ると共に矢島越中守の館を出立する。彼らは義頼より与えられた役目を果たすべく、それぞれ目的の場所に向かったのであった。

 それから、その日の夕刻の頃である。義頼から命を受けた駒井秀勝は、猪飼昇貞いかいのぶさだと堅田砦にて面会する。湖西で浅井長政あざいながまさと戦った際に共同で当たった二人であるという事実が、両者の面会までの時間を早めたのであった。


「久しい、と言うほど時は経っていないか。のう、美作守(駒井秀勝)殿」

「そうですな、猪飼殿」

「して、今日は何の話か?」

「これを」


 猪飼昇貞に促された駒井秀勝は、義頼から託された書状を彼へと差し出した。

 書状を手にした猪飼昇貞は、広げて中を読み進める。そこに書かれていた旨を要約すると、「金は出すから迅速かつ丁寧に運んで欲しい」という趣旨であった。

 書状を最後まで読み終えた猪飼昇貞は少し考えたあとで、この義頼からの依頼を了承する。湖賊でもある堅田衆だが、基本は運送を生業としている者達である。金子がしっかりと払われる上に、やんごとなき御方を運ぶとなれば断るという選択を選ぶ理由を見出せなかったのだ。


「よかろう、美作守殿。侍従殿からの依頼、確かに引き受けた」


 翌日早朝、相手が相手ということもあり猪飼昇貞自らが矢島越中守の館へと赴いたのであった。

 その一方で若狭国へ向かった和田信維であるが、彼は先ず琵琶湖を船で渡っている。これは、少しでも旅程を早める為であった。

 その後、再上陸を果たした信維は朽木元綱くつきもとつなの領地を抜けて針畑峠を越えている。そこから若狭国へと入った和田信維は、若狭武田氏の居城である後瀬山城へと向かった。

 程なくして漸く後瀬山城に到着した和田信維は、若狭武田家重臣の地位にある沼田光兼ぬまたみつかねに迎えられる。するとその翌日には、武田義統と面会が叶った。この面会までの速さは、武田義統が義頼から見て甥に当たる人物であるという事が大きい。武田義統の母は六角定頼の娘であり、義頼の姉に当たる人物なのだ。 


「侍従殿の使者だというたな」

「はっ」

「それで、八郎と申したか。拙者に何用だ」

「その件につきましては、此方こちらをお読みください」


 和田信維は武田義統へ一言断ったあと、懐から義頼の認めた書状を取り出す。書状を受け取った武田義統は最後まで一読すると、眉を顰めた。それというのも、現在若狭国内は色々と問題を抱えているからである。具体的には、親子の確執であった。

 それでなくとも若狭国は内乱に近い状態にあったのだが、この親子の確執がさらに助長している。もはや若狭武田家は、内訌の真最中と言ってもいい状況にあった。

 しかし武田義統は、暫く考えたあとで足利義秋を受け入れる決断をする。それは歴代の若狭武田当主が、足利将軍家より格別な信頼を受けているという事実が大きかったのは否めなかった。


「……承知した。証として、弟の信景を名代として貴殿に同行させよう」


 その翌日、信維は武田信景たけだのぶかげと若狭武田家の出した二十名弱の護衛を引き連れて急ぎ後瀬山城を出る。この一行は、往路で和田信維が通った針畑峠越えの道を使い急いで義頼の居る矢島越中守の館へと戻ったのであった。 

 こうして若狭武田家からの使者である武田信景と堅田衆の代表である猪飼昇貞が揃うと、義頼は二人を連れて矢島御所へと向かう。直ぐに面会を願い出ると、大した時間が掛かる間もなく叶うと。 すると義頼は、足利義秋らへ動座の手筈が整った旨を伝えた。

 出立の用意はほぼ済んでいた彼ら矢島御所の面々は、翌日の昼頃には湖上の人となる。 そして義頼は、そんな足利義秋らを湖岸から見送ったのであった。

 その後、彼は矢島越中守の屋敷に向かう。そこで今まで足利義秋の護衛の任にあった矢島越中守をねぎらうと、幾許かの金子を与える。その日はそのまま越中守の屋敷に泊ることとしたのだが、夜半頃に届いた知らせに彼は緊張感を滲ませていた。


「それは真か! 俊好!?」

「はい。三好長逸が、密かに陣触れを出したとのことにございます」


 山中俊好の言葉に、義頼は難しい顔をして俯きながら考え込む。暫し思案をしてから、顔を上げた。


「……となれば、もう出立しているかも知れんな」

「否定は出来ません」

「ならば、急いで長光寺城に戻るぞ。その方は先に戻り、定秀と正信に知らせてくれ」

「はっ」

「それと、御屋形様にも連絡を頼むぞ」

「承知しました」


 馬を駆り、夜も明けきらないうちに矢島越中守の館から長光寺城へと戻った義頼は、軽く身嗜みを整えると蒲生定秀と本多正信を呼び出していた。そこで三好家の動きを把握しているかを尋ねると、両名とも頷く。そんな二人の返事に義頼が頷いたその時、山中俊好が残した甲賀衆からの続報が入る。それは、今一番欲しい三好長逸の動きであった。

 その報告よると、三好長逸は兵を率いて出立しているとのことである。すると、続報を聞いた本多正信が口を開いた。


「殿。長逸の狙いは、左馬頭様に相違ございません」

「だろうな。だが左馬頭様は、既に当地を離れられた。そこで俺としては、長政の時と同じ様に瀬田川で止めようと思っているのだが……定秀はどうだ?」

「そうですな。取り立てて反対する理由はありません」

「そうか。して、正信はどう思う?」

「……殿。防ぐのではなく敵を誘引し、手痛い目に合わせてやりましょう」


 義頼に尋ねられた後、少し考えてから返答した本多正信は直ぐに周辺の地図を持ってこさせる。それから自らの扇子を指し棒代わりにして、義頼と蒲生定秀に己の考えを伝え始めた。

 訝しげな表情を浮かべつつ本多正信の説明を聞いていた二人であったが、やがて考えを理解すると不敵な笑みを浮かべる。それから直ぐに義頼は、蒲生定秀と本多正信に命じて用意させていた兵を率いて長光寺城を出陣するのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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